ハスターの足は彰の頭を砕かなかった。
「大丈夫かぁ、一ノ瀬」
「み、ねるばさん……」
「よく頑張った。こんなになるまで、本当に……っ」
彰を助けたのは、ギリギリのところで意識を取り戻したミネルバだった。それだけではない。
彰を地面に寝かせたミネルバはハスターを睨めつけて立ち上がる。
「総員、集合ッ!」
ミネルバの一喝と共に守護者たちが立ち上がる。それでも全員が揃っているわけではない。彰とヨシノを除いて八名の守護者。その半分の四人が立ち上がり、ハスターへとカムイを向けている。
「目標、敵性存在仮称ハスター! 一斉掃射!」
「「「「了解!」」」」
ミネルバの号令を皮切りに守護者たちが一斉にカムイの引き金を引く。放たれる魔弾の雨。先ほどまでの、バグを足止めするための一撃ではない。ハスターを倒すための魔力を込めた魔弾が、一斉に放たれる。
――けれど。
「残念です。残念。残念。ああ、残念っ!」
魔弾はハスターの身体を貫く。だが貫くだけだ。泥が溢れだし空いた穴を塞いでいく。ダメージにすらなってない。負担にすらなっていない。
「お……らぁっ!」
だが一瞬でもハスターの意識が逸れたのは事実だ。ミネルバはハスターの懐へ飛び込み、構えたグランドスラムを一閃する。
「……おお!」
――けれど。
それでもハスターにダメージを負わせることは出来なかった。
どろりと歪むハスターの表情。先ほどまでけらけらと邪悪に歪んでいた表情は、今では興味を失った退屈のものへと変化している。
ハスターはぎょろりと首を倒し、奥で寝かされている彰へ視線を向けた。
目の前にいるミネルバすら眼中にない。
そのことに誰よりも速く気付いたのは他ならぬミネルバだ。
ハスターの興味が誰に向けられているのかを把握し、すぐに次の指示を飛ばす。
「――彰を守れ! 俺がこいつを食い止める、残った守護者は全員で彰を守り撤退しろ!」
ミネルバは判断を誤らない。ハスターの目標が彰であるのならば、彰を逃がす。そして他の守護者たちにもまた撤退の指示を出し、「次の戦い」を見据える。
ここで勝つ必要はない。
いや、勝たなくてはならない戦いではある。
だが、勝てない可能性の方が高い――――それならば。
ミネルバはどこまでいっても「守護者」である。
自分の命よりも優先すべきことがあることを理解している。
十人の守護者を指揮する立場であっても、それは変わらない。
けれどその判断が正しいとは限らない。
部隊長は時として非常な判断を下さねばならない。
ハスターの目標が彰であることが明白な今、部隊の生存を、次の戦いへ繋げることを優先するのであれば――彰を囮にすることこそが、正しい選択だ。
否。ミネルバはそれを正しい選択として認識しない。
状況によっては犠牲が出ることは覚悟していても、最初から犠牲者を出す前提では動かない。
それは守護者としてではなく、ミネルバ・バーバリオン個人としての矜持だ。
「咆えろグランドスラム、ハスターをブチのめすぞ――――」
ミネルバは一歩を踏み出してグランドスラムをたたき込む。腕でグランドスラムを受け止めたハスターは、腕を振り上げグランドスラムを弾き飛ばす。
けれどミネルバも負けじと踏み込む。泥塊と鋼が火花を散らし、打ち合いの轟音が廃墟に響く。
その間に守護者たちは撤退を進める。即席の転移魔法陣を敷き、拠点へのゲートを開こうとする。
彰は一人の守護者に背負われて、ミネルバとハスターの戦いを眺めていた。
(……だめ、だ)
相変わらず彰の感情はピクリとも動かない。冷静なのか激昂しているのかもわからないほどに、今の彰は感情を失っている。
見えている状況で彰は理解していた。
自分がどれほどの力に手を出し、その力があったからこそハスターをあそこまで追い込むことが出来ていた。
そして、ミネルバはその力を持っていない。
だから、勝てない。
今のミネルバがしていることは、時間稼ぎだ。
(それじゃ、だめだ。ミネルバさんが、しんでしまう)
死ぬ。ヨシノを失って、胸に穴が空いてしまったように。今ここでミネルバが死ねば、ミネルバを想う誰かが悲しむ。
悲しむ。今の彰には想像も出来ない哀の感情。けれど、それだけは避けなければならない。
誰かが犠牲になるのは、嫌だから。
それならば。
だからといって彰が今すぐ立ち上がり戦線に復帰出来るわけではない。彰はそれだけ重傷であり、喋ることすら出来ないのだ。
「一ノ瀬、踏ん張れ。すぐに治療班を呼ぶから、耐えてくれよ……っ」
名前も知らない守護者が彰の容態を気に掛けてくれる。
でも彰には感謝の情すら湧いてこない。むしろ聞こえてきた声はとても遠くから聞こえてくるように感じてしまう。
「転移魔法の用意、完了します!」
「よし、まずは一ノ瀬から運び出せ!」
ミネルバの代わりの陣頭指揮を取っていた守護者が指示を飛ばす。
了解の声をあげて魔方陣に一歩を踏み出したところで、――唐突に、昏き深淵の声が聞こえてきた。
「逃がすと思ってるんですか? おやおやおやおやおや心外ですねぇ!」
「な――」
ハスターが、そこにいた。空から降りてきたハスターは、着地と同時に魔方陣を砕いた。
しまった、と誰かが漏らした時にはもう遅い。彰は視線をミネルバへ戻した。そこにミネルバはいた。今もなおハスターと戦っている。
ハスターが、二人いる。
いや、二人ではなかった。
魔方陣を砕いたハスターは途端に形を失い泥になって崩れ落ちる。
「お前ら、もう一度陣を用意するんだ! 今度は、もっと距離を取って――」
「あれれれれれれ。余所見をしてよろしいのでぇぇぇぇぇ!?」
「――――!?」
一瞬。一瞬だ。ミネルバが一瞬だけ意識をハスターから逸らした刹那、ハスターの拳がミネルバを貫いた。
血を吹き出してミネルバが大地に崩れ落ちる。狡猾に顔を歪めたハスターは邪魔者がいなくなったとばかりに守護者たち――彰へ向かって駆け出した。
「わ、ああああああああ!?」
ミネルバが敗れた。その事実が守護者たちから冷静さを奪う。ハスターはまるで狩りでも楽しむかのように、戸惑い逃げ出した守護者たちを背中から貫いていく。
足を折り、腕を取り、腹を貫き、ハスターは守護者たちをいたぶり始める。
返り血に塗れながらもハスターは嗤う。止まらない哄笑と守護者たちの悲鳴が世界を満たす。
ハスターの狙いは彰だ。
その彰を追い込むために、ハスターは彰を守ろうとした守護者たちをいたぶっていく。
殺さないのは、ハスターの嗜虐的嗜好によるものだ。
殺さず、生かして、苦しめ続ける。
お前たちが苦しみ続けるのは、彰の所為だと言わんばかりに……。
「お、れを、おいて、いって」
「ダメだ。ミネルバ様が守れと言ったのなら、私がするべきことはお前を守ることだ!」
「で、も」
「私たちは生き残り、守護者を呼ばねばならない。この『災厄』を止めるために。だからこそ、私とお前は何を犠牲にしても――」
そこまで言って、彰を背負っていた守護者が大地に崩れ落ちた。彰も地面に転がり、何が起きたか必死に頭を働かせる。
地面に広がる真っ赤な液体と、地面に残されている――二つの、足。
遅れて聞こえてきた悲鳴。状況を、状況を整理する。
彰を守ろうとしていた守護者は、両足を失って、崩れ落ちて。
「さて、これでお前も守る守護者はいませんね?」
にたりと嗤うハスターが、彰を見下ろしていた。
「どう殺されたい? どう死にたい? 惨めに? ぐちゃぐちゃに? 呪われて? 怨嗟の声を浴びながら? 大丈夫大丈夫。お前は何をどうしても、綺麗に死なせない。私が保っている知識の全てを動員して、死ぬまで殺し続けてやる。何任せておくれ。私は私を呼び出したモノのおかげで、そういう知識は非常に豊富なんだ。大丈夫大丈夫。――狂いはてても、殺さないで殺してやるから」
邪悪な笑みが、彰を捕らえる。まるで触手のように彰の全身に絡みつき、重圧がのし掛かる。
「それじゃあまずは一回目。死なない程度に殺しましょう。何か言い残す言葉くらいはきいておいてあげますよ??????」
「……くたばれ」
「あは」
「~~~っ!?」
ハスターの足が彰の腹部を貫いた。もう出ないと思っていた血を吐き出し、彰は声にならない悲鳴を上げる。
ハスターは愉快げに嗤う。面白いおもちゃを手に入れたとばかりに、どれもう一度と足を振り上げる。
ハスターは彰を殺すつもりは「まだ」ない。苦しめて苦しめて苦しめて、彰の気が狂い正気を失ってから殺すつもりなのだろう。
――結果を語ろう。
その傲慢さこそが、「彼女」の到着を間に合わせた。
その選択こそが、ハスターにとって終わりをもたらしてしまったことを、気付かなかった。
「……? なんですか、この、炎は」
ハスターが動きを止めた。忌々しいモノを見る目付きで、彰とハスターを囲むように広がった炎を
ハスターはその炎を知っている。
忌々しく忌み嫌う炎。今の今まで彰が使っていた、ハスターにとってもっとも嫌悪する炎。
彰はその炎を知っていたがわからなかった。
輝く黄金の炎に酷似していて――どこか違う、蒼の炎。
これは、
なら、誰が。
「――ごめんなさい。駆けつけるのが遅くなって。でも、もう大丈夫です」
蒼の炎をかき分けて、少女が姿を現した。
白衣を脱ぎ捨て、徒手に包帯を巻き付けながら、少女はハスターを睨み付ける。
「後はもう、ボクに任せてください」
その少女の名は――シオン・トキモリ。
誰よりも小柄で、戦う姿など見たこともない少女。
いつもの穏やかな表情ではない。
敵を討つ戦士の目。
今ここにいるのは、医務室の少女シオンではない。
「カムイ、起動! 来たれ、天鎧!」
シオンの声に応えて空から鋼が降り注ぐ。
それは腕。それは足。それは腰。それは肩。それは胸。それは腿。それは身体の部位であり、鋼は次々とシオンの身体に装着されていく。
そうしてシオンの全身が鋼に包み込まれ、
「――創星将第六座。『天下無双』シオン・トキモリ。邪なる神を討ち、災厄を退ける者なり!」
名乗りと共に、蒼炎の嵐を身に纏う。全身を命の炎で覆ったその姿は、守護者というよりもはや鬼だ。
先んじてハスターが地を蹴って駆け抜ける。瞬の間に距離を詰め、シオンの脳天を目掛けて回し蹴りを放つ――――が。
シオンは特に抵抗も見せずに蹴りを受け入れた。
しかし微動だにしない。蹴りを当てたハスターですら、当てた一撃の手応えの無さに違和感を抱いたほどに。
シオンは何も語らない。ハスターは驚愕に表情を染めたまま、一旦距離を取った。
何をしたとは敢えて問わない。今の一撃を以てして、ハスターは目の前のシオンを警戒すべき存在と判断した。
ハスターが構える。シオンは構えない。まるでそれが余裕の表れだと言わんばかりの態度に、ハスターは歯ぎしりをして再度大地を蹴る。
今度こそ、今度こそ破壊出来るだけの力を込める。身体から溢れだした泥が拳を覆い尽くし、鋼よりも強靱な手甲となる。
未だ無防備な頭部へ拳を放つ。シオンはそれでも動こうとはしない。
あまりにも油断大敵。全身全霊の一撃を込めて、シオンの頭部を破壊する――!
「な――――」
「……まあ、この程度でしょうね」
驚愕の声と冷ややかな声。
ハスターの二度目の攻撃は破壊することが出来なかった。防御もしない少女に、いなされるわけでも受け止められるわけでもなく。
シオンの冷ややかな声はハスターから冷静さを奪う。明らかに異質。この場で何よりも異質であったはずのハスターが圧倒されるほどの存在。
わからない。ハスターは、シオン・トキモリという少女が何者であるかすらわからない。
「……何者だ。何者ですか、お前は」
「もうすでにボクは名乗りました。これ以上あなたに名乗る必要はありません」
「これはこれは手厳しい。ですが私はまだ生まれたばかりの赤子も同然。詳しく教えていただけると非常に喜ばしい限り!」
努めて冷静に振る舞おうとするハスターだが、声色までは隠せない。高ぶっている感情は激情に彩られ、飛びかかる隙を伺っている。
それがわからないシオンではない。
だがシオンは、それでもなおハスターを挑発するかのような行動を取る。
「大丈夫ですか、彰くん」
「し、おん……」
「はい。みんなのお姉さんですよー」
倒れ伏している彰を抱き寄せたシオンは、以前と何も変わらない声色で彰に話しかける。何も変わらない優しい声が、全身甲冑の戦士を本当に彰の知るシオンだと教えてくれる。
「そうですね。いろいろ話したいことはあります。彼のような存在こそ、ボクたち守護者が真に倒すべき敵であることを。そして――」
シオンの全身から蒼炎が溢れ出る。触れてなお熱さを感じない心地よい温もり。
ゆっくりと炎は彰の中に浸透していく。あれほど激痛を訴えていた身体がおとなしくなり、身体が軽くなるのを彰は感じた。
もう大丈夫だと言わんばかりにシオンは彰を地面に寝かせる。今まさにシオンに襲いかかろうとしていたハスターは、シオンに一瞥されてビクリと歩みを止めた。
「
叫喚が世界に轟く。荒れ狂う蒼炎をねじ伏せて、シオン・トキモリは【
「アルマ・テラム――"エーテライト・バースト"ッ!!!」
蒼炎が激しく溢れ出る。鎧の隙間という隙間から溢れ出た蒼炎は、全身甲冑を守る嵐となる。