シオンの言葉は的を射ているようで曖昧なものだった。差し伸べてくれた手を見て意味を察するものの、それが現状を脱する最適解だとは思えなかったからだ。
「一緒に戦う、ですか」
「そうです。守護者として、世界を守りませんか?」
「……それは、おかしくないですか?」
「なにがですか?」
「だって、俺はバグなんでしょう?」
震える右手を見つめる。今は小康状態だが、いつまたあの猛烈な飢餓感に襲われるかわからない。
自覚して、ようやく恐怖が身体中に広がった。また女の子を、人を襲ってしまったら――人を食ってしまったら、自分はどうなってしまうのか。
不安に駆られる彰の肩を、シオンが優しく叩く。次いでヨシノが彰の背中を優しく撫でる。
「一ノ瀬さんはまだ完全なバグになっていません。守護者としての活動を続ければ、その症状を治す方法が見つかるかもしれません」
「さっきも言ったけど、あなたはまだ人を襲っていない。襲った事実がないのなら、今後も襲わない可能性だってあるわ。……私は少なくとも、人に害を為していない存在を殺すつもりはないわ」
二人の言葉は彰を信頼しているものだった。シオンの言葉に希望を見出し、ヨシノの言葉は絶望から引き上げてくれる。
「バグが、治るんですか?」
「治る、と断言は出来ません。何しろ初めて見る症例ですから。……でも、諦めて、バグであることを受け入れてしまったら、それこそ人であることを自分から捨ててしまいます。一ノ瀬さんは、諦めて人を食べたいんですか?」
「絶対に……絶対に、嫌です」
孤独。飢餓。そして、人を襲うとしたこと。一ノ瀬彰という個体は、餓えに駆られて人を襲おうとしたことを激しく後悔している。襲ってしまうくらいなら、それこそ死んだ方がマシだと考えてしまうほどに。
そんな彰に、シオンはもう一度優しく声を掛ける。穏やかな声色はゆっくりと身体に染み渡り、彰の緊張を解してくれる。
「だから、進むべき道は一つです。ボクたちも協力します。だから、諦めずに一ノ瀬さんが救われる道を歩みましょう」
「はい。お願い、します……っ」
目尻に浮かんだ涙を拭うことも忘れたまま、彰はシオンの言葉に従う。
ほ、と小さくヨシノが安堵のため息を吐いていたことには気付かなかった。が、背中越しに感じたヨシノの手の温かさは、確かに彰の心を支えていてくれた。
「それじゃあ早速手続きを済ませちゃいましょうか! 幸いな事に守護者は万年人手不足なので、四宮さんが現地でスカウトした人材、ということにすれば問題ありません」
テキパキとシオンが書類の用意を始める。引き出しから取り出した書類はあっという間に山となり、シオンは手早く書類を書き込んでいく。
「四宮さんは状況を適当にでっち上げて貰えますか? 四宮さんの紹介とボクの推薦って形にすれば問題なく通りますから」
「わかりました」
「一ノ瀬さんはとにかく何を聞かれても『世界のために頑張ります!』って答えてください。人事局は忙しいのでそれで通ります」
「わかりま……え?」
いきなり不安になることをシオンが言い出したために思わず彰は止まってしまった。ヨシノへの指示もそうだったが、シオンは肝心な部分を全て誤魔化そうとしている。
「……あのー、これって書類偽造なんじゃ」
「世の中綺麗事だけで解決するほど単純じゃないですしね!」
「ア、ハイ」
「それに、一ノ瀬さんの症状はボクたちだけの秘密にしないといけませんし。とにかく誤魔化せる部分は誤魔化していきましょう。大丈夫です、守護者は実力や実績よりも熱意を評価しますから!」
喋りながらもシオンは手を止めることなく書類を仕上げていく。「判子文化は何処の世界でも問題しか起こしませんね!」とぼやきつつも丁寧にかつ迅速な作業光景だ。
パソコンを取り出したヨシノもカタカタともの凄いスピードで打鍵していく。明らかに熟れているその動きは、彰の知っているタイピングとは別のものだった。
「バグから少女を守るために介入してきた、にしておくわ。その後バグの気を引くために囮を買って出て討伐に貢献した。……うん、これくらいに持っておけば通るわね」
「……もしかして、四宮もこういうの慣れてるのか?」
「……慣れてないわ。たまにシオンに手伝わされているだけよ」
どう見ても慣れている動作だが、それ以上は突っ込まないことにした。
彰もようやく落ち着きを取り戻せたようで、ぼんやりとヨシノの横顔を見つめる。
打鍵を続けているヨシノは彰のことを一切気にせずに画面を見続けている。
ぴん、と伸ばされた背筋。三人しかいない空間で気を一切緩めないのは、それだけでヨシノの性格の一端を理解するには十分だ。
綺麗な姿勢と整った顔立ち。凛とした表情で操作を続けるヨシノを見て、彰は何度もうんうんと頷いている。
そんな彰とヨシノをちらちらと見ながらシオンも微笑んでいる。どうやら言葉にせずとも二人の関係に気付いたのか、にこにこと表情を綻ばせて作業を続けている。
「……よし! これで書類は完成ですね。四宮さんのほうは?」
「ちょうど完成したところです」
「見せてくださーい。……ふむふむ。問題なさそうですね!」
手を止めたシオンはヨシノから受け取ったデータを満足げに眺め、自分が作った書類を纏めて封筒に入れていく。いつの間に用意したのだろう、気付けばシオンの手にはUSBメモリが握られており、シオンはそのUSBメモリをヨシノに手渡した。
「書類関係はボクが送っておきます。四宮さんと一ノ瀬さんはそれを人事局に提出してきてください。検査もパス出来ますので、すぐにカムイの適正チェックに入れます」
「わかりました。行くわよ、アキラ」
「わかっ――え?」
「どうかしたの?」
何事もなかったかのように歩き出したヨシノに動揺する彰。どうかしたの、と疑問符を浮かべているヨシノはさも当然のように名前を呼んだ。
生まれてこの方家族以外の異性から名前で呼ばれたことのない彰にとっては刺激が強いというかこれまでに受けたことのない衝撃だ。嬉しさと困惑でぐつぐつ頭が煮えている気がするほどに。
ははぁ~、とシオンはにやにやと意地の悪い笑顔を浮かべている。
「そうですね。ボクたちはもう同じ同志なんですから、親しく名前で呼び合うべきですね。ねえ、ヨシノちゃん、アキラくん!」
「私は最初からそうしてるわよ、シオン」
「~~~っ」
ふふっ、と意味ありげに笑うシオンを見て彰はぐぬぬと声にならない声を上げる。もし誰もいなければ床を転がっていただろうが、二人がいてはそれもできない。
「…………わかったよ。ああわかったさ! シオン、……よ、ヨシノ」
もう真っ赤である。この場で誰よりも純情だったのは彰だったようだ。
朗らかに笑うシオンと相変わらず感情を表に出さないヨシノであったが、お互いに名前を呼んでからは少しは空気が柔らかくなった。
行きましょう、と扉を開けたヨシノの後を彰は追う。シオンはそんな二人を手をひらひらと揺らしながら見送るのであった。
廊下と思われる場所に出た彰は思っていた以上の光景に足を止めた。
何しろ目の前に広がる光景は漫画やゲームで見た宇宙船の通路そのものなのだ。
近未来的と言えばいいのだろうか、男心をくすぐる光景に思わずわくわくしてしまう。
「すっげぇな……」
「あなたがいた世界より技術水準は遥かに上だから、驚嘆に足を止めるのは理解出来るわ。でもいつまでも呆けていても時間が勿体ないわ」
「そ、そうだな。すまん」
驚いてキョロキョロと周囲を見渡している彰を余所にヨシノはツカツカと先を進んでいく。慌ててヨシノの背中を追う彰だが、数百メートルも歩かない内にヨシノはピタ、と足を止めた。
「……そういえば、もう一つ大事なことを言い忘れていたわ」
「何かあったのか?」
「その右腕」
ヨシノが彰の右腕を指差すと、自らの人差し指を立ててその先に銀色の炎を灯す。
空いている手の指を唇に当てる。それが黙秘を示す意味であることには彰もすぐに気が付いた。
「あなたのバグ化が抑えられた要因には、まず間違いなくその炎が含まれている。でも、その炎を使えたことは誰にも言わない方がいいわ。――シオンにも、ね」
「ど、どういうことだよ」
「私も断定出来ないから言葉にはしないわ。でも、その炎を使える……それが明らかになれば、あなたは人体実験以上のことをされる。それこそ死んだ方が楽、と思えるようなことをされるわ」
「……」
「守護者はバグを討ち世界の安寧を求める理念を掲げているわ。でもね、だからといって誰もが明るく真っ直ぐに世界を想っているわけじゃない。だから、誰も信用しない方がいいわ。これから出会う誰一人。そしてシオンと、私にも」
ヨシノの言葉は彰を思っての言葉だ。彰が炎を出したことを知っているのは確かにヨシノだけである。だからこそ彰のこれからを心配し、警告してくれた。
ヨシノも守護者であるからこそ、だ。
「あなたが死なないように私がサポートするけど、何かの切っ掛けがあっても――絶対に、その炎は使わないほうがいいわ。使えるかどうかは別にして、ね」
それは精一杯の忠告だ。冷たい言い方だが、彰にとってはヨシノの言葉はどんな言葉よりも奮い立たせてくれる。
「ありがとう。でも一つだけ訂正させてくれ。俺はヨシノを信頼している。世界から見放された俺に手を差し伸べてくれたのは君なんだ。俺は、君になら殺されたって構わない」
「…………あなたって、本当に馬鹿なのね」