『♪〜♪〜』
歌声が聞こえる。とても安らぎを感じる。声のする方に顔を向けると小さい俺が歌っていた。
『うふふ、随分上手になったわね、燐」
黒髪で後ろに束ねた女性が、微笑みながら、小さい頃の俺に声を掛けた。
俺の母さんだ。
『お母さん!へへ、お母さんと一緒に歌ってたら歌えるようになっちゃった』
『燐は、お母さんの歌…好き?』
『うん!大好きだよ!だってお母さんの歌、お日様みたいに温かいんだよ!』
『ありがとう燐、私の歌はね、お父さんと巡り会わせてくれたのよ。お父さんは私の歌を綺麗だって言ってくれたの。私の歌を褒めてくれた男の人だけ、お母さんから贈る言葉があるの、受け取ってくれる?』
『…?、何?』
『燐、あなたを愛してる』
『……ふへへっ!俺も!お母さんが大好きだよ!」
互いに笑い合いながら抱き合う親子……その光景はとても幸せな気持ちに満ち溢れていた。
◇
「……母さん」
燐は久々に言い表しがたい心地良さや優しい温もりを感じた。疲れを忘れてしまうほどに快調を感じている。
目を開けると、目の前にはしのぶが少し驚いた様な感じで見つめていた。綺麗な姿勢で俺の頭を膝の上に乗せている。
「え……こ、これは一体?」
整理すると、俺はしのぶに膝枕をされている状態だ。どう対応したらよいかわからず無闇に動けずにいた。
「起きましたか、燐さん?」
「しのぶ、これは一体」
「縁側に来たら寝ていたんですよ、燐さん。声をかけようとしたらいきなり私に……」
しのぶの話によると、どうやら寝ていた際に偶然しのぶへもたれかかってしまったようだ。
「すまない、迷惑かけたろう」
「いつも稽古をつけてくれるんですから、これくらいどうって事ないです」
しのぶは笑顔で答える。俺もつられながら苦笑いしてしまう。
「そうか、今何時だ?」
「もう夕方です。今から夕食を作るので、それまでにお風呂には入っておいてください。」
「…わかった。そうするよ」
燐は立ち上がり風呂場に向かう。汗のかいた身体を洗い流し、その後はいつもの通り夕食だ。その食事の際、カナエが声を掛ける
「燐君、どうかしたの?」
「ん?いきなりどうしたカナエ」
「最近考え事をしてる様な感じがしたからどうしたのかな〜って」
「ああ…そのことか、最近雷の呼吸の新しい型を試しているんだが、中々形にならなくてな」
「新しい型…ですか」
「ああ、だが…新しい型はそう簡単に編み出せるものじゃないからな、二人に聞くが、今あるそれぞれの呼吸でどの型まであるかわかるか?」
「えっと…、炎は玖、水は拾、雷は陸、風は捌、私が使っている花は陸……」
「そうだな。だがカナエ、雷は今漆ノ型まである。その漆ノ型は俺が作った」
「え!?」
「師範の修行をつけてもらっている時期にな。最終選別前に完成させたから知らないのも無理はない」
二人は驚いている。基本となる呼吸で新たな型を作り出した者は長年いなかったからだ。
「ご馳走様でした。これ、洗って置いておくよ」
燐は食べ終わり部屋から退室する。しかし一瞬のことだったが、しのぶは燐の異変に気がついた
「しのぶ、どうかした?」
「さっき、燐さんの右眼…一瞬だったけど、赤目の黒の勾玉の形だったような」
「あらあら、どうしたのしのぶ、燐くんの瞳は黒色よ」
「そうじゃなくって!燐さん、最近右眼を気にするようになって……燐さんからは診察を頼まれたけど、異常はなかったの。私は疲れか鬼が原因かとおもったけど、鬼の毒は確認できなかった」
「きっと燐くんも疲れてるのよ。私達に毎日稽古をつけてるから少しばかり無理させちゃったと思うわ」
「そうなのかな?」
「きっとそうよ。そうだしのぶ!明日三人でお出掛けしましょう!」
「え?私と燐さんも?」
「たまには息抜きも必要よ。燐くんにお礼も含めて、ね」
「そうね、ああやって私のことも真剣に指導してくれた人、燐さんくらいだから……もし燐さんが指導してくれなかったら、蟲の呼吸は完成しなかったと思うし」
◇
燐は食べ終えた皿を洗い終わった後、屋根の上で瞑想を行う。燐は、自分の身に違和感を持ち始めたのだ。
「(最近右眼が妙に痛む……)」
燐は最近右眼に妙な違和感を持っているのだ。
その為、瞑想にも身が入らない。
「(ダメだ、余計なことは考えるな。集中するんだ……集中!)」
燐は瞑想に集中する。空は綺麗な星空が広がり、月は三日月だ。辺りは静かで風も心地よい。
「(滞在して数週間、カナエは任務があったもののいい感じに鬼を倒せてる。目立った外傷もない。しのぶは、毒が完成してるがまだ検証が終わってないから選別に行かせるわけにはいかない)」
胡蝶姉妹と鍛錬をして交流も深めこちらもよい経験となった。指導する身として最初は不安はあったが上手く教えられることが出来たと思っている。
「……さん」
「(俺の中に眠るあの力は下手すると暴走する危険もある。場合によっては……)」
「…燐さん」
鴉から連絡もなく胡蝶姉妹に稽古をつける日々だった。お陰でいい経験にもなったが、あまりに長いと実戦の勘が鈍ってしまうのだ。
「…燐さん‼︎」
「わっ!?ってお前かしのぶ、どうした?」
「どうしたじゃありませんよ、何度も呼んでいたじゃないですか!本当に姉さんの言った通りでしたね。」
「すまない、どうもこう言う事に集中してると、な。それで、どうしてここに?」
「姉さんが明日お出掛けしましょうって言ってきたんです。たまには息抜きも必要との事です。」
「まぁ確かにここ最近鍛錬ばかりしていたからな、たまにはいいんじゃないか?姉妹水入らずで過ごして…」
「え?あの……燐さんも一緒のつもりで言ったんですけど」
「え、俺も?邪魔になるんじゃないのか?」
「お礼も含めてだそうです。私も燐さんにはお礼をしたいので」
「いや、別に見返りを求めてお前達に稽古をつけたわけじゃ…」
「―カァーッ! カァァ――――ッ! 伝令! 伝令! 桐生 燐! アスノ朝、西ヘトムカエ! 調査ニ向カワセタ隊員ガ十五名以上行方ヲ眩マセテイル! 原因ヲ解明セヨ!!」
突如白い物体――――白衣が伝令を大声で叫びながら頭上を飛び回る。そしてその内容を聞いて俺は息を呑む。
どうやら休暇は今日で終わりみたいだ。内容を聞けば不満の気持ちなど湧かない。
「そう言う事だしのぶ、明日は一緒に行けそうにはない」
「そう…ですか」
しのぶは少し落ち込んだような表情をする。俺は無意識のうちに顔に苦笑を浮かべながら、しのぶに近づき、
「許せしのぶ、また今度な」
右手の人差し指でしのぶの額を小突いて、そう締めくくる。これは、父さんが俺によくやっていた。何故俺がこんなことをしてしまったのか、自分自身わからない。ただ、しのぶを見ていたら、こうしたくなった。
一方しのぶは、今まで見たことのない燐の穏やかな表情と突飛な行動に、目を丸くして驚いていた。だが、何を言っていいのかも分からない。心の整理がつかないながらも、ただ一言、
「………約束ですよ」
それだけ言うと、足早に屋敷内へと戻っていった。
「戻るか……」
燐は屋根から降りて屋敷内に入る。設置された部屋の寝床に横になりそのまま燐は眠りに入る。
◇
眠りついた燐が目を開けると真っ暗な空間に立っており、服は寝間着から隊服に変わっていた。すると光が覆い一瞬で闇を払う。闇の世界から光の世界へと変貌させたのだ。
瞼から感じる光がやみ始めた所でゆっくりと目を開く。目を開いてみれば夜空が広がり、自分は平原の真ん中に立っていた。
「……なんだ、ここ?」
『ほぉ、面白い冗談を言うものだな、カグラ』
声のする方に顔を向けると男性と女性がいがみ合っていた。しかもかなりの威圧を放っていた。女性の瞳は変わった形をしていた。
赤い瞳で、瞳孔の周りには輪がかかり、その上に黒の勾玉模様が三つ配置されている。
『冗談でも何でもない!確かに私は鬼だが、心は人間だ。お前には勝てないかもしれない!けど…私は死なない!たとえこの肉体は滅んでも、私の意志を継ぐものが必ず立ち上がる!そして無惨、貴様を倒す!』
『意志を継ぐ者が私を倒す?くだらん、所詮は世迷言だ。』
『言っていろ!風巫女の剣聖を、甘く見るでないぞ!』
勾玉模様の目がさらに変化した。しかし燐が驚いたのはそれだけではなかった。
「なっ⁉︎無惨だと!まさかあいつが…、鬼舞辻 無惨!」
カグラと言う女性は、目の前の男を無惨と言った。その言葉に燐は驚きを隠せなかった。鬼舞辻 無惨、それは鬼の首領だ。
「(鬼舞辻 無惨……なんだこの気持ち悪い気配は?それにあのカグラって言う人も鬼なのか?何故無惨の名を口にしたのに呪いが発動しない?それにあの眼、父さんと同じ、いや、でも…形が違う)」
鬼は無惨の名前を口に出すと呪いが発動し、名を口にした鬼は強制的に死ぬ。なのにカグラと言う女性の鬼は呪いが発動しない。
そして二人の戦いに火蓋が切られた瞬間、再び暗闇に覆われた。
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◇
「…ッ‼︎はぁっ…はぁっ、ゆ、夢?」
ガバッと勢いよく体を起こし荒くなった息を整える。あまりの威圧に呼吸を忘れ無呼吸の状態だった。燐はゆっくり深呼吸を繰り返し行う。しばらくして落ち着き内容を整理する。
「何だったんだあれは…グッ!」
今度は両眼と心臓あたりに激痛を感じ、押さえたが、すぐにそれは治った。
「はぁ…はぁ、左眼もかよ、なんなんだ…この痛み」
辺りはまだ暗く夜中だと分かる。月の位置からしてまだ数刻しか経っていないのだろう。
「(水、飲みに行くか)」
喉が渇いた燐は布団から出て台所に向かう。台所にたどり着いた燐は容器に水を入れ一気に飲み干す。使った容器を洗い、元にあった場所に戻す。
「(あれは一体なんだったんだ。なんで鬼同士が戦って?それにあの目……もしかして俺のご先祖様って)」
廊下に出て、先程の夢について考察しながら部屋に戻っていた時のことだ。
「いやああああああああああああああああああっ!!!」
「ッ!?!?!?な、なんだ⁉︎」
尋常では無い叫び声に、俺の頭の中に残っていた夢の内容は一片残らず吹き飛ばされた。
俺は弾けるように走り出し、悲鳴の聞こえた部屋の戸を乱暴に開ける。
その部屋は、胡蝶姉妹の寝室だ。障子の向こうには身体を震えさせながら縮こまり、カナエに抱きしめられるしのぶの姿があった。誰がどう見ても尋常じゃ無い。
「どうした!何があったんだ! 」
「燐くん……ごめんなさい。その、しのぶが、夢で……」
「お父さん……お母さん……!! あ、あぁっ、あ……」
血を吐くような嗚咽、口から零れ出る言葉から、俺は大体の状況を察した。
恐らく夢で見たのだろう、しのぶとカナエの両親が鬼に殺される、その瞬間を。
「……悪夢……か」
「うん……」
俺は滞在している間、カナエからある程度二人の過去は聞いていた。姉妹二人だけでこんな大きな屋敷で暮らし、両方鬼殺隊を目指しているなどどう考えても嫌な想像しかないからだ。
「……鬼が、お父さんとお母さんを……、うぁぁあぁあぁっ!!」
「大丈夫よ、しのぶ。大丈夫、大丈夫だから……!」
「一人にしないでよぉ……! 姉さん、私を、置いて行かないでぇ……!!」
「しのぶ……」
「よくあるのか?」
「……うなされることは何度かあったけど、最近は落ち着いてきたの。今回は今までより酷い状態よ」
「お父さん、お母さん……ごめんなさい……! ごめんなさい……! 私、わたしっ……!」
「しのぶ、駄目よ、自分を否定しては駄目……」
「う、ぅぅううぅぅうぅうっ……!」
それを必死で慰める二人の姿が居たたまれなかった。
「(こんなことしか思いつかない、でも、それでしのぶが落ち着くことができるなら)」
俺は無言で二人の傍に寄った。
「♪〜♪〜」
そして、歌い始める。ぎゅっと、震えるしのぶの手を握る、彼女の冷たさに震える心を、少しでも温める為に。
「……ぅ、うん」
「…………」
カナエは突然の事に驚く。まさか燐が歌うとは思わなかったのだ。しかし少しして燐の歌を聞き魅了される。
「(とても、心が温かくなる歌声)」
歌う事数分、ようやく落ち着いたしのぶは優しい眠りに落ちてしまった。
「スゥ、スゥ…」
「良かった、落ち着いたみたいだ。」
「………」
「カナエ?どうしたんだ、ボーッとして」
「あっ…ご、ごめんね!あまりに綺麗な歌声だったから、驚いちゃった、燐くんが歌を歌えたなんて。」
「ありがとう。この歌は母さんが歌ってた歌なんだ。母さんの歌が好きで、一緒に歌っているうちに覚えたんだ」
「燐くんの、お母さんが」
「うん。俺も何か不安になった時とかに歌ってもらって、自然と落ち着いてた事があってな」
「そうなんだ」
「俺はそろそろ戻る。しのぶも落ち着いたしな」
「うん…ありがとう、燐くん」
俺は部屋に戻る為しのぶの手を離そうとするが
「いやだっ!」
「えっ?」
しのぶが何故か俺の手を握って離さない。それだけではなかった。俺を引っ張り抱きしめるのだ。
「えっ、ちょっ⁉︎しのぶ!」
「離れちゃ嫌……お父さん……!」
「…………はい?」
しのぶは俺を引き寄せギュッと強く抱きしめる。少しだけ力を入れて解こうとするも、しのぶは力いっぱい抱きしめて全く離さない。それに、震えて涙まで見せられては強引な方法に出るわけにもいかない。
それに、女の子特有のいい匂いが…じゃなくてだな!まずい、非常にまずい!しのぶはおそらくこれは無意識な為、自分のやっている事に気付いていないはず。
どうしたらいいのかわからない状況に突然放り込まれた俺は、手で顔を覆う。
「……ごめんなさい、燐くん、少しだけしのぶの傍に居てあげてくれないかしら」
「……このままでか⁉︎」
なるべくしのぶを起こさないように声量は下げて言ったが、姉も姉で何言ってんだ⁉︎この状態を保つのは流石の俺もやばい。
「う、ぅん……」
「えっ……おい、待て!しのぶ、頼む、ちょっと待ってくれ!」
「あらあら、もう逃げられなくなったわね~」
カナエは満面の笑みを浮かべているが俺は焦りの気持ちでいっぱいだ。しかし、しのぶは次に俺の腰に手を回してしっかりと掴まってしまう。
「(どうしてこうなった!?)」
燐は突然の悲鳴に駆けつけただけなのだ。しかし、こうなってはもう抜け出せない。
「燐くん、布団敷きましょうか?」
「……すまない……頼む(無理だな、この状態)」
結局諦めた。俺はしのぶに殴られる覚悟で、カナエの提案に頷くしかなかったのだ。
それに、さっまでなかった眠気が再び俺を襲う。俺はカナエの敷いてくれた布団に横になりながら、俺の体を抱きしめているしのぶの寝顔を眺める。
普段見られない顔に燐は目を逸らしてしまう。燐もこう言った事に耐性があるわけではない。
この姉妹は俺と同じ、両親を目の前で失った悲しみを背負っている。
「おやすみなさい…燐くん」
「ああ…おやすみ」
俺は瞼を閉じ再び眠りに入るのだった。