微鬱要素、展開などある、かもしれないです……
人が死ぬなんてこと、この時代この場所では、あまりにも当然のことで、だからこそ、人はそんな当たり前のことに一々疑問を持つことをやめてしまったのかもしれない。
けれど、そんな当たり前のことが、幼かった彼にはどうしても不思議だった。
今でも夢に見るような両親の死には、何か、意味があったんじゃないかと、そう思うのだ。
だから、鬼になりたい、と彼は思う。父と母を、その腕の一振りで、ゴミのように殺したような鬼に。
そうすれば、きっと、その理由がわかるような気がしたから。
強い鬼に、人を簡単に殺してしまえるような、そんな鬼になりたいと思うのだ。
そうすればきっと、この辛いだけの、弱い人としての生を、送らなくてもいいのだから。
なんて、とてもくだらない憧れなのだろう。
しかし、そんな願いをいつまでも胸に抱えながら、
ずっとこのままで、いつか、生きている意味もわからずに死んでしまうのだろうと、勝手に諦めていたのだ。
※ ※ ※
この時代、子が親より先に死ぬことも、親が子よりも先に死ぬことも、別に珍しくもなんともなかった。
村には何人も身近な人が死に、途方にくれた人がいるし、例えその身が子供であろうと、そう安々と一人で生きていけるものではなかった。
少年、茂吉も、幼いうちに親に先立たれ、悲しみに暮れた子供の一人であった。
ただ、彼が少し他の子と違ったのは、両親が二人同時に死んだことで、突然一人になってしまったことであろうか。
他の子供らはまだ片親だけであったり、親族であったりと、近しい存在がいたのだが、茂吉にはそのような存在がいなかった。
ゆえに茂吉は、自分一人しか住んでいない家の中で、親の死をたった一人で克服し、自ら生きていくための努力を早々に開始しなければならなかった。
しかしながら、その生きていくための努力、というものが、必ず実るものではないと気付くのに、それほど時間はかからず、思い知ることとなる。
未だ十を超えるか超えないか程度の少年に出来ることなど、たかが知れているからだ。
預けてもらえる仕事も、恵んでもらえるものも、何もない。
村の人々は自分たちやその周囲の人だけで手いっぱいであったのだ。
だから茂吉は、山の中から、かつて猟師であった父から教えられた知識を必死で頭から引っ張り出し、食べられると聞いた植物や、一日中追い回し、罠を張ってやっと捕らえた小動物の肉などで、なんとかその日その日を食い繋ぎ、ぎりぎりのところで踏ん張って生きていこうとしていた。
しかし、そんな生活が、当然長く続くはずがない。
茂吉が空腹から、近隣にある口にすることの出来る植物を、八割程食べ尽くした時、村人たちから罵られ、疎まれ、その総意によって、最後の心の支えでもあった自分の居場所、彼の家は取り上げられた。
それは聞くところによると、村を襲撃した鬼を退治してくださった、呪い師様の住居として使われることになっていたらしい。
おそらく、自分がなにもせずとも、やがては家から追い出され、そうなる予定だったのだろうと、後になってから思った。
家を持ち物ごと取られ、山の恵みを自ら取りに行くことをも制限された。
しかし、それでもなんとか無理に大人たちの手伝いなどの仕事をして、賄いなどが分けて貰えないかと期待し、回ってみたが、待っていたのはただ身に残る徒労感だけであった。
なにもできない、なにもすることがない。
やがて、自身の無力を嫌悪するほど理解させられ、座り込み、ただ死を待つだけの日を過ごすようになった。
そして、そんな彼に、欲に塗れ、生理的嫌悪感を誘う笑顔で声をかけてきた村人がいた。
もう彼には、その言葉に抗うだけの気力すらも、なかった。
そうしてそれに頷いた時、茂吉は諦めた。
生きていくことが辛いなんてことは、当然なのだと。
やがて、弱い人間の自分には、辛いと口にする権利すらもないのだと、自然と悟っていった。
※ ※
いつものように、仕事が終わった夜、重く、疲労に塗れた身体を引き摺って、
そうして茂吉はふと、何気なしに顔を上に上げ、その夜空に青白く光り輝く綺麗な満月を見て、思った。
(死のう……)
唐突に湧き出てきた、この意味のわからぬ辛いだけの生を、終わらせてやりたいという思い。
脈絡も何もない癖に、逆らうだけの理由が思いつかない。
知らず知らずのうちに、茂吉の足は、夜に出ることを固く禁じられている山へと向かっていた。
歩く足の一歩一歩に、なぜか重さを感じることがない。
いつもはまるでその地が粘つく泥濘のようで、歩くことすら嫌に思えて仕方なかったというのに。
ただ、死んでやろうと胸に決めただけで、どうしてこれほど楽になったように感じるのか。
深夜の静まり返った村の中には、彼を阻むものなどありはしなかった。
夜の山へ出ることを禁じているくせに、その禁はただ口頭で言われているだけで、村全体に張られている結界には、外へと出ていく人間に何の効力も及ぼすことはない。
茂吉はただ、その重さを感じぬ足取りで山へと登り始めた。
暗く、歪な山道と、その頂上に浮かんでいる、真ん丸な月。
このままずっと登っていけば、あの月へと行けそうな気がして、届かないと思っていたものに届きそうな気がして、茂吉はそのちょっとした希望に突き動かされるように、足を前へ前へと動かしていく。
せめて死ぬのならば、あそこに少しでも近い場所で死にたいと、そう思ったのだ。
道の途中で妖怪に襲われて死んでも、別にいいと、警戒することすらせず、空に浮かんだ月を眺めながら歩いている。
しかし、そのまま全て無関心に、死に場所を求めて山頂へと向かうはずだった茂吉の足を、異様な道の状態が引き止めた。
(なんだろう、これ……)
抉れた地面に、倒れた木々が点々と続いている。
所々に染みのようなものがこびり付き、奇妙な思いに駆られていく。
どうしてこんなことになっているのかわかりもしないが、茂吉には、たった一つだけ、わかったことがあった。
何処かに、これを作り出した、圧倒的な何かがいる、ということだ。
それは獣かもしれないし、妖怪かもしれない。
茂吉にとっては、そんなこと、どうでもいい。
ただ、人には不可能な、圧倒的な強さを秘めた何かがいてくれたのなら、自身の最後は、その存在によって終わらせられたい。
その暗い欲望は、まるで甘美な果実のように、茂吉の思考にを引き寄せてならなかった。
思い出すのは、あの時の光景。
目の前で鬼に殺された両親の姿。
それを自分に当て嵌めると、なぜか心の底から、ぴったりと嵌った気がした。
親子で同じ死に様というのもよさそうだと、そう思う。
ゆらゆらと、それまでただ月を目指していた足が、点々と続くその破壊の足跡を追って、進んでいく。
それを止めようとなど、思うことすらもしなかった。
※ ※
そしてその出会いは、偶然だったのか、必然だったのか。
茂吉が歩いて行ったその先に、その存在はいた。
ただ、堂々と、少し前の自分と同じように、しかし茂吉にはない絶対の自信と共に、月を見上げて、座っていた。
見つけた、否、見つけてしまったのは、洞窟の前で酒盛りをしながら月を眺めている一匹の妖怪。
自分よりも年下のような女の童子の姿で、一見すれば、人と見間違うだろう。
しかし、しっかりと、彼女が人ならざるモノであることを示すように、頭には、二本の角が天へと向かって伸びている。
けれど、例えそんなものがなくとも、茂吉は自分が彼女を人と見間違えることなど有り得ないと、断言できる。
月に照らし出されている彼女の姿を見た時、雷に打たれたかのような印象を抱いた。
見た瞬間に、身体が震えるほどの恐怖を覚え、逃げ出したいのに、目が離せない。
離れたいのに、離れ難い何かが湧き上がり、その場から動くことが出来ない。
人とは根本的な何かが違うと、直感した。
そして、それと同時に、とても淡く感じたのは、遠く隔絶とした差が間にあるのに、どうしてか、親近感の湧いてしまうような、不思議な感覚だった。
しばらく硬直していた体が動くようになった時、ひょいとその場に隠れてしまった茂吉は、それからどうすればいいのかがわからなくなっていた。
ただそこでじっとしていることは出来なくて、何かがしたいのに、何をしたいのかわからない。
胸の中で、どくんどくんと、うるさいぐらいに音が響いて、焦燥感だけが堰を切ったように溢れ出てくる。
そして、ぽつんと一つ、頭の中に言葉が浮かんだ。
『鬼』
そう、彼女は鬼だと。
目の裏には今もずっとあの時の鬼のことが浮かんでいる。
その光景を思い返す度に、茂吉には両親を失った痛みと共に、強烈な憧れを抱いている。
しかし、それと同じ鬼である彼女を見た時、憧れと言う感情がその限界を超えた気がした。
両親を殺した鬼には、あのような強き在り様になりたいという思いがあり、その強さで持って、弱さを捨てたいという羨望があった。
けれど、彼女には、そのような羨望を越えて、想う。
(なんて、綺麗なんだろう)
月の青白い光に照らされ、ただ酒を飲んでいる彼女の姿。
その動作の中、それだけの動作の中で、
彼女に対しては、ただ「綺麗だ」と、それだけの言葉と感情しか、湧いてこなかった。
茂吉の中には、先程までの、死のうと言う思いは既になく、彼女と喋ってみたい、触れてみたいというそれだけが、思考の全てを満たしていた。
今すぐにこの身を躍らせ、彼女の前へと出ていきたいが、どうしてか、そのための一歩が前へ出ない。
何度も動け、動けと念じ、祈る。
そうして、やっと動いたその足が、後ろへの一歩を踏み出した時、茂吉はその身を翻して、その場から走り去ることしか出来なかった。
後悔が心の中を渦巻き、じくじくと自分で自分を臆病者と罵る。
しかし、その踏み出した足を止めることすらなく、ただただ、山を駆け下りていく。
通った道をそのまま引き返し、その途中で妖怪に襲われるなどとは、思考の隅にすら置くこともなく、ただひたすらに走り続ける。
走ってすぐに喉が痛くなり、息が切れ始め、ただでさえ激しかった動悸が更に激しくなってきた。
元々、茂吉は体力のある方ではなく、仕事を始めてからは、体を鍛えることも禁止されていた。
その場でふらりと、倒れそうになる。
それでも、脚は止められなかった、止めなかった。
煮え立つ感情が衝動となって、彼を支えている。
そして、この身体を突き動かしている衝動から解放された時、茂吉は村の前で仰向けになって倒れていた。
おそらく山へ入ってから、あの一瞬は何年にも感じられていたが、実際には、それ程、時が経っていないのだろう。
空の暗さも、村の静けさも、出る時とはほとんど何も変わっていない。
それでも、茂吉にとっては、少し前とは全く違う、別の光景に見えていた。
※ ※
茂吉の胸のうちからはもう、死ぬ、という暗く絶望に塗れた想いはとうの昔に消えていた。
今ある想いはただ、彼女に会って、話してみたいという希望に満ち溢れたものだった。
(明日は、彼女へ会いに行こう)
そう、固く決意する。
もしそれで殺されてしまっても、本望だった。
どのみち今日、死ぬはずだった命で、心から死のうとしていたのだから。
それが、自分の憧れの存在に殺されて死ねるのなら、どれほど素晴らしいことなのだろうか。
そうやって、茂吉はその時その瞬間を夢想する。
例え、ゴミのように腕の一振りで体が千切れて死んでも構わないと、心の底からそう思えていた。
そして、明日、という希望を胸に、与えられている寝床へと向かおうとしていたのだが。
「おい、茂吉ィ、おめぇ、そんなとこで息を切らしてなにやってんだ? 終わったらさっさと帰れって言ってんだろうが。あぁ?」
という、不快な、どこか粘性のようなものを思わせる声が後ろから聞えた。
茂吉は息を整えるために、顔を下へ向けて膝に手をついた状態から、顔だけを前へ向ける。
そこには、こちらに向けて、怪訝そうな顔を向けている雇い主の姿があった。
そうして、思い出すのも嫌な、多大な嫌悪感と、それを押し流すように無理矢理にやってくる、不快な快感が去来する感覚。
彼女のことを考えていた後に、仕事のことを思い出すのは、それだけで彼女を汚してしまうような気がして、開きかけた記憶へと必死で蓋をしようとしていた。
そして、じろじろと茂吉の全身を眺め、やがてその目が土だらけとなった足を捉えると、雇い主は、ただでさえ不快な声を、さらに低くし、その何倍にも増した不快な声に、怒りを滲ませて。
「お前、山へ行ってやがったな……。あぁ? おい。この村で禁じてること、わかってんだろうが!!」
そう怒鳴った。
彼女へ感じた恐怖とは、また別の恐怖に体が竦み、動かなくなる。
なにか言わなくては
そんな思いで開いた口からは
「ぁ……」
小さく、情けないものしか出ずに終わり、その声は届くこともなく、虚空に消えた。
そんな怯えた様子の茂吉に満足したのか、彼はそれまでの様子を一転させ、楽しげに言った。
「わかってねぇんなら、仕方ねぇ。明日は一日かけて、じっくりと、教え込んでやる……」
しかし、その恐怖が一瞬弱まる。
明日。
雇い主の男の発したその言葉に、茂吉はどうしても、耐えることが出来ない。
初めて見つけた希望の光を遮られることに、限界まで弱っている彼の心が耐えられることは、出来なかったのだ。
「ぃ、いや、だ……」
身体は限界まで震えているが、言葉は出てくる。
「……あ?」
鬱陶しげにしながら、その威圧を含んだ声に、茂吉は目を逸らしながらも、必死の思いで声を出した。
「いやだ……。いやだ、いやだ! だって明日は……」
声はしかし、徐々に窄まり、やがて小さく消えていく。
しかし、初めて見せる茂吉のその様子に、雇い主の男はじっとその姿を見つめ、温度の籠らぬ声で先の言葉を促した。
「で? なんでいやなんだ? 明日なんかあるんかよ、お前に。なぁ」
茂吉はその言葉に、答えることが出来ない。
山に鬼へ会いに行くなど、許してもらえるはずもないことぐらい、理解している。
それを知れば、今もこの村に滞在中の呪い師様とともに鬼退治へと村全体で乗り出すことになるだろう。
そんなことになれば、もはや彼女と話せる可能性など、無きに等しかった。
しかし、茂吉のそんな想いとは関係なく、男は茂吉に責め立てる。
「聞いてるか? さっさと答えやがれや。なにがあんだよお前に。仕事以外のなにがあるってんだよ!」
今にも殴り掛からんばかりに怒鳴り散らす彼を見ず、茂吉は下を向いて必死で涙を堪えて黙っていた。
そんな様子を見て、男は少し考えてから、言葉を口に出した。
「山か?」
「っ…………」
その言葉に、茂吉は無反応でいることが出来ず、微かに反応してしまう。
目敏くそれを見つけた男はそれを手がかりに、茂吉に言葉の針を突き刺してくる。
「山に用があんのか? 山になにかあんのか? それとも、……まさか、山になにかいんのか?」
最後の問いは、かつて刻まれた数年前の記憶によって、微かな恐怖と共に告げられた。
そして、茂吉は、それに反応せずにいることが、出来なかった。
ここにきて、男の目は真剣なものに変わっている。
もはや茂吉個人の問題で済む問題ではない可能性があると思ったからだ。
忌まわしき鬼の襲撃は、男にとって、そして村の人々にとって、それほど速く風化するものではない。
言い逃れなど、出来る状況ではない。
「おい、茂吉。答えろ。冗談じゃすまねぇぞ。なぁ。山になにがいんだよ」
「………………」
「ただの動物か? それとも、妖怪か? それとも、なぁ、まさか……」
男はそこで言葉を切り、そして、口に出した。
「鬼か?」
それを聞いた時、茂吉はもう、我慢することが出来ずに内に秘めている最も強い想いが、口をついて外に出ていた。
「おれは、明日、彼女に……鬼に、会いたいんだ」
※ ※ ※
夜よりも、更に遅い時間帯、深夜と呼ばれる、この時代において、およそ人の活動することのない時間である。
普段ならば、村人の全員が眠りこけているような時間にもかかわらず、村の長、村長の家へと、何人かの村人たちが集まって円を描いて座っていた。
その中心で、茂吉は大人たちに囲まれるようにして、否、囲まれて、座らされていた。
囲んでいる全員が、茂吉のほうをただじっと見て、ひそひそと話している。
漏れ聞こえてくるのは「本当なのか?」「嘘かもしれん」「嘘に決まってるさ」「本当だったらどうするんだよ」などという、共通して不安に満ちた声だ。
茂吉には、今どうして自分がこのような場にいるのか、理解しきれていなかった。
ただ、茂吉が、我慢の限界を超え、「鬼に会いたい」と口走った直後、男は茂吉を乱暴に掴み、無理矢理に手を引っ張って、村長の家へと向かったのだ。
そして、家の前まで来ると、大声で村長の名を叫び、呼び出した。
苛立った様子で出てきた村長の耳に何かを囁くと、村長も顔色を変え、男に何か指示を飛ばしていた。
なにも出来ず、ただ掴まれて呆然としていたままの茂吉は、今度は村長に手を掴まれ、家の中へと連れ込まれる。
そしてそのまま、村で最も大きな部屋の中で、反論の余地も許さぬ声で命令され、強制的に座らされると、男が数人の大人たちを連れて戻ってきたのだ。
全員が渋い顔をしており、男たちは茂吉を中心に囲んで座り、そうやって口々に不安の声を漏らしている。
そうして、ようやく、茂吉の真正面に座っている村長から、茂吉に声が掛けられた。
「して、茂吉よ、山で鬼に会った、というのは本当なのか?」
村長がその言葉を発すると、今まで喋っていた男たちは急に静かになり、じっとただ、茂吉のことを見つめていた。
誰一人として、茂吉から目を逸らすことなく、吟味するように、見ている。
その状況に戸惑いながらも、茂吉はただ村長の問いに肯定を示すため、頷き、「はい」という小さな声を発した。
「有り得ない!!!」
囲んでいた一人がそう叫んだ。
この声を皮切りに、大人たちのざわめきが大きくなる。
茂吉とて、大人たちのこの反応は理解できた。
数年前の、茂吉が両親、つまり家族と全てを失った日。
鬼が村を襲った惨劇の時が、また再び繰り返されるのではないか、という恐怖と不安にあてられているのだ。
それほどまでに、この村には鬼の脅威が色濃く刻まれていた。
未だ誰も、その与えられた傷から立ち直ってはいないのだから。
誰もが不安で押しつぶされそうな中、当の茂吉と、村長だけは違っていた。
「落ち着かんか。前の鬼、災厄が潰えたのはどうしてか、まさか忘れたわけではあるまい」
静かな、それでいて自信というよりは、盲信のようなものを支えとしたかのような芯のあるもの様子で、村長は落ち着き払った声をあげた。
騒がしかった人々は、その言葉を受け、思い出したかのように、不安から解放されたかのような顔をする。
過去の鬼の襲撃から村が救われた理由は、勿論、茂吉も知っていた。
むしろ、この村の中にいて、その存在を知らない者などいないだろう。
しかし、どうしてか、茂吉は、あの存在を好きになれなかった。
幾分か和らいだ雰囲気の中、しかし未だ不安に包み込まれながら、それぞれが隣のものと話していた。
村長はその中で目を瞑り、何かを待っている。
そして、その場に、カタン、という小さな音がして、全員が家の扉へ顔を向けた。
スッ、と、ほとんど音もなく扉が開かれる。
そして、現れたのは、一人の、成人にしては小柄な、しかし子供というには大きな、なんとも中途半端な背格好の、全身をすっぽりと黒い布、ローブで押し隠した存在だ。
顔はフードで隠れており、目や鼻はおろか、顔の輪郭すら見えない。
「失礼。遅れた」
男性か女性か、非常に判別のつきにくい声が、その存在から発せられる。
そしてこの存在、人物が、人々の安堵の理由であった。
「おぉ、おぉ、呪い師様! こちらこそこんな夜更けに突然お訪ねして来てほしいなどと……」
村長が一人立ち上がり、その人物、呪い師へと丁重に席を勧める。
しかし、彼(或は彼女)はその勧めを無視に近い形で断り、部屋の隅へと腰を下ろした。
「人の輪に入るのは苦手なのだ」
ぽつりと、小さい声で、しかしなぜか部屋全体に響くように聞こえたその声に、思わず茂吉は縮こまった。
なぜか酷く、落ち着かない気分になる。
不思議なことに、座る動作でローブから僅かに覗くであろう顔は、その被ったフードの暗さで、全く見えることができなかった。
そして、また、不思議な声が響く。
「おや、これは。てっきり、余計な不安を煽らぬよう、最低限の人数しか集めぬものと思っていたが……」
その疑問には、村長がすぐに答えた。
「これはこれは呪い師様。いえ、私もそのつもりだったのですが、伝令にした者が少々、言い触らし過ぎまして、そこそこの者が知ってしまいました。申し訳ありません……」
村長は申し訳なさそうにしながら、顔の見えない彼の様子を窺う。
その横で、茂吉を初めにここまで連れてきた雇い主の男が顔を下げ、小さくなっていた。
どうやら彼が話を広げ過ぎたらしいようだった。
「別に構わない。大勢知ろうと、少数知ろうと、意味など無い」
呪術師はまるで気にした風もなくそう言う。
実際、言葉通りではあった。
一介の村人達が、鬼の存在を知ったところで、無為に怯えているだけで終わる。
不安になる人数が少ないことにこしたことはないが、増えたところでそこに意味などなかった。
「そう言われると、助かります……。それで、あの……」
村長が礼を述べ、何かを言おうとしたところで、突然、呪い師の暗く中の見えないフードが茂吉の方を向いた。
そのあまりの唐突さに、茂吉は思わず顔をさっと逸らす。
下を向いていても、見られている、というプレッシャーが茂吉を襲い、知らず、膝の上で手を握りしめ、じっと唇を噛み締める。
「どうやら、鬼がいたというのは真実のようだ」
呪い師の言葉で、村人がまた騒ぎ出そうとして、村長が諌めた。
「これ、落ち着かんか! で、呪い師様……。今回も……」
やはり村長の問いに応えようともせず、呪い師はじっと茂吉の方を向いている。
「どんな鬼だ?」
短く、端的な、感情の籠らぬ問い。
その問いは、普通のものであるのに、なぜか茂吉には心の芯を縫いとめられ、必要以上の強制力のようなものを感じさせた。
しかし、そのような強制力などなくとも、なんら難しい質問ではない。
あの時、少し前に見た光景を、茂吉は今でも鮮明に思い出すことが出来る。
茂吉はあの時に感じた熱に流されたかのように、その光景をゆっくりと語り出した。
その語りは、少年のような稚拙さなど微塵もなく、一つ一つ、丁寧に、少しの情報も漏らさぬようにして伝えられていく。
茂吉はまるで自分が操られているかのように錯覚した。
自分は語っているのではなく、ただ語らされているかのような気分になり、気持ち悪くなってきているのに、舌の回転率が下がることは無い。
おおよそ十分程、茂吉はただずっと喋り続けていた。
※ ※ ※
知っていることの全てを語り尽くし、ふと茂吉が我に返ると、大人たちは皆一様に、妙に安心した顔になっていた。
「満月の晩に酒を吞み、童女の姿をした鬼か。運がいい」
その呪い師の言葉に、村長は安心したように言う。
「はぁ。やはり、以前の鬼よりも弱いのですかな?」
他の村人たちも全員が、茂吉が鬼の容姿を説明しだした時、安堵していた。
以前、この村を襲ったのは、身の丈十尺はあろうかというほどの巨大さと、それと吊りあって余りあるほどの凶悪さを持った鬼だったのだ。
それを退治した呪い師ならば、茂吉の話した小さな鬼など、簡単に倒すことが出来るだろうと、誰もがそう思っていることだった。
「逆だ。おそらく、高位の鬼だろう」
「なっ!?」
しかし、呪術師はその問いに否定を述べた。
村長も村人たちも、驚愕の声を漏らす。
その理由を、呪い師はただ淡々と述べていった。
「妖怪を人間のように見た目で推し量ろうとすることは間違っている。高位の妖怪であるかどうかというのは、見た目にほとんど関係ない。事態が真実であるならば、その鬼は今宵、つまり、満月の晩であるにもかかわらず、余裕を持って酒を呑み、その身に増しているであろう力を無意味に振る舞うこともなく、月を冷静に眺めていたのだ」
ここで呪い師は一度言葉を切り、部屋の窓から微かに見える月を見た。
そしてまた、感情の籠らぬ不思議な声で述べる。
「下位の妖怪ではない。下位に位置する妖怪は、とにかく余裕がない。少し強い人間が相手であろうと、いつ消滅の危機にさらされるかわからないからだ。満月の晩という力の増す時間は、彼ら唯一の安定した狩りの時となる。己の限界以上の力を発揮することが出来る時ならば、まず人を襲いに行くものなのだ」
そこまで呪術師の話を聞かされ、動揺する周囲の人を代表し、村長言う。
「つまり、満月の晩、ただ、月見酒をしていただけというその鬼は……」
「より高位の存在。それも、人間の子供に気付かない程、警戒する必要もないという自負を持った存在だろう」
「そんなっ……」
村人たちのそれまでの余裕が、一気に不安へと変わる。
人々は以前の鬼よりも恐ろしい存在であるかもしれない、という話に、恐怖で身体を震わせ、村長すらも、その皺の寄った顔を青くしている。
しかし、その中において、茂吉は鬼ではない、別の存在に恐怖を感じていた。
そもそも、彼女が下位の存在であるなど、直接見た茂吉が思うはずなどありはしない。
ゆえに、この説明をきかされてもただ納得するだけであった。
だが、それならば、
(どうして、そんなに嬉しそうなんだろう?)
一人、呪い師はその話をなんでもないように語っているが、絶望的な状況であるかもしれぬと自ら言っているのに、なんら恐怖も不安も焦燥も、抱いてはいないようだった。
そして、一度言葉を切った後に語っていた声はどこか、押し殺せぬ喜びがあるように聞こえていた。
茂吉は、ただそれがなにかわからず、怖い。
鬼、というただ圧倒的で強烈なものに感じるような恐怖ではなく、得体のしれない、不気味なものに感じる、恐怖であった。
どうして怖いのか、それがわからないからこその、怖さ。
周りは先程よりもさらに大きく騒ぎ、先程諌めた村長も止めるような余裕を失い、ただ黙っている。
しかし、そこで、性別も分からぬ不気味な声で、しかし安心させるように、呪い師が言った。
「安心するがいい。退治してみせる」
その言葉に、その場の全員、茂吉を除く全員が、呪い師を見つめ、安堵の表情を見せた。
過去、一度救ってもらった実績が、彼らを強く信じさせていたのだ。
しかし、次の言葉に、再度、全員が顔を青くすることになる。
「だが、今回は流石に相手が相手だ。村の者の協力がいるだろう」
今も過去の傷が癒えぬ彼らに大した協力など出来ようはずがないにもかかわらず、呪い師はそう言う。
その言葉に、不安で煮詰められていた村長が、おどおどとしながら、答えた。
「しかし、我々はただの人間です。到底、妖怪の、それも高位の鬼退治など、手伝えるかどうか……」
そのような及び腰の村長へ、呪い師はただその不思議な声で語り掛ける。
「心配ない。高位の鬼相手では無力だろうが、高位で無くしてしまえばいい。簡単なことだ。強すぎるならば、弱くしてしまえば良い」
「は? し、しかし、そんなこと……」
「出来るのだ。だからこそ、こんなことを言っている」
不安げな村長に、更に呪術師は畳みかける。
茂吉は、呪い師の増してゆく不可解さという名の恐怖に耐えようと、じっと下を向いていた。
「悔しくないのか? 憎くないのか? 鬼が。多くのものを壊し、奪っていった鬼を殺してやりたいとは思わないのか?」
そして、その呪い師の言に乗せられ、
「わかり、ました。我々も、全力を尽くします」
村人たちはゆっくりと頷いていた。
「あぁ。よろしい。ではまず差し当たって……」
少し場の空気が弛緩した。
やっともうすぐこの場から解放されるだろうと、少し安堵しかけていた茂吉は、しかし、その言葉を聞き、息が止まるかのように、驚愕した。
「この少年を、貸して頂きたい」
どきどきと、痛みすら感じる心臓の鼓動に耐え、ゆっくりと茂吉は視線を上へと上げる。
呪い師の暗く見えない顔が、じっと、茂吉の方を向いていた。
もしかすると、一度こちらを見たあの時から、ずっとこちらを見ていたのかもしれない。
そう思うと茂吉は、自分の身体が震えることを止めることができなかった。
すいかちゃん本編では、全てすいかちゃんの視点で語られる上に、彼女の特性上、ほとんどが自己完結で終わっていきますので、こんな形で補っていきます(ある意味本編)
えっ? 展開予測が容易過ぎる?
ははっ! 勘弁してください(泣)