時期的には茂吉と出会う前のお話になります。
注:独自設定と捏造設定が含まれます。
また、カニバリズム的表現があります。苦手な方は脳内で別の肉を想像しましょう。
これは私が放浪生活を始めて、少しした頃の話だ。
紫と出会い、強い妖怪たちとの戦いが面白く、鬼としての自分が再確認できることに気付いた私は、強そうな奴を見かけては、よく喧嘩を吹っかけたり、わざと相手を挑発したりしていた。
妖怪たちからすれば、私は、人の記憶で言う、チンピラ、という者に近い感じだったのかもしれない。
鬼のチンピラとは、我ながら迷惑な存在だと思う。
強大な妖怪に喧嘩を仕掛けては、殺したり、殺されかけたりしながら、それでもそんな戦いの中で私は笑っていた。
しかしながら、相手も、最初こそ迷惑そうな顔をしながら、最後には笑っていることが多かった。
結局、強い奴はやはり、滅多にない全力で戦う機会が欲しかったのだろう。
そして、お互いに疲れるまで暴れ、一応の決着が着いた後には、私の肌身離さず持っている酒を振る舞った。
一寸前まで争い合っていた者同士で、共に飲み交わし、宴を開く。
なんとも乙なものだというには、少々野蛮に過ぎるか。
しかし、それが私の鬼としての日常的な生活であった。
そんな、いつも通りの日々を送っていた、ある日の話である。
※ ※
いつものように行く当てのない旅の中で、強そうな相手を見つけたので、私から喧嘩を売って戦った。
その戦い、喧嘩は、結局私の勝ちに終わったのだが、その相手のそこそこの強さと、一風変わった面白い能力に興味を惹かれて、私は名も知れぬ妖怪と酒を飲んでいた。
相手は初めこそ、鬼の私の理不尽さと切り替えの早さに顔を引き攣らせていたのだが、わりかしあっさりと打ち解けて、元より陽気な性格をしていたようなこともあるのだろうけれど、いつしか素直に砕けた態度を取るようになっていた。
いつまでもびくびくされているのは性に合わないので、こちらとしてはありがたいと思う。
そんな彼女と飲んでいると、どうも喋り上手というか、聞き上手というか、とにかく、話し方が上手かった。
相手の話をタイミングの良い相槌を入れて膨らませ、ちょうど良く終わりそうになったところで、そこから自身の話へ持っていく。
その性格と話の続け方は、気持ちの良い会話が出来る珍しい相手であった。
まぁ、酒の席でそのようなことは些末事であるのかもしれないが、どちらかと言えば、そのような相手であったほうが良いことに変わりないだろう。
そうして、互いに気持ちよく話し続け、昼間から早々と吞み始めたのだが、既に辺りは日の暮れ始め、黄昏時に差し掛かっていた。
そんな時、今までの特に意味と中身が無い雑談の中で、一つの話題が上がる。
「おや、あんた、つよーいつよーいお鬼様のくせに、人間を食べないのかい?」
彼女は驚いたように、私へそう問うてきた。
彼女がふとしたことから漏らした、「酒の肴に病んだ人間でもいればよかったのねぇ」という言葉から、私が「そんなに人間って美味しいの?」と疑問を返したことから始まっている。
「そりゃあ何度か食べたことはあるけど、あんまり好みじゃなかったね。最近じゃ、鬼らしく攫う専門になってるよ。食べるためにじゃなくて、鬼退治の切っ掛け作りみたいなもんだね」
こんな私でも、鬼の端くれである。
人を喰らったことくらいはあったのだが、どうにも、それほど好きになれそうな味ではなかった。
どうにも、私には、男も女も、中途半端な味に思えるのだ。
今までのことを思い出しながら私がそう言うと、彼女はフフッと笑って、それまで手に持って飲んでいた私の瓢箪を返してくる。
私がそれを受け取って口をつけると、彼女はまるで年長者が指摘するかのように言ってきた。
「それはあんた、自分の好みが偶々喰らった人間とは外れていたんだと思うわ。人間って、その時の色んな状態で色々味が変わるから」
好みが合えば、美味しいものよ? と彼女は微かな笑みを浮かべる。
「ふーん、そんなもんなの?」
私は別段、人の味にはそれほど興味があるわけでもなかったが、自分の知らぬ話を聞くこと自体は面白いので、そう聞き返す。
「そんなもんだよ。私だって、健康優良健全な人間をそのまま食べるのは、ちょっと嫌だしねぇ。胃もたれするから。美味しいものを食べるなら、手間を惜しんじゃいけないさ」
つまり、食材の下拵えは大事だということだろうか。
人間の味の違いなど、性差や持っている力の大きさでしか変わらないだろうと思っていたので、私は少し驚いてしまった。
男女の味の違いや、霊力の強い人間が好きだという妖怪は多いが、そこまで細かな違いがあるとは考えてすらいなかった。
しかし、それは考えてみれば、なんとも人を喰らうというのは、あれである。
「めんどくさい話だね」
なぜ、人外の身でありながらいちいちそのようなことをしなければならないのか。
料理する鬼……少し人を齧って「うーん、ちょっと味が薄いかな」などと言うのならばまだ許せるかもしれないが、だからと言って、「よし、ちょっと恐怖を散らして、勇気を萃めて味付けしてみようか!」などというのは、想像してみれば、あまりに間が抜けているように思えた。
私のうんざりしたような顔を見て、彼女は笑って頷いている。
「フフッ、違いない! でも、私はそんな面倒が好きなのさ。病はゆっくり進んでいくものよ? じわりじわりと人が病んで落ちていくのを待つっていうのは、なんとも言えない良い気分になるからねぇ」
その時の人の味でも思い出したのか、彼女は幸せそうに笑っている。
こういう輩を悪趣味、とでも言うのだろうか。
確かに、彼女の戦い方は言ってしまえば受け身的で、粘着したものであったのだけれど。
けれど、もしかすると、それは彼女の能力と種族の性質であるのかもしれない。
とはいえ、どちらにせよ、それはそれで
「気長な奴だよ」
呆れたように私がそう言うと、彼女は笑みを浮かべたままで
「あんたが短気なのかもよ?」
「うーん、それはちょっと言い返せないかも……」
即座にそう返されて、言い詰まる。
確かに、今の生活を見ればその言葉に反論できる部分が無い。
目的のためには我慢することも大事なのかもしれないなぁ、と私はちょっと自省してみた。
反省したところで、それを活かせるかものなのどうかは知らないが。
そうして、二匹で回し飲みしている瓢箪の酒を見て、ふと、この酒の味から、私はあることを思い出した。
「そういえば、前に人を美味しいと思ったことがあった気がする……」
それは、時が経った今でも風化していない、私が未熟な鬼であった頃のこと。
私がぐずぐずと鬼として自覚出来ずにいたがために、死んでしまった私の恩人。
あの人の死体は、あの人の血は、確かに、舌で、そして本能で美味いと、そう感じたのだ。
彼女はその話に興味を惹かれたのか、少し勢い強く問うてきた。
「へぇ、それっていったいどんな人間なんだい?」
どんな人間、かと言われれば、特筆すべきことなどないだろう。
彼は、爺様はただの
「老人だよ。いわゆる、爺ってやつだねぇ」
その私のあっさりとした答えが、なにやら意に添わぬ、予想外のものだったようで、彼女はその小さな眉を顰めた。
そして、納得できずにうんうんと唸っている。
「老人? そりゃまぁ、なんとも不思議なもんだねぇ。私からすりゃ、老いた人ってのは、身体のあちこちに病が色々蔓延っているし、心も病に侵されていることも多いから、わりと好みの味なんだけど、鬼ってもっとこう、若い女だったり逞しい男だったりが好みになるんじゃないかい?」
どう思う? というような、そのようなことを言われても、私からすれば、
「そんなの知らないね」
と、そのように言うほかない。
私の舌の好みなど、自然と訴えられてくるものであって、私自身ではどうしようもないものであるのだから。
私が美味いと思ったから、それは美味いのだとも言える。
「やっぱり、随分変わった鬼だねぇ……」
そう言って改めて、まじまじとこちらを眺めてくる彼女に、苦笑いを返す。
そう言われても、私にはそれほど変わっている自覚などない。
だって私は、言ってしまえば、ただの鬼でしかないのだから。
「まぁ、あの人が私の初めて食べた人間だったからね。それに、ちょっと他のも混ざってたし……」
思えば今更だが、あれは食べた、と言えるものでもないのかもしれない。
ちろりと血を嘗め、手に付いた肉片が少し口の中に入ったくらいのものだ。
しかし、それでもあの時初めて、私が人の味を知ったことだけは確かだった。
「混ざってた?」
自嘲する様に付け足した後の言葉を捕らえて、彼女は疑問をぶつけてくる。
まぁ、この瓢箪の酒の肴には、ちょうどいい話なのかもしれない。
「昔、酒虫を食べて、体の中で飼ってた人間だったのさ」
舌に残る酒の味を、ゆっくりと味わう。
あの酒虫から湧き出る、この酒は、僅かに爺様の味がするのだ。
そう言うと、彼女は
「あー、なるほど……」
と、私の言ったことの何かに納得したように何度か頷いた。
「なにさ?」
酒を吞みながらそう問うと、彼女は呆れたように言った。
「あんたの好みが変わってるのは、むしろ当然だったのかも、と思ってね」
彼女はそこで言葉を切って、腕をぷらぷらと振り、酒を寄越せと催促してくる。
瓢箪をひょいと放ってやると、彼女は当たり前のように出した自身の
それを見て、思わず声が出る。
「ちょっと! 私の瓢箪に糸を付けるなんて、今度はそっちから喧嘩売ってるの?」
あまりのことに、少し睨みつけてしまった。
「大丈夫だって。後に残らない様にしてるから。ほら、やっぱり鬼は短気じゃないか。それにあんたは細かいねぇ」
フフフッと笑ってそう言われるが、そう簡単に割り切れない。
もし酒を吞もうと瓢箪を手に持った時、あの糸のべた付いた感触があったなら、彼女を一発ぶん殴ってやろうと心に決めた。
不承不承な態度の私を放って、彼女は先程の続きを話し出す。
「私ら妖怪はさ、鬼だろうとなんだろうと、少しとはいえ、初めて食べたモノの影響を受けるんだ。まぁ、それでも大きく何かが変わるわけじゃないよ。精々が、味の基準になるぐらいさ。初めて食べたモノが不味かったなら、それはそれからの苦手な味の基準として、それが美味かったなら、それはそれからの好みの味の基準としてね」
まぁ、だいたい初めて食べたものは美味しいんだけどね、と彼女は付け加えて言った。
なんだろうか、それはつまり、人で言うところの、おふくろの味、というものに近いのだろう、なんてことを思う。
過去を懐かしむように、彼女は語る。
「私が初めて食べたのは、私の能力の影響を受けて弱った人間だったよ。それが美味しいと感じたけれど、逆にそれから食べた弱った妖怪は、そんなに美味しく思えなかったわ……」
唐突に糸を出して、傍にあった木から伸びる枝に、彼女がひょいと逆さにぶら下がった。
逆さ吊りの状態でも器用に酒を零さず飲んでいるのは、それが彼女にとって慣れた状態なのだろう。
そんな彼女を見て、私はふと思ったことを言ってみる。
「そう言えばさぁ、弱った妖怪って言うけど、その能力、私……というか、妖怪全般に対して相性が悪いと思うけどね。それに、そもそもあんたが自然と漏らしてる程度なら、私だって萃められるよ」
ほらっ、と指先に、彼女から洩れているものと同程度、同じソレを萃めてやる。
萃まったモノを見て、彼女は少し不満そうな顔をした。
「うーん、なんだか特技を奪われた微妙な気分……」
「なら、特許でも取っといたら?」
「……別にいいわ。私は萃めることが本質じゃあないんだし」
ぶらぶらと、逆さ吊りで左右に揺れながら、彼女はズレ始めていた話を元に戻す。
「それで、あんたが初めて食べたのは、老人……それも多分、ただの人間だったらきっと不味いと思ったんだろうけど、何の因果か、酒虫を体内で飼ってるような混じりだったね?」
確認するようにそう聞かれ、
「そうだよ」
と答えながら、指を振って、萃めていたモノを散らしていく。
周囲に散って溶け込んでいくソレは、あまり私が好んで萃めたいモノだとは思えなかった。
その様子を上から何とはなしに眺めながら、彼女は言う。
「老いた人って、ちょっと味に癖があるんだよ。だからあんまりそれ単品で好きな奴はいないんだけど、そこに酒虫が入ってるなら、多分、いい具合の味だったんじゃないかねぇ……」
しみじみとした想いと共に、うんうんと彼女は頷いて
「だから、納得しちゃったのさ」
そう言った。
しかし、そんなことを言われても、こちらにはいまいち良くわからない。
「いい具合の味って、なにさ?」
わからぬことを率直に問うてやると、すぐに答えは返ってくる。
「酒の肴だよ」
その言葉に、私は思わず納得してしまっていた。
あぁ、確かに、と、言葉がストンと心に落ちる。
「癖のある肉を、酒で煮込んだようなもんだろうね。そりゃあ酒好きの鬼が気に入る味なわけだよ。ましてや、あんたみたいな生粋の酔っ払いにゃ、それはきっと、うってつけの味だったんだろうさ」
そう言って、フッと、彼女は笑う。
私もついつい笑ってしまった。
なるほど、爺様、あんたらしいよ。
まさか、自分までも酒のつまみにしていたなんて、どこまでぶれない人だったのだろう。
そして、それがきっと、私にとっての、一番好みの味なのだ。
つくづく、私はあの人から大きく影響を受けていた。
今になってそれを自覚すると、また笑いが漏れる。
彼女も釣られて笑った。
お互い、馬鹿になったように大きく笑う。
そうやって、二匹の妖怪は日が落ちるまでの僅かな間、楽しそうに笑い合った。
黄昏時に沈む夕日で映った影は、鬼と蜘蛛の形をして長く伸びている。
それは、どこまでも有り触れた、私にとっての日常的な生活である。
彼女……いったい何蜘蛛なんだ……?
ちょっとした裏設定。
おそらくこのままいっても明かされることがないだろうと思ったので、ちょっとした小話として。
あと、どうでもいいけど、獺祭が飲みたい