「貴様は、遠慮というものが欠如しているな……」
天狗たちの持ってきた酒を片っ端から呑み尽していく私を見て、天厳は呆れたように言った。
彼らの貯蔵していた酒は、先程の遊戯の中であってもほとんどが無事であったようだ。
いや、山の頂上にある天狗たちの住処も無事であったことから、もしかすると、天厳が戦いの中で色々と配慮していたのかもしれない。
私との遊びの最中にそんなことに気を配っていたのかと思えば少し嫌な気分ではあるが、それでも、こうして美味しく酒を吞めるのだから、それもまた広い心で許しておこう。
「鬼の前に酒を出して、吞み尽されないと思う方がどうかしてるよ。まだまだまだまだありったけを持ってきてね。絶対あんたらの酒蔵を潰しあげるから!」
彼の住む屋敷の中で、私は次から次へと置かれていく酒を蟒蛇のように、いや鬼の様に飲んでいく。
天狗たちの保有している酒はどれもこれもが上物だった。
酒を吞み、酒に吞まれ、そしてまた、酒を吞む。
戦うことと同じくらい、至福の時だと断言できる。
和み水、などという不粋なものは鬼たる私に必要ない。
特有の喉の奥のむかつきさえも飲み下し、味わいながら、けれどペースは緩めず吞んでいく。
「本気で我らの酒を飲み尽す御積もりなのか……」
私の前に酒を置き、その酒がみるみる減っていく様子を見てとって、一匹の天狗がそう言った。
「当たり前だよ、当たり前。そもそも酒は飲むものよ。山のように溜め込んで腐らせておくのは勿体ないじゃない。いくら美味しくなったとしても、それを飲む奴がいて初めて酒に意味が出来るんだから」
逆に、私からすれば、これほどの酒をただ蔵に留めていた彼らの方が信じられない。
私ならば、とっくに我慢できずに飲んでしまうだろうから。
また、一気に一つ酒を吞み干して、普段から揺れている更にぶれた視界の中で次の酒へと手を伸ばす。
なんとも良い、夢見心地、と言う奴だ。
「儂らとて、酒は飲む。めでたいことがあれば宴も開くさ。単に貴様がそれ以上に大酒を飲んでいるだけの話だ。儂らと
それはとても、勿体ないことだと思う。
美味しい酒をたらふく飲んで、火照る身体と茹った頭を横にして眠ることは、とても気持ちの良いものだ。
下の上で酒を舐めて楽しみながら、私はまた、酒を置きに来た天狗へと声を掛けた。
「あ、ねぇねぇねぇ! なにかおつまみないの? 美味しい酒があるならそれと合わせて美味しいものも食べたいじゃない。天狗の御馳走とか食べてみたいし! あるなら出してよ、ないなら作ってきてくれない?」
「は、はぁ……」
私の要求に、その天狗は顔を引き攣らせながら、曖昧に言葉を返す。
彼は困った様にきょろきょろと辺りを見渡すが、それに目を合わせてくれる者はいなかった。
その様子に、私はちょっとむっとする。
ノリが悪い奴だ。
酒の飲み比べにでも付き合わせてやろうか。
「無茶を言うな鬼よ。お前の後始末にどれだけの者が出ていると思っているのだ。鬼は加減を知らぬから嫌なのだ。儂の山を散々滅茶苦茶にしよって……。ほら、さっさと行け。また絡まれるぞ。酒を置いたら直ぐに何処かへ逃げておけ。鬼よ、儂がこうして付き合っているだけで満足しろ」
ちびりちびりと味わって酒を飲んでいる天厳が、しっしと手を振って私が声を掛けた天狗を奥へと逃がした。
「えー、けちー。そんなの後でもいいじゃない。宴会だよ宴会。せめてつまみくらい作ってくれてもいいじゃない」
そう、文句を言いながら、空になった樽を彼に向かって投げつけてやった。
樽は鬼の膂力で持って凄まじい速度で彼に向かうが、彼の身体に辿り着く前に、何故か勢いを失って、地に落ちた。
「はぁ。判断を誤ったかもしれんな……。お前といると、酒とは別で、頭が痛くなってくる」
額に手を当て呟く天厳は、やはり疲れた顔を浮かべている。
けれど、そんなことはどうでもいい。
私は気を惹かれることがあった。
「ねぇねぇ、あんたのそれ、能力? なにしてるの?
私が何気なく軽く問うと、更に額を強く抑えて、天厳は言う。
「お前は……。本当に無遠慮だな。妖怪に本質を問うようなものだ。そう聞かれて答える者は、余程自信があるやつだろうよ」
「私の名前は伊吹萃香。萃と疎を操る力を持った鬼だよ」
なんでもないようにそう言ってやると、天厳は額を抑える手をどけて、大きく溜息をついた。
「あぁ、くそ。これだから鬼と言うやつは……。……儂はな、『流れ』を操ることが出来るのよ。例えば、こんな風にな……」
そう言って、天厳は酒の入った杯を逆さに向けて、酒を垂らした。
すると、半ばまで地に落ちた後、その酒はそのまま地に着くことなく上に昇り、自ら杯の中へと入っていく。
なんとも不思議な光景だ。
「へぇ~! 面白い。私が何もないところで滑ったのはそういうことなわけね~」
けらけらと笑いながら、宙で逆流している酒を指で突つく。
川が流れるように、真っ直ぐ上に向かって逆流する酒は、屋敷の中の淡い光を受けて、きらきらと光って見えている。
「本当に、
天厳はそう言って、その流れている酒を杯に戻して口に含んだ。
彼のその様子に、また私は興味を惹かれるが、それよりも私はまた新たに運ばれてきた酒に目がいき、何も問うことはしなかった。
せっかくの宴会なのだ。
そう難しいことを考えることも、不粋であるだろうから。
※ ※
あの宴の後も、私はなんとなくまだ天狗の山に居座っていた。
そのことに、特に深い理由はなかった。
もともと先を急ぐような目的は私にはないのだ。
ゆっくりと、次に移動する気分になるまでだらだらと怠惰な、少し良く言えば気儘な日々を送っていた。
そも、基本的に私たち妖怪にとって、時間とは殆ど気にするものでも無いのだから。
そうやってつらつらと何気なく過ごしていると、気付けばここに来て幾日も経過している、というような、そんなものである。
我ながら、なんとも自由なものだとは思う。
まぁ、それを善しとして生きているのだから、特に変えようとも思ってはいないけれど。
ゆえに、去り往く時をなんとなく逃したように、天狗たちの酒蔵から持ってきた酒を飲んだり、修練を積む彼らをからかってみたり、時には喧嘩してみたりして過ごしていた。
しかし、そうしたさして意味の無い日々の中で、最近になって少し気になることが出てきた。
基本的に山の頂上にある自らの住処で何やら忙しそうにしている天狗の長である天厳が、十日に一度ほどの割合で、日が暮れると山を下り、何処かへ行っているようなのだ。
ほとんど興味本位で彼の部下たる天狗たちに「天厳はいったいどこに行ってるの?」と問うても、口を濁すばかりで、答えようとしない。
というより、そのこと自体を深く知らないでいるようだった。
自分たちの長についていけば問題ないという、ある種盲目的な部分がそうさせているのかもしれない。
聞けば、天厳は幼少時から既に長の地位を約束されるほどに強く、もはや絶対的ですらあったという。
そして、それは彼が現にそのままこうして上に立った時からずっと変わらずに今まで来れたのだから、疑うこともないだろう。
なんとも、笑える話だと思う。
それに、彼とのあの楽しい喧嘩も、彼からすればその長と言う地位から生じる義務感によって為されていたのかと思えば、少し不快だった。
まぁ、実際のところは、彼しか知りようがないことではあるけれど。
「ふーん。なるほどねぇ……」
それにしても、なかなかに愉快なことになっている。
私の行動の主軸とも言える好奇心が、刺激される。
直接聞いてみるか、それとも隠れて後をつけてみるか。
私の中には、二つの選択肢が浮かぶ。
おそらく、直接彼に問えば、何らかの答えは返ってくるだろう。
濁されたり、嘘を付かれたりもするかもしれないが、それもまた良い。
嘘はそれほど好きではないが、聞かれたくないものであるのだろうと納得出来るだろうから。
しかし、それは
「ちょっと、面白味が無い、よねぇ。うん、やっぱり……」
やはり、後をつけてみよう。
ちょうど、新しい娯楽が欲しかったところなのだから。
瓢箪の酒を飲みながら、今も何やら忙しそうに部下に指示している天厳の姿を見て、闘い以外の娯楽に胸を躍らせ、わくわくしながら、その時を待つのだった。
※ ※
そう決めて、次の十日を今か今かと待ち望む。
その当日は、日が出る頃から雨が降っていた。
しとしとと降る雨に関係なく、天厳は今日もいつものように業務に励んでいた。
妖怪が業務に励む、という言葉は、どことなく違和感があるけれど、そうとしか言えないのだから仕方がない。
夜まで、彼が何処かへ出かけていくまで、まだ少し時間があった。
暇だったので、酒を飲みながら彼のその様子を見守る。
彼は黙ってなにやら作業をしている。
それを私も黙って見つめる。
正直なところ、暇だった。
「ねぇ」
だから、声を掛ける。
天厳は視線をこちらにむけることもなく、静かに言った。
「なんだ」
言ってから、特に聞きたいことも言いたいことも無いことに気付く。
考えるよりも先に言葉が出てしまったわけだけど、今更その事実は変えようがない。
それに、なんでもない、と言って誤魔化すのも変な話だろうから。
なので、ふと、頭に浮かんだことを声に出す。
「あんた、生まれた時からここの長ってやつになることが決まってたんだよね?」
それは、天厳の部下である天狗たち本人に聞いたことだ。
けれど、彼の口からそれを聞いてみたかった。
「……あぁ」
ちょっとの間を空けて、やはりこちらに目を向けることもなく、彼は言った。
「ふーん。そっかー……」
その私の聞いておいて気の無い言葉が、なんとなく気になったのだろう。
彼は一時作業を中断して、私の方を向いた。
「だからなんだ?」
別に、なにがどう、というわけではない。
ただ、聞きたかったから聞いただけのことである。
そして、また、聞きたいことを聞くだけのことだった。
それが真実であるとかないとか、そういうことはあまり関係が無い。
天厳が言うことを、私が聞きたいだけの話であるのだから。
「他に長になろうとか思ってた天狗は居なかったの?」
そう聞くと、彼はまた、自分の作業へと目を向ける。
この時代では中々に希少な紙を用いて書かれた部下からの報告書だろうものを読みながら、彼は言う。
「居なかった。儂は……ここの天狗たちの誰よりも優れていたのだ。そのことを理解出来ぬ愚かな奴は、天狗の中にいはしまい」
興味なさげに答える天厳は、どこか疲れた顔をしている。
「へぇ。じゃあ、天狗ってそんなに強くないんだね」
馬鹿にしたように笑って言ってやると、彼は持っていた筆をこちらに投げた。
風を射抜くかのような速度で飛んできたそれを、一つ指を立てて弾いてやると、そのまま地に落ちることなく、彼の手元へと不思議な軌道を描いて跳ね返っていった。
それを掴み、また何かを書きながら、彼は言う。
「何度も言うが、鬼と比べるな。貴様は妖怪の尺度によく鬼を使うが、それは意味の無いことだ」
確かに、そうなのだろう。
「うん、知ってるよ。
強いからこそ鬼であるのに、鬼と比べて強弱を測ることに意味は無い。
すべてが全て、弱いと言ってしまうようなものなのだから。
まぁ、それと強さのことはまた別だとは思うけど。
「単に、儂が強かっただけの話だ。この地の天狗の誰よりも、ただ圧倒的にな」
「へぇ! そりゃいいね。そう言う答えが一番簡単で分かり易いよ」
天厳は、強いからこそ、この地の天狗を統べる長となった。
とても分かり易い。
「そうか。それで、満足したか?」
くだらない時間を過ごしたかとでも言うように、彼は言う。
私としては、本命はまだ残しているから、満足はしていないけれど、不足は感じない。
「うーん、まぁ、それなりに?」
そう言って、酒を呷って寝転ぶと、彼は鼻を鳴らす。
彼は、難儀な性格をしている。
それを知れただけでも、少し楽しい。
さっさと今書いていた紙を横に置いて、天厳は筆を置いた。
「今日はもう務めは終わりだ。貴様もさっさとどこかへ行ってしまえ。儂はもう休む」
そう言って、天厳は未だ横になって転がっている私を跨いで部屋から出ていった。
「務め、だってさ……ふふっ!」
彼の口からその言葉を聞いて、なんとなく、私は確信を得た。
天厳は、彼はやっぱり、そうなのだろう。
いつの間にか、朝から降っていた雨が止んでいる。
今夜、彼はいったいどこに行くのだろうか。
暮れていく日を待ちながら、私は酒を抱いて転がっていた。
加筆修正したけど、今回はちょっと不安。
描写不足を感じた方がいらっしゃるなら言ってください。
次回から展開のジェットコースター開始。