伊吹すいかの酒酔い事情   作:夜未

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 ダイジェスト風。
 時間がかっ飛んでいきますが、老人と幼女の生活なんて、詳しくみたい人はいないですよね……。


伊吹すいかは鬼である

 気付くと、私はござの上で寝かされていた。

 

 ぼーっと木で出来た天井を見上げながら、ボロボロだなぁ、などという感想を抱く。

 

 そして、意識がはっきりと覚醒した瞬間に、眠る前に連続して起こった悪夢をフラッシュバックする。

 

 ばっとその場から跳ね起きて、周りを見渡す。

 

「おぉ、気が付いたのか、童子よ……」

 

 不意にかけられた、枯れた声の方を向くと、一人の老人がいた。

 

 少し長めの白髪が伸び、皺だらけの顔が覗いている。

 

 全体的に痩せており、声と相まって、枯れ木のような印象を受けた。

 

 老人は幾つかの御札が貼られた瓢箪に口を付けて何かを飲みながら、こちらを眺めている。

 

 私は言うべき言葉を見つけられず、きょろきょろと周囲を見渡していた。

 

 どうやら、ここはこの老人の住む小屋のようである。

 

 六畳ほどの大きさの小屋で、中心に囲炉裏があり、隅には酒樽や大きな瓶などがあった。

 

 そして、とても酒臭い。

 

「俺ぁ、ここで酒を造ってる、しがない爺だ。お前さんは、鬼、であっとるか? まぁ、その角を見りゃぁ、一発でわかるか。あんな森で襤褸切れになってぶっ倒れてたとこを見るに、お前さん、生まれたばっかだろう?」

 

 老人はぐびぐびと合間合間にその瓢箪の中に入っているであろう酒を飲みながらこちらに問いかけてくる。

 

 口から零れた酒は老人の下に敷かれたござに染み込んでいる。

 

 どう考えても、あの手に持っている瓢箪に入るような量の酒ではない。

 

 そんな不思議なものに、自分自身が鬼という摩訶不思議な存在であることと、あの不思議生物たちを思い出して、特に気にしないことにした。

 

 今更、容量を無視した瓢箪程度がなんだというのだ。

 

 私は老人の問いかけに少し戸惑いながら答えた。

 

「どうして、生まれたばかりって……?」

 

 響く声は聴きなれないものだ。

 

 この世界に生まれ、初めて出した声に、自分自身が少し驚く。

 

 舌ったらずではあるが、なんとか、掠れたような声が口から出ていた。

 

 私の問い返しに、老人はやはり酒を飲みながら答えた。

 

「そりゃあよ、あの森にいるのは強くても中級の小物妖怪ばっかだぜ? 鬼なんつぅ大物も大物の妖怪が、そんなになるかよ。だとしたら、鬼は鬼でも、生まれたばかりの力も何もわかっちゃいないやつってことにならぁな。逆に、生まれたばっかでよく生き残れたなぁ、童子よ」

 

 少し感心した後、老人はわっはっはと声をあげて笑う。

 

 その枯れていながらも、暖かさを感じさせる声を受けて、私は、ここでやっと、自身が安全地帯にいるのだ、という安心感を得ることができた。

 

 知らず、涙が出そうになる。

 

 が、なんとか堪えられた。

 

 人前で泣くなど、以前の記憶がある私には妙に恥ずかしいもののように思えたのだ。

 

「ここは?」

 

 目の前で未だ何が可笑しいのか笑い続ける老人に、内心涙を堪えながら、冷静を装って問うてみる。

 

 老人はそんな私を見透かしたように、にやにやしながら答えた。

 

「おう、ここぁ、俺の家で、酒造場だぁな。あぁ、俺はここで酒を造って、生きてんのよ。少し北に行ったとこに村がある。そこに酒を卸して、金を貰ってんのさ」

 

 どうやら、ここが酒臭いのは酒を造っているかららしい。

 

 私は酒、という言葉に、少し反応してしまう。

 

 生前、酔っ払うことには忌避感があったが、酒自体は嫌いなわけではなかった。

 

 むしろ、一人で飲むのなら、とても好きであると言える。

 

 知らずのうちに、唾を飲み込んでいた。

 

 そんな私の反応を見て、老人はまた豪快に笑いだす。

 

「あぁ、やっぱ、生まれたばっかで、女の姿でも、鬼にちがいねぇんだな! んー、童子よぉ、おめぇ、そこの酒樽持てるか?」

 

 老人はしばし考え込むような仕草をした後、小屋の隅に幾つかある酒樽を指差した。

 

 私は特に返事を返さずに酒樽の方へと近づいて、両の手で抱えるようにして持ち上げる。

 

 ひょい、とつくような気軽さで、持ち上げることができた。

 

 あまりに軽く出来たので、片手で持ち換え、もう一つ持ち上げてみる。

 

 そうして老人の方を見ると、何度かうんうんと頷いていた。

 

「なぁ、童子、童子よぉ、おまえさん、どっか行くあてとかあるのか?」

 

 私はその言葉に首を横に振った。

 

 今の私には、行くあてどころか、この小屋を出ることすらに、勇気が必要なほどである。

 

 森でのことは、私にちょっとしたトラウマを植え付けていた。

 

 そんな私を見て、老人は言う。

 

「ならよぉ、俺のとこに、住むか?」

 

 願ってもないことである。

 

 私は迷わず、その申し出を了承するのだった。

 

 

  ※  ※  ※

 

 

 老人の服装を見て、半ば確信していたが、やはりここは遥か昔の日本であるらしい。

 

 時代的に言えば飛鳥時代あたりであろうか。

 

 どうやら老人の言う村はかなりの辺境であるらしく、その村から更に離れた場所に住む老人は、かなり世間に疎いため、大した情報は得られていない。

 

 老人は……いや、爺様は、初めに言っていた通り、村から米を貰い、酒にして、村へと卸す、という商売で生計を立てているようだった。

 

 どうやら村には爺様しか酒造りの方法を知らないらしく、そして、それを知りたいとも、村人は誰一人思っていないらしい。

 

 爺様曰く

 

「あいつらはなぁ、俺が呪いかなんかで酒を造ってるんだと思ってやがる。どうだ、馬鹿らしいだろう? 面白れぇから、教えてやらねぇんだ」

 

 とのことらしい。

 

 その時の爺様はとても悪い笑みを浮かべていた。

 

 しかし、馬鹿らしくは聞こえるが、案外、今の時代では馬鹿らしいと頭から切り捨てることもできないと思う。

 

 なにせ、そこらじゅうに妖怪どもが跳梁跋扈し、人は必ず一つほどは妖怪対策の品を所持しているらしいのだ。

 

 妖怪の類が存在しているのに、酒を造る呪いがあったとしても、大しておかしくはない。

 

 現に、爺様の瓢箪は『酒虫』という、酒の精を原料に作られている。

 

 爺様自身も『酒虫』を体内に飼っているという話だ。

 

 そのせいで大酒のみであるという。

 

 正直、それはそれほど関係ないと思うのだが。

 

「不思議な世界だ……」

 

 自身の存在を棚に上げ、私はそんな言葉をもらした。

 

 爺様の提案の言葉を受けて、既に一週間ほどが経過している。

 

 私は爺様の指示を受けて酒樽やらなんやらの、老人の身では重く、辛いものを持ち上げ、荷台に乗せ、村に卸に行ったり、逆に村から貰った米を小屋まで運ぶという作業をしていた。

 

 とはいっても、この作業も一週間でまだ一度しかしていない。

 

 しかも、運ぶ際は鬼である私がバレると非常によろしくないということなので、村の手前までしか運ばない。

 

 爺様はそれでもかなり助かると、私に言ってくれているが、正直、ワーカーホリックの多い現代日本人の記憶を持つ私は、どうにも気まずく感じてしまう。

 

 いわゆる、ニートのようなものだ。

 

 鬼である私が働く、というのも、変な話ではあるのだが。

 

 そんなふうに、私は、初めの生まれた日とは程遠い、安全で、安穏な日々を過ごすことができていた。

 

 

  ※  ※  ※

 

 

 ある時、爺様と話していた時のこと。

 

 その日は、何度聞いても名を教えてくれぬ爺様に、では私からと「伊吹醉香」と、字まで地に書き名乗ったのだが、結局爺様は「童子」としか私を呼んでくれなかった。

 

 私は少し腹が立ったので、悪戯で爺様の瓢箪をひったくり、中の酒を飲んでやった。

 

 しかし、不思議なことに、それはいくら飲んでも水のようにしか感じることができなかったのだ。

 

 体を火照らせることはおろか、味を感じることさえできない。

 

 そんな私を見て、爺様は笑いながら言った。

 

「はっは、童子、童子よぉ、おまえさん、鬼が人間と同じ舌だと思ってんのかよ。いいか、勘違いはするなよ? 俺は人で、おまえは鬼だぜ? 違いがあって当たり前じゃねぇか。人と鬼じゃ、まったくちげぇぜ」

 

 その言葉に、私は愕然とした。

 

 私は鬼だ。鬼なのだ。

 

 そう、見ないようにしていた事実を、見せつけられたような気分だった。

 

 私は森で出会ったような奴らと同じ、妖怪の類であるのだ。

 

 あまりのことに、目が少し潤んでくる。

 

 しかし、そんな私を見て、爺様は笑って言った。

 

「あぁ、でもよ、なぁ、童子、童子よぉ。同じ人でさえそれぞれいっぱい違いがあるんだ。それでも、そろって生きていける、生きていってる。ならよぉ、おまえさんと俺も、一緒に生きていけらぁな、だろ?」

 

 私は、爺様のその言葉に、またも打ちのめされ、以前の記憶で、なぜ老人が敬われるべきなのか、思い知った。

 

 こんな暖かさを与えて、ただただ、心の底から安心させてくれる存在を、敬うなというほうが無理である。

 

 笑いながら酒を飲み、真剣な顔で酒を造り、「童子、童子よぉ」と私に向かって話しかける爺様に、私は、なにか、必ず恩返しをしようと、心に決めた。

 

 

  ※  ※  ※

 

 

 さらにしばらく過ぎた、ある日のこと、爺様が一人酒を造っている時、私は自身の両手にぶら下がる分銅を眺めていた。

 

 何となく、生まれた時から感じていたことがあった。

 

 この後ろの髪にあるものを含めて、三つの分銅は、私を現す何かなのだ。

 

 鬼である私の、鬼である私にたる、何か。

 

 未だはっきりとはわからないが、何かを掴みかけている。

 

 だから私は、ただひたすらに、分銅を眺め、思考に沈む。

 

 爺様への恩返しは、鬼の怪力での運搬程度しか出来ない。

 

 確かに喜んではもらえる。

 

 喜んではもらえるが、しかし、それは初めに爺様から持ちかけられた提案で、ここに住まわせて貰っている、ということへの恩返しの等価交換でしかない。

 

 私は、もっと大きく、爺様に助けられている。

 

 肉体的には無敵の鬼である私の、人間であったがゆえに、濡れた紙のように脆い精神を、支えて、暖め、守って貰っているのだ。

 

 それに対する恩は、何一つ返せていない。

 

 だからこそ、それに酬いる何かが必要だった。

 

 そして、私の中には、その何かがあるのだ。

 

 何か、鬼の怪力以外の何かが。

 

 それのヒントが、この分銅なのである。

 

 深く、深く、私は私の中へ埋没していく。

 

 そうして、しばらくして、自身の内にある、表現しようのない力に気付くことができた。

 

 おそらくは、これが以前、爺様から聞いた、【妖力】というものなのだろう。

 

 そしてさらに、その最も根本の部分。

 

 私の中心部分から湧き出す妖力の、その中心部分へと意識を向けて、さらに探る。

 

 じっと何かを見つめて。

 

 どんどんと、意識がその中心へと吸い込まれていくような気分になってくる。

 

 それに逆らわず、むしろ、自ら、そちらへと向かっていく。

 

 不意に、とんっ、と、ほとんど忘れかけていた、現実の体の肩に小さな衝撃を感じた。

 

 口から、あっ、と声が漏れる。

 

 そのままゆっくり振り向くと、私の肩に手を置いたままの爺様がいた。

 

「なにしてんだ? 童子よ」

 

 私は、爺様に言う。

 

「爺様、あなたの造った酒を少し頂戴?」

 

 私は、やっと、自分自身を理解することが出来た。

 

 私の、私という存在の【能力】を。

 

 これで、爺様の役に立つことが出来る。

 

 知らず、そんな自信が湧いてきていた。

 

 

 

 


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