伊吹すいかの酒酔い事情   作:夜未

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伊吹すいかは見逃した

 米が半分しか貰えなかったあの日、私が、今までで一番の暖かさを知ったあの日から、数日が過ぎた。

 

 爺様は、どうやら、こういう日が来ることを見越して、或は、自身が動けなくなった時を見越してなのかもしれないが、そこそこの量の蓄えを用意していたようだった。

 

 だからこそ、それほど慌てる必要もなく、ゆっくりと解決法を考えていくつもりのようだった。

 

 実際、あの酒を村人たちが飲めば、いくらケチな存在であるとはいえ、報酬も少しは上げてくれるだろうと、私は楽観的に見ていた。

 

 自信過剰や夢見がちであると、笑ってくれるな。

 

 今の時代で、あれほどの酒を造ることは、ほぼ不可能であると、私は自信を持って言えるほど、私と爺様が造った酒は美味いのだ。

 

 それに、もしなんとかならなかったとしても、私の能力を使って、爺様の食べる食事の栄養の密度を上げてしまえば一応はどうにかすることができる。

 

 つくづく、私は自身の能力に感謝の念が尽きそうもない。

 

 この身に生まれて良かったと、そんなことを思っていた。

 

 

  ※  ※  ※

 

 

 その日、そう、その日に、私は、唐突に思い、思ったそばから口をついてその言葉が出てきた。

 

「爺様。爺様の瓢箪が、私も欲しいよ」

 

 爺様の持つ、不思議な瓢箪。

 

 それには数枚の御札が貼られており、爺様曰く、酒虫を原料に作られているという、無限のように上質な酒が湧き出るその瓢箪。

 

 私は爺様に自分も酒虫の瓢箪が欲しいと言った。

 

 親の真似をする子供のような思考をする自身に内心少し呆れながら、やはり、気持ちを抑えることは出来なかったのだ。

 

「んー、そうだな……」

 

「やっぱり、その瓢箪は簡単には作れないのかい?」

 

 どこか渋い顔をして考え込む爺様に、私はそう尋ねる。

 

 よくよく考えれば、爺様はただ酒を造れるだけの人でしかないのだ。

 

 見るからに何らかの不思議な力が作用しているような瓢箪を作り出すことなど、無理なのかもしれない。

 

 爺様は、しばらく低い唸り声を上げて考えた後、ぽつりと言葉を漏らした。

 

「いや、……作れる。作れるぞ、うむ……」

 

 何か含みがありそうな、少々苦い顔で、爺様はそう言った。

 

「本当かい? なら、」

 

「うーむ、ただな、童子よ。製造方法があったとしても、その材料が無ければどうにもならん。おまえは、俺の瓢箪みたく、美味ぇ酒が無限に出るような瓢箪が欲しいんだろう?」

 

「え、う、うん……」

 

 実のところ、爺様のような瓢箪が欲しいというだけで、出てくる酒が美味いかどうかはあまり関係がない。

 

 まぁ、しかし、それでも、出てくる酒が美味い方がいいというのはその通りではあるのだが。

 

「だからなぁ、お前が美味いと思えるような酒ってのが、ちょいと難しいのさ」

 

 爺様曰く、鬼である私の舌に合う酒虫はとても見つけるのが難しいとのことらしい。

 

 正直、味は本当にどうでもいいのだ。

 

 爺様と同じようなものが欲しいと思っただけで、それが美味いにこしたことはないが、別段、水のようにしか思えぬものでも全然構わないとも思っている。

 

 しかし、爺様がとても難しい顔をして、私のためを思い悩んでくれているため、そうは言い出し辛かった。

 

「えっと、その、酒虫ってのは、そんなに難しいとこにいるのかい?」

 

 悩む爺様に、私がそう聞くと、爺様は少し間を置いて答えてくれた。

 

「……いや、んなこたぁ、ねぇさ」

 

 どうやら、酒虫自体は、私の初めに行った森で見つけることが出来るらしい。

 

 ただ、それはあくまで一般の酒虫だけであり、鬼の私の舌に合う酒虫がいるかどうかはわからないと、爺様は言った。

 

 その答えを聞いて、少し考えた結果、私はとりあえず酒虫を捕まえに行くことにした。

 

 そう伝えると、爺様は大層驚き、また、困惑した。

 

 どうやら、命の危機を味わったあの森へ、私が再び足を踏み入れることに驚きと心配が出たのであろう。

 

 しかし、能力が開花した今の私ならば、妖怪の私への関心を散らすことで、安全に散策することが出来る。

 

 それに、能力開花と共に、私は妖力についても感じ取ることが出来るようになっており、以前のような不意打ちなどにはよほどのことがない限り合うことは無いだろう。

 

 まして、私はこんな形をしているが、曲がりなりにも鬼である。

 

 いざとなれば全力で逃走すれば、逃げ切れること自体は可能であると、それこそ以前のことによってわかっている。

 

 私は渋る爺様を根気よく、口八丁手八丁でなんとか説き伏せ、許可をもらった。

 

 爺様は随分迷っていたようだったが、根本的には、私が鬼であることをきちんと理解しているので、それほど強く引き止めることはしなかった。

 

 そのことに、もしも以前、私が人間のように勘違いしていた時であったならば、少し寂しく思ったかもしれないが、爺様は人と鬼でも充分一緒に暮らしていけると言ってくれていた。

 

 だからこそ、私は声を大にして言える。

 

 人間でないからなんなのだ、と。

 

 そんなことを頭の隅で考えて、小さく笑ってしまう。

 

 そう、私は【鬼】であるから、爺様の役に立てている。

 

 それが、どうしようもなく嬉しいことで、幸せなことなのだ。

 

 そうして、私は爺様に森で酒虫が居そうな場所について尋ね、それをしっかりと記憶に記す。

 

 爺様はまだ難しい顔をしていたが、私はその心配をくすぐったくも、しかし、心地よく感じながら、小屋を出た。

 

 普段は小屋の周囲でだらりだらりとしているだけだったので、村以外に小屋を離れるなど初めてのことだ。

 

 空はしっかり晴れていて、時間的には、未だ正午をまわった頃だろう。

 

 後ろを振り向き、小屋から出て、瓢箪の中の酒を口に運びながらこちらを見ている爺様に手を振って、私は森に向かって歩き始めた。

 

 

  ※  ※  ※

 

 

 命に関わる体験をして、やはり何か思うことがあるかもしれない、などという覚悟を決めて向かったのだが、特にそういうものはなかった。

 

 まぁ、森というなら木に囲まれているということで、爺様の小屋は村から離れているので当然同じように木に囲まれていた。

 

 森のように密集してはいなかったが、似たような環境ではあったため、別に森自体がトラウマになってなどはいないようだった。

 

 後ろを向いても、もう小屋は見えない。

 

 しっかりと戻れるように、所々木に目印を付けながら彷徨い歩いていく。

 

 空を見上げれば、先ほどと同じように晴れているのがわかるが、如何せん、木が多すぎて太陽の光が届き切ってはいない。

 

 偶に鎖や髪の毛などが枝に引っかかったりしつつも、それを無理やり引っ張ることでへし折って進む。

 

「湿度が高そうな場所、湿度が高そうな場所っと。んー、川付近とかが一番あり得そうかねぇ……」

 

 爺様から教えられた酒虫のいそうな場所を呟きながら、一応、きょろきょろと、あちこちを見ていく。

 

 実際、酒虫とはどのような存在なのであろう。

 

 やはりかつての記憶の、中国で語られたように肉の塊なのだろうか。

 

 それとも、芥川が想像した山椒魚のような姿なのだろうか。

 

 私は期待に胸を躍らせて周囲の観察を続けつつも、少し深く考え込んでいく。

 

 そもそも、以前の記憶では、酒虫は中国で語られた存在であるのに、どうして日本にいるのであろう。

 

 やはり、妖怪などが実在する世界であるのだ。

 

 単純に、過去の日本、という安易な想像はまちがっているのだろうか。

 

 そのようなことをぐるぐると考えていると、私のまだ少し拙いとはいえ充分機能している妖力感知に何かが引っ掛かる。

 

 おそらく、この感じからいって、妖怪であろう。

 

 森に入ってから常に気配を散らしている私を、相手はまだ気付いていないようである。

 

 とりあえず、私のいる方向と進行する方向に、妖怪の嫌うだろう陽の気を(あつ)めて、薄くめぐらせていく。

 

 相手は何の気なしに、気ままに歩いているのだ。

 

 わざわざ嫌な感じがする方向になど進みはしないだろう。

 

 本当はそれと同時に逆方向に妖怪の好む陰の気を萃めたかったのだが、別のものを同時に扱うことは、まだ私には難しかった。

 

 一つのものを繊細に操作することは、爺様との酒造りで鍛えられていたが、並列して行う、というのは練習すらしていない今の状態では厳しい。

 

 だが、どうやら上手くいったようで、相手は私が誘導したかった方向へと向きを変え、私が感知できる範囲からは去って行った。

 

 ここで考え事をするのは少々危険そうなので、以後、妖力をしっかりと探りながら、酒虫がいそうなポイントを求めて、どこにあるのかもわからぬ森の中の川を目指した。

 

 途中、何度か妖怪とのニアミスもあったが、見つかることなく上手くやり過ごすことが出来た。

 

 妖怪相手の鬼ごっこの次はかくれんぼをするなど、我ながら姿通りに遊んでいるな、と余計なことを考えつつ、運がよかったのか、川を発見することが出来た。

 

 辺りに注意しつつ、川の近辺を少し探ってみる。

 

 土を掘り返してみたり。

 

「うわっ! って、なんだいただのミミズか。邪魔だよお前、そらどっかに……っ!? こいつ、牙なんてもってやがる!」

 

 木を登ってみたり。

 

「木登りなんて、久し振りだねぇ。いや、前の記憶を抜きにすれば、初めてってことになるのか」

 

 木を穿ってみたり。

 

「芋虫みたく、木の中にいたりして。まぁ、有り得ないだろうけど、ねぇ。……うぇ!? あぁ、なんだ、ただのクワガタの幼虫か……」

 

 川の中を覗いてみたり。

 

「魚はいるっぽいけど、酒虫はいないなぇ。まぁ、そもそも、酒虫がいたらここは酒の流れる川ってことになってるんだけどね。あ、そうだ小魚なら、爺様も食べることが……人面魚(シーマン)、だと?」

 

 とにかく、色々と探ってみたが、見つかる気配は無かった。

 

 実際、川の中は、川の水が酒ではないので有り得ないと考えることが出来るので、一旦、川の周辺に集中して探していく。

 

 下流にいるのならそれもわからないが、少なくともこの近辺はただの水であったし、妖力が宿っているとはいえ、魚もいるのだ、可能性はやはり低いだろう。

 

 私はとりあえず上流の方へ進んでみることにした。

 

 芥川の山椒魚のような習性があるのであれば、流れの弱い場所にいるのかもしれぬ。

 

 しかし、この土地は少々傾きがあるとはいえ、それほど急ではないものが長らく続くというものである。

 

 であるならば、下流の方は、川がどこまでも続いている可能性があり、きりがなくなるだろう。

 

 よって、上流のほうに池のようなものがないか期待することにしよう。

 

 なに、上流のほうを辿っていけば、終わりは確実にあるのだ。

 

 精神的にも楽であろう。

 

 などと、色々と理屈つけて考えてはいるが、ただ私の適当な考えに過ぎず、実を言えば、ただの勘であった。

 

 

  ※  ※  ※

 

 

 結論から言って、酒虫は見つからなかった。

 

 一応は川の水の湧いている場所まで行く途中に流れが緩くなっている場所などをいくつか見つけはしたのだが、結局はどのポイントを巡っても酒虫はおらず、日も暮れてきたので、仕方なしに私は爺様の待つ小屋へと帰ることにした。

 

 そして、帰り道に目印を付けた木を辿っている途中、私はそれと再会した。

 

「あっ……」

 

 覚えのある、薄暗くぼやけた光。

 

「う、あ……」

 

 それは記憶通りの輝きで、かつて、私の小さな期待を打ち砕き、悪夢の始まりを告げた存在。

 

 刻まれた心の傷が痛みを訴えてくる。

 

 私は内心の恐怖を押し殺し、その場近くの草叢へと身を隠す。

 

 全力で能力を行使し、自身の気配を散らした。

 

 屈んでいると、知らずのうち、手が震えている。

 

 来るな、来るな、と必死で脳内で叫ぶ。

 

 そうして、しばらくじっとしていると、その見知った光が消え去った。

 

 私は注意深く妖力を探り、何もいないことを確信する。

 

「ふーっ」

 

 溜息をつき、その場から立ち上がる。

 

 瞬間、強烈な悪寒に襲われ、その場を飛びのいた。

 

 ちりっと、腕に痛みが走る。

 

 前を向くと、かつて見たその姿が目に映る。

 

「げひひゃ! まさかぁ、まさかぁだぁなぁ! まさかぁ、逃がしたぁ獲物を見つけるなんたぁ、なんて運がいいんだおいらぁ!」

 

「どう、して……」

 

 疑問が口をついて出る。

 

 確かに、バレていなかったはずである。

 

 能力を使い気配を散らした。

 

 それに妖力もきちんと探っていたのだ。

 

 それが、どうして目の前に、この、提灯鮟鱇の妖怪がいるのであろうか。

 

「げひっ、やっぱぁ、『子』鬼ちゃぁんなんだぁなぁ! 妖力はダダ漏れだぁし、上手いこと妖力を探ることすらできやしなぁい! げひゃ、げひゃひゃ!」

 

 そして、気付く。

 

 私は、同時に二つのものを扱うことは出来ない。

 

 つまり、気配は隠せても、妖力は隠せていなかったのだ。

 

 おそらく、今までの相手は妖力感知に優れていなかったのだろう。

 

 だからこそ、気配を散らすだけで大丈夫だった。

 

 しかし、目の前のこの妖怪は違った。

 

 私の妖力を探り、自身の妖力を潜め、近寄ってきたのだ。

 

「げひひひゃ! 喰らぁってやる! 今度こそぁ、喰らってぇ、やるぞぁ!」

 

「ひっ、あっ!」

 

 私はその場に背を向けて走り出す。

 

 恐怖に背を押され、ただただ前を向いて駆けていく。

 

 これでは、これでは以前と同じではないか。

 

 私はまた、同じようにこの森で……。

 

 そのような考えが脳を占めようとした時、一つの木が目に映る。

 

 そこにあるのは私の付けた目印。

 

 違う、以前と同じなどではない。

 

 私の中にあった諦めが一気に霧散していく。

 

 爺様の元へと、帰るのだ。

 

 後ろにいる、妖怪を振り切って、爺様の元へ。

 

 今感じている寒気は、あの優しい老人の柔らかな暖かさへの焦がれに繋がり、私は全力で走る。

 

 地をしっかりと踏みしめ、後ろに迫る恐怖を見ずに、その暖かさへの目印をだけを見て、あの場所へとただ駆ける。

 

 爺様、爺様、爺様!

 

 ただただその求める姿を思い描き、目的の場所へと疾く駆ける。

 

 脇目など振るような余裕はなく、ただただ全力で。

 

 だからだろうか。

 

 私は、爺様の小屋の方向から上がる煙に気付くことはなかった。

 

 その場所に辿り着けば、あの暖かさがあると、馬鹿のように信じて疑うことすらしなかったのだ。

 

 

  ※  ※  ※

 

 

  そうして、私は、初めて人を殺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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