雄英体育祭の翌日、与えられた休日の昼前に千土は雄英高校付近の喫茶店の個室の席に腰かけ、先に注文したクリームソーダを飲みながら友人の到着を待ち続けていた。
席に着いて約5分程が経過、もっともそれは呼びつけた側の常識として予定より10分程早く到着したからという理由ありきだが…仮にここから20分程経とうが千土としてもさして気にする事ではない――が、そんな考えも杞憂で済む。
「悪い待たせたか?」
「よぉ轟、予定より5分前の到着なんだから気にしなさんな。まぁとりあえず座れって」
律儀な事に予定より早く来てくれた轟に席を勧めるとついでに店のメニュー表を手渡す。
「来てくれてサンキュな、折角だし何か頼めよ。奢るぞ?」
「――じゃあ緑茶」
「若さが足りねぇ…」
食堂で見かけるといつも蕎麦を食っていたが案外和風嗜好なのだろうか、だとしたら店のチョイスを失敗したかと思うが轟の方もさして気にしてないようなのでとりあえずそこは気にしないことにする。
注文をして数分とかからず轟の頼んだ緑茶が届く。
注文の品を届けウェイトレスが戻っていったことで個室席ということもあって周りには誰もいなくなる。
「――いやぁ急な呼びつけで悪かったな轟、…それで上手くいったのか?」
「あぁ、お互いまだ少し話し辛いとこもあるけど…やっと向き合うことができた」
「そりゃ良かった、乾杯しとく?」
冗談交じりに言ってみれば案の定やらねぇよと鼻で笑われる。
まぁ緑茶とクリームソーダの乾杯なんていう異種格闘技のような絵面にならずむしろ良かったと思うべきだろう。
「しっかしまさか体育祭の直後に行くとは思わなかったわ。お前結構アグレッシブな奴なのか?」
「別にそんなんじゃねぇよ。ただ…これ以上逃げたくなかっただけだ」
「ふぅん…やっぱかっけーわお前」
例え自分が向き合うべき人の存在に気付けたとしてその人に即会いに行くなど果たして何人ができるのか。
その人が大切であればあるほどいざ決意すれば向き合う恐怖も大きくなるはずなのに彼はそれを容易く――とはいかなかったかもしれないがそれでも乗り越えたのだから。
「よし、やっぱ乾杯しとこうぜ、こういうの大事だってほらほら」
「――何でだよ…」
クリームソーダのグラスを手に持てば轟は呆れながらも一応緑茶の湯呑みを手に持ってくれる。
…なんだかんだ頼めば聞いてくれる奴だな。
友人の成功を祝い、グラスを目の前の湯呑みへ打ち付ける。
心地良く耳に響く音色とそれに混じるポチャっという不思議な水音が聞こえる。
――振動でクリームソーダのアイスが緑茶に落ちたな…
「………」
「…緑茶フロート――痛ぇ」
無言で睨んでくる轟に適当な事を言ってみれば脛を蹴られた。…メダル授与の場でも思ったが体育祭の一件で轟から容赦がなくなった気がする…
とりあえず緑茶を頼み直し、店員が持ってくるのを手元の飲み物を飲みながら待つ。
――案外緑茶にアイスも合わないこともないな…苦味消えて飲みやすいわ
「――で、結局俺を呼んだ理由はお前の思い出話しなのか?」
再び緑茶が届いた後に轟はそう確認してくる。
「まぁそうだな。…結構古いとこから始まるから適当に聞き流し感覚でいてくれ」
一応の断りを入れておくと轟もとりあえず了承してくれたので話を始める。
――最初は…もう6年前になるか…
▼▼▼
――6年前
地城 千土は現在の雄英高校付近の住居ではなく、まだまだ都市開発途中の田舎の地域で暮らしていた。
その田舎の小さなヒーロー事務所のサイドキックを務める父、地城 陸斗(ちしろ りくと)と
雄英高校出身のヒーロー事務所の経営担当を務める母、地城 砂羅(ちしろ さら)の間に生まれ父からはヒーロー活動の素晴らしさ、母からは今まさにヒーローとして名を馳せる有名人達の学生時代の話を聞かされなんとなしに自分もヒーローを目指そうかなと思うだけの子供だった。
「おー、やっぱカッコいいなこの人」
「ん?おー俊の――オールマイトのヒーロー活動?」
家の数年前の型のPCで映像を眺める千土の背後から声がして振り返ると先程まで自分が災害から多くの人を救うヒーローの姿を映した映像を食い入るように眺める母の顔があった。
「あれ?母さんこの人と知り合いなの?」
「私は雄英出身のヒーローなら2歳上から2歳下の人は大体知り合いって前に言ってなかったけ?」
「…そうだった」
年上だろうと年下だろうと片っ端からヒーロー事務所に売り込もうと声かけまくっていたという母の学生時代の武勇伝は子供心に大丈夫かこの人と戦慄し、何とか忘れようと努力したのだった。
「うへーやっぱ凄いなオールマイト、あの人売り込む前に海外に逃げられたのよね~。くっそー思い出しただけで嫌になってくる。あの人どっかに売り込めたら今頃そこから紹介料ずっと絞れただろうにな~」
「母さんほんとにヒーロー関係の仕事の人!?人身売買のやべー奴にしか見えないよ!?」
「…千土は随分不穏な言葉覚えるね~、ダメよ子供がそんな言葉覚えちゃ?」
「100%アンタの教育のせいだからな!?」
遠慮して言えば強か、正直に言えばがめつい母の英才教育の賜物か、自分は同世代の友人達と比べれば圧倒的に冷めた性格らしい。――もっともそれも仕方ないだろう。
「とりあえずご飯食べよ、こっちおいで」
「はいはい、――TV変えて良い?」
「OK、私もそれあんまり好きじゃないし」
母の声に従い食卓に座れば流しっぱなしだったTVは何やらサスペンスドラマを流している。
事件調査のヒーローの活躍がカッコいいと評判のドラマではある――が子供の身にはそんなものよりも派手なアクションの方が肌に合う。
チャンネルを変えれば今日も流れるヒーローとヴィランの戦いの光景。
約9歳、大体の子供が4~5歳程で発現した自分の個性に慣れてきてその個性を使ってカッコいいヒーローになることに本格的に憧れるようになる頃合いか。
TVに映るヒーローの活躍に成長した自分ならばと夢を描く日々を送るのだろう――が。
「へー炎を纏ったヴィランが出現中…ねぇ」
母は自作の汁物を飲みながらそれを眺めるように呟く。
「現場に適したヒーロー不在で現場は混乱中ねぇ、えっとあの辺りだと確か」
流れる字幕を呟く母の様子に嫌な予感が走り食事が喉に詰まるのを感じる。
まさかまたかと視線を向ければ悪戯好きの子供のように楽しそうに笑う母の顔が目に入る。
「さて問題です!相手は炎を纏うヴィラン、こっちは風の個性と羊の異形系個性、繊維の個性のヒーロー達!風は強ければ火は消せるけど周囲に飛び火する可能性があり使えない、羊と繊維は燃やされるから相性が非常に悪い――さぁどうしますか?」
これが自分が冷めてしまう原因の一つ、TVのニュースでヒーローが苦戦していると良く母が出してくるクイズ。おかげで友人達が苦戦するヒーローに声援を送る中何故か自分一人この場合はどうするべきかと考える癖がついてしまっている。
ニュースの字幕一つでどの個性のヒーローがいる街かすぐに割り出す母の経営把握の能力自体は素直に凄いと思うのだが正直勘弁してほしい。
「一応確認、相性が良い――例えば水の個性のヒーローの応援は?」
「なし、待とうなんて言うなら赤点ね」
「はいはい」
おまけにこんな感じでやたら現場のみで解決をさせようとする。
実際現場で解決が出来ないのだからこうなっているのだから無理難題も良いところだ、俺が考えられる策で解決するならプロのヒーロー達はとっくに解決しているはずだと内心で悪態をつきつつもいつも通り思考を巡らせる。
「――繊維のヒーローって操る繊維の種類は?」
「ベストジーニストね、確かジーンズが一番得意、スウェットが苦手だったかな」
「できないって訳じゃないんだね、なら炎系ヒーロー用のサポート服の繊維、あれ使って拘束。で、捕まえたとこを周りの人達でバケツリレーしながら残り2人のヒーローが殴る」
エンデヴァー等炎を操るヒーローも数多くいるがその中に衣服を纏わぬヒーローはいない――というか仮にいたとしたらそれはヒーローではなくヴィラン…というよりただの露出狂だ。
当然そんなはずがないのでちゃんと炎系個性の為の特殊な繊維があるというわけだ、ならばそれを使えば良いと答える――が、母の表情はあまりよろしくない。
「…まぁ現実的ではあるけどアイテム頼りだなー。何というか後出しじゃんけんされた感じ?」
「はぁ?実際アリだろ!?繊維を操る個性なら炎と相性悪いんだから炎系個性用の繊維常備しとくのは良い手じゃん!?」
「んーまぁそれをアリとしてもバケツリレーは詰めとしてはいまいちかな?特に野次馬の人達使うのは危険、いざ動けって言ってもそう上手く動いてくれないしあのヴィランにとってその人達が明確な敵になるしね」
特殊繊維を否定されたのは納得いかなかったが2つ目の言い分は不思議な程に納得してしまう。
確かに母の言う通り、今は野次馬という認識をされている人達だが彼らにも手出しさせればそれはヴィランにとって己を害する存在に変わる。もしも拘束から逃れられたらどうなるか想像もできない事態になり得る。
ならばどうしたものかともう一度映像を見てみれば――母がベストジーニストと名を言った男性が何やら特殊な繊維で炎のヴィランを拘束していた。
炎のヴィランは暫くもがいていたが拘束から逃れることは叶わなかった。
「「………」」
歓声が響くニュースを眺める食卓に重い沈黙が訪れる
「母よ…」
「まぁ、上手くいったんならいいんじゃない?平和的解決が一番ってな訳よ」
言い訳のような御託をならべながら自分の皿からコロッケを一つ寄こしてくる。――これで見逃せということなのだろうか…
「――じゃあ母さんならあの状況どうしたのさ?」
「ん?私は経営担当だからね。前もって対炎系個性の人を雇っとくかな?水系の個性の人とか」
「おい!」
とりあえず特殊繊維どうこうはともかく出題者としての答えを聞かせて貰おうと聞いてみればいけしゃあしゃあと盤面をひっくり返してきやがった。
「しっかしあのベストジーニストってヒーローは今後伸びてきそうだわー」などと涼しい顔で呟く母を不満気に睨むとと頭の上に手が優しく添えられる。
「経営担当の私は事前準備こそが戦場、だけどヒーローは現場が戦場。だから千土は現場での方法を考えないとね…一人の個性で出来ることなんて知れているんだから色んな人と力を合わせてね」
これは母が良く言うことだった。
経営科出身だからだろうか、母はいつも人の個性ばかり見ていたが故に自分一人の力への拘りが薄い。
「――だからって書類作業を同僚さんに押し付けて帰ってくんなよ、さっきまた電話かかってきたぞ」
「知らない知らない、事務所の食堂美味しくないのよ。これも協力の一環、食べたらまた戻るし少しぐらい構わないって」
母は何だかんだで経営能力は高いらしく事務所でもだいぶ上の役らしいが果たして本当に大丈夫なのだろうか…少なくとも父は今頃また頭を下げているのだろう。
「――というか、父さんと母さんが働いてんだし俺もそのまま入れてくれねぇの?」
「いやいや、本当にそんな捻くれた子にならないで。ちゃんと有名校から出ないと一生父さんみたいなサイドキック止まりよ」
貴女がそんな厳しい現実を隠さず話すから俺はこんな捻くれたのだがいい加減自覚してくれないかな?
「別に俺そんな有名ヒーローにはならなくて良いし、ヒーローはカッコいいしなりたいとも本気で思ってるけど実際この辺りの安全を守れればそれで良いかなって」
「は~、学生時代に雄英生全員をヒーロー事務所に売りつけて紹介料だけで遊んで暮らそうって野望に燃えていた私から何故こんな夢のない子が生まれてきたのか…」
だから100%アンタのせいだっつってんだろうが!!
あまりにいい加減な母の話に付き合うのに怒りを通り越し疲労を感じ退散しようと決意する。
「はぁ、じゃあ俺出かけるから」
「ん?どっか行くの?」
「空姉さんとこ、何とか言いくるめて明日の宿題やってもらう」
「やっぱアンタは私の子だわ」
昼食を食べ終えて食器を片付けた後にカバンを肩にかける俺に母は楽しそうにそう言って自分も食器の片付けを始めるのだった。
▼▼▼
「――すまん、聞いてるだけで頭痛くなってきたんだが?」
「すげぇだろ母さん、学生時代にオールマイトやエンデヴァーに絡みまくったそうだぞ?」
まだまだ導入の辺りなのだが早くも轟の表情が死にかけている。
追い打ちに母の武勇伝を言ってみればまがいなりにも自分の父である男とも接点があったらしいという話に表情がより険しくなる。
「――ただまぁ。お前が周りとすぐ合わせられる理由はなんとなく分かった」
味方であっても敵であっても他人の個性を利用する千土の能力の異常さは彼の破天荒な母の英才教育(?)の成果なのだと轟は思った。
「そうだなぁ…きっかけはまた後になるけど、大元は多分そうなんだろうなぁ」
千土もまたその言葉を否定せず、むしろ肯定するように呟くと手元の緑茶フロートを飲み切る。
「さて、そんじゃ続きな――まぁ長くなりそうだから多少かいつまんで話してくわ」
そう言って千土は右手と左手の人差し指を指を立てる。
「最後にちらっと名前を出したけど俺には1つ上の幼馴染がいるんだよ――ただ、そいつはどうにも変な奴でな。当時は個性が良く分かんないってことで浮いた奴だったんだ」
「突然変異型か?」
「そ、おまけに自分の意志で発動するもんじゃないから当時は無個性かとも思われてた」
父の炎と母の氷の両方を引き継ぐ轟や母の砂と父の地面の個性が混じり強化された自分とは真逆ともいうべき存在、両親の個性とまったく別の種類の個性を宿した者の事を突然変異型というが正に自分の幼馴染、今では義理の姉である彼女はそれだった。
「ただ、無個性っぽいと思われたが、その割にはそいつの周りではたまに奇妙な事が起こるって噂もあってな」
「奇妙な事?」
「そいつとおままごとに興じていた子供の何人かが口に入れた玩具から味がしたとか、そいつの見てる前でボールを投げたらあり得ない速度が出た…とか」
「――えらく一貫してないな」
「まぁそんな変な噂を本人はまったく気にせず明るい奴で、良くも悪くも捻くれてろくに友達もいなかった俺にも気にせず付き合ってくれてた訳よ、家も隣で家族ぐるみで付き合いあったしな」
左手の指から右手の指を離れさせたり近づけたり、安っぽいジェスチャーを交えて話していた千土だったがパッとその手を広げ――暗い声で続けた。
「――で、そんなある日ある事件が起きました」
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それは忘れることの出来ない幼い日の記憶。
宿題の入ったカバンをぶら下げながら隣の家の玄関を勝手に開ける。
隣の家に住む少女、虚峰 空。
自分より1つ年上の友人、明るい性格で妙に斜に構えた自分とも楽し気に接してくれる人で物心つく前からの付き合いということもあって友人というより姉のようなものと思っていた。
彼女の両親はヒーロー活動で多忙な両親の代わりに良く面倒を見てくれる優しい人達で自分にとってある意味ではもう一人の親とも言えるかもしれない。
そんな家族間で付き合うお隣さんの家に入るのに遠慮はなく自宅同然に把握している家の造りに従いリビングへと足を進める。
リビングの戸を開ければ見慣れた人達の姿、日曜ということもあってヒーロー活動に奔走するうちの父と違い一家揃っての食事だったのだろう父と母と娘の3人の姿。
――けれど、…けれど何故か。何もかもがおかしかった
何故、幼馴染の母と父が床にひっくり返って――幼馴染が涙を流しながらその身体を揺すっているのだろう…
何もかも理解できなかった自分は確か――母を呼びに裸足で家に戻ったはずだ。
結局無事だったのは幼馴染の少女、虚峰 空のみで彼女の両親は死亡が確認された。
後から彼女の両親から毒が検出されたと大人達が話しているのが偶然聞こえて知った。
食卓に並んだ料理からも異常なまでの毒が検出され一家心中やヴィランの犯行が疑われたが結局真相は分からないままとなった。
空姉さんのみが無事だったのは彼女はその時偶然食事に手を付けていなかったかららしく少し違えば彼女も間違いなく死んでいたという――
真相不明な事件の影響で彼女を引き取ろうとする者はおらず、父と母の意向で彼女をうちで引き取ることが決まった。しかし空姉さんは当たり前の様に見せていた笑顔もなくなり食事にも強いトラウマを覚え一切手をつけようとしなくなっていてとてもまともとは言えない状態だった。
自分も何とか彼女を立ち直らせようと何度も声をかけたが結局何一つ出来ず、彼女を引き取った3日後母と父の説得の末に漸く彼女は僅かに回復するのだった。
空姉さんが家に引き取られ初めて食事を取れた日の夜、母が誰かと電話しているのを横目に家の庭へと抜け出した俺はそこでで父と話していた。
大した理由などなくただ液晶に映るヒーローのカッコいい姿に憧れ身近な父がサイドキックとはいえヒーローとして活動する状況に自分も自然とそうなるもの、そうなれるものだと思っていた。
そんな冷めた子供にこの3日間は悪い夢の様に現実を突き付けた。
「ヒーローになるのは難しいよ父さん。別に有名にならなくても自分の住むとこで地道にヒーローやれりゃ良いやって…ずっとそう思ってたのに、本当にその時になったら友達1人元気に出来ないよ」
それは自分にとって久しぶりに親に聞かせた弱音だった。破天荒な母とそれに振り回される頼りない父相手には見せたくなかった弱い自分。
何か遊ぼう、何か食べよう、元気出そう。
そんな言葉しかかけられない自分の無力さがあまりにも悔しくて…父に縋った。
父は穏やかな笑みを浮かべてそんな俺の頭に優しく手を置いて答えた。
「人を救うのは難しいことさ、救いたい人が目の前にいるのにその手の掴み方がいつも分からないんだ。救いたいって気持ちは本気なのにね…」
「…じゃあヒーローはどうすればいいの?父さん達はどうやって空姉さんを?」
「約束をするんだよ、根拠なんて無いのに絶対に救って見せるから大丈夫ってその人に誓うんだ。――身勝手で無敵な、ヒーローだけが言える魔法の言葉をね」
父は地面に膝を着いて俺の耳に口を近づける。
子供のする内緒話のように小さく――その言葉を教えるのだった。
▼▼▼
空姉さんを家に迎えて一週間が経った、その頃には元々姉のように思っていたこともあって隣の家に住む1つ上の友達が義理の姉になっていることへの違和感がなくなり、また空姉も少しではあるがあの事件からの回復を見せていた。
依然事件の真相は分かっていないが、少なくとも今は平和だと、そう思っていた。
父と母の休日が重なったある日、家族4人で外出した。
大したことでもない、ただ街中のデパートに足を運んで適当に遊び、適当に買って、適当に食べて、ただそれだけのつもりだった。
「いやぁ良い天気だねぇ、お出掛け日和だ」
「出費は全部お父さんだからね、遠慮しないで欲しいものは何でも言いなさい」
「あ、あはは、ありがとうございます。おじさん」
笑顔から一転、母の言葉に顔を青くして財布の中を確認する父の姿に空姉さんは引きつった笑みを見せる。
相変わらずの家庭内ピラミッドに呆れるもこうして空姉が普通に笑い、外出できるまで立ち直ったことが嬉しく、それを成した両親の姿はいつもよりどこか大きく見えた。
車を使わずのんびりと歩くのが好きな父に合わせて、下らない雑談を楽しみながら歩いていて家族4人での一時を楽しんでいた。
――前方から1人の細身の男が歩いてきた。
もしも今の自分がその場にいればあるいはヒーロー志望の矜持を捨ててでも殺しにかかるやもしれないその男をその時の自分は見かけない人だなとしか思わなかった。
「…え?」
逆方向から歩いてくるその男との距離が自然と縮まりすれ違う瞬間に――その男は父へと飛び込み、そういう個性なのだろう、形状を大きくそして鋭く変容した右手の爪が父の肩を貫くのを理解出来ずにいた。
「父さ――」
「クク…ヒッ…ヒハハハハハッ!!良いザマだなァヒーローの腰巾着ゥ!!」
赤い血を流す肩を抑える父に震えた声をかけるも狂った様な男の大声がそれを掻き消す。
他人を傷つけ嘲笑う、それはいつも目にする個性を用いて盗みやルール違反を犯す犯罪者達とは決定的に違う本当の意味での悪――ヴィランそのものだった。
その存在はどれだけヒーローの活躍を讃える映像で見たのだろう――しかし、この目で直接見るのは初めてで肌を刺す剥き出しの殺意、狂気に染まる笑い声が心臓を握られたような底知れぬ恐怖を与える。
――そしてそれは自らの両親を目の前で突然失った空姉さんのトラウマと最悪の形で噛み合ってしまった。
「ぅあ…あ…あああぁぁ」
「っ!?いけない!!空、落ち着いて!!」
声を震わせ顔を覆う空姉の身体から黒いモヤの様なものが噴き出す。
明らかに異常な様子の空姉さんに母が駆け寄るも謎のモヤは止まらず更にそれに呼応するかの様に目の前の男の足元からも同様のモヤが漏れ出す。
「何だこれは?そのガキの個――うおおおおぉぉぉぉっ!?」
一瞬だった。
ただ漏れ出していたモヤがまるで間欠泉の如く急激に噴き出して男の姿の飲み込む。
やがてモヤは意志を持つかの様に蠢き形を造る。
頭が1つ手が2つ、足はモヤに覆われ見えないが紛れもなく人の輪郭――しかしモヤの中から現れた"それ"は人が持つべき皮も肉も無く禍々しい黒い骨があるのみ。
細長いその不気味な巨躯は3メートルを越えそれを見上げる者が連想はするはただ一つ。
――死神
両親を目の前で失った少女のトラウマは新たな親の命を奪おうとする男への恐怖と混じり合い――"死"のイメージという空想に形を与えてしまうのだった。
――これが千土にとっての一つの終わりと今の自分を形成する事件の始まりであった