篠ノ之 箒は歪まない。既に確固たる芯が己の中にある故に。彼女の個性、彼女を彼女たらしめる強固な芯があるから。そして愚直なまでにその渇望を操り、従え、ひた隠しにし。故に箒の異常性は誰に知られる訳でもなく、ただ息を潜め続ける。
ただ目的は一つ。己より全てを奪った姉を殺す為に。ただそれだけの為に箒は牙を研ぐ。研鑽も、修練も、学習も、何もかもが全ては篠ノ之 束を確実に屠る為だけのもの。姉を殺すだろう力を鍛える事が何よりも娯楽で、想像の中で繰り返す殺戮劇には口元を釣り上げて低く笑う。
彼女はそれ以外にはいらない。求める意味も価値も必要性もない。――ただ一つの例外を除いて。
* * *
IS学園。日本に存在するISの操縦者を育成する教育機関である。多くの学生が未来の期待や新生活に心躍らせて進む学園の入り口。その入り口を箒は何も感慨も浮かばないまま潜り抜けた。
篠ノ之 束の妹、という事もあったが、本人にも入学の意志があった事から箒の入学の話はとんとん拍子で進んだ。入学までの一連の手続きを箒はただ機械的に処理した。ただ、ただ、自分に絡む人の意志など置き去りにして。
(……私も姉も大して変わらんな)
方や、ごく少数の特定の人物としか会話をせず、己の思うままに振る舞う姉。
方や、友人なども作らずただ剣道の稽古に明け暮れ、一人の時間が多い自分。
やはり姉妹なんだろう、と。忌々しい事この上ないが、事実が故に否定出来ない現実がある。姉は自分を変えよう、だなんて思っていないだろうし、自分もまた然りだ。
自分が望むままに。それ以外に興味など沸かない。あぁ、本当に嫌になるぐらいにそっくりに思えてきて歯軋りをしてしまう。爪を噛んでしまいそうになるのを必至に堪えながら、自らを落ち着かせる為に深く息を吐き出す。
(……似ていようがなんだ。そうだ。そもそも妹なんだ。そんな面もあって当然だ。ただ、そんな事はどうでもいいだろう? 私の価値などないんだ。ISの開発者、篠ノ之 束という妹という称号がある限り。私はただ奪われるだけだ。私に、篠ノ之 箒に価値など欠片すらない)
――そう、だから決めたのだろう? 殺すのだと。
自らの内に響く己の声に頷く。そうだ、と。私はいつだって篠ノ之 束の付属品のままなのだ。故に私が望んだものは手に入らなかった。だから殺さなければ。私という存在を護る為に。自身が望むものを奪い続ける姉を。
何度も、何度も、己の心に刻みつけるように箒は繰り返す。まるで呪詛にも似た繰り返し。そうしている間に箒は気を落ち着かせる。昂ぶらせた気は霧散し、吐息と共に残滓を吐き出す。
(……イカれたものだな。私も)
表面には出さぬ事を意識しながらも、自らを振り返り箒は呆れかえるしかない。だが今更な話だ。幾度も繰り返してきた事だ。呆れかえった事など最早、数える事すら億劫になる。自己嫌悪を覚えた事などそれもまた数えられもしない。
それもこれも全て姉が悪いのだ、と。そうしてこなければ支えられない。今にも死んでしまいそうで。だから姉が許せない。例え誰もが姉を許すとしてもは認めない、と。私が悪であろうとも、それで私が笑えるならば私は喜んで悪になろう、と。
「……行こう」
吐息を一つ零す。延々と繰り返す思考のループを思考の外へと追い出す。自分に足踏みしている暇など無いのだ、と。足を止めている暇など無いのだ、と自分に言い聞かせながら。
気持ちを落ち着けた箒は自らの学舎となるIS学園の中へと足を踏み入れる。ここも所詮、通過点にしからならないだろうと冷めた目つきで学園を一瞥しながら。
* * *
自分に割り当てられた席に座った後、箒は周囲の喧噪を耳にしながら瞑想していた。人々の声は雑音と成り果て、意味のない音へと変換される。箒はただ瞳を閉じてぼんやりと座るだけだ。
会話などいらない。交わす意味も理由もないからだ。先程から己に声をかけてきただろう挨拶にも冷淡に無反応で返した。それで自分に近寄ってくる雑音が無くならばそれに越したことはない、と。
「――あれ? お前、箒か?」
その態度を続ける筈だった。なのに耳に飛び込んでくる雑音とは毛色が異なる声が聞こえた。それは男の声だった。まずその時点で疑問を抱くのに、更に疑問なのは自分の名を呼ばれた、という点であった。
瞳を開く。自分の席は最も窓側だ。必然的に声は廊下側から聞こえてきたのだが、自分から二つ、横隣の席に彼はいた。呆然と口を開け、まるで確かめるようにこちらを見てくる。
誰だ? という疑問は一瞬。まさかという逡巡は刹那。そして何故、という疑問が巡る。普段の鉄仮面すらも外し、箒は愕然とする他無かった。
「……一夏?」
織斑一夏。
篠ノ之 箒にとって唯一と言って良いほど心を許したただ一人の人。大切な友にして、初恋だった人。別れたくないと、引っ越したくないとそう駄々をこねた理由こそ彼だった。
彼がいたから。彼が好きだったから。だから姉が憎かった。姉を殺したかった。姉に怯え、その経緯から友達が出来ず、そんな中で自分と共にいてくれたただ一人の人。その人が目の前にいる。
(――……あぁ、一夏だ)
愕然とする。彼だとわかってしまう。面影がある。間抜け面を晒しているその顔に過去、どれだけ恋い焦がれて来たのか彼は知らないだろう。
今でも愛おしいとは思う。懐かしさもある。親しみもある。だが、過去ほどの感情の発露はもう無い。おかしくなるぐらいに彼に対して愛情を感じられない。あったとしてもそれはどこか遠く、彼方の人を見るようなものだ。
何故なのだろう、と考えてみればすぐに出る答えだ。もう自分は恋する少女などではない。そんな過去の自分などいない。復讐を心に誓った時から箒は身を憎悪で焦がすだけのものとなったから。
(……それも、そうか)
自嘲する。だってそうじゃないか。もう遅いんだ。過去を懐かしむ余裕も、過去に戻りたいという思いも糧にして、ただ復讐の刃を研いだのだ。何もかも捨てた時、言うならば篠ノ之 箒は一度死んでいる。
残された思いはただの残骸。彼が好きだった、という事実のみ。もう恋人など、そんな甘酸っぱい関係は望まない。己には不要なのだと、どこかで心が冷淡に判断を下している。
今更、一度殺したものは蘇らない。何より、今の自分を捨て去る事など出来やしない。時計は逆戻りはしない。時は無情にも流れゆく。それは最早、致命的なまでに。だから箒は復讐者である事を止められない。それが今の箒の基盤なのだから。
それが自分を打ちのめす。思わぬ感動の再会が、省みた自分に深く刃を突き刺していく。過去の自分が、今の自分の無様な姿を哀れむように、憎むように。それがどうしようもなく痛い。全身がばらばらにされてしまいそうになる程までに。
「やっぱり箒なのか? ……えと、6年振り、だよな?」
「……あぁ。そうだな。久しぶりだな。一夏。6年ぶりだ」
だから彼すらもどうでも良いと。その事実が泣きそうになる程、胸を締め付ける。親しげに声をかけてくる彼が眩しい。耳に届く愛おしかった声が辛い。
「お、おい!? 何で泣いて……!?」
「……あぁ。なに、本当に久しぶりだな、と思ってな」
一夏が驚いたように慌てふためく。ふと、自分の頬に触れてみれば、確かにそこには涙が流れていた。
これはきっと残骸が流しきれなかったものだ。参ったな、と思いながらも制服の袖で涙を拭う。笑えているだろうか、と思いながら笑みを作った。いつものように。そう、いつものように全てを心の底に押し込めてしまおう。
「また会えて嬉しいよ、一夏」
ただ一言。それだけは、どれだけ心が痛もうとも嘘には出来ないから。
* * *
「お前、俺がIS動かせたって、ニュースで見てなかったのか?」
「全く。ニュースなど興味が無くて見てなかったからな」
「……お前、テレビとか見ないのか?」
「全く」
一夏は呆れたような吐息を零しながら、突然の再会をした幼馴染みの顔を覗き見る。切れ目の意志の強さを現している。髪型は過去の彼女と変わらない。記憶に残る過去の彼女をそのまま育てたような、と言うべきか。
これはIS学園という、本来は女性しか動かせない筈のISを起動できてしまったが為に入学せざるを得なかった一夏にとって朗報であった。見る限り女性、女性、女性、男など自分一人と言っても過言ではないこの環境。
何の因果か、織斑 一夏は世界で一人、“ISを動かせる男”としての肩書きを得てしまった。その経緯には色々と経緯や事情があったのだが、その結果がIS学園という女子しかいない学園への転校。不安を感じるなと言う方が無理だろう。
その中でかつての幼馴染みがいてくれた、というのは一夏にとっては朗報以外の何者でもなかった。しかも幼馴染みもしっかりと自分の事を覚えていてくれた、という事には本当に感謝の念しか沸かなかった。これで誰ともわからずに赤の他人に思われたなんて日には泣いていた自信がある、と。
その感動も、彼女と話している内に呆れに変わっては来ているのだが。どうにもこの幼馴染み、篠ノ之 箒は更に尖った成長の仕方をしたようだったからだ。
昔から頑固な面が見られたが、それが年月を経て更に強固なものへと進化していたようだ。テレビを見ない、そんな時間があるなら竹刀を振ってたとかどんな剣道馬鹿だよ、と一夏が思ったのは仕様がないだろう。
「もっと他に興味が無かったのかよ?」
「全く」
「……お前なぁ……」
輪をかけて酷くなってしまった幼馴染みに漏れるのは吐息だ。こんなんで良いのか? と思わざるを得ない。全国大会で優勝した事を知って、ちょっと喜んだのに。中身を知ってしまえば喜べるかどうか微妙なものだ。
一に剣道、二に剣道、三も四も剣道で、五にも剣道だ。紛う事なき剣道馬鹿。それが一夏が再会した箒につけた評価だった。はぁ、と呆れたように肩を竦めながら一夏は箒に告げた。
「折角、元が良いんだから勿体ないぜ?」
それは一夏の本心だった。久しぶりに再会した幼馴染みは綺麗になっていた。浮かべる表情や仕草は変わらないのに、ぐっ、と女性らしくなった姿には思わず少しばかり感動した。
その姿がまるで姉の千冬にも似ていた事が原因の一つであろう。一方で、一夏から投げかけられた言葉に箒は目を丸くして何かに驚いているようだった。
「……なぁ、一夏」
「ん?」
「お前、私を口説いているのか?」
「何故に!?」
一夏の疑問に箒は鼻を鳴らしてスルーした。何故に俺が箒を口説いていると言うように取られたのかがさっぱりわからない。ただ褒めただけなのに、何考えてるんだこいつ、と一夏は思わず怪しむように箒の顔を見る。
一夏の視線に気づいたのか、箒は軽く小首を傾げてみせた。解せない、といった表情でだ。
「……私の顔に何かついてるのか?」
「別に。お前、何考えてるのかな、ってな」
「私が今、考えてる事? そうだな……」
箒がそう口にした時、鐘の音が響き渡った。
「そろそろHRの時間だな、という事だ。席に着いた方が良いぞ?」
* * *
「これは予想以上にきつい」
「耐えろ。私からはそれしか言えん」
朝の最初のHRを終え、燃え尽きた一夏の呟きに箒は同情するように励ましの言葉を贈った。
ISは本来は女性しか動かせないもの。故に此処、IS学園では男は彼一人のみ。その状況がどれだけ過酷か、女の身である箒には理解は出来ない。それでも彼の憔悴振りを見ればどれだけの苦痛なのかは想像に難くはない。
「しっかし、千冬姉がここで教師をやっているだなんてなぁ」
「何だ。知らなかったのか?」
「全然。千冬姉は帰ってきても職場の事、話さなかったしな」
「ふぅん」
千冬姉。それは織斑 千冬の事であり、最強のIS使いとして名を残す人だ。そもそもISの知名度を広めたのは彼女であり、彼女があってこそのISというのもまた過言ではない。
事実、箒の模索する最強の在り方には千冬の姿が重なるものがある。自身が続けてきた剣道という道に、千冬が扱ってきた武装はブレード一本という装備。
重ねられずにはいられない。そう、何よりあの姉が信頼していた、箒と一夏を除き、親しい者として認識する人なのだから。そして、いつかは彼女を超えなければならないから。
彼女は現在、この学園で教師を務めている。しかも二人の担任。一夏はその事実に頭を抱えているが、箒としては逆にあの人に教わるならば、と歓迎していた。知る事は必要だ。いつか来る日の為には。
「……はぁ、一息吐くまでの時間が本当に苦痛だぜ」
一夏がぼやくように言う。担任である千冬と、副担任である山田真耶というどこか抜けた先生の自己紹介とクラスメイトの挨拶で朝のHRが終わり、今は次の授業が始まるまでの休憩時間だ。
その時間で二人は今まで互いにどう過ごしていたか話していた。一夏は帰宅部で過ごした事、箒は剣道にばかり夢中になっていた事。互いに互いの近況に呆れたり、笑ったりしながらも二人は今まで離れていた時間を埋めるように話を続ける。
「……しかし、あれはどうにかならんのか?」
「知らん」
一夏の視線の先には箒と一夏の会話を盗み聞きしている女生徒の姿が見える。それも一人ではなく複数。その群れを見て一夏は溜息を吐き、箒は半ば関心した様子で女生徒達を見る。
どうにも聞こえる限り、自分たちの関係を怪しんでいるようだが、実際問われても幼馴染みとしか言いようがない。だがそんな関係ですら一夏には貴重なのだろう、というのが嫌でもわかる瞬間だった。
「……確かにこれは酷い」
「だろう?」
「だが私には関係ないな」
「鬼か!?」
所詮は一夏の問題だな、と箒は一つ頷きを以て納得する。それが不満だったのか、一夏が箒を恨めしそうに見ているが、実際同じ境遇を共有出来る訳でも、その立場を代わってやる事も出来ない。
まぁ、哀れみの感情ぐらいはある。箒はこほん、と小さく咳払いをして一夏に向き合う。未だに箒を恨めしそうに睨む一夏に箒は優しく、ぽん、と肩に手を置いた。
「精々頑張れ」
「くそっ……! その満面の笑顔が逆にむかつく!!」
* * *
授業中、箒は退屈をしていた。授業で説明された内容は既に姉に送ってもらった資料で知り尽くしたものだ。今更聞いても別に得るものなどない。いっそ聞いている振りをして寝るか、と思う程だ。
故に、ついつい視線が一夏へと向く。教科書を前にして顔を青くしている一夏に箒は思わず鼻を鳴らしてしまう。見る限り、どうにもわからないようだ、と。一夏にとってはいきなり舞い込んできたこの状況なのだから、備えも何も無いのだろう。
気の毒な事だ、と思いながら箒は出席簿で千冬に頭を叩かれている一夏を見守り、欠伸を噛み殺すように肩を竦めた。
そして意識をぼんやりとさせていれば、いつの間にか授業が終わっていたようだった。漂っていた箒の意識を呼び戻したのは、耳に付くような雑音だった。
「私を知らない!? このセシリア・オルコットを? イギリスの代表候補生にして、入試主席のこの私を!?」
ほぅ、と箒はその声を雑音としてではなく意味ある言葉として聞き入った。代表候補生という事は、つまりISを動かせる人間の中でもエリートに部類する人間なのだろう。
初めて見る、と箒は興味のままに当事者へと視線を向けた。そこには如何にもお嬢様と言うべき風貌をした少女がいた。纏う雰囲気からしてお嬢様と主張している姿に思わず箒は感心を覚える程だ。
そして、絡まれている相手があの一夏というのが思わず吹き出してしまった。何をやっているんだ、アイツ。だが状況から察するに無知な一夏があの見るからに自慢したがり、称えられたがりの女の逆鱗にでも触れてしまったのだろう。
これが篠ノ之 束がISを世に送り出した事で生み出されてしまった歪みの1つ。女尊男卑の思想だ。ISを使えるのは女性だけであり、ISを動かせない男という存在は女にも劣る、と。
実際、箒からすれば鼻で笑ってしまう話だ。ISの本来の意義すら歪めてまで自分の優位性を得ようとする人の浅ましさ。醜い生き物だな、と箒は嘲笑う。
束が失踪した為、ただでさえ数が限られているISコア。それ故、ISの上限数も決まっている。それなのにISを使える女こそが至上というのは些か、箒には理解出来ない。
ISが使えるから偉いのか。ISにも乗っていない女がよく吠える、と。箒にとっては男も女も、等しく人間で、人間など浅ましい生き物だと認識しているからこそ。
だから箒は一気に騒ぎ立てる代表候補生に興味を失った。所詮はつまらない奴だったか、と。
「……しかし、あの馬鹿は厄介な事に巻き込まれているな」
内心、どうでも良いが、と思いながらも箒は吐息を吐き出す。一夏が絡まれ、怒鳴られ、困ろうが自身にはさして興味がない。精々、不憫な目にあっているな、と思う程度だ。それに思う事が無いわけではないが、事実なのだから仕様がない。
「本来なら私のような選ばれた人間と、クラスを同じくすることだけでも奇跡、幸運なのよ。その現実をもう少し理解していただけるかしら?」
「そうか、それはラッキーだな」
一夏、その切り返しは逆に馬鹿にしているようだぞ、と箒は低く笑う。見るからに相手は不満を顔に出している。それからまた何かが一夏が言ったのか、彼女は肩を怒らせて席へと戻っていった。
授業への態度は真面目な所を見ると、悪い奴ではないのだろう、とは思う。それもどうでも良い事だと箒は肩を竦めて、再び意識を己の中へと埋没させるのであった。