「……まったくわからん」
一夏は頭を抱えていた。何故頭を抱えているかというと授業の内容がさっぱりわからないからだ。ならば投げ捨てる、という手も一つなのだが、今の一夏にはソレが出来ない理由があった。
時は遡る事、数時間前。IS学園の慣れぬ授業に四苦八苦する中、姉である千冬から告げられたのはクラス代表を決める、との事だった。
真っ先に推薦されてしまったのは一夏だった。唯一の男でISを起動出来るのだから、という理由だったのだろう。実力などではなく物珍しさからの推薦だったのだろうが、これに多数の意見が賛同してしまったのもまた一夏の不幸だったのだろう。
しかし彼の不幸は留まる事を知らない。これに激昂したのはイギリスの代表候補、セシリア・オルコットだ。
そこから始まる売り言葉に買い言葉。頭に血が上った自分もセシリアに喧嘩を売り、売られた喧嘩を買ったセシリア。結果、決まったのはクラス代表をかけてのISによる対決。対決は一週間後。セシリアと口論した際には熱していた頭も冷めてくれば、不味い事をした、と一夏は後悔した。
「ISの事なんかさっぱりわからんし、授業も頭に入らないし、どうすれば良いんだ」
息が重たく吐き出され、空気に飲まれて消える。机に突っ伏して顔を机にくっつければひんやりとした机の感触が心地よい。動く気力もなく、一夏は暫く突っ伏したまま動かない。
「あ、織斑君。良かった、まだ教室にいたんですね」
「……山田先生?」
突っ伏していた一夏だったが頭上からかけられた声に顔を上げる。顔を上げれば副担任である山田真耶がいた。彼女はどこかほっ、とした様子で一夏へと話を続けた。
「実はですね。織斑君の寮についてのお話なんですが……」
「あれ? あの、俺は暫く自宅から通うって話だったんじゃ……」
「警護の問題もあってな。お前には今日から寮暮らしをしてもらう」
「千冬姉! って、アイタァッ!?」
「放課後でも学校の中では織斑先生だ」
真耶の横から一夏の疑問に答えたのは千冬だ。突然の千冬の登場に驚いた一夏だったが、僅かに眉を顰めた千冬に出席簿で頭を強打される。頭を抱え込みながら苦悶の声を挙げる一夏に千冬は鍵を差し出した。
1025とナンバーが銘打たれた鍵を見て、一夏は痛みを忘れたように勢いよく顔を上げた。このままでは勝手に話を進められる、と一夏は抵抗を試みようとする。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 俺の生活用品とかは……」
「必要最低限のものは私が持ち込んでおいた。後は休みにでも揃えろ」
「そんな!」
「これは既に決定事項だ。わかったな? 織斑」
「……はい」
納得がいかない、と思いながらも千冬姉がこう言うのだ。仕方ない話だ、と受け入れるしかない。肩を落として一夏は深々と溜息を吐くのであった。
* * *
「……ここか」
一夏は荷物を纏めて寮へとやってきていた。1025と扉のナンバーと間違いがない事を確認して一夏は部屋へと足を踏み入れた。
「おぉ、けっこう綺麗な部屋だな」
一夏は部屋を見渡して呟く。清潔そうな雰囲気に二つ並べられた机とベッド。高級なホテルの一室と見間違うような部屋に一夏は少しばかり心が躍った。
そう。二つ、並べられたベッドと机があるのだ。一夏は荷物を置きながらベッドと机を前にして腕を組み、顎に手を添えるようにして考え込む。
「……いやいや。まさか女子と同室だなんてそんな」
あり得ない。一夏がそう口にしようとした時だった。
扉が開く音がした。だた開いた扉は一夏が部屋に入る際にくぐった扉ではない。その手前にあるもう一つの扉が開いたのだ。僅かに湯気が見える事からシャワールームなんだろうな、と一夏は固まる身体とは別に思考する。
「……ん?」
中から出てきたのは―――身に何も纏わぬ箒だった。
ポニーテールに結んでいた髪は無造作に流し、バスタオルで髪を乱雑に拭う。そして自分以外の誰かがいる事に気付いたのだろう。視線を向けてみればそこには一夏の姿がある。
きょとん、と。呆気取られたように箒が一夏へと視線を送る。代わりに一夏は呼吸すら止めていた。そう、箒は身に何も纏っていない。更には呆気取られている為に身動きもしない。それはつまり箒の身体が無造作に晒されているという事だ。
「……一夏?」
なんでここに? と。箒は怪訝そうな顔を浮かべる。バスタオルで拭いながら髪をかき混ぜる。一夏はぱくぱく、と陸に打ち上げられた魚のように口を開閉させて、硬直していた。
何とも言えない沈黙が流れる。はぁ、と箒が吐き出した吐息が場の空気を変える。頭を拭っていたバスタオルを前にやり、身体を隠すようにして一夏に向き直る。
「いい加減正気に戻ってくれないか? ……それとも、じっくり見たいのか?」
「―――お前は何を言ってるんだぁああああああああ!?」
箒の問いかけに一夏は力の限り叫ぶ。そこでようやく一夏は身体の硬直から解放され、箒に背を向ける。どきどきと鳴る心臓の音がうるさいとさえ思えた。
「い、いいから早く何か着ろ!」
「……勝手に入っておいて随分な言い草だな?」
「お、男の前で無闇に肌を晒すなっつーの!」
「それを言うならば女子の部屋に何故お前がいるのだ」
箒は一夏を気にした様子もなく、一夏が荷物を置いたベッドとは反対側のベッドに向かう。そこには箒の荷物が詰められている鞄を取り出し、中から下着も含めた着替えを取り出す。
箒に恥じらう様子がない事が一夏がこの状況に対して混乱するのに拍車をかけていた。こいつは恥じらいをどこに捨ててきた!? と一夏は強く叫びたかった。先ほど目に焼き付いてしまった箒の裸体が脳裏から消えてくれない。
着替える為の衣擦れの音がまた嫌に耳に届いて脳裏の箒の姿は消えそうにない。勢いよく頭を振ってなんとか追い出そうとしているが、上手くいかない。いっそ頭を地に叩き付けようか、と一夏は思った時だ。
「着替えたぞ」
「お、おぅ」
衣擦れの音が消え、振り返ればそこには寝間着なのだろう、浴衣を纏った箒が見えた。その姿が様になっていて、箒らしいと一夏は思った。
箒はベッドに腰掛けて一夏と視線を合わせる。一夏は床に座っている為に箒が見下ろす態勢となる。
「で?」
「……その、俺の部屋、ここなんだけど」
「そうか。じゃあ私と同じ部屋という事か」
「や、やっぱりそうなのか!?」
「だからお前がここに来たのだろう。アホか」
「アホとは何だ! アホとは!」
「まぁ良い。私はもうシャワーを使ったから使うなら好きにしろ」
箒は言いたいことは終わった、と言わんばかりにベッドに寝転がった。荷物の中から取りだした携帯端末を取り出して眺め出す。最早、一夏など眼中にない、と言わんばかりの態度だ。
「ちょ、ちょっと待て! お前良いのか!?」
「何がだ?」
「お、男と同室なんだぞ?」
「構わん」
「構えよ!」
「並大抵の男に組み敷かれる程、柔ではないし……なんだ? 襲うのか?」
にやり、と箒は笑って胸元をはだけさせる。鎖骨ばかりか箒の大きく育った胸が存在を主張し、一夏の目に飛び込んできた。
一夏は奇声を上げて目を両手で塞いで俯いた。先ほど見てしまった箒の裸体がまた脳裏に浮かんだから。これは余りにも青少年には目に毒過ぎる。
「ば、馬鹿野郎! はしたないぞ!」
「ふん。お前のような腰抜けに襲われても返り討ちに出来る。安心しろ」
「そういう問題じゃねぇよ!!」
「じゃあどういう問題だ?」
「だ、ど、どういうって……! その、そう! あれだ! “男女七歳にして席同じくせず”だ!!」
「知らんな」
「勉強しろぉぉおおおお!!」
「今してるだろ、五月蠅いな」
箒は寝そべりながら携帯端末に視線を移しながら言う。ガッデム! と叫びながら一夏は強く床に両手を叩き付けた。この幼馴染み、妙な方向に成長したようだ、と歯を強く噛みしめる。
「訴えても無駄だろうに。むしろ幼馴染みならば、という配慮なのではないか?」
「う……。そ、それはそうかもしれないけど」
「だったら我慢すれば良いだろう?」
「……わかったよ」
はぁ、と一夏は諦めたように溜息を吐いた。今、ここで何を言ってもこの状況は覆らないだろう。箒の言う配慮も考えてみればそうなのかもしれない。
流石に見ず知らずの同年代の女子と同室というのはそれこそ勘弁願いたい。むしろ箒が幾分かマシなのでは? とさえ思えてきた。
全く持って前途多難だ。一夏は再度、大きな溜息を吐き出した。
* * *
「……ねみぃ」
「慣れろ。でなければ辛いだけだぞ?」
大きな欠伸をしながら食堂へと向かう一夏。その隣を歩くのは箒だ。一夏は箒の言葉に箒を恨めしそうに言う。
昨夜、あれから箒は一夏より先に寝入ってしまった。無防備に眠る姿に箒の襲うのか? という言葉が反芻されて一夏は布団を被るようにして眠ろうとした。
しかし僅かに聞こえる寝息と気配が一夏から眠りを遠ざけていた。羊を何匹数えたかもわからない。結局あまり眠れず、欠伸が止まらない訳だ。
「……だったら昨日、あんな事言うなよ」
「悪いが、それもまた事実でな。偽るつもりは無い」
「恥じらいとか持ってくれよ、頼むから……」
「知るか。私は別にお前が私に欲情しようが知った事ではない」
「欲情とか普通に口にするな!! あぁ、もうっ!!」
「声がでかいぞ馬鹿者」
肘で腹を小突かれ呻く一夏。お前が原因なんじゃないか、と箒の理不尽さに一夏は恨めしげに箒へと視線を向けるも、箒は気にした様子もなく歩いていく。それに不満を覚えないでもないものの、一夏は箒の後を追う。
「……そうだ。箒。頼みがあるんだが」
「頼み?」
「ISの事について教えてくれないか? 俺、このままじゃセシリアに何も出来ずに負けそうだ」
カウンターで料理を受け取り、席に着きながら一夏は箒にそう頼んだ。身近に頼める人材と言えば箒しかいない。箒は一夏の頼みにふむ、と呟きを零しながらも食事を始める。
「別に、教えるのは嫌ではない」
「ほ、本当か!?」
「だが、一週間で私が教えられる事など少ないぞ? 教えられると言っても、精々ISの特性とISバトルの注意事項ぐらいだ。後の専門知識は一週間で身につけたとして意味があるのか、と問われるとな」
「……そ、そうだけど」
「まぁ、頼まれた以上は何とかしてやる。セシリアに勝つための方法だろう? まぁ、考えておいてやる」
「いや、それでも良い。助かるよ、箒。箒がいてくれて助かった。もう相談しようにもする相手もいねぇし……」
そう言って一夏は人懐っこく笑った。その笑みは昔の笑みの面影を残すもので箒の心を揺さぶった。が、それが箒に苦痛を与える。彼はこうも昔も面影を残しているのに、自分は変わり果ててしまった、と。
今更な話だが、それでも時折辛い。どうしてあのままでいられなかったのか、と心が叫ぶ時がある。一夏の顔を見ていると、一夏の声を聞くと、少し、辛くなる時がある。だが、それに敢えて蓋をして箒は微笑んだ。
「ふん。借り一つ、だからな?」
* * *
「姉さん、イギリスの代表候補の第三世代IS、“ブルー・ティアーズ”の情報が欲しいんだ。調べられるか?」
箒は携帯を耳に当てながら電話の相手へと声をかける。学校は昼休み、屋上には人の姿は箒以外にはいない。箒は人が来ても隠れられるよう、屋上の隅の柵に体を預けるように座っている。
『箒ちゃん、了解だよー! 他でもない箒ちゃんの頼みだから一切合切漏らしなくホットな情報をお届けするよー! あ、ちなみにいっくんのISは私が作ってるからデータだけならすぐ送れるよー?』
携帯から漏れてくるのは果てしなく陽気な声だ。相変わらずだ、と思う。箒が連絡を取ったのは自分の姉である篠ノ之 束。正直相手にもしたくないが、ことISにおいては利用出来る、と箒は踏んでいた。
箒が最も嫌い、最も憎み、その上で最も恐れ、最も油断ならぬ、そして最も利用価値のある人。複雑な思いを抱く相手だが、利用しない手はない。
それに何となく予想が付いていたのだ。一夏のISに彼女が絡まない訳がない、と。彼女を知るが故にその予想はあった。
「やはり、か。姉さんが一夏のISを作るのか?」
『もっちろんー! だって他ならぬいっくんのISだよ!? この束さんが絡まない訳がないじゃないー! ……ま、私が一から作った訳じゃなくて、がらくた扱いになってた良い物があったからそれを流用しよう、って事でね!』
「まぁ、そんな事だろうと思った。じゃあ情報は纏めてくれ。いつ送ってくれるんだ? 出来れば今にでも欲しいんだが?」
『うん、わかったよー。じゃあ今から送るね。ほいほい、ぽちっとなーっ!!』
ぽち、と電話の向こう側から聞こえた。瞬間、箒の持っていた電子端末にメールの着信が表示される。なにやらデフォルメされた束が画面の隅でちょこちょこ動いているのが気になる。
だが敢えて箒は無視をした。直視し続けていれば画面を粉砕しそうになりそうだったからだ。
『はい、情報はばっちり送ったよー! んじゃお姉ちゃんはちょっと手が離せなくなるからこれでね! まったねー、箒ちゃん!』
最後の言葉を残して通話が切れる。通話が切れれば携帯電話をポケットにしまい、携帯末端へと視線を向ける。束から送信されたメールを開き、中のファイルを展開する。
そこには一夏の対戦相手となるセシリアのIS、ブルー・ティアーズの情報と、ISの設計図が添付されていた。
「……“白式”、ね」
ISの設計図に記されている名を読み、箒は目を細めるのであった。
* * *
「白式……これが俺のISなのか?」
「姉さんが手がけているそうだ。これがデータだ」
その夜、自室に戻ってきた二人は携帯端末に束から送られてきたデータを表示し、その情報を閲覧していた。表示される画像には全体図などが載っている。外観を見て一夏が感動したように声を漏らしている。
箒は白式の情報を学園でも使われている練習機でもある“打鉄”と性能を比較して白式がどのような特性を持つ機体か、一夏にわかるように説明する。それに一夏がふんふん、と頷いている。
「つまり、白式って纏めるとどういう機体なんだ?」
「完全な近接特化型だな。スペック上は打鉄に比べるとかなり速度が出せる。あくまでスペックは、だが。随分とピーキーな仕様だな」
「ま、マジか!? そんな機体で大丈夫なのか!?」
一夏の感嘆だった声は次第に驚きの声へと変わり、今となっては不安を煽る結果になっている。聞けば聞くほど、素人である自分にそんな機体が扱えるのかどうか不安になってくる。
そんな一夏の様子に箒はくすくすと笑う。何がおかしい、と不満げに一夏は箒へと視線を向けた。すまない、と一夏の一言謝ってから箒は言葉を続けた。
「まぁ、そうだな。今回に勝てるにせよ、勝てないにせよ、これは一夏にとって相応しい機体かもしれないぞ?」
「? 何でだよ?」
「白式は千冬さんが使っていた“暮桜”の後継機として開発されていたそうだ。“暮桜”が持つ単一使用能力“零落白夜”を再現する為の、な」
「そうなのか!?」
「あぁ。まぁ、開発が頓挫して放置されていたらしいのだが……姉さんが手をかけるなら問題はないだろう。つまり白式は“零落白夜”を再現する為の機体だ。姉さんの仕様を見る限り、同じ単一仕様能力が得られる可能性は高い」
「……千冬姉と同じ力」
世界最強のIS乗り、ブリュンヒルデの名を欲しいままにした千冬は刀一本で世界最強へと上り詰めた。
雪片。彼女の手に握られていた最強の称号を至らせた刀。そして単一仕様能力“零落白夜”。
ISにはシールドバリアーという搭乗者を保護する仕組みがある。これが身体全体を覆う事によって高い防御力を有している。だがこれは搭乗者の命を守る為に莫大なエネルギーを消費する事になる。
致死レベルの攻撃であれば絶対防御が発動し、最悪エネルギー切れにまで追い込まれる可能性があるのも事実。
そして“零落白夜”は自身のシールドエネルギーと引き替えに、対象のエネルギーを消失させる特殊能力だ。つまりシールドバリアーを無効に出来る。この絶対たる刃があったからこそ千冬は最強たり得たのだ。
箒は改めて白式の設計図を見る。これは明らかに千冬が乗っていた“暮桜”を意識して作られている。開発が頓挫し、封印されていたという話だが、あのISに関しては比肩しうる者がいない束の事だ。間違いなく“使える”ようにして送ってくるだろう。
一夏は強く拳を握りしめ、モニターを食い入るように見つめている。一夏の顔は真剣そのものだった。それは何かの覚悟を決めた少年の顔。
あぁ、やはり彼は変わらない。昔も、そして今も面影を残している。純粋な驚きと喜び。そしてその成長を共に見、歩む事が出来なかった無念が箒の胸を締め付ける。
「箒。俺、負けられない理由が出来ちまった」
「……そうか」
感情を抑え込みながら、一夏の宣言に小さく返答するので精一杯だった。ゆっくりと深呼吸をする。気を落ち着かせて一夏の顔を真っ直ぐに見つめる。
「実機がない以上、やれる事は限られている。だが、出来うる限りは協力しよう」
「もう十分箒はやってくれてるよ。後は、俺がどれだけやれるかどうかだ」
「そうだな。では、久しぶりに稽古でもするか? 剣が主体なんだ。ISと生身では違うが、それでも参考にならない訳でもあるまい?」
「……帰宅部だったことに後悔はねぇけど、もう少し剣道を続けても良かったかな、こりゃ」
「ふふ、何があるかわからないからこそ、人生だろう?」
「……それもそうだな。よし! そうと決まれば頼むぜ、箒!」
これから数十分後、久しぶりに竹刀を握った一夏は、錆び付いた太刀筋を箒に晒した。箒はこれに酷く呆れる事となる。そして箒が容赦なく一夏を滅多打ちにするという光景が生まれたのは自然の流れだったのかもしれない。