ウルトラ・ショート・ストーリーズ   作:外清内ダク

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究極の地図

 後藤氏には悩みがあった。それは、極度の方向音痴であるということだ。毎日通っている駅から会社までの道筋でも時々迷うことがあるし、散々歩き回った挙げ句に仕方なくタクシーを捕まえて目的地に向かったことなど、一度や二度ではない。どうも、停まっている車や、電線の上のカラスを目印にするのが良くないらしいのだが、癖はなかなか治らない。そこで地図を手放さないようにしているのだが、地図を読むのも苦手で、道を探そうにも自分が地図上のどこにいるのかすら分からないありさまだ。

 ところがその一方で、後藤氏は大変な旅行好きである。あちこち飛び回っては、見たこともない景色の中を歩き回り、そしてそのたびに迷子になる。迷子になって、全く予期しない場所へたどり着くということが、かえって楽しみなのである。

 しかし、旅行に行くたびに道に迷って、家族に心配をかけるのは具合が良くない。それに普段の生活では不便極まりない悪癖なのだ。なんとかこれを治す術はないものかと、後藤氏は医者に相談した。

「なるほど、あなたの場合、脳の空間把握能力に問題があるようです」

 医者は話を聞くなりそう答えた。脳がどうこうといわれると、後藤氏は急に恐ろしくなって、

「それは、なにかの病気なのでしょうか」

「いえ、そういうわけではありません。脳の力には個人差がありますから、誰でも苦手分野というのはあるものですよ。計算が苦手な人もいれば、喋るのが苦手な人もいますし、あなたのように地図を読むのが苦手な人もいるわけです」

「それで、治るのでしょうか」

「脳の機能そのものを治すのは、現代の医学を以てしても大変難しい。しかし、ちょっとしたサイバー手術で機能を補うことならできます」

「サイバー手術ですって? サイボーグになるなんて、ぞっとします」

「大丈夫ですよ。まず、小指の先ほどの大きさの機器を脳に埋め込みます。それから、神経系に少し配線を付け足します。全ての機器はαアミノ重合体、要するに蛋白質でできていますし、小型ですから、人体への危険は一切ありません」

「はあ。それで、その手術をするとどうなるのですか」

「地図です。あなたは目をつぶれば、いつでも好きな時に、詳細な地図を見ることができるようになります。それもただの地図ではありません。音声で目的地までナビゲートしてくれるうえ、地図上の好きな地点の実際の映像を見ることもできる。これがあれば、どんな場所からでも、たちどころに帰り道がわかります」

「ははあ、なるほど。音声で知らせてくれる上に、あのわけのわからない地図記号ではなく実際の映像が見られるというのなら、私でも迷子になることはなさそうだ。是非とも、その手術をお願いします」

 かくして後藤氏は高性能な地図を脳の中に埋め込むことになった。手術はすぐに終わり、二三日の入院の後、後藤氏は生活に戻った。病院からの帰り道で、さっそく地図を使ってみる。目を閉じると、脳裏に詳細な地図が浮かぶのだ。そして、自宅に帰りたいと思うと、地図に自動で赤い線が引かれる。これが最短経路というわけだ。目を開けてその通り歩いていると、どこからか涼しげな女性の声がする。

『そちらではありません。左に曲がってください』

「やや、私は地図通りに歩いていたつもりだったが、またしても道を間違えていたようだ。だが、これは便利だぞ。もう道に迷うこともあるまい」

 ところが進んでいるうちに、あまりにも見知らぬ風景ばかりなので、やっぱり道を間違えているのではないかと不安になった。そこでこんどは現在地の映像を呼び出してみる。そこから、経路通りに順番に映像を動かしてみる。最後に見えたのは、確かに我が家だ。

「なるほど、不安になってもこうして確かに道が通じていると確認できる。なんて素晴らしい地図を手に入れたんだ」

 一度も迷うことなく自宅に帰り着いた後藤氏は、さっそく旅行の計画を練り始めた。この地図があれば旅行先でもなんら不安はない。あちこちの観光名所のパンフレットを眺めながら、後藤氏はふと思いついて、

「そうだ、あらかじめ旅行先の道筋を確認しておこう。それならば、さらに安心になるはずだ」

 後藤氏は自宅の映像を呼び出して、そこから駅まで映像を動かした。さらに線路沿いに進み、目的地の最寄り駅につくと、桜の綺麗な並木道を抜け、温泉旅館へとたどり着いた。温泉旅館の中は複雑な迷路のようになっていたが、この地図があれば恐れることはない。宿の部屋から見える渓流は涼しげにそよぎ、温泉の湯気が春の空に立ち上っている。渓流沿いの散策ルートも順に辿ってみる。散り始めた桜の花も愛おしく、路傍に咲くかよわい野花も可愛らしい。途中脇道山道もたくさんあったが、地図のおかげでまったく迷わない。山の展望台から見下ろす眺めは雄大で、緑と茶、そして淡い桃色に彩られた山肌が心を打つ。

 すっかり道筋の確認を終えると、後藤氏は目を開いた。そして物憂げに溜息を吐くと、パンフレットの束を丸めてゴミ箱に放り込んだ。もう二度と、旅行に行くことはなかった。

 

 

THE END.




2004年2月制作
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