ウルトラ・ショート・ストーリーズ   作:外清内ダク

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黒猫の狂詩曲

 

 猫が一匹、歩いていた。

 そう。どこにでもいる、何の変哲もない、ただの黒猫だった。飼い主の趣味だろうか。細い首輪が巻かれ、それには大きな赤いリボンがへばり付いていた。猫は歩きながら、時折リボンを前足で掻いた。邪魔なのだろう。しかし仮にリボンを毟り取っても、家に帰れば新しいリボンが待っているだけだ。嫌になる。でも、お腹を一杯にするのに一番手っ取り早い方法は、家に帰ってにゃんと鳴くことなのだ。あの太った中年女が、癇に触る金切り声をあげながら、おいしい缶詰を開けてくれる。

 猫は、人間のために作られた黒い道を我が物顔で歩いた。黒い道はゴツゴツしていて、変な臭いがする。でも素晴らしいことに足音が立たない。これが土の地面なら、歩くたびに、じゃりっ、じゃりっ、と砂が軋むのだ。足音がしないのは喜ばしいことだった。たとえば雀が地面のえさを啄んでいるとして、猫がそれを狙っているとしよう。土の地面の上でなら、雀は遥か遠くの足音も聞き付けて、飛んでいってしまう。でもこの黒い地面なら、雀が気づかない内に近づいて、わっととびかかり、そのまま胃袋に押し込んでしまえるのである。これほどの喜びはほかにない。人間は嫌いだが、この地面を発明したことに関してだけは、猫は人間を尊敬していた。

 猫は黒い道の向うに、もう一匹の猫が居るのに気づいた。その猫は、自分と同じように黒い地面の上を歩いていたが、自分とは違って非常に目立っていた。白猫だからだ。そして白猫には、自分がしているような首輪はなかった。もちろんリボンもなかった。そのかわり、白い毛が土色に汚れて、模様を描いていた。人間はああいう土のついた猫が嫌いだが、猫にとっては関係のないことだった。

 黒い方の猫はひたひたと歩いた。白い汚れた猫もひたひたと歩いた。同じひたひただが、黒いひたひたの方が、多少音が大きいようだった。やがて二匹はすれ違う位置まで近づいた。お互いに足を止め、なめるようにその体を見つめあった。黒猫はにゃあと鳴いた。白猫は静かだった。白猫はとてとてと走り出した。黒猫はその後を追った。白猫が、かわいいメス猫だったからだ。

 二匹はいっしょに、近所の公園までやってきた。汚ならしい公園だ。そこはいつも、ぼろきれを纏った男たちが、円筒形の籠をごそごそやる公園だった。男たちはみな、夜になっても家に帰らない。薄っぺらい紙切れを立て自分の周りを囲い、その中で寝る。猫にもなんとなくわかった。こいつらは、人間の中のはぐれものなんだ。はぐれものは猫の中にもいる。乱暴だったり、卑怯だったりする猫は、はぐれものになった。はぐれものは遠くへいってしまう。きっと、この公園みたいな場所で、あの円筒形の籠をごそごそやっているのだろう。

 黒猫はふと、この白猫がはぐれものなんじゃないか、と思った。どこか遠くから、はぐれものとなってここにやってきたのではないか。今まで見たことのない猫だったからだ。なら、この白猫も、紙切れの家で寝て、円筒形の籠をひっくりかえすのか。乱暴者じゃないか。こんなにかわいいのに。猫は見掛けによらないとは、このことか。

 しかし白猫は、黒猫の大方の予想に反して円筒形の籠には見向きもしなかった。代わりに、公園のわきに生えている樹の根本へ向かった。黒猫もついていった。それは大きな樹だった。大きくて、しかも幹はつるつるだった。だから、黒猫の知り合いには、誰一人この樹に登れる猫はいないのだ。

 どうする気だ。黒猫はいぶかしがった。白猫はこっちに一瞥をくれると、駆けた。一気に走って、樹に飛び付いた。そんな。黒猫が呆気にとられているうちに、白猫はもう最初の枝に前足をかけてしまった。登ったのだ。誰も登れなかった樹に、あのはぐれものは登ってしまった。

 白猫は木の上から黒猫を見下ろした。みくだしているというよりは、不思議がっているという感じだ。どうしてこの程度の樹相手に苦労しているんだ。こんな簡単なことが、お前にはできないのか。そういう顔だ。畜生。黒猫は意地になった。絶対に、上まで登りきってやる。少し後ろに下がる。助走のスペースは十分だ。黒猫は上を見上げた。白い奴がこっちをみている。そうだ、見ていろ。ようく見ていろ。

 猫は走った。走って、思いっ切り飛んだ。少し届かない。猫はしまっておいた爪を引っ張り出した。つるつるの幹に爪が引っ掛かる。黒猫は前足の筋肉に渾身の力を込めた。そして蹴った。前足が幹から離れ、代わりに後ろ足が幹についた。また蹴った。黒猫の体が宙に舞った。猫は必死に前足を伸ばした。固い感触があった。やった。前足が、枝に届いた。ここまできて落ちてなるものか。猫はただ無心に枝にしがみついた。やった。やったぞ。登った。この樹に登った! 白猫は、にゃんと鳴いた。黒猫もにゃんと鳴いた。そして、黒猫は首筋のリボンを掻いた。リボンは首輪ごと外れ、木の下へと落ちていった。もう気にしなくてもいい。黒猫は思った。もうあの太った中年女の家には帰らない。自由だ。黒猫は自由になった。自分の生き方を自分で決められる。それは素晴らしいことだ。あの黒い地面と同じくらい素晴らしいことだ。黒猫はもう一度、にゃあと鳴いて、そして白猫に頬を擦り寄せた。

 

 

THE END.




正確な制作日は不明だが、おそらく2001年7月頃。
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