「どう思う?」
言った後で彼は痛烈に後悔した。我ながら悪いことを口走ったものである。酒の勢いということもあるし、婚約までした女に振られた反動もある。それにしても全く、よりにもよってこいつの前でこんなことを。
「女か」
彼の予想通りの口調、野次馬根性と揶揄と優越感が入り混じった口調で、友人は応えた。やかましい。さあ、笑うなりなんなり好きにするがいい。
「悪いか」
「いや、悪くはないね。ただ、振られて、やけ酒で、いい女がいて、それでいて一目惚れってのはあんまりにもひねりがなさすぎる」
勝手なことを一通りのたまうと、友人はグラスの中のカウボーイをちびりとすすった。友人のケチ臭い飲みっぷりは相変わらずだったが、今日ばかりはやけに癇に障る。
彼は自分のブランディーをぐっと喉の奥に押し込んだ。そう強い酒ではないが、滅法下戸な彼にとってはこれでも無理をしている方なのだ。
ああ。気分が悪い。呑めば呑むほどに気分が悪い。きっと明日はもっと酷いことになるだろう。
「そういう問題じゃないだろう」
「大いにそういう問題だ」
かたん。友人はグラスをカウンターに叩き付けた。周囲の客たちがちらりと彼らに目を遣る。しかしそいつらが興味を失って自分の酒に向き直るには、思ったほど時間はかからなかった。
「いいか、肝心なのは演出だ。大学の映画サークルが創るような芋シナリオじゃだめだ。ルーカスもスピルバーグも仰天の、一大スペクタクルを演じなきゃあ」
「ルーカス?」
耳慣れない名前を彼は鸚鵡返しにした。
「100年前の映画監督さ。
ともかくいいかい、おれの友達。どうにかして感動のストーリーを撮らなきゃいけない」
「CGでも使うか」
「茶化すなよ。まず大切なのは、相手を見ることだ。お目当ての金髪をようく見てみな。もちろん気付かれないようこっそりとな」
覗き見とは悪趣味だ。肩をすくめながらも、彼はブランディーのグラスに視線を落とした。赤褐色の液体が透過光を吸収し、グラスに反射した光だけが目にはいる。カウンターの隅で頬杖をつく女の姿がそこに映し出されていた。
「見た」
「じゃあ聞くが、あれはどんな女だ?」
「いい女だな」
我ながら的確だと思った答えは、しかしながら友人の好みには合わないようだった。大げさな身振りで肩をすくめ、そのまま腕を伸ばして彼の肩を抱く。
ミルク臭い顔を近づけるなよ。彼は心の中で悪態を吐いた。
「それじゃ駄目だ、友人。よく見なよ、随分化粧が濃いと思わないか? あれほどの女なら素顔でも相当なもんだ。厚化粧する理由なんてなさそうなのにな」
「そういう気分だったんじゃないのか」
友人のわざとらしい疑問形を聞き流しながら、彼はちらりと例の女に視線を這わせた。丁度女は席を立つところだったが、物腰からして店を出るつもりではないらしい。
そして隣で熱弁を振るう友人は、そんなことには気付いてすらもいなかった。
「じゃあこれだ。あの女が呑んでるのはジンだ。随分きついのをやってる。女だてらに大したもんだ」
「女の方が酒には強いっていうぜ」
のらりくらりとした彼の受け答えに、友人はあからさまな不快の表情を見せた。
「OK、友人。わかりやすくいこう。あの女はずっと右手を握ってる。酒を飲むのも、髪を掻き上げるのも、頬杖つくのも、全部左手だ。なんで右手は使わないんだ? 一体何を握ってるんだ?」
「車の鍵かな。いや、もしかしたら左利きなのかも」
これだ、と友人は呆れ返りながらのけぞった。もう友人は我慢の限界らしかった。あんまりにも物わかりが悪い彼に、自分の鋭い推理を語って聞かせないと気が済まない。
カウンターの方に向き直ると、友人はカウボーイの残りを一気に飲み干した。一杯の酒を長く長く楽しむという趣味に反してさえ、友人にはやらねばならぬことがあるのだった。それは彼に対する義務感でもあったし、同時に友人自身の自己顕示欲であるとも言えた。
「もういい、答えをいっちまおう。覚悟はいいかい」
「いつでもどうぞ」
再び友人は彼の横顔にぴたりと目を張り付けた。友人の視線はやけに真摯で、この酒の席にも、そして友人のキャラクターにも、全然似合ってはいなかった。
「いいか、あの女は振られたんだ。それもきっと長いことつき合っていて、それこそ婚約するくらいまで進んでた男にな。
厚化粧は泣き顔を隠すため、きついジンはお前と同じやけ酒、そして握りっぱなしの右手には婚約指輪ってわけだ」
「なるほど、名推理だ」
彼は素直に感心した。友人の鋭い洞察に関して……ではなく、あれっぽっちの情報からそこまでストーリーを組み立てられる想像力に対してである。それこそ友人は映画監督か脚本家か、あるいは小説家が向いているに違いない。
彼はブランディーに口をつけ、赤黒い血のような水を舌の上で転がした。苦い。なんて苦いんだ。まるで彼の心の中みたいだった。
「これでもうわかっただろう。お前は傷ついた心を慰めてくれる優しい男、を演出するんだ。もちろん助演男優賞ばりの渋い名演技でな」
「それはいいが」
ブランディーのグラスは既に空になっていた。なんてことだ、畜生。すっかり騙された。こんな残酷な嘘があっていいものか。だってそうだろう。誰も嘘なんてついていない。誰を責めることもできないんだから。
今日はまだまだ呑む羽目になりそうだった。
「お前は一番大事なことを見逃してる。もう一度よく見てみろよ」
丁度、金髪の女が紳士用トイレから出てきたところだった。
THE END.
2001年1月制作