ベッドから降りた私はまだ痛む顔を細心の注意を払って洗い、その足で工房を覗く。扉は開け放ってあるので出入りは自由だ。シェクたちが逃げたくなったならばいつでも出て行けば良いという配慮からなのだが、二人はまだそこに居るようだった。もっとも武器は取り上げたし二人とも重傷のはずだから、満足に動き回れる状態でないのは分かっているのだけれど。
ずっと昏倒していた痣のあるシェクが身体を起こしていた。自分でやっておいてこんな事を云うのもおかしな話だが、大事に至らなかったのは何よりだ。
「…あんたが手当てしてくれたのか?」
痣のシェクは真っ直ぐに私の顔を見た。私は大袈裟に肩をすくめる。
「
痣のシェクはまだ隣で寝息を立てているシェクの顔を見やり、額にそっと手を触れた。
「別にこいつとは血が繋がってる訳じゃないよ。姉貴姉貴って妙に懐いてくるもんだから、私も悪い気はしないってだけさ。……馬鹿な妹だよ。」
元は赤の他人であっても家族のような絆で結ばれている――私たちもいつかこんな関係性になれるのだろうか、と少し羨ましくなる。そういえば、と食事の感想を聞いてみると、姉のシェクは周りをきょろきょろと見渡し、首を振った。二枚あるはずの皿を探したが見当たらない。こいつ……二人分を平らげた上に、まさか皿まで食べてしまったのか?
「おい!起きろジュラニ!」
姉は叫ぶなり、寝ているシェクの頭を拳で思い切り殴りつけた。鈍い打撃音が静かな工房の中にこだまする。さっきまでの優しい姉といった風体からの豹変ぶりに、私は息を呑んだ。
「…痛ってえ!…っんだよお!」
ジュラニと呼ばれたシェクは突然眠りを妨げられ、額をさすりながら身体を起こした。
「…姉貴い!やっと起きた!もういいのか?痛くないのか!?」
抱き付こうとするジュラニの額を、姉は手のひらで押し退ける。
「まだ痛てえよ!それよりお前、私の分の飯どうした!?」
はっとした顔をしてから、いや、知らねえなあ…とジュラニは虚空を見つめる。しらを切る構えだろうが、そうは問屋が卸さない。
「姉の分を残しておけと言っただろ。皿はどうしたんだ?」
私から早々に犯行を暴露されたジュラニは、ばつの悪そうな顔で寝袋の下から皿を二枚取り出した。
「姉貴、悪りい!こんな旨いもん目の前にぶら下げられたまんまお預け食らってるなんて、我慢できなくってよう!」
ジュラニは再び姉の拳骨に見舞われたが、その顔はなんだか嬉しそうだ。それにしても困った奴だな。ずっと食い詰めていたせいで食い意地が張っているのだろうか。
「立てるか?包帯を取り替えたら食事を出そう。名前を聞いても?」
姉は差し伸べられた私の手をおずおずと掴む。
「あ、ありがとう……私はビシュマ……ぶふっ!」
何か可笑しかったのか、吹き出すと当時に腹の傷を押さえる。
「痛てて……悪りいね、こういうのは慣れてないんだよ。私に優しく接してくる奴なんて、シェクにだって今まで居なかったからさ。」
ビシュマの傷の様子を確認すると、もうほとんど塞がっているようだった。やはりルカの言う通りにグリーンランダーとは身体の作りが違うようだ。ミバールの食事にひとしきり感動した後、ビシュマは工房へと戻って行く。
ぺろみの気まぐれから端を発するとはいえ、襲撃者に対する待遇としては至れり尽くせりだな。皆ぺろみの影響を受けてお人好しになりつつあるのかもしれない。こんな慈善事業を続けていたらその噂が広まって、いつか野盗あたりが物乞いにやって来やしないかという心配が頭をもたげてくる。
そしてその事業主はもうそろそろ戻って来てもいい頃だ。何か余計な事に首を突っ込んでいなければ、の話だが……。手持ち無沙汰も手伝って、私は捜索の準備を再開する事にした。
おおよその荷物をまとめ終えたところで、ルカの呼ぶ声に私は手を止める。シェクの姉妹が話をしたいらしい。もう出ていくのだろうか?礼が言いたいのなら聞いてやらなくもないと工房へ足を踏み入れると、ふたりのシェクは
「旦那、姉貴を救ってくれて感謝の言葉もねえ。それに旨い飯までご馳走になっちまって、あんたらは俺らの命の恩人だ。」
ジュラニは初めに比べれば、随分と晴れやかな顔をしている。そして同じく明るい表情のビシュマが続ける。
「何も返せない上にこんな事を言うのは心苦しいんだけど、あんたをボスと見込んで頼みが――」
…待て待て、ちょっと待て。まず呼び方が気に食わないし、そもそもここのボスは私じゃない。首を横に振って言葉を遮ると、二人は顔を見合わせる。
「ここのボスはぺろみだ。お前の脚に添え木した金髪の女だよ。」
あの小せえお嬢が!?とジュラニは目を丸くする。
「……この際誰でもいいや。あの…私らをここに置いてくれないかな。喧嘩しか取り柄がないけど、きっと役に立つからさ。」
なるほどそう来たか。仲間が増えるのは歓迎すべき事だし、ぺろみが異を唱えることはしないだろうけど――。シオリの件がまた頭を掠めて逡巡していると、雰囲気を察したビシュマが口を開く。
「まあ、いきなりこんな事を言われても迷うだろうね。私らも今夜には一旦巣に戻るから、次また会った時に返事を聞かせてくれよ。」
また襲撃に来るつもりなのか?私が疑問を口にすると、ジュラニは首を横に振る。
「いやいや、俺らはバンドオブボーンズを抜けるつもりだ。死なない程度に食わせてもらった恩もあるし、そこはけじめを付けなきゃならねえ。」
わざわざ古巣へ挨拶をしに戻るとは大した心掛けだ。誰にも告げずに故郷を飛び出してきた私に比べれば、ずっとまともな人間に思えてくる。
夜の帳が降りる頃、旅立つ姉妹に武器を返し食糧を持たせて見送る。ジュラニは支えがあればなんとか歩ける状態に回復していたので、畑仕事に使う鍬の柄の部分を外して渡してやった。ビシュマが肩を貸し、姉妹はゆっくりと立ち去ってゆく。
それにしてもぺろみがまだ戻って来ないな。それほど遠い場所には思えないが、どこかで道草でも
夜中、寝床で
中に戻ろうとした時、私は何者かに後ろから組み付かれた。
「命が惜しければ動くな。黙ってそのまま聞け。」
喉元には刃を当てられている。少しでも動けば、喉を掻き斬られてしまうかもしれない。声にどすを利かせてはいるが、声色は女のそれのように聞こえる。
「シオリがここに居た事は知ってる。昨日、うちの本拠地に忍び込んだ金髪の女を捕らえた。ここの人間か?」
ぺろみだ…まさかまた面倒事をしでかしたのか?場所を確かめるだけと言っていたのに。やはり私も同行するべきだった――深い後悔の念に
「あたいに協力すれば、女を助けてやる。それともこのまま斬られて死ぬか、選べ。」
選択の余地はない。私は大きく頷く。
「よし、よく聞けよ。明日、明るくなってからうちの塔の周りを目立つようにうろつけ。あたいが外で見張りをしてるから、追っ手が掛かったら逃げろ。なるべく遠くまで引き付けろよ。上手くやらないと女の命はないぞ。」
私がまた頷くと忍者は武器を納め、私のズボンのポケットに何かを差し込んだ。
「…シオリはそっちにいるのか?」
私の質問に忍者は動きを止めた。しばしの沈黙の後に、黙れと言っただろ、とだけ喋った。そして拘束の手を離し、私の背中を強く突き飛ばす。つんのめりながらも持ち堪えて振り向くと、すでに姿は見えなくなっていた。まるで初めから誰も居なかったかのように、辺りは静寂に包まれている。
ポケットの中をまさぐると、一片の紙切れが出てきた。キッチンの明かりを点けて紙切れを照らすと、そこには黒龍党のアジトまでの詳細な道筋が記されていた。これがあればアジトを捜し回る必要はない。私は居ても立ってもいられず、荷物と剣を取りに寝床まで戻る。
物音にルカとミバールが目を覚ました。かいつまんで状況を説明すると、罠じゃないのか?とルカは腕組みをする。確かにそうかもしれないが、ぺろみの命がかかっているからには約束通りに動かなくてはならないのだ。
「ジャグロンガー、ちょっと来ておくれ。」
ミバールが私をキッチンへと促した。おもむろに肉の調理を始め、カクティ・ミーティを作って包んでいる。
「食事を出されているとは思えないから、これを食べさせてやっとくれよ。きっと腹を空かせているよ。」
いつもより重い食糧の包みを受け取り、私は住み処を後にした。
ガルの頭骨が転がっているのを横目に険しい山道を越え、空が白み始めた頃にようやく崖の上にある塔が見えてきた。岩陰に身を潜めて様子を窺うと、入り口には見張りが二人、塔の上にも人がいるように見える。下の二人のどちらかが、住み処に現れた忍者のはずだが……。
陽が上りきるのを待ち、行動を始める。緊張で早足になってしまいそうになるのを抑えながら、ゆっくりと塔へ近寄ってゆく。入り口の一人が何かを喚いた。すると少しの間を置いて、塔の中から数人の忍者がぞろぞろと出てくる。私は立ち止まり、じりじりと後ずさる。
魚が餌に食い付いた。釣り糸を手繰り寄せる時だ。さあ来い、どこまでも追って来い。付かず離れずの距離を保ちながら、私は山道を駆け抜ける。何度も転びそうになりながら谷底付近まで降りてきたが、忍者たちは追跡の手を緩めない。そろそろ走り疲れてきた。あの女忍者は上手くやってくれたのだろうか。
行く手の方向から集団がやって来るのが見える。まずい、ダスト盗賊だ。向こうも私に気付いて剣を抜いた。しかしここで止まる訳にはいかない…このまま突っ込むしかない。ここで私は賭けに出る事にした。
「追われている!助けてくれ!」
集団の先頭を歩いていた男に駆け寄り、後方を指差す。
「あぁん?」
男は面食らって気の抜けた返事をする。忍者たちはすぐ側まで接近して来ていた。男の肩を叩き、呆気に取られる盗賊たちを横目に私は再び駆け出す。
「なんだてめえらああ!!」
怒号が私の耳まで届いた。振り返ると、盗賊と忍者の斬り合いが始まっていた。上手くいった、後は頼んだぞ!私はダスト盗賊に初めての感謝の気持ちを抱きながら、その場を走り去った。