岩肌に身体を預けて息を整える。こんなに長い距離を走ったのは、スワンプで蟲の群れから逃げおおせた時以来だ。あの時は本当に死ぬかと思ったな。
そろそろ戦いが終わった頃だろうか。来た道をまた戻ると、ダスト盗賊たちが倒れているのが見えた。忍者が倒れている様子がないことから、どうやら共倒れとまではいかなかったようだ。名も知らぬ友よ、お前たちの犠牲は無駄にしないと誓うよ。
ここで私ははたと気が付いた。もしぺろみが首尾よく脱出できて私と同じ道を逃げて来るとすれば、アジトへ戻ってゆく忍者たちと鉢合わせてしまう。それでは私がここまで逃げてきた意味がない。女忍者に渡された紙によれば、アジトまでの道は一本ではないようだ。私が逃げた方向は分かっているはずだから、別の道に誘導してくれていると思いたいが……。少し迷って、回り道をする事にした。
空にはタカだろうか、大きな鳥が弧を描いている。私にも翼があれば、すぐにでもぺろみを見つけ出せるのにな。そんな事を考えてから行く手に目を戻すと、その先に人影を見つけた。二人、こちらへ向かってくる。胸が高鳴って来た。走り出したい気持ちを抑えて少しずつ近づく。
二人は手を繋いでいる。別人だろうか?いや、あれは――。
「ぺろみ!!」
私は叫び、走り出していた。ぺろみも私に気が付き、両腕を広げてゆっくりと近寄ってくる。ぺろみを強く抱き締め、私は大きくため息をつく。その隣にへたり込み、すすり泣いているのは――。
「…シオリ、心配した。」
私はぺろみと同じくらい強く、シオリを抱き締める。シオリはますます強く泣き始めた。
「も゙ゔじわ゙げござい゙ま゙ぜん゙ん゙」
いいんだ、もう良いんだよ。おいおいと泣きすがるシオリの頭をそっと撫でる。シオリはぺろみの着ていた革の上着を肩に羽織っている以外には、何も身に付けていなかった。肌は至るところが赤黒く腫れ上がっており、受けた仕打ちの
「ぺろみ、なんだってこんな無茶をしたんだ?場所を確かめるだけだと――」
だって!!とぺろみは私の言葉を強く遮る。目に涙を溜め、その表情は怒りに満ちていた。
「シオリが外で裸にされて、縛られて鞭で叩かれるのを見た!!大勢に囲まれて棒で小突き回されるのを見た!絶対に許さないって思った。…でも戦っても勝てそうじゃなかったから、暗くなってから――」
ぺろみは下を向き唇を噛み締めた。私はぺろみの手を取る。
「分かった、もういいよ。……おいで。」
左腕にシオリ、右腕にぺろみの頭を抱えてゆっくりと撫でる。腕の中に感じる温もりで、心の中をうねり狂っていた波が少しずつ引いてゆく。
「とにかく二人が生きていて良かった。今はそれだけで十分だ。――そうだ。」
私は荷物袋を漁り、食糧の包みを開ける。焼けた肉の良い香りがほんのりと辺りを満たした。
「……お゙い゙じい゙でずゔゔ」
普段より肉が多めに入ったカクティ・ミーティを頬張りながら、シオリはまた泣き始める。
「夜中に忍者が来たんだ、ぺろみを助けてくれるって。あいつにも礼を言わなくちゃな。」
シオリの動きがぴたりと止まり、強張った表情で私を見る。
「…アビィ。アビィをお助けください!どうか!」
シオリはうわ言のようにアビィ、アビィがと繰り返すばかりで要領を得ない。ぺろみに顛末を尋ねると、アジトから人が出払った隙にシオリを解放した忍者が居た。そしてシオリがぺろみの拘束を解くのに手間取っている間に人が来てしまったため、忍者はやむなく応戦。二人はその隙に逃げ出したという流れのようだ。
「分かった。私が様子を見てくるから、二人は先に住み処に戻っていてくれ。」
ぺろみたちが来た道を
誰かが仰向けに倒れている。近寄って確認すると、この姿は黒龍党の忍者だ。まだ息はあるが酷く出血している。放っておけば長くはないだろう。私は包帯を取り出し、応急処置を始めた。
「……誰だ。放っといてくれ、あたいはもうだめだ…。」
まだ意識が残っていた。聞き覚えのある声に私はふと気が付く。
「…アビィか?昨日の夜更けにうちに来たのはお前だな?」
忍者は少し頭を動かし、私の方を見た。
「はっ…気安く呼ぶんじゃねえよ。あたいにはアビゲイルって名前がちゃんとあんだよ…。」
腹部の刺し傷が深刻だ。これは素人では対処できない。医者に見せなくては……。私はアビゲイルをゆっくりと背負い、歩き出す。
「お前には借りがある。ハブにいる
シオリの名に反応して、アビゲイルはぴくりと動いた。
「姉さん……シオリ姉さんは無事なのか。」
シオリは住み処に戻った事を伝えると、アビゲイルの身体が急に重くなった。――気を失ったようだ。
ハブの街へ辿り着き、急いでシノビ盗賊の拠点へと向かう。医者はアビゲイルの容態を診て曰く
「ああ~こりゃまた酷いねえ。どこまでやれるか分からんが、まあやってみよう。明日また来てくれ。」
このヤブ医者は信用ならないが、今頼れるのはこいつしかいない。アビゲイルを預け、絶対に助けろ、と念押しをして私はハブを後にした。
住み処ではシオリがぺろみとミバールから怪我の治療を受けていた。身体中を包帯でぐるぐる巻きにされて、随分と動き難そうだ。その滑稽な姿に思わず吹き出す。
「アビゲイルを医者に預けて来た。明日になったら様子を見に行くといい。」
私の言葉にシオリは安堵の表情を浮かべる。
「お頭様はわたくしを手放すのは惜しいと思われていたようです。命を取られる覚悟でおりましたが、見せしめに皆の前で叩かれた以上に酷い事はなされませんでした。七日間耐え抜いたら放逐してやるとのお言葉でしたが、どうなっていたか分かりませんね。」
シオリはそう言って苦笑いする。それを聞いて私も安堵のため息をついた。心に深い傷跡が残らなければいいが…。ぺろみは両手でシオリの頬に触れ、じっと目を見る。
「シオリ、困った事があったら何でも言っていいんだよ。わたしたち、家族なんだからね?」
シオリは黙って俯き、小さく頷いた。ぺろみの腕がシオリの首に絡み付き、涙の粒がその肩に落ちる。そうか、私たちはもう、家族になっていたんだな。心の中にかかっていたもやが少しだけ晴れた気がした。
やはりあの夜、シオリは黒龍党の斥候と接触していたのだ。食糧を持ち去ったのは、仲間たちが飢えて苦しんでいると嘘の情報を掴まされたためだった。ぺろみのクロスボウは護身用に持ち出したとの事だが、シオリがそれを使う事はなかったように思う。
翌日、シオリと連れ立ってシノビ盗賊の元へ赴く。処置は上手くいったとの事で、アビゲイルは薬で眠っているようだった。ありがとう、と固い握手を交わし、この医者への評価は”信頼できるヤブ医者”に変わった。
「患者は連れて帰って貰って構わないが、しばらくは安静にするように。それと治療代だが…ちょっと値の張る薬を使わせて貰った。しめて三千五百キャット頂戴するよ。
料金を請求されてはっとする。今は全く持ち合わせがないのだ。酒場の店主にあるだけのラムを売り付けてもまだ足りない。仕方がないな…あいにく金目の物はこれくらいしか持ち合わせていない――私は穿孔環刀を医者に差し出す。
医者は面食らった顔をし、近くにいた故買商に目配せをした。故買商は小さく肩をすくめる仕草で応え、それを見た医者は剣を受け取った。交渉成立だ。シオリはアビゲイルを静かに背負い、私たちは街を出た。
「申し訳ございません…せっかく良い剣が手に入りましたのに、わたくしのせいで二つとも失ってしまいましたね……。」
ぺろみが持って行った九環刀も取られてしまったし、得物は錆び付いた斬馬刀に逆戻りだ。しかしそれで大事な仲間が戻って来たのならば、安い買い物だと言える。あの剣には買い手は付かないだろうから、資金ができたらまた買い戻せばいいさ。
「見て!ベッドを作った!」
私たちの帰りを待ち構えていたぺろみに手を引かれ工房へ入ると、奥の空いていた所に二床のベッドが並んでいた。なかなか用意が良いじゃないか。そのひとつにアビゲイルを寝かせる。
「ルカがベッドがあった方が良いからって、二人で急いで作ったんだ。もうひとつはシオリのやつだよ。もう床に寝なくても大丈夫だから!」
シオリは深々と頭を下げ、また涙をこぼしている。もう泣かなくていいの!とぺろみが笑う。
「そこまで気が回らなかったよ。ありがとう、ルカ。」
ルカは大袈裟に肩をすくめる仕草をした。シオリの事を責める者は誰もいない。私たちは助け合って生きていく家族なんだ、と改めてその意味を噛み締める。
夜、アビゲイルの様子を見に工房へ行くと、シオリは仕立ての作業中だ。その奥ではぺろみが難しい顔をしてトゥースピックの調整をしている。
「そのズボン…何もそんな見掛け倒しのままお使いにならなくても……。」
シオリは私の装甲付きズボンを見て恐縮している。
「いや、装甲板があるだけでもただの革ズボンよりずっとましだよ。それにプレートジャケットにも助けられた。あれが無かったら大怪我じゃ済まなかったんだ。ありがとう、シオリ。」
シオリは赤面して俯く。
「そうだよ!シェクのおっきな剣で斬りつけられても破れなかったし。ルカもあの鎧ずっと着てるもんね。何も言わないけどあれは相当気に入ってるね。うんうん。」
シオリはいよいよ耳を真っ赤にし、両手で顔を覆ってしまった。ぺろみに目配せすると、笑顔で片目を瞑る。
「わたくし、革の服をたくさん造って精一杯ご恩返ししようと思います。それを取引に使って頂いて懐事情が少しでも良くなれば、皆様の生活も潤いますものね。」
ぺろみが大きく目を見開いて食い付く。
「それがいい!わたしがそれを持って色んな所で売ってくるよ。そのお金でまた珍しい本を買ってきて、出来ることを増やしていきたいな。」
お前は出歩く口実が欲しいだけだろう?ぺろみの頭を指先で小突く。小さく舌を出して肩をすくめるぺろみに、それを見て笑顔になるシオリ。穏やかな時が過ぎてゆく。私が求めているものは全てここにあるような気がした。