ここのところ、ぺろみは本の虫になっている。トレーダーから手に入れた数冊の本が、古代の技術に関する書物だったようで、研究すれば今の生活に活かせそうだというのだ。実際、ぺろみは手作業で行っていた井戸の水汲みを、自分で作った機械を取り付けてほぼ自動化してしまった。もっと便利にしたいと思っているようだ。
太古における世界規模の戦争によって、文明と呼べるようなものは殆ど失われてしまってはいるが、古代の技術が全く無くなってしまったという訳でもない。ハブにもある「電気」などはその最たるものだ。街の外縁部にある、巨大な風力発電機で発生するエネルギーを使っている。
我々の井戸も、小屋の上に据え付けられた小さな風力発電機で電力を賄っている。風車を回すための風が吹かなければ、当然ながら発電は止まってしまう。ぺろみの目下の課題は十分量の電力の確保であり、今は蓄電池の研究に余念がない。私としても、あの砂嵐をありがたいと思う日が来るとは思いもしなかったという訳だ。
ハブで休憩していたトレーダーに分けてもらった小麦とサボテンの株は、少しずつではあるが数を増やしている。まだ食糧として利用するには心許ない収量だが、畑に植えて定期的に水を撒いてさえいれば、勝手に育ってくれる。もっと拡張して収穫を増やすつもりだ。
ボーダーゾーンと呼ばれるこの辺りの地域には、畑を荒らす害獣がいないのも農業には都合が良い。スワンプではラプターという大型の爬虫類が作物を荒らすため、たまに狩りをしなくてはならないほどだった。その肉は臭みが強烈で食用には適さず、少しだけ採れるぬめぬめとした皮に利用価値があるだけの厄介者だ。
朝のうちに畑の手入れを終え、食事をした後はそれぞれが思い思いの時間を過ごす。ぺろみは大体の時間を読書をして過ごすようだ。たまに体を動かしたいのだろうか、小屋の外にある木偶人形に向かって棒切れで打ち込みをするか、トゥースピックという簡素なクロスボウの練習をしたりなどしている。
私はといえば、ぺろみが読み終わった書物に目を通したりもするが、やはり戦いの訓練を主に行う。近頃は持っていた刀よりも重いが、刃渡りが短く振り回し易いサーベルという種類の剣が気に入っている。
自給自足にはほど遠く、畑の作物はまだ食べる事ができないので、定期的に買い出しに出かける。樽に詰めた井戸水を担ぎ上げ、ハブで食糧と交換するのだ。重い樽を担いで歩く事は、体を鍛える事にもつながる――と信じてやまない。
食糧の残りが底を突きかけていたため、買い出しに出ることにした。ぺろみは留守番だ。我々の住み処からハブへの道のりは起伏に富んではいるものの、背の高い木や大きな岩などはあまりなく殺風景だ。何か動くものがあれば遠くからでもすぐに見つけられるし、逆に見つかり易いということでもある。
人影が見えた。周りには誰もおらず、一人で歩いているようだ。放浪者だろうか?テックハンターかもしれないな。私の移動経路からは大きく離れていたので、一瞥して道を急ぐ。
最近は樽一杯の水を持っていっても、あまりいい顔をされなくなった。酒と違って日持ちのしないただの水は、それほど需要がないのだ。まだ鉄の塊を崩している方が、収入源としては安定しているかもしれない。
物資の購入を終え、帰路につく。行きに比べて帰りの荷物は軽いものだ。早く戻って金銭面の相談をしなければ、などと考えながら歩いていると、行きに見た人影の事をふと思い出した。いる訳もないと思いながらもその方向に目をやると、人影はまだそこにあり、さほど移動していないようだった。むしろその場に座り込んで動けなくなっているようにも見える。
放浪者の行き倒れはよくある事だ。その多くは元の住み処から追放された犯罪者か、主人の元から逃げ出した逃亡奴隷のような者だ。運良く野盗やオオカミに見つからなかったとしても、水や食糧の確保ができなければ最終的には命を落とす事になる。
声を掛けるべきだろうか、しかし厄介事を抱え込むのは御免だな。頭ではそう考えながらも、私の足はすでに人影へ向かって歩き出していた。
やはり地面に座り込んで、うなだれているようだった。その両足には枷が付けられている。
「大丈夫か。どこから逃げてきたんだ?」
刺激しないようになるべく優しく声を出すことを心掛けた。ゆっくりと頭を上げ、私の顔を見る。
「水……水を……。」
消え入りそうなかすれた細い声。女だ。私は水が半分ほど入った革袋を渡した。微かに震える手でそれを受け取り、飲み口に顔を近づける。革袋を口よりも高く上げすぎてしまったので、水が一気に流れ込んだ。げほげほと咳き込む。
「落ち着いてゆっくり飲め。全部飲んでいい。」
私は荷物袋を開き、ドライミートをひとつ取り出して手渡した。よほど腹を空かせていたのか、女は夢中でむしゃぶりついた。怪我をしている様子はない。ふと先日のオオカミの姿がまぶたの裏をよぎる。
肉を平らげ、水を飲み干してようやく安心したのか、女はとつとつと話し始める。オクランの奴隷として売られてゆく道の途中で、奴隷商人の隊商が武装した盗賊団に襲われ、その隙に逃げ出したとの事だった。五日前の事だ。
足に枷が付いていては、自分は奴隷ですと触れ回っているようなものだ。外すことは難しいし、追跡の手が及ぶかもしれない。我々の住み処で匿うには相応の覚悟が必要だ。
「じきに暗くなる。あの壁が見えるか?あそこに行けばしばらくは身を隠せる場所があるだろう。オオカミがうろつき始める前に行くといい。」
私はハブを指差す。女は礼を言い、少し休んでから向かうと話すので、私はその場を離れた。出来ることはした。水と食糧を分け与えた上に隠れる場所まで教えてやった、もう十分だと自分に言い聞かせて。
住み処に戻ると、ぺろみはトゥースピックの調整をしていた。バネの張り具合がどうだとか言っている。水はもう金になりそうにない事を伝えると、まあそうだよね、という返事。少し離れた場所に銅鉱石の塊を見つけたらしく、それを掘りに行こうという提案をされた。ちゃんと次の手は考えてあるようだ。
買ってきた食糧を整理する片手間、奴隷を助けた話をした。お人好しのぺろみの事だ、人助けをした話は好きだろうと思ったが、反応がない。横目でぺろみの顔を見ると、表情を曇らせている。しまった、と思った。話すんじゃなかった。きっとここへ連れて来ようなどと言い出すに違いない。
そして私の後悔は残念ながら実を結ぶことになる。組み立て終わったばかりのクロスボウを手に取り、数本の矢をひっ掴んでさあ案内しろと言わんばかりの態度だ。
ああ、やっぱり。後の事など何も考えていないに違いない。目の前に今助けたい命がある。その衝動で動いているのだろう。私はふと可笑しくなり、笑いながらやれやれ、の顔をして外に出る支度をする。
女と会った辺りへ再びやって来た。日はすでに落ちているが今夜は月が明るい。月明かりにほんのりと照らされて、荒野に数人の人影が浮かび上がる。私はその集団に歩み寄り、声を掛けた。
「何かあったのか。」
その出で立ちから、野盗であることは確かだった。男が四人。囲まれているのは昼間助けた女だ。私の顔を覚えていたのか、女は私の後ろへさっと身を隠した。
「何だお前は?邪魔をするんじゃねえ。そいつは逃亡奴隷だ。奴隷商が探し回っているに違いねえ。そいつを売って――」
そこまで聞いて、私は吹き出した。何が可笑しい!と男の一人が凄んでくる。
「お前たち、奴隷商がまともに取り合ってくれると本当に思っているのか?奴らに会ったが最後、全員仲良く捕まって新しい奴隷にされるだけだぞ。」
男たちは黙ってしまい、お互いの顔を見合わせたりしている。どうやら説得力があったらしく、動揺が隠せない様子だ。その隙に男たちを観察する。体にはぼろを巻き付けているか、そうでなければ半裸だ。全員が金属の棒で武装している。その中の一人は右腕の肘から先が無くなっている。
おや、待てよ――。私が思い出したのと同時に、向こうも気がついたようだ。
「こっ、こいつ!俺の腕を斬った奴だ!」
指のない右腕で私を指し、そう叫んだ瞬間、その隣の男がうめき声と共に崩れ落ちた。あっ!という小さな叫び声が背後から聞こえた。倒れた男の頭には、深々と矢が刺さっている。
振り返ると、ぺろみが慌てた様子でクロスボウをガチャガチャとやっている。まさか暴発させたのか?私の背中がじっとりと濡れる。ぺろみの方に向き直って指を振り、や、め、ろ、の仕草をした。
女をぺろみの側にいるように促し、剣を抜く――正眼の構え。さあ、最初に斬られたいのはどいつだ?とばかりにゆっくりと見渡す。しかし男たちはすっかり戦意を喪失していたようで、我先にと逃げ出してしまった。
深い溜め息をひとつついて、剣を収める。ぺろみは地面にへたり込んだ女の頭を、もう大丈夫だよと言いながら撫でている。やれやれ、オオカミの次は奴隷女か。そういえば私はまだ撫でて貰っていないな?そんなことを考えながら、二人にさあ帰ろうと促す。月の光が、我々の後ろに三つの長い影を落としていた。