「ほら、見て!私たちあそこに住んでるんだよ。」
ぺろみは子供の手を引き、行く手の向こうに見える集落を指差した。囲いの上から建物が顔を覗かせ、朝から吹いている西向きの風が大きな
囲いに沿ってぐるりと東側に周ると、門の格子はすでに上がり、中から誰かが出てくるところだ。
「おう!帰って来たな。無事で何よりだ。」
ジュラニが門を開けて待っていてくれたようだ。門番が板に付いて来ているじゃないか。子供に気が付いて身を屈め、顔を近付ける。
「……ああん?どこで拾って来たんだいその汚ったねえガキは。ガリガリで食うところはなさそうだな……
ぺろみが無言で繰り出した手刀はジュラニの額に炸裂した。子供はぺろみの後ろに身を隠す。
「子供を怯えさせるのが仕事か?……留守番ご苦労さん。何か変わった事は?」
ジュラニは額を
「別にねえかな。旦那たちがここを出たすぐ後と、きのう忍者どもがまた来たくらいか。いい運動になったぜ、へへ。」
ああ、そういえば――と続けたジュラニの声をかき消したのは、慌てた様子で飛んで来たミバール。
「ジャグロンガー!大変だよ!」
息を切らしているミバールの背中を撫でる。何があったんだ?
「はぁ…はぁ、ま…また来たんだよ、あいつらが……!」
ああ、黒龍党の忍者たちが来たんだろう。それも二回も。しつこい連中だと思うよ。
「オクランの宣教師が来たんだよ!」
言葉の意味を理解して、私は息を呑んだ。迂闊だった…この世界で関わり合いたくないのは、襲撃者だけではないのを全く失念していた。
「それで……どうしたんだ?」
ミバールは横にいるジュラニの方を見た。
「……えっ?いやあ……フラットスキンどもが門の外でなんか喚いてるからよ。帰れ!っつって追い返した。案外すんなり帰ったぜ。」
……なるほど。よりにもよってシェクに追い返されたとあれば、宣教師殿は大層ご立腹であった事だろう。
「あたしが後から追っ掛けてって、一応とりなしてはおいたんだけどさ……納得はしてないみたいだったよ。次は異端審問官を連れて来るかもしれない。」
ボーダーゾーンくんだりまでわざわざやって来て、やる事が異端裁きとは何ともご苦労千万な話だ。まあ、起きてしまった事をいくら嘆いても仕方がない。何か対策を考えなくてはならないだろう。
「……どうしたんだい?その子。」
子供に気が付いたミバールが、しゃがんで顔を覗き込んだ。実はかくかくと経緯を聞かせると、おやまあ、と子供の頭を撫でる。
「ミバール、この子の身体を拭いてあげたいから、お湯を沸かしてくれる?」
ぺろみの催促に、はいよと返事をしてミバールは立ち上がり、キッチンへと促した。
革の防具は丈夫だが、ずっと着けていると蒸れてしまうのが玉に
「ブーツにも装甲を施した方が良いかもしれませんね…検討してみます。後で採寸をさせてくださいませ。」
ありがとう、頼むよ。私は工房を後にした足で井戸に向かい、頭から勢い良く水をかぶった。汗と疲れがきれいに流れ落ちてゆくような感覚に思わず身震いする。さっぱりして身軽になったら何だか腹が減ってきたな。
キッチンの扉をくぐると、裸の子供をぺろみが丁寧に拭いているところだ。水桶の中の湯がかなり濁っている。きっと綺麗にして貰えた事だろう。しかし背中や脚に打たれたような痕があるのはどうした事だ…?まじまじと見る私の視線に気が付いたのか、ぺろみは私に向かって小さく首を横に振った。――そうか、まだこんなに小さいのにずいぶん苦労したんだな。
「気持ち良いか?綺麗にして貰えて良かったな。」
子供の頭をわしわしと撫でると、私の視線を避けるようにもじもじとし始める。……おや?
「…お前、女の子だったのか。」
ぺろみは不思議そうに私をしばし見やり、そして何かを閃いたような顔を見せて少女に耳打ちを始める。すると少女は驚いたような顔でぺろみを、そして私を見た。……また何か余計な事を吹き込んでいるな?
「あなた、名前は何ていうの?読み書きは出来る?」
ぶかぶかのお下がりを着せて貰った少女は少し考えてぺろみの手を取り、その手の平に指先で文字を書き始めた。細い指でなぞられてくすぐったいのか、ぺろみは小さく声を上げて身をよじる。
「M…a…r…g…i…n…a……。マーギナ?マギーナかな。」
少女は口をぱくぱくさせて名前を伝えようとするが、ぺろみには上手く伝わらない。すると隣で聞いていたミバールが口を開く。
「マルジナ、じゃないのかい。あたしのおばあちゃんと同じ名前だよ。」
少女は首を何度も縦に振り、正しい事を伝えて来た。
「へえ、マルジナ!よろしくねマルジナ。わたしぺろみっていうの。ご飯を作ってくれるのはミバール。この人はジャグロンガーだよ。」
よろしく。私は指先でマルジナの小さな手を掴んで握手を交わす。
「ぺろみはこのまろやか村のボスだ。他の皆も頼りになる連中ばかりだから、何でも相談してくれよ。」
マルジナは少し微笑んで小さく頷いた。
食事の支度を待つ間に、シオリに採寸をして貰う事にしよう。キッチンを出ようとする私をミバールが呼び止める。
「シオリに会っただろう?どんな様子だった?」
どんなって……いつもと変わらないように見えたけど。言葉の意味を量りかねている私にミバールは続けた。
「ほら…黒龍党が二回も来ただろう?どうしたって戦いだからさ、毎回向こうの何人かが命を落としちまうんだよ。」
そうだな…こっちだって遊びじゃないから、そういう事もあるだろう。シェクの戦士たちは戦う為に生まれてきたようなものだし、そこに手を抜くような真似はしないと思う。
「みんな古巣の顔見知りだからさ、何人も墓送りにしちまってあの子もだいぶ参ってるみたいなんだよ。食欲もあまり無いみたいでねえ…。」
それはあまり良い状態ではないな。シオリは優しいから、きっと誰にも言わずに抱え込んでいるんだろう。私はミバールに礼を言って工房へ向かった。
作業場にシオリは居ないようだ。建物の裏手に回ってみると、三つに増えた塚の前でシオリは手を合わせて黙祷を捧げているようだった。そっと肩に手を置くと、私に気が付いてこちらに顔を向ける。
「あっ…すみません。お身体の採寸ですね、すぐに支度を。」
シオリは私の横をそそくさと通り抜け、工房へと行ってしまった。確かにあまり元気が無いように見えるな。何と言って声を掛ければ良いだろうか…。
巻尺を持って待っているシオリの前に服を脱いで立つと、慣れた手つきで脚の方から細かく寸法を測ってゆく。
「シオリ…その……何もしてやれる事がなくてすまない。向こうも早いところ諦めてくれると良いんだけど…。」
シオリは手を止めて立ち上がる。
「いえ…こればかりは仕方のない事でございますから。わたくしも腹を括っておりますので……あら…?」
私の背中に指で触れるシオリ。少し冷たい指先の感触が上から下へゆっくりと伝う。
「少し
…そうかな?ずっと重い荷物を背負って歩いていたから、幾らか筋肉が付いたかもしれないな。右腕に力こぶを作ってみると、シオリが腕に触れて来た。
「もうこんなに太く……次は少し大きめに仕立てる方が良さそうですね。」
そうだな…次も上等なプレートジャケットを是非頼むよ。続けてシオリは後ろから胴体に手を回して来る。腹の辺りもなかなか引き締まって来たのではないかと自負しているところだ。
「旦那様……わたくし…あなたが無事に戻られるのを待ち焦がれておりました。」
吐息が背骨に掛かるのを感じる。そしてシオリは両腕で私の身体を締め付け、背中に密着して来た。これは採寸ではない…私は額の辺りがじっとりと湿る感覚を覚えた。
「お出掛けの間、ずっとお顔を見られないのがこんなに寂しいなんて……。」
ひんやりとした手の平は次第に胸元まで登って来た。身体はなぜか縛られたように硬直して動けない。やがて露わになっている胸の先端に指先が触れると、甘い刺激が頭の奥の方をじりじりと焦がす。思わず漏れた小さな溜息で硬直から解放された私は、咄嗟にシオリの手を掴む。
振り返ると顔を紅潮させたシオリと目が合った。シオリの思い詰めたような表情は、ぺろみとはまた違った雰囲気の美しさを備えている。切れ長の目の奥に覗く瞳は少し潤んでいるように見えた。そんな目で私を見ないでくれ……思いとは相反して、左手は無意識にシオリの頬を撫でている。
そして気が付くと私たちは唇を重ねていた。正確にはシオリに唇を奪われたのだが、私はそれを強く拒む気にもなれず流れに身を委ねてしまった。そのままだいぶ長い間抱き合っていた気がするが、一瞬の出来事だったような気もする。工房の扉が開く音で我に返り、私たちは反射的に身体を離した。
入って来たのはぺろみだった。一連の
ぺろみはシオリに駆け寄るなり、ひしと抱き付いて曰く
「シオリ!シオリの革のシャツ、すごく高く売れたんだよ。ありがと!」
ぺろみの弾けんばかりの満面の笑顔に、シオリも顔を綻ばせる。
「それは何よりでございました。お出掛けの間にまた何着か仕立てましたので、お役立てくださいましね。」
ぺろみは嬉しそうにシオリの頬に口づけをして感謝の意を示した。また顔を紅潮させ、困り顔のシオリにぺろみは続ける。
「黒龍党の事も何とかするから。ひとつ作戦を思い付いたんだ。みんなにも協力して欲しいから、用が済んだらキッチンに集合ね!」
そう言い残すと、ぺろみは踵を返して工房を出て行ってしまった。嵐が過ぎた後のような静けさと、電灯の明かりだけが残った二人を包んでいる。
「……ぺろみを待たせたくない。採寸はまた後にしよう。」
私は脱いだ服を手に取り、袖を通す。どんな顔でシオリと向き合えば良いのか分からず、一刻も早くこの場から逃げ出したかった。
「あっあの……申し訳ございませんでした。」
シオリが頭を下げる。
「旦那様がぺろみ様を憎からずお想いになっている事は、わたくしも承知してございます。……でも……。」
言葉を詰まらせ黙ってしまうシオリ。少しの沈黙の後で、私は小さく溜息をつく。
「…気に病む事はないさ。私たちは家族だ。お前の気持ちは嬉しく思うよ。…うん、まあ、だから…あまり抱え込まないでくれ。」
曖昧な返事でその場を取り繕い、行くぞ、の仕草でシオリを促して私たちは工房を出た。
キッチンに入ったのは私たちで最後のようだ。テーブルに着席して待ち構えていたぺろみは、部屋を見渡して皆が揃った事を確認して頷く。そして軽く咳払いをして会議は始まった。
「…まろやか村諸君!黒龍党の度重なる暴挙に対して、わたしたちは反撃に打って出るべきだと考えます!」
何やら演説めいた調子で話を切り出した。そうだ!ぶっつぶせ!ビシュマとジュラニが調子に乗って合いの手を入れる。一体何が始まるんだ…?
「なるべく小さい犠牲で、相手がこちらに手を出せなくするにはどうすれば良いか!そこでわたしは思い付きました!」
勢いよく立ち上がる。弁舌は熱を帯び、会議…もといぺろみの演説はいよいよ最高潮を迎える。
「黒龍党のディマクを、誘拐します!!」