……ゲームだと八話で終わりなんですよね、新サクラ。
拙作はやっとアナスタシア回。後最低でもさくら回と伯林回、そしてラストと三話は必要ですのでまだ終われません(汗
真夏の夜の夢も千秋楽を迎え、カンナが帝劇を出て行く事になった日の夜、格納庫では令士と紅蘭が初穂の協力を得て遂に夜叉対策を完了させていた。
「……これでどうやろか?」
「分かりません。一応理論上は大丈夫のはずですが……」
紅蘭が夜叉対策として施したのは霊子水晶を増やすという事だった。ただし、霊子水晶をそのまま増やすのでは意味がないし、早々新品の霊子水晶を六つも用意するのは難しい。
そこで彼女が目を付けたのが三式光武の霊子水晶だった。実は、さくらの三式光武はその母体として真宮寺さくらの光武二式を使用しており、その霊子水晶にはあの大久保長安との戦いを切り抜けた頃からの記憶が宿っている。
それを細かに砕き、それぞれの無限と念のため試製桜武の霊子水晶を保護するように配した上で初穂の浄化の力を持った霊力を注いでもらったのだ。
「なぁ、これってもしかして毎日やらないと駄目なやつか?」
無限を見つめて話す整備士二人へ初穂が若干疲れた顔で問いかける。
さくらの無限を直した時と違い、今回はしっかりとした神楽を舞ったため初穂はかなり疲弊していたのだ。
そこには舞台での疲れと打ち上げでの疲れもある。床に座り込んでいる初穂へ目を向け、紅蘭と令士は揃って申し訳なさそうな顔を浮かべた。
それが何よりの答えだった。
「……せめて夜にさせてくれ」
「それで十分や。おおきにな、東雲はん」
「ありがとう初穂ちゃん。今度お礼にカフェでもどうだい?」
「だから気持ちだけでいいっての。じゃあな」
素っ気無く返して初穂は立ち上がると格納庫を出て行った。
その背を見つめがっくりと肩を落とす令士を見て紅蘭が小さく苦笑する。
「振られてしもたな」
「ホントですよ。とほほ……」
「かなり年上で良ければお茶ぐらい付き合ったるよ?」
「ははっ、お気持ちは嬉しいし応じたいとこですがね、いくら俺でも勝てない勝負はしませんよ」
そう笑みと共に返され紅蘭は思わず目を見開いて瞬きをした。そんな彼女へ小さく笑い、令士はスパナを持ったままその場から試製桜武へと近付いていく。
「……参ったなぁ。お見通しか」
そう呟いて紅蘭は令士の背中を見つめる。
(勝てない勝負は、か。ならそれを今も続けてるうちらは、余程物好きかあるいは……)
若干遠い目をして紅蘭は笑う。
――今も恋をしとるんかな? 命短し恋せよ乙女って、もうそないな歳でもないのに……。
噛み締めるようなその声に込められたのは、自虐かあるいは哀愁か。その答えは本人にも分からない。
その頃、神山は資料室でクラリスと打ち合わせを行っていた。
八月公演の演目をどうするか。それを決めるためにである。
「真夏の夜の夢は手厳しい意見がない訳じゃなかったが成功を収める事が出来た。で、カオルさんからは出来る事なら次も過去の花組がやった演目はどうだと言われているんだ」
「と言うと?」
「候補は二つ。一つは“愛ゆえに”」
「っ?! ま、マリアさんが主演でヒロインを真宮寺さんがやった演目ですよね、それっ!」
クラリスの脳裏に甦るかつての思い出。まだ神山が来る前の事だ。
さくらの部屋へ初めて入った時、まず目に入った過去の花組のポスターの数々。そこの一枚にそれがあったのだ。
(もし“愛ゆえに”をやるなら、間違いなくヒロインはさくらさんだ。となると、相手役はアナスタシアさんが妥当かな……)
マリアの路線を行けるのは新生花組ではアナスタシアしかいないとクラリスは考えていた。それに関しては神山も同意見だったようで、クラリスがメイン二人の配役を告げると何の異論もなく同意したのだから。
次に神山が挙げた候補は“愛はダイヤ”。こちらも六人体制時代の花組では有名な演目であった。
「……カオルさん、思い切ってますね」
「実は、この二つの演目を候補にと言ってきたのはすみれさんらしい」
「すみれさんが……」
「ああ。真夏の夜の夢を見てすみれさんはきっとみんなに期待を寄せてるんだ。過去の自分達と肩を並べてくれるかもしれないと。だからこそ代名詞にもなっているような有名演目をやってみせろと、そういう事なんじゃないか?」
神山の予想にクラリスは思わず口元を両手で覆った。
「……光栄な事です。それに、今ならどちらをやってもそれでメインをやった方達に見てもらえます。これ程怖くて、だけど嬉しい事はありません」
「ああ、俺もそう思う。かつての花組の人達が多くいる今こそ、見てもらわないとな。クラリス達は立派に花組を継いでいけるって」
「はいっ! なら、明日早速みんなと相談しましょう。どちらをやるか」
「悪いが俺抜きで頼む。実は、俺は明日は朝から用事があって外出しないといけないんだ」
その言葉にクラリスが不思議そうに小首を傾げた。神山が朝から外出するなんて今までなかったからだ。
「珍しいですね」
「ああ。実はアーサーさんから朝食を食べながら話したい事があると言われて」
「男の人二人で、ですか?」
「多分モードレッドも来ると思う。ランスロットさんは……意外と朝が弱いらしいから無理かもしれないな」
「クスッ、そうなんですね」
「ああ。俺も初めて聞いた時は笑ったよ。可愛いところがあるんですねって言ったら怒られてしまったけど」
その瞬間クラリスの目が少しだけつり上がる。
「へぇ、そんな事言ったんですか?」
「ああ、お詫びにカフェでケーキを奢る羽目になった。口は災いの門だな」
「そうかもしれませんね。で、神山さん?」
「ん? っ?!」
そこでやっとクラリスの事を見た神山は息を呑んだ。クラリスの自分を見る目が冷たかったためである。
「く、クラリス? どうかしたか?」
「どーもしません。さてと、明日の朝みんなに神山さんがランスロットさんと二人でカフェでお茶した事話さないと」
「っ!? ちょ、ちょっと待ってくれ! そんな事されたら」
「されたら? 何ですか?」
面倒な事になる。そう言おうとして神山は何とか言葉を飲み込んだ。
それを言えばもっと厄介な事になると読んだのである。
なのでここはどうするかと考え、彼は同じ手段を使う事にした。
「く、クラリス? もし良かったらなんだが……」
その少し後、上機嫌で資料室を出て自室へ戻るクラリスの姿と、資料室で項垂れる神山の姿があった……。
翌朝神山が外出し留守となった中、クラリスからすみれ提案の演目についての話が行われた。
食堂で食事をとりながらのそれは、神山がいない事もあって一段と華やかさを持っていた。
「それで、みんなはどれをやるのがいいと思ってるの?」
アナスタシアがそう言いながらあざみへ視線を向けて微笑むと、何故か自分の口元を指さす。
あざみはそれが自分の口元にご飯粒がついている事を意味すると気付き、少しだけ照れくさそうに手を動かした。
そして彼女がご飯粒を取って口に入れると、アナスタシアが小さく苦笑して頷いた。
「私は正直迷っています。どちらも過去の花組の有名演目ですから」
「なら、あざみは“愛ゆえに”がいい」
「どうして?」
「愛はダイヤはカンナがやってた演目。そうなるとまたカンナの色が強い感じになる」
そのあざみの意外と鋭い指摘に誰もが感嘆の声を上げた。
「じゃ、アタシも“愛ゆえに”を推すぜ。今度はアナスタシアが花組の人達にジロジロと見られるといい」
「そうね。初穂は大変だったものね」
「おうよ。カンナさんと似てるからか、楽日のすみれさんとマリアさんがもう凄いのなんの。色々と言ってくれるのは嬉しいんだけどなぁ」
うんざりした顔で握り飯を齧る初穂。最初こそあのすみれだけでなくマリアまで感想を述べてくれた事を喜んでいたが、それも限度があると思ったのだ。
たっぷり楽屋前で十分近く話をされ、解放された初穂はヘトヘトになっていたのだから。
それを思い出して項垂れる初穂を横目に、さくらは苦笑しながら手を挙げた。
「クラリス、一ついい?」
「はい、何ですか?」
「今回は配役どうするの? オーディション?」
「そうですね……アナスタシアさん、どうするべきでしょう?」
「……今回は役者は足りるのでしょ?」
思案顔をしたアナスタシアだが、何かに気付いてクラリスへそう確認を取った。
頷くクラリスを見てアナスタシアはならばと息を吐いてさくらを見つめた。
「さくら、私と一緒にかつての花組と本格的にぶつかってくれる?」
「はいっ!」
「決まり……ですね」
「だな!」
「うん」
こうして演目は“愛ゆえに”へ決まり、配役も特に問題もなく決まった。
早速とばかりにクラリスは資料室へ行きかつての花組が使ったであろう台本を探す事にし、さくらは初穂やあざみと共に衣装作りへと取りかかる事に。
そうやって動き出す彼女達を見つめ、アナスタシアは一人深くため息を吐いた。
「……トップスタァ。そう呼ばれたけど、本当に今の私はそれに相応しいのかしら?」
アナスタシアの脳裏に甦るさくら達四人の姿。誰もが内側からの輝きを放っていた姿を。
まさしく綺羅星の如く生命力を燃やして舞台を彩っていた姿を思い出し、アナスタシアは天井を見上げた。
「あの子達はここに選ばれてやってきた。でも私は違う。私は彼に言われて来たに過ぎない。そんな私が……」
最後だけは声を出さず口だけ動かし、アナスタシアは自嘲気味に椅子から立ち上がる。
その頃神山は大帝国ホテルのレストランでアーサーやモードレッドとテーブルを囲んでいた。
「大都市で大きな魔が出現している時は他の都市に降魔が出なくなる?」
信じられないという表情を見せる神山へアーサーは静かに頷いた。モードレッドもやや驚きの表情でアーサーを見つめていた。
「過去のデータから見てもまず間違いない情報だと思う。実際、かつての帝国華撃団が出来た頃、それも大神司令が隊長として指揮を執っていた時は二度大きな魔が組織を作って襲っている。その時、パリやロンドンなどで降魔などの被害は一切出ていない」
「どうしてだ?」
「それは不明だ。ただ、これは僕の予想なんだが、もしかすると降魔などの魔は根のような物があって、それがこの世界全体で繋がっているんじゃないだろうか」
「……大本は一つだからどこかが大きく成長すると他に栄養がいかなくなる?」
神山の例えに小さくアーサーは頷いた。それを見てモードレッドが理解したとばかりに頷く。
「じゃあよ、その大本ってのが降魔皇だったんじゃないか?」
その意見に神山だけでなくアーサーも息を呑んだ。
「モードレッド、それだ。そう考えると納得がいく」
「ですね。全ての魔の大本が降魔皇とすれば、何故降魔達がこの帝都にこだわるかは分かり易い」
「ああ。奴らの大本、つまり根なんだ。根が封じられている限り葉も枝も花も育たないはずだ。なのに、今も降魔は現れている。そうなると……」
「封印が揺らいでいる。あるいは……」
「もっと簡単に言えよ。十年って時間が封印された奴にとっても十分な時間だったって事だろ? で、その結果降魔共が湧き出てきてる」
嫌そうなモードレッドの言葉に二人も苦い顔を浮かべる。そう考えるのが一番納得出来てしまうからだ。
だが、もしそうなら意味する事は凄まじく重い。かつての三華撃団がその霊力と引き換えに封じるのが精一杯だった相手を、横の繋がりが弱い自分達が迎え撃たねばならなくなる。
その際、撃破どころか封印さえ出来るか怪しい。そう神山もアーサーも痛い程感じていた。
「アーサーさん、これは俺達だけで考える事じゃない気がします」
「そう、だな。よし、僕はマリアさんへ報告しておく。神山、君は」
「大神司令やシャオロンへも伝えます」
「そうしてくれ。情報共有は早い方がいい。これがただの考え過ぎであって欲しいものだ」
「まったくです」
二人の隊長はそう言いながら、どこかでこの考えが限りなく真実に近いような気がしていた。
「なら難しい話はもう終わりでいいな? さっさと飯食おうぜ。冷めちまう」
「まったく……お前と言う奴は」
「ははっ、でもモードレッドの言う通りですよ。それと、正直英国式の食事は初めてに近いのでマナー違反があれば教えてくれると助かります」
「おや、した事はあるのかい?」
「軍学校で少しですが習いました。ただ、あくまで少しです」
「あまり気にしなくてもいいぜ。本国なら煩いだろうがここは日本で俺達しかいない。気楽に食えよ」
「言いたい事は色々あるが、まぁ今回はモードレッドの言う通りだ。それに、何でもそうだが基本は美味しく食べる事と作り手に感謝する事だからな」
「同感です。では、いただきます」
ぎこちなくだがナイフやフォーク、スプーンを使って食べ進めていく神山。綺麗に英国紳士然とした見事さで食べるアーサー。最低限は気を遣うも、時折マナー違反をするモードレッド。
そんな男三人の食事は意外にも賑やかに進む。神山がアーサーへシャオロンとの繋ぎをすると話を振ったのだ。
そこから話がシャオロンの料理の腕へと移り、倫敦華撃団の三人が中華料理を食べた事がないと聞いた神山はならばと昼食を神龍軒で取る事を提案した。
「そこで一度シャオロンと話をしてみるべきです。俺達隊長が横の繋がりを作っておかないで、どうやっていざとなった時連携を取るんですか?」
「……そうだな。モードレッド、君はどうする?」
「ちゅうか、なぁ……。美味いのかよ?」
「ああっ!」
何故か自信満々に即答する神山に面食らうモードレッド。アーサーも若干ではあるが呆気に取られていた。
「…………まぁなら一度食ってやってもいいか」
「き、決まりだな。では神山、すまないが」
「ええ、シャオロンには伝えて席を確保してもらいます。それで、三人ですか? 四人ですか?」
「四人で頼むよ。減るのはいいが増えるのは難しいだろうから」
話がそこでまとまり、次の話題をと思った神山は視界の隅に映った存在に意識を向けた。
「ランスロットさんっ!」
「ん~? ……あれ? 神山じゃん」
いかにも寝起きと言った顔でふらふらと歩きながらランスロットが三人のいるテーブルへと近付く。
その様子を見て珍しくアーサーとモードレッドが同じ顔をした。即ち呆れ顔である。
「ランスロット……」
「お前、それでも女かよ」
「仕方ないじゃん。二度寝が出来なかったんだからぁ」
「に、二度寝……」
「もう少しって言ったのに、マリアさんったらもう朝なんだから起きなさいって。いいじゃん、もう少しぐらい寝てたって」
ムスッとした顔で文句を述べるランスロットだが、マリアの言う事が当然だと思うためか珍しくモードレッドさえも何も言わない。
それを同意と取ったのか、ランスロットは腕を組んで大きくため息を吐いた。
「ホント酷いよね。あたしがどれだけ眠たいかを力説したのに……」
「「「いや、なら起きろ」」」
男三人から突っ込まれ、ランスロットは不満そうにジト目を向ける。
「ナニナニ~、急に仲良くなっちゃってさ。男同士で友達にでもなったの?」
「友達……」
「って言う程でも……」
「なぁ……」
互いの顔を微妙な表情で見つめ合う神山達を眺め、ランスロットは小さく笑うとテーブルの上に残っていたロールパンを見つけて素早く手にするや口へと運んだ。
「あむっ」
「ああっ! 俺のパンだぞ、それっ!」
「んむ? もぐもぐ…………ふぅ、美味しかったよ。ありがとね、モードレッド」
「ありがとね、じゃねえっ!」
あっけらかんとしているランスロットへ握り拳を見せるモードレッド。その二人を見て神山は少しだけ後ろへ椅子を下げると、アーサーへ軽く笑みを浮かべて耳打ちするように問いかけた。
「いつもこうなんですか?」
「……残念ながら最近からだ」
そう苦笑しながら答えるとアーサーは片手を挙げた。するとすぐにホール担当の人間が静かに近付いてくる。
「何かご用でしょうか?」
「すまないがパンとスープのセットをもう一人前頼めるかな。それと紅茶とスコーンに……パンだけ追加で一人前。軽く焼いてくれると嬉しい」
「かしこまりました」
一礼して去っていく男性を見送り、神山はアーサーへ目を向ける。
「今のって……」
「ランスロットの分とモードレッドの分さ。さてと……」
静かに椅子から立ち上がると、アーサーは未だ揉めている二人へ近付いて……
「そこまでだ。それ以上騒ぐならマリアさんへ報告するよ」
伝家の宝刀とばかりの一言でそれを終わらせたのだ。
「ちっ……」
「はーい……」
渋々矛を引いて椅子へ座るモードレッドと、空いている椅子を勝手に動かして座るランスロットに神山は小さく苦笑した。
(何となくだけど試合前よりも三人の雰囲気が良くなってるな)
もしかすると何かあの試合であったのかもしれない。そう思うも詳しい事を聞くのは野暮だと思って神山は両手を合わせる。
「御馳走様でした」
「おや、もういいのか?」
成人男性が食べる量としては少ないと思ってアーサーが疑問符を浮かべる。モードレッドも口には出さないが同じ事を思ったらしく、似た顔で神山を見ていた。
「ええ。それに今から神龍軒へ行ってシャオロンへ話を通しておきたいもので」
「そうか」
「はい。では失礼します」
「神山、さくらへ帰国までにまた手合せしようって言っておいて」
「分かりました」
「上海の奴らに変なもん食わせたら承知しないぞって言っとけ」
「そう言うと逆にそうされるぞ」
ゆっくり歩きながらモードレッドへ言い返して神山はレストランを後にする。
そのまま彼はホテルを出ると神龍軒へと向かう。まだ開店前なので今行けばアーサー達の予約が余裕で可能だからだ。
八月が近付き、夏の日差しは鋭さを増していく一方。そんな中を歩きながら神山は今後の事をぼんやりと考えていた。
華撃団大戦も残すは決勝のみ。相手は華撃団大戦始まってから負けなしの二連覇を遂げている名門伯林華撃団。
その戦い方はあの銀六百貨店前での戦闘で見ただけ。それでも強敵である事は疑いようがない。
(かつての三華撃団無き後、先頭を走り続けている伯林華撃団。その強さは間違いなく上だ。俺達が勝つためにはどうすればいい?)
チームワークは優秀と言えるかもしれないが、それもあくまで自己評価。伯林のそれを見ていない以上何とも言えないのが現実だ。
更に一つだけはっきりしているのは伯林の方が個人では上だろうと言う事だった。
「……上海、倫敦よりも強敵と思ってぶつからないといけないな」
ここまで戦い打ち破ってきた先輩である二つの華撃団。その想いと願いを受け継いで自分達は伯林へ挑まなければいけない。そう心に改めて誓い、神山は前を向いて歩き続ける。
やがてその視界の先に見慣れた店構えが現れた。最早馴染みと言っても差し支えない神龍軒の前へ到着すると、神山は静かに入口を開けた。
「ごめんください……」
「あっすみませんまだ……あれ? 神山さん……?」
「やぁミンメイ。入ってもいいかな?」
「は、はい。どうぞ」
「ありがとう。っと、それでシャオロンかユイさんはいるかい?」
店内にはテーブル拭きをしているミンメイがいるだけで、他は誰も見当たらなかったため、神山は入店の許可を得るやミンメイへ目線を合わせて優しく問いかける。
子ども扱いの対応だがミンメイは怒る事もなく、少しだけはにかみながら頷いた。
「はい。シャオロンさんなら」
「ミンメイ、拭き掃除終わったか?」
丁度良く裏からシャオロンが顔を出し、頭を掻きながら店内へとやってきた。
どうやらついさっき起きたところらしく、髪の毛が所々跳ねている。
「あ、シャオロンさん。神山さんが来てます」
「は?」
「こんな時間から悪い。少し頼みがある」
寝起きに近いシャオロンへ神山はアーサー達との会話を軽く話して、今後を見据えた事を話すために席を確保しておいて欲しい事を告げる。
そうなればシャオロンも首を縦に振る以外ない。これで神山がここに来た用件は終わったようなものだったのだが……
「シャオロンさんは、みんなのお兄ちゃんって感じです。先輩達からはからかわれてますけど、でも信頼されてます」
シャオロンが仕込みをしている中、掃除を手伝った神山は少しだけミンメイから聞き込みを行っていた。
自分から見たシャオロンとは異なる顔を見ているだろう人間からの意見を聞くために。
「お兄ちゃん、か。ミンメイは上海じゃ一番年下なのか?」
「は、はい。入ったのも一番新しいので、みんなからは妹みたいに扱われてます」
「そうか。ユイさんはどうだ?」
「ユイさんは、私には優しいお姉ちゃんです。でも、先輩達からすると手のかかる子って言われてます」
「へぇ……」
「だけど、みんなシャオロンさんやユイさんが大好きです。そして紅蘭さんも」
「成程なぁ。じゃ、ミンメイはお兄さんやお姉さん達が沢山いるようなものだな」
「は、はい」
どこか気弱な印象を与えるミンメイの笑みに神山は笑みを返す。
「そうなるとミンメイは凄いんだな」
「え? どうしてですか?」
「いや、先輩隊員がいる中で出場選手に選ばれたんだからな」
「あ、えっと……それは……」
「ミンメイ、店前の掃除頼む」
神山の言葉に表情を曇らせるミンメイだったが、そこへシャオロンからの声がかかる。
まるでミンメイを助けるかのようなタイミングのそれに神山は顔を厨房の方へ動かした。
シャオロンは手元へ顔を向けていて二人の方を見てはいない。それでも、神山は何となくではあるがシャオロンが自分達の事を気にしていると感じていた。
「は、はい。神山さん、すみません」
「いや、いいさ。こっちこそ仕事中に悪かった」
「い、いえ、私も少しだけ神山さんとお話出来て嬉しかったです」
軽く頭を下げて掃除道具を手に外へ出て行くミンメイを見送り、神山が椅子から立ち上がる。
「あいつを気にかけてくれるのは嬉しいが、お前はお前のとこの仲間へ気を配れ」
そこへ告げられた言葉に神山はやはりなという顔をしてシャオロンの方へ向き直る。
「すまない。どうも俺はお節介が過ぎるらしい」
「自覚があるならいいさ。まぁ、俺も外の人間と関わる事であいつが少しでも変わってくれたらって思わなくもないからな」
「変わる……」
「ああ。感じてるだろ? あいつの気弱さ」
その言葉に神山は小さく頷く。おどおどとした雰囲気を常に纏っているミンメイ。シャオロンやユイに比べるとそれは顕著と言えた。
「ああ見えてあいつ、霊力は俺達の中で群を抜いてるんだ。ただ、それを性格もあってか上手く引き出せてないんだよ。何とかしてやりたいんだが、こればっかりは無理矢理って訳にもな」
「そうか。お前はお前で苦労してるんだな」
「何だよ? 俺が気楽に隊長やってるとでも思ってたのか?」
「そういう訳じゃない。むしろそういうところを見せずにいた事を凄いと思うぐらいだ。俺は隠せないだろうからな」
織姫やカンナに言われた言葉を思い出して苦笑する神山だが、そんな彼を見てシャオロンはこれ見よがしにため息を吐いた。
「お前がどう思ってるか知らないがな、俺はお前よりも先に隊長やってんだ。もっと言えば最初から隊長じゃない。なら少しはお前よりはしっかりもするっての」
「……そんなものか」
「おう。さ、もういいだろ。倫敦の連中の席は確保しておく。で、そん時はお前も来るのか?」
「可能なら。それと、一応エリスさんへも声をかけておく」
「伯林の隊長、か。なら大神司令から声をかけてもらえ。その方がいい。席もかなり多めに確保しておく」
「そう、だな。そうしてくれると助かる。じゃあ帝劇に帰るよ。邪魔したな」
「別にいいぜ。ま、今度からは仕込みを手伝ってもらうけどな」
互いに笑みを見せ合って会話が終わる。店の外へ出た神山は、小さな体で懸命に箒を動かしているミンメイを見つめ微笑む。
(あんな子でも潜在能力は高いのか。本当に人は見た目じゃ分からないな……)
幼くても華撃団の隊員なのだ。そう思って神山はミンメイへその場から声をかける。
「ミンメイ、掃除頑張れ。また昼に来れたら来るから」
「え? あ、はい。お待ちしてます」
三つ編みを揺らして振り返り笑顔を見せるミンメイへ、神山は一度だけ手を挙げて背を向けると歩き出す。
帝撃の最年少であるあざみとは大きく異なる性格のミンメイ。だからこそ神山はもう少し同年代かそれに近い相手との交流を持たせるべきではと思い始めていた。
(ミンメイはみんなが兄や姉と言っていた。つまり上海華撃団に友人がいないんだ。あざみならそこまで歳が大きく離れていないし、姉とはならないんじゃないだろうか……)
お節介かもしれないと思いつつも、やはり同じ仲間だと思うと考えてしまうのだろう。神山は帝劇へ帰るまでの間延々と他の華撃団について思考を巡らせるのだった。
帝劇へ戻った神山はその足で支配人室へと向かうとアーサー達との話し合いを少しだけ話して、これを全ての華撃団で考えるべきではないかと大神へ持ちかけた。
「降魔皇の正体が降魔達の大本とすれば、夜叉が復活させようとしているのも目的がはっきりします」
「そうだな。言われて考えると君達の推測は納得出来る部分が多い。よし、俺から伯林へは連絡しておこう。神山、俺もその場へは同席する。君も同行してくれ」
「はい。では、失礼します」
「ああ」
支配人室を退室しドアを閉めて神山がどこへ行こうかと振り向いた瞬間、彼の目の前に最早お馴染みの現れ方であざみが姿を見せる。
「誠十郎、おかえり」
「ああ、ただいま」
「演目、“愛ゆえに”に決まった」
「そうか。それを伝えに?」
「それもあるけど、相談があって」
「相談?」
珍しい事もあるなと思って神山が首を傾げると、あざみはアナスタシアが最近元気がないように感じている事を話し出した。
あざみがそう気付いたのは倫敦戦が終わってから。舞台が終わると一人だけ自分達とは距離を置いて息を吐くのを見た事が切っ掛けだった。
それから注意して見ていると、楽屋や夜に中庭で星を見上げている時も表情が冴えない事が多かった。それを神山へ話してあざみは表情を曇らせる。
「誠十郎、アナスタシアはどうして何も言ってくれないんだろう?」
「そうだな……」
どう答えるべきか。そう思って思案する神山だったが、そこで出た答えは一つしかなかった。
「分かった。俺がそれとなく探りを入れてみる」
「そう。誠十郎なら安心」
表情を柔らかい笑みへ変えたあざみを見て神山は任せろとばかりに頷くも、そのままいなくなりそうなあざみへ神山は一つ頼み事をする。
「みんめい?」
「ああ、上海華撃団の子なんだ。でも一番年少で周囲が兄や姉のような人ばかりらしい。もし良かったらあざみが友達になってやって欲しいんだ」
「友達……」
目を見開いて呟くあざみ。彼女も今まで友達など出来た事もなければ作った事もなかったのだ。
「無理にとは言わない。ただ、年少で周囲が年上ばかりなのはあざみも同じだからさ」
「……分かった。みかづきのおまんじゅうを持って会いに行ってみる」
「そうか。っと、そうだ。みんなはどうしてる?」
「さくらと初穂は衣裳部屋。クラリスは資料室。アナスタシアは外へ出てるみたい」
「分かった。ありがとう」
「あざみも誠十郎に相談乗ってもらったからおあいこ」
そう言ってあざみは神山の前から消える――かと思われたがそのまま衣裳部屋へと戻って行った。その背を見送り、神山はまず資料室へと足を向ける。
資料室ではクラリスが“愛ゆえに”の台本を読んでいた。その表情は真剣そのものであり、きっとそれが脚本家クラリッサの顔なのだろうと神山は思った。
若干声をかけるか迷ったが、一応戻ってきた事と昼にまたいなくなる事を連絡しておこうと思ったのだろう。やや意を決したような表情で神山はクラリスへ近付いた。
「クラリス」
「え? 神山さん? 帰ってきてたんですね」
「ああ。と言ってもまた昼には出かけるんだ」
「そうなんですか」
「すまない。それで演目が決まったって聞いたよ。それが台本か?」
「はい。あっ、そうだ。神山さん、意見を聞かせてくれませんか? 実は……」
そこでクラリスが話したのは台本の変更についてだった。クラリスはいっそ台本に手を加えずそのままやりたいと考えていたのだ。
それは、まさしくかつての花組とぶつかるため。台本はまったく変えず、その芝居や演出で差をつけるべきだと考えていたのである。
その考えを聞き、神山は悟る。それがクラリスの女優としての挑戦だろうと。脚本家としてではなく元々の役者として偉大な先輩達とぶつかりたいと考えているのだ。
「……俺もそれでいきたい、かな。台本を変えないからこそ、かつての“愛ゆえに”を知る人達は俺達が昔と同じ台本でやっていると気付いてくれるはずだ」
「はい。勿論厳しい目に晒されるかもしれませんけど、私は誤魔化す事なく正面から挑みたいんです」
「いいと思うよ。俺はその意見に賛成だ」
「じゃあ……」
「俺もクラリスと同じ意見としてみんなに伝えてくれ。っと、ただそれはみんなの意見が出そろってからで頼めるか?」
「ふふっ、分かりました。神山さんの意見がそうだって伝えると影響されるかもしれませんもんね」
以前大神に言われた言葉を思い出しての頼みの意図にクラリスは気付いた。そこで神山は思うのだ。それだけ目の前の少女は人の意見が揺らぎ易い時があると知っているのだと。
逆を言えば、人の言葉で変わった経験を持つ故にクラリスは知っているのだ。特に神山が自分達へ与える影響力の強さを。
資料室を後にした神山は衣裳部屋へと向かう。そこでは三人がさくらが持ってきたポスターを参考に悪戦苦闘しながら、ヒロインであるクレモンティーヌや主役であるオンドレの衣装を作り始めていた。
「大変そうだな……」
「ん? おっ、神山じゃねーか」
「おかえりなさい神山さん」
顔を出した自分に気付いて笑みを見せる初穂とさくらに神山は違和感を抱いた。
「あれ? あざみ、俺が帰ってきた事教えなかったのか?」
「うん。それよりも今は衣装作りの方が大切だから」
「成程なぁ」
「いやいや、成程なぁ……じゃねーだろ」
「そうですよ」
「いや、でもなぁ……」
衣装作りが大変そうだと感じている神山としては、あざみの言葉には納得するしかない。
実際今も見えている初穂の手元にある物は、簡単に作れるとは思えそうにない装飾付きである。
軍人であるオンドレだから軍服であり、しかもかなりの役職にあるために装飾も華美だからだ。
「そうだ。すまないがまた昼に外出する事になったんだ」
「また? 今度はどこへ行くんだよ?」
「神龍軒だ。支配人と一緒に他の華撃団を交えて会議みたいな事をな」
「「「神龍軒で会議……」」」
神龍軒で会議との単語で思い浮かべるイメージはそれぞれで若干異なっていた。
さくらは店を貸し切り状態にして楽しく会食しながらの話し合いを、初穂は会食しながらも真剣な話し合いを、あざみは全員で料理の感想を言い合っての新メニュー決定会のようなものを思い浮かべた。
「わたし達にも帰ってきたら話してくださいね」
「ああ、そのつもりだ」
「大変だな、神山」
「そうでもないと思いたいけどな」
「誠十郎、ズルい」
「ず、ズルい?」
見事な感想の違いに戸惑いも浮かべながら、神山は三人へ激励の言葉をかけて衣裳部屋を出た。
そこで彼は食堂で軽食を食べる事にする。このままでは昼までもたないと感じたのである。
「おや、神山君じゃないか」
「白秋さん……」
食堂で神山へ声をかけたのはさくらの剣の師匠である白秋だった。彼女のテーブルには美味しそうなオムライスがある。
「オムライス、ですか」
「ああ。大帝国ホテルでも食べたが、私にはここの味が一番のようだ」
「へぇ、オムライスがお好きなんですね」
「好きなんてものじゃないな。神山君、これは一つの芸術だよ。黄色い衣を纏った真紅の米の中に翡翠の輝きを持つ宝石や白き財宝が隠されているんだ」
「は、はぁ……」
仰々しくオムライスの事を語る白秋にどうしたものかと戸惑う神山。このままでは終わらないと思った彼は話題を変える事にした。
「あっ、そういえばオムライスなら煉瓦亭はどうです? 帝劇から近いらしいですし、お客さんから聞きましたが歴史もあって美味しいらしいですよ」
「煉瓦亭、か。ふむ、名前は聞いた事があったがまだ行った事はなかった店だ。感謝するよ神山君。まだまだ私の知らない店は多いな」
「いえ、俺も色んな店で同じ料理を食べるなんてやった事があまりないので、今度から少し意識してみようと思います。では、ごゆっくり」
こうして白秋から解放された神山は軽い食事を終え、どうしたものかと考える。あざみからの相談を思い出してアナスタシアと話をしなくてはと思ったのだ。
(ただ、アナスタシアがどこにいるか……ん?)
ふとアナスタシアがエリスと歌舞伎座でよく顔を合わせると言っていた事を思い出し、神山は席を立つと歌舞伎座を目指して動き出した。
「……いたいた」
歌舞伎座へ到着すると丁度アナスタシアとエリスが出てくるところだった。見たばかりの舞台の感想を言い合っているようで二人の表情は楽しげだ。
それを見て神山が声をかけるのを少し躊躇うも、二人が彼に気付いたらしく足を止めて笑みを向けた事を受けどこか申し訳なさそうに歩き出した。
「やはり神山か。どうしてここに?」
「キャプテンも歌舞伎を見に来たの?」
「いや、そういう訳じゃないんだ。ここなら二人に会えるかと思って」
「あら、堂々と二股?」
「ふたまた?」
アナスタシアの発言に首を傾げるエリスだが、神山としては堪ったものではない。二股などかけるつもりもなければしてもいないと彼は思っているのだから当然だ。
事実、たしかに彼は二股などかけていない。ただ、気付かない間に自身へ色恋の矢印が四つ向けられているのだが、それに気付けと言うのも難しいだろう。
「エリスさん、意味は後で教えます。それと、俺はそんな事は決してしてませんから!」
「そ、そうか。分かった」
「クスッ、それで? 一体何の用なのキャプテン」
「ああ、エリスさんにはきっとレニさんから連絡がいくと思うんですが……」
まずエリスへ昼食会も兼ねた神龍軒での会議を説明する神山。その際、軽くアーサー達と話していた内容を語るとエリスの表情が少しだけ真剣なものへ変わった。
「……成程な。たしかにそれは興味深い。分かった。すぐに戻って教官へ聞いてみよう」
「すみません。折角二人で楽しく話していたのに」
「いや、構わない。アーニャとはまた別の機会に話すさ」
「あ、アーニャ?」
まさかの愛称呼びに目を見張る神山へアナスタシアが苦笑しつつ説明を始めた。
今のように頻繁に歌舞伎座で出会うため、自然と親しくなっていき、ひょんな事で話した愛称を聞きエリスがならばと呼び始めた事を。
「で、私も別に嫌じゃないから受け入れたの」
「ちょっと待て。親しい者だけが呼べるとは言っていなかったぞ?」
「でも限られた相手しか呼んでないと言ったじゃない」
「それはアーニャが認めてないからではないのか?」
「そういう訳じゃないわ。実際に私をそう呼んでくるのは織姫さんとシャノワールのダンサーの一人だけよ」
「シャノワール? 巴里華撃団の人だろうか?」
「エリカ・フォンティーヌ。アーニャって呼び出したのはあの人なの」
「エリカさんか。成程、たしかにあの人ならそうだろう。マルガレーテもマルちゃんと呼んでいた」
神山はその会話を聞きながら小さく苦笑していた。アナスタシアとエリスが本当に仲の良い友人にしか見えなかったからだ。
世界的トップスタァと独逸が誇るスタァとは思えない程、まさしく歳相応な雰囲気とやり取りに神山は笑みが浮かんでいたのだから。
「二人共、盛り上がってるところ悪いけど場所を変えよう。ここじゃ道行く人の邪魔になる」
昼前とはいえ歌舞伎座周辺も人の動きが活発化する時間となっている。長話をするならせめて道の端へ行くべき。そう思っての神山の言葉に二人も同意し、ならばと宿泊場所へ戻るエリスと共に歩き出す事に。
アナスタシアとエリスが隣り合って歩くその少し前を神山が歩く形となったが、会話には彼も参加していた。今の話題はアンネ。彼女の私生活がだらしない事をエリスが語っていたのだ。
全ては神山が決勝戦を見据えての情報収集として振った言葉から始まった。
――そういえば以前帝劇へ来てくれた時、エリスさんとマルガレーテさんは薄着でしたけどアンネさんは上着を羽織っていましたね。
何の気なしの会話の切っ掛けだった。まさかそれが思わぬ情報を聞く事になるとは神山も思っていなかったのである。
アンネは実は前隊長であり、エリスが隊長となる前は色々と私生活で世話を焼いていた存在だったのだ。
戦闘服の時はいいのだが私服は露出度が高く、特に夜など本人の見かけもあって娼婦と間違われる事も多く、そのために私服での外出時は上着を着用する事が厳命されていた。
それらを話すと、エリスは大きくため息を吐いて新入隊員時代の苦労を語った。部屋は二日と持たず散らかし、朝は起こしに行かなければ昼まで平気で眠り、隊長にも関わらず自分が一番無意識で規律を乱す。
その世話役をするのは一番の新入りと決まっていたため、エリスはいつ来るか分からぬ後輩を待つよりも自分がアンネの上になる事を選んだと言う訳だった。
「そして私がアンネの推薦もあって隊長となり、少しの間彼女は自立するようにレニ教官から指導を受けていたのだが、マルガレーテが入隊し世話役となった」
「じゃあ、今はマルガレーテさんがアンネさんの世話を?」
「……お気の毒に。あら? じゃあ、もしかして彼女が出場選手に選ばれてるのって……」
無言で頷くエリスに苦笑するアナスタシアだったが、そこで何故前隊長のアンネが出場選手に選ばれているのかを察してしまう。
「そうだ。世話役であるマルガレーテにその前の世話役だった私。更に言えば唯一アンネを上から指導できるレニ教官もいなくなるためだ」
「な、何と言いますか、かなり凄いんですね、アンネさんの自堕落さは」
「ああ。レニ教官が言うには入隊当初はそうではなかったらしい。だが、頭角を現していくのと同時に段々だらしなくなっていったそうだ」
「実力で周囲を黙らせる事が出来るようになったからかしらね?」
「分からない。そういえばレニ教官も指導はしていたが、あまりキツイ言い方はしなかったな……」
言いながら自分でも不思議そうに首を捻るエリス。レニは基本的に真面目であり規律を重んじる傾向がある。そんな彼女がいくら隊長だからと言って指導の手を抜くだろうかと、そう思ったのだ。
そうやって会話している内に三人は各国の飛行戦艦が駐留しているスタジアム付近へと到着する。
「ん? あれはマルガレーテさんか?」
目指す方向から駆けてくる少女を見つけ神山が足を止める。エリスとアナスタシアもそれに合わせて足を止めると、マルガレーテも三人を見つけたようで速度を落として近付いた。
「エリス、戻ってきたのですね」
「ああ。昼の話し合いについては神山隊長から聞いた」
「そうですか。レニ教官が一緒に来るようにと」
「分かった」
頷くとエリスは神山へ顔を向けた。
「送ってもらってすまない」
「いえ、こちらも色々と聞けて楽しかったです。良かったらまた今度昔の話を聞かせてください。出来ればエリスさんの」
「私の、か。それは……」
「エリス、貴方がミスターや紅蘭さんなんかへ頼んでいるのは今のキャプテンと同じ事よ?」
「うっ……」
自分の過去を他者へ話すのは気が引けると言いたそうなエリスへ突きつけられる容赦ない事実。それを聞いてマルガレーテも小さく頷いた。
「そうです。エリス、これを機に少し自重を」
「……そう、だな。だ、だがな? やはり十年以上も前から魔と戦い世界を守ってきた方達と私では」
「エリスさん、どんぐりの背比べです」
「どんぐり?」
「たしかアイヒェルの事です」
「ああ、あの木の実か。それが?」
「要するに傍からみればどっちもどっち。大差ないって意味ですよ」
神山の説明にエリスは今度こそ返す言葉を失い、がっくりと肩を落とす。それを見て神山とアナスタシアは苦笑し、マルガレーテは呆れるように息を吐いた。
そこでエリスと別れた二人は帝劇へと並んで帰る事になる。その道中、神山はあざみの相談を思い出してアナスタシアへ会話を振ってみた。
「アナスタシア、今度の舞台への意気込みはどうだい?」
「意気込み?」
「何せ今度は初めてのゲストなしの、しかも台本修正や変更もなしでやるかもしれない舞台だ。文字通りかつての花組との勝負と言っていい」
「台本に手を入れないの?」
「ああ、クラリスはそうしたいらしい」
「……そう。思い切った事を言うわねクラリスも。なら私も主演としていい舞台を作ってみせるわ」
頼もしそうに笑みを見せるアナスタシアだったが、その表情がふと一瞬だけ曇ってから笑みへと戻る。それを神山は見逃さなかった。
(今の光景、たしかどこかで……?)
記憶を辿ろうとする神山だったがその間も会話は続く。アナスタシアは笑みを見せたまま話をしているが、それが時折偽物のように神山には見えていた。
いや、正確には何かを隠すような印象を抱いたのだ。それが何かは分からぬまま、神山はアナスタシアと会話を続けた。
何度か悩みや困っている事などないかと探りを入れるも、それにアナスタシアは特にないから心配いらないと言うような事を返すのみ。ただ、その時の表情は普段と異なる印象を受ける笑顔。
結局最後まで彼女が隠しているものが分からぬまま帝劇へと到着し、神山は衣裳部屋へ向かうと告げて去っていくアナスタシアの背中を見送るしかなかった。
「……あざみの心配は当たっているのかもしれないな」
アナスタシアが何かを隠している。それは間違いないと神山は確信した。ただ、それを話すつもりが本人にはない事も。
そこで彼が思い出すのはいつか大神に言われた言葉。
――隊長はたしかに隊員の事を知っておく方がいい。持っている能力や考え方などだな。でも可能な限りそれは、資料や他人から知るのではなく本人から教えてもらうべきだ。
今こそ本人から教えてもらえるようにするべきだ。そう考え神山は息を吐いた。
「とりあえず今は支配人と一緒に神龍軒へ行かないとな」
まずは目の前の事を片付けよう。そう結論を出して神山は支配人室へと向かって歩き出すのだった。
神山が大神と共に帝劇を出た頃、サロンではさくら達五人が集まって台本に関しての意見交換を行っていた。
まずクラリスが一切手を加えず上演する事を提案。その理由も含めてのそれにさくら達は思わず息を呑んだ。
「文字通り、今回はかつての花組への挑戦状って訳か……」
「はい。それぐらいしないといけないと思います。まず、私達は織姫さんとアナスタシアさん二人のトップスタァの力で帝劇へお客さんを戻しました。次に予期しないカンナさんの協力と過去の有名演目で私達自身の演技を認めてもらいました。なら、次は完全に私達だけの力でここを満員にしてみせる必要があります」
その言葉の意味を誰もが噛み締めて頷く。
「そうだね。その上でさくらさん達がやった演目をやってのける。わたし達も花組なんだって、そう思ってもらえるように」
「あざみもそう思う。それでカンナ達に褒めてもらえるように頑張る」
「だな。織姫さんやカンナさんの力を借りなくてもアタシらは出来るって、お客さん達に言わせてみせるか」
迷いなく決意を言葉として紡ぐ三人。それを聞いてアナスタシアは目を見張っていた。
(これが私が来た時は観客席を半分埋めるのがやっとだった子達? まだ役者としての自信も固まっていなかった子達が、たった二か月弱でここまで変わるものなの?)
トップスタァの自分をファンと同じ眼差しで見てきたさくらやクラリスの事を思い出し、アナスタシアは言葉を失っていた。
以前も感じたさくら達の成長速度。それを今ここで改めて実感してしまったのである。それがかつての自分とは違い過ぎる事も。
「アナスタシアさんはどうです?」
「え……? あ、そ、そうね……」
一向に反応がない事に疑問符を浮かべてクラリスがアナスタシアへ声をかけるも、彼女は虚を突かれたかのように狼狽えるような反応を返してしまう。
それをその場の全員が不思議に思うも、きっと真剣に考えていたのだろうと判断したのか特に何か言うでもなくアナスタシアの答えを待った。
「……いいと、思うわ。今回こそ新生花組の姿を見せるいい機会だもの」
「うし、決まりだな!」
「じゃあ台本を人数分用意しますので待っていてください」
「今あるのじゃ駄目なの?」
「あくまで資料ですし、一冊しかないんです。これを人数分写しますから明日まで待ってください」
「そっか。ならどうする?」
「昼時だし、飯にしようぜ」
「賛成。みんなでご飯」
「クラリスも作業はご飯の後にしたら?」
「……そうですね。そうします」
目の前で繰り広げられる会話を聞きながらアナスタシアは遠い目をしていた。
(この子達と私は、違う。彼女達はこれから光る星。でも私は……)
アナスタシアには四人が新星に見えていた。これから激しく輝く一等星となっていくと。
対して自分はと言えば、今はトップスタァという一等星だがこれから光を失っていくような気がしていた。
「超新星……かしらね」
どこか自虐的な声で呟くアナスタシア。自分には消滅が約束されている。
大神に選ばれた四人とそうでない自分。その差を目の前の少女達の成長から感じてしまったのである。
「アナスタシア、ご飯行かないの?」
「え? ええ、そうね」
あざみに手を引かれて意識を切り換えるとアナスタシアは階段へと向かって歩き出す。
その手をアナスタシアと繋ぎながらあざみはそれとなく顔色を窺う。
(特に変化なし。でも、やっぱりどこか暗い気がする……)
初めての外出から何かと優しくしてくれるアナスタシアをあざみは慕っていた。それはさくら達とは少々異なる扱い。言うなれば姉。
初穂はあざみを妹として扱っているが、彼女のそれは実に下町育ちらしい扱いであった。要は姉と言いつつどこか母親らしさもあったのである。
だがアナスタシアは違った。彼女は初穂と同じであざみを妹のように扱いながら、そのやり方はまったく異なっていたのだ。
初穂が言葉だけでなく行動にも出して躾けるとすれば、アナスタシアは言葉だけであざみへ教えて自身で気付きあるいは直すように仕向けていた。
そう、あざみにとって初穂はどこか想像する母親にも近く、アナスタシアは彼女の抱く姉の想像に合致していたのである。
「アナスタシア、教えて欲しい事がある」
「何?」
あざみの問いかけへ微笑みと共に言葉を返すアナスタシア。その微笑みは本物の笑みであった。
「えっと、実は誠十郎から友達になって欲しい相手がいるって言われて……」
その話を聞いてアナスタシアはどうしたものかと頭を悩ませる事となる。
(まさか友人のなり方とはね……)
安請け合いした自分を呪うアナスタシアだが、それでも妹のように接しているあざみの事を突き放す事は出来ず、彼女なりに考えた結果出た答えは……
「正直に言う?」
「ええ。ただ、あざみがその相手と友人になりたいと思ったらよ? キャプテンに言われたからだけでなっては駄目。それは相手にも、そしてあざみにも良くないわ」
「分かった。ありがとう」
「どういたしまして」
柔らかな笑顔を見せるあざみへアナスタシアも笑みを見せる。そのまま二人は食堂へと向かう。手を繋いだままで。
その頃神龍軒では神山達が朝話した内容を大神が詳しく話していた。レニやマリアだけでなく紅蘭までも参加したそれは思いの外重たい空気となっていた。
「降魔皇が降魔達の根のようなもの……」
「そう考えると納得しかない。それぐらいあれは強かった」
「せやな。それと、どこかで大きな魔が出てると他の都市での降魔出現率が落ちるちゅうのも納得や」
「実際、今はこの帝都に降魔は頻発しているが他の都市ではそうではない事は確認済みだ。巴里、紐育へも確認を取っている」
大神の言葉にかつての花組は頷きを返す。何故なら彼女達も覚えがあるからだ。大神がパリへ留学と言う名目で巴里華撃団へ出向していた頃、帝都は平和そのものだったのだから。
そうして重々しい雰囲気を漂わせる大神達四人だったが、実はそれは店の一番奥のテーブルであり神山達はそこにいない。
彼ら現役隊員達はそことは別の入口付近のテーブルで食事をしていた。それはシャオロンなりの配慮であった。司令部とも言える大神達と現場組である神山や自分を離して配置する事で、双方が互いに気を遣わないで済む様にと考えたのである。
「う、うめぇ……」
シャオロン手製の炒飯を食べモードレッドは思わずそう呟く。その隣では天津麺を額に汗しながら食べるランスロットがいる。
「ふ~、ふ~……チュルルっ……ん~っ!」
「ほ、本当に幸せそうに食べますね」
可愛らしくレンゲへ麺を乗せて冷ましてから食べるランスロットを見て神山が微笑む中、ミンメイが思わず思った事を口にする。
「実際美味しいよ、君のところの隊長の作る料理は。ちゅうかは初めてだが、まさかここまで美味しいとは思わなかった」
「はぁ~……うんっ! お茶もいい感じだしね!」
「そうかよ。それは何よりだ。で、そっちは?」
上海蟹とフカヒレのスープを食べるアーサーの言葉にランスロットがすかさず茶器を持って笑みを見せる。それに満更でもない顔をしながらシャオロンは視線をエリス達へ向けた。
「ん? ああ、大変美味い。一度マルガレーテから聞いていたが、ここまでとはな」
「エリス? 口の端にソースついてるわよ? ほら」
麻婆豆腐を食べていたエリスが顔を上げると口の端にそのタレが吐いていた。それを隣のアンネがニコニコと指摘しながら自分の指ですくい取った。
「むっ、すまない。だがこれはいいな。辛味があるがこの白い……とーふだったか。その味が辛味を中和してくれる。ところでマルガレーテ、それを一口くれないか?」
「駄目です。これは私の物ですから」
エリスが興味津々に見つめるのは天津飯。一度食べて気に入ったのだろう。マルガレーテはそれを出来るだけ表情を変えないように食べていた。ただ、神山だけでなくユイ達さえも分かるぐらい頬が緩んでいるのだが。
「それにしても、思い切ったな」
店内を見回して神山がそう言うとユイが苦笑した。店内は神山達以外誰もいない。つまり貸切だった。
「あはは、まぁ色々考えた結果こうするのが一番かなってね」
「まぁ、貸切にするのが一番よねぇ。お昼時はここ、かなり混むんでしょ?」
「まーな。ま、来てくれたお客さんへは割引券を渡してる。それに、たった一日昼時を逃したぐらいで離れるような料理出してないから心配してないしな」
腕を組んで断言するシャオロンにアンネは好ましそうな笑みを浮かべた。
「そうねぇ。これだけ美味しいのだもの」
「ああ、本当に美味い。可能ならこのメニューを全て味わってみたいものだ」
「え、エリスって意外と食い意地張ってるんだ……」
まさかの発言にユイが苦笑する。ミンメイも同意するように無言で何度も頷いていた。
「そういえばマルガレーテさん、甘い物がお好きだと聞きましたが本当ですか?」
「……誰から聞いたの?」
「お前んとこの隊長しかいないだろうさ。それに、うちの奴も甘い物には目がないからな。女ってのは甘い物が好きなんだろ?」
神山の言葉にやや鋭い眼差しを向けるマルガレーテだったが、そんな彼女へ予想を述べながら青椒肉絲のピーマンだけを避けるようにして牛肉とタケノコだけを食べようとするモードレッド。
その子供のような行為にミンメイを除いた全員が呆れるような表情を見せる。するとその事に気付いたのかモードレッドが顔を上げた。
「何だよ?」
「も、モードレッドさんもピーマン苦手なんですね。私も一緒ですから気持ち分かります」
「あらあら、可愛いわねぇ。でも、この子はともかく……」
「いい歳をした男性が好き嫌いとは……」
「っ! 何だよ! 誰にだって嫌いなもんの一つや二つあるだろ!」
「お前の場合、色男だから余計幻滅するんだよ。英国騎士が情けねぇ」
顔を恥ずかしさで赤くしながらの文句へシャオロンが苦い顔で全員の感想を述べると、その場の女性達が一人を除いて頷く。
ミンメイだけは小さく「でも、嫌いな物を無理矢理食べさせるのはどうかと思います……」とモードレッドを擁護していた。
それを聞いてモードレッドはミンメイへ目を向けた。
「お前、これの何が嫌いだ?」
「に、苦いとこです」
「そうか。よし、俺が許してやる。今後これを食べなくてもいいぞ」
「えっ?! い、いいんですかっ!?」
「「おい(ちょっと)っ!」」
嬉しそうな声を出すミンメイとモードレッドを睨むシャオロンとユイ。
そのやり取りを聞いてアーサーが申し訳なさそうにため息を吐いた。
「すまない。僕からよく言い聞かせておこう」
「そうしてくれ。てか、人んとこの隊員へ勝手な事抜かすんじゃねえ。それは苦いかもしれないが体にいいんだよ」
「けっ、体に良くても心に良くないんだよ。それにだ、だったら代わりに別の体に良いもんを食えばいいだけだろ」
「こいつ……っ!」
「んだよ? やるのか?」
「止めないかモードレッド」
「シャオロンも落ち着け」
即座に止めに入るアーサーと神山を見てアンナがどこかつまらなさそうな顔をしていた。
「なぁーんだ、止めちゃうの?」
「アンネ、レニ教官に言われた事を忘れたのか?」
「エリス、無駄です。アンネはこういう性格ですから」
「あら酷い。私だって学習はするわぁ。で・も……」
少しだけ瞳を覗かせアンネはモードレッドを見つめる。
「同じ事繰り返す子を見ると、ついついからかいたくなるじゃない」
「くっ……この女ぁ……」
「ね?」
悔しげに歯ぎしりするモードレッドだが、そこでかつてのように声を荒げない辺りは彼も成長しているようだ。
ただ、それもついさっき止められたからかもしれないと、そう神山は思いながら顔をアンネへ向ける。
「アンネさん、お願いですからあまり事を荒立てるような事はしないでください」
「あら、帝国華撃団の隊長さんにまで注意されたわぁ」
「当然だよ。というか、アンネってさ元隊長なんだよね? どうして隊長をエリスに譲ったの?」
ランスロットの問いかけにアンネは意味ありげな笑みを浮かべるだけで何も答えなかった。
それはまるで“ご想像にお任せするわ”と言っているようだった。
そこで会話が途切れる。その雰囲気があまり良くない事を感じ取り、ユイが何か話題をと思って神山へ顔を向けた。
「か、神山、そういえば次の公演は何をやるか決まった?」
「え? え、ええ、愛ゆえにと言って分かりますか?」
その瞬間、大神達の方で息を呑む声が微かに聞こえた。
「愛ゆえに? ごめん、知らないや。教えてくれる?」
「えっと、かつての帝劇で上演された演目らしいんです。主演は」
「私よ。そして相手役のクレモンティーヌは真宮寺さくら」
聞こえた声に神山達が一斉に顔を動かした。その視線を受け止めてマリアは懐かしむように微笑む。
「あれはさくらの初舞台だったわ。紅蘭は……初日は直接見ていなかったわね?」
「せやなぁ。まぁさくらはんが凄いドジやらかしたんは知ってるで」
「あれは凄かったなぁ。さくら君、見事にセットを破壊したからね」
「さくららしい……」
かつての花組から語られる話に神山だけでなく誰もが言葉を無くしていた。真宮寺さくらがセットを破壊した事だけではない。それがよりにもよって初舞台での失敗だと聞いたからだ。
「それにしても、愛ゆえにとはな。神山、それは君達の案かい?」
「い、いえ、カオルさん経由ですみれさんからの提案です」
「すみれ、か。どうやらすみれは本当に今の花組へ期待しているようですね」
「ならきっともう一つ案を出したやろ?」
「えっ!?」
紅蘭の確信めいた表情と声に思わず神山は驚愕の顔を返す。それだけで紅蘭はやはりと表情を変えてニヤリと笑うと神山を指さした。
「ズバリっ! 愛はダイヤやろ!」
「……ご明察です」
「成程。カンナもいる今ならそれを言わないはずがないわね」
「せや。で、あわよくば自分が出るつもりやったちゃうかな? 東雲はんをカンナはんの代わりにして」
「あり得る。すみれ、かなり舞台へ立ちたい欲求が高くなってた」
「そうなのか?」
「うん。多分だけどカンナが出たのがかなり刺激になったんだと思う」
その会話を聞きアンネが楽しげに笑ってレニを見つめた。
「お姉さまも出たいんじゃない?」
「っ?! あ、アンネっ!」
「「「「「「「「「「お姉さま?」」」」」」」」」」
狼狽えるレニと疑問符を浮かべる神山達。そしてエリスはマルガレーテへ顔を近付けてどういう事だと尋ねていた。
「マルガレーテ、一体アンネは何を言ってるんだ?」
「…………未確認ですが、隊員達の中にレニ教官をお姉さまと呼んでいる者がいるとかいないとか」
「そうなのか」
また一つ勉強になったと言うように頷くエリスを他所に、レニは恥ずかしそうな表情で懸命に説明に追われていた。
お姉さまと呼ばれているのはまず年齢がある事。隊員達は一番上でも二十代前半で今の自分からすれば妹のようなもので、それを伝えた結果ふざけて呼ぶようになった者がいるのだと。
「ぼっ、私は止めるように言ったから! 今もこうやって言うのはアンネぐらいでっ!」
「僕を姉だと思ってくれていいって、そう言ったのお姉さまじゃなーい」
「それはそうだけど、お姉さまはもう止めてって言ってるじゃないか!」
「ふふっ、無理よぉ。だって、あれで私は気が楽になったんだもの」
思い出すように微笑んでアンネはその綺麗な青い瞳を覗かせた。
「姉って、そう思えるようになって私は弱くいられる場所が出来た。隊長になって色々と潰れそうになってた私を助けてくれた人だもの。さまってつけたくなっても仕方ないじゃない」
「うっ……」
心から感謝するような声と言い方にレニも怒気を抜かれるように言葉に詰まった。
少しだけ語られたアンネとレニの間にある特別な思い出を聞き、エリスは一人納得していた。
(そうか。アンネへレニ教官が少しだけ優しいのは、そういう過去があったからか……)
自分が入隊した時、既にアンネは隊長であり初対面時の印象は抜けたところがある緩い雰囲気の存在だった。
ただ、それも初日の訓練の時に大きく変えられる事となった事を思い出してエリスは小さく笑みを浮かべる。その時に先輩達から教えられたアンネの別名に納得してしまった事も思い出したのだ。
「レニ、凄いじゃないか。立派に伯林を育ててると分かって俺は嬉しいよ」
「隊長……」
「そうよレニ。思えばあなたはラチェットの後を継ぐ形で伯林を今日まで見てきた。それは、誇っていいわ」
「せやせや。うちらの中で真っ先に華撃団を一つでも形にせんとって動いたんはレニやしな」
笑顔で告げる三人にレニは目を見開いてゆっくりと笑みを浮かべた。
「ありがとう。でも、こう出来たのはみんなが私を変えてくれたからだよ」
「だとしたら、一番はアイリスだな」
「ふふっ、ですね。今も連絡は取っているんでしょ?」
「うん。最近は週に一回は話すよ。それとエリカ達の事も教えてもらってる」
「あー、今アイリスは巴里に住んでるんやったか」
「そうだね」
笑みを向け合う大神達を見て神山達は四人の間にある絆のようなものを感じ取っていた。それだけではない。かつての花組同士にしかない繋がりが今もまだ強くある事もだ。
「あの、支配人」
「ん?」
だからこそ神山はふと聞いてみたくなったのだ。名前だけは何度か口に出されてきたが、どこかそれを自分が口にするのを躊躇ってきた女性の現状を。
「真宮寺さくらさんは、今は何をされているんですか?」
その瞬間、大神達四人の空気が一瞬ではあるが凍った。その事をその場の誰もが悟る程、はっきりと。
「あの、無理でしたら」
「いや、いいよ。さくら君は故郷の仙台で療養中だ。降魔大戦の影響でね」
「療養、ですか……」
「ええ、霊力の低下は免れたのだけど……」
「代わりに体の方が弱ってしもうたんや」
「だから前線からは退いてもらって、実家で静かに過ごしてもらってる」
大神の言葉にマリア達が情報を補完していき、神山の質問での空気の変化はそういう事情故と彼らへ伝わった。
ただ一人アーサーだけが何かに気付いて目を閉じて息を吐く。彼は十人を超える隊員を相手にする立場だ。故に神山達よりも相手の顔色などを読む事へ長けている。
(あの感じは他にも言い辛い事があるんだろう。おそらくだが、事実を言っているが真実は言っていない。それをこちらへ隠す理由があるとすれば……)
とにかく今はこの話題を続けさせない事が重要か。そう結論付けアーサーは口を開いた。
「それにしてもあの機体には驚きました。まさか降魔大戦前の機体とは」
「ああ、それはあたしも思った。それであの性能って……」
「そうだな。教官達でさえ制御出来なかったと知って私達も言葉を失った」
「それにしても、まさか抹消されたはずの機体が十年越しで復活するとは……」
試製桜武を話題に振る事でランスロットだけでなくエリスやマルガレーテも反応し、アーサーは内心で胸をなでおろす。
神山はその配慮に気付いて申し訳なさそうに後ろ頭を掻いた。自分の言動で場の空気が良くないものへなりそうだったと分かっていたからだ。
シャオロンはその反応を見て、アーサーの唐突な話題転換の意図を理解し感心するように頷く。
「紅蘭さんは前からあの機体を知ってたんだろ?」
「それは、まぁ」
「あっ、そういえばあの機体が試合中急に動きが良くなった理由、教えてもらってない!」
「そ、そうです! 答え合わせもしないままでした!」
「答え合わせって?」
ユイとミンメイの言葉に小首を傾げるランスロットへ、二人が倫敦戦を観戦していた際のやり取りを教えた。試製桜武が見せた急な動きの変化。その理由を紅蘭が試合後に教えてくれるはずだったのだが、あの騒ぎの影響でそれどころではなくなってしまったのだ。
「あー、何かごめん。あたしも原因の一つだ」
「あ、いいのいいの。私だってあんなの見たら一度全力でぶつかってみたくなるし」
「ホント?」
「ホントだって。さくらの事、私だって認めてるんだもん」
「へぇ、そういえば君も結構いい動きしてたっけ。ねっ、今度手合せしてくれない?」
「いいわよ。ただ、二連敗になるかもしれないけど?」
「へぇ、いいじゃん。その度胸や考え方、あたし好きだよ」
バチバチと火花を散らすランスロットとユイを見て、アーサーとモードレッドは呆れシャオロンとミンメイは苦笑していた。
マリアも今回は止める気はないらしく、ただため息を吐いていた。紅蘭などはどこか楽しげに見つめている。
「それで紅蘭、教えてあげないのかい?」
「せやなぁ……。あれは、一言で言えば乗り手の霊力を馬鹿食いして出す馬鹿力みたいなもんや」
「霊力を、馬鹿食い?」
「要はあの子、桜武は乗り手の霊力を常に食べ続けるんやけど、その食べさせる霊力を増やせば増やしただけ出力を上げるんや」
「つまり、とんでもない力を出す時はすげぇ量の霊力を食うって事か?」
シャオロンがやや驚愕の表情で問いかける。従来の霊子甲冑及び霊子戦闘機は状態の如何を問わず負荷が一定であった。それは全力だろうと平常時だろうと乗り手への負荷は変わらない事を意味する。
試製桜武が正式採用されなかった理由はそうではない事に尽きると言ってよかった。乗っているだけで中々の負荷をかけるのに、全力を出そうとすると尋常ではない負荷を与えるのである。
「そうだ。それもあって当時の俺達で出力を全開まで上げて動かせたのはさくら君とアイリスぐらいで、後は上げたところで疲れ切るか上げる前に諦めた」
「そこまで……」
「実際天宮はんも頑張って五分程度。あの時はそれを越えた結果意識を失ったんや」
「隊長、今桜武は?」
「整備をして格納庫に置かれている。ただし、現状使用するつもりはない。そもそもあれは天宮君の無限が使用可能になるまでの繋ぎだからね」
「賢明ですねぇ。いくら凄くても使いこなせない力は害でしかないものぉ」
アンネの意見に誰も意見はなかった。ただ十年以上前の機体が、かなりの悪条件はあるものの最新鋭機に負けないというのはかなりの衝撃を持っていたが。
そこからは誰もが食事へ意識を切り換え、綺麗に全ての皿が空になった。ただ、一部が甘い物を食べたかったと不満を述べるのを聞き、神山達男性陣が驚きと呆れを抱いた事を記す。
そんな中、遂にその時間も終わりが訪れようとしていた。
「隊長、そろそろ……」
「そうだな」
マリアが時計へ目をやり告げた言葉に大神は頷く。既に時刻は一時近くになっていた。
「みんな、降魔皇が降魔達の大本である可能性は極めて高いと言える。もしかすれば決勝戦の最中に夜叉が事を起こす事も想定されるだろう。その際は、同じ華撃団として動いてくれる事を心から願う」
「「「「「「「「「「はい」」」」」」」」」」
「もし降魔皇が復活するような事があれば話は帝都だけに留まらない。だからこそ、残る上級降魔の夜叉への警戒を怠らぬようにして欲しい」
「夜叉対策を帝国華撃団の機体には施してあるから、もし夜叉ちゅう降魔と戦う事があったらまずは直撃を喰らわんようにしてな」
「基本は帝国華撃団が事に当たってくれるけど、場合によっては上海や倫敦がまず動く事もあるわ」
「勿論伯林もだ。帝都を守ると思うんじゃなく、ここを守る事がそれぞれの本国を守る事にも繋がると思って欲しい」
レニの言葉に誰もが頷きを返す。それを見て大神達は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「じゃあ、今回の会議……でいいかな? それはここまでにしよう。解散」
その言葉でユイがすぐさま空いた皿を何枚も手にしていき、腕などを使って大道芸のような形で厨房へと運び出していく。
それを合図にミンメイも厨房へと向かった。彼女は皿洗いをするつもりなのである。だからか店の隅に置いてある踏み台を手にしていった。
「シャオロン、何か手伝った方がいいか?」
二人の少女が動くのを見て神山が袖まくりをしながらシャオロンへ近付く。彼は彼でユイのように大神達のテーブルの空いた皿を乗せているところだった。
「いや、特にねえな。気持ちは嬉しいがすぐにでも洗い物を片付けて店を開けないといけないんだよ」
暗に下手な手出しは余計時間を食うと告げるシャオロン。その事を察して神山は若干申し訳なさそうに表情を変えた。
「そうか……。分かった。料理美味かった。また今度来る」
「おう、そん時はこき使ってやる」
「シャオロン隊長」
「あ?」
聞こえた声にシャオロンと神山の顔が動く。そこにはアーサーが立っていた。
「倫敦華撃団を代表して礼を述べるよ。美味しい食事だった。ありがとう」
「……別にいいって事さ。同じ華撃団の仲間、だろ?」
「……そうだね。だが、それでも感謝を。腕の良い料理人は敬意を払うに値するからね」
「そうかよ。なら遠慮なく受け取ってやるさ。お前らも時々来いよ。その時は甘いもんも出してやる」
「分かった。覚えておくよ」
「ならば私も礼を言わせて欲しい」
そこへ割って入るのはエリスであった。その手には紅蘭が持たせてくれたのだろう蒸かす前の肉まんが入った袋がある。
「非常に美味しかった。それに紅蘭さんには土産までもらってしまったし」
「みたいだな……」
「もし機会があれば是非一度我が祖国まで来て欲しい。そこでこの礼としてドイツ料理を御馳走しよう」
「……機会があればな」
「ああ、楽しみにしている。美味しい食事をありがとう。それではこれで失礼する。教官、帰りましょう」
「分かった。隊長、マリアと紅蘭も今日は楽しかった。またゆっくり話したいな」
「そうだな。その時の場所なんかはまた相談しよう」
「じゃ、次は神龍軒以外やな」
「それがいいわね。アーサー、私達も帰るわよ」
「了解です。なら僕らも失礼するよ」
先に動き出すレニとマリアに続くように背を向けて歩き出す二人を見つめ、シャオロンは神山へ聞こえる程度の声で呟いた。
「思ったよりも簡単なのかもしれねーな」
「え?」
「……他の華撃団と仲間になっていく事、だ。俺は、いやきっと誰もがどこかで思ってたはずだぜ。そう簡単に他の華撃団の連中と仲良く出来るかってよ」
「シャオロン……」
シャオロンの視線の先にはそれぞれで固まって店を出て行く二つの華撃団の姿がある。そのチラリと見える横顔は、どれも笑みを浮かべていたのだ。
「神山、お前はもしかしたら新参隊長だからこそ先入観とかがないのかもしれない。俺達がどこかで抱いちまった、固定観念ってやつがな」
「……そうかもしれないな」
噛み締めるような声でシャオロンへ同意する神山。良くも悪くも自分はまだ華撃団に染まっていないのだと、そう思ったのだ。
「だからこそ、お前はそのままでいろ」
その声は神山が初めて聞くような優しさを含んだ声。思わず横へ顔を向ける神山が見たのは、真剣な眼差しを向けるシャオロンだった。
「俺達が思いつかない事や出来ない事。それをお前はやっていけ。逆にお前が思いつかない事や出来ない事は俺達がやってやる。いざってなった時、上海も倫敦も伯林も、そして帝都も関係なく守れるようにな」
「……ああっ!」
そんなやり取りを交わして神山は大神と共に帝劇へと戻る。その道中、大神は神山の事を視界の隅へ入れて思うのだ。
(今日見ていた感じだと、神山は人を繋ぐ力みたいなものを持っている。これは、帝都だけに留めておくべきではないかもしれないな……)
帝劇へ戻った神山はそこから日常業務とも言える雑用に追われた。
その途中でさくら達へ神龍軒での内容を話すという出来事を経つつ、全てを片付ける頃には夜の見回りの時間となっていた。
「もうこんな時間か。今日は色々疲れたな」
体を伸ばすように動かし、神山は椅子から立ち上がる。更にその場で肩を回して彼は日課を片付けるように部屋を出る。
公演も終わった今、こまちやカオルも残業なく帰宅しており帝劇内を静けさが包んでいた。支配人室には大神がまだ残っていたものの、すぐに帰ると言って神山に後を託す言葉を告げた程である。
そんな時、神山は中庭へ出てアナスタシアの姿を見つける。
「アナスタシア……?」
ドアを開けて真っ先に見える位置のベンチへ座り空を見上げている彼女に、神山は普段とは違う雰囲気を感じて近付いていく。
「星を見てるのか?」
「……キャプテン?」
声をかけてもすぐには気付かず、ややあってからアナスタシアの目が神山へ向く。その眼差しはどこか空虚な感じがして、神山は内心で首を傾げた。
「もしかして邪魔だったか?」
「……いえ、そんな事ないわ」
「なら安心だ。で、よく星を見ているのか?」
「ええ。昔から星を見るのが好きだったの」
「昔から、か……。隣、いいか?」
「どうぞ」
アナスタシアの隣へ座り、神山は空を見上げる。夏の星空はとても美しく、だが彼の記憶にあるものよりは幾分か劣るような気がした。
「……おかしいな」
「どうしたの?」
「いや、以前はもっと星がよく見えたんだ」
「……きっと周囲の光のせいよ。キャプテンが星を見上げた時、周囲に光源はあった?」
「いや、ないな。海の上や郊外だったから」
「帝都は都市だからこの時間でもまだ明かりを点けている場所が多いわ。その明るさが本来よりも星を見辛くするのよ」
「成程な……」
二人揃って星空を見上げるだけ。そんな時間を神山は贅沢だなと思った。
何せ隣にいるのは世界的トップスタァだ。それと同じベンチで同じ空を見ている。人によっては金を積んでも経験したい事だろうと。
そんな事を思ったからか神山は知らず笑みを浮かべていた。それを見てアナスタシアが疑問符を浮かべる。
「何がおかしいの?」
「ん? ああ、すまん。笑ってたか?」
「ええ」
「実は、今の俺の立場って凄い事なんだって気付いたんだ。君と、アナスタシアと同じベンチで同じ空を見上げているなんてな」
「…………そんなにいいものじゃないわ」
「え?」
返ってきた声が自嘲気味だった事に神山が小さく驚きながら振り向くと、アナスタシアはベンチへもたれるようにして空を見つめていた。
「私はトップスタァなんて呼ばれているけど、ここに来てさくら達の成長を見せられて思ったの。ああ、何て眩しいんだろうって。私が今の位置へ至るのにかかった時間の半分以下で彼女達は階段を駆け上がり切ろうとしている。既に星として輝きを持ち、それが唯一無二になるまでは時間の問題よ。トップスタァと呼ばれる日も遠くないはず」
「だがそれはアナスタシアや織姫さんなどの力があればこそで」
「いえ、私は彼女達へ何かしてあげた訳じゃない。私が出来たのは、精々舞台の厳しさをそれなりに伝えるぐらいよ。その成長を促したのは私じゃないわ」
一度として神山を見る事なくアナスタシアは語る。さくら達が女優として、人として成長していくのを見ていく中、自分は帝劇に来た頃とほとんど変化していないと。
だがもうどうやって成長すればいいかが分からない。どう変わっていくべきか、変わるべきかが分からないのだ。
その焦りと不安が最近自分の中で渦巻いている。そう告げてアナスタシアは神山へ顔を向けた。
「キャプテン、貴方の目から見て私はどう? 何か変わったかしら?」
その問いかけに神山は何も言えなかった。何を言っても誤魔化しになると思ったのである。
沈黙する神山にアナスタシアは小さく笑う。それは悲しみの笑み。そして納得の笑み。やはり自分は何も変わっていないのだと、そう思っての笑みだった。
(やっぱりそうなのね。私は何も変わっていない。変われていない。そんな私は……)
朝食堂で声にしなかった言葉をアナスタシアはそこで声にした。
「私は、ここに居てもいいのかしら?」
「あ、アナスタシア?」
「キャプテンは知ってるでしょうけど、私はここへミスターに選ばれて来た訳じゃない。私はWOLFの依頼でここへ来た」
「……ああ」
今は話を聞くべきだ。そう判断し神山は聞き役に徹する事にした。
「さくら達は皆ミスターに選ばれて帝国華撃団へ入った。私だけが、私だけが違う。何もかもがあの子達と違うのよ。ここへ来た理由も、立ち位置も、そして現状も」
「アナスタシア……」
「最初は小さな光だった。それがどんどん大きく、強く輝いていく。それが自分よりも小さい頃は別に良かった。むしろ嬉しく思えたし楽しみでもあった。でもそれが自分の持つ光を越えるかもしれないとなった時、私は気付いた。私はトップスタァ。誰よりも輝いていなければならない。なのに、私の輝きはここへ来た時とそこまで変わらない。その近くでは、最初に見た頃とは別物の輝きを放ち出している星たちがある」
静かに立ち上がりアナスタシアは神山へ顔を向ける。その瞳には寂しげな光が灯っていた。
「分かる? 私はいつの間にか突き放す立場になっているの。だけど今の私は彼女達と違う。もう輝きを増す術を知らず、そのための努力も分からず、新星に抜かれるのを待つだけの憐れな一等星なのよ」
「そんな事は……」
「なら教えて? どうすれば私は今以上に輝けるのか。どうすればあの子達の隣に立ち続けられるのか」
感情を荒げる事もなく、アナスタシアはそう問いかけて力なく笑みを浮かべた。
「ね? キャプテンにも分かるでしょ? 私はここに来るまで努力を重ねてきた。なのに、あの子達は私の辿り着いた場所へもう足をかけようとしている。怒ってはいないわ。むしろ感心しているの。あの子達の成長度とその速度に。だからこそ自分が情けないのよ。変わらない、変われない自分自身が……っ!」
最後に少しだけ悔しさを覗かせるアナスタシアに神山は立ち上がった。
彼にはアナスタシアの気持ちが少しではあるが分かったのだ。帝劇に来たばかりの頃の自分と、今のアナスタシアが抱えているものは似ていると感じ取って。
それは、劣等感。周囲の強さや凄さを知り、見せられて感じる悔しさだと。
「なら、もっと周囲と関わるしかない」
「周囲と……?」
「そうだ。俺もここへ来た当初は自分の中に言い様の無い気持ちをどこかで抱えていた。俺が海軍の人間だって話した事があるだろう? 実は、俺はここへ来るまでは特務艦の艦長をしていたんだ」
「特務艦の……艦長?」
「ああ。だが、俺はある時降魔と戦い、その艦を沈めてしまったんだ。幸い乗員に死者はなかったが、その時の事を俺はどこかで仕方ないと割り切っていたんだ。出来る限りの事はやった。あれが自分の精一杯だったと」
その言葉にアナスタシアが息を呑んだ。まさしく今の自分と同じだったからだ。
「そんな時、俺はここへ来て大神一郎大佐に会った。そこで俺は言われたんだ。限界とは誰が決めると。それは自分だ。たしかに人には限界がある。それでもその限界へ到達した時、少しでも前へ進もうとする気持ちが成長や進歩に繋がると言われたんだ」
「限界から少しでも進もうとする気持ちが、成長や進歩へ……」
「アナスタシア、君が今の自分に感じているのが限界なら、そこでもっと足掻くんだ。そのためには自分の力だけじゃ厳しい。多くの人と関って刺激を受けて、色んな考えや見方を知るべきだ。俺が今のようになれたのも、みんなのおかげなんだよ」
そこでアナスタシアはあのミカサ記念公園での会話を思い出した。
神山が強くあれるのは自分達がいるからだという言葉も。
(もっと周囲と関わる、か。キャプテンはそうやって成長や変化を続けていると、そういう訳ね。でも、私は……)
あまり深く神山達と関わりたくない。そう思ってしまう事情がアナスタシアにはある。それでも、それでも彼女は役者として、そして人として変わりたいと思ったのだ。
「……キャプテン、一つ聞いてくれる? 私の、過去を」
そこでアナスタシアが語ったのは、彼女の辛い過去だった。
アナスタシアはギリシャに生まれて、両親と妹の四人家族として平和に暮らしていたのだが、ある時起きたクーデターの影響で家族を失い、天涯孤独の身となってしまった。
そこを運良く保護されたアナスタシアは、その相手に支援されながら役者を志した。役者を選んだのは、身一つでなれる事と、役を演じている間は辛い事を忘れられるからだった。
愛する家族を失った事。それが深く自分の中に影を落としている事を理解していたからこそ、せめて少しの間でも他人を演じる事で“アナスタシア・パルマ”でない時間をと、そう思ったと彼女は語ったのだ。
その現実逃避とも言える打ち込み方やのめり込み方の結果、デビューして二年程でトップスタァと呼ばれるまでになり現在へ至るのだ。そう締め括ってアナスタシアは空を見上げた。
「私にとって家族は全てだった。失ってから分かったの。永遠なんてないと。今は日常と思っている事もふとした事でそうじゃなくなるんだって」
「そうかもしれない。だからこそ、今を大切に生きないといけないんだろうな」
「ええ、そう思う。ただ、出来ればそれをあの頃に私は気付きたかった……」
目を閉じて静かに涙を流すアナスタシア。その姿に神山は言葉を失った。まるで慈愛の女神が涙しているようだったのだ。
しばらく二人に言葉はなかった。黙って涙を流すアナスタシアと、それを見ないようにと空へ顔を向ける神山の間を夏の夜風が通り過ぎていく。
「……アナスタシア、もし嫌だったら答えなくてもいいんだが、あざみへ優しくするのはやはり?」
「……ええ。生きていればあれぐらいの歳だったわ」
「そうか……」
あの初めての外出であざみ相手に見せた顔の理由を理解し、神山は納得するように息を吐いた。
そして何故アナスタシアが周囲との関わりをあまり持とうとしないのかも。
(親しくなってしまうのが怖いんだろう。きっと家族を失った事で親しい相手を持つ事に怯えているんだ。本人が自覚しているのかは分からないが……)
そこで彼は思い出す。大神がアナスタシアに関して言っていた事を。
最初はずっといるつもりでなかったと。それもそんな過去の出来事に付随しているのかもしれない。
そう思って神山はアナスタシアへ顔を向けた。
もう涙は止まっていて、彼女も目を開けて神山を見つめていた。
「アナスタシア、今も出来るならある程度でここを離れて別の場所へ行きたいか?」
「…………正直何とも言えないわ。ここは、とても居心地が良いの。こんな劇場は初めてよ。シャノワールも似ていたけど、ここはより上。まるで家のようだから」
「家、か……。そうかもしれない。俺も考えた事があるんだ。支配人を父とする大きな家族みたいな感じがあると」
「……そう、かもしれない」
「だから俺はみんなを守るし信じる。隊長だからだけじゃない。この帝劇という場所で暮らすからこそ俺は誰も失いたくないんだ」
「キャプテン……」
(でも私は……)
星空へ誓う様に顔を上げて言い切る神山を見て、アナスタシアは静かに顔を伏せた。その行動はまるで眩しいものから顔を背けるようなもの。
そしてアナスタシアは部屋へ戻ると告げて中庭を去った。その寂しげな背を見つめ、神山は拳を握り締める。
――俺じゃ、アナスタシアの心の支えになれないのか……っ!
何故アナスタシアが流浪の役者であるのか。その理由を自分なりに考えてこうなりました。
彼女は、家族を、親しい人を失う事を恐れているのでは、と。故にどこかの劇団に腰を落ち着けるのを嫌い、舞台以外ではあまり仲間と関わるのを避けている。
そう考えれば、原作での部屋を訪れた際の会話や年明け前に帝劇を去ると言い出すのも理解が出来るかなと。
全ては弱い人の心故に……。