要は夏のイベントって感じですね。
ではクリスマスとかはどうなるの?と思った方、奇跡の鐘はサクラ2の演目ですしあれは帝劇が被害を被った事もあってのものですので、今作では新生花組による上演は有り得ませんのでご理解を。
「しまったっ!?」
神滅の一撃が容赦なく神山の無限を斬り捨てる。その衝撃で動かなくなる無限。
『神山機、大破。状況終了です』
『分かった。今日はここまでにしよう』
『神山はん、聞こえとった? 訓練終了や』
『……了解です』
悔しさを押し殺して神山は返事をする。いくさちゃんを使った最新の対夜叉戦。その勝率は一割にも満たなかった。
打撃は与えられるしいい勝負が出来ない訳ではない。それでも、あの芝公園での戦闘で得られたデータを基に調整された神滅は倒す事が中々出来ないでいた。
ちなみに勝てた時はあれど、それは神山としては満足出来るものではなかったのだ。何故なら、それはさくらだけが試製桜武を使用した時だったのだから。
「神山、天宮君達もご苦労だった。辛く苦しい時間だったと思うが、これを君達は活かせると俺は信じている。風組の二人は何か気付いた事や思った事はあるかい?」
「そうですね……」
「あ~……せやなぁ……」
大神からの問いかけに思案顔をするカオルとこまち。神山はそれと同じようにさくら達へ顔を向けた。
「さくら達も何かあったら言ってくれ。俺の指示や戦術にでもいい」
「そ、そう言われても……」
「正直不満や疑問はないんだよなぁ」
「誠十郎は頑張ってる。あざみ達も頑張ってる。だから何もない」
「そうね。実際キャプテンはよくやってるわ。勝てないけれど常に新しい事を試して、考えているもの」
「はい。神山さん、自信を持ってください。私達が疑問や不満を抱かないぐらいに自分が胸を張れる事が大事だと思います」
「……そうだな。ありがとう、クラリス」
その花組のやり取りを見つめ大神は小さく笑みを浮かべていた。
(どうやらもう花組は大丈夫のようだ。神山を中心にまとまっているらしい。連携なども見ている限り悪くはない。神山が赴任した時と比べれば見違える程の成長と変化だ)
たった四か月弱ではあるが、その間に各隊員との絆を深め、また隊員同士の仲も神山を通じて深まっている事を感じ取り、大神は安堵するように息を吐く。
その時、カオルが何かを思い出すように顔を上げて声を発した。
「そうです。あの芝公園では神滅が神山機へ攻撃しようとした際に妖力が拡散していました。あれが訓練では反映されていないように見受けられます」
「妖力が……拡散?」
「そか! な~んや妙やな思うとったらそれかっ!」
「こまち、すぐに映像を」
「ほいきたっ!」
いくさちゃん用のモニターに出現する芝公園での戦闘映像。風組の二人が言っていた場面が流れ、神滅が拳に妖力を集束させようとしたところでそれが止まる。
「ここです」
「ここからはゆっくりいくでぇ……」
緩やかに拳へ妖力が集まっていく。が、それがある時点で弾け飛んだのだ。
「……これは一体?」
「分かりませんが、直前に天宮さんの放った霊力波の影響かと思われます」
「わたしの?」
「令士、何か分かるか?」
神山に指名された令士は軽く驚くもののすぐに思案顔をするとこう返した。
「……おそらくだが、さくらちゃんの霊力が神滅に残留して妖力の使用を鈍らせたとかだろうな。で、夜叉もそれに気付かず、妖力が霧散した事で小さく動揺したってとこだろ」
「有り得るな。さくら君もその霊力を放射するように撃ち出す攻撃を得意技としていたが、それは不思議な事に敵を、悪しきモノだけを攻撃出来るものだった。天宮君の霊力もそういう性質なのかもしれない」
「わ、わたしの霊力が……さくらさんに近い……」
思わぬ共通点にさくらが驚きと嬉しさを表情に浮かべた。
だが神山はそれを聞き、ならばと考え始める。
(夜叉はこの事におそらく気付いたはずだ。なら、今度現れた時に同じ手は通じないだろう。だがこれは戦術として組み込むべきだ。さくらの必殺技の使い所、か……)
味方へ損害を与える事無く敵のみを叩ける攻撃。それはある意味で理想の攻撃だった。
ただ、それは何度も出来る事ではない。そう考えれば安易な使用法は不可である。
「神山、この事をどう考えるかは君へ一任する。それでは、解散」
こうしてこの日は始まる。決勝戦までもう一週間を切った日の朝であった。
愛ゆえには好評を博し、帝劇にはかつての活気が甦っていた。これまでのように以前の花組客演という要素もなく、それでも連日満員御礼となれば役者達の意気も上がると言うもの。
特にさくらは憧れの人物へ少し近付けたと感じ取る事が出来、その芝居に、演技に、熱が入っていったのだ。
「オンドレ様ぁっ!」
「クレモンティーヌっ!」
そして、そうなればアナスタシアが負けじと熱量を上げる。新生愛ゆえにの評判は日に日に広がっていくようになっていた。
「こまちさんっ! 手伝いに来ましたっ!」
「神山はんかっ! おおきに! 助かるわっ!」
演出家の神山も従来のモギリだけでなく売店の手伝いとしても働いていた。こまちが注文を受けて商品を取る間に神山が勘定を行うという流れで多くの来客を捌いていく。
勿論大神やカオルも来賓の相手に大忙し。丁重に、丁寧に応対し、帝劇への支援を勝ち取っていくために戦っていたのだ。
「いえ、皆様のお力添えあっての帝劇です。今後ともよろしくお願いいたします」
「この度はわざわざ足を運んでくださりありがとうございます。いかがでしたか、新しい花組の舞台は」
半年前は寂れていたとは思えない程の盛況ぶりに、大神は往年の帝劇を思い出して表情を緩めていた。
自分がモギリとして動いていた頃の帝劇が今、まさに帰ってきたと思って。しかも、それを成したのは新しい若い力達。
(米田支配人もこんな気持ちだったのかもしれない。新しい世代が育つ。それがこれ程嬉しく心強いとは……)
来賓の相手をしながら視界の隅に映る神山の奮闘ぶりを微笑ましく思って、大神は笑みを浮かべ続けた。
やがて千秋楽を終えて帝劇内も落ち着きを取戻し、神山達にもまた穏やかな日常が戻ってくる。
そうなれば話題に上がるのは必然的に一つしかない。間近に迫った華撃団大戦決勝戦だ。
「相手は二連覇中の名門、伯林華撃団……」
「エリスさんの戦い方は未だに忘れられません」
「舞う様に戦ってやがった……」
「マルガレーテもきっと強い」
「そうね。それに不安要素もいる……」
「アンネさん、ですよね。元隊長でもある……」
「誠十郎さん、どんな感じなんですか、アンネさんって」
その問いかけに神山はあの街で遭遇した時の事を思い出した。
「…………基本的にはおっとりというか常に脱力してるような人だ。ただ、こちらをからかってくる事があるから、曲者って感じがしないでもないか」
「曲者、ですか……」
「となると、真面目なお二人とは色々動き方や考え方が異なっていそうですね」
「そうだなぁ。それに、そもそも二連覇してるって事はそのアンネって奴も過去の華撃団大戦に出場してるはずだろ? なら絶対に只者じゃないぜ」
「要注意人物?」
「かもしれないってとこよ。とにかく、ここまで来たなら優勝しましょう。上海や倫敦の分まで、ね」
「そうだな」
そこで会話が一旦終わる。と、神山は思い出す事があった。それはあのアンネを送った時の会話。
(銀六百貨店近くの公園で何かやっていると言っていたな。よし、そこへ行ってみるか)
伯林華撃団の何かが分かるかもしれない。そう思って神山はサロンでの話し合いが終わるや一人銀六百貨店近くの公園へと向かった。
真夏の日差しの中、それを物ともせずにそこではエリスとマルガレーテが後ろ手に組んで仁王立ちのまま何かを行っていた。
「……アンネさんの姿はないな」
目に映るのはエリスとマルガレーテのみ。気だるげな美女の姿はどこにも見えない。
「まぁいいか」
気を取り直して神山はエリスとマルガレーテへ近付いていく。
「ん? 神山か?」
「どうも」
「一体何の用?」
「いえ、以前アンネさんをここへ案内した時に何をしているのかを聞きそびれたもので」
その言葉で二人は何かを思い出したように申し訳なさそうな表情になるや神山へ揃って口を開いたのだ。
「「その節は本当に申し訳ない事をした(しました)」」
「えっ?!」
「まさかアンネが君へ案内を頼んでいたとは知らなかったのだ」
「まず遅刻したアンネへ注意をした後に貴方に連れてきてもらったと言われ、その時には貴方はもういなくなっていたもので」
思いもよらない反応に神山はどうしたものかと戸惑ったが、とにかく今は二人の気持ちを軽くする事だと判断して笑みを返した。
「いえ、気にしないでください。困ったときはお互い様と言いますし、同じ華撃団の仲間じゃないですか」
「仲間、か……」
「貴方は本当に……」
神山の本音を聞いてエリスが微笑み、マルガレーテが少しだけ苦い顔をする。
当然神山の発言に対して思う事が異なるためだ。エリスは好感を抱き、マルガレーテは呆れに近いものを抱いたのだから。
レニからかつての帝国華撃団の事を教えられているエリスやマルガレーテではあるが、それは伝説の三華撃団の頃の帝国華撃団故に憧れや目標としているだけである。
今の神山達花組は対戦相手と言う事もありエリスはともかくマルガレーテとしては油断ならない敵にも近しいと言えた。
「決勝も近いというのに余裕ね」
「「「っ!?」」」
そこへ聞こえた声に三人の視線が一斉に動く。
「あ、アンネさん……」
そこにいたのは珍しく戦闘服を着たアンネだった。それを見てエリスとマルガレーテが揃って息を呑む。だが、その意味は二人で異なっていた。
エリスはそれが意味する事を知るからこその反応であり、マルガレーテはアンネが戦闘服を着ているのを初めて見たからである。
「カミヤマ君、あの時は世話になった。でも、感心しないわね? この期に及んで情報収集なんて」
どこか棘のある言い方だと思いながら神山は表情を険しくすると反論する。
「いけませんか? 二連覇中の伯林華撃団を警戒するのは?」
その答えにアンネの眉が微かに動く。ただ、それに誰も気付く事はなかった。
「……いけなくはないわ。むしろ推奨するぐらい。ただ、それをこうも正々堂々ではダメって事。どこに正面から戦う相手へ情報を与えようとする華撃団があると思う?」
「俺は、俺達は敵ですか?」
「当然。警戒している以上はそうでしょ? 大体もう試合まで一週間を切った。倫敦も似たような対応を取ったと聞いているし、ならこちらもそうあるべき。そう思わない?」
口調がこれまでと異なっている事に気付き、神山は内心で首を捻った。一体何があったと言うのだろうと。
「……それが伯林華撃団としての宣言ですか?」
「エリス」
「っ……そ、そうだ。すまないが神山、今日のところはこれで帰ってくれないだろうか?」
チラリとアンネの視線を向けられたエリスが一瞬竦むも、すぐに普段の調子を取り戻して神山へこの場を去るよう促した。マルガレーテも何も言わず、ただ無言で神山へ頷きを見せるのみ。
自分がもう歓迎されていないと理解し、神山は小さく息を吐くと一礼してその場を立ち去ろうと動き出す。
「それと、試合が終わるまで私達へ接触しないように」
「……分かりました」
アンネの横を通り過ぎる瞬間告げられた言葉に思わず足を止めるも、複雑そうな表情でそう返して神山は再び歩き出した。
その背を見つめ、アンネは小さく笑う。
(本当に、君は真っ直ぐなのねカミヤマ君……)
やがて人波の中へ紛れ背中が見えなくなるとアンネは視線を前へ向けた。
「エリス、マルガレーテ、レニ教官の言っていた事を忘れたの? 帝国華撃団との不必要な接触は避けるように」
「……すみません」
「すまない。つい神山とは親しくしていたものだからな」
「だからこそよ。私達は伝説の三華撃団なき後初めて設立された華撃団。華撃団競技会が開催され既に三回目。なのに上海も倫敦もつい半年前まで形だけだった帝国華撃団に敗北した。このままでは私達新興華撃団はやはり伝統ある三華撃団よりも劣ると言われかねない」
そう告げてアンネは二人の前へ立つ。
「故に負ける訳にはいかない。そのためにも、鉄憲章、唱和!」
「「はい!」」
「よろしい。なら、ひとつ! 真の戦士たる精神、それは!」
「「覚悟っ!」」
「そう。全ての敵へ伯林華撃団の覚悟を示せ」
きっとここに神山がいれば目を疑っただろう。あのアンネが威圧感を出して鋭い声を出していたのだ。
そんな彼女を見るエリスとマルガレーテの表情は普段よりも険しく凛々しい。
「ひとつ! 至高の力を持つ戦友、それは!」
「「アイゼンイェーガーっ!」」
「そう、我が伯林華撃団が誇る霊子戦闘機だ。旧世代機に近付きつつあるがそれでも未だ最強の称号を持つ」
完成して既に二年が経過したアイゼンイェーガー。その性能は十分高いと言えるが、それでも最近完成したばかりの無限と比べると多少は劣る部分もあった。
だが彼女達はレニから聞いているのだ。旧式であるアイゼンクライトが当時の最新鋭機である光武改に劣っていなかった事を。
「ひとつ! 真の正義! それは!」
「「伯林華撃団っ!」」
「ええ、それでいい。これが帝国華撃団なら帝国華撃団。上海華撃団なら上海華撃団でいい。いいか、戦う以上は自分達が正義であると忘れるな。その背に背負う人々の事を思え」
実はここの部分の答えはアンネが言ったような事まで言って正解となる。それはレニがこの鉄憲章を聞いた時に密かに教えた事だった。
どうしても彼女にとって伯林華撃団こそが正義という考えは受け入れられなかったのである。
「ひとつ! 世界の華撃団が目指すもの! それはっ!」
「「「平和な世界!」」」
ここにもレニの細かな修正が入っていた。本来これはWOLFによって考えられたものであるため、ここは世界華撃団という表現なのだ。
それにレニは“の”を入れたのである。世界華撃団などはない。ならばこれは脱字であるとしたのだ。
鉄憲章を言い終わり、エリスとマルガレーテはアンネを見つめた。彼女は閉じていた目を少しではあるが開いていたのだ。
「今日でしばらく鉄憲章の唱和を休止する。これは既にレニ教官にも許可を取っているから安心するように」
「なっ……どうしてだ!」
「エリス、隊長の貴方がどうしてそれが分からないの? むしろ貴方から教官へ申し出るべきでしょう」
「アンネ、もしかして帝国華撃団との接触を避けるためですか?」
「マルガレーテは賢いわね。どうしても憲章の唱和をやりたいのなら今後しばらくはブリッジでやりなさい」
そう言い放つとアンネは二人に背を向けて歩き出す。その背を見送り、エリスはどこか遠い目をしていた。
「……
微かな悔しさと無力感を覚えるかのように呟きエリスは俯いた。マルガレーテはそんなエリスへ疑問符を浮かべていた。
「エリス、眠れる虎とは……もしかして……」
「そうか。マルガレーテは私が隊長になった後に入隊だったか。では、あのアンネを見るのは初めてだな」
「はい。その、正直意外でした。アンネにあんな顔があるなんて……」
その言葉にエリスは小さく苦笑すると顔を上げた。
「私が入隊した頃は、むしろあれがアンネの普段だった」
「えっ?」
信じられないと言う顔をするマルガレーテへエリスは語り出す。それは、彼女が伯林華撃団に入ったばかりの思い出話。
ただの堅物であった頃のエリスが今のように隊長となれるまでの、短いようで長い日々の記憶だった……。
マルガレーテがエリスの思い出話に息を呑んでいる頃、神山はどうしたものかと街を歩いていた。
(情報収集を正面からするなと言われた上にアンネさん達に関わるなと言われてしまった。これでどうやって情報収集をしろって言うんだ……?)
考えても分かるはずのない問題。そう思って神山は足を止めて空を見上げた。夏の空は大きな入道雲があり、空の青と雲の白が美しいコントラストを作り出している。
そんな気持ちの良い青空を見ても神山の心は晴れなかった。と、そこで彼はふと気付いたのだ。
「……アンネさんは私達と言ったが、伯林華撃団とは言わなかったな」
頓智と言われるかもしれないが、それが突破口だと思い神山は元来た道を走って戻り出す。
向かう先は伯林華撃団が宿泊地としている飛行戦艦。そこにいるだろう、誰よりも伯林華撃団を、エリス達を知り尽くしている相手へ会うためだ。
(レニさんだっ! 俺の聞き方によっては答えてくれるかもしれないっ!)
一縷の望みを託して神山は走る。入口でアンネと遭遇した時は身構えたが、私服に着替えていた彼女は気だるげにレニへの取り次ぎを行い、神山の行動を邪魔する事はしなかった。
それに疑問符を浮かべつつ、神山は初めてレニと二人きりで対面する事となる。
「いらっしゃい。こうして会うのは初めてだね」
「はい。今日はお忙しいところありがとうございます」
「ふふっ、そんなにかしこまらなくてもいい。それで、一体何の用件かな?」
そこで神山は考える。情報収集と素直に言えばアンネと同じようにレニも口を噤むかもしれないと。
(だが……嘘を吐いて情報を聞き出すなんてどうなんだ?)
そう考えて神山は深呼吸の後でレニへこう切り出した。
「情報収集に来ました」
「……へぇ」
そう告げる神山にレニはどこか興味深そうな表情を見せた。
「その、エリスさん達の事を、少しでもいいので教えて頂けませんか?」
「エリス達の、事?」
どこか意外そうなレニの反応に神山は頷いてみせる。彼が知りたいのはエリス達三人の性格や考え方なのだ。
「はい。もし無理でしたら諦めます」
「……それは、決勝戦で勝つために欲しいの?」
そのレニの問いかけが神山にはアンネの問いかけと何故か重なった。
「…………それもあります」
「それも?」
「でも一番は俺が伯林華撃団の事を何も知らないに等しいから知りたいんです。同じ華撃団の仲間の事を知りたいと、そう思うのはいけない事でしょうか?」
自分に足りなかったのはこれだ。そう思って神山が告げた言葉にレニは若干迷うような表情を見せる。
神山はそれを見ても黙って待った。ここで焦ってはいけない。そう思ったのだ。すると意外なところから助け舟が来た。
「レニ、教えてあげたら?」
その声に弾かれるようにレニが顔を動かす。
そこには大き目の旅行鞄を持って、脇に年季の入った少しだけくたびれたくまのぬいぐるみを抱えた金髪碧眼の女性が立っていた。
「アイリス……」
「アイリス? ……っ!? アイリスさんっ!?」
「やっほー、そうだよ。私がアイリス、正しくはイリス・シャトーブリアンって言うの。よろしくね」
「は、はい……」
(何て可愛い人だ。下手をしたらアナスタシアの方が大人に見えるぞ……)
大きな白い帽子をかぶり、着ている服はイメージカラーの黄色で統一している姿は成人した今でもアイリスの愛らしさを引き出していた。
「今到着したの?」
「うん。で、えっと、マルガレーテ、だっけ。その子にここまで案内してもらったんだ」
「そうか」
柔らかく微笑むレニを見て神山は今は自分がいない方がいいと判断した。旧交を温める時間を邪魔したくないとも思ったのである。
「レニさん、今日の所は出直します」
「え? 私は気にしないよ?」
「アイリス、彼は昔の隊長に似てるんだ。だから」
「お兄ちゃんと?」
言われて神山をジロジロと見つめるアイリスの行動にレニが苦笑する中、見つめられている本人は何とも居辛い感覚に苛まれていた。
それでもその時間はそう長くはなく、ほんの十数秒で終わりを迎える。ただ、それが神山には一分にも十分にも感じられただけである。
「……言われて見ると似てるかも」
「アイリス、僕が言いたいのは見た目じゃなくて性格とかだよ」
「え? そうなの?」
「うん。というか、それ以外ないよ。この状況じゃ」
「え~? 昔のお兄ちゃんなんて言うから見た目って思うよ~。だって今のお兄ちゃん、あの頃と見た目変わってるでしょ?」
「…………多少かな?」
「それはレニが定期的にお兄ちゃんと話してるからっ!」
見目麗しい女性が繰り広げるどこか幼さを残すやり取り。それを眺め神山は何とも言えない気分になっていた。
かつてならば微笑ましいだけだった二人の掛け合いも、見た目が成長しそれぞれに成人した今となっては若干の男子禁制感があるのだ。
それは二人の距離感が近すぎるからと言えた。さくらと初穂でもそこまで近くないと言える程、レニとアイリスの距離感は近い。
それは互いに初めて出来た親友だからだ。年齢差は多少あれど、未だにアイリスにとってもレニにとっても目の前の相手以上に親しい相手はいないのだから。
「あ、あの、俺は一先ず失礼します……」
「え?」
「あ、ごめんね神山。さっきの話はまた明日にでも」
「はい、ありがとうございます。では……」
一礼して去っていく神山を見送り、アイリスはレニの言っていた事をようやく理解した。
「たしかに似てるかも」
「でしょ?」
「……あれが今の花組隊長」
「そう。隊長が見つけてきた、新しい花組の隊長だ」
「そっか。うん、じゃあ大丈夫だね」
何がとは聞かず、レニは無言で頷いた。
(今回の来日での一番の収穫は隊長の選んだ後継者を見れた事かもしれない……)
今までどの華撃団隊長もやろうとしなかった各華撃団の交流。それを主体的に行い、更に没落していた帝国華撃団花組を立て直してみせた手腕。
それらはまさしく大神一郎の再来と言っても良かった。あの神龍軒での会合でレニ達は実感したのだ。神山は大神が成し得る事が出来なかった事をやり遂げてくれるだろうと。
そんな期待を抱かれている神山は外へ出て帝劇へと向かって歩き出していた。
「それにしても、アイリスさん、綺麗な人だったな。レニさんと並ぶと金銀の髪がとても目を惹くし」
「誠十郎っ」
そこへ聞こえる声。それがあざみの声だと気付き、神山は足を止める。するとその目の前にあざみがどこからともなく現れたのだ。
「おおっ?! や、やっぱりあざみか……」
「誠十郎、聞きたい事がある」
「聞きたい事?」
「うん。みかづきにマルガレーテがいたんだけど、あざみがおまんじゅうを一緒に食べようって言ったらと無理って言ってきた。何でって理由を聞くと誠十郎に聞けって」
「あー……」
試合まで接触禁止という事を貫いているのかと理解する神山だったが、ふとある事に気付いてあざみへ不思議そうな表情を向けた。
「あざみ、君はマルガレーテさんと仲が良いのか?」
「? 出会ったら挨拶ぐらいするし、おまんじゅうも一緒に食べる。最初は会話にならなかったけど、あざみがオススメするみかづきのおまんじゅうを食べさせたら話をしてくれるようになった」
「そ、そうだったのか……」
(意外だ。マルガレーテさんとあざみは相性が悪いかと思ってた……)
初対面時の事があるため、神山の中で勝手にあざみとマルガレーテは仲が悪いと思い込んでいたのだ。
だが、実は二人は甘い物好きという面で一致していたため、そこをとっかかりにあざみが無意識に溝を飛び越えてみせた。
その結果、マルガレーテはあざみを若干苦手としつつも同好の士として認めるという間柄にしたのである。
「だから一緒に食べようって言ったのに、試合が終わるまで無理って言われた。でもどこかマルガレーテも寂しそうだったから理由を聞くために誠十郎を探してた」
「そっか。えっと……」
神山は以前の倫敦戦の時と同じような状況であると説明し、あざみに理解を求めた。あざみもそれならばと受け入れたものの、どこか納得出来ない表情を見せる。
「でも、マルガレーテも嫌なら嫌って言えばいいのに」
「あざみ……」
「普段は何でもズバズバ言うのに、こういう時だけだんまりってズルい」
「言ってくれるじゃない」
聞こえた声に二人の視線が動く。その先にはみかづきで買ったのだろう物が入った袋を抱えるマルガレーテの姿があった。
「マルガレーテさん……」
「マルガレーテ、何で理由をあの時言ってくれなかったの?」
「……言えば詳しい話をあそこでする事になる。あまり関係者以外に聞かせるべき話じゃない」
「……ならおまんじゅうを一緒に食べるのを嫌がったのは?」
「馴れ合いになるからよ」
「何で馴れ合ったらダメなの?」
「は? 貴方、説明聞いたんでしょ? なら言うまでも」
「今のあざみとマルガレーテは敵同士だから?」
「そう」
「ならあざみはこう言う。違うって。マルガレーテはあざみの敵じゃない。だって、敵はあざみの事を殺そうとする」
その言葉にマルガレーテが何かを反論しようとして、口ごもった。あざみは寂しそうな顔をしていたのだ。
「試合をするから敵。そんな事、私は嫌。試合は試合。普段は普段」
「でも」
「そんな切り換えが出来ない程、帝国華撃団も伯林華撃団も未熟じゃない。違う?」
「っ……」
「あざみ……」
痛いところを突かれたとばかりに表情を歪めるマルガレーテ。神山はそれを引き出してみせたあざみに感心するような表情を見せた。
マルガレーテが黙り込んだのを受け、あざみは静かにその前へと近寄ると袖の中から饅頭を一つ取り出してみせる。
「マルガレーテ、あざみは、私達は試合で情けを見せないし見せる余裕なんてないようにしてくれると信じてる。だから、試合以外ではちゃんと仲間でいよ?」
「…………本当に貴方は」
「はい、半分こ。こうやって食べると一人で食べるよりも美味しいってミンメイが私に教えてくれた」
「ミンメイ? ……上海華撃団の隊員か」
「そう。そのうちマルガレーテにも会わせてあげる」
「結構よ。もう知ってる」
「じゃ、一緒に訓練しよう。私は手裏剣を教えて、ミンメイはお手玉を教えてる」
「はい?」
「マルガレーテは何をあざみ達に教えられる?」
純粋な眼差しで問いかけられた事に、マルガレーテは即座に答える事が出来なかった。
何せ彼女は誰かに何かを教えた経験がない。正確には自分よりも年下へ、だろうか。しかもあざみやミンメイへ教えて役立てられる事かは不明としか言えないものばかりなのだから。
(これ以上は俺は邪魔だな……)
饅頭を食べながら話し込み出した二人を見て、神山はそっとその場から立ち去る。
その背中をエリスが静かに見つめていると知らずに……。
「アンネ、少しいいだろうか?」
その夜、アンネの割り当ての部屋をエリスが訪ねた。珍しい事もあるものだと思ってアンネは入室の許可を出した。
「どうぞ?」
「失礼する」
「はぁい」
ドアが開いた瞬間、エリスは足を踏み入れようとして表情を歪める。
「……アンネ、たしか今朝マルガレーテが整理したと思ったが?」
「そうねぇ。おかげでかなり快適よ?」
「もう汚れているように見えるのは気のせいか?」
「大丈夫よエリス。気のせいじゃなくてちゃんと汚れてるから」
「…………ふ~」
言うだけ無駄。それを熟知しているエリスは何か言うでもなく床に落ちている衣服などを拾い、一か所へまとめて置くとアンネのベッドの横へと歩み寄った。
「アンネ、何故神山をレニ教官へ会わせたのだ?」
「どうしてって、何か問題?」
「なっ……神山に我々との接触を禁じていただろう」
「ええ、そうね。たしかに私達との接触は禁じたわ」
「ならば」
「伯林華撃団、とは一言も言わなかったわよ?」
エリスの反論を沈めるような言葉だった。言われたエリスはキツネにつままれたような顔をし、それを見てアンネは楽しそうに笑った。
「ふふっ、そういう意味じゃカミヤマ君はエリスより柔軟よねぇ」
「…………まさか」
「エリスじゃ余計な事まで喋りかねないしマルちゃんは喋らなさすぎ。そして私は普段のエリスやマルちゃんを知らないもの。なら的確な対応が出来る人へお願いするのが一番でしょ?」
「最初から教官へ誘導したのか?」
楽しげに笑うアンネをエリスはどこか畏敬の念を抱いたような眼差しで見つめた。
その眼差しを見てアンネが懐かしそうに微笑む。
「エリス、言ったはずよ? もう少し肩の力を抜きなさいって」
告げられた優しい言葉にエリスは隊長となる前の華撃団競技会を思い出していた。
その頃、エリスはまだ一隊員に過ぎず、アンネ隊長の下でその力を磨いていたのだ。
――隊長、どうすれば私は隊長のようになれますか?
――私のようになる必要はないわぁ。エリス? 貴方は貴方らしくいればいいの。
――……私には隊長の言いたい事が分かりません。
――ふぅ……真面目なのは良い事だけど、こうなると困りものかしらねぇ。
そんな会話の最後に言われたのだ。
――エリス、もう少し肩の力を抜きなさい。強い人ってね、とっても優しくいないといけない時とそうじゃない時を使い分けられるの。
甦った記憶にエリスは小さく声を漏らし、それを聞いてアンネは楽しそうに笑みを浮かべる。
「分かった? あの頃からエリスはほとんど成長出来てないって」
「……はい」
「隊長になって少しは変わってくれるかなって思ったけど、まだまだみたいねぇ」
「……はい」
それはまるで姉妹のようだった。普段だらしない姉が真面目で堅物な妹へ優しく諭している。そんな雰囲気であったのだ。
「でも、少しだけ成長というか変化したところもあるのよ?」
「どこですか?」
気付いているのだろうか。今エリスは隊員時代に気持ちが戻っている事を。
アンネの事を上官として扱っている事を。
そしてそれを察してアンネがいつもよりも苦笑気味なのを。
「カミヤマ君よ。今日彼と話している時は少し表情が柔らかかったわ」
「ああ、それですか。神山は歌舞伎仲間なので」
「カブキ?」
そこからエリスの説明を聞いてアンネは自分の中の認識を改める事となる。
神山やアナスタシアと三人で歌舞伎を見に行った事やその後の食事に言った事を楽しそうに話すエリスを見たからだ。
自分が知らぬ間にエリスもちゃんと肩の力を抜ける場所や時間を作り出していると察したのだろう。
「……アンネ、どうかしましたか?」
「え?」
「いえ、先程からずっと笑っているので」
言われてアンネは自分が笑っていた事に気付いたようで、不思議そうな表情へと変わってやがて苦笑した。
「エリス、前言撤回するわ。貴方も成長してた。私の知らないところで、ちゃんと、ね」
「アンネ……」
「だから、見せてくれる? 今の伯林華撃団の隊長の強さを。私のような時限式じゃない、強さを」
「…………はい」
今再び託される想い。それを受け取り、エリスは静かに頷いてみせる。レニから教えてもらったアンネが隊長を退いた理由を思い出しながら。
翌日、帝劇の支配人室を一人の客人が訪れた。
「久しぶりだねお兄ちゃん」
「ああ、久しぶりだねアイリス。すっかり綺麗な女性になってビックリしたよ」
「ふふっ、ママに似てるでしょ? パパがね、出会った頃のママにそっくりだって」
笑みを浮かべながら話す姿は大神にかつてのアイリスを思い起こさせる。それでも今までで一番劇的な変化や成長を遂げたアイリスに大神は複雑な感情を抱いた。
アイリスの近況などを聞いていた大神だったが、それが一段落すると彼女は真剣な表情でこう切り出した。
「ねぇお兄ちゃん。さくら、帝劇に来るって本当?」
「……ああ。決勝戦前日ぐらいになるとは思うけどね」
「そっか……」
あの降魔大戦の後、誰よりも霊力低下を嫌がったアイリス。大神が帝劇に来た頃などは、まだどこかで霊力がなかったら良かったのにと思う事さえもあった彼女が、生まれて初めて心の底から霊力を欲したのがさくらが昏睡状態となったあの時だった。
「そういえばアイリス、宿は決まってるのかい?」
「うん、レニのとこ。最初はすみれにお願いしようと思ってたんだけど、カンナもいるみたいだから」
「そうか」
少しだけ雰囲気が明るくなった事に安堵し、大神は笑みを浮かべた。
「そうだ。ねぇお兄ちゃん」
「なんだい?」
「呼び方なんだけど、変えた方がいいかな? もうアイリスも大人だし……」
「好きにしてくれていいよ。それで言ったら俺もアイリスじゃなくてイリスって呼ぶべきってなるだろ?」
「……そっか。じゃ、いっそ一郎さん?」
「な、何だか妙な感じだな。だけど、嬉しいよアイリス」
少しからかうように呼びかけるアイリスに照れくさいものを覚えるも、大神は嬉しそうに少女だった女性の名を慈しむように呼んだ。
その呼びかけに白磁の如き肌へ微かに朱が入る。かつてであれば素直に喜び照れただろう事も、成人した今となってはむしろ恥じらいと嬉しさを与える事となったのだ。
「そ、そうかな? じゃ、じゃあ一郎さんって呼べたら呼ぶね?」
「無理はしなくていいからな。っと、どうする? 少し帝劇の中を見てくかい?」
「それはまた今度にする。今日はご挨拶に来ただけだから。それに、この後マリアや紅蘭に会いに行くし」
「分かった。二人の居場所は分かるか?」
「うん! レニに教えてもらったし、まずマリアに会いに行くから心配いらないよ」
そう言って見せる笑顔はあの幼い頃と変わらないようで、しっかりと大人の色香を漂わせるものとなっていた。
その事に大神は過ぎた年月の重さを感じ、アイリスの変わらない部分を知れた事に喜びと微かな懐かしさを覚えるのだった。
同じ頃、神山は歌舞伎座の前にいた。
「……来た」
こちらへ向かって歩いてくるエリスを見つけ、神山は静かに歩き出す。
「エリスさん」
「……神山か」
そこで神山はおやと疑問を感じた。エリスの雰囲気や表情が昨日よりも柔らかくなっていたのである。
「あの、昨日の約束を破るようで申し訳ないんですが……」
「いや、構わない。何だろうか?」
思いの外気安い受け答えに、神山は肩透かしを受けたかのような気分になりながら表情へそれを何とか出さないように疑問を投げかけた。
「エリスさんは、試合まで互いを敵視するような状況が適切だと思いますか?」
それは昨夜あざみから聞いたマルガレーテの想いにも関わっていた。
――マルガレーテは言ってた。真の強者は何があっても揺るがず慌てず事に当たるべき。だから、アンネの言った事は伯林華撃団らしくないって。
その言葉を包み隠さず伝えた神山にエリスは何かに気付いたような表情をして俯いた。
彼女は気付いたのだ。あの時の会話は全て自分へのアンネからの課題だったのだと。
隊長として伯林華撃団をどう考え、どうしていくのか。それを示して欲しかったのだろうと思い、エリスはアンネが言っていた事を思い出した。
(時限式とは、そういう意味もあったのか。特定の状況でしか隊長らしくあれない事を、アンネは悔しく思っていたのだ)
レニから教えてもらっていた意味とは異なる意味でもアンネは時限式だったのだと気付き、エリスは息を吐くと顔を上げる。その表情はとても凛々しいものだった。
「神山、昨日のアンネの言った事は忘れてくれ」
「エリスさん……」
「私達伯林華撃団は例え相手が誰であろうと逃げも隠れもしない。そしてその手の内などが全て読まれていても戦う事を止めないだろう」
「……そうですか」
「ああ」
自信を漂わせ、エリスは笑みを浮かべた。それは今までのようなどこか固いものではなく少しだけ柔らかい笑みだった。
「なら、それをマルガレーテさんへも伝えておいてくれますか? こっちもあざみ達へ伝えておきます」
「分かった。それで、そのためだけにここへ?」
「まぁそうですね」
「……まったくお前いや君という男は」
呆れつつも好ましいような声と表情を神山へ向けるエリス。そこからエリスは神山に折角来たのだからと二人きりでの歌舞伎鑑賞をする事に。
さながらデートであるが、互いにそんな気持ちは毛頭ない。ただ、それでも男女二人きりで歌舞伎を観劇するなど互いに初めてだったため……
(な、何というかこれはこれで緊張するな……)
(何だろうか、この感覚は。アーニャと二人の時は何とも思わないのだが……?)
意識しているいないの差こそあれ、二人は緊張を感じながら観劇する事となったのだ。
演目を見終わり、歌舞伎座の外へと出て来た二人はそのまま歩き出して銀六百貨店近くにあるカフェへと入った。
店内は涼を求める者達で賑わっていたが、幸い二人が座るだけの空席はあったため、神山とエリスはそこへ腰かけてそれぞれに飲み物を注文、そこからは先程見た舞台の感想を言い合い始めたのだ。
「やはりどこでも身分差と言うのは大きいのだな」
「悲しいですが今もそこまで変わりませんからね」
「ああ。やるせない話だ。互いに思い合っている者同士が引き離されるなど」
「でも、だからこそ人は共感し涙するのかもしれません」
「……そうだな。現実では、可能な限りなくなって欲しい話だ」
「同感です」
そこで一旦会話が途切れる。それを感じ取り、神山はエリスへこう切り出した。
「あの、エリスさん。一つ聞きたい事があります」
「ん? 何だろうか?」
「出来たらで構いません。アンネさんの事を教えてくれませんか?」
「アンネの、か……」
少しだけ、少しだけエリスの表情に影が差す。それは拒絶ではなく躊躇いの色。話してもいいのか否か。それを判断しかねるというそれに神山はここは押すべきではないと判断、即座に引いてみせた。
「答えにくいのならいいんです。その、それなら本人へ尋ねてみます」
「アンネ自身にか。そうか、それがいいかもしれない。私から話すよりもアンネの方が上手く話せるだろう。その、これだけは言えるのだが、アンネは誰よりも強いのだが誰よりも弱いのだ」
「強いのに弱い?」
「私ではこうしか説明出来ない。レニ教官かアンネ自身ならばもっと分かり易く言えるのだろうがな」
自分でももどかしさを感じているのだろう。エリスはやや苛立ちを示すように爪を噛んでいた。
そこへ注文した飲み物が運ばれてくる。冷たいカフェオレが二つ、目の前に置かれて神山はエリスへ軽い苦笑を向けた。
「まぁ今は飲みましょう」
「……そう、だな」
まるで酒盛りの開始を告げるかのようにそう告げ、二人はグラスを軽く合わせる。それをある人物が興味深そうに見つめていると知らずに。
――ジャンポール、見た? あの子もお兄ちゃんと同じで隅に置けないね……。
今日は珍しい事もあるものだと、そう思ってアンネはベッドから体を起こす。既に陽射しは強く照り付ける時間となっていて、体もそれを裏付けるように空腹を訴えていた。
本来は朝からそれを訴え続けていたのだが、彼女が意地のように眠気を優先してねじ伏せていたのだ。だがそれも睡眠欲が満たされれば続くはずもなく、アンネの眠りを妨げるように唸りを上げたのである。
「……お腹空いたぁ」
ここにマルガレーテがいれば耳を疑っただろう声だった。それ程にアンネの出した声は幼く、また甘えを含んだものであった。
だが、それは彼女が見ている相手も同じだったらしい。目を大きく見開いて戸惑いを見せていたのだから。
「あ、あの、アンネさん?」
「なぁに?」
「ど、どうしてそんな状態で入室許可を?」
神山は生まれて初めて見る妙齢の女性の裸体にも近い姿にどうすればいいのかと混乱していた。
エリスと共に彼女達の宿舎でもある飛行戦艦へやってきた彼は、前日の約束通りレニへ面会を求めようとしたのだが生憎今は話す事が出来ないと言われ、ならばとアンネの割り当てられている部屋まで来たのだ。
そこでノックを何度かすると声が聞こえ、入ってもいいかと尋ねたところあっさりと許可が出たために躊躇なくドアを開けると、そこには下着姿でベッドに横たわるアンネがいたのである。
故に神山の疑問も当然と言えば当然であった。アナスタシアでもここまでの行動は出来ないだろう。
「ん~……寝惚けてたから?」
「な、成程……」
納得は出来ないが理解は出来た。そう思い神山はならば出直すべきだと思い背を向けて出て行こうとして……
「それで、用件はなぁに?」
気の抜けたような、柔らかい声に足を止める。
「……アンネさんの事を教えてもらいに来ました」
「私の?」
「エリスさんに許可はもらいました。伯林華撃団は例え相手が誰であろうと逃げも隠れもしない。そしてその手の内などが全て読まれていても戦う事を止めないだろうと、そう言ってくれたんです」
「へぇ……」
一瞬だけアンネの目が開いて嬉しそうに細められる。
「なので、答えていただけるのならと」
「そう……どうしようかしら?」
「何も全てとは言いません。その、これだけ聞かせて欲しいんです」
とぼけたような声に神山はそう返して言葉を続けた。
「アンネさん、エリスさんは貴方を誰よりも強いが誰よりも弱いと言いました。その意味を、知りたいんです」
すると、その言葉にアンネは小さく笑った。神山が初めて聞くような、子供のような愛らしい声で。
「そっか。エリスはそう思ってくれてるんだねぇ。ふふっ、嬉しくなっちゃうなぁ」
「あの、アンネさん?」
「いいよ、教えてあげる。その代わり、食事に連れてって」
告げられた言葉とその内容に神山は安堵すると同時に財布の中身を心配し始める。
(さくらとのデートで散財したからな。支配人に頼みカオルさんに頭を下げて給料を半分だけ前借りしたが、それだって余裕がある訳じゃないし……)
悲しいかなモギリは薄給である。シャオロンの厚意によって、昼飯だけは賄いという形で肉体労働の代償に得られていたが夕食はそうもいかない。
アーサーを頼るのは以前のデートの際にディナー代を肩代わりしてもらったために出来るはずもなく、モードレッドから借りを作るのは気が引けたのだ。
そうなれば頼れる相手などいるはずもない。神山も日本男児だ。女性へ金の無心をしたり、あるいは食事を御馳走になろうなど言い出せるはずがなかったのである。
「あの、それはいいですがあまり高いところは」
「ん? あ~、そういうこと? 心配しなくていいわぁ。自分の分は自分で出すから」
あっさりと神山の不安や考え事を察してアンネは苦笑する。その表情を神山が見れば目を疑っただろう。アンネはどこか嬉しそうにしていたのだから。
(本当にカミヤマ君は面白いわぁ。一言も御馳走してなんて言ってないのに……)
神山はアンネが着替えて出てくるのを待つと告げ部屋を出て行き、残される形となった彼女はその行動にも笑みを浮かべた。
「クスクス……初心ねぇ。でも、だからこそエリスが気に入ってるのかも」
アンネの脳裏に浮かぶ入隊した頃のエリスの姿。生真面目で、今よりも一層融通が利かない少女。入ってきた時、アンネはどこか不安に思ったものだ。
こんな堅物で本当に歌劇が出来るのかと。その不安は的中し、エリスは華撃団員としては優秀だったが歌劇団員では目も当てられない程不器用だった。
――お姉様、あの子、どうするんですか?
――……それは自分で考えるんだ。隊長は君なんだよ、アンネ。
そう言われては仕方ないとアンネは自分の世話係としてエリスの面倒を見る事にした。レニへ許可を取り、アンネはエリスが委縮しないで済む様にと、それまでレニ以外には見せてこなかった気の抜けた面を見せたのだ。
――た、隊長……?
アンネは今でも思い出せるのだ。あの入室した時のエリスの顔を。下着姿で横になっている自分を見て顔を赤くしてドギマギしていたエリスの事を。
「……あれからもう二年以上、か」
その二年でエリスは女優として成長した。一番はアンネの世話をする事で力が抜けるようになった事だろう。
周囲に負けまいとし過ぎている事がエリスの欠点だと見抜いたアンネは、隊長である自分の世話をする事でその尊敬にも似た気持ちを薄れさせたのだ。
そして隊長であるアンネへの尊敬が薄れれば他の隊員へのそれも自然下がる事になる。馬鹿にするのではない。アンネさえも自室でこうなら他の者もきっと似たようなものだと勝手に思ったのである。
結果、演技からも緊張や余計な力みが消え、エリスは舞台での失敗は皆無となっていったのだった。
そんな事を思いながら着替え終わるとアンネは上着を手に取る。
「これ着ると暑いのよねぇ」
そう言いつつもちゃんと袖を通す辺りに彼女の本質が見える。何故普段着の露出度が高いかも、アンネの霊力体質に関係していた。
簡単に言えば排熱のためである。ただ、普段はそこまで必要ない。それでも念のためにという事だった。
「お待たせ」
「いえ、では行きましょう」
「ええ」
隣り合って歩き出す神山とアンネ。外へ出ると真夏の太陽が痛いぐらいに照り付けてくる。
その陽射しに目を細めながら二人は歩き出した。
「で、私の欠点を知りたいんだっけ?」
「欠点、ですか?」
あまりな言い方に神山が眉を顰める。だがアンネはその表現を気にもしていないようだった。
「そーなのよ。私って、元々霊力なんてなくてね……」
そこからアンネは自身の事を語り出した。
アンネは何の変哲もない家庭に生まれた。父も母も霊力などまったくなく、どちらの家系にもそれらしい力を持っていた存在はいなかったのだ。
アンネもある年齢までまったく霊力など持ち得なかった。それが十二歳のある日、急に体が熱くなり着ていた服を全て脱ぎ散らかす程の発熱に襲われた。
「今から十年前の事よ」
「十年前……まさかっ!?」
「そう。その日こそ降魔大戦終結の日。関連があるのかは分からないけど、まぁ無関係ではないと思ってるわ」
その日を境にアンネは霊力を発揮するようになったのだ。
それと共にアンネは妙な熱さに苛まれるようになった。普段は何て事はないのだが、強い霊力を使ったと思われる時になると急激な発熱がその身を襲うのである。
それが分かったのは彼女が伯林華撃団へスカウトされた後だ。一種の欠陥ともいえるそれを知っても、霊子戦闘機を起動出来る霊力を持つアンネを伯林華撃団が手放すはずもなく、更に華撃団の中でもっとも厳しい規律と主義の伯林華撃団で頭角を現しつつあった事もあり、アンネは気付けば隊長の座へ収まっていたのだった。
「私の体質は、燃焼体質って呼ばれてるわ」
「燃焼体質?」
「……生命力を燃やして霊力に加える事が出来るみたいなの。だから瞬間的には誰よりも高く強い霊力を叩き出せる。でも、それが維持できるはずはないでしょ? 結果、私は時間が経過すれば霊力だけじゃなく体力が、もっと言えば生きる力が減少していくのよ」
それは最悪の場合死ぬ事を意味する。それ故彼女は普段感情を高ぶらせないように、力を入れなくてもいいように、そして生命力を燃焼させても最悪の結果にならぬよう肌の露出を増やしているのだ。
「そんな……」
「時期も悪かったのよねぇ。私が隊長になって少しして初めての華撃団競技会だったの。で、演武は長時間勝負じゃないでしょ?」
それだけで神山は理解した。試製桜武と同じだと。それの人間版がアンネだったのだ。霊力が高ければその分攻撃力や防御力へ有利に働く。
それもあって伯林華撃団が初めての競技会で優勝出来たのだ。そして第二回では完成したばかりの新型であったアイゼンイェーガーの登場である。その性能とアンネは鬼に金棒の組み合わせと言えただろう。
「で、結局隊長を降りる事も出来ないままで二連覇。だけど、その時の伯林華撃団にはエリスがいた」
そう告げるアンネはどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
「それまでも隊長を目指して頑張る隊員はいた。だけど、あの子だけが、あの子だけが私を目指して頑張ろうとした。だからかしら? あの子なら、隊長と言う地位ではなく私という人を目指したエリスなら、きっと私よりも良い隊長になれるって思ったの。お姉様にお願いして、私よりも安定感もあって実力もあるエリスを隊長に推薦した。お姉様も、私の体質を思って受け入れてくれた」
「……それが、誰よりも強く誰よりも弱い理由、ですか」
「そう。私は時限式。ちょうど、そうねぇ……」
そこでアンネは足を止めて目を細めて神山を見つめた。
――試製桜武と同じ、かしらねぇ。
そのどこか悲しそうな声に神山は足を止める。アンネの目は何かを諦めたようなものだったのだ。
「アンネさん……」
「エリスは私を今も慕ってくれてる。私が隊長として頑張っていた頃を知っている。だから誰よりも強く誰よりも弱いなんて表現をしてくれるけど、実態は違うの。私は、欠陥品。短い時間しか強くいられない、そんな存在。だからこそ戦闘服を着る時だけは誰よりも強くあるわ」
声には、確固たる自負が宿っていた。瞳には、隠せない悲しみが宿っていた。表情には、それらを包み込むような柔和な笑みがあった。
「カミヤマ君、これでいい?」
「え……? あっ、は、はい!」
「うふふっ、なら良かったわぁ。それじゃ、食事に行きましょうか?」
その雰囲気は神山が良く知るアンネのもの。ただ、もう彼は知ったのだ。その脱力した顔の下に眠る、激しく燃え盛る炎のような顔がある事を。
(……俺達は勘違いをしていた。たしかに伯林華撃団は強い。二連覇している華撃団だ。それは間違いない。だけど、もしかしたら今の伯林華撃団は過去最強かもしれないぞ……)
自分の前を悠然と歩くアンネの背中を見つめ、神山は呟くのだ。
――今の伯林華撃団には、隊長が二人いる……。
普段穏やかな人間が怒ると怖いはよく聞きますが、アンネの場合はちょっと違う。
彼女の場合は怒る=生命を燃やす。故に自然と怒らないようにしているんです。
それでも怒りの感情は抱いてしまうもの。そういう場合、彼女は語尾の伸ばし方が“~”へ変わっています。