新サクラ大戦~異譜~   作:拙作製造機

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更新がかなり遅くなってしまいました。お許しを。
しかも、次回もいつになるか見当もつかない有様でして……本当に申し訳ないです。

アナスタシアのあれもゲームで気になっていた事でした。
もし次回作(あれば)で明らかになるならいいのですが、今作はこういう風にしました。ご理解ください。


裏切りの仮面 前編

「嘘……だろ……?」

 

 決勝戦の翌朝、神山達は格納庫で思いもよらぬ光景を目にした。

 

「無限が……誠十郎さんの無限が直ってる!?」

「どーなってんだよこれ!? あちこちボロボロだったろっ!?」

「これこそ忍法……」

「まぁ、そこで死んだように眠っている人間が関わってるのは間違いないでしょうけどね」

 

 アナスタシアの視線が格納庫の片隅に置かれたベッドへと向く。

 そこには作業服のまま突っ伏している令士がいた。

 

「司馬だけじゃないぞ」

「支配人……それに……」

「おはようさん」

「紅蘭さん……どうしてここへ?」

 

 姿を見せた大神と紅蘭に神山達が意識を向ける。ただ、もう彼らはどことなく分かってはいた。きっと紅蘭も手伝ったのだろうと。

 

「いや、閉会式ですぐさよならって事にはならへんけど、一応挨拶をと思ってな」

「実は、上海華撃団の拠点である神龍軒は近く閉店するんだ」

「「「「「っ!?」」」」」

 

 どこかで分かってはいた事だった。今や帝都の守りは帝国華撃団へ戻っている以上、上海華撃団の拠点は必要ない事は。

 それでも、いざ言葉として告げられてしまうと思う事がない訳ではない。特に神山達にとっては、上海華撃団の存在こそが今へと繋がる最初の壁だったのだから。

 

「さすがにシャオロン達も閉会式で終わりって訳にもいかへんからなぁ。遅くても年内。早ければ秋には店じまいや」

「秋……ですか」

「そんな……」

 

 噛み締めるように呟くクラリスと悲しみを表情に浮かべるさくら。

 二人にとって神龍軒は思い出の場所でもあった。

 

「シャオロンとユイも、国に帰れるって訳か」

「せやな」

 

 初穂はそんな二人と違い神龍軒へ通っていた常連でもあった。

 故にさくらやクラリス以上の悲しみや寂しさを感じつつも、シャオロン達の気持ちとなって言葉を紡いだ。

 

「もう、ミンメイとは会えない?」

「うーん……帝都では難しやろなぁ」

「なら、今度はあざみが会いに行けばいいのよ。上海まで、ミンメイと会うために」

「……うん、そうする」

 

 アナスタシアの言葉にあざみは何かを決意するように頷き、その心の声を発した。

 それを見て紅蘭は嬉しそうに目を細める。あの引っ込み思案で内気なミンメイが自分から進んで話題にしてきたのがあざみだったのだ。

 

(レニがアイリスとの関わりで変化していったように、ミンメイもこのあざみちゅう子ぉと関わる事で自分の殻を破るかもしれへんな。海や国が二人の友情を断ち切らん事を願うばかりや)

 

 そう母のような気持ちでミンメイとあざみの今後を願う紅蘭だったが、すぐにある事を思い出して神山へ視線を向けた。

 

「せや。神山はん、司馬はんから伝言や。無限は突貫で修理したから完全やない。普通に動かすのはええけど無茶な事は無理やからな?」

「分かりました。まぁ閉会式だけですし、大丈夫ですよ」

「念のためや。まだこの街には上級降魔が少なくても2体いるちゅう事、忘れたらあかんで」

「は、はい……」

 

 紅蘭に指を突き出され、神山は若干後ろへ下がりながら己の油断や慢心を振り払うかのように頷いた。

 そんなやり取りを眺め、さくら達が小さく笑う。まるで姉に注意された弟のように見えたからだ。

 

 ちなみに神山の無限は令士が一手に引き受け、さくらやクラリスの無限は紅蘭が受け持った。

 そこには令士なりのこだわりがあったのだと紅蘭は告げる。

 

「これは俺が直さないといけない。そう司馬はんは言うとった」

「……そうですか」

 

 微かに笑みを浮かべて神山はベッドへと目を向けた。

 そこで眠る令士に礼を述べるような眼差しを。

 

「よし、全員無限に搭乗。翔鯨丸で会場入りし閉会式へ参加するために搬入作業へかかってくれ」

「「「「「「了解」」」」」」

 

 弾かれるようにそれぞれの乗機へと乗り込んでいく神山達を見つめ、紅蘭はチラリと横の大神へ視線を向けた。

 

「すっかり大神はんも司令が板についたんやね」

「や、止めてくれよ。まだまだ米田司令の背中は遠いんだ」

「どうやろ? ウチの見立てやと割と近付いてきとる思うで」

「そう、だとすれば嬉しいんだけどな」

 

 どこか遠い目で大神はそう返して目を細める。その瞳にはかつて自分が父のように慕っていた男の凛々しい姿が甦っていた。

 

(米田さんは、今の俺を見てどう思うのだろうか? 立派になったと喜んでくれるだろうか? それとも、まだまだだなと笑うだろうか?)

 

 大神の脳裏に甦る降魔大戦後初めての米田との会話。

 それは、大神が一年振りに帝都へ戻ってきた際と同じく屋形船の中で行われた。

 

――大神、聞いたぜ。また帝都の危機を何とかしたらしいな。

――……みんなのおかげです。かつての風組や巴里、紐育の協力がなければ俺はここにいなかったでしょう。

――そうか。そういや、その、さくらはどうしてる?

――っ……今回の戦いでかなり疲弊してしまって、今は療養してもらっています。

――……生きてるんだな?

――はい。

――そうか、ならいい。いやな、今回の戦いの終盤で起きた現象がよ、降魔戦争の時に一馬が魔神器を使った時に似てたもんだからな。

 

 そこまで思い出して大神は息を吐く。

 あの時は偶然だと思って、思い込んで終わらせた指摘。

 だが、あの時帝剣が発動したと考えれば、米田の意見は重要な手がかりと言えた。

 

(こうなるとやはりさくら君は帝剣の影響を受けたんだろう。しかし、その帝剣は一体どこにあるんだ? いや、そもそも何故あの場にあった? そして降魔達が探し始めた事と、今になってさくら君がこちらに反応を見せるようになった事は関係があるのだろうか?)

 

 大神がそう自問する中で神山達は無限への搭乗を完了し、静かに会場へ到着するのを待って――はいなかった。

 

『そういえば気になってたんですけど、アナスタシアさんのそれって何か意図があるんですか?』

『ああ、この顔に着けてる装飾品? 一応仮面なんだけど……』

『あざみも気になってた。それに、仮面にしては顔をほとんど隠してないから意味がない』

『あ、あざみ……』

 

 あまりにも直球な意見にさくらが苦い声を出す。

 だが当の本人であるアナスタシアはむしろ好ましく思って笑った。

 

『いいのよ。そうね、この仮面に意味はないわ。ただ、これは私が恩人からもらったものなのよ。だから一種の……そうね、この国で言うおまもり、かしら』

『恩人?』

『ええ。私が女優になる時に援助してくれたのよ。で、これは私が華撃団に入る事になった時にくれたの。戦場に出る時にこれを付けて、意識を女優から戦士へ切り替える一助として欲しいってね』

『そうなのか』

 

 神山はいつか聞いたアナスタシアの過去話を思い出していた。

 最後には冗談だと言われてしまった、彼女の話。

 だが神山は全てが全て嘘ではないと思っていたのだ。

 家族を失ったアナスタシアを援助した存在はたしかにいたのだろうと。

 

 各無限を翔鯨丸へ搭載させ、神山達は艦橋へと向かう。

 一方大神は既に風組の二人と共に艦橋で花組の事を待っていた。

 ただ、その脳内ではずっと帝剣と真宮寺さくらの現状の関係性を考え続けてはいたが。

 

 しかし当然答えが出るはずもなく、神山達の到着を見て翔鯨丸は一路閉会式会場でもあるスタジアムへと向かった。

 そこには既に大勢の観客が詰めかけており、更にシャオロン達を始めとする他の華撃団も当然ながら姿があった。

 

「よし、では行こうか。神山、君の無限は慎重に扱うんだぞ?」

「分かっています。閉会式で失態を見せるつもりはありません」

 

 その神山の返しに大神は小さく苦笑して頷いた。

 

 

 

 閉会式は何の問題もなく進んで行った。

 どこかで降魔の襲撃を警戒していた神山達関係者を嘲笑うかのように、つつがなく進行していったのである。

 

 だが、襲撃が無かっただけであり、降魔はそこに来ていたのだ。

 誰に気付かれる事もなく、密かにスタジアムへ忍び込んでいた降魔はその視線を神山達へと向け、やがてある人物でその目を止める。

 

――……そこにあったか。

 

 その闇が見つめるのはさくらの脇に差された刀。そう、あの天宮家に伝わるという物だった。

 それから感じる波動のようなものに満足そうに邪悪な笑みを浮かべる存在の名は……

 

「この我、夜叉がわざわざこのような事をしてやったのだ。後は奴の手並みに期待してやるとしよう。帝剣の奪取、今度こそ成功させてもらわねばな」

 

 夜叉はそう呟いて音もなくその場から消える。

 それに誰一人として気付く者はいない。ただ一人、その場の空気が変わったと感じている者はいたが。

 

(何だろう? さっきまで強く嫌な感じがしてたのに、急にそれが弱くなった気がする……。き、緊張感が薄れたのかな?)

 

 その人物、ミンメイは不思議そうに小首を傾げながらプレジデントGの言葉を聞いていた。

 

「さて、今回で三回目を迎えた華撃団競技会ですが、あの帝国華撃団の復活で締め括れた事は望外の喜びでした。ただ、敗れたとはいえ伯林華撃団などの他の華撃団もその力を存分に見せてくれました。今後増々世界の守りは固くなったと言えましょうっ!」

 

 その言葉に歓声を上げる観客達。ただ大神達旧華撃団関係者はその言葉に冷ややかな目を向けていた。

 彼らは知っているのだ。巴里と紐育というかつての三華撃団の内の二つを未だに再興させようとしていない事を。

 その決定を下しているのが、他ならぬプレジデントGである事を。

 

 そして、そんな彼らと想いを同じくしている者がいた。

 

(よくもまぁそんな事をぬけぬけと……)

 

 大神から降魔大戦後のWOLFが取った行動を聞いた神山である。

 彼は出来るだけ表情には出さないようにしながら、プレジデントGをやや睨むような鋭い眼差しで見つめていた。

 

 そして思うのだ。かねてから思っていた事をぶつけるにはここしかないと。

 

(これを司令が言えば開会式の時のように面倒事になるだろうが、俺が言うのなら悪くても単なる一意見で片付けられるだけだ)

 

 意を決して神山はプレジデントGの言葉へ耳を傾ける。自分の秘めていた想いや考えを言い出す時機を窺うために。

 

 すると、その機会は意外と早くきた。プレジデントGが帝国華撃団優勝の話題からかつての三華撃団の事へ言及したのである。

 

「降魔大戦を終結へ導いた三華撃団の中でもっとも歴史がある帝国華撃団。その復活は未だ再興が難しいパリやニューヨークの希望と」

「その件についてプレジデントGへお願いがありますっ!」

 

 よく通る声がスタジアムに響き渡る。誰もがその声を発した人物へと顔や目を、意識を向けた。

 

「……何ですかな、神山隊長」

 

 プレジデントGのどこか威圧的な眼差しが神山を射抜く。

 それに若干息を呑みながらも、神山は思いの丈を叫んだ。

 

「地理的に巴里華撃団の再興が遅れるのは仕方ないにしても、広大な国土を持つ亜米利加の中心たる紐育を守護する華撃団の再興は急がれるべきかと愚考しますっ!」

 

 その神山の姿をテレビカメラが捉える。

 映し出される凛々しく若々しい青年に、遠く紐育の地で閉会式の様子を見ていた者達が一様に好ましく思うような笑みを浮かべた。

 

――へぇ、中々言うじゃないか。

――大河さんと同じく、やはり隊長を務める日本人は強いのですね……。

――こいつ、いちろーとどこか似てるな。

――あれだけの舞台でWOLFの代表へ意見具申、か。しかも反論し辛いように理を説いて……。こいつ、良い弁護をしそうだね。

――サムライだ……。やっぱり、まだあの国には大神さんや新次郎以外にもサムライがいるんだっ!

 

 そして当然彼らも……。

 

「どう? こんな事を言ってくれているけど」

「嬉しいですよ。さすがは一郎叔父の見つけた隊長です。しっかりと優先するべき事を分かってる」

「……サムシングエルス、感じられる?」

「それは僕ではなく支配人が、いえラチェットさんが感じないと信用できませんね」

「まぁ……。ふふっ……なら早速サニーへ連絡しなくちゃ。スカウトするべき人物がいるってね」

「隊員からは考えた方がいいと思いますよ。彼は僕と違って立派に隊長を経験してますから」

 

 鮮やかな水色のスーツを着こなす金髪女性の言葉へそう返し、黒髪の青年はテレビに映る神山を見つめた。

 

「……神山誠十郎、か。彼なら、きっと……」

 

 大神も抱いた何か。それを画面越しに彼、大河新次郎も抱いた瞬間であった。

 

 その彼が見つめる中、神山はプレジデントGへ尚も意見を述べていた。

 どうして紐育華撃団を再興させるか。その意味と理由。更には巴里華撃団の再興もすぐ始めるべきだと述べたのだ。

 それには黙って聞いていたプレジデントGも眉を顰めた。何せ最初に神山自身が巴里華撃団は地理的に再興を後回しにしても仕方ないと述べたばかりだったからだ。

 

「神山隊長、君は最初にパリは地理的に再興が遅れても仕方ないと言ったではないですか。それが何故今はすぐに始めるべきだと?」

「今も尚残る仏蘭西と英吉利の因縁。それを払拭する懸け橋となってもらうためです!」

「何?」

「かつて百年戦争と呼ばれた戦いを繰り広げた両国には、互いの国へ思う事があるはずです。そこで倫敦華撃団が巴里の、仏蘭西の守護を受け持つという状態は仏蘭西国民の心を穏やかにし辛いかと。勿論今を生きる仏蘭西人にかつての敵国でも関係なく真摯に守護する倫敦華撃団を悪く言う者はいないでしょうし、また今を生きる英吉利人も降魔大戦を終わらせてくれた一因である巴里華撃団の故郷を悪く言う者はいないでしょうが、過去の遺恨を再燃させる可能性がある事は止めるべきかと思います」

 

 その神山の言葉に楽しそうな笑みを浮かべる者達がいた。

 

――言うじゃないか、この坊や。フランスやイギリスへ皮肉たっぷりな言い方で過去を水に流せとはね。

――ふむ、彼が大神君の見出した次代の隊長、か。神山誠十郎、だったかな。どれ、いつでも手を回せるように準備しておこうか……。

 

 それは、ライラック伯爵夫人とかつての駐仏大使であった迫水だった。

 全世界へ中継されている今だからこそ、神山の行動は効果があると言える。

 これがプレジデントGとの会談では意味がないのだ。実際、そうやって巴里華撃団も紐育華撃団もその再興を阻まれてきたのだから。

 

「……ですが、巴里華撃団も紐育華撃団も伝統ある華撃団です。そう簡単には」

「我々帝国華撃団もそうでした。長きに渡り上海に帝都の守護を任せ、いつか自分達の手で帝都を、この国を、世界を守れるようになるのだともがき足掻いてきました。それと同じ事が何故巴里と紐育で出来ないとお思いですか! 自分は革命を果たした仏蘭西の、独立を果たした亜米利加の力を信じています! あの二国なら、かつてと同じかそれ以上の華撃団を作り上げてくれるとっ!」

 

 一歩も引かず巴里・紐育両華撃団の再興をと迫る神山にプレジデントGは表情を微かに歪めた。

 既に世論は神山へと傾いていると感じ取ったのである。ここで少しでも再興に否定的あるいは懐疑的な意見を述べるのなら、それは余程の理由や根拠がなければ納得させられないとも。

 

 ある意味で開会式の大神と同じだった。大勢の観衆を味方につけ、WOLFの、プレジデントGの考えを変えようとする動き。

 まさしく神山は大神の後継者であった。個人でありながら世界の情勢へ影響を与える存在となり得るだろう片鱗をここで見せていたのである。

 

「神山……君と言う男は……」

 

 大神も、そんな神山の行動に笑みを浮かべていた。もしあそこにいるのが自分ならば同じような事を言っていると、そう思って。

 

 その一方で内心怒りで煮え繰り返っている者がいた。プレジデントGである。

 自分の決定に異を唱えただけでなく、それを覆すべく大勢の民衆を味方につけて理路整然と巴里・紐育両華撃団の速やかな再興を説いたのだ。

 

 それでも内心の感情を顔に出す事もせず、プレジデントGは息を吐いて拍手を始めた。

 

「素晴らしい。さすがは帝国華撃団の隊長と言ったところでしょうか。分かりました。この競技会終了後、世界情勢が大きく乱れなければ巴里・紐育両華撃団の再興へ動き出しましょう」

 

 どよめく会場の声を聴きながらプレジデントGは神山を見つめる。

 

「それでいかがですかな? 神山誠十郎君」

「十分過ぎるお言葉です。ありがとうございます」

 

 見つめ合う二人。その眼差しは当人同士にしか分からない程度に鋭さを秘めていた。

 

 そうして神山とプレジデントGの間に剣呑な何かを残して閉会式は終わる。

 式が終わるや、神山の周囲へ莫斯科華撃団以外の隊員達が駆け寄ったのだ。

 

「神山っ! お前、本当に大した奴だぜっ! プレジデントGへ直談判とはなっ!」

「ああ、開会式の大神司令を思い出したよ」

「まぁ、それをどこか意識しました」

 

 アーサーの言葉にそう返して神山が苦笑すると、それを聞いたその場の全員がやはりとばかりに笑った。

 

「しかし、あれはこの時、しかも帝国華撃団でなければ言えぬ事だ。私達も紐育華撃団や巴里華撃団の再興は願っていたが、新興華撃団ではどうしてもそれを上申出来る雰囲気では、な……」

 

 悔しそうなエリスだが、同じような表情をアンネもしている。

 彼女達はレニの関係でパリと定期的に関わっていた。アイリス繋がりではあるが、巴里華撃団の現状も多少聞こえて来ていたのだ。

 

「連覇した時に言おうと思ったのよ。巴里華撃団の早期再興を御一考くださいって。でも、言えなかった。プレジデントGに連覇の事を褒められ、そこから今や私達伯林華撃団が次代を牽引する存在と持ち上げられて……ね」

「成程ね。とても巴里華撃団の事なんて言い出せる状況じゃなかった訳か」

 

 ユイの言葉にアンネは小さく頷き、アーサーへ目を向けた。

 

「きっと倫敦も似たような事を思っていたでしょ?」

「そうだね。こちらも優勝したあかつきには巴里華撃団の事を言い出すつもりだったよ。ただ、今の話を聞く限り無理そうだけどね」

「だろうな。俺達倫敦華撃団が勝てば、初回優勝の伯林華撃団と双璧だとか言い出すさ」

「あたしもそう思う。って考えるとやっぱりこのタイミングしかなかったんだね」

 

 帝国華撃団が優勝してみせた今回しか、巴里・紐育両華撃団の再興を願い出る機会はなかった。

 それをその場の誰もが悟っていたのだ。神山の行動はそういう意味では適切だった事も。

 

「そ、そう言えば、ランスロットさん達はいつ帰国されるんですか? 上海に関してはある程度聞いたんですけど」

 

 さくらの言葉にアーサーとエリスが互いへ目を向け合う。それはどちらが先に言うかを相談しているかのようだった。

 少しの間の後、エリスが目を閉じるや俯いた。それを受け、アーサーが顔を前へ向ける。どうやら彼が先に話す事に決まったらしい。

 

「僕らは二日後に帰国の途に就く」

「二日後……」

「結構早いんだな」

 

 予想以上の日程に初穂が思わず感じた事を述べると、それにモードレッドは肩をすくめる。

 

「これでも遅い方だ。マーリンが最後にこの街をしっかり観光してこいって意味の休暇を一日出したんだよ」

「だからさくら、そこでもう一度再戦しよう!」

「分かりました!」

 

 凛々しく言い合う二人の剣士。ただ、それを黙って見ていられない者がいた。

 

「ちょっと待った。その前に私とも戦ってもらおうかな?」

「ユイさん……」

「そっか。そういえば君とも約束してたね。いいよ、さくらの前にまずは君だ」

 

 火花を散らすユイとランスロットを横目に、アーサーはエリスへと顔を向けた。

 

「こちらは以上だ」

「了解した。とはいえ、我々も似たようなものだ。出発は二日後。明日は自由行動となっている」

「なので私は」

「私とミンメイと三人で遊ぼう」

「は?」

 

 自分の言葉を遮る形であざみが告げた言葉にマルガレーテの眉が動く。

 だが、それもすぐに困り眉へと変わる事となった。その理由は……

 

「あ、あの、ダメですか? マルガレーテさんのお話はとってもためになるし、もっと色々と教えて欲しいです」

「うっ……」

 

 ミンメイの純粋な眼差しがマルガレーテを見つめる。その無垢な瞳と想いを無下に出来る程マルガレーテは捻くれていない。

 何せ生まれて初めて出会った、同じ華撃団の年下であり後輩である。

 しかもあざみと違いマルガレーテへ敬意を払っているのだ。それは本国ではまだまだ年下扱いのマルガレーテにとって悪くない気分へとなれるもの。

 

「マルガレーテ、付き合ってやるといい。お前も華撃団全体で見れば先達と言えるのだ」

「そうね。異なる考えや視線を知る事はきっと新たな力となる。それが出来る子だと信じてるわ」

「……分かりました。非常に不本意ですがあざみの申し出を受けます」

 

 エリスとアンネの言葉に折れたように息を吐き、マルガレーテは渋々と言った声でそう告げる。

 がそんな彼女へあざみはジト目を向けた。

 

「……相変わらず素直じゃない」

「何か言った?」

「別に……」

「た、楽しみですね、三人でのお出かけ」

「「……そうね(だね)」」

 

 年上二人の微妙な雰囲気に最年少が気を遣うという姿を見て誰もが小さく苦笑する。

 何せあざみもマルガレーテも、ミンメイにはちゃんと笑みを見せるのだから。

 

「アーサーさんはどうするんですか?」

「そうだね。出来ればゆっくり帝劇を見ておきたいかな。客席と売店ぐらいしか知らないに近いし」

「ならクラリス、案内してあげたら?」

「私が、ですか?」

「それは助かる。ミススノーフレークがアテンドならこちらの疑問などもすぐ理解してくれそうだ」

 

 アナスタシアの指名を受け軽く驚くクラリスとは違い、アーサーは嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 相手が相手なら卒倒しそうな程の王子様スマイルで。

 

「え、えっと……分かりました。それと、クラリスで結構ですから」

「そうか。では、改めて……ミスクラリス、明日はよろしく頼みます」

「はい、承りました」

「おぉ、本当に西洋の舞踏会とかみてぇな雰囲気だぜ」

 

 まるで絵画のような金髪男女の姿に初穂が感心するように目を見張っていた。

 その後ろではモードレッドがアンネに絡まれて複雑な表情を浮かべている。

 

「で、坊やはどうするの?」

「べ、別にいいだろ。ほっとけ」

「もしかして、今までの個人主義が邪魔して誘えない?」

「っ!? んな事ねぇよっ!」

「ふふっ、仕方ないわねぇ。お姉さんが付き合ってあげましょうか?」

「結構だっ!」

「あらあら、ムキになっちゃって。可愛いのねぇ」

「ならアタシが相手してやろうか?」

「お前は神山とでも遊んでろ!」

 

 ニヤニヤと笑うアンネと初穂にモードレッドは終始からかわれ続ける。

 そんな彼を見て、シャオロンが小さくため息を吐くとそこへ割って入った。

 

「まぁまぁお二人さん。それぐらいにしてやってくれ」

「シャオロン?」

「どうして止めるの?」

「こう見えても、密かなうちの常連なんでね」

「っ!?」

「「は?」」

 

 そこから始まるモードレッドの隠れた行動。実は意外と食べ物に目が無く、今まで知らなかった中華料理にはまり、帰国したら食べられなくなると思って毎日昼になると足しげく通っていた事がシャオロンの口から明かされ、モードレッドは微笑ましい眼差しを二人から向けられる事になった。

 

 そして神山はエリスやアナスタシアから歌舞伎を見に行こうと誘われていた。

 

「きっとこれが最後の機会だ」

「キャプテン、どうかしら?」

「勿論喜んで行かせてもらうよ」

 

 そんな光景を遠くから眺めながら、大神は遠い目をしていた。

 かつて彼は帝国・巴里の両華撃団の隊員から慕われていた。

 それはとても幸せであり、また満ち足りた時間ではあった。

 だが、微かな孤独を感じる事もなかった訳ではない。男性は自分一人。男ならではの悩みや不安、そういうものを共有出来る相手が身近にいなかったのである。

 

(神山には、国は違えど同性の仲間がいる、か。これは、きっと神山の大きな力になるはずだ)

 

 更に言えば、神山を中心に四つの華撃団は一部ではあるがその絆を強くしている。

 しかも、それは神山を抜きにしても結ばれる程に変化成長していた。

 

「いいものですね」

「マリア……」

 

 大神の隣へ立つようにマリアが足を止める。その眼差しは正面の神山達を優しく見つめていた。

 

「私達とロベリア達がああなるにはかなりの時間が必要でした。でも、ある意味では当然かもしれませんね」

「そうだね。だって僕らは隊長を見ていたから」

「レニ……」

「しかも、女としてやったから余計にやろうなぁ」

「紅蘭……」

「で、トドメが国が違うと来たもんだ」

「カンナ……」

「それをお兄ちゃんが頑張って一つにしたんだよね」

「アイリス……」

「今の花組やそれを取り巻く他国の華撃団はあの頃とは違いまーす。でも、それでも中尉さんを超えそうな片鱗は見せてくれました」

「織姫君……」

「あの頃の私達に出来なかった事。それを果たして成し遂げてくれるだろう新しき力。中尉が見出しただけありますわね」

「すみれ君……」

 

 気付けばかつての花組が真宮寺さくらを除いて大神の周囲に揃っていた。

 一瞬、大神達の脳裏にかつての光景が甦り、今の自分達と重なる。

 

「……俺が見出したなんてとんでもない。今俺達が見ている景色は、あの頃の俺達全員で繋いだ夢の続きさ」

 

 優しげな声で告げられた言葉に、七人の乙女だった女性達は息を呑んだ。

 

「帝国華撃団が、巴里華撃団が、紐育華撃団が、それぞれ築き、残し、繋いだ結果が彼らなんだ。あそこに混ざっていない莫斯科華撃団だってそうだ。俺だけじゃない。みんなで掴んだ希望の光があそこにある」

 

 その言葉に誰もが小さく笑みを浮かべ、そして頷いた。

 降魔大戦と呼ばれた戦い。その時に全員戦士として戦う事は出来なくなってしまった。けれど、その時に失われた力は、見えない水となり、光となって今に咲く花達を生んだのだと。

 

「かつて米田支配人達が俺達をそう思ってくれたように、今度は俺達が彼らをそう思おうじゃないか。次代の希望が育っていると」

 

 心から喜びを噛み締めるような声に誰もがしっかりと頷いた。

 新たな時代の華撃団。その始まりはやはり帝国華撃団が作り出すのだなと、そう自慢にも似た心で……。

 

 

 

 その夜、神山は日課である夜の見回りを行っていた。二階から一階、最後に地下を回るいつものコースである。

 

「ん? あれは……アナスタシアか」

 

 支配人室を見回ったところで、窓から見えた中庭のベンチに座るアナスタシアを見つけた神山は、見回りも兼ねてそこへと足を踏み入れる。

 

「あら、カミヤマじゃない。見回り?」

「ああ。アナスタシアも」

「カミヤマ?」

「っと、すまん。アーニャは星を見てるのか?」

 

 少しだけむくれるような表情と声に小さく苦笑し、神山はアナスタシアを愛称で呼び直す。

 それに満足そうに頷いてからアナスタシアは笑みを返した。

 

「そうよ。カミヤマも少し見ていく?」

「そうしたいけど、そうしたら見回りが嫌になりそうだな。まだしばらくここにいるか?」

「ええ。どうして?」

「なら、少しだけ早く終わらせてここへ来るよ。何か飲み物でも持ってさ」

「あら、それはいいわね。じゃあ、いつもよりもじっくり星を見てるわ」

「分かった。じゃあ、また後で」

「出来るだけ早くね」

 

 まるで少女のような弾む声に神山は小さく微笑むと頷いて中庭を離れた。

 音楽室や楽屋などの一階で残っていた場所を見回り、舞台へ出るとそこにさくらが立っていた。

 

「さくら?」

「え? 誠十郎さん……」

 

 舞台中央で客席ではなく舞台を見つめていたさくらは、神山の声で顔を上げて柔らかく微笑んだ。

 

「どうしたんだ、こんなところで?」

「その、やっぱり残念だなって思って」

「残念?」

「華撃団大戦です。本当なら演舞でも競うはずで、私達だけじゃなくて、ユイさん達やランスロットさん達、エリスさん達のレビュウを見れたのに……」

「ああ、そうだったな……」

「それがあったら、本来の形の華撃団大戦だったら、私達は優勝なんて出来なかったかもしれません」

「……そうだな」

 

 そこで神山は気付いたのだ。今回は本来の形の華撃団競技会ではなかった事を。

 もし本来の形であれば、演武はおろか演舞さえも及ばなかったかもしれない。

 そう考え、神山はやはりまだ自分達帝国華撃団が華撃団の頂点などとは思えないと気持ちを新たにした。

 

「俺は、そろそろ見回りに戻るよ。さくらはどうするんだ?」

「わたしは……まだここにいます」

「そうか。じゃあ、おやすみさくら」

「はい、おやすみなさい誠十郎さん」

 

 もう少し舞台に残ると言うさくらと別れ、神山は昇降機へ向かおうとして階段を降りてきた初穂と遭遇する。

 

「おっ、神山じゃねーか」

「初穂。一体どうした?」

「ん? ちょっと喉が渇いてさ。水でも飲もうかって」

「そうか」

「そっちは見回りか?」

「ああ。これから地下だ」

「成程な。なら、くれぐれも風呂は覗くなよ? 今、クラリスが入ってるからな」

「わ、分かった。もし見回るとしたら必ず声をかけてから脱衣所へ入るよ」

「おう、そうしな。じゃあな、おやすみ」

「おやすみ初穂」

 

 ジト目で風呂の事を忠告した後は、朗らかな笑みを見せて初穂は食堂方面へと向かう。

 その背中を見送り、神山は昇降機を使って地下へと向かった。

 

「えっと、風呂は最後に回すとして……」

「どうして?」

「いや、クラリスが入っているならって」

 

 独り言へ聞こえてくる反応に気付き、神山は後ろを振り返るもそこには誰もいない。

 

「クスッ、誠十郎、上」

 

 それに小さく苦笑する声がしてから告げられた言葉に神山が顔を動かすと、そこには天井に張り付くようにしているあざみの姿があった。

 するとそこから神山の目の前へと静かに降り立つ。その見事さに神山は感心するように息を吐いた。

 

「にんっ、着地成功」

「おぉ……。で、あざみ? どうしてあんなところに?」

「クラリスに頼まれて見張り」

「見張り?」

「そう。もうそろそろ見回りの時間だから、誠十郎が不用意にお風呂へ入らないようにって」

「そ、そうか……」

 

 しっかりしていると思いながら、どこかで残念にも思う神山であった。

 

「でも、誠十郎はそんな事しないってあざみは言った。その通りで鼻が高い」

「ははっ、そりゃよかった」

「うん。と言う訳であざみはもう部屋に戻る。正直眠い」

「そうか。それに明日は三人で遊ぶんだもんな」

「そう。ミンメイとマルガレーテと遊べる、最後の機会……」

「あざみ……それは違うよ」

「え?」

「君達は年少だ。なら、二年後の華撃団大戦に出場する可能性は高い。そこで再会出来るさ。いや、それぐらいの気持ちでいないと」

「二年後の華撃団大戦……」

 

 目を大きく見開き、あざみは神山の言葉にそっと胸を押さえた。

 

「ああ。それに、アイリスさんは違う国に住んでいる友達へ手紙を書いて、定期的に連絡を取り合ってると言っていたな。あざみも、これを機会にミンメイやマルガレーテさんと文通を始めてみたらいい。ミンメイは……多分シャオロンやユイさん、紅蘭さんが日本語を読めるだろうから、マルガレーテさんだけ確認をしておくといい」

「文通……。うん、分かった。ありがとう誠十郎。おやすみなさい」

「おやすみ」

 

 可愛らしい笑顔を見せるあざみへ笑みを返し、神山は作戦司令室へと向かう。

 特に異常もなく、次は医務室。ただし、今は医務室は許可なく入れないため、神山は素通りするしかない。

 

(一体医務室に何があるんだ?)

 

 大神が時折すみれ達を連れて訪れている事ぐらいは神山も知ってはいる。だが、それが何のためかまではまだ教えられていなかったのだ。

 

 そうなると神山が向かうのは格納庫しかない。そこでは令士が純白の無限を前に作業していた。

 

「よう、やってるな」

「ん? 何だ、お前かよ」

 

 あからさまにガッカリする令士に神山はため息を吐く。

 この時間に格納庫を訪れる者など自分ぐらいしかいないだろうと思ったのだ。

 

「あのな、考えなくても分かるだろ」

「分からんだろ。意外と初穂ちゃん辺りが労いに来てくれるかもしれんぞ」

「言ってろ。で、どうだ?」

「正直まだ完全じゃない。突貫で直したとはいえ、それは知ってるかもしれないが見た目だけだ。はっきり言って出撃なんて出来る状態じゃない」

「そうか……」

「で、司令がこういう事が今後もあるかもしれないって考えてくれてな。今、神崎重工が万が一の際の機体を用意してくれてる。しかも、全員分だ」

「本当か?」

「ああ。ただし、当然ながら無限をもう一機って訳にはいかない」

 

 その言葉に神山も頷いた。何せ霊子戦闘機は高額だ。

 それをいくら華撃団競技会で優勝したからといって、いきなりもう一機ずつ予備機にとはいかないと分かっているのだ。

 

「で、用意してくれているのは三式光武だ」

「三式光武……」

「とはいえ、流石にそのままって訳にもいかない。向こうにも作り手としての意地と誇りがある。俺がいつかやった三式光武・改あっただろ? あれのように無限と同等とはいかないまでも、従来ままとはしないそうだ」

「それで配備は間に合うのか?」

 

 性能の底上げをされるのは嬉しいが、それで時間がかかってしまえば意味がない。

 そんな神山の懸念を令士も、そして大神も十分に理解していた。

 

「実はな、この話自体は司令が依頼する前から動いてたそうだ」

「何だって?」

 

 そこで令士が語ったのは、あの神山の初陣となった戦闘による思わぬ効果だった。

 あれで帝都の人々が見たのは新旧の光武の活躍だ。それを神崎重工の関係者も見ていたのである。

 その光景は光武を製作していた者達へ伝わり、霊子甲冑もまだ現役で戦えるだけの機体だと自信を得て、ならばともう一度光武を製作しようと奮い立ったのだった。

 

 何せその戦闘後に光武用の修理パーツをすみれ経由で多少用意した事もあり、ならばいっそ修理用の部品用にもと製作していたのであった。

 

「なのでもう機体自体は完成しているらしい。今は最終調整中だ」

「じゃ、配備は近いんだな」

「おう、司令の話じゃ早ければ明日にも届くってよ」

「それは助かる。無限と光武、二つの機体があればお前に無理をさせる事も減らせそうだしな」

「こっちとしては整備や点検の負担が倍になるから勘弁して欲しいんだがな」

「なら俺から司令にもう一人整備士を雇ってくれるよう言っておく」

「そりゃいい。出来れば可愛い子で頼むと付け加えておいてくれ」

「覚えてたらな。じゃあ、程々にしろよ」

「ああ」

 

 就寝の挨拶を交わす事無く令士と別れた神山は、最後に残った大浴場をどうするかと考えた。

 時間で考えればもう上がっていてもおかしくない。だが、女性は長風呂であると神山もここでの生活で理解している。

 

 しかし、真面目な彼は、自分の目で確認せず異常なしと考える事は出来なかった。

 

「…………脱衣所の前で声をかけて、更に浴場の前で声をかければいいだろう」

 

 これまでのような事を回避するための考えは正しいと言えた。

 ただし、それは従来と同じ状況であれば、だ。

 

「クラリス、まだいるのか?」

 

 まず脱衣所前で声をかけ、反応がない事を確かめてから神山はゆっくりと戸を開け、中の様子を確認する。

 

「……誰もいない、か」

 

 そこで中へ入らず脱衣籠を確認する辺りにも、彼がこれまでの見回りで何度か手痛い失敗を犯した事が窺える。

 

「……クラリスの服がある、な。ならここから声を再度かけるとしよう」

 

 何故か脱衣所へ入ると、高確率で体が勝手に浴場への戸を開けそうになる事を知っている神山は、強い意志力でその場から大きな声でクラリスへ呼びかけた。

 

「クラリス~っ! 異常はないか~っ!」

 

 その瞬間、浴場内から大きな音が聞こえた。まるで何かが湯船に落ちるような、そんな音が。

 

「っ?! クラリスっ!」

 

 何かあったのか。そう思った神山がその場から慌てて脱衣所へと入り、戸を開けようと手にかけたところで……

 

「だ、大丈夫ですっ! そのっ、ちょっとうたた寝をしてしまっただけですからっ!」

 

 クラリスの切羽詰まったような、それでいてどこか寝惚けたような声が聞こえてきたのである。

 実は先程までクラリスは湯船の中で眠っていた。そこへ神山の声が聞こえたと同時に湯の中へ頭まで沈んでしまったのだ。

 

 とにかく異常はないと分かり、神山は脱衣所の前でしばらく待つ事に。

 やがて恥ずかしそうなクラリスがそこから姿を見せ、神山へ頭を下げた。

 

「ありがとうございました。神山さんが声をかけてくれなかったら、きっと私、のぼせてました」

「役に立てたようなら良かったよ」

「でも、あざみに見張りをお願いしてたんですけど……」

「あ~っと、実はな……」

 

 地下へ来た当初のやり取りを教えるとクラリスは小さく苦笑して納得した。

 

「仕方ないですね。それに、あざみの見立て通り、神山さんは覗きはしませんでしたから」

「まぁ、何度か意図せず未遂をやっているからなぁ」

「そうでしたね。それでも、真面目にと言いますか、懲りずにと言いますか、ちゃんとここの見回りをするんですね?」

「おかげでクラリスに風邪をひかせずに済むよ」

「……はい、感謝してます」

「じゃ、一階まで一緒に戻ろうか」

「はい」

 

 揃って昇降機へ乗り込み、階段近くへと二人は移動する。

 中庭で約束がある神山はそこでクラリスと別れる事に。

 

「じゃあ神山さん、おやすみなさい」

「ああ、おやすみクラリス」

 

 階段を上るクラリスを少しだけ見送り、神山は急いで約束を果たすべくまずは飲み物を用意しに行った。

 二つのグラスに冷たい麦茶を入れ、神山は中庭へと足を踏み入れる。

 

「アナスタシア、お待たせ」

「あら、本当に来たのね。てっきりもう来ないと思っていたわ」

 

 ややつり目になりながら神山を見つめるアナスタシア。その眼差しに申し訳なさそうに目を伏せるしかない神山。

 

 実は、既に約束してから三十分が経過していた。だが、本来であればそれを彼女は気にもしないはずだった。

 星を眺めていれば時間の経過など気にする事はない性格の彼女が、何故神山の事をここまで気にしているか。それはあの約束の後からずっと、いつ彼が来るかと待ちわびていたからに他ならない。

 

「す、すまない。色々あって遅くなってしまった。お詫びじゃないが、これでも飲んで機嫌を直してくれないか?」

「ふぅ~……仕方ないわね。それで手を打ってあげる」

 

 グラスを受け取り、麦茶へ口を付けるアナスタシアと隣り合って神山もベンチへ座る。

 見上げる星空は以前見たよりも澄んで見えた。

 

「前に見た時よりも澄んで見えるな……」

 

 思った感想をそのまま素直に述べながら神山もグラスへと口をつける。

 

「あの時よりも時間が遅くなったからよ。周囲の光源が減ってるからでしょうね」

「そういう事か」

「ええ。これも、カ・ミ・ヤ・マが、私を待たしてくれたおかげね」

「あ~……許してくれアーニャ。俺はまだまだ慣れてないんだ。これから出来るだけ気を付ける。この通りだ」

 

 呼び方を変えるのを忘れていたぞと、暗に注意されて神山は両手を合わせて許しを請う。

 その姿に小さく微笑み、アナスタシアは頷いた。

 

「いいわ。そういうところも含めてカミヤマだもの。下手に嘘が上手いより、間違っても誠実な男の方がいいし」

「すまん。ただ、嬉しいんだぞ? 二人の時だけ呼び方を変えられるのは」

「そ、そう……。なら、良かったわ」

 

 答えながらさり気無くアナスタシアは顔を神山から背けた。照れてしまったのである。

 初めての恋は、世界的トップスタァを一人の乙女にしてしまうのだ。

 

 その後は二人して黙って星を眺めた。会話はなく、ただ隣から感じる気配だけが一人ではないのだと彼らへ伝えていた。

 

 どれぐらいそうしていただろうか。微かにサロンなどにある大時計が日付が変わった事を告げる音を奏でた。

 それを聞き、二人はどちらからともなく息を吐いて星見の時間を終わる事にした。明日は華撃団競技会で競い合った三つの華撃団と過ごせる最後の時間だからである。

 

「アーニャ、そろそろ部屋へ戻ろう」

「そうね。でも、貴方と見る星は今までで一番素敵に思えたわ。よければ、その……」

「また一緒に星を見よう。出来れば色々と教えてくれ。夏の星や秋の星、冬の星に春の星も」

「……ええ。約束よ、カミヤマ」

「ああ」

 

 静かに交わされる約束。その後二人は階段を上ったところで別れ、それぞれの部屋へと入った。

 

 翌朝、朝食を食べ終えた神山達は、それぞれでこの華撃団競技会最後の時間を過ごすために動き出す。

 

 さくらはユイやランスロットと共に中庭へと移動し……

 

「じゃ、まずはあたしとそっちでやって、勝った方がさくらとって事でいい?」

「いいよ。私が勝つだろうけどね」

「あ、あのぉ、出来ればあまり派手に暴れないでくださいね?」

「「ごめん、それは無理」」

「……ですよね」

「心配しないでさくら。ちゃんと壊した物は弁償するから。うちはお金持ちだからね。そっちはどうするの?」

「うっ、しゃ、上海華撃団はそこまで財政が豊かって訳じゃ……」

「で、でもランスロットさん? 事故ならともかく手合せで壊したって知ったら、マリアさんが怒りませんか?」

「うぐっ!?」

「うわぁ、絶対そうだよ。私でも想像出来るもの」

「じゃあこうしましょう! 何か壊した時点で勝負は終わり。で、壊した方の負けって事で」

「「……異議なし」」

 

 クラリスはシャオロンと共にやってきたアーサーに帝劇の中を案内し……

 

「ここが資料室、かつての書庫です」

「ここが……」

「へぇ、こうなってるのか。俺も初めて入ったぜ」

「それにしても、どうしてここを一番に?」

「ああ、マリアさんがここに居た頃よく使っていた場所だと聞いてね。どういう場所かこの目で見たかったんだ」

「あー、そういえば紅蘭さんが言ったな。ここの主みたいだったって」

「らしいね。だけど、今はミスクラリスが主のようだ」

「「え?」」

「そこのテーブルに置いてあるノートやペンは君のではないかなと思ってね。何せ、書かれているのが神山と君の名を使ったキャラクターによる物語のようだし」

「どれどれ……勇者カミヤーマはクラリース姫を助け出し、熱い口付けを」

「ああっ!? み、見ないでくださいっ! あと読まないでください~っ!」

 

 初穂はアンネと共に街を散策中にカフェでモードレッドを見つけて……

 

「おうおう、英吉利紳士ってのはこんな場所で甘いもん食べるんだなぁ」

「別にいいだろ。誰がどこで何を食べようと」

「そうねぇ。で、それで何個め?」

「……三つだよ。何か文句あるか?」

「「別にぃ」」

「ぐっ……てか、お前らは何にしに来たんだよ? 何も注文しないんなら」

「あっ、すみませーん。ここにパフェ一つ追加でお願いしまーす」

「ザッハトルテはあるかしら? ねぇ、坊やは知らない?」

「知るかっ! あとさらっと俺の勘定にしようとすんなっ!」

 

 あざみはミンメイとマルガレーテと三人で銀座の食べ歩きを……

 

「まずは基本のみかづき」

「き、基本なんですね」

「まぁ、だと思ったわ」

「うふふ、仲良しですね~」

「うん、ミンメイもマルガレーテも大事な仲間で友達」

「はいっ!」

「……そういう事にしといてあげるわ」

「あらあら、じゃあそんな仲良し三人には、つめた~いお茶を出しましょうね~。じゃぱ~ん」

 

 神山とアナスタシアはエリスと三人での歌舞伎鑑賞を……

 

「神山、今のはどういう事だ?」

「えっと、簡単に言えば渡世人という者達の約束事みたいなものです。あの口上は一種の決まり文句で、あれを言う事でそこの組織へ入れてもらうって感じですね」

「そうなのね。日本のマフィアにはそんなものがあったなんて……」

「今もそうなのか?」

「さ、さすがに今は違うと思いますが……」

「本当に分からない言葉や言い回しが多いわ。でも、それを気にしなくなる程の力が歌舞伎にはある」

「そうだな。それは同意する」

「国に関係なく、良い物は良いって事だろうな」

 

 誰もがこの時間を楽しく、あるいは活き活きと過ごしていた。

 その一方で、大神は医務室を訪れ、かつての帝国華撃団花組と共に今も眠るような真宮寺さくらへ呼びかけをしていた。

 

「さくら君、聞いてくれるか? 今の花組にも、君と同じ名前の少女がいる。その子はね、君に憧れてここへ来て、そして君を目指してトップスタァになろうとしているんだ」

「しかも、貴方のドジまで受け継いでいますわ」

「ふふっ、負けん気の強さや立ち直りの早さも、かしらね」

「カンナにそっくりな子もいるよ」

「東雲はんなぁ。初めて見た時はウチもビックリしたで」

「それを言うならあざみだろ。忍者だぜ忍者」

「たしかにあの子は凄いですね。だけど、あの頃のアイリスよりは素直で可愛いってカンジ?」

「むっ! そんな事ないよっ! 昔のアイリスだって素直で可愛かったからっ!」

 

 その言い方にはさすがに黙ってられなかったのかアイリスがその表情を怒りに変える。

 だが、その表情さえもどこか愛らしさが残る辺りに彼女の魅力かもしれない。

 そんな彼女に苦笑し、レニは残る隊員の事を話し始めた。自分もそれを聞いた時に思った感想を添えて。

 

「さくら、クラリスって言う子は自分で脚本も書ける女優なんだよ。羨ましいよね、今の花組が」

「当て書きですけど、それを感じさせないぐらいに見事な本を作りますの」

「そして、マリアの後継者であるアナスタシアだね」

「その表現は少し恥ずかしいわね」

「いやいや、実際あれはそうやろ。愛ゆえにを見て確信したわ」

「だよなぁ。あたいの後継者が巫女の嬢ちゃんなら、あの銀髪の嬢ちゃんはマリアの後継者だ」

 

 その言葉にマリアを除く全員が頷き、どうだとばかりにカンナが笑みを浮かべる。

 マリアはそれに諦めるようにため息を吐いて苦笑と共に小さく頷く。

 

 そして最後に話されるのはやはり彼の事だった。

 

「そうそう、忘れてました。さくらさん、中尉さんの後任もいるですよ。ね、中尉さん」

「神山の事だね。俺と同じで海軍出身の男なんだ。ただ、ある意味では俺よりも強いかもしれない」

「落ちぶれていた帝劇へやってきて、以前に近い状態にまで立て直す切っ掛けとなったんですものね」

 

 この中で誰よりも帝劇の状態を知っていたすみれの言葉に大神は無言で頷いた。

 もしあの頃の自分が、神山と同じ状況で帝劇へ着任したら同じ事が出来たかと、そう大神が自問するぐらいに一時期の帝劇は酷い有様だったのだから。

 

「……い……き」

 

 その瞬間、全員が一斉にポッドの中のさくらへ顔を向けた。

 さくらは今も眠ったままのような状態である。それでも全員が息を殺してその声がまた聞こえないかと耳を澄ます。

 

「さくら君……っ!」

 

 一縷の望みを託すように大神がさくらの名を呼ぶ。すると……

 

「おおがみ……さん」

 

 今までになくはっきりとした声で、意味のある言葉を発したのである。

 その瞬間大きな歓声が医務室の中で上がった。

 残念ながらもう声が聞こえる事はなかったが、ある意味でこの十年にも渡る時間の中で大神達がもっとも喜んだ瞬間であった。

 

 そんな平和で穏やかな時間はあっという間に過ぎていくのだと、そう誰もが思っていた。

 だが、魔の手は既に動き出していた。それは降魔の指示に従い、神山達へ不利になるような行動を取っていた人物へと伸びていたのだ。

 

「では、私はこれで」

「明日、見送りはします」

「ええ。ちゃんと会いに行くわ」

 

 煉瓦亭で昼食を食べ、以前のように別れる事にした神山達。

 こうして過ごせるのも最後かもしれないと思ったのか、エリスはどこか寂しそうに笑みを浮かべた。

 

「次に会えるのは、二年後だろうか……」

「その前に会えるかもしれません」

「何?」

「そうね。全員では無理だけど、例えば私とあざみでとかなら短期間のドイツ旅行ぐらい出来るわ」

「実際、かつての帝国華撃団はそういう風に巴里へ行った事があるそうです。なら可能性はありますよ」

「……もしそういう機会があれば、私がベルリンの街を案内しよう。ああ、必ず案内する」

「ええ、その時は必ず連絡します」

 

 固く握手を交わす神山とエリス。その後アナスタシアとエリスは軽く抱き合った。

 異国の地で出来た知己。その縁に感謝するようにしてエリスはその場から歩き出す。

 離れて行く背中を見つめ、神山は笑みを浮かべていた。

 

(エリスさんも、初めて会った時に比べると大分印象が変わったな……)

 

 最初はいかにもドイツ人らしい堅物な雰囲気だったのが、大神への態度と反応から始まり、歌舞伎鑑賞に煉瓦亭での振る舞いなどを通じて、エリスも一人の乙女であると神山に思わせたのだ。

 

「カミヤマは本当に節操なしね」

「は?」

 

 が、その横顔を見てアナスタシアがどこか拗ねたような声でそう告げて歩き出す。エリスへ心動かしているのが明らかだったためである。

 そんなアナスタシアの反応がどうしてかが分からない神山としては疑問符を浮かべるしかない。だが、それでも何かアナスタシアが怒っている事だけは分かったのだろう。

 

(そういえば、今は二人きりか)

 

 ご機嫌取りも兼ねてしっかりと切り換えよう。そう思って神山は追い駆けるように歩き出すと、少しだけ照れくさそうにアナスタシアへこう声をかけた。

 

「あ、アーニャ? 何を怒ってるんだ?」

「っ……そういうとこよ」

 

 一瞬だけ驚いたように息を呑むも、すぐに立ち直ると軽く赤面して言葉を返した。

 

(な、何だ? 今は二人きりだからちゃんと愛称で呼んだんだが?)

(もうっ! 今までは私が言わないと気付かなかったのに、こういう時はちゃんと気付くんだから……)

 

 それでも神山を置き去りにしない程度の早足で歩くアナスタシア。

 神山は何とか彼女の隣へ並ぶも、その機嫌を直す事は出来ずじまいであった。

 

 そしてその日の夜、夕食を終えたところで神山はアナスタシアから話があると持ちかけられる。

 

「見回り前に部屋へ?」

「ええ。来てくれる?」

「それは構わないが……」

 

 昨夜の事が頭を過ぎる神山だったが、それを察したのだろうアナスタシアは苦笑して、だから行く前に部屋へ来てと言っているのだと付け加えた。

 

「そうか。分かった。なら見回りへ行く前に部屋を訪ねるよ」

 

 そう言って去っていく神山を見送り、アナスタシアは小さく息を吐いた。

 

(今夜、カミヤマに全てを話そう。私の犯した罪を。これから起きるかもしれない事件を防ぐために……)

 

 明日、華撃団競技会に参加して帝国華撃団と絆を深く結んだ各国の精鋭達は帰国の途に就く。

 それを降魔達が見逃すはずはない。そうアナスタシアは読んでいたのだ。

 

 それから数時間後、アナスタシアの部屋に神山の姿があった。

 

「それで、話って言うのは?」

「以前、公園で話した事は覚えてる?」

 

 アナスタシアの言っているのがいつかの演技で話された作り話だと察し、神山は苦笑しながら頷いた。

 

「ああ、あれか。良く覚えてるよ」

「あれが、実は本当だとしたら?」

「え……?」

 

 さらりと告げられた言葉に神山の表情が消える。

 アナスタシアはまるで仮面を着けたかのように無表情となっていた。

 

「あ、アーニャ? 性質の悪い冗談は」

「そうだったら、どれ程良かったかしらね。今の私は心からそう思うわ」

 

 まるで過去の自分を突き放すかのようなアナスタシアの言い方に神山は悟る。彼女は本当に降魔のスパイだったのだと。

 

「どうしてそれを急に?」

「……やっと決意出来たのよ。いえ、決意はおかしいわね。決断出来たの。私の過ちを全部貴方に、カミヤマに打ち明けるって」

 

 そこからアナスタシアが語ったのは、以前公園で話した事は全て事実であったと言うものだ。

 つまりプレジデントGが降魔である事がそこで神山へ明らかにされたのである。

 

「まさか……そんな……」

「私も最初は信じられなかった。だって、降魔を倒すための組織の長をその降魔がやっていたんですもの」

「ああ……」

「それでも、その頃の私にはどうでもよかった。ただ家族とまた会えるのならと、そう思っていたから……」

「アーニャ……」

 

 窓際へ持たれるようにしながら外を見つめてアナスタシアは悲しげに笑う。それは自嘲の笑み。人として大事な事を忘れていた自分への、嘲りの笑みだった。

 

「なのに、あの男はパリとニューヨークの華撃団を再興させると言った。そこで私は分かったの。きっと近い内に何か大きな事をするつもりだって」

「……そうか。今更その二つの華撃団を再興する必要などないはずだ。にも関わらずそう言ったと言う事は」

「約束など果たすつもりはないのにした。裏を返せばその必要がないようになるか、するのよ」

「帝剣の所在が分かったのか?」

「そこまで私も知らない。でも、そうとしか思えないの。あいつは言ったわ。帝劇へ入り込み、帝剣を探せ。それが出来なければ地下への暗証番号を手に入れろと」

「夜叉へ番号を教えたのはそういう事か……」

 

 ようやく明かされた謎。だが、それを聞いてアナスタシアは俯いてため息を吐いた。

 

「だけど、私は夜叉に直接会った事はないわ。伝えたのはあの男にだもの」

「じゃあ、あの深川で俺達が戦ったのが……」

「ええ。少しくぐもっていたけど、あの声は間違いなくあいつよ」

「……どうしてあの時教えてくれなかったんだ? 君は、あの時あいつを倒そうと真っ先に動いてくれたじゃないか」

「……夜叉が、今は私達を殺すなと言われてると言ったでしょ? それで私はあいつを信じてみたかったの。私がいるから殺したくないんじゃないかって。だけど、それは違った。あいつはただ、自分の都合しか考えていなかった」

 

 相手を見る目がないわね。そう小さく呟いてアナスタシアは顔を上げた。

 神山へ向けたその顔は、悲しみと苦しみから酷く歪んでいた。

 

「アーニャ……君は……」

「あの公園で貴方に言われた言葉で私は目が覚めたの。家族は、私が手を汚したと知ればきっと嘆き悲しむわ。あの子も、そんなお姉ちゃんは見たくないってそう言ったはずだって。笑顔で再会出来ないのなら、新たな悲しみや苦しみを与えるぐらいならっ、このまま静かに眠らせてあげたい! そう私は思ったのっ!」

 

 それだけ告げるとアナスタシアは泣き出した。慟哭と、そう呼ぶのに相応しい程のそれに神山は静かに彼女へ近寄ると、そっとその体を抱き締めた。

 

「ありがとう、アーニャ。辛い事を、秘めておきたかった事を、話してくれて」

「っく……カミヤマ……っ」

「過ちを犯す事は誰にもあるさ。大事なのは、それに対してどう向き合い、どうするかだ。今の君はかつての自分と向き合い、犯した失敗を悔い、やり直そうとしている。それに……」

「それに……?」

 

 そこで神山はそっとアナスタシアの体を優しく離すと、その涙を指で拭って微笑んだ。

 

「君がこれまで舞台で見せた輝きは、嘘じゃない。それで多くの笑顔を、感動を与えてきた事は、嘘じゃない。君の闇はたしかにあった。だけど、それに勝る程の光を君は持ってる。そしてそれが元々持っていた輝きだからこそ、今君はトップスタァと呼ばれているんだ」

「カミ……ヤマ……」

「だから君は何も気にしなくていい。過去を忘れろとは言わないが、引きずる事はないさ。君も俺も、今を生きてる。ここから光を信じて輝き続ければいいんだ」

「カミヤマァ……」

 

 アナスタシアの視界が再び滲む。けれど、それは先程とは違う涙だった。

 故に神山もその涙は拭わなかった。ただ笑顔で頷くのみ。

 そのまましばらく神山は泣き続けるアナスタシアを抱き締め、泣き止むのを待って見回りへと向かった。

 

「……支配人にこの事を話すべき、だろうな」

 

 自分一人で留めておいていい話ではない。そう思い神山はまず支配人室へと向かう。

 幸い大神はまだ部屋におり、神山が大事な報告があると告げると表情を司令官のそれへと変えた。

 

「実は……」

 

 アナスタシアから聞いた話の一部を大神へ報告する神山。

 それを聞いて大神はその表情を驚愕から険しいものへと変えていく。

 

「……そうか。だが、それが事実だとしても俺達は派手に動く事が出来ない」

「何故ですか!?」

「どうやって証明する? いや、立証が出来ない。仮にも相手はWOLFの最高権力者だ。俺も君の話を信じているし、色々考えればその可能性は十分高いだろう。だが、憶測だけで行動を起こすには相手の立場が不味い」

「でもっ! 奴は帝国華撃団を弱体化させ、巴里・紐育の両華撃団の再興を十年以上も渋ってきました。それは、奴が降魔大戦で生き残った上級降魔であると考えれば納得しかありませんっ!」

「ああ。しかし、それは状況証拠でしかない。もしも、もしもだ。プレジデントGが降魔だとして、俺達がそれを暴こうと動いて公衆の面前で糾弾するかあるいは斬り付けたとしよう。それでもその正体が明らかに出来なかったら、幻術などで誤魔化されたら、その場合はどうする?」

「そ、それは……」

 

 神山もそこで理解させられたのだ。

 現状でプレジデントGの正体を確実に明らかにするには直接攻撃するより手はなく、しかも自分達だけでなく世界中にそれを明らかにしないといけない。

 それは、一つ間違えれば自分達だけでなく帝国華撃団の信頼を失墜させかねない事態へと繋がるのだと。

 

(俺は、俺は無力だ……)

 

 敵である上級降魔。その存在も正体も分かっているのに手が出せない。

 更には、巴里・紐育両華撃団の再興さえもこのままでは敵の手の中となる。

 一華撃団の隊長では、出来る事はないに等しい。軍隊へ身を置いた事のある神山だからこそ、表向きWOLFの最高権力者であるプレジデントGを相手に、合法的にその座から引きずり下ろす事は難しいと痛感してしまったのだ。

 

 丁度その頃、アナスタシアの部屋では泣き付かれた彼女が眠りに就こうとしていた。

 

「……こんなに泣いたのは久しぶりね」

 

 最後に大泣きしたのは家族を失った時だろうかと、そう思い出してアナスタシアは小さく苦笑した。

 

「あの時は悲しい涙だったけど、今日のは嬉しい涙だったわ。カミヤマには、感謝してもし切れないわね」

 

 最後には優しく微笑み、アナスタシアは明かりを消してベッドへと横になった。

 

「おやすみカミヤマ……」

 

 そこにいない相手へ愛を込めるように呟き、アナスタシアは眠りに就く。

 だが、それを待っていたかのように彼女の部屋の隅で妖しく光る物があった。

 それは、アナスタシアがもらったという仮面のような物。そう、プレジデントGから、いや……

 

――帝剣を手にする時が来た。最後の働きをしてもらうぞ、操り人形(アイスドール)よ……。

 

 上級降魔からの、贈り物だった……。




神山ではプレジデントGが降魔と分かってもどうする事も出来ない。
これがいつぞやの無力感を悔やむという事でした。
実際、ゲームでも正体明らかにしない方が目的を果たせたんじゃないかと思いますし。

……あれだけ帝剣へこだわりを見せなければ、ですけど(汗
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