それと今作に関しての活動報告を上げますので、お暇な方はどうぞ。
『まさか朧が復活するなんて……っ!』
『しかも夜叉の姿でとか……嫌な気分ねっ!』
降りしきる紫電を避けながら朧夜叉を見つめて嫌悪感を露わにするクラリスとアナスタシア。それでも攻撃しないのは何か不気味なものを感じ取っているからだ。
『それにっ! さっきよりも落雷の数が増えてるっ!』
『ああっ! こりゃ本気で不味いぞっ!』
『どうするの誠十郎っ! このままじゃ!』
接近戦主体の三人は紫電の嵐の前に朧夜叉へ接近する事も出来ず、その場で回避運動を続けるしかなかった。何せ紫電の勢いは朧夜叉へ近ければ近い程激しくなっていたのだ。
『くっ……』
遠距離攻撃で様子を見るべきか否か。あるいはある程度の損傷覚悟で突撃するか。そこまで考え神山は唇を噛んだ。
本来であれば風か山の隊長作戦を使い危険度を下げるのだが、あの夜叉戦での無茶のために隊長作戦は使用不可となっている。
そんな状況下で相手をしなければならないのが実力未知数の存在。しかも降魔皇復活の前兆によって戦場は明らかに不利である。
(それでも、それでも何とかしなければいけないんだっ!)
ここまで来て諦めるなど出来ない。そう奮起し神山は頭脳を最大限に動かした。
(落雷への対処は幻庵葬徹戦であざみが見せてくれたが、あれは一時しのぎでしかない。かといってクラリスの重魔導で相殺するのも難しいだろう。それに、相手が朧である以上以前と同じような幻術などを使用出来ると見た方がいい。そして下手をすれば……)
降りしきる紫電をかわしながら神山は佇むだけの朧夜叉を見た。
(夜叉や幻庵葬徹のように防御壁を展開出来る可能性もあるっ!)
散々苦しめられてきた強敵二人に共通していた要素。それを今の朧夜叉となった相手も有しているかもしれない。
そう考えた神山は覚悟を決めて表情も凛々しく告げる。
『みんなっ! 俺に考えがあるっ!』
今出来る最大限の事を。そう思っての言葉に五人の乙女は不安も文句もなく、ただ彼の言葉を待った。
その一瞬の沈黙が嬉しく思え、神山は微かに笑みを浮かべるもすぐに自分の考えを話した。
朧夜叉を倒す。そのために神山は長期戦をするつもりはなかった。何しろ時間をかければ降魔皇が復活してしまう。そうなれば結末は考えるまでもなく一つだ。
故に短期決戦を仕掛ける以外に道はなく、それには多少の危険は冒すしかなかった。
それはさくら達も分かっていたので異論はなく、神山の作戦通りに動く事に決めたのだが……
『けど、一つだけ不安があります』
『不安?』
クラリスが最後に告げたその一言が、全員がどこかで考えないようにしていた事を浮かび上がらせたのだ。
――何故朧は一度としてこちらへ動きを見せていないのでしょう?
あの朧が未だ静観を決め込んでいるというその一点。それだけが神山達の中で腑に落ちない要素だった。
けれどもそれをじっくり考える時間は今の彼らにはなく、若干の不安を抱えたまま花組は一大攻勢へ打って出る事にした。
朧夜叉を中心に扇型に展開し神山達はそれぞれに身構える。その様子を見て朧夜叉が小さく呟く。
「やっとその気になったか……」
「クラリスっ!」
「はいっ!」
新緑の新武が放つ竜巻が紫電の中を突き進んでいく。それでも多少勢いを殺されてしまったようで、朧夜叉へ届いた時には本来の威力を失っていた。
それを朧夜叉は落胆するように指先で弾いて消滅させる。だがその直後に朧夜叉は目を見開く事となった。
「んなぁっ!?」
クラリスの竜巻を隠れ蓑にするように初穂の放った炎の竜巻が姿を見せたからである。その威力はクラリスの竜巻が盾代わりとなって紫電を浴びたおかげかそこまで減少しておらず、朧夜叉の体を直撃する事に成功した。
「ちっ、やってくれるぜ」
「まだよっ!」
「あ?」
体中にまとわりついた炎をあっさりと払い落とした朧夜叉へ、今度は絶対零度の閃光が放たれる。
それは宙に飛び上がった深蒼の新武が放った攻撃。斜め下方へ向かって突き進むそれは紫電をものともせずに朧夜叉へ直撃――しなかった。
「今の俺様にはこんなもん利かねーよ」
朧夜叉が突き出した片手が小規模の妖力障壁を展開すると、絶対零度の輝きはそれを突破する事が叶わず霧散し消滅したのだ。
だが、それもある意味では本命ではなかった。
「はっ!」
「っ!? てめぇ……っ!」
機動力に長ける黄色の新武があの輝きを盾として下を通過し朧夜叉へ肉薄、その刃を突き立てようとしたのだった。
そんな不意打ちの攻撃さえも朧夜叉には通らず、それどころか瞬時に反撃を叩き込もうと動いたのだ。
「させるかよぉ!」
「まだくんのか……」
その一撃を真紅の新武が弾き飛ばすような勢いで阻止する。その僅かな間にあざみは離脱。ただ初穂はそうもいかず、朧夜叉と競り合う形でその場に留まる事に。
紫電が真紅の新武へと落ちていくが、そこへ桜色の霊力波が放たれて新武ごと朧夜叉を包んだ。
「味方ごと攻撃するとか結構なやり方するようになったじゃねーか」
霊力波を一瞬で掻き消して視界に映る桜色の新武へ朧夜叉はそう言い放つ。しかしそれがもたらした結果が自分の予想と違っていたとすぐに気付く事となる。
何故なら既に真紅の新武は朧夜叉の前から姿を消していたのだ。
そう、さくらの霊力波は敵意や悪意を持つ者へ反応する。つまり親友であり仲間である初穂には痛みなどを感じさせなかった。そのため、初穂は朧夜叉が若干意識を逸らした隙にその場から離脱出来たのである。
「……こりゃ驚いたぜ。まさかこんな事が出来るとはなぁ」
ただ、一方でさくら達は表情を暗くしていた。原因は一つ。ここまでの攻撃で朧夜叉がまったくと言っていい程疲弊していないからである。
それともう一つあるとすれば……
「あの攻撃の中を通路代わりにしたか。成程なぁ。さっきのチビと似たようなやり方だ。見抜けないとは俺様もまだまだか」
「こ、こいつ……っ!」
さくらの放った霊力波の中を駆けて朧夜叉へ攻撃した純白の新武。その右手の刀が見事に朧夜叉の体を貫いているのだが、当の本人はそれをまるで気にも留めず喋り突けていたのだ。
「ほんと~にお前らは強くなったぜ。俺様も降魔皇から力を与えられてなきゃとっくに終わってただろうなぁ。いや、ホントホント見事なもんだ。でもよぉ……」
「「「「「「っ?!」」」」」」
話しながら朧夜叉は自身へ突き刺さった刀を引き抜くのではなく、むしろ自ら刀の鍔の付近まで進んでいった。そのあまりの光景にはさすがの神山も言葉がなかった。
「ここが限界か?」
刃は朧夜叉の胴体ではなく既に全身を貫く状態となっており、その光景にさくら達は目を背ける。
「ほら、どうした? この刃をそのまま上へ引き上げろよ」
「っ……うおおおおっ!」
次の瞬間、新武の刀が朧夜叉を斬り裂いた。だが悪夢はまだ終わらない。
「そ、そんな……っ」
神山は、いや彼以外もだろう。誰もが目の前の出来事を疑いたくなっていた。
「「どうした? 何をそんなに怯えてやがる。ケケッ」」
左右に斬り裂かれた朧夜叉は、そのままの状態で平然と動き、しかも喋ってきたのである。もうそれは怪談話も逃げ出す程の状況だった。
実際あざみは初めて夜叉と遭遇した時とは違う意味で震えていたし、さくらやクラリスなどは戦意を喪失しかかっていた。初穂は目を背けつつも意識を空へ、幻都へ向ける事で心を保ち、アナスタシアは気丈にも目の前をしっかり見据えようとしていたのだ。
「お、朧……お前、そこまで……」
そして一人神山だけが気付いていた。目の前の存在は遂に生物でさえなくなったのだと。正確には世の理から外れたモノとなり果ててしまったのだろうと。
降魔皇によって再び生を受けた朧は、その実生命の掟から外れた存在となっていたのだ。
即ち不死。だがそれがどれだけ恐ろしくまた不気味なのかは今の朧が証明している。
左右に斬り裂かれても、その胴体どころか全身を貫かれても、死ぬ事なくいられる。痛みもおそらく感じられないのだろう。でなければ朧の性格上大騒ぎしているはずだと神山は思った。
(どうする? どうすれば今の朧を倒す事が出来るんだ?)
不死の相手とどう戦えばいいのかという問いの答えを出せぬ神山の前で、朧夜叉はその分かれていた体を両手を使って結合させると軽く首を動かして見せた。
「これでよしっと……。さぁて……」
何事もなかったように体を戻し、朧夜叉は悠然と純白の新武へと近付いていく。
「次はこっちの番でいいか? それとも、別の方法で試してみるか? 俺様を殺せるかどうかを、な」
「っ!」
そこで朧夜叉は心底楽しくて仕方ないとばかりに笑い出した。その背後に紫電を背負う様はある意味で大物のようにも見えなくもない。
けれど、どこまでも朧は小物である。その在り様は変わらない。例え一度死んで甦ったとしても、だ。
ただし、時にその小物らしさが恐ろしさに変わる時もある。強大な力を与えられ、調子に乗った時だ。強者としての矜持も誇りもなく、ただ弱者を甚振る事が好きで好きで堪らないという性格は、今のような状態では恐怖でしかない。
「ヒャヒャヒャ……と、笑うのはこれぐらいにして、だ」
「「「「「「っ!」」」」」」
「俺がお前らにやられたのは全部で三回だったなぁ。んじゃ、こっちも三回攻撃させてもらうとすっか」
そんな軽い口調で挙げた片手へ凄まじい妖力が集束していく。明らかに夜叉や幻庵葬徹を凌ぐほどのものだと分かるそれに神山達は息を呑む。
「まずはぁ……一回っ!」
「迎撃するんだっ!」
「「「「「了解っ!」」」」」
巨大な妖力弾を相手に神山達は全力で攻撃を繰り出した。
近接攻撃の神山、さくら、初穂、あざみの四人はそれぞれの新武の武装へ霊力を宿らせて、クラリスとアナスタシアはその霊力を最大限まで高めて攻撃として放つ。
その六つの力が妖力弾と衝突し激しい音と衝撃を生み出す。一見すると互角のように見える激突だったが……
(何て強さだ……っ! 全員で何とか耐え切っているようなものだぞっ!)
実際には際どく花組が堪えているという状態だった。そこにはスタジアムへ降り立ってからここまで休む事なく戦い続けている事も影響している。
これまでにない程の戦闘継続時間だった事もあり、神山達の体力や気力が落ちてきていたのだ。
「まぁこれぐらいは耐えてもらわねーとなぁ。んじゃ、二回目だ」
「「「「「「っ!?」」」」」」
まだ拮抗しているにも関わらず無情にも告げられる追撃の合図。朧夜叉が再び軽く挙げた片手に凄まじい妖力が集束し形を成す。
「ほらよっと」
声に似つかわしくない大きさと迫力の妖力弾が辛うじて拮抗している力関係を一気に神山達不利へと傾けた。
『こ、これは……っ! み、みんなっ! 大丈夫かっ!』
『ま、まだ何とか耐えてますっ! けど……っ!』
『こ、このままじゃ押し切られるぜっ!』
さくらと初穂の声からは焦燥感がありありと感じられた。霊力の高い二人ではあるが、ミカサ甲板上での連携使用に始まる消耗は大きく、特にさくらは帝剣を巡っての夜叉との一件でかなり霊力を消耗していたのだ。
『あざみ達も新武達も限界が近いっ!』
『こ、ここにきて連戦が響いてますっ! せめてっ、せめて少しでも休む時間があれば……っ!』
『だ、大丈夫よっ! もう最初の攻撃はかなり減衰したわっ! 次の攻撃が来る前にはそちらは消滅出来るはず……っ!』
あざみは花組の中で一番射程距離が短い事もあり、精神的にも無意識の内に疲弊していたし、クラリスは重魔導の負担で、アナスタシアは精密射撃やクラリスとの協力攻撃のために神経を疲弊させていた。
『そうだっ! 最後まで諦めるものかっ! みんなっ! 何とかして押し返すんだっ! 相手の攻撃を耐え切るんじゃないっ! 打ち破るんだっ!』
『『『『『っ! 了解っ!』』』』』
そして神山は元々さくら達程の強力な霊力がないため、疲弊した今となっては現状を打開する力とはなり得なくなっていた。
けれどその存在がさくら達の霊力を高めるのだ。触媒能力と呼ばれるそれこそが神山が花組隊長として抜擢され、ここまで花組を支えてきた見えない力なのだから。
『『『『『『あああああっ!!』』』』』』
「へぇ……まだ余力があるとかしぶといな、やっぱ」
体に残る全精力を燃やすように声を発し、六つの霊力の輝きがそれぞれの新武から立ち上る。
その霊力は一つとなって妖力弾へぶつかり、何と打ち破った。しかもそのまま朧夜叉へと一直線に向かって行ったのである。
(届けっ! 届いてくれぇぇぇぇぇっ!!)
祈るような思いで六色に輝く霊力波を見つめる神山。それは見事朧夜叉を直撃し轟音を立てて消える。
――これは……嘘だろ……っ。
己の体を消し飛ばすような霊力の輝きに包まれながら、朧夜叉は何かに驚くように呟くもそれは誰の耳にも聞こえる事無く消えた。
直後起きる砂煙。それが神山達の視界から朧夜叉を覆い隠した。
「ど、どうなったんだ……?」
「分からないけど……でも、さすがにあれなら通じるはず……」
ゆっくりと晴れていく眼前の光景へ注視する神山達。やがてその煙が消えて見えた先には何も存在していなかった。
「よ、良かった……」
「もう、クタクタ……」
「そう、ね……。さすがに疲れたわ……」
安堵するように息を吐き、その場へ座り込むクラリスとあざみの新武。アナスタシアはそうしなかったが気持ちとしては二人と同じ事をしたかった。
さくらと初穂もそれぞれの武器を支えにするように機体を預けて息を吐く中、神山は言いようのない不安を感じて周囲の索敵を行っていた。
(本当に今ので朧を倒せたのか? こんな事を言いたくはないが、いくら何でもあっさりとし過ぎだ。痛手を負わせたなら分かるが、あれだけで終わるとは正直思えない……)
間近で見た今の朧の異常さ。それが神山の中で警報を鳴り響かせていたのだ。まだ終わっていないと。
――残念だったなぁ。いや、本当に残念だぜ。
聞こえた声に誰もが声を失った。クラリスなど顔面蒼白となり、あざみなど唇を震わせていた。
――まさかお前らの決死の反撃があんなもんだとはなぁ。あまりの情けなさに驚いちまったぜ。
馬鹿にする口調と声。それに普段ならば悔しさや怒りを抱くはずの初穂やアナスタシアでさえその場で何も言えず黙り込むしかなく、さくらは力なく項垂れていた。
――で、さすがにこれじゃ可哀想だと思ってよ。少しばかりお情けで休ませてやったんだが、その感じじゃあまり意味はなかったみてぇだな。ケケケ。
欠片としてそんなつもりではなかったと言外に告げる声に神山は気付いた。何を考えて朧夜叉がやられたように見せたのかを。
(朧は自分がやられたとこちらに思わせてみんなの心を折りにきたんだ。極度の緊張から解き放たれた後でまた同じだけの緊張を瞬時にするのは難しいと思って)
張りつめていた緊張の糸。それを緩ませて心を弱らせ、それを見届けたところで再度絶望へ突き落す。それが朧夜叉の考えだった。
それを察した神山だが、もう時すでに遅し。何とか窮地を脱したと思っていたところで突きつけられる脅威と絶望に、さくら達の戦意は完膚なきまでにへし折られていたのだ。
ゆっくりと何もないはずの空間から姿を見せる朧夜叉。その体には傷一つなく、本当に先程の攻撃が何の意味もなかった事をまざまざと見せつけた。
「姿を消していたのか……」
「驚いたか? 今の俺様の妖力ならこんな事も出来るんだよ。いやぁ、降魔皇の力はすげぇな」
軽く神山の呟きへそう答えて朧夜叉は両手を上げる。すると先程の二回とは比べ物にならない程の大きさの妖力弾が出来ていく。
「これが最後の三回目だ。お前ら運が良いぜぇ。本当ならさっきのにこれをぶつけてやろうと思ってたんだからよ」
「「「「「「っ!?」」」」」」
告げられるのはある意味恐ろしき考え。神山の言葉で決死の反撃を行っていなければとっくに自分達は死んでいたと理解させられたからである。
ただ、それも今となってはあまり変わらないと言えた。死ぬのが多少遅くなっただけと、そう痛感してしまったのだ。
「くそっ……まだ、まだ諦めるものかっ!」
神山以外は。
「お~お~、まだやろうってのか? 諦めが悪い奴だ。ま、いいけどな。どうせお前らはもう死ぬしかないんだからよ。アヒャヒャヒャっ!」
醜い顔を笑みの形に変え、朧夜叉が両手で妖力を極限まで集束しつつ勝利を確信したかのように笑う。
その苛立ちを覚える笑い声を聞きながら神山は一度だけ深呼吸をした。
(今の俺達は限界だ。だが、思い出すんだ。その限界を決めるのは誰であり、限界とは何かを……)
帝劇に来て初めて大神と交わした会話。それが今の自分の根底にある。そう思い出して神山は通信を開くと静かに語り出した。
『みんな、今の俺達は限界にきてる。ただ、思い出して欲しい。これまでの戦いや日々の中で、俺達はその限界を少しずつ少しずつ越えてきたじゃないか。今も越えられる。諦めなければ必ず限界なんて壁は越えて行けるんだ』
『キャプテン……』
『舞台も俺が来た頃はとてもじゃないが満員御礼なんて夢のまた夢だった。それがどうなったかを思い出してくれ』
『神山……』
『華撃団大戦の優勝だってそうだったじゃないか。シャオロン達やアーサーさん達、そしてエリスさん達に勝てたのも最後まで諦めなかったからだ』
『誠十郎……』
『無限を失った後も俺達は諦めなかった。その結果、新武という新しい仲間を得て、幻庵葬徹を打ち破れたんだ』
『神山さん……』
『帝剣の製作を拒否し、真宮寺さんの犠牲を拒否した。なら俺達が目指して掴むべきは一つ。誰も犠牲にせず平和を取り戻す事だろう』
『誠十郎さん……』
『何より俺達は帝国華撃団だ。この称号を名乗った以上、諦めるなんて事は出来ない。悪を蹴散らし正義を示す。それが使命だ。それが存在意義だ。俺達は華撃団発祥の地を預かる帝国華撃団花組なんだからな』
そこまで告げ、神山は目を見開いて叫ぶ。
『だから立つんだっ! この命ある限りっ、いつだって奇跡はそこにあるっ!!』
檄と、そう呼んでいい言葉だった。喝と、そう呼んでいい叫びだった。
その証拠に沈んでいたはずのさくら達がゆっくりとではあるが上を見上げ出していたのだ。
そこに見える圧倒的な力を持つ朧夜叉を見据え、少しとして怯えるでもなく、ただ真っ直ぐに相手を見て表情を凛々しくしていた。
そんな彼らの様子を眺め、朧夜叉はつまらなそうにため息を吐いた。
「なんだなんだ? 折角いい感じだったのによぉ。立ち直るんじゃねーよ。面白くねぇ奴らだな、おい。まぁいいか。そうやってカッコよくしたところで俺様の力に勝てる訳ねーからなぁ。キヒヒ」
両手で作り出した超巨大妖力弾へ更に紫電が降り注いで強化していく。それはまるで小惑星のような印象を受ける程のものへとなっていった。
それでもさくら達はもう弱気にはならなかった。それは先頭に立っている純白の新武に乗る男がいるからだ。
「この世に絶対はないっ! だからこそ一生懸命に頑張るんだっ! どんな時でも、どんな事でも、全力で挑み、試行錯誤する事で、人はその歩みを先に進めてきたんだっ! 唯一絶対があるとすれば、それは誰かを苦しめ、悲しませるような事をするのは間違っているという事だっ!」
「お前は馬鹿か? 絶対ってのはな、力のある奴が正しいって事だ。力のない奴はどれだけ真理やら正論やらを言おうと無力で無意味で無価値なんだよ」
「違うっ! 力だけが全てじゃないっ! それに、力はなくても正しい事を貫こうと出来るのなら、それは強さだ。ある種の力だ!」
「けっ……どうやら言っても分からねぇらしいな。たしかお前ら人間の言葉だったか? 馬鹿は死んでも治らないってよ。本当かどうか試してやるぜ。ヒャヒャヒャヒャっ!」
放たれた超巨大妖力弾を見据え、純白の新武は無言で二振りの刀を構えた。
『みんな、俺に力を貸してくれ。全員の力を一つにするんだ』
『みんなの力を……一つに……』
『分かりました。神山さんへ全てを託します』
『うん、誠十郎を信じる』
『アタシ達の力、持ってけ』
『頼んだわ、キャプテン』
緑、黄、紅、蒼の四つの輝きが純白の新武へと宿る。だが、一色足りない。
『さくら……』
『誠十郎さん、約束してください。必ず、必ず生きて帰るって』
『ああ、当然だ。必ず帝劇へ生きて帰ろう、みんなで』
『……はいっ!』
そして最後に桜色が宿り、純白の新武の周囲に金色の輝きが生まれる。
その輝きを身に纏ったまま、純白の新武は躊躇う事無く超巨大妖力弾へと向かって弾かれるように飛び出した。
五人の乙女はその背を見つめた。目を逸らす事無く見つめ続けた。その瞳に宿る光は欠片も神山の成功を疑っていなかった。
「うおおおおおおっ!!」
二刀を構えたまま超巨大妖力弾へぶつかる純白の新武。その姿はそのまま見えなくなってしまう。
「ギャハハハ! 自分から突っ込んで死んじまうとは馬鹿過ぎて笑えてくるぜ! 所詮人間は人間って事だな! ……ん?」
その時、朧夜叉の目に何かが見えた。妖力弾の中で何かが動いているように見えたのだ。
それは次第に大きく、はっきりと形を成し……
「おおおおおおっ!!」
「ば、馬鹿なっ!?」
姿を見せたのだ。金色の輝きを宿した純白の新武が超巨大妖力弾を貫き、消滅させて朧夜叉へと向かってきたのである。
まさかの出来事に動揺したのか朧夜叉の迎撃が遅れ、それでも何とか両手で防御壁を展開し最低限の対応は出来た。
「こ、これで……」
「終わりだぁぁぁぁっ!!」
だが、そんな事はどうでもいいとばかりに純白の新武が手にした二刀を振り下ろす。
激しくぶつかり合う霊力と妖力。だが両者は異なる感覚を感じ取っていた。
(これなら……っ!)
(こいつは……っ!)
((いける(不味い)っ!))
神山は希望を、朧夜叉は不安をそれぞれ感覚で察知した瞬間、それが間違ってなかったと言うように防御壁が砕け散り、二刀が完全に振り下ろされた。
「む、無駄だ……っ! 今の俺様は不死身なんだぜ……っ!」
深々と刺さる二振りの刀。それはある意味焼き直しの光景であった。
ただし、違いがあるとすれば、それは朧夜叉の体に刺さっている刃に金色の輝きが宿っていると言う事。
まるで闇を祓う太陽の如き霊力がその刀身を包んでいたのである。そしてその輝きは朧夜叉の内側から徐々に広がっていく。
「な、何だ……? さ、再生出来ない? それどころか……俺様の妖力が……弾かれる、だとぉ……っ!?」
今神山の新武に宿っているのは、二つの妖力弾を貫いた霊力とは質が違っている。あの時は六人の霊力をただ合わせただけのものだったが、今のはさくら達五人の霊力を神山へ集め、それを彼が増幅し融合されたものだった。
つまり、密度や濃度が段違いとなっているのである。故に、いつぞやさくらが神滅へ起こした霊力による妖力を霧散させる効果も上昇していたのだ。
「う、嘘だ……。俺様は……不死身のはずだ……。絶対無敵のはずだ……」
「言ったはずだ朧。この世に絶対はないとっ!」
「認めねぇ……俺様は、認めねぇぞぉぉぉっ!」
再生しようとしても妖力を弾かれ、更には相反する力を内側から注がれ、遂に朧夜叉はその場で光と闇の粒子のようになって消滅した。
それを見届け、神山は全身から力が抜けるような感覚を覚えて大きく息を吐く。
「何とかなった、か……」
「神山さんっ! 上を見てくださいっ! 幻都がっ!」
が、一息つく暇はなかった。クラリスの言葉に神山が視線を空へ向けると、そこにあった幻都がはっきりと見えるようになっており、尚且つ不気味な何かがゆっくりと形を持とうとしていたのだ。
直感でそれが降魔皇だと思い、神山はさくらへと通信を繋ぐ。
『さくらっ! 帝剣はどうだ!』
『変化ありませんっ! 今も霊力を流してるんですけど……っ』
『もしかしたら連戦に続く連戦でさくらの霊力が底を突き始めてるのかもしれないわ』
『そうでなくてもさっきみたいな事をした後だ。万全とは言い難いだろ』
『でもこのままじゃ封印が解けてしまいますっ!』
ずっと幻都を見上げているのだろうクラリスが切羽詰った声を出す。不気味な何かはもう影となり、その腕だけを実体化させていた。
『みんなっ! あれ見てっ!』
あざみの声に全員が視線を上へ向け、そして言葉を失う。
幻都から巨大な腕が自分達へ向かって伸ばされていたのだ。
『間違いない……。あれは降魔皇の腕ですっ!』
『何だって!?』
あの帝剣の記憶で見た巨大な姿。その一部である事を思い出してさくらは叫ぶ。
幻都の影は両腕を突き出し、続いて脚を出そうとしていた。完全復活が近い。そう誰もが感じて息を呑む。
「お願いっ! 封印をっ! もう一度封印を発動させてっ!」
帝剣を握り締め、さくらが祈る様に願いをかけるも何も起きない。と、その時だった。降魔皇の腕が帝剣を察知したのかさくらの新武へと襲い掛かったのである。
『さくらっ! 避けろっ!』
「っ!?」
普段ならば助けに入る神山も朧夜叉との戦い直後では動けず、初穂達も神山へ霊力を託した反動で咄嗟の動きが出来なかった。
そうなれば当然帝剣へ霊力を込めていたさくらが動けるはずもない。彼女に出来たのは、咄嗟に顔を背ける事だけだった。
「「「「「さくら(さん)っ!」」」」」
神山達の見ている前でさくらの新武が巨大な腕に叩き潰されそうになったその時――
――破邪剣征……桜花放神っ!
桜花の如き霊力による剣閃が走り、降魔皇の腕からさくらの新武を守ったのだ。
その剣閃を放った存在は、さくらの新武の前へ降り立つと凛々しく刀を手に構える。
さくらが前を見ると、そこにいたのは彼女にとっては思い出深い存在となった機体だった。
「桜武……? でも、一体誰が……」
さくらの新武を守るように立つのは試製桜武だった。だが、それを動かせるような存在は誰もいないはず。そう思うさくらへ試製桜武は静かに振り返った。
『大丈夫?』
『貴方は……さくらさん……』
通信画面に映ったのは紛れもなく真宮寺さくらだった。ただし、その格好は戦闘服ではなく海軍の軍服の上着を羽織っているのみだ。
そう、神山達が夜叉を倒して魂を解放した事で彼女は目覚め、すぐさま神山達の応援に行こうと医務室から格納庫へと向かい、そこにあった試製桜武へ乗り込んでここまで来たのだ。
あまりの事に言葉がない神山達へ真宮寺さくらは凛々しく告げる。
『手短に話すね。まず大神さん達は無事だから安心して』
『司令達が……そうですか』
『良かった……』
『それとミカサは何とか墜落は免れたから』
『そっか……』
『司馬さん達が頑張ってくれたんですね』
『そうね。後で労ってあげましょう』
絶望的な状況で聞いた小さな朗報。それに安堵を零す神山達の声を聞きながら真宮寺さくらはある事を思い出していた。
それは彼女が目を覚ました後の事。ポッドから這うようにして出た彼女は医務室にいる事を察し、すぐさま神山達の応援へと向かおうとしたのだが……
――体が……上手く動かない……っ。
長年の眠りはすっかり彼女の筋肉を弱らせており、満足に歩く事さえもままならない状態となっていたのだ。それに全裸である。本来ならばさくらもそんな状態で外へ出たくはない。
――けど……っ!
それでも諦める事無く這いながら医務室を出て彼女は格納庫へと向かった。名前を同じくする後輩の存在を知っているからだ。自分達の後を継ぐ新しい花組を知っているからだ。
その新しい世代を助けてやりたい。その一心で動いていたさくらは、医務室を出たところで大神と加山に出くわした。
――さくら君っ!? と、とりあえずこれをっ!
――こりゃ驚いたな。こんな時に目覚めるなんて……。
――大神さん……。加山さんも……。
彼らはミカサの墜落を阻止するべく令士達と協力して動き回っていたのだが、万が一に備えてさくらの眠る医療ポッドを運び出そうと帝劇の地下エリアだった場所へやってきていたのである。
実は加山は、地上に残ったいつき達月組隊員達からの情報を大神へ伝達するためにミカサに乗り込んでいたのだった。
その証拠に、あの神山が聞いた謎の通信は加山が送ったものである。あの時点で彼は既にミカサへと乗り込んでいたのだ。
二人はさくらから真実を聞き、事態が恐ろしい結末へ動き出している事を察した。だからこそそれをどうにかするために応援へ行きたいと言うさくらへは加山は何も言わず、ただ大神の判断に任せる事にした。
――大神、どうするんだ? 格納庫には桜武が残ってる。あれならそうそう負ける事はないだろう。
――お願いします、大神さん。私を行かせてください。
――さくら君……。
まるで十年前から抜け出してきたかのようなさくらの眼差しに大神は凛々しく頷き、彼女の体を優しく抱き抱えると格納庫へと向かって歩き出した。
その背中を見送り、加山がこう呟いているとも知らずに。
――ったく、本当にお前って奴は女泣かせだよ。……今度は、ちゃんと向き合うんだぞ。
そんな事を知る由もない大神は、試製桜武の中へとさくらをそっと下ろしてから顔を慌てて背けた。
一瞬ではあるがさくらの乳房が見えたのである。そんな反応を見てさくらは大神が自分の知る彼と変わっていない事を察して小さく微笑んだ。
――さくら君、気を付けて。
――はい、行ってきます。
――必ず戻ってくるんだ。俺だけじゃない。みんな君が目覚めるのを待っていたんだからね。
その言葉にさくらは答えず、ただ頷くのみ。そして試製桜武はミカサから出撃し、神山達のいる場所へと向かったのだ。
――ごめんなさい、大神さん……。もしかしたら私はまた……。
帝剣による封印を成功させるためには破邪の力だけでは無理だと、そうさくらはどこかで感じ取っていた。あの降魔大戦時の経験と夜叉の中で考えていた事からの結論だったが、それが間違っているとは思えなかったのだ。
――今はあの子達を助ける事だけ考えよう。だから力を貸して、桜武。
かつては恐ろしさを感じた機体から温かさや安心感を覚え、さくらはそれがどうしてかを何となく察して笑みを浮かべる。
――きっとあの子だ……。
自分と同じ名前の花組隊員。どうしてそう思ったのかは分からないが、さくらはそれに間違いはないと疑わなかった。
そしてそれが確信に変わったのはやっと神山達の姿を捉えた瞬間だった。桜色の新武へ降魔皇の腕が襲い掛かるのを見たさくらは、試製桜武が一瞬にして全力を出した事を察したのだ。
その凄まじい出力による加速を乗せたまま、さくらはかつてと同じようでどこか異なる負荷に負ける事無く試製桜武に刀を引き抜かせ、見事降魔皇の腕へ一閃を放ったのである。
『あのっ、さくらさんっ!』
そこへ聞こえてきた声に真宮寺さくらの意識が向く。通信画面には切実な表情を浮かべるさくらが映っていた。
『どうしたの?』
『帝剣が、帝剣が起動してくれないんですっ! 何度やっても駄目で……っ』
その言葉を聞いた瞬間、真宮寺さくらの瞳が僅かに曇る。けれどすぐに凛々しい輝きへ戻すと、彼女は落ち込む後輩へ告げるのだ。
『大丈夫。私に帝剣を渡しに来てくれる? 長い間寝てたせいで上手く動けないの』
『それは構いませんけど……』
帝剣が発動した結果、真宮寺さくらがどうなったかを知った今、さくらは彼女に封印作業を行わせるのが怖かった。それを察し、真宮寺さくらは凛々しいままにこう告げる。
『あの時は知らない間に発動してたけど、今回は意識して発動させる。だから前回のようにはさせないから私を信じて』
その声は静かにだが力があった。現状かつての三華撃団隊員で唯一霊子甲冑及び霊子戦闘機を動かせる霊力を持つ存在。過去数回に渡り強大な魔を退けてきた経験と実績を持つ真宮寺さくらの完成度はアンネなども及ばない程の重厚感があったのだ。
『よし、その間の守りは俺達が引き受けます! さくらは真宮寺さんへ帝剣を!』
『よっしゃぁ! これで最後だ! ド派手にやってやろうぜっ!』
『さくら、ここはあざみ達に任せて!』
『貴方は憧れの存在と直接対面をしてなさい』
『降魔皇が相手でも、短時間なら今の私達だってっ!』
『みんな……っ!』
試製桜武によって腕を傷付けられたからか、降魔皇の復活が若干遅れているのだろう。その苛立ちをぶつけるように残る腕や脚が向かってきていた。
それを神山達が疲れた体に鞭打って迎撃を開始。全ては二人のさくらへ封印を託すために。その想いを受け、さくらは意を決して新武から出た。
対する真宮寺さくらも試製桜武をさくらの新武へ向けてハッチを開ける。だが、その体は満足に動けないため手を伸ばす事がやっとだった。
「さくらさんっ!」
「早くっ! 帝剣をっ!」
「はいっ!」
急いで真宮寺さくらの手へ帝剣を渡そうとするさくら。そこへ先程斬り付けられた降魔皇の腕が再度襲い掛かった。
「しまったっ!?」
神山達は他の腕や脚の対処で手一杯であり、誰も二人のさくらを守る事は出来ない。
だがその時である。信じられない事が起きたのだ。
――え……?
何と試製桜武が勝手に動き、降魔皇の腕から二人のさくらを守るようにその刀で迎撃したのだ。
その僅かな、けれど貴重な時間で帝剣は天宮さくらから真宮寺さくらの手へ渡る。と、次の瞬間……
「何だっ!? この、光は……っ!」
周囲を覆い尽くさん程の光が帝剣を中心として発生したのである。
――また貴様か真宮寺ぃぃぃぃぃっ!!
その輝きに降魔皇が苦しむように呻き、腕や脚が幻都へと戻っていく。そしてその幻都も次第に薄れて消えていった。
「見て。幻都が……」
「消えていきます……」
「封印が、発動したって事でいいのか?」
「凄い……」
まるで朝日を思わせるような暖かく眩しい光に包まれ、神山達はただただ空を見上げた。
その裏では、二人のさくらが再び同調とも言うべき状態へ陥っていた。
――これは……。
――帝剣が発動した、みたいだね。きっと私と貴方の霊力で。
――私とさくらさんの?
――多分だけど、私と貴方の霊力はかなり近しくなってるんだと思う。本来有り得ないはずの同質の霊力を受けた事で、帝剣は発動してくれたんだと思うよ。
――でも、前とは霊力の量が全然違うのに……。
――そんな事ないと思うな。帝剣はあの後からずっと貴方の傍にあった。そこで絶えず霊力を吸収してたんだと思う。貴方からだけじゃなく、他の子達からも。
――みんなからも? けどあの時のわたし達は……。
連戦のために霊力は低下していたはずだ。そう疑問を浮かべるさくらだったが、そんな彼女へ真宮寺さくらは真剣な表情である事を告げる。
――霊力は、今もその正体がはっきり分かってない。だから突然低下する事もあるし、その逆もある。
――突然低下する事も、その逆も……。
――私達も大神さんの下で戦っていた時、突然霊力が高まる事が沢山あった。きっと貴方達もそうだと思う。
そこで二人のさくらの脳裏に何故か浮かんだのは愛する男との思い出だった。
だからだろう。二人して赤面して若干黙り込んでしまったのだ。
――そ、それに、偶発的に発動させるには膨大な霊力が必要かもしれないけど、意図的に発動させるならそうじゃないのかもしれないしね。
――そ、そうですね。
きっとこれを神山と大神が見ていれば苦笑したはずだ。何せ二人のさくらは揃って顔を赤くして照れを隠すような声を出していたのだから。
すると急に真宮寺さくらがふっと眠るように目を閉じる。そんな彼女にさくらはどうしたのかと小首を傾げた。
――さくらさん? って、あれ……。
そこでさくらも意識を失う。実は帝剣発動による疲労で真宮寺さくらの気力体力霊力全てが底を突いたため、同調していた彼女もそれにより同じ状態となったのである。
そうして次に真宮寺さくらが目を覚ました時、真っ先に見たのは愛する男の顔だった。
「おお……がみさん?」
「っ……ああ。俺だよ、大神一郎だ」
そこは帝劇ではなく帝都内の病院。かつてさくらとランスロットが入院したのと同じ場所である。
時刻は午後八時。既にあの戦いから数時間が経過していた。それをさくらが知る事はないが、それでも周囲の雰囲気から夜だと言う事は察したのだろう。大神の事を見つめて少しだけ心配そうな表情を浮かべたのだ。
「あの、いいん、ですか? 大神さん、やらないといけない事が沢山あるんじゃ」
「今の君の傍にいる以上にやらないといけない事なんてないよ」
優しくそう返されてはさくらがもう言える事はなかった。大神の性格や考え方は彼女もよく知っていたからだ。
そこからしばらく会話はなかった。さくらは無言で天井を見つめ、大神は彼女を見つめるのみで、その中を時計の秒針が音を刻むだけである。
どれぐらいそうしていただろう。ポツリとさくらが言葉を発した。それも、無意識で。
――あれから、どれだけ経ったんだろう……。
ぼんやりとではあるが数年は経過している事はさくらにも分かっていた。だが明確な年月までは分からないのだ。大神の外見がそこまで大きく変化していないように見えた事もあって、さくらは漠然と疑問を口にしただけだった。
――十年、だよ。
――え……?
そんな問いかけにもなっていない呟きに返ってきたのは、思っていた以上の経過時間だった。思わずさくらが顔を横へ向けて大神を見るぐらいに、それは彼女には青天の霹靂と言っても過言ではない言葉だったのだ。
「あの戦いからもう十年が経過してる。俺を始め、あの戦いへ参加した隊員達は全員前線を退いた」
「全員……。アイリスやリカなんかもですか?」
「ああ。理由は、霊力の急激な低下だ。原因は分かっていないが、さくら君以外一人の例外もなくそうなった」
「そんな……」
あまりの事にさくらは言葉を失った。大神が何故出撃していなかったのかは、彼が司令であり新しい花組を神山に託したからだと勝手に納得していたさくら。
だが、その理由が前線に立ちたくても出来ないからだと分かり、しかも自分以外の仲間達が全員そうだと知って絶句した。
可能ならば両手で顔を覆っただろう。そんな事が出来ない程に、今の彼女は疲れ果て、そして弱っていたのだ。
そしてそんなさくらの反応に大神は同じ事を話した際の藤枝かえでを思い出していた。
じわりと涙を浮かべて目を閉じるさくらは、かつてのかえでとよく似ていたのだ。
「……さくら君、よく聞いて欲しい」
だが、あの時と今では言える事が異なっている。そう思って大神はさくらへ語りかける。
あの降魔皇の再封印後、加山が呼んだいつきとひろみの操縦する翔鯨丸で一先ずさくらはこの病院へと運ばれた事。
神山達も同じくここへ運ばれたが、そちらは既に回復し帝劇へと戻っている事。
今、帝劇では事後処理に対応するべくカオルとこまちに加え、元風組の由里が手伝ってくれている事。
そして最後に……
「実は、僅かではあるが俺達の霊力が回復傾向にあるらしい」
「え?」
「詳しい事は分からないが、あの時の封印が本来あるべき状態でなかった事と関係しているのかもしれないと考えられるそうだ。要するに、今回正しい形で封印が行われた事で俺達の霊力にも何らかの影響が出たんじゃないかって」
「……じゃあ、またみんなで戦えるんですか?」
その問いかけに大神は微かに悲しげに首を横に振った。
「おそらく無理だろう。回復傾向にあると言っても、本当に微々たるものなんだ。この調子では、とてもじゃないが霊子戦闘機を動かせるようには……」
「そう、ですか……」
「それに、仮に俺達の霊力が戻ったとしても、だ。さくら君が前線に立つのはまだ当分無理だ」
さくらの体は弱り切っていた。故に日常生活が出来るようになるまでしばらくかかる上、今回の事で霊力も急激に低下してしまったとも教えられ、さくらは一瞬息を呑み、そしてすぐに小さく苦笑した。
「そっかぁ。私も、みんなと同じになっちゃったんですね」
「さくら君……」
「悲しくないって訳じゃないですけど、どこか嬉しくもあるんです。一人だけ違うって、やっぱり嫌だから」
「…………そうか」
「はい」
そう答えるさくらの声には、吹っ切れたような清々しさがあった。
「とりあえず、今夜はもう寝た方がいい。俺もそろそろ帝劇へ戻るとするよ」
「あっ……」
「ん? もしかして何か頼み事かな?」
軍帽を被って椅子から立ち上がった大神を見上げ、さくらは若干逡巡したものの、意を決したようにこう告げた。
――こ、今夜だけは一緒にいて欲しいな、なんてダメ、ですか?
――…………出来れば、体が万全の状態になった時にもう一度そう聞いてくれるかい? 今だと君がまたしばらく動けない状態へ逆戻りになるかもしれないしね。
顔を真っ赤にして黙り込むさくらと、どこか笑みを浮かべて病室を出て行く大神。その閉まっていくドアを見つめ、さくらは誰にでもなく呟く。
――う~っ、十年分の差は大きいなぁ……。
しっかり大人の男らしくなった対応に胸をときめかせ、さくらは目を閉じる。けれど、その寝顔はどこか嬉しそうだった……。
あの戦いから一夜明け、帝都はほとんど日常を取り戻していた。まだどこかしらに戦いの傷跡は残っているものの、降魔大戦に比べれば大した事などないとばかりに誰もが活気に満ち、笑顔で生きていた。
帝劇も元の場所へ戻り、平常運転――といきたかったのだが、やはりまだ劇場を開けられるような状態ではなく、未だ事後処理に追われていた。
「カオルさーん、これ、置いておくわね」
「あっ、はい! ありがとうございます!」
「いいのいいの。どうせまだ勤め先も業務停止中だしね。それが終わるまでこっちで稼がせてもらうわよ」
三十路を越えても愛嬌と魅力ある笑顔を浮かべ、由里は経理室を出て行く。
その背を見つめてカオルは小さくため息を吐いた。彼女はこの帝劇で経理を一手に預かる人間だ。しかもそれはその仕事ぶりをすみれに買われてのスカウト。故に彼女は事務仕事にもかなりの自信があったのだ。
「……まさか私よりも上がいるとは。さすがは先輩と、そう言ったところでしょうか」
事後処理に苦労するだろうと予想した加山が密かに頼んだ応援の一人が由里だった。
降魔戦争の際も真っ先に帝劇の応援に駆け付け、彼女が切っ掛けで巴里と紐育の協力が得られた。それを覚えていた加山が未だに帝都に住んでいた彼女を頼るのは当然だった。
こうして由里は今の勤め先が休んでいる間という条件で一時的に帝劇で事務関係を受け持ったのだ。その仕事ぶりはこまちをして「カオルよりも厄介や」と言わしめる程である。
ただ噂好きな一面は変わりなく、新生花組関係の噂などを仕入れるためにこまちに色々と聞いたりしているためその仲は悪くはない。
そんなこまちは売店で来たる営業再開に向けての商品整理などで忙しくしていた。
「う~ん……商品の種類はともかく問題は数やな。あの降魔皇を再封印したってのは影響大きいやろし、記念に言うて売店に来る人も多そうや。となると……」
「こまち、はいこれ。今回の発注書の写しね」
「おっ、由里はん。毎度おおきに」
「どう? 順調?」
「まぁボチボチちゅうとこですわ。何せ優勝した次の日が凄かったもんやから……」
「成程ねぇ。今回なんかはその上をいくんじゃないかと?」
「ですわ。
嬉しい悲鳴を上げる事になりそうですわ。そう締め括ってこまちは渡された注文書へ目を向ける。
そんな彼女の背中を見つめ、由里は何気なく売店を見回した。
「あれ? これって……」
「ん? 何か気になるもんでもありまっか?」
「うん、これって椿のとこのお煎餅よね?」
そう言って由里が手に取ったのは“椿印の帝劇せんべい”と書かれた紙で包まれた商品だった。
「ああ、そうですわ。何せあてがここに来たのは他ならぬ椿はんが切っ掛けやし」
「へぇ、そうなんだ」
「あてがまだ普通の商人やった頃の取引先の一つが椿はんとこやったんです。で、あてが帝都で大きく商売したい言うたら、ここを紹介されまして」
「え? でもその頃って……」
「ええ。あても最初は開いた口が塞がりまへんでしたわ。でも、そんなあてに椿はんはこう言うたんです」
懐かしむような表情でこまちは初めて帝劇の中へ入り、閑散として活気のない売店を見た時を思い出していた。
――この状況から自分の力で大繁盛するお店へ持っていく。それが出来たら帝都だけじゃなくどこへ行っても通用する商人になれるんじゃない? それともそんな自信はない?
その椿の言葉を由里へ教え、こまちは苦笑した。
「いやぁ、今のあてもまだまだ青いと思いますけど、あん時は輪をかけて青かったぁ。あない簡単な挑発に乗って今に至る……ちゅう感じですわ」
「そ。椿がねぇ……」
未だ交流はあるが、それも年に数回。しかもほとんどが昔話に花が咲くために由里はこまちの事も知らなかったのだ。
かつての後輩がしっかりと成長している事を実感し、由里はどこか嬉しそうに手の中の箱を見つめる。
「うん、決めた。こまち、これいくら。一つもらうわ」
「へ? ええですけど……」
「今日のお茶請けはこれにしましょ。そうと決まれば神山君達も呼ばないとね。っと、どうせならみかづきの羊羹とかも欲しいわね! ちょっと出かけてくるわ!」
「あっ……はぁ、もう行ってまった……。ホンマに慌ただしい人やなぁ。ん? ちょいまちっ! 由里は~んっ! 代金払ってや~~~っ!」
売店を飛び出したこまちが由里を呼び止めて代金を要求している頃、神山は地下格納庫にいた。
そこには六機の新武と共に試製桜武が並んでいる。その七機の霊子戦闘機を眺め、神山は令士と共に笑みを浮かべていた。
「相変わらず仕事に関しては見事なもんだ」
「一言余計だっての。だが、まぁ、今回は素直に受け取ってやるよ」
「そうだ。ミカサの方はどうなんだ?」
「そっちの受け持ちは俺じゃないからなぁ。ただ、結構時間はかかるって話だ。主砲を始め、主だった武装が全て使えなくなった上に機関部も痛手を負ったからな」
「そうか……」
墜落こそ免れたミカサだったが、その損傷はかなり酷く、再び出撃出来るようになるにはかなりの費用と時間が必要となった。だがその資金面に関しては問題ないと言えた。
何故なら、WOLFのトップであったプレジデントGが降魔であった事を受けて代表者不在となっている今、その実務を取り行える者としてサニーサイドが代表代行として大神やライラック伯爵夫人などから指名され、その業務を取り仕切っていたのだ。
何も問題なければこのままサニーサイドがWOLFの代表となり、新しい歩みを始める事だろう。
「ああ、そうだ。喜べ。今回の新武の活躍を受け、そのデータが他の華撃団へも送られるそうだ」
「新武の? それがどうして喜ぶ事になるんだ?」
「馬鹿だなお前。つまりだ。今後世界中の華撃団が新武を基に霊子戦闘機を開発するって事だよ」
「それって……」
「おうっ! 再び帝国華撃団が世界の見本になるって事だ」
「おおっ!」
幻庵葬徹や夜叉、朧夜叉に降魔皇の一部。それらと戦い、勝利してみせた新武。しかもそれは復活間もない帝国華撃団が使用しての快挙であった。
それを受けてWOLF、もといサニーサイドは新武こそ次世代の霊子戦闘機であると認め、その機体を基にそれぞれの華撃団で新しい機体を製作出来るようにと動いたのだ。
かつて光武を基に巴里華撃団が光武Fを製作したように、今度は新武を基に各国華撃団が新型を製作するとなれば、それは別の意味での帝国華撃団の復活とも言える。
(いつか、伯林や倫敦、上海の新武が見られるんだろうか……)
名前は違うかもしれないが、根底にあるものは同じ機体。そうなればより一層連帯感が強まるかもしれないと、そう思って神山は笑みを浮かべた。
仕事が残っているという令士を残し、神山は格納庫を後にすると昇降機を使って一階へと戻る。
次に彼が向かったのは音楽室だった。そこから拙いピアノの音が聞こえてきたからである。一体誰がと思って神山が中へ入ると……
「アーニャ?」
「っ!?」
いたのはアナスタシアだった。彼女はピアノの近くへ立ち、人差し指で鍵盤を触っていた。
「か、カミヤマじゃない……。脅かさないでよね」
「す、すまない。それで、ピアノを弾いてたのか?」
「見よう見まねよ。織姫さんのようにはいかないわ」
「いや、それでも弾けるだけ凄いよ。俺なんかそもそもどこがどの音かも分からないし」
「なら軽く教えてあげましょうか? それぐらいなら私でも分かるもの」
「有難い申し出だけど、今は止めておくよ。見回りの最中なんだ」
「見回り?」
「ああ。壊れている場所がないか。あるいは壊れそうな場所はないかの調査だ」
「そういう事ね」
ミカサへの合体は考えられていた事とはいえ、実際にやってみたのは初めてだった。神山は大神に言われてその影響がないかと調査していたのである。
その事がもっとも不安視された地下は特に異常なし。よってこれから一階と二階の調査を行う事にしていたのだ。
「でも、アーニャがピアノを弾くなんてな」
「新しい事を、始めてみようと思うの。クラリスが脚本を書けるように、私は劇伴を出来るようになろうかしらって」
「へぇ、そりゃいい。そうなったら花組は自分達だけで舞台の全てが出来るようになるな」
「ええ。そうなったらもっといい舞台に、いい劇場になる。衣装をさくらや初穂が中心となって作り、脚本をクラリスが、劇伴を私が担当する。あざみはそれぞれの手伝いかしら」
「そして俺はみんなの調整役か」
「あら? 演出家だから当然でしょ?」
そう言って微笑むアナスタシアはいつか見せた愛らしい笑顔だった。その微笑みに神山は一瞬見惚れ、すぐに気を取り直すと咳払いを一つする。
「……違いない」
そこでまだピアノを弾くと言うアナスタシアと別れ、神山は楽屋や衣裳部屋などを見回り、小道具・大道具部屋から舞台へと出た。
「さくら……」
「誠十郎さん……」
そこにはさくらがいた。舞台の中央に立ち、客席を眺めていたのだ。
「何してるんだ?」
「その、日常が戻ってきたんだなって実感してました」
「日常の実感?」
「はい。こうして舞台から客席を見る事で、ああ平和になったんだな、帝劇に戻ってきたんだなって」
そう言ってさくらは微笑んだ。今は誰もいない客席も、また劇場を開ければ大勢の人々で賑わうだろうと疑っていない事がそこから窺える。
「……そうだな。ここに立てば、平和になったかなってないかがよく分かる」
「そういえば、次の演目ってまだ決まってませんけど、誠十郎さんは何か聞いてませんか?」
演出家でもある神山ならクラリスから相談などされていないかと思っての質問だったが、生憎と彼もまだ何も聞いてはいなかった。
「いや、まだ俺も何も。後で会うだろうから聞いてみるよ」
「お願いします。あっ、そうだ。えっと、誠十郎さん? 何か気付きませんか?」
「へ?」
どこか悪戯っぽく笑みを浮かべ、さくらは神山へそう問いかけた。神山はさくらの事を見回してみたが特に気付く事はなく、どうしたものかと思った時、ふとその目が彼女の耳元で止まる。
(あれは……俺があのデートで買ったやつか)
さくらの耳元で光を浴びて淡く輝くのは、桜の花びらを模った耳飾りだった。それに気付いて、神山は内心安堵しつつ答えを告げたのだが……
「わ、分かりました? これ、着けるの二度目なんです。その、特別な時だけ着けようって思って」
「そうなのか。贈った者としては嬉しいが、別に普段から使ってくれても」
「い~えっ! これは特別な時だけ着けるんですっ!」
「そ、そうか……」
「はい。でも、もしこれを普段使いに出来るとすればそれは……」
「それは?」
そこでさくらは微かに妖艶な笑みを浮かべた。
「貴方が指輪をくれたら、かもしれませんね」
「え? それって……」
「な、な~んて、そんな高い物、誠十郎さんのお給料じゃ無理でしょうから気にしなくていいですよ。わたしは、これで十分ですし」
「さくら……」
「じゃあ、わたしは部屋へ戻りますね」
ふわりと甘い香りを残してさくらは舞台を去っていく。その背中を見送り、神山は頬を掻いた。
(さっきのさくら、とても大人な感じだったな……)
以前のデートの時よりも色気を増したさくらに心を騒がせながら神山も舞台から客席へ下り、そのままロビーへと向かう。誰もいないロビーを歩き、売店へと向かう神山が見たのは疲れた様子のこまちだった。
「こまちさん? どうしたんです?」
「ん? あ~、神山はんか」
そこで神山相手に由里絡みの事を話し、こまちは最後に大きくため息を吐いた。
「ホンマ、もう少しで盗まれるとこやったわ」
「まぁまぁ、榊原さんもそのつもりはなかったんでしょうから」
「それでもや。で、神山はんはここに何か用?」
「いえ、そういう訳では……」
「へぇ……っと、そうやった。神山はん、これ
「はい? っ!? こ、これは!?」
こまちが差し出したのはカオルとこまちが写ったブロマイドだった。おそらく試し撮りなのだろう。カオルもこまちもカメラの方を向いておらず、互いの事を見て笑っていた。
「どや? カメラの動作確認っちゅう事で撮られたもんや」
「い、いくらですか?」
「ふっふっふ……五円っ!」
「高いっ!?」
普通のブロマイドが一枚一円もしない事を考えれば異常な高さである。神山がそう思って腰が引けた瞬間、こまちがニヤリと笑った。
「っと、言いたいとこやけど、帝都を守ってくれた神山はんには特別や。ズバリ、五十銭でどや?」
「安いっ!? そ、それでいいんですか?」
「勿論や。勉強しまっせ~」
こうして神山は世界に一枚だけのブロマイドを得て、それを大事そうに懐へとしまう。
そんな彼を見つめ、こまちは嬉しそうに笑みを見せた。
「神山はん」
「はい?」
顔を上げた神山が見たのは、満面の笑顔で自分を見つめるこまちだった。
「この街を、あてらを守ってくれてホンマにおおきに。これからも色々頼らせてもらうで」
その子供のような笑顔に神山も知らず笑顔を返した。
「いえ、それならこっちもですよ。こまちさんだって帝国華撃団の仲間なんですから」
「……そっか、そうやった。じゃ、手始めに営業再開したら売店の手伝い、よろしゅう頼んます」
「分かりました。出来る範囲で手伝いますよ」
「おおきにな、神山はん。頼りにしまっせ~」
売店を後にし食堂を見回った神山が次に訪れたのは経理室。そこには当然カオルがいた。
「失礼します。ミカサへの合体に関しての調査をさせてもらいます」
「ああ、それですか。話は聞いていますのでご自由にどうぞ」
チラリと顔を書類から上げたカオルはそう言うと再び書類へと顔を向ける。それにらしさを感じて神山は小さく苦笑しながら室内を見て回った。
特に異常らしきものは見当たらず神山は経理室を後にしようとしたのだが、そこでふとカオルの表情が普段よりも暗く険しい事に気付いたのだ。
(何だろうか? カオルさんの顔がやや怖い気が……)
触らぬ神に祟りなし。そう思うも、気付いてしまった以上、それも明らかに良くない事だろうと思った神山はカオルへ声をかける事に決めて小さく頷く。
「あの、カオルさん」
「はい?」
「何かありましたか? 例えば何か失敗したとか」
返ってきた声に宿るものが悔しさに似たものだと察し、神山は探りを入れるようにそう切り出す。すると、それがある意味でカオルの心の一番柔らかい部分へ触れた。
「……由里さんに仕事で負けたんです」
「え?」
「私はこの帝劇で事務仕事を一手に引き受け、それをこれまで滞りなく処理してきました。だから私は自負していたのです。この仕事に関しては誰にも負けないと。ですが、それを上回る方がいました」
「それが、榊原さん、ですか……」
「ええ。いくら今もこういう事をこなしているからといって、帝劇の事務は十年以上離れていた方です。それが現役の私以上の速度と精度で仕事をこなしていったんです。勿論最初は私が教える事もありましたし、今も時折助言を求められますが、それを差し引いても」
「待ってください。カオルさんの言いたい事は分かります。俺だって、似たような事を経験した事はありますから」
「似たような事?」
どういう事だと言うようなカオルへ、神山はモギリの仕事を大神に手伝ってもらった時の事を話し出した。
大神もモギリとしては十年近い空白期間があった。それでも神山よりも手早く正確に半券をモギっていたのだ。それを見て神山は敵わないと思った事を告げる。
「でも、そこで俺は思い直したんです」
「思い直した?」
「ええ。俺は戦うべき相手を間違えてないかと」
「戦うべき相手……」
「俺はこう思うんです。支配人や榊原さんは目指すべき相手であり戦うべき相手じゃないと。戦うべきは誰かではなく自分なんじゃないかって」
「戦うべきは、自分……ですか」
そう呟いてカオルはおもむろに眼鏡を外した。そしてその眼鏡をじっと見つめたのだ。
やがて何か答えを得たのか、小さく笑みを零すと顔を上げて神山を見た。
「そうですね。私も自分と戦い、由里さんのようになってみようと思います」
「それがいいです。それにしても……」
「何でしょう?」
「いえ、眼鏡がないカオルさんもお綺麗ですね。普段とは違った印象がしていいと思いますよ」
「っ!? そ、そうでしょうか?」
「ええ。ただ、それで出歩くのは止めた方がいいかと」
「参考までに聞きますが、どうしてですか?」
「いや、おそらく男性に声をかけられる頻度が高くて嫌になるかと」
「……成程。では、神山さんはお見せしてもよさそうですね」
「え? 今何か?」
「いえ、何でもありません」
そう言って眼鏡をかけ直すとカオルは二度と書類から顔を上げる事はなかった。そんなカオルに不思議そうに小首を捻り、神山は経理室を後にする。
そうなると次に向かうのは支配人室だった。ノックをし入室した神山は大神の机の上を見て首を傾げる。
「支配人、その便箋の数々は何ですか?」
「ん? これか? さくら君が出せる範囲で仲間達へ手紙を出したいとね」
「ああ、成程。でも、それなら地下のキネマトロンを使えばいいのでは?」
「俺もそう言ったんだが、これも日常生活を送れるようにするための訓練だそうだ。文字を書き、頭を使う事で少しでも早く退院したいんだろう」
「そういう事ですか。納得です」
同じ名前の幼馴染も同じ状況なら似た事を言いそうだと思って神山は笑みを見せた。大神も似たような事を考えたのか笑みを浮かべている。
「それで、君はここの調査か?」
「はい。でも特に問題はなさそうですね」
「そのようだ。俺も自分で確認した」
「そうですか。では、失礼します」
「ああ……っと、神山、ちょっと待ってくれ」
「はい?」
退出しようとドアへ手をかけたところで呼び止められ、神山は後ろを振り返る。
大神はその場で立ち上がり、彼の事を真剣な表情で見つめていた。それを受け、神山は慌ててドアから手を離して大神へ直立不動で向き合った。
「今回の事、よくやってくれた。帝国華撃団の司令として、そしてかつての花組隊長として感謝する」
「いえ、一つ間違えば恐ろしい事になっていましたし、そもそも犠牲を拒否する事を決断出来たのは十年前の司令達の決断があればこそです。なので感謝は必要ありません」
「それでもだ。本当に、ありがとう。君達のおかげで俺達はやっとあの戦いを終わったと思える」
「大神司令……」
「だが神山、まだ俺達の戦いは終わっていない。それは分かっているな?」
「はい。降魔皇は封印しただけにすぎません。必ず、いつか必ず復活しようとするでしょう。あるいは、もう既に何らかの手段で動き出しているかもしれません」
「そうだ。そのためにも俺達は日々少しでも強くなっていかないといけない。この平和を、時間を、失わないで済むように」
「はいっ!」
「頼んだぞ。それと引き留めて悪かった。もう見回りへ戻ってくれていい」
「分かりました。では失礼します」
想いを同じくする二人の男。
かつて隊長だった男は、今の隊長となった男へ自身の願いと無念を託す。
それを受け取り、新しい隊長は託されたものを胸に歩き出す。
神山は知らない。大神が自分と話しながら、どこかでかつての己と米田一基の事を思い出していた事を。
かつての戦士が今の戦士へその想いと願いを託す。今この時をもって大神一郎は本当の意味で司令となったのだった。
支配人室を出た神山は中庭へと向かい、そこで初穂を見つける。
彼女は定位置と言っていい場所の霊子水晶前で空を見上げていた。
「初穂、霊子水晶の調整か?」
「ん? ああ、神山か。いや、違うぜ。そっちはもう終わってるしな」
「そうか。じゃあ何してたんだ?」
「空を眺めてた」
「空?」
言われて神山も空を見上げた。雲一つない青空がそこには広がっている。
「……綺麗だよなぁ。昨日はあんなに黒い雲ばかりで不気味な雷が鳴ってたのによ」
「そうだな……」
「もうあんな空は二度とごめんだ。もう二度と、な」
「ああ」
「そのためにもアタシ達は強くならないとな。歌劇団としても、華撃団としても」
「表と裏のかげきだん両方で、か」
そこで神山は視線を空から初穂へ向けた。青空を見上げる初穂の横顔は美しさがあった。あまり見せない大人の女性としての色気を秘めたそれに神山は感嘆のため息を吐いた。
それに気付いて初穂が視線を動かして神山へ向ける。そして自分を見つめている彼に不思議そうに小首を傾げたのだ。
「どうしたよ?」
「え? あ、ああ……。初穂の横顔が綺麗だったんだ。その、大人の色気みたいなものを感じてさ」
「そ、そうかよ。まぁ、アタシもいつまでも初穂ちゃんのままじゃいられないし、な」
「? どういう意味だ?」
「さぁ? 答えは自分で考えるんだな。それが分かったら、その、教えろ。答え合わせ、してやるから……」
そう告げると初穂は神山に背を向けて中庭の奥へと歩き出す。照れ隠しからの行動だが、神山はそれに気付く事なく頭を掻いて中庭を後にした。
階段を上がって向かうのは資料室。そこには当然のようにクラリスがいた。
彼女は椅子に座り、机の上のノートにペンを走らせている。まだ演目は決まっていないので、おそらく神山へ時々渡している自作の執筆活動だろう。
「クラリス」
「っ!? か、神山さん?」
突然声をかけられた事に驚き、クラリスは慌ててノートを隠すように動いた。それが微かな拒絶にも近い印象を受け、神山は申し訳なく思って頭を掻く。
「えっと、邪魔したか?」
「い、いえ、そんな事はないですよ。神山さんは探し物ですか?」
「いや、ミカサとの合体の影響がないか調査中だ」
「ああ、そういう事ですね。ここは私が見たところ大丈夫そうです」
「……みたいだな」
本棚が倒れていないし本も散らばってはいない。それらを確認し、神山ははたと気付いた。
「もしかして本はクラリスが?」
「はい。さすがにそれは無事では済みませんし」
「だよなぁ」
揃って苦笑する神山とクラリス。棚は地震に備えて対策を講じているが本はそうはいかない。
結果、あの衝撃で見事に全部棚から落ちたという訳だった。
「で、それは新作?」
「そ、そうです」
「そうか。そういえば次の公演の演目なんだけど案はあるか?」
「それですけど……」
クラリスが考えている案を聞き、神山は感心するように頷いた。今の状況に相応しいものだと感じたのである。
そうやって次回公演について話していた時だ。熱が入ってきたのかクラリスが勢い良く椅子から立ち上がろうとした時に事件は起きた。
「っ!?」
「危ないっ!」
立ち上がろうとした衝撃で椅子が変な動きを起こし、クラリスごとバランスを崩したのだ。
椅子と共に後ろへと倒れるクラリスの手を咄嗟に掴み、神山が力強く引き起こした。そうなるとクラリスの体は神山の胸へと飛び込む形となり……
「っと、大丈夫か?」
「は、はい……」
「そうか。良かった」
神山に抱き止められるような状態となったクラリスはそのままそこから動こうとしなかった。
そうして数分は経過した辺りでさすがの神山もおかしいと思い、クラリスへ視線を落として問いかけたのだ。
「えっと、クラリス?」
「はい……」
「いつまでそうしてるんだ?」
「叶う事ならいつまでも……」
「え?」
「え? ……っ!?」
弾かれるように神山から離れるクラリス。その動きに困惑しつつ神山は先程の答えについて尋ねようと口を開こうとするのだが……
「なぁクラ」
「何も言ってませんっ!」
「いや、でもさっき」
「な・に・も・いっ・て・ま・せ・んっ!」
「あ、うん……。えっと、じゃあ俺はこれで」
「はい。見回り、頑張ってくださいね」
最後にはどこか照れながらも優しく見送るクラリスに癒され、神山は資料室を出た。
各個人の部屋はさすがに神山も一人で入る事は出来ないのでサロンへと向かい、続いて吹き抜け部分へと出た。
「ここも特に異常はなさそうだな」
柱や手すりなどを見つめ、そのまま二階客席へ向かおうとした神山の目の前に何かが現れたのはそんな時だった。
「誠十郎っ!」
「っ!? あ、あざみか……。どうした?」
「うん、報告にきた」
「報告?」
「天井裏や屋根上に異常なし」
「ああ、そういう事か。ありがとうあざみ」
「これぐらい何て事ない」
自慢する事もなく淡々と告げ、あざみはその場からまた飛び去ろうとした。だがそうする前にその頭へ神山の手が置かれる。
「そんな事ないさ。十分助かってるよ。ありがとな」
「…………うん」
神山からは見えなかったが、頭を優しく撫でられるあざみはとても優しく微笑んでいた。それを人が見ればこう評しただろう。天使の微笑み、と。
「ねぇ誠十郎」
「ん?」
「今日頭領が帝都へ来てね、今度からは人前ではお祖父ちゃんって呼べって」
「人前では?」
「うん。頭領じゃ忍びだって気付かれる可能性があるって私が言ったら、ならそう呼びなさいって」
「……そうか」
神山は気付いていた。それは不器用な二人が少しだけ歩み寄った結果だと。
きっと今後どんどん二人の忍びとしての顔は減っていくだろう。だがそれこそがあざみと八丹斎の望んでいる事のはずだ。そう思って神山は微笑む。やっと本当の呼び方で接する事が出来るようになった孫と祖父に笑顔が絶えない事を願って。
あざみと別れた神山は二階客席を見回り、帝劇内の全てを見回り終えたため、ならばと今度は帝都を散歩する事にした。
外は人や車などで賑わい、どこにも活気が溢れている。行き交う人々には笑顔が浮かび、聞こえる声も明るさに満ちていた。
(いいもんだな……)
自分達が守ったものを自分の目で、耳で、肌で感じる事で改めて平和を実感しつつ神山は歩く。
やがてその足は神龍軒の前で止まる。そこの扉には張り紙がしてあった。
「……来月で閉店、か」
降魔皇を再度封印した事でもうこの地に上海華撃団が戦力を派遣している理由は完全になくなった。
そのためシャオロンとユイの帰国も早まり、秋に入って二か月としない内に迎えが来る事になっている。
そんな事を思い出してから神山は店内へと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ~っ! って、あれ? 神山じゃん。いらっしゃい」
「おう、よく来たな。注文はいつものでいいか?」
「あっ、いや、今日は食事に来たんじゃないんだ」
優しい笑顔と声で出迎えるユイといつものかと尋ねるシャオロン。それが神山には妙にしんみりとした気持ちを与えた。
(もう少しでこれがなくなるんだな……)
ある意味で自分達帝国華撃団花組がここまでなれた要因である二人。その先輩達との別れが近いと思い、神山はやや俯いて頭を掻いた。
「……まぁそんなとこで突っ立ってるのも他のお客さんの邪魔だ。適当なとこに座れよ」
「そう、だな。なら遠慮なく」
「うん、それがいいよ。じゃ、神山、こっち。厨房の近くへどうぞ」
シャオロンとユイに促されるまま神山は厨房近くの席へと座る。今まで何度か来た事はあったが、そこへ座るのは初めてだったと思い、彼はぼんやりとシャオロンの調理姿を眺めた。
(何度見ても見事なものだ。あれで本当は役者って言うんだから大したものだよ)
華撃団に属しているからと言って必ずしも役者とは限らないが、シャオロンやアーサー達は本国ではれっきとした役者である。神山だけが古き華撃団の慣例に則っているのだ。
だがそれも仕方がない。帝国歌劇団はその活動に古き神事の要素を取り入れている。女性だけで舞台を行うのは巫女が儀式を行うのと同じ意味合いを持たせているためだ。
それを模倣してパリやニューヨークでも女性のみで基本舞台を行っていたが、ニューヨークでは時折プチミントという形で大河新次郎が舞台に立つ事もあったので、現在のような形になる兆候はあったと言える。
しかし、かつて大神はモギリでしかなかったが、神山はモギリの上に演出家も兼任するようになっているので、これもまた新しい波が生まれていると言えるだろう。
「で、飯食いに来たんじゃないとすれば何の用だ?」
背中越しに放たれた疑問に神山は咄嗟に返す言葉が浮かばなかった。
「もしかして、何となくで来て、表の張り紙見たら寂しくなったから入ってきたとか?」
「……正直言えば」
「ったく、お前なぁ。あれだけの事をやってのけてそれか。情けねぇ」
「それとこれは関係ないだろ。俺達の現状は上海華撃団の二人がここにいてくれたからこそだ。俺達帝国華撃団が帝都を守れない間、上海華撃団がそれを担ってくれた。そんな頼もしい存在が、先輩がいなくなる事を寂しいと感じて何がいけないんだ?」
「……けっ、そこはそれに美味い飯を食えなくなるからなって続ける流れだろ。真面目過ぎるんだよ、お前は」
普段とは若干違う声でシャオロンが返した言葉。それに神山は戸惑った。何かを堪えているような、そんな印象を受ける声だったのだ。
「神山。神山の気持ちはよ~く分かったよ。でもさ、こっちを先輩って思ってくれてるのは嬉しいけど、私達が帝都を離れる事をどう思うかも考えてみて?」
「二人が?」
「そう。まぁ、それにすぐ帰る訳じゃないからさ。まだ少しの間は私もシャオロンもここにいるし、また顔を出してよ。ね?」
「……はい」
ユイの瞳が潤んでいるのを見て、神山は何かを察して笑みを返して店を出た。
それを見送り、ユイは小さく微笑みながら厨房へと入っていくと、そこで鍋を振るうシャオロンの隣へ立ちその顔を覗き込むように動いた。
――これであの時の借りは返したからね。
――……ま、そういう事にしといてやる。
華撃団競技会初戦敗退後、ユイが泣いた時に背中を貸してくれた事。その事を言っているのだと気付いてシャオロンはぶっきらぼうに言葉を返して中華鍋を振るう。
(先輩、か。違う華撃団の俺さえもそう思っていけるなら、あいつこそ大神司令の後継者なのかもしれないな……)
誰に対しても負けん気が強く、敬意を払えてもそれは大神達旧華撃団の者達のみ。そんな自分とは違い、神山は年齢に関係なく先任者達へ敬意を払う事が出来ている。
そこに大神一郎の姿を見て、シャオロンは一度だけ後ろを振り返った。もうそこには神山はいない。だからこそ、その見えなくなった背中に心の中で呟くのだ。
(俺達がここを離れられるのは、お前らが、帝国華撃団がいるからだ。もうお前らに俺達の力は必要ない。しっかり帝都を、華撃団発祥の地を守ってくれ)
その日、帝劇前は大勢の人で溢れ返っていた。あの戦いから既に一か月以上が経過し、今日が九月公演の楽日だったからだ。
その賑わいを神山達は二階から見ていた。見つかると不味いので窓越しにこっそりと顔を出すような形でだったが。
今回の演目名は“新たなる夢”というものだ。クラリスオリジナルの脚本による公演二回目である。
かつては明るい結末が書けないと悩んでいたのが嘘のように明るく希望に溢れた話となっていて、あの戦いによる混乱が治まった今見るに相応しい内容となっていた。
「凄いな……」
「本当ね。私も開場前でここまでの客数は中々見た事ないわ」
「そうなんだよなぁ。まだ開場してないんだよなぁ」
「誠十郎、今日もモギリ頑張って」
「うっ、そ、そうだな。日に日に増えていたけど、今日はあの人数以上モギらないといけないんだよな……」
「ふふっ、来たばかりの頃が懐かしくなりますか?」
「誠十郎さんが来たばかりの頃、かぁ。ももたろうの時だね」
「懐かしいって思うにはまだ早いんだろうけど……」
「あざみが任務に出た頃?」
「そうなるね。まだ私達が三式光武の頃だから」
「じゃあ、私がヨーロッパにいる頃ね。でもまだ半年も経ってないわよ?」
「ヨーロッパかぁ。一度行ってみたいです。ランスロットさん、元気にしてるかな?」
会話に花を咲かせる神山達。そう、神山が帝劇に来てまだ半年にも満たないのだ。その短期間で様々な事があった。
新生帝国華撃団花組の初出撃に始まり、無限の登場、あざみの合流、若草物語の成功、アナスタシアの参入、華撃団競技会への参加と、上げ始めればきりがないと思う程の濃い半年弱だ。
そして、それは神山達だけではない。懐かしい再会と奇跡を体験した男もまた、同じような印象をこの半年弱に抱いていたのだ。
その男が本来いるべき一階ロビーには、何故かこまちとカオルの姿しか見えなかった。大神一郎の姿はどこにもなく、こまちは不思議そうに小首を傾げた。
「なぁカオル。支配人はどないしたんや? そろそろ開場時間やけど……」
「支配人は外出中よ」
「は? じゃカオル一人で来賓を出迎えるんか? 大丈夫なんやろうな?」
「私を誰だと思ってるの。それと、支配人にはとびきりの来賓を相手してもらう事になってるのよ」
「とびきりの来賓、ねぇ……。すみれはん?」
「さぁ? それよりもこまちこそ大丈夫なんでしょうね? 食堂の方にも言ったけど、今日の来場者数は過去最大になるわよ?」
「望むところや! まぁ、あての体力より先に商品の方が力尽きるかもしれへんけどなぁ。倉庫も空っぽにしたし」
「ふふん、ご心配なく。さっき追加で発注をしておいたわ。どうも向こうもこの公演の人気ぶりからある程度こちらの在庫状況読んでたみたいでね。終演前には届けてくれるそうだから頑張って」
「はぁ!? ちょ、ちょい待ち! その商品の確認は誰がするんや!」
「神山さんがその時には手伝ってくれるといいわね。あっ、演出家でもあるから閉演まで無理かしら?」
「か~お~る~っ!」
「クスッ、世界一の
「う~っ……後で覚えときっ!」
勝ち誇るように笑みを見せるカオルと、唸るように顔を顰めるこまち。その姿を大神が見ればきっと苦笑した事だろう。
何故なら今の彼女達は、どこかで紐育華撃団のワンペアと呼ばれた二人を連想させたのだから。
その頃、大神は一人病院の前にいた。実は今日真宮寺さくらが退院することになっていたのである。
さくらは驚異的な速度で筋力を取り戻し、わずか一月半で日常生活を送れるだろうと医者が太鼓判を押すまでになったのだ。
そこには、毎日見舞いに訪れる大神の存在と、あの時レビュウを出来なかった仲間達への手紙とその返事が励みとなった事も関係している。
「お世話になりました」
見送りの看護師へ丁寧に頭を下げ、さくらはゆっくりと頭を上げて振り返ると、そこにいた大神に気付いて目を見開いた。
「大神さん……」
「やぁ。迎えに来たよ」
「一人でも行けるって言いましたよね?」
「でも一人で行きたいとは言わなかったなと思ってね。それに俺が君をエスコートしたいんだ。ダメかい?」
「もうっ! そうやって女の人を口説くようになったんですね!」
「いいっ!? ど、どうしてそうなるんだい!? 俺はそういう意味で」
「な~んて、冗談です。でも、そういうのは程々にしてください。今の大神さんは、あの頃よりももっと……」
そこでさくらが口を閉じる。大神はそれに表情を緩めて静かにさくらへと近付いていく。
二人の距離は縮まり、大神がさくらの前に立った。
「あの頃よりももっと……何だい?」
「……言えません」
「どうしても?」
「そ、そういう訳じゃ……」
「なら、教えて欲しい。さくら君から見て、今の俺はどう思うのかを」
「…………あの頃よりももっと、魅力的になってるんですから」
頬を赤めながらも目を逸らす事無く大神を見つめて告げた言葉。そこに込められたものを感じ取り、大神は照れるのではなく喜びを見せて微笑んだ。
「嬉しいよさくら君」
「大神さん……」
そっとさくらが手を伸ばして大神を抱き締めようとした時、そこへ黒塗りの高級車が現れて二人の近くで停車する。
突然の乱入者に驚き距離を取るさくら。すると後部座席の窓がゆっくりと下がっていき、そこから現れた顔は二人のよく知る人物だった。
「お久しぶりですわね、中尉、それとさくらさん」
「「すみれ君(さん)……」」
「時間がありませんの。今はとにかく乗ってくださいまし。話は車内で」
思わず互いの顔を見合わせ、大神とさくらは事情がわからないまますみれの乗る車へと乗り込む事になった。
車の向かう先は当然帝劇。その道中ですみれはさくらへジト目を向けていた。ちなみに大神は助手席に座らされている。その理由はお察しである。
「あ、あのぉ……何で私はすみれさんにそんな目を向けられないといけないんですか?」
「あ~ら、言われないとお分かりになりません? 心当たりはあるでしょうに」
「……ありません」
「嘘おっしゃい」
「本当です」
「こちらを見て言いなさいな」
「今のすみれさんが怖いから無理です」
「怖くもなりますわ。入院中は十年間の埋め合わせとして邪魔をしませんでしたけど、退院した以上はそれも終わりです」
「十年間の埋め合わせって……あれだけですか? どう考えても足りませんけど……」
「お~ほっほっほ……。私達が十年間で、中尉と“二人っきりで”、過ごせた時間に比べれば十分ですわ」
密かな女の戦いはささやかに行われ、大神は決して後ろを向くなとすみれに厳命されていたため、気にはなりながらも必死に誘惑と戦っていた。
(き、気になる……。一体二人は何を話しているんだ? すみれ君は今まで一度も見舞いには来なかったらしいけど、それも関係してるんだろうか?)
答えを出せぬまま、大神は助手席で小さく唸り続ける事となる。それもまたあの頃から変わらない彼らしさの一部でもあった……。
物語はもう終盤。ひょんな事で迷い込んだ夢の世界を冒険してきたあざみ演じる少女が、アナスタシア演じる夢の
「ホント? ホントに私をここから出してくれるの?」
「ああ。もうこの世界にも未練はないからね」
「未練? もうこの世界に興味がなくなったの?」
「いいや、そうじゃない。あの頃の事は、今も胸の中にある。思い出がクルクルと回る程に」
「じゃあ、何故この世界を壊そうとするの? ここで思い出に浸っていればいいのに。その頃が幸せだったのでしょ?」
「そう、たしかに昔の夢は懐かしくて心が温かくなる。でも、それは色褪せていくしかない。いや、例え色褪せないとしても変わらないんだ。もう、思い出に続きはないから。だから、この夢がずっと、ずっと続いて欲しい。そう思ってこの世界に来た。けど……」
「けど?」
「けど、君がこの世界へやってきて、この世界に色を付けていく内に気付いたんだ。色褪せた夢も新しい力が加われば希望があるんだって」
「新しい力が希望になるの?」
「そう。夢見ていようとするのは、未来はきっと希望に溢れていると信じられるからだと思い出したのさ」
満足げに微笑み、老人は歌を口ずさみ始めた。
夢見ていようと歌うそれは、優しく希望に満ちた歌だった。一番を歌い終わったところであざみも歌に参加したところで照明が変わり、舞台上の景色も変わる。
それまでどこかセピア色だった周囲に少しずつ色が入っていくのだ。まるで新しい夢が始まったかのように色鮮やかに。
そうなったところで歌い手があざみだけになる。すると歌が変わったのだ。
この夢がずっとずっと続いて欲しいと願うそれは、それまでと違って明るさと活気に満ちた歌だった。
二番の歌い出しがくる前に一瞬だけ舞台上が煙に包まれて、それが消えた時には舞台上にさくら達他のキャストも立っていた。
「凄い……。今の演出、どうやってるんですか?」
「私も聞きたいですわね。前々から気にはなっていたので」
「えっと、俺もあまり詳しくはないんだけど……」
一階客席の隅の辺りで舞台を見つめる大神達。さくらにとっては初めて帝劇の舞台を観客として見る経験であり、すみれにとっては立ち見の初体験である。
それでもそんな事を苦に思わない程に、二人は一人の人としても女優としても新生花組の舞台へ引き込まれていた。その中でも一番興味を持ったのが舞台装置と言う辺りに彼女達の潜在的役者魂が窺える。
大神は舞台から一時も目を離さず疑問をぶつけてくる二人へ苦笑しつつ説明を行い、目の前の舞台で輝きを放つ五人に目を細めた。
(間違いなく彼女達は次代のスタァだ。トップスタァはまだ決まり切っていないが、いつか決まるんだろう。それも、おそらく前評判通りに、だろうな)
織姫相手に正面から挑み、良い舞台を作るためには妥協しない。そんな姿勢に近い女優を大神は知っている。今は引退しているが、その内側には今も舞台への情熱が残っているだろう事も。
だからこそ分かるのだ。そんな彼女に似ている女優がきっと今後の帝劇のトップスタァになるのだろうと。
「約束する。私が夢の続きを作るって。新たなる夢を見て、それを貴方が新しい住家に出来るように」
「新たなる夢、かぁ……」
既に舞台も終わろうとしていた。そんな中であざみが言った台詞の一部をさくらが噛み締めるように呟いたのだ。
「中尉にはありますの? 新たなる夢」
「俺の? そうだな……」
腕を組んで思案を始める大神だったが、すぐにその腕組みを解いて笑みを浮かべた。
「あるよ。俺の新たなる夢」
「「何です?」」
「それはね」
丁度そこで幕が下りて万雷の拍手が鳴り響く。大神の告げた夢を聞けたのは傍にいた二人だけ。そしてその二人はそれを聞いて嬉しそうに笑みを浮かべて頷くのだった。
そして同じ頃、舞台袖で神山も満面の笑顔を浮かべていた。
「大成功、だな」
まだカーテンコールがあるためそこには彼しかいない。いや、正確にはもう彼しかいなかった。
「令士の奴も最後までいればいいのに……」
つい先程まで令士もこの場で舞台を見ていたのだ。ただ幕が下り始めた辺りで仕事が残っていたと告げてそこから去って行ったのである。
それが自分達に気を遣った行動だとは神山はついぞ気付く事はなかった。人の感情の機微に鋭いようで鈍い。それが神山誠十郎という男であった。
やがてさくら達が神山の前へやってくる。全員やり切った表情で笑みを浮かべていた。その輝きに神山は目を細めて頷く。
「みんな、お疲れ様。いい舞台だった」
心からの感想に五人の乙女はそれぞれに笑みを返す。もう言葉はいらない。神山の表情と声だけで彼女達には全てが伝わり、五つの微笑みで彼には全てが伝わったのだから。
楽屋へと戻るさくら達と別れ、神山は急いでロビーへと向かい、観劇を終えて帰っていく来場者達を見送り、時には言葉を交わしていく。
それが落ち着き売店の手伝いをした後で神山はやっと休憩が出来るようになった。つまりそれまでは休む暇もなく働いていたのだ。
「い、今までで一番忙しかったな……」
食堂の空いているテーブルへ着き、テーブルに突っ伏すようにして神山は息を吐いた。
それだけでも少しだけ疲れが抜けていくような気がして、神山の顔に笑みが浮かぶ。
するとその背後に人の気配が生まれる。その瞬間神山がその相手を確認するように振り返る。そこにいたのは白秋だった。
「白秋さん……」
「やぁ神山君。お疲れのようだね」
「ええ、まぁ」
そう答えたところでふと神山はある事に気付いた。
「そういえばしばらく姿を見ませんでしたけど、白秋さんはあの後どうしてたんですか?」
「うん、実は私はちょっとした孤児院のようなものをやっていてね。そちらの事に注力していたんだよ」
「そうなんですか。じゃあ、やっとこうして出歩けるようになったんですね」
「そういう事さ。やっとここのオムライスを食べられるよ」
「は、はぁ……相変わらずオムライスですか」
「当然だ。あれは芸術だ。食べられる宝石だよ。いいかい? まず最初に……」
自分の世界へ入ろうとしている白秋を見て神山はしまったとばかりに表情を変える。
(不味いな。このままじゃ白秋さんのオムライス話を長々と聞く事になってしまう……)
どうしたものかと考えた彼は何とか話題を変えようとしたのだが、運良くその腹の虫が鳴いた。
「ははっ、どうやら私の話で君の胃袋を刺激してしまったらしいね」
「……そのようです」
「なら、ここは私がご馳走しよう」
「いいんですか?」
「いいとも。思えば、誰かと共にオムライスを食べた事はなかったしね」
「では、お言葉に甘えます」
「ああ」
こうして白秋と共にオムライスを食べる事になった神山だったが、その最中彼女から思わぬ事を尋ねられた。
「平和を望む降魔がいたら、ですか?」
「ああ。もしそんな存在がいたら、君はどうする?」
軽い雰囲気で白秋はそう聞くと手にしたスプーンでオムライスを突き崩して口へと運ぶ。その白い肌に銀色のスプーンと黄色と赤のコントラストに加えての流麗な動作に、神山は思わず見惚れた。
けれどすぐに我に返り、聞かれた事への自分なりの答えを考えるもすぐにそれは出た。
「本心からそう思っているのなら、俺は共存出来ると思います。ただ、全ての人がそう出来るとは今の段階では言えませんけど」
「そうか。そうなるか」
「でもどうしてこんな事を?」
「ん? いやなに、ふと気になったのさ。数多くの降魔と戦い続けてきた経験を持つ君が、こういう問いかけにどう答えるのかとね」
そう言って最後の一口を食べ切ると白秋は口をナプキンで拭い、どこか満足げに笑みを浮かべて神山を見つめた。
「神山君、君は本当に面白いな。興味が湧いてきたよ」
「そ、そうですか。それは嬉しいような怖いような」
「ふっ、そういう素直なところもだ。是非とも君にはそのままでいて欲しいものだよ」
「おそらくですがそう簡単には変わらないと思いますよ」
「そうかい? なら嬉しいよ。ああ、嬉しいね」
噛み締めるような言い方をし、白秋は席を立つ。そして神山へ顔を向けて微かに笑みを見せたのだ。
「じゃあ私はもう行くよ」
「あ、はい。ご馳走様です」
「いいって事さ。私も一つ発見があった。誰かと食べるとオムライスはもっと美味しくなるとね。これはそのお礼とでも思ってくれ」
軽く手を振り白秋はそのまま食堂を後にする。遠くなっていく背中を見つめ、神山は意外な事を聞いたとばかりに目を丸くしていた。
「もしかして……白秋さんは今まで一人で食事をした事しかないのか?」
改めて謎多き相手だと思いながら神山はオムライスを口へ運んでいく。
心なしかその味は白秋がいた時よりも若干落ちたように彼には思えた……。
次の日、神山達は作戦司令室へ集まるようにと召集を受けた。一体何だろうと思いながら地下へと向かった神山達を待っていたのは、海軍服を着た大神と一人の女性だった。
「あ、貴方は……」
「「「「「「「「「真宮寺さくら(さん)っ!?」」」」」」」」」
「ええ。こうしてちゃんと会うのは初めてになるわね。真宮寺さくらです。よろしく」
花組時代の戦闘服を着た真宮寺さくらにその場の全員が目を丸くするのを見て、大神が微笑みを浮かべながら説明を始めた。
今後真宮寺さくらは帝国華撃団副司令として帝劇で暮らす事となり、表向きには副支配人として来賓への対応や舞台関係の相談役として仕事をする事になった。
その背景にあるのは、今回の事件で時折大神が様々な事情で直接指揮を取れない時や判断を下せない時があり、それに対応する存在が必要だろうという考えだった。
「じゃあ、今後さくらさんは?」
「空いている部屋を使わせてもらう事になるかな。それと、天宮さんと名前が同じだから私の事は真宮寺と苗字の方で呼んでくれる?」
「そ、それはいいんですが……」
「その格好をしてると言う事は、今後真宮寺さんも出撃を?」
そのクラリスの問いかけに真宮寺さくらは首を横に振った。
「それは無理なの。私もあの封印の影響で霊力が低下したから」
「そんな……」
「だが、もしかするといつか前線に立てるようになるかもしれない可能性はある」
「司令、それはどういう事ですか?」
「実はあの封印後、かつて巴里華撃団花組だった一人が急な発熱を起こしてね。検査した結果、僅かだが霊力の回復が確認されたんだ。それでまさかと思いかつての三華撃団の前線部隊に属していた者達を検査した結果、全員に霊力の回復兆候や上昇傾向が確認された」
「勿論私もね。ただ、どうしてそうなったのか。どうすれば完全に回復するかは分からないの」
共に複雑そうな笑みを浮かべる大神達に神山達もどう反応すればいいのか分からない。
ただ、それよりも朗報があると思い、さくらが一歩前へ足を踏み出した。
「とにかくさくらさん、おかえりなさいっ! わたし、わたしはさくらさんが帝劇にいるってだけでも嬉しいですっ!」
「ありがとう。でも天宮さん? 呼び方の事、もう忘れたの?」
「あっ……」
次の瞬間さくら以外の笑い声が作戦司令室に響いた。その中で恥ずかしそうに身を縮めるさくらだったが、やがて彼女も笑い始める。
こうして帝国華撃団は新しい形でのスタートを切る事となる。大神を支配人兼司令、真宮寺さくらを副支配人兼副司令とする昔のようでやや異なる形で。
神山達が退出した後、大神とさくらはその場に残って巨大キネマトロンを起動させた。
すると分割された七つもの画面が表示され、そこに映し出された存在にさくらは思わず瞳を潤ませる。
「みんな……っ」
『ホントだ……。ホントにさくらだぁっ!』
『さくらはんっ! ホンマに、ホンマにさくらはんなんやな? 本物やなっ!?』
「うん……そうだよ紅蘭。髪型変えたんだ。アイリス、久しぶり。大人になったんだね」
今にも泣きそうなアイリスと紅蘭にあてられ、さくらは涙を流しながら微笑んだ。
十年という時間の壁が容赦なくさくらへ襲いかかったが、それでも関係ないとばかりに彼女は喜びを乗せて笑みを浮かべたのだ。
『さくらさん、や~っとお目覚めですか。待ちくたびれたでーす』
『本当ですわ。折角三華撃団合同のレビュウをする予定でしたのに』
「織姫さん、ごめんなさい。手紙でも書きましたけど、私もこんな事になるなんて思わなくって。それとすみれさん? 今それを言うんですか?」
『ははっ、さくら許してやれって。すみれの奴、きっとお前と久しぶりに会えて言いたい事の半分も言えなかったんだよ』
「かもしれませんね。それにしてもカンナさん、何だか前よりも綺麗になって……」
『あらさくら? 綺麗になったのはカンナだけ?』
『他にもいるんじゃないかな?』
「あっ、マリアさんもとても綺麗ですよ。長い髪も似合ってます。レニも、すっかり大人っぽくなってて驚いたんだから。今の髪型、素敵だね」
誰もが目に涙を浮かべていた。声も若干ではあるが涙声ではある。だが、表情は笑顔だ。ここに悲しみはいらないとばかりに、誰もが喜びの涙と共に沸き上がる幸せを噛み締めていた。
もう戻らないかもしれないと思った時間が、日々が、十年の時を経て戻ってきたと。そんなかつての帝国華撃団花組の八人のやり取りを眺め、大神は一人微笑んでいた。
(いつか、きっといつかみんなで帝劇の舞台に立つ時が来る。その時まで、俺は司令として、支配人として頑張らないとな)
エリカ達巴里華撃団やジェミニ達紐育華撃団の者達も一緒になってのレビュウを夢見て、大神は旧交を温めあう八人の女性達のやり取りを聞いていたのだが……
『そういえば、さくらはんは何でそないな格好を?』
『あの頃の戦闘服だよね、それ』
「え? 紅蘭達聞いてないの? 私、今後は副支配人兼副司令として帝劇で暮らす事になったんだ」
不味いと、そう大神が思った時には遅かった。それまで笑みを浮かべてさくらを見つめていたはずの七人の美女が、一斉に彼へと視線を向けたのだ。
「いっ!?」
『そうなのね。隊長? そんな話は聞いていませんが?』
「い、いや、ちゃんとサニーサイドさんには、WOLFには話をして承認をもらっているんだ。マリア達にはてっきりWOLFから話がいくかと」
『隊長らしくないね。きっとサニーサイドさんの事だからトップダウンで通達するような内容じゃないと判断したはずだ』
『そやろなぁ。あっ、ちなみにうちもな~んも聞いとらへんよ?』
『大体レニ達はともかくとして、私達はどうするつもりでしたか?』
「そ、それは……」
『なぁ隊長? 素直に認めろよ。あたしらに言ったら面倒な事になるって思ったんだろ?』
「そ、そういう訳じゃない」
『ならどういう訳ですの? きっちりと、納得いく説明をお願いしますわ』
『さくらだけお兄ちゃんの、一郎さんの傍で過ごせる理由をね!』
「クスッ、だそうですよ? 大神司令?」
「さ、さくら君まで……」
その後、観念するかのように大神が大きく肩を落とし、謝罪や苦しい言い訳を始めた頃、神山達花組はあざみの案内で屋根裏から屋根の上へと出て空を見上げていた。
「凄いなぁ……。手を伸ばせば空へ届きそう」
「だよなぁ。まさか階段にあんな仕掛けがあるなんて知らなかったぜ」
「私もよく使う場所だったのに思いもしませんでした」
「実はあざみもつい最近まで知らなかった」
「あら、じゃあどうやって知ったの?」
「この前の調査の際に支配人から教えてもらったのか?」
神山の問いかけにあざみが頷き、顔を空から彼らへ向けて教えるのだ。大神があざみなら身軽の上怪我などもしないだろうと信じて教えてくれた隠し通路である事を。
かつて帝劇は屋根裏部屋が存在し、そこへは階段から行けたのだ。降魔大戦後の改修によってそこへの行き方は失われたかに思われたが、実際には屋根の修理などの必要性がある時のみ使うようにと隠されていただけだった。
ちなみに何故隠されたかの理由は、昔真宮寺さくらが屋根上で転んだ事があるからだ。
さくらの知らないところでその憧れの女性は、良くも悪くも帝劇に影響を与えていたのである。
「でも、それならわたし達に教えちゃダメなんじゃない?」
「いいの。ただ隠し通路を出したままにしちゃダメだって」
「どうして?」
「昔、帝劇内に立てこもる事があったみたいで、その時の経験から地下や屋根裏へは簡単に来れないようにしたんだって。だから念のために隠すように言われた」
かつて帝都で陸軍主導の動乱が起きた事がある。大神はその際の経験を基に、いざという時に籠城出来るよう考えた結果、屋根裏や地下への容易な行き来を廃止したのだった。
勿論そんな事を神山達が知るはずもない。ただそんな事があったのかと驚くぐらいだ。
「まっ、何にせよ、だ。中庭とはまた違ったいい場所が出来たぜ」
「そうね。ここで見る星空も悪くないでしょうし」
「ここで饅頭を食べたら美味いだろうな」
「っ! さすが誠十郎! すぐ持ってくるっ!」
「あっ! ……行っちゃいましたね」
脱兎のごとくその場からいなくなったあざみにクラリスが苦笑すると、さくら達も同じように苦笑した。
九月の風はもう暑さが薄れており、秋の訪れを感じさせるような雰囲気さえある。と、そこでアナスタシアが何かに気付いて立ち上がった。
「あ、アナスタシアっ!? ここで急に立つと危ないぞ!?」
「キャプテンっ! みんなも見てっ! あれ、飛行戦艦じゃないかしら!」
アナスタシアの指さす方へ視線を向ける神山達。すると、本当に他国の華撃団が所有する飛行戦艦が見えたのだ。しかも、それは帝劇へと向かってきていた。
「どういう事だ?」
「もしかして、上海のお二人を迎えに来たんでしょうか?」
「あっ、たしかに今日がその日だったね」
「いや、だとしても帝劇へ向かって来る必要はねーだろ?」
「みんなお待たせ。みかづきのおまんじゅう持って……取り込み中?」
「正確には戸惑い中かしらね」
まんじゅうの入った器を手に戻ってきたあざみへアナスタシアが小さく微笑んで飛行戦艦のいる方を再度指さした。それにつられてあざみも視線を動かし事態を把握するも、すぐに小首を傾げた。
「何でこっちに近付いてきてるの?」
「それが分からないから戸惑ってるのよ」
「ん? ちょっと待ってくれ。誰か手を振ってないか?」
海軍出身故に視力の良い神山が気付いた事で、全員が目を凝らすようにして飛行戦艦を見つめて、そして同時に小さく声を漏らした。
「お~いっ! さくら~っ!」
「あざみさ~んっ!」
「ユイさんだ……。ユイさ~んっ!」
「ミンメイもいるっ! ここっ! 私はここだからっ!」
「あ、あざみっ!? 危ないぞっ!」
「そ、そうですよ! 落ちたら怪我じゃ済みませんっ!」
大きく手を振り返し始めるさくらと嬉しいのかその場で軽く飛び跳ねながら手を振るあざみ。神山とクラリスは慌てるものの、アナスタシアと初穂はそんな光景を横目に小さく苦笑していた。
「これで理由は分かったな」
「ええ。最後の挨拶ってところでしょうね」
そうしていると飛行戦艦が帝劇の真上で停止し、ユイやミンメイだけでなくシャオロンも顔を出した。
「シャオロンっ!」
「おうっ! 呑気なもんだな! 屋根の上で日向ぼっこってやつかよっ!」
「何か悪いかっ!」
「いやっ! お前ららしくていいと思うぜっ! とにかく、これで俺達は国へ、上海へ帰るっ!」
「今までありがとねっ! 特に初穂にはご贔屓にしてもらったしっ!」
「いいって事さっ! 美味い飯が食えなくなるのは寂しいけどなっ!」
「ユイさん達もお元気でっ!」
「あざみさんっ! あざみさんのおかげで私っ、的当てが上手くなったんですっ! 本当にありがとうございましたっ!」
「そんな事ないわ! それはミンメイの才能と努力があったからよっ!」
「うんっ! 私はちょっとだけそれを伸ばしただけっ!」
お姉さんらしい事を言うあざみにミンメイ以外が微笑みを浮かべる。だが、あまり時間がないのだろう。シャオロンが微かに笑みを浮かべたままで別れの言葉を告げる。
「後は任せたぜ帝国華撃団っ! もう二度と俺達上海華撃団が出張る必要がないようにしてくれよっ!」
「ああっ! 今度はこっちがそっちの危機に手助けするさっ!」
「上等だっ! そんな事がないとは思うがっ、もしあれば遠慮なくこき使ってやるっ!」
「何ならそのまま上海も俺達で守ってやろうかっ!」
「言ってろっ! じゃあなっ! またいつか会おうぜっ!」
「みんな
「今度は上海へ来てくださいね~っ!」
ゆっくりと動き出す飛行戦艦。それが離れていくのを神山達は手を振って見送り、その姿が見えなくなるまでそうしていた。
「……行っちゃいましたね」
「だな。あ~あ、これで美味い飯屋が一つ減っちまった」
「桃まん、食べられなくなった……」
「ふ、二人共……」
「らしいと言えばそこまでだけど、もう少し他の感想はないの?」
「いいのさ。シャオロン達にはもう会えない訳じゃない。でも、神龍軒はもう再開する事がないんだ。俺達が、帝国華撃団がいる限り。なら、そちらの方を悲しむのが正しいよ」
飛行戦艦の飛んで行った方を見つめ、神山は笑みを浮かべたままそう告げた。
その言葉には、もう帝都の守りを他の誰かに委ねる事はしないという決意が込められていた。
凛々しく頼もしい雰囲気を漂わせる神山に、五人の乙女達は見惚れ、沈黙し、やがて頷いてみせる。
(そうだ。この街は俺達が、帝国華撃団が守り続けていくんだ。支配人達がそうしてきたように……)
涼やかな秋風が吹き抜ける中、六人の若者はいつまでも空を見つめていた。
太正二十九年は、このすぐ後に激動の年と呼ばれる事となるのだが、もう一つの呼び方が生まれた事でそちらが一般的となってしまい、あまり定着はしないまま消えていく事となる。
太正二十九年の別称は“復活の年”だと。何故ならばこの年のクリスマス、帝劇で“奇跡の鐘”と呼ばれる演目が上演される事となる。
だがしかし、それは天宮さくら達が行ったのではない。そう、一夜限りで復活したのだ。かつての帝国歌劇団が、八人揃って女神役をやる事で。
それを神山は大神と共に舞台袖で観劇する事となり、さくら達五人は天使役として参加する事となったのだった。
当然その公演は上演前から大々的に宣伝され、その際の謳い文句が別称の由来となるのだ。
“聖夜に奇跡の鐘が鳴り響く。あの失われた浪漫の復活と共に”というそれは、新聞の公募から選ばれたものだった。
けれどその差出人が匿名希望だったために誰かは特定されなかった。ただ、その謳い文句が新聞に打ち出された後で、大神は久しぶりに米田の招きを受けて彼の自宅を訪れている。
何を話したかは分からないが、終始米田が上機嫌であった事で大神は何かを察したが、そんな彼へ米田はしたり顔でこう告げたのだ。
――命短し恋せよ乙女ってか。大神、覚えとけ。乙女は桜だがな、女は大和撫子って言葉の通り撫子だ。撫子はあれだぞ。春に蒔くとな、冬を越してから花を咲かせるんだ。お前さんは桜を撫子に変えちまったんだ。だから大変だぞ。これからあいつらは花盛りだからな。
かつてのサクラはナデシコとなり愛する男へ迫る中、彼女達がいた場所で新たなるサクラが新たなる恋と共に舞い踊る。
――天宮さん、次に奇跡の鐘をやる時は、貴方達の誰かが女神役をやるんだからね。
――はいっ! 皆さんのような立派な女優になれるよう、頑張りますっ!
そうしてさくらからさくらへ想いは繋がれた。
花咲く乙女達とそれを束ねる男の物語は、まだ始まったばかり……。
新サクラ大戦~異譜~ 完
次回予告(嘘
貴方と再会した季節が、春がまたやってきた。
穏やかで平和な時間。温かな日差しと優しい風。
そんな日々がずっと続くと思ってたのに……。
次回、新サクラ大戦~異譜~2
“サムシングエルスと摩天楼”
太正桜に浪漫の嵐!
――行かないでって、そう言えたらいいのに……。