新サクラ大戦~異譜~   作:拙作製造機

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神滅に乗っているのは原作と同じ名前の存在です。
ただ、設定は異なっていますのでご理解を。
まぁ口調が違うから皆様にはお分かりだと思いますけど、念のため(汗


トップスタァがやってきた 前編

 朧との戦闘があった日の夜、一人司令室で椅子に座って俯く者がいた。大神である。

 先程見回りにきた神山へそろそろ帰ると告げてもう十分が経過しようとしていた。

 その脳裏には、無限を通じてモニターへ映し出されたあの黒い機体の姿が浮かんでいる。

 大神にとって、印象深い敵機に酷似した謎の機体の姿が。

 

「何故、何故闇神威に似ている? そして、何故あれに乗っている上級降魔がさくら君と似た声をしている……っ!」

 

 今から十年以上前、まだ大神が少尉だった頃の事だ。

 当時陸軍大臣であった京極の手による反魂の術で甦った葵叉丹こと山崎真之介と、同じく反魂の術で甦らされた鬼王こと真宮寺一馬。その二人が操った機体が闇神威だ。

 今回の戦闘で出現した、それに良く似た黒い機体。しかも、それを操っている存在が発した声が今も仙台の地で眠り続ける真宮寺さくらに酷似している事。これらが何も関係ないと思える程大神は楽観的ではなかった。

 

「……間違いない。神山が来てからの降魔絡みの襲撃は、確実にあの十年前の戦いが関係している。奴らの狙いは、降魔皇の復活だ。そして、さくら君の現状にもやはりあの時の事が影響しているに違いない」

 

 今も大神達には疑問となっている事がある。

 それは、あの時に起きた幻都の出現。そう、賢人機関からの帝剣の使用は加山からの情報で判断し拒絶したはずだった。

 なのに、何故かその使用と同じ事が起きた。そこに大神は長年疑問を抱き続けていたのである。

 

(あの時は、さくら君の破邪の力が影響したのかと思っていた。だが、こうなってくるとやはり帝剣そのものがあの時、あの場にあったと思うべきなのかもしれない……)

 

 だが、と大神は思う。帝剣はある家の女性、巫女の命を犠牲にする事で製作出来る物だと彼は聞いている。

 その巫女となるであろう存在は、今も帝都の郊外で生きているのだ。

 であれば、帝剣はどこから来たのか。そして今はどこにあるのか。大神にはそれが分からなかった。

 そのために彼は今も月組へ帝剣を捜索してもらっているのだ。

 更にあざみさえもその一環で単独任務に就いてもらっていたのだから。

 

「望月君の調査ではあの女性にそれらしい動きはないし、月組からの報告でもあの家に隠している可能性はないと聞いている。なら、やはり帝剣は……」

 

 あの封印の地となった幻都にあるのではないか。そう大神は考えていた。

 そして、もう一つ思う事があった。それは、帝剣使用についての条件を唯一知っている彼だけが思っている事。

 

(あの時、幻都が出現したのは、俺達の霊力だけじゃなくさくら君の破邪の血が反応した結果かもしれない。かつて降魔戦争の際、真宮寺大佐が魔神器を使用して降魔を封印したように……)

 

 その結果、真宮寺一馬は生命力を極端に失い、寝たきりとなって死ぬ事になってしまった。

 さくらの状態はそれに似ていると大神は思っていた。

 降魔皇の封印の際に、無意識にさくらの中にある破邪の血が神器である帝剣を発動させてしまったのでは、と。

 

 真相は誰も知らない。ただ、これだけは確実だった。

 

「華撃団大戦が、通常通り行えるか怪しいな……」

 

 世界各国から現在活動している全ての華撃団が参加すると言ってもいい華撃団大戦。そこを降魔が狙わぬはずはないと、大神は考えていた。

 

 その最悪のシナリオを避けるべく、彼は独自に動き出す。

 現状での古参である三つの華撃団、伯林、倫敦、上海。その三つにいるかつての仲間達へ連絡を取り、更に今もまだ欧州や合衆国で影響力を有しているとある二人へも繋ぎを取るために。

 

(米田司令があの頃やっていたように、今度は俺が動くんだ。政治は得意じゃないが、そのための司令という立場であり海軍大佐という地位なんだ!)

 

 現場で命を賭けるのが隊員達なら、その裏で命を賭けてみせよう。そう覚悟して大神は動き出す。

 その姿は、やはり華撃団のために軍部や政財界と渡り合っていた米田一基を彷彿とさせるのだった……。

 

 

 

 朧との戦いから数日後、クラリスの完全新作の台本は完成した。

 その出来は見事の一言で、誰もがそれを公演として行う事に文句はなかったのだが、重大な欠点が存在していた。

 

「演者が……足りない?」

「はい。その……途中から舞台でやる事を忘れて書いてしまって……。一応一人二役で対処は可能ですけど」

 

 神山とのデートや朧との一件でのさくら達とのやり取り。

 それを経た結果、その本来の意図を忘れて単なる執筆活動となってしまったのである。

 ただ、これを聞いた大神から神山達は驚きの事実を知る事となった。

 

「それなら丁度良かった。一つの役は何とかなると思うよ。新しい隊員が来るんだ」

「「「「「新しい隊員?」」」」」

「ああ、上層部の、WOLFの肝いりだ。既に彼女用の無限も用意されて近くこちらへ来る事になっている」

「もう無限を、ですか?」

 

 さくらの無限は配備が遅れているのにどうして。そんな気持ちが神山の声には宿っていた。

 周囲も同じ気持ちなのか、大神へ説明をと顔で訴えている。

 

「そこについては今更三式光武を配備するのもどうかと言っていてね。だから、それならと天宮君の無限の配備も急ぐように要求しておいた。新入隊員でさえ無限なのに、乗機が一人だけ異なっているのは士気に関わるからとね。そう言ったらやっと折れてくれたよ」

「さすが支配人やな。勉強しまっせ」

「なので、天宮君の無限も近い内に配備予定だ。それまで三式で頑張ってくれ」

「はいっ! ありがとうございますっ!」

 

 大神の配慮に感謝し、さくらは最敬礼で礼を述べる。長い黒髪が勢いよく動き、それを見て大神は小さく首を横に振った。

 

「いや、全ては俺の力不足だ。本来なら新隊員が最後に無限を受領するべきなんだからね」

 

 自分が隊長だった頃には有り得ない状態だと、そう大神は思っていた。かつてならば、帝国華撃団の上層部は賢人機関であり、そこはWOLF程融通が利かない組織ではなかったのだ。

 花小路伯爵のように帝都防衛を真剣に考える者達が運営していたのだから当然ではあるのだが、残念ながらWOLFにはその意識が低いように大神は感じていた。

 

(未だに巴里や紐育の再興へ着手していないのがどうにも腑に落ちない。特に紐育は大都市であり広大な国土を持つ米国の要だ。華撃団を置かない訳にはいかないのに……)

 

 そこで大神は、つい最近話したばかりのサニーサイドがぼやいていた言葉を思い出す。

 

――上がWOLFに変わってから、どうもやり難くて仕方ないんだよ。こう言っては何だが、彼ら、特にプレジデントGには、華撃団は防衛組織ではなく金づるか何かに見えている気がしてしょうがないのさ。

 

 その言葉に、大神とその時通信していたライラック伯爵夫人も同意するしかなかったのだ。

 

――こっちも似たような感想さ。たしかにこの十年でここまで華撃団を増やした手腕は素直に認めようじゃないか。でもね、いくら近い距離に倫敦華撃団があるからって、フランスとイギリスの関係を知っていれば信頼出来るはずがないってのも分かって欲しいのさ。

 

 静かに怒りを燃やしているだろう言い方を聞き、大神は苦い顔をするしかなかった。

 彼女も本音では倫敦華撃団を信じている。ただ、一般のフランス国民は違うのだと彼女は言っていると理解していたからだ。

 先進国と呼ばれる国には最低でも華撃団を置くべき。それが失墜した三華撃団をまとめるトップ三人の一致した見解である。

 にも関わらず、未だにWOLFは巴里と紐育の再興へ色よい返事を出さない。それでも独自に動き、何とかしようと政治的手腕を振るっている先駆者二人に大神は大いに刺激を受け、同時に教えを受けてもいたのだから。

 

「でも、どうしてこの時期に新隊員が?」

 

 大神が最近あった事を思い出していると、クラリスが不意に感じた疑問を彼へ投げかけた。

 本音を言えば、隊員は多くても構わない。戦力が多ければ多い程不測の事態は避けられるからだ。

 それにしても、あまりにも唐突ではないか。そうクラリスは感じたのである。

 

「実は、彼女の配属は以前から打診されていたんだ。でも、当初彼女はこちらへずっと滞在するつもりはないと言っていたからね。それを理由に俺は断っていたんだが、最近になってその方針を変えてくれたのさ」

「へぇ……ちなみにどんな人なんですか?」

「年齢はいくつでしょうか?」

「腕はたつの?」

「男役が出来る奴か?」

 

 さくら達四人に詰め寄られる大神だが、さすがに慣れているからか狼狽える事もなく苦笑するとカオルへと目を向けた。

 その助けを求めるような眼差しに小さくため息を吐くと、カオルは仕方なさそうに口を開いた。

 

「その事についてはいずれ分かる事です。それよりも、クラリスさんに一つお願いしたいのですが……」

「私に、ですか?」

「ええ。その作品のそれなりの重要度がある役を一人空白にしておいて欲しいのです」

「え、えっと……理由をお聞きしても?」

 

 その問いかけへのカオルの答えに、さくら達はその日一番の驚きを見せる事となる。

 

――ソレッタ・織姫さんに出ていただくためです。

 

 ソレッタ・織姫。元欧州星組にして帝国華撃団の一員だった女性。

 現在は故郷イタリアを中心として女優業へ専念。元々花組編入前にも似たような事をしていたため、その活動は順調に進んだ。

 その結果、欧州を渡り歩き、巴里のシャノワールや遠くアメリカはリトルリップ・シアターのステージを踏んだ事のある紛れもないトップスタァである。

 

 当然さくら達の驚きは凄まじいものだった。特にクラリスは出身地も欧州とあって織姫の来日に大興奮。

 さくらと初穂もかつての帝劇トップスタァとあっては黙ってられず、三人してカオルへ詰め寄っていた。

 

「か、カオルさんっ! 今の話、本当ですかっ!?」

「ソレッタ・織姫さんって、あの“太陽の娘”のソレッタ・織姫さんですよねっ!?」

「なぁ、いつ来るんだ? 当然宿はここだよな? 空き部屋あるし! 元花組だしっ!」

「あ、あの、皆さん落ち着いてください」

 

 珍しく興奮しているクラリスと、普段以上に興奮しているさくらに抑え役のはずの初穂まで相手にし、カオルは完全に押されていた。ただ、それとは対照的にあざみは一人冷静だったが。

 

「あざみは冷静だな」

「それよりもあざみは新隊員の方が気になる」

「ああ、そっちか。たしかにそっちも気になるな」

 

 もっともな意見に神山も同意し、視線を大神へと向けた。

 

「あの、新隊員は芝居の方はどうなんでしょうか? クラリスの書いた話はどこかさくら達を想像して書かれていますので、いきなり来て役をあてがわれても……」

「そちらの方の心配はないよ。まぁ、ご期待あれってとこだな」

 

 どうしても当日まで秘密にしたいらしい大神に神山は諦めるように頷き、あざみへ顔を向けて苦笑した。

 その笑みにあざみは頷き、その顔をある場所へと向ける。

 そこでは未だにさくら達を相手に苦労しているカオルの姿があった。下手に関わればカオルと同じ立場となる事は請け合いである。

 

 そう判断し神山は微妙な表情を浮かべていた。それを見てあざみは小首を傾げる。神山の心情が分からないからだろう。

 

「隊長、あれ、どうする?」

「……カオルさんには悪いが、しばらくさくら達の相手を頼もう」

「了解。なら、あざみは帝劇内の見回りへ向かう」

「ああ、また後でな」

「うん」

「意外と冷たいな、君も望月君も」

 

 神山とあざみのやり取りを聞いて大神はそう苦笑した。

 だが、そういう彼も気付かれないようにその場を立ち去ったのだから性質が悪い。

 こうして見捨てられる形となったカオルは、さくら達を相手にそれぞれの仕事へ戻るように強く言い放つと経理室へと逃げ込む事となる。

 

 余談だが、大神と神山はその後でカオルからきつく注意を受けた事を記す。

 

 そんな事があってから数日後、クラリスの修正台本が完成するのと時を同じくして帝劇へとある人物が姿を見せた。

 

「ここが、帝劇なの?」

「そうですよ。ここが帝劇でーす」

 

 ロビーへ入ってきたその二人は、銀髪の女性が周囲をゆっくりと見回し、黒髪の女性が懐かしそうな笑みを浮かべて二階への階段を見つめていた。

 そんな二人の外国人に真っ先に気付いたのは売店のこまちである。

 というのも、まだ時刻は食堂が営業する時間ではなかったため、ロビーには人がほとんどおらず、その二人は目立ったのだ。

 

「なっ……はぁ!?」

 

 視界に映る二人組は本物かと、そう思ってこまちが目を擦る中、銀と黒の二人組は迷う事なく食堂の方へ向かって歩き出す。

 若干黒髪の女性が先導するように歩き、二人は躊躇いもなく支配人室へと到着するとドアを数回ノックした。

 

「どうぞ」

「おっ邪魔するでーす」

「失礼するわ」

 

 普段と同じ調子で入室許可を出した大神であったが、聞こえた声に書類へ向けていた顔が弾かれるように前を向き、相手を確認するや大きく音を立てて椅子から立ち上がったのだ。

 

「お、織姫君っ?!」

「チャオ。久しぶりですね、中尉さん」

 

 大神の目に立っていたのは、妙齢の美女となり母親に似てきたソレッタ・織姫その人だった。

 慌てて移動して机の前へやってきた大神を見て、織姫は小さく小悪魔的な笑みを浮かべるや……

 

「会いたかったでーすっ!」

「いいっ!?」

 

 そのまま思い切って抱き着いたのだ。

 驚きつつもそれをしっかりと受け止める辺り、大神もかつての頃より幾分かそういう状況に慣れたのだろう。

 ふわりと香る匂いが記憶の中にあるものと変わっている事に気付き、大神は目の前の女性があの頃とは違う事を感じ取って一瞬だけ遠い目をする。

 

「あ、相変わらず情熱的だね……」

 

 しかし、それをすぐに消してただ優しく織姫の体を抱き止めるのみだ。決して抱き締める事はしない。

 そこに大神の変わらぬ部分と変わらぬ扱いを感じ取り、織姫はどこか安堵しつつも悲しそうに苦笑する。

 

「そういう中尉さんも変わりませんね~。ん? いえ、ちょ~っとだけダンディになりましたか~?」

「ははっ、どうだろうね。自分では分からないよ。それで、そちらの方は?」

 

 そっと離れる織姫へ言葉を返しながら大神は、その視線を彼女の背後にいる銀髪の女性へと向けた。

 

「ああ、そうでした。偶然同じ船で日本へ向かっていたので、ついでに案内してきてあげました」

「はじめまして、ミスターオオガミ。私がアナスタシア・パルマよ」

「君が……そうか。よく来てくれた。俺は大神一郎。大帝国劇場支配人で、帝国華撃団司令だ」

「了解よミスター。私の事は好きに呼んでくれていいわ」

 

 そこから三人の会話が始まり、大神から神山へ連絡が入ってサロンへ花組が全員集められる事となる。

 

 それから十数分後、大神に連れられて織姫とアナスタシアはサロンにいた。

 

「と言う訳で、今日から君達と同じく花組の隊員となるアナスタシア君だ」

「よろしく」

 

 涼やかな声で挨拶するアナスタシアだが、それに対するさくら達の反応は思いの外静かだった。

 何せ、アナスタシアも織姫に負けず劣らずのトップスタァである。その名を舞台女優の端くれであるさくら達が知らぬ訳はなかったのだ。

 今もその姿に感動しうっとりとしていた。ただ、あざみだけは平常運転でよろしくと返して自己紹介を始めていたが。

 それを切っ掛けに始まるそれぞれの自己紹介。その様子を少し離れた場所で座りながら眺める者がいた。

 

「あれが今の花組、ですか……」

 

 その人物である織姫の目は、どこか落胆にも似た色を宿していた。

 来日する前、織姫はレニと連絡を取り軽くではあるが今の帝国華撃団について聞いていたのである。

 大神が世界華撃団大戦に出る事を決めた。その出場を決意させる存在が今、アナスタシアへファンと同じ眼差しで色々と問いかけている少女達かと、そう思っていたのだ。

 落胆するように顔を伏せて小さく首を横に振る織姫。その脳裏には、かつてまだ偏見に塗れ驕り高ぶっていた頃の自分を受け入れてくれた花組の姿が甦っていた。

 

(あの頃のみんなは、私の事を特別視しなかった。むしろすみれさんみたいにライバルでもあると受け止めてきた人もいたぐらいです。それなのに……)

 

 世界的トップスタァであろうと、同じ舞台に立つ以上そこに差はない。同じ女優として良い舞台を作り上げるだけ。

 憧れるのはいい。ただ、それだけではいけない。むしろそんな憧れの存在がいるのだからこそ、それに負けないようにと努力するのが必要だ。

 そう考えている織姫にとって、さくら達の姿は残念ながら自分と同じステージに立つ存在ではないと映ったのだ。

 

「あの、ソレッタさん」

「織姫でいいですよ。で、何ですか?」

 

 そんな織姫へ神山が声をかけた。彼はすみれのように織姫にもさくら達に先輩として何か助言をもらえないかと、そう考えていたのだ。

 対する織姫の対応もかつての大神へのそれに比べればかなり優しくなったと言える。何せ表情には嫌悪感はなく、かつての大神に似た雰囲気を持つ神山へ柔らかい笑みを浮かべたぐらいだ。

 ただ、それもそこまで長くは続かなくなるとは、この時の神山も織姫本人さえも予想していなかったが。

 

「もし良ければなんですが、さくら達の芝居を見て助言をしてもらえないでしょうか?」

 

 だが、そんな彼の言葉に織姫は呆れた表情を返すと、すぐに神山へ鋭い視線を向けた。

 

「……それ、あの子達が望んでるですか?」

「え? い、いえ、俺の独断です……けど……」

 

 まさかの反応に神山は戸惑いながらも返事をすると、それを聞いた織姫は更に視線の鋭さを増すや彼にだけ聞こえる声で突き放すように告げた。

 

「世話焼きは程々にしとけってカンジ」

「あっ……」

 

 もう会話をする気はないとばかりに席を立ち、織姫はサロンから吹き抜け方面へと移動していく。

 その動きに気付いて大神が意識を織姫へと向けたのは言うまでもない。

 

「織姫君、どうしたんだ?」

「売店を見てきます。中……支配人はアーニャの方をよろしくでーす」

 

 ヒラヒラと手を振って織姫はそのままドアの向こうへと歩いて行く。

 そして、まるで神山への拒絶を示すかのようにドアが閉まった。

 

「あーにゃ?」

「ああ、私の事よ。私の名前、アナスタシアって少し長いでしょ? で、以前パリのシャノワールでレビューをした時、そこの関係者の一人にこう言われたのよ。アナスタシアって呼び難いからアーニャって呼んでもいいかって」

「えっと、その人ってアナスタシアさんと親しい方なんですか?」

 

 人にもよるが、随分と気安い感じがすると感じたさくらがそう問いかける。

 クラリス達も同感だったのか特に何か言うでもなくアナスタシアを見つめた。

 その問いかけにアナスタシアはその相手を思い出したのか、どこか苦笑しながら首を横に動かした。

 

「いえ、初対面でそう言われたわ。自己紹介をした次の瞬間に、長いからアーニャさんでいいですかって」

「あー……アナスタシア君? その相手はもしかしてエリカって名前かな?」

 

 その話を聞いていた大神はまさかと思いつつ、頭に浮かんだ名前を告げる。

 そういう事を初対面でいきなり言えるシャノワールの人間。それに大神は心当たりが一人だけいたのだ。

 

「あら、よく知ってるわねミスター。そうよ。エリカって女性」

 

 意外そうな顔で告げられた答えに、大神は今も変わらないエリカ・フォンティーヌらしさを感じ取って苦笑した。

 

(相変わらずだな、エリカ君は。まだあの衣装で踊っているんだろうか?)

 

 黒猫の格好をして踊るレビュウ。それがエリカ得意の演目だった事を思い出し、大神は懐かしさに浸り出した。

 その前では早速とばかりにクラリスが書き上げた台本を渡して、トップスタァであるアナスタシアの感想をもらおうとしていた。

 心なしかさくらと初穂の表情も真剣である。下手をすればクラリスよりも真剣かもしれない程に。

 

「隊長、どうしたの?」

 

 ただ、そんな中でもあざみは一人神山の異変に気づき声をかけていた。

 彼は、今も閉まったドアを見つめていたのだ。

 

「え……? あ、ああ、少し織姫さんを怒らせてしまったみたいなんだ」

 

 あざみの声から心配されていると気付いた神山は、大げさにならない程度に事実を伝えた。

 だが、その胸中は今も何が理由で織姫の機嫌を損ねたのか理解出来ていないために曇っていた。

 

「そう。なら、謝ってくるべき。さくら達はあざみが見てるから」

「ははっ、それは心強い。じゃ、何かあったら教えてくれ」

「お任せ」

 

 あざみの気遣いに感謝し、神山はドアを開けて吹き抜け方面へと向かう。

 その背中を見送り、あざみは顔をさくら達へと向ける。

 そこではアナスタシアがクラリスの台本を褒めていた。初めてに近いのにこれは凄いと。

 

「……こっちは上手くいきそう。でも……」

 

 安堵するように呟くあざみだったが、その表情が少しだけ曇る。その視線はアナスタシアが手に持っている台本へと注がれていた。

 

(トップスタァ二人と一緒に舞台に立つなんて、今のあざみ達に出来るんだろうか?)

 

 皮肉にも最年少だけが今の花組の不安を感じ取っていた。何故ならば、彼女だけがすみれから直接言葉をかけられていないからだ。

 

 今までは同じぐらいの立場やレベルだったからこそ上手く回っていた歯車。

 そこへやってきた、綺羅星のような二人の存在。

 その輝きが自分達のような小さな輝きを消し飛ばすのではないか。そうあざみは考えていたのだ。

 

 あざみがそうやってヒタヒタと近付く不安に思いを馳せていた頃、神山は売店へ向かったはずの織姫が見つからず右往左往していた。

 

「一体どこへ行ったんだ? こまちさんは見てないって言うし……」

 

 食堂に行った事も考えられると見に行ったがそこにも姿はなく、神山はロビーでどうしたものかと腕を組んだ。

 

(サロンからここまでで織姫さんの姿を見てはいない。だが、こまちさんが言うには売店へも来ていない。食堂にもいないし……楽屋や衣裳部屋の方まで行ったんだろうか?)

 

 が、そこでもしやと思って神山は急いで階段を駆け上がると二階客席へと向かった。

 

「……いた」

 

 そこから舞台を見つめて織姫は無言で佇んでいたのだ。

 その姿が、神山にはまるで一枚の絵画のように見えた。

 

「……もう、ここにみんなで立つ事はないんですね。本当はあの戦いの後やるはずだった三華撃団合同のレビュウ。でも、あの後……」

 

 深い悲しみと共に思い出される記憶。

 降魔皇を何とか封印し、全員で生還したとそう思ったのも束の間、双武に乗っていた大神が取り乱したような声を出したあの時の事を。

 

――さくら君っ! さくら君っ!? 返事をしてくれさくら君っ!

 

 生きてはいる。だが、何故か意識がない。それがさくらに下された診断だった。

 アイリスやエリカ、ダイアナがどれだけ悔やみ嘆いたかを織姫は今でも思い出せる。

 霊力低下による、癒しの力の消失。アイリスは超能力も失ったが、むしろあの時はそれを失いたくないと泣き叫んだのだ。

 

――さくらの、さくらの声が聞こえたはずなのにっ! 今までのアイリスなら、聞こうとすれば聞こえたはずなのにぃぃぃぃっ!

 

 レニの胸に顔を埋め、体を震わせるアイリスの姿を思い出し、織姫は手すりを強く掴む。

 降魔大戦で失ったものは、霊力だけではなかった。エリカと同様にロベリアは有していた特殊能力が失せたのだから。

 

――まっ、これでようやくアタシも普通の人間って事だ。

 

 どこか吐き捨てるようにロベリアが言い放った時の事を、今も織姫は覚えている。

 その横顔は、とてもではないが喜んでいるようには見えなかったのだ。

 誰も喜びなどなかった。むしろ悲しさと悔しさしかなかった。

 華撃団は、単なる防衛組織ではなかった。それぞれにとって、仲間達との絆であり居場所であり家だったからだ。

 

 その絆を突然断ち切られた。居場所を、家を奪われた。

 誰も口には出さなかったが、それでも全員が笑顔でいられれば受け入れる事は出来たのだ。

 ただ一人、真宮寺さくらだけが意識不明という結果でなければ。

 

「……織姫さん」

 

 今も鮮明に思い出せる記憶を打ち切るような声に織姫は我に返って振り返る。

 そこには申し訳なさそうな神山が立っていた。

 

「……なんですか?」

「その、申し訳ありません。俺を嫌うのは構いませんが、さくら達の事は嫌わないでくれると助かります」

 

 頭を下げ、神山は織姫の怒りを解こうとした。何が原因で怒られたか分からないが、それをせめて自分だけに留めて欲しいと。

 そんな不器用な神山を見て、織姫が一瞬呆気に取られて小さく苦笑を浮かべた。

 

(こういうとこは似てますね、中尉さんと)

 

 とはいえすぐに許してやるのも面白くない。そう考えて織姫はふむと考えると、ある事を思い付いた。

 

「それはいいですけど、そっちは私に嫌われたままでいいですか?」

「……どうして怒らせたか分からないので、それが分かったらまた謝りに来ます。その時、俺の言ってる事が合っていたら考えてくれると嬉しいです」

 

 頭を下げたままの言葉に織姫は思わず笑い声を出しそうになる。

 どこまでもかつての大神に似ているのだ。特に、言わなくて良い事を正直に告げて、且つ自分の事を許して欲しいとは言わないところが。

 

「いいでしょ。じゃ、私が帝劇の舞台に立つ間なら謝罪を聞いてあげます。だから頭上げてくださいでーす」

 

 小悪魔的な笑みを浮かべて織姫は神山へそう告げる。

 どう見てもその顔はからかうか意地悪をしようとしているようにしか見えない。

 だが、残念ながら神山は顔を下げているため彼女の顔を見る事は叶わなかった。上げた時には、やや憮然とした表情へ織姫の顔が変わっていたのである。

 

「本当ですか?」

「ただし、それが終わったらもう私は貴方の事を許しません。いいですね?」

「はい、構いません。その間に、必ず許してもらえるように善処します」

「じゃ、とっとと出ていってください。私はもう少しここで思い出に浸りたいですから」

「分かりました。では、失礼します」

 

 最後に一礼し、神山はその場から立ち去る。その姿が見えなくなったところで織姫は小さく微笑んだ。

 

「少しは面白くなってきたってカンジ」

 

 ここに大神がいれば、間違いなく懐かしく思って苦笑した事だろう。それぐらい、今の織姫の顔はかつての花組時代にそっくりだったのだから。

 

 

 

 翌日、アナスタシアと織姫を交えた稽古がスタートすると、早々にさくら達は二人との演技力の差を痛感させられる事となった。

 

 特に主役であるアナスタシアは出番の多さも相まって余計にそれを実感させたのだ。

 

(やっぱり、すげぇ……)

(カッコイイです……)

(言葉に出来ないような存在感がある……)

 

 初穂とクラリスの目が自然とアナスタシアへと引き寄せられていく。

 あざみもその目を見開きながらその演技に引き込まれていた。

 

 そうなれば、当然相手役のさくらさえもその演技に引き込まれる。瞳を潤ませていて憧れの眼差しを向けていたのだ。

 

(これが……トップスタァ。すみれさんが言っていた輝きを持つ人……)

 

 が、そこへ大きな音が響く。一瞬にして素へ戻るさくら達と苦笑するアナスタシア。

 織姫が両手を叩いたのだ。全員の視線が織姫へと集中する中、彼女はやや呆れ顔をしていた。

 

「今のは何ですか。さくら、貴方の役は相手へ憧れじゃなくて恋しているですよ? それとも、貴方の考えるその役は、恋した相手へ今みたいな視線を向けるですか?」

「す、すみませんっ!」

「それと、そっちの三人もです。アーニャのお芝居に刺激を受けるのはいいですけど、ただ眺めてるだけじゃお客さんです。お客さんならお客さんらしく客席へどうぞでーす」

「ぐっ……す、すみません」

「すみませんっ!」

「ごめんなさい。以後気を付ける」

「是非そうしてください。次はないでーす」

「織姫さん、少し厳しすぎない? 私や貴方の演技に魅入ってしまうのは仕方ないと思うわ。聞けば、さくら達は演技指導の人間もいないで今までやってきたそうだし」

 

 織姫の物言いに対してアナスタシアがさくら達の擁護に回る。だが、それは織姫には悪手であった。

 

「何言ってるですか。アーニャは誰かに演技教えてもらいましたか?」

「それは……」

「それに元々お芝居は習うものじゃなくて役になるものです。あと、私が知る限りさくらさん達も先生なんていない状態で舞台に立ってました」

 

 そう言うと織姫はさくら達四人を見回してこう締め括ったのだ。

 

「それでも、貴方達は誰かに演技を教えてもらわないと舞台に立てませんか?」

 

 言外に昔の花組へ負けを認めるかと、そう言われていると感じ取ったさくらが真っ先に反応した。

 

「そんな事ありませんっ! わたし達だって同じ事が出来ますっ!」

「そうだぜっ! 今に見てろ! アタシらだってやるときゃやらぁ!」

「役の気持ちなら、書いた私以上に分かる人間はいませんっ!」

「今までだって同じようにやってきた。あざみ達だって、出来る!」

「貴方達……」

「なら結構です。精々私とアーニャの足を引っ張らないでくださーい」

 

 どこまでもさくら達へ挑発的な物言いを続ける織姫だが、それを彼女達が受け入れざるを得ない程の実力を見せつけるのだから仕方ない。

 クラリスが急遽書き足した役だったが、そうとは思えない程の存在感を示し、更にその芝居に説得力があったのだ。

 

 演技への文句は演技で黙らせろ。そう織姫は在り方でさくら達へ示すようにして初日の稽古は終わる。

 

「じゃ、お疲れさまでーす」

 

 けろっとした顔で颯爽と舞台から去る織姫。アナスタシアだけがその背中を見送り、ゆっくりと顔をさくら達へ向ける。

 さくら達は誰もが悔しげに俯いていた。織姫はすみれと違い助言などはしない。

 ただ、さくら達の芝居から感じる事で台本とそぐわない事や役に合っていない事を鋭く指摘していった。

 すみれが助言と反骨心でさくら達を育てようとしたのなら、織姫は自己啓発でさくら達を成長させようとしていたのだ。

 

「くそっ……悔しいけど今のアタシらじゃあいつを唸らせるのは無理だ」

「演技の質が……違い過ぎます」

「台本をもらって間もないのに、もう役があの人のものになってる……」

「あれが……トップスタァ……」

 

 見せつけられた差に無力感を味わうさくら達を見て、アナスタシアはどうしたものかと考える。

 

(このままじゃ、彼女達は潰れてしまうかもしれない。そうなったら、舞台は酷いものになる……)

 

 自分が出る以上、舞台は良い物にしたい。そう考えたアナスタシアはため息一つ吐くと、さくら達へ歩み寄った。

 

「いつまでも俯かないでくれる? 貴方達には、織姫さんの期待が分からないの?」

「え……?」

「織姫さんの、期待、ですか?」

「んなもん、ある訳ねーだろ。あんなにアタシらをぼろくそに言ったんだぞ?」

「うん。さすがにそれはない」

 

 あざみのはっきりとした断言にさくら達も揃って頷く。その反応にアナスタシアが苦笑した。

 ここまで思われれば織姫の狙いは成功と言えたからだ。それを理解しているアナスタシアは、笑っている自分を怪訝な表情で見つめるさくら達へ手を上げた。

 

「ごめんなさい。悪気はないの。でも、考えてみて? あれだけ言っていたけど、織姫さんは一度も貴方達へ舞台に上がるなとは言わなかったわ。それは何故か。貴方達にも分かるはずよ」

 

 その瞬間、さくら達三人にはすみれの言葉が甦った。自分達も女優なら失敗を引きずるなという、あの教えが。

 

「……あざみ達は舞台へ上がる資格がある?」

「少し違うわ。上がってもいいと言っているの。ただ、上がるからにはやるべき事をやって欲しいって事ね。あざみ、貴方は自分の役をどう受け止めている? いえ、どう考えている? 台詞一つ一つにその役の考えや感情、在り方がある。台詞のない場所では何をしていて何を思っているか、それも考えてみて。役者は、役になるの。自分のままで演じるのもありだけど、基本はその役を舞台に降ろすの」

「役を……降ろす」

「いわばそうね……シャーマン。この国で言う、巫女……だったかしら」

 

 アナスタシアの説明にあざみは理解するように頷いた。

 これまでは自分がこの役をどうするかでやってきたあざみへ、別の演技プランをアナスタシアは提示したのだ。

 

 そしてそれはさくら達へも当然伝わる。役を自分へ寄せるのではなく、自分を役へ寄せるという考え方だ。

 

 若草物語を見た時すみれが感じたように、これまでの花組は役を彼女達に寄せてきた。

 クラリスの台本を見ただけで織姫はそれを感じ取り、このままではダメだと考えたのである。

 だからこそ、アナスタシアへ憧れや尊敬の念を抱いているのを利用してさくら達へダメ出しをしたのだ。

 そのままでは役ではなく自分達だと。

 舞台にいる間は自分達は個人ではなくそれぞれの役としていなければいけない。その心構えを織姫は言外に突きつけていた。

 

 それをアナスタシアはさくら達へ教えてやったのだ。これぐらいはいいだろうと、そう考えて。

 

「私から言えるのはこれだけ。明日は少しぐらい変化を見せてくれる? 織姫さんもそれを待ってるわ。役としてでも、個人としてでもいい。何でもいいから今日より変わって。成長や変化。それを舞台上で見せ続けて。そしてそれは公演中も継続して欲しいの」

「こ、公演中も?」

「今までもなかったかしら? 公演中に気付いた事や思った事が。それを今後は出してくれていいの。ただし、それは自分としての心ではダメ。その役としての心や表現でお願い」

「その役として、か」

「つまり、クラリッサ・スノーフレークではなく、あくまで演じている役柄としての気付きや感情ですか?」

 

 無言で頷くアナスタシア。それが答えだった。

 常に舞台の事を考えて過ごしてみなさいと、そう言い残してアナスタシアも舞台から去っていく。

 

 残されたさくら達は、織姫とアナスタシアという二人のトップスタァが自分達へ課した期待と重圧に、何とも言えない気持ちを抱いていた。

 すみれが告げてくれた言葉。役者として扱うという言葉が持つ意味を、今やっとさくら達は噛み締めていたのだ。

 

「……甘えてた、のかな?」

「さくらさん……」

「すみれさんが認めてくれて、若草物語が上手くいって、わたし達、このままでいいってどこかで甘く見てたのかな?」

「ない、とは言い切れないよな。どっかで浮かれてたのは否定出来ねえよ」

「油断、慢心。それを気付かない内にあざみ達はしていた。それを織姫だけが気付いた」

「いえ、きっと私の書いた本を読んで気付いたんです。私が、自分達を想像して書いていたと、一読しただけで分かったんです」

 

 沈むような声だが、そこでもう誰も俯く事はしなかった。

 織姫から直接聞いた訳ではない。だが、アナスタシアが言ってくれた言葉が真実だとすれば、自分達には可能性があり期待をしてくれているのだと思って。

 それに、すみれも同じように期待を抱いてくれている事をさくら達は知っているのだ。

 

「……やってやろうじゃないか。少しでもいい。アタシらの成長を、変化を、見せてやろうぜ!」

「そうだね。役者として、女優として、何よりトップスタァを目指す者として!」

「はい! 私も本を書いた人間としてお二人に負けたくありませんっ!」

「あざみも頑張る。今の花組だって凄いって、そう言わせたい!」

「うんっ! 頑張ろう、みんなでっ!」

 

 力強く頷き合う四人。その頃、神山は織姫を怒らせた原因について答えが出せないまま格納庫にいた。令士に見せたいものがあると言われたのである。

 

「で、これが見せたいものか?」

「おう。その名もいくさちゃんってとこか」

「……で、何をするものなんだ?」

 

 令士のネーミングセンスに閉口しながら神山は冷静に問いかける。

 そこで令士が告げたのは、いくさちゃんが戦闘シミュレーターである事だった。

 今までの戦闘で得た情報を基に創り出される仮想状況。その中から好きなものを選んで擬似戦闘を出来るという物だ。

 その用途と性能に神山は驚愕し、試しにと一人で無限の初陣となった戦闘をやってみる事に。

 

 結果、無限の性能の高さを改めて実感する事となったのだが、神山は令士へある事を頼んで再度挑戦してみる事にした。

 

「んじゃ、始めるぞ」

「頼む」

 

 それは光武二式を使っての再戦。あの時は様々な要因があって負ける事となったが、もし万全の状態であればどうなったのか。あるいはどこまで出来るのか。それを神山は知りたかったのだ。

 旧式と呼ばれた光武二式。だが、神山は何となくだが感じていた事があった。

 

(さくらの三式もそうだが、霊子甲冑には霊子戦闘機にない何かがある気がする。無限に乗った時には、二式へ乗った時に感じたあの感覚が薄かった……)

 

 結果は勝利。ただし、無限よりも所要時間などで評価は低かった。

 

「どうだ? 気は済んだか?」

「……ああ」

 

 こんなはずじゃないとどこかで思いながら神山は顔を動かす。

 そこにあるさくらの三式光武を見つめ、彼は小さく呟くのだ。

 

――実機と虚像じゃ違って当然、か……。

 

 あの時、さくらを助けたいと願った自分へ応えてくれた光武二式。その底力のようなものは、きっとデータでは再現出来ないと思い、神山は格納庫を後にする。

 いくさちゃんの有用性を高く評価しつつ、彼は令士へこう注文をつけたのだ。可能なら、かつての華撃団が使っていた霊子甲冑も試せるようにして欲しい、と。

 

 

 

 その日の夜、神山は一階客席にいた。そこでさくら達の自主練習を見ていたのである。

 当然織姫は参加していないし、アナスタシアもいない。さくら達四人だけの練習だ。

 

(いるべき者がいないから何とも言えないけど、今まで以上の真剣みは感じる……)

 

 これまではどこかでさくら達が芝居をしていると、そう感じていたのが、ここにきてその役の人間そのものになろうとしているのではと、微かに神山が気付く程度の変化は起きていた。

 ただ、それもさくら達の芝居を誰よりも近くで見てきた神山だからの気付きである。これが一般の観客ならそこまで思う事はないだろう。

 

「……やっぱりせめてアナスタシアさんの役だけでも欲しいですね」

「うん、台詞だけでもあると違うからね」

「アタシが読んでやろうか?」

「でも、それじゃ初穂が演技に集中出来なくなる」

 

 今回の舞台で一番の要は何と言ってもアナスタシアだ。織姫も看板女優ではあるが、あくまで彼女は今回限りの助っ人。

 今後帝劇に常駐するアナスタシアの方こそが看板女優であり、これから帝劇へ客を呼ぶためのトップスタァなのだ。

 

 故にその出番も比重が大きい。さくら達は今日の稽古でアナスタシアが見せた演技を思い出してやっていたのだが、それも限度がある。

 

「台詞だけで良ければ俺が読もうか?」

 

 そんな中で神山がそう言い出したのは、自分なりにさくら達のやる気を応援したいという気持ちからだった。

 ならばと、台本片手に神山も舞台へと上がる。

 

「サラ、すまない。僕には君の想いに応える事は出来ない」

「どうして、どうしてなの? 私はこんなにもトーマスを慕ってるのに、愛してるのにっ!」

「分かっている。僕とて応えられるのなら応えたい。君をこの腕で抱き締めて愛を囁きたい。だが、それは出来ないんだ」

「何故、何故なのっ!」

 

 神山へ詰め寄るさくら。と、そこで本来ならば織姫の役が出てくるところであり、演技は一旦中断となるはずだった。

 

「トーマスはあたしと婚約しているからよ」

「「「「「っ?!」」」」」

 

 聞こえた声に全員が視線を客席側へと向ける。そこには織姫が立っていた。

 そのまま彼女は驚く神山達へ余裕の笑みを浮かべながらゆっくりと近付いていく。

 

「モギリさん、台詞」

「え? あっ……エレン、何故ここに?」

 

 舞台に上がり、自分の隣へ立った織姫からの小声での指摘で神山は台本へ目を向けた。

 そんな彼に織姫は小さく微笑むも、すぐさまそれを消してさくらへ勝ち誇るような表情を向ける。

 

「トーマスを愛しているそうだけど、それが何? あたしだってトーマスを愛しているの。小娘の出る幕じゃないわ」

「っ……小娘ですって? トーマス、こんな人と婚約なんてやめるべきよ。こんな口の悪い人、トーマスには相応しくない」

「サラ、止めてくれ。彼女は僕の婚約者なんだ」

「モギリさん、そこで私を抱き寄せてください」

 

 そっと神山の背後から演技を指導する織姫。その言われるがままに神山は織姫の体を抱き寄せる。

 すると、それを見たさくらが一瞬にして表情を変えたのだ。

 

「っ!?」

「これで分かった? トーマスが誰を愛しているか」

「トーマス……そうなの?」

「モギリさん、そのまま逃げるように舞台からはけてください」

 

 さくらからの視線に胸を痛めながら、神山は織姫の指示通りに無言で舞台から去る。

 そこでクラリスが手を叩いてさくら達が織姫へと視線を向けた。

 

「あの、どうしてここに?」

「寝付けなくてブラブラしてたら、何となく舞台へ来ただけでーす。で、見ればモギリさんがアーニャの台詞を棒読みしてて、私の役の出る場面になったから出てやっただけですよ」

 

 そう告げて織姫はさくら達の顔をゆっくりと見回していく。

 

「それにしても、何がありましたか? たったこれだけでお芝居への向き合い方が変わるなんて、信じられないってカンジ」

「アナスタシアが教えてくれたんだよ。アタシらになかった考え方を、な」

「アーニャが? ……そういう事ですか」

 

 どこか微笑むように呟く織姫。だが、すぐに普段の表情へ戻すとさくら達へ背を向けた。

 

「ま、程々にしておくですよ。休める時に休むのも大事な事です」

 

 もう興味はないとばかりに舞台袖へと向かう織姫。その背中へさくらが何かに気付いて慌てて頭を下げた。

 

「あ、ありがとうございましたっ!」

「……さっきの表情、とても良かったですよ。ただ、あれがアーニャとでも出来るなら、ですけど」

「っ?!」

「じゃ、おやすみでーす」

 

 今度こそそう言って織姫はその場から去っていく。残されたさくらは織姫の指摘に顔を真っ赤にしていた。

 

(さ、さっきのってそういう事だよね? あれがサラとしてじゃなくて、わたしだって織姫さんには分かってるって事だよね?)

 

 神山が織姫を選んだように思え、あの瞬間さくらは役ではなく自分へ戻ってしまったのだ。

 ただ、その時の感情表現が役としても間違っていないと織姫は言ってくれたのだと、そうさくらが気付くのにはもう少し時間がかかる事となる。

 

 その後も神山がアナスタシアの役の台詞を読み、さくら達の練習は続いた。

 時刻が十時になった辺りでそれは打ち切られ、さくら達が舞台から大浴場へと汗を流しに行った後、神山は一人その場に残って考えていた。

 

「織姫さんは、舞台役者じゃない俺がさくら達の演技について口出ししたのが気に入らなかったのか?」

 

 初対面の際に言われた、世話焼きは程々にという言葉。その意味を神山は織姫の指示を受けながら感じ取っていた。

 

 あの時の指示は完全にさくら達へは行わないだろう。それは何故か。さくら達は女優であり、神山が役者ではないからだ。

 相手が役者でないなら口を出す。指示を与える。何故なら舞台上の神山には役者としての矜持がない。

 だから言えるし動かせる。役者としての誇りがない神山ならば、織姫は躊躇なくこうしろああしろと言えるのだ。

 

 逆に言えば、役者としての矜持や誇りがある相手にはそれをしない。そこまで考えて神山は悟る。

 

(そうか。俺が織姫さんへ頼もうとしたのは、さくら達の役者としての心を傷付ける事だ。だからあの時織姫さんは俺へ確認してきたんだ……)

 

――それ、あの子達が望んでるですか?

 

 すみれからの助言もさくら達が望んではいなかったが、あの時の彼女達は役者としての心構えがなかった。

 故にその心を傷付ける事はなかったし、むしろそのやる気を大いに刺激された。

 だが、今のさくら達は曲がりなりにも役者であるという自負がある。

 すみれに認められ期待され、駆け出しの役者ではあるが帝劇の女優なのだという誇りを持っているのだ。

 そんなさくら達へ、いくらかつての花組でありトップスタァの織姫が望んでもいないのに演技指導を始めれば、その心はどうなるか。

 

 ここにきてやっと神山は己の浅慮を恥じた。役者でないからこそ役者の事へ首を突っ込み過ぎるなと、そう織姫は注意してくれたのだと理解したのだ。

 

「……明日、織姫さんへ謝ろう」

 

 そして、それは織姫というトップスタァへ軽々しく演技指導を頼んだという、彼女の女優としての格を少なからず傷付ける事でもあったのだと、神山は思ったのだ。

 

 翌朝、食堂で優雅に紅茶を片手に台本を読んでいた織姫へ神山が頭を下げていた。

 

「申し訳ありませんでした」

「……何ですか、急に」

 

 突然の事に困惑しつつ、織姫は顔を台本から動かそうとはしなかった。

 

「やっと分かりました。何故織姫さんが怒ったのか」

 

 そこで神山は昨晩気付いた事を述べ、己の浅慮を詫びた。その話を聞いている間、織姫は終始微笑み、神山の姿にかつての大神を重ねる。

 

(本当に似てますね。この真っ直ぐな感じ、嫌いじゃないです)

 

 神山の謝罪とその理由を聞き、織姫はどこか残念そうに息を吐くと手にしていた台本をテーブルに置いた。

 

「あーあ、これで暇潰しが終わってしまいました」

「え……?」

 

 頭を反射的に上げた神山が見たのは、クスクスと笑う織姫の顔だった。

 

「モギリさん、真面目すぎまーす。こういうのはもっと時間をかけて悩んで迷ってくれないと」

「あ、あの……」

「ま、いいでしょ。うん、許してあげます。ていうか、私が本気で怒ったなら織姫、なんて呼ばせないでーす。そこで気付くべきでしたね~」

 

 してやったり顔の織姫に神山は返す言葉がない。と、そこへアナスタシアが台本を手にやってきた。

 彼女も織姫のように食堂でゆっくりとした雰囲気の中で台本を読み込もうと思っていたのだ。

 台詞を暗記してもそれはただ覚えただけ。そこから役の言葉とするための作業として彼女は台本を読むのである。

 ただ、自室は体を休める場所という認識のため、食堂を選んでいるのだ。勿論食堂の営業時間となれば、場所をサロンへと移すつもりではある。

 

「あら、織姫さんにキャプテンじゃない」

「おはようアナスタシア」

「おはようでーす」

 

 ただアナスタシアは、予想だにしなかった組み合わせを見て若干の驚きを浮かべていた。

 それに加えて織姫の機嫌が良い事も感じ取ったのである。

 

「向かい、いいかしら?」

「どーぞです」

「ありがとう。それで、キャプテンはどうしたの?」

「え? ああ、えっと」

「昔の花組について聞かれてたですよ。今の花組隊長としては当然ってカンジ?」

 

 どう答えるべきかと言いよどむ神山を助けるように織姫がさらりと嘘を吐く。

 それも疑う可能性の低く、神山も合わせやすい内容で。

 しかも、アナスタシアも興味があるだろうものだった。

 

「へぇ、私も興味があるわね」

「あの、教えて頂けませんか?」

「そうですねぇ……タダで教えるのは嫌なので……」

 

 次の暇潰しを見つけたような顔をし、織姫はアナスタシアへこう告げたのだ。

 

――公演で私が貴方達花組の誰かのお芝居で感動出来たら教えてあげまーす。

 

 

 

「参ったな、あれには」

「そうね。だけど、あれは私への挑戦状でもあるわ」

 

 織姫の言葉をさくら達に伝えるべく舞台へと向かっている神山とアナスタシア。

 正直神山としては伝えるつもりはなかったのだが、きっとそれが励みになるとアナスタシアから言われたため、こうしてさくら達のもとへと向かっているという訳だった。

 

 そして、何故かアナスタシアは織姫の提案を聞いてから静かに燃えていた。

 

「挑戦状?」

「ええ。彼女は私を見てこう言ったわ。貴方達花組の誰かのお芝居で感動出来たら、って」

「ああ、そうだったな。それが? 今のさくら達の芝居じゃ感動出来ないからって事だろ?」

 

 その神山の答えにアナスタシアは立ち止まると、静かに首を横に振った。

 

「それだけじゃないわ。あれは、私のお芝居でも感動出来ないと言っているのよ」

 

 あっさりと告げられた言葉だったが、神山は気付いた。アナスタシアの女優としての誇りが燃えている事に。

 その証拠にアナスタシアはそう告げた後無言で歩き出したのだが、その速度は先程よりも早い。

 神山の事を置いていくような速度で彼女は舞台を目指す。

 

 その胸中は織姫への反発心で燃えていた。たしかに織姫はアナスタシアが幼い頃からのスタァであり、一時期の憧れでもあった存在だ。

 だが、今は少なくても同じ舞台女優であり、扱いもトップスタァで同じはずだと、そう彼女は考えていた。

 

(十年以上前からスタァだったから何? 私だってトップスタァなの。場数が違うからって負けるつもりはないわ! 絶対にいい舞台にしてみせる!)

 

 大道具通路を抜け、舞台袖から姿を見せたアナスタシアにさくら達の視線が向いた。

 だが、その瞬間さくら達が揃って首を傾げたのだ。

 

「あ、あの、何かありました?」

「ええ、ちょっとね」

「なぁ、さっき織姫さんが客席に来て、自分を入れた稽古は当分するつもりはないって言ってたんだけど……」

「理由を聞いたら、アナスタシアさんに教えてもらえって」

「一体何があったの?」

 

 不安がるさくら達へアナスタシアは一度深呼吸をするとはっきりと織姫からの言葉を告げた。

 その挑発的な内容にすみれと近しいものを感じ取ったさくら達だが、それをアナスタシアへ教えるつもりはなかった。

 何故なら……

 

「やってやりましょう。見に来る観客達は勿論、関係者や共演者に至るまで全ての人が心を動かすような、そんな舞台を私達花組で」

 

 アナスタシアが花組の一員として燃えていたからである。

 どこかで距離があるように感じていた存在であるアナスタシア。

 そのトップスタァが駆け出しの自分達と同じ立場で物を言ってくれている事。

 それが彼女達にはとても嬉しかったのだ。

 

 こうして織姫抜きで始まった稽古は、とても白熱したものとなる。

 初日は自分の事だけ考えていたに近いアナスタシアも、さくら達全員の演技を眺め、考え、演出を兼ねるクラリスと相談を重ねていく。

 さくら達はさくら達で、アナスタシアの所作などからその技術を吸収しようと全神経を張り巡らせ、また相手との掛け合いで生まれる感情の動きや体の動きなどを踏まえ、芝居へと反映させていく。

 

 そうしている内に、最初こそ織姫への反発で動いていたアナスタシアも、さくら達の成長や変化を感じて刺激を受け、ならばと自分の演技へそれに反映させて、それを受けたさくら達が刺激を受けと、そういう循環へとなっていった。

 

 時間も昼を過ぎ、夕方となった辺りで神山がこまちと共に舞台へ顔を出したのだ。

 

「みんな、お疲れ様」

「休憩したらどや? お茶におにぎりあるで~」

 

 その手に多くのおにぎりが載った皿を持っている神山と、お茶が入っているだろうやかんと湯飲みを人数分乗せた盆を持っているこまちに、さくら達は嬉しそうな声を上げて駆け寄った。

 アナスタシアも空腹感をそこで覚え、ならばと少し遅れておにぎりへと手を伸ばす。ただ、その手がおにぎりを口へ運ぶ事はなかった。

 

 おにぎりを見つめたまま動かないアナスタシアへ気付いた神山は、不思議そうに首を傾げて彼女へ近付いていく。

 

「どうかしたのか?」

「えっと、キャプテン? これは、どういう食べ物?」

 

 告げられた内容で神山はようやくアナスタシアの状況を理解する。要は知らない異国の食べ物を前に、どうすればいいのかと戸惑っているのだと。

 クラリスはさすがに帝劇暮らしをしているためか躊躇いなくおにぎりを口にしていたので、神山もアナスタシアが同じように食べられると思っていたのだ。

 初めて見るおにぎりへアナスタシアはまるで子供のような眼差しを向ける。その手にしている白い三角形が何なのだろうと疑問符を浮かべて。

 

「それはおにぎりと言って、炊いた米をその形へ握って作るんだ。中に色々な具を入れる事もあってね。それは……おかかだな」

 

 アナスタシアの持っているおにぎりの天辺には、黒ゴマが散らしてある。それを見て神山は中の具を理解したのだ。

 

 ちなみに何もないのが梅、白ごまが昆布、黒白が何もなしとなっている。

 

「おかか?」

 

 ただ、当然外国人のアナスタシアにおかかが伝わるはずもない。

 神山はどう説明するべきかと考え、結局癖はないので一度食べてみてくれとしか言えなかった。

 アナスタシアもさくら達が美味しそうに食べているのを見て、ならばとおにぎりへと口を付ける。

 仄かな塩味と黒ゴマの香り、そして米の味がアナスタシアの口の中を賑す。噛んでいくと段々甘味が強くなり、同時に黒ゴマの味が強くなっていく。

 

(不思議な味ね……。でも、嫌いじゃない、かも)

「もし良かったらこれもどうだ。麦から淹れたお茶なんだ」

 

 じっくりと味わっているアナスタシアを見て、神山は湯飲みへ注いだ麦茶を差し出す。

 その説明にアナスタシアは小さく驚きを見せながら湯飲みを受け取った。

 漂う香りは焙煎された穀物の匂いである。それを察して、彼女は試しに口へと麦茶を含んだ。

 

「……美味しい」

「そうか。口に合ったようで良かったよ」

「ええ。でも、魚の味はしなかったわ」

「え? ……ああ、まだ食べてないんだよ。ほら、そこにチラッと見えてる」

 

 言われてアナスタシアがおにぎりへ目を落とせば、茶色い何がが白い米の中から顔を出していた。

 

「……これがおかか?」

「ああ。俺達日本人の好物だ。気に入ってくれると嬉しいな」

 

 その言葉にアナスタシアがもう一度おにぎりを口へと運ぶ。すると今度は口の中に濃厚な旨味が溢れたのだ。

 ギリシャ出身の彼女には縁のない大豆醤油の旨味と鰹の持つ旨味。それらが白い米と混ざったその味は思わず目を見開く程の衝撃をアナスタシアへ与えたのだ。

 

「…………ねぇキャプテン」

「な、何だ?」

 

 俯き気味に神妙な声を出すアナスタシアに神山は思わず身構える。何を言われるのか、口に合わなかったのだろうかと、色々と考えて。

 そんな一秒のような永遠のような沈黙が二人の間に流れ、神山が喉を鳴らした瞬間……

 

「この味、私、好きよ。他にもオススメがあるなら教えてくれる?」

 

 少女のような微笑みを見せてアナスタシアがそう告げたのだ。それを見て神山は肩透かしを食らったかのように体勢を崩すも、すぐに嬉しそうに頷いて顔を動かした。

 

「なら、向こうでみんなと一緒に食べよう。俺の一番のオススメは大勢で食べる事さ」

「……そう、ね。たしかにそれは美味しそうだわ」

 

 こまちがお茶くみ役をやりながらさくら達と楽しげに笑っているのを見て、アナスタシアも小さく笑みを浮かべると神山と一緒にその場から動き出す。

 そして全員で円を作るように座り、好きなおにぎりの具の話から話題はそれぞれの好物の話へと変わっていく。

 そのやり取りの中でアナスタシアは思うのだ。こんな時間は今までどの劇場でも過ごしてこなかった、と。

 正確に言えば、舞台以外の話題で他の役者たちと会話を進んでする事がなかったと気付いたのだ。

 

(不思議だわ。ここには、いえ彼女達には私を女優ではなく一人の人へ戻してしまう何かがある。その要因は、もしかしておにぎりなのかしら?)

 

 同じ釜の飯を食う。古来より日本で言われている親睦を深める方法だ。

 意図した訳ではないが、神山達の差し入れが思わぬ効果をアナスタシアへ与えていた。

 さくら達とは立ち位置が若干違ったアナスタシア。それを織姫が強引に引き寄せ、さくら達が変えていき、神山達が結びつけたのだ。

 

「アナスタシアさんは日本で何か食べてみたい物あります?」

「私? そうね……お菓子かしら。日本には独特の菓子があるって聞いた事があるわ。せんべい、とか、あられ?」

 

 シャノワールでスイーツを自作していた売り子からの情報を思い出し、アナスタシアは小首を傾げた。

 さて、和菓子の名が出てきては黙っていられない者が花組にはいる。

 その少女は、すっと挙手をして意見を述べる。ただし、その手にはご飯粒がついている上、口元にもそれが張り付いていたが。

 

「じゃ、みかづきのおまんじゅうをあざみはおすすめする!」

「おまんじゅう?」

「甘くて美味しいっ! 絶品! 食べないと損っ!」

「そこまで? なら、それも食べてみるわ」

 

 今にも身を乗り出しそうなあざみに微笑ましいものを感じてアナスタシアが笑う。

 だが、そんな彼女の言い方に疑問符を浮かべる者がいた。

 

「一緒に買いに行けばいいだろ? 案内ついでにアタシも行くからさ」

 

 世話焼き初穂としては、芝居の事で世話になったアナスタシアへ何かお返しをしたいと思ったのだ。

 そう思っての提案に次のような声が上がるのは必然的な流れと言える。

 

「じゃあ、明日花組でアナスタシアさんに街を案内してあげるのはどうです?」

「賛成です。今はまず花組の連帯感を強めるべきかと思いますし」

 

 さくらの意見にクラリスも同意し、あざみや初穂も力強く頷いていく。

 その様子を見て今は稽古をとアナスタシアが口にしようとした瞬間、神山が軽く手を叩いた。

 

「そこまでにしよう。食べ終わったら、みんな解散した方がいい。話の続きは……今夜五人で風呂にでも浸かってするといい。アナスタシア、今日ぐらいは日本での裸の付き合いってものを受け入れてもらえないか?」

「裸の付き合い……ね」

 

 どういうものかは分からないが、きっと悪い事ではないだろう。そう考えてアナスタシアは笑みを見せた。

 

「さくら達もそれでいいだろう? 女性同士、役者としてだけじゃなく人としても色々と話し合うといい。こまちさんも何なら参加したらどうです?」

「いや、あても参加したいとこやけどなぁ。売店の諸々を終わらせる頃には結構な時間になってまうさかい、今回は遠慮しとくわ」

「じゃあ、代わりにキャプテンが来る?」

「っ!? そ、それは……」

「「「神山(隊長)さん?」」」

 

 満更でもなさそうな顔をする神山をジト目で睨むさくら、クラリス、初穂の三人。

 ただ一人あざみは睨みはしなかったが、ジト目で彼を見つめて……

 

「隊長のすけべ」

 

 との一言で神山を項垂れさせたのだった。

 それにこまちが笑い、アナスタシアが笑い、さくら達も笑って、最後には神山さえも笑った。

 その笑い声を二階客席から聞いて微笑む者がいる。

 

「……どうやら上手くいきそうですね」

 

 そう呟いて織姫は静かにその場から立ち去る。背後から聞こえる笑い声に、かつての自分達を思い出しながら……。




原作でアナスタシア関係でまず疑問に思ったのが、なんで世界的トップスタァの彼女がいきなり帝劇に来たのかと言う事でした。
まぁゲームを進めればその理由は明らかになるのですが、ならそれをもっと描いて欲しいと思った訳で、こうなりました。

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