それはオノノクスにとって予想外の行動だったのだろう。
現に悲鳴を上げながら突進してきた俺に対して、オノノクスは動くことができていなかった。
『ぅラァあああァァァァァ!!』
その無防備な顔面に、拳を叩き込む。
その衝撃にオノノクスは十数メートル後方まで吹き飛ばされた。
『チィィッ、浅いッ!!』
しかし致命打にはなっていないだろう。着弾の瞬間、相手の全身から吹き出す竜気に当てられた体が硬直し、腰が引けた。パンチは手打ちになり、本来の半分も威力が出せていないだろう。だがダメージは与えられた筈だ。
『ハァ……フゥゥゥ────』
深く息を吐いて、呼吸を整える。一瞬たりとも気を抜くことは許されない。それをしてしまえば、俺は横に転がっているフライゴン達と同じ運命を辿ることになるだろう。
いつだ。いつ起き上がってくる?オノノクスが飛んでいった方向を凝視し、巻き上がった砂煙から目を離さず、いつでも行動に移せるように、俺は全神経を張り巡らせたまま脱力した。十秒経っただろうか、一分経っただろうか、十分経っただろうか。極限の緊張状態は、俺の時間感覚を容易に狂わ
『グガァァァア!!』
──それが聞こえた時には、オノノクスは既に眼前に居た。
『ッ!!!』
反応できたのは、最早奇跡だった。振り抜かれた腕を、
『ハァ……っ、ハァ……畜っ、生……』
整えた息が、一瞬で暴れだす。
遥か上空に逃げ出した俺に、オノノクスはゆっくりと顔を向ける。
──その表情は、確かに
面白い、と言わんばかりに。ふざけんなよ、こちとらそれどころじゃねぇ、死なないことで精一杯だ。一生近づきたくない。しかしそうもいかない。俺が勝つには、近接戦闘しかない。遠距離から相手を倒せる手段を、生憎と俺は持ち合わせていない。しかしそれは、絶死の間合い。一つのミスで命を落とす、ライフベットのダンスフロア。
『──上等だ黒蜥蜴』
お望み通り踊ってやるよ。勝つ、俺は勝つ、絶対に勝つ!勝って生き残ってやる!!
『おおぉぉぉぉぉぉォォォォッ!!』
上空から急加速、即座に最大速度へと移行。一気にオノノクスへと接近する。
それを見たオノノクスが、俺へと左爪を振りかざす──瞬間。
──
驚きに、オノノクスが目を見開く。速度は100から急激な0へ。予測しても対応できない、究極のチェンジオブペース。四年間、インターバル飛行で鍛えたこの技術は、決して無駄ではなかった。俺は止まるが、向こうは止まれない。振り抜いた腕が、無防備を晒している。落ち着け、焦るな。仕掛けるのはここじゃない。
俺はそのまま十八番である真横への跳躍からの半月滑空──命名、『スプリントムーン』──へと移行、一気に背後を取る。神速の移動に、オノノクスの視界から俺が消える。それでも尚オノノクスは本能と直感を駆使し、後ろを振り返った。しかしそれも想定内!
オノノクスが完全に振り返る前に、俺はそのまま真上へと跳躍し、そのベクトルを半月状へ移行、再びその背後を取る。『スプリントムーン・下弦』。成功率六割程度の俺の切札。が、しかしそれでもオノノクスの予測は超えられていない。奴は振り向く時に尻尾を伸ばすことで、俺に再び背後を取られても反応できるように、センサーとして機能させていたのだ。伸ばした尻尾が俺へと触れ、位置がバレる。クソ、これでもダメか……!諦めるな、コイツの読みを上回るまで、何度だってやってやる!!
尻尾の回転の向きに合わせ、再び『スプリントムーン』。三度背後を取った。オノノクスはそれにも惑わされない、しっかりと俺のいる背後へ振り向こうとする。それに合わせ、俺は四度目の『スプリントムーン』で今度は平面で背後を奪いにかかる。しかし数度繰り返されたそれを、オノノクスは完璧に読んでいた。振り返りを途中で止め、逆方向へと回転する。『スプリントムーン』後で無防備な俺を捉え、今度こそ仕留める為に──!
しかし振り向いた先に、俺は存在していない。
オノノクスが再び驚きに目を見開く。馬鹿が、そう思わせる為に『スプリントムーン』を繰り返して布石を打っておいたんだよ──!
──
百八十度動く筈のそれを、九十度で強制終了させる。これによりオノノクスは、完全に俺を見失った。視界から消えるという物理的隙と、予想外の事態という心理的隙。この状況こそ、俺が狙っていたモノ!
『──ンン゛ン゛ッッッ!!』
乾坤一擲、千載一遇。渾身の『マッハパンチ』がオノノクスの脇腹を目掛けて走る。直撃を確信した。しかしオノノクスはこの攻撃にすら対応してみせる。回避は流石に出来なかったようだが、脇腹に腕を畳んで割り込み、ダメージを減らすことに成功した様子。先程より威力は上がっているにもかかわらず、吹き飛ばずに踏みとどまって見せたオノノクス。今ので仕留められなかったのは相当痛い。だが怯むな、一気に畳み掛けろ!
両手に『ドラゴンクロー』を顕現させ、未だ体勢の整っていないオノノクスへと詰め寄る。その無防備な体に向けて右爪を振り下ろした。オノノクスはそれを地面に転がりなから、直撃を回避する。回転の勢いのまま立ち上がると、オノノクスもまた、両手に『ドラゴンクロー』を顕現させた。俺の『ドラゴンクロー』が緑色なのに対して、オノノクスのそれは竜気で象ったかのように漆黒に染まっている。
『ぅルァァァァァッ!!』
裂哮し、右爪を振りかぶる。それに応じるかのように、オノノクスもまた右爪を振りかぶり、互いの『ドラゴンクロー』が衝突。鍔迫り合いが起こ──らなかった。
一瞬の拮抗すらせず、俺の『ドラゴンクロー』が消滅した。
『な……!?』
信じられなかった。『かたいツメ』補正ありの、『ドラゴンクロー』だぞ?四年間鍛錬してきた、俺の腕から放たれる『ドラゴンクロー』だぞ!?なす術なし。この距離で俺にできる事は迫りくる竜爪を受け入れる事のみ。近接戦闘でもまるで歯が立たない、次元が違いすぎる。
──ならば。
『ぐ……がぁああぁ!!』
──近接戦闘を超える、
俺はオノノクスへと突っ込み、『ドラゴンクロー』の
腕を離し着陸すると、『マッハパンチ』の構えに入る。勝ち取ったチャンス、無駄にはしない──!
『ンン゛、ァァ!!』
渾身の、
──それは放った瞬間に、
見えた勝機に焦った。恐怖で勝ちを急いだ。故に力が入った、
──故に俺の拳は触れる事なく、手首をオノノクスに握り締められ、不発に終わった。
そして返しの『ドラゴンクロー』が、俺の両肩へと突き刺さった。
『が……は…………』
嗚呼、畜生、畜生。
最初に感じたのは、悔しさだった。次に感じたのは、それら全てを塗り潰すような激痛だった。無様に宙を舞い、地面に叩けつけられながら二度、三度と転がる。体から噴水のように湧き上がる血が、大地を濡らした。
『ぅ………ぁ………』
わかっていた、わかっていたのだ。心の底で、こうなることが、こうなってしまうことが。それでも諦められなかった。愚直に戦いを挑み続けた。その結果がこれだ。俺にとってこの敗北が何よりも、死よりも耐えがたい。経験したことのない出血量に、意識が朦朧としている。視界が歪み、全身に力が入らない。それは臨戦態勢を取ることを許さず、無様に這いつくばることを強制する。
──
そう、思ってしまった。一撃で獲物を屠る圧倒的攻撃力。タイプ相性があるとはいえ俺の、岩すら破壊し、丸太を土壁に一撃で埋める程の威力を持つ拳を、不完全ながらも余裕を持って二度耐えてしまう圧倒的耐久力。
──
そう、理解してしまった。努力だけでは届かない、才能の壁。生まれながらにして持った天性の
──
そう、悟ってしまった。凡人の努力の限界を、身を以て痛感した。憧憬を抱くことすら烏滸がましい、圧倒的強者の背中。
(……俺、は、死ぬ、の、か)
疑問というよりも、客観的事実だった。何も為せず、何も残さず、夢は夢のまま。有象無象と変わらず、負けられない戦いで敗北し、生涯を終える。
『……畜生』
最後にそう呟き、迫ってくるオノノクスの足音を感じながら、俺は意識を手放した。
▼
『ここまでの ぼうけんを
レポートに きろくしますか?』
『レポートを かいています
でんげんを きらないでください』
『───は しっかりと レポートに
きろくを かきのこした!』
『 はじめから
つづきから 』
▼
『…………』
奇妙な夢を、見ていた気がする。薄ぼんやりと滲む視界、気怠く、鉛のように重い全身。それらを知覚して初めて、俺は自分が生きているということに気づいた。
『ここ……は……』
──知らない天井だ。いや青空だけれども。天井なんてないけれども。こういう時のテンプレだ。そんなジョークはさておき、上空には、澄み渡る青空が広がっていた。倒れた状態から上体を起こし、俺は自分の体の傷が癒えていることに気づいた。
そしてそれと同時に、数メートル先に切り株を椅子がわりにして座っている、黒いオノノクスの存在にも気付いた。
『ひぁ───ッ』
根性で、迫り上がる悲鳴を押し留める。オノノクスは目覚めた俺を見ても襲い掛かることなく、俺をじっと見つめている。客観的に考えれば、オノノクスが俺の治療をしてくれたのだろうか。だが、どうして?
『目が覚めたか?』
思ったよりも高い声。そこで初めてこのオノノクスが
『あ……』
『そう怖がるな。お前を治したのは
いや俺の仲間ぶち殺したのアンタなんですけど。そう思うものの口が裂けてもそんなことは言えない。
『……どうして、助けたんですか』
『ほんの気まぐれだ。我をあそこまで昂らせたのは、お前が初めてだったからな。しかもそれがただのフライゴンときた。お前に興味を抱くのも、仕方あるまい』
『……恐縮です。じゃあ』
そこで言葉を切り、ゴクリと唾を飲み込む。俺の空気の変化を感じたのだろう、オノノクスの瞳に真剣さが宿った。それにやや萎縮しながらも、俺は意を決して口を開いた。
『……どうして、
何を、とは言わない。そんなこと、俺もオノノクスもわかりきっていることだからだ。極力感情を殺して告げたつもりだったが、それでも怒りは隠しきれなかった。仲間を無惨に殺されたこと、俺だけが情けをかけられて生かされたこと。
──そのことに安堵している自分がいること。
許せない。この現状の全てが気にくわない。そんな思いが、言葉尻に滲み出てしまった。
俺の問いかけに、オノノクスは退屈そうに鼻を鳴らす。
『……それに答えてやる道理はないな』
そう呟くと切り株から立ち上がり、オノノクスは俺に背を向ける。そして再び、呟いた。
『──強くなれ』
『え……』
『強くなって、我を殺しに来い。それが我がお前を生かした意味であり、これからのお前の生きる理由だ。我が憎いだろう?憎くてたまらないだろう?ならば強くなれ。それだけがお前に残された道だ』
そう言い残し、オノノクスはゆっくりと去っていった。
──『──強くなれ』───
その言葉が、頭に響いて離れない。俺はあのオノノクスに負けた。惜敗などではない、完敗した。それは俺が弱かったからだ。四年間地獄のように鍛え、強くなり、それでも負けた。
──その答えは既に、黒い竜が示していた。
『……強くなる』
口に出して、呟く。遠い昔のように感じて、それでもなお昨日のことのように思い出せる、修行を始めたあの日に立てた誓い。今後何があろうとも忘れぬようにと、自分を曲げずに済むようにと。そうだ、あまりにも愚かしい、鼻で笑い飛ばせてしまう漠然としたこの思いこそが、俺の
ならば俺は──強くなろう。一からまた、努力をしよう。
オノノクスも言っていたではないか。元より俺には、それしか残されていないのだから。
『っ──!』
気づいた時には、飛び出していた。
その背中は、すぐに見つけることができた。
『待ってください!!』
俺の呼び掛けに、黒いオノノクスの足が止まる。彼女はゆっくりと振り返ると、退屈そうな、それでいてどこか驚いたような、複雑な表情で俺を見た。
『……何だ』
『強くなれって……そう言いましたよね』
『それがなにか?』
『だったら──』
そこで言葉を切り、俺は声高に叫ぶ。
『──俺を弟子にしてくださいッ!!』
『……………………は?』
『アンタには、責任がある……!俺を生かした、責任がある!強くなれというのなら、そう望んで俺を生かしたのなら!
意味がわからない、といった様子のオノノクスに、俺は震える声で告げた。そんなの、俺だってわかってる。コイツは
──それ以上に抱くのは、
その圧倒的な強さに、美しさすら感じてしまった。強くなりたい、こうなりたいという心の叫びを無視することができなかった。
『……狂っているな、お前。我はお前の仲間を殺した復讐の対象ではないのか?』
『……そうです、その通りです。本音を言えば、今すぐにでも復讐してやりたい。でも、それはできません。
『……冗談も大概にしてくれ。我は誰かに教えるような柄じゃないし、どうしてお前に倒されるためにお前を強くせねばならない。そもそも我はお前の仲間を殺した身だ、いつ寝首を掻かれるかわかったもので』
『ごちゃごちゃ言ってないでよォッ!!!』
『っ……!?』
『──俺を強くしてみろよ、
会心の笑顔で、中指を立てて挑発。そんな俺の姿を見たオノノクスは、呆気にとられたような顔をしていた。それからしばらく互いに無言となる。重苦しい沈黙が空気を支配する。その沈黙を破ったのは。
『フフ、フハハハハハハハ!!』
オノノクスが声を上げて笑った。さも楽しそうに、嬉しそうに。
『ハハハハ! ……ハァ。笑ったのは久しぶりだよ』
いや俺と戦ってる時思っくそ笑ってましたけど。内心で呟き、俺は言葉の続きを待った。
『……お前を生かしておいて良かった。心の底からそう思った』
オノノクスが笑顔で呟く。
『……我はお前に
『……!ありがとうございます、師匠!』
『師匠はやめろ。それに敬語もだ、気持ち悪い。さっき啖呵を切って見せただろう?アレで一向に構わないから』
『……わかったよ、ありがとう、オノノクス』
そう呼ぶと、オノノクスは一瞬何かに思いを馳せるような表情をした後、ゆっくりと告げた。
『──
『え?』
『クスハ。それが我の名だ。そう呼ぶといい。わかったらついてこい』
『……あぁ。あぁ、よろしく頼む、クスハ!』
──きっと、最後の分岐点はここだった。
この選択が、今後の俺の運命を大きく歪めたのだと、今だからそう言える。
強くなると言う健気な誓いが捩れて醜く歪み。
強さの魔性に取り憑かれた