マルス物語   作:翔々

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06.メディウス打倒

 ガーネフはいった。地竜王メディウスの復活は不完全だった、と。

 

 かつてアカネイア全土を恐怖に陥れ、何万人もの魂をむさぼった邪竜は英雄アンリと七日七晩の死闘を繰り広げた末に封印された。その傷は深く、魔導軍師ガーネフをもってしても回復し切れなかったのだ。自らの眠っていたドルーアの城から離れることができず、竜の姿で現界できるのも城内のみ。

 

 もし彼が開戦当初から前線にいれば、アカネイア大陸はとっくに焦土と化していただろう。それが出来なかったためにガーネフは策謀の限りを尽くし、グルニア・マケドニア・グラを離反させて手駒にしたのである。すでにその三国が降伏し、ガーネフも葬られたいま、残っているのは地竜王メディウスのみ。

 

 地の底で暴れ狂う巨竜達の祭典。

 

 敵の本拠地は恐ろしい数の邪竜が徘徊し、ガーネフの薫陶を受けた闇の魔道士達が遠距離から呪いを飛ばしてくる、地獄のような戦場だった。兵の数が強みにならず、包囲戦も意味がないと判断したマルスは、精鋭部隊による短期決戦を選択。ただちに各国の軍から選別して送り込む。

 

 『聖剣』メリクルソードを振るう、アカネイアの勇者アストリア。

 

 『炎の弓』パルティアを持つのは、同じくアカネイアのスナイパー・ジョルジュ。

 

 『神槍』グラディウスを片手に勇ましく突撃するオレルアン王弟ハーディン。

 

 ガトーから譲られたスターライトでガーネフに引導を渡したリンダに、風の究極たるエクスカリバーを操るマリク、神竜族のチキなど、いずれも一騎当千の英雄達がひるむことなく障害を排除していく。

 

 彼らの活躍の裏で、ひっそりと、しかし確実に役割を果たす影達の姿があった。

 

(まさか、ただの盗賊でしかない俺がこんなところまで来るなんてな)

 

 ドルーアの城のいたるところに仕掛けられたトラップは、亡きガーネフの残した嫌がらせか。どこに潜んでいるかもわからない敵をやり過ごし、あるいは排除しながら、突入部隊がスムーズに進められるように罠を解除して回る。真っ当に戦うほうがよっぽど楽ではないかと思ってしまうくらいには、ジュリアン達の負担は重い。

 

「うわわわっ!」

 

 間の抜けた悲鳴をあげたリカードが尻もちをついて転がった。頭のあった位置をデビルアクスの横薙ぎが走り、ざっくりと切られた青髪が宙を舞う。

 

 顔を青くしたリカードが、ばたばたと転がって逃げようとする。猛追しかけた敵が、背後から唐竹割りに両断された。

 

「ふう。大丈夫かぁ、リカード」

 

 盛大に上がった血しぶきを全身に浴びながら、海賊ダロスが大きく息を吐いた。手に握られた勇者の斧が、生き血を啜って鈍く輝いているように見える。霊感など持たないはずのジュリアンが幻視するほどに、ドルーアの居城はおぞましい空気に包まれていた。

 

「た、助かったぜダロス! ありがとな!」

「いいんだぁ。なんたって、マルス王子の頼みだもんな。俺達みたいな、世間からのはみだし者を信じて一緒に戦おうなんていってくれたんだもの。ここでおしまいなら、俺達みんなで生きて帰りてぇよ」

「お前、こわもての癖に良いこというなぁ……よっしゃ、次だ! 次に行くぞ!」

 

 ダロスの手を借りてリカードが起き上がる。次の部屋に向けて颯爽と駆け出していくふたりに続きながら、ジュリアンは胸の内で呟く。

 

(……ここでおしまい、か。本当にそうなのか?)

 

 ドルーアの居城を目前にして、マルスは全軍に宣言した。これが最後の戦いになると。多くの命を奪い、故郷を踏みにじった悪竜を今度こそ滅ぼすのだと。皆がその言葉を信じて、気力を振り絞るように死力を尽くしている。ジュリアンもそうだった。

 

 だが、違和感を覚えるのだ。

 

 誰もが戦意に燃えて沸き立つ中で、自ら宣言したマルスの顔が、ジュリアンには氷の彫像めいて見えた。後に待つ災いを案じて、心ここにあらずといった様子の少年はジュリアンの視線に気づくと、すぐに首を振ってみせた。気にするな、という合図だろう。

 

(違うんじゃないか?)

 

 この戦いでは終わらないのかもしれない。

 

 数多の英雄が散っていったこれまでの死闘は、別の戦いに繋がるだけの前哨戦に過ぎないのか。自分の主君は、冷徹な思考の果てにその未来を見透かしてしまい、ひとり案じていたのではないか。

 

(なら、自分はどうする?)

 

 悩むことはない。いままでどおり、マルスの力になればいい。それは変わらない。問題はそのうえで、どう役立ってみせるのかだ。主が望むものを調達する。戦争に備えて地図を集めたように、政治に必要なものを揃えるのか。戦後にマルスから指示が下されるかもしれない。それを待とう。

 

 地響きとともに、耳をつんざく咆哮が轟いた。100年の時を経て、地竜王メディウスが宿敵の子孫と対峙したのだ。伝説の再来のような死闘が繰り広げられるのは間違いない。だが、ジュリアンにはひとつだけ確信の持てる事実があった。

 

 マルスは勝つのだ。当然のように。

 


 

「皆、これまでの苦難を乗り越え、よくぞ力を尽くしてくれました。今宵のひと時ばかりは、失われた者達も許してくれましょう――――アカネイアに、栄光あれ!」

「ははっ!」

 

 アカネイア同盟軍は戦勝に沸いていた。地竜王メディウスを滅ぼしたおかげか、ドルーアの地に渦巻いていた陰鬱な気も薄れて、久方ぶりに爽快な空気を吸えたのもあるだろう。それぞれの論功行賞を終えたいま、主だった面々の集まった陣幕では宴が開かれていた。

 

 集う者すべての顔が歓喜に染まっている。日頃は衝突しがちな相手とも肩を組んで談笑し、なみなみと注がれた美酒を酌み交わす。武人の堅物として知られるトムスやミシェランといった将軍達の顔もめずらしく朱に染まっていた。

 

 あまりにも長い苦難の道のりだった。親しい者を失い、故郷を踏みにじられ、何度血反吐を吐いたかもわからない。その日々もようやく終わったのだと、理性と本能が実感しつつあるのだ。

 

「いやあ、めでたい! 今宵はめでたい日になりますなぁ、マルス殿!」

「はい、実に喜ばしいことです」

 

 赤ら顔を緩ませながら絡んでくるアカネイア貴族を適当にいなしながら、マルスは赤ワインをちびりと舐めた。乏しい物資をやりくりしてきたのが嘘のような上等品である。

 

(……酔う気にもならないな)

 

 ニーナがホストを務めるこの宴において、マルスは不本意ながらVIP待遇のゲストに位置づけされてしまっていた。

 

 メディウスとの決戦は、精鋭部隊に選んだ全員総出の死闘となった。敵のブレスを神竜族のチキが相殺する中、アストリアやジョルジュ、ハーディンが三種の神器で猛攻をかけ、他の者も少しずつダメージを蓄積させていく。いつ終わるともしれない攻防の果て、抵抗もままならなくなった邪竜に最後の一撃を加えたのがマルスだった、それだけのことである。

 

 あの時の自分は無我夢中だった。とどめを狙ったつもりもなければ、美味しいところを持っていこうと欲をかいた覚えもない。誰が引導を渡しても不思議ではなかった。すべては天の巡りあわせだったのだ。

 

(僕にこの居心地の悪さを味わわせるために耐えたんじゃないだろうな、あいつ)

 

 勿論、そんなことを口に出すつもりはない。せっかくの宴に水をさしてしまう。いまのマルスにできるのは、柔和な笑みを浮かべながら適当に相槌を打つだけである。

 

 状況が一変したのは、アカネイア貴族の口にした一言がきっかけだった。

 

「いやいや、まったく素晴らしい! かつて王家を救った矛は、まるで錆びついてなどおらん! 数多の戦を勝ち続けた采配もさりながら、武まで極みにあられたとは!」

 

 この男も必死である。グルニア攻略後にマルスへ難癖をつけたことがニーナにも伝わり、派閥内での立場が悪化しつつあったのだ。そこにきて、当の相手が宿敵メディウスにとどめを刺すという大手柄を挙げたものだから、いよいよ危ういことになっている。こうなってしまっては、おべっかでも腰巾着でもいいから関係を改善しなくてはならない。酒の勢いも手伝って、アカネイア貴族として最大級の賞賛を送ることに何のためらいもなかった。

 

「マルス王子は、まさしくアンリの再来! アカネイアの矛の異名にふさわしき英雄であられますなぁ!!」

 

 破砕音が響き渡った。

 

 ぎょっとした参加者一同が視線を向ける先には、尻もちをついて失禁したまま気絶したアカネイア貴族と、いっさいの感情を消し去った顔で自らの手を眺めるマルスの姿があった。グラスだった杯を握りつぶしたらしい。不吉なほどにドス黒い赤ワインの液体と、マルスの掌から流れ落ちる血が混ざりあってしたたり落ちる中を、キラキラと光る結晶が星のようにまたたいている。

 

(やってしまった)

 

 目の前の男の言葉が、マルスの怒りを極限まで刺激したのだった。メディウスにぶつけた殺意と同じか、それ以上の熱量が自身の内側に一瞬で発生し、間近にいた男に残らずぶつけられたのだ。ろくに剣も握ったことのない小心者には耐えがたい恐怖だったのだろう。死ななかったのが不幸中の幸いである。

 

 英雄アンリになぞらえた賞賛。普通なら問題はない。大陸に生きる戦士にとって、これ以上ない栄誉といえる。だが、時と場所がまずかった。この宴の場で、よりにもよって子孫のマルスに向ける賞賛ではなかった。

 


 

 パレス奪還前後から、同盟軍内では戦後を見据えた政治戦略が話し合われるようになっていた。中でも大きな話題になったのは、滅亡したアカネイア王国にたったひとり残された王女ニーナの婿である。その座に位置する者は、アカネイア大陸を統べる王に他ならない。

 

 誰を次の王にするべきか? 敵国を次々と従えていく間に、議論はいよいよ加熱していった。有力なアカネイア貴族の名前が幾つも挙がっては却下され、ならばと彼らの支持する各国の生き残った王族が候補となり、ニーナ本人の意思を置き去りにしていく。

 

 マルスにとっては不本意なことに、その婿候補に彼の名前が上がっていたのだ。冗談ではない。シーダという互いに好いた存在がいる上に、滅亡した故郷の復興という大仕事を控えた身で大陸全土の責任を背負うなど、断じて御免である。そこまで面倒見切れるか、と叫びたいのが本音だった。

 

 だからこそ自らの武功は控えるようにしていたのである。グラ国王ジオルを自らの手で討ったのは、3年以上も離れた祖国の人々に自分の存在をアピールするのに必要だったからだ。先王コーネリアスに勝るとも劣らぬ武人が仇をとったのだと喧伝すれば、アリティアに戻ったときの統治がスムーズに進む。そう考えての調整に過ぎない。それ以上の武功は、余計な荷物にしかならなかった。

 

 グルニアのカミュ、マケドニアのミシェイルとも剣は交えていない。他の大将格も自分以外の武官に討たせた。将の将、軍略における戦果にとどめたのは、同盟軍内の武功をコントロールするためである。そこまでは上手くいっていた。

 

 よりにもよって、メディウスの首を取るなどという最大級の手柄を立ててしまったのが計算外だった。すべての手札を晒し尽くし、命懸けの攻防で真っ白になった意識が我に返ると、握っていたはずのファルシオンが邪竜の脳天を深々と貫いていたのだ。しまった、と思ったときには遅かった。大歓声の中でチキが抱き着き、シーダが肩を支え、名だたる武官達が切っ先を掲げて勝利を宣言していた。どう取り繕うこともできないまま、祝いの席に連れ込まれたのが現状である。

 

 アンリの子孫が同じくメディウスを討ち果たす。まるで100年前の英雄譚を再現したストーリーに、人々は心を躍らせるだろう。戦乱で傷ついた人心を癒やすには格好の題材である。

 

 必然、歴史の悲恋にも触れることになる。

 

(それが嫌だから伏せさせてきたのに)

 

 足元に横たわる男は、100年前の先祖のように、マルスがニーナと恋に落ちるといったも同然なのである。

 

 従者が仕えるべき主君を恋慕するなど不敬の極みであり、断じて許されることではない。先祖のアンリは、身分違いで報われぬ悲恋を甘んじて受け入れた。従属国の王の地位とひきかえに、けして主に懸想しないと身を立てたのだ。

 

 アンリにそうさせたのは、他でもないアカネイアの貴族達だった。彼らにとって青い血の流れない者はすべて等しく下等である。そんな矮小な存在が自分達を統べるなど、断じて許せない。そのために同じ貴族のカルタス伯を神輿にかついでアルテミスと結ばせたのだ。

 

 だが、それも100年前の過去である。マルスは亡びた従属国とはいえ、100年の長きに渡ってアカネイアを支えたアリティアの王族であり、名も無き民ではない。おまけに同盟軍での功績があまりにも大きすぎた。諸々を考慮すれば、ニーナの婿としての資格は十分にある。なによりも、かつての悲恋が一世紀の時を越えて美談に変わるのである。これほど人々の心を掴むものはないと思われた。

 

 当初は猛反対していた貴族達が意見を翻すようになったことを、当然マルスも知っている。グラ攻略のあたりから自分に媚びを売りだした原因はこれかと呆れたが、段々と洒落にならなくなったために頭を抱えてしまう。

 

 いまはそれどころではない、縁談にはいっさい興味が無いとアピールするために、自分から発言することを慎んできた。大勢の耳目が集まる場においては控えてほしいと、相手の貴族にも配慮を求めてきたのだ。涙ぐましいまでの気遣いがようやく実り、これまで公の場で話されることはなかった。

 

 それをこの男は、ものの見事に台無しにしてくれた。絶望的な戦力差と物資の窮乏にあえぎながらの戦いと同時に、やりたくもない政治意識のコントロールまで負担させられた労力を、たった一言で無に帰されたのである。どれだけのストレスが溜め込まれていたのか、想像するのも恐ろしい。掌からあふれ出す血の熱さが、怒りの熱量を露わにしていた。

 


 

 めでたい宴席を一瞬で凍り付かせた主賓は、血に染まった掌をナプキンで覆いながらニーナへ深々と一礼してみせた。

 

「大変失礼しました。騒がせてしまい、まことに申し訳ありません」

「……なにか、気にかかるようなことが?」

「恐れながら」

 

 懐に忍ばせた紙をちらりとのぞかせる。宴の前にジュリアンから上げられた報告書である。

 

「戦勝を祝う席にふさわしくないと控えていたのですが。私の故国アリティアの地にて、グラやガーネフの残党が賊徒となって略奪を繰り返しているという訴えが届いたのです」

「!」

 

 ニーナの顔が驚愕に染まった。敵の本拠地を制圧した喜びで、占領地の治安についての配慮が抜けきっていたのだろうか。もしくは、悪い話を耳に入れないように”配慮”する周囲の手によるものか。内心の冷え切った心を隠しながら、マルスは続ける。

 

「メディウスとの死闘に傷ついた我々を労わってくださるニーナ殿下のお心に、我ら感謝の言葉もございません。しかしながら、頼るべき主を失ったままに日々を送り、いまも暴威にさらされる民を思うと、己が憤りを抑えきれなかったのです」

 

 全ての視線を一身に集めながら、マルスは宴の中心に片膝をついた。眼前のニーナへと騎士の礼を捧げ、声を張り上げる。

 

「つきましては、ここにお願い申し上げます。我々アリティア騎士団一同、旧領にはびこる残党どもの一掃に向かわせていただきたい! これらの賊徒鎮圧の報をもって、ニーナ王女への祝賀とさせていただく所存にございます!」

 

 覇気は尽きない。神剣ファルシオンを片手にメディウスと渡り合った少年は、堂々たる口上をもってその威を示してみせた。

 

 本来であれば、とてつもない無礼ではある。だが、これまでのマルスの献身に加えて、宿敵に勝利してなお民のことを思う少年の姿は、ニーナの心を強く打った。

 

「あなたには、苦労をかけてばかりですね」

「……」

「行きなさい、マルス王子。あなたの国へ。そして、主を待つ人々に、今度こそ平穏を与えてください」

「はっ! 失礼いたします!」

 

 マルスが颯爽と退出する。その背を見送る人々の心は、十人十色に様々だった。

 

 最後までなびかせることができずに腹を立てる者。

 

 アンリの再来を想起させるほどの武力に恐怖する者。

 

 ただ純粋に、少年の切り開く未来に期待する者。

 

 

 

(――――そうか。そうなのか)

 

 

 

 誰にも知られず、安堵する男がいた。

 

(マルス王子、お前は降りた。それで良いのだな?)

 

 メディウス打倒。神剣ファルシオンでもってそれを成し遂げた少年の功は大きい。たとえ多くの助力があったからとはいえ、最後に討ち取った者の手柄になるのは当然である。身分の壁を越えるのも、今回ばかりは許される。100年の時を経て、歴史の悲恋が覆されるのではないか。そんな噂が広まりつつあった。

 

 だが、当のマルスがいま、自らの行動でもって縁組を拒絶した。アカネイア王家との密接な繋がりを捨てて、先祖アンリの愛したアリティアへの帰還を望んだのである。ニーナもそれを受け入れた。マルスを婿に取ることを、彼女自身も否定したのだ。

 

 それは、マルスに次ぐ有力者の婿入りが決定的となったことを意味する。

 

(ならば俺がいただくぞ。ニーナの愛と、アカネイアのすべてを)

 

 オレルアン王弟ハーディン。

 

 彼の秘めたる野望が叶う瞬間であった。

 

 

 

 なお、ここに捕捉する。彼の先祖こと初代オレルアン王マーロン伯は、アカネイア王国を継承したカルタス伯の弟である。

 

 直系のニーナ。

 

 傍系のマルスとハーディン。

 

 世紀を超えた三家の因縁がここに結実し、二年後の大乱を招くと見通せた者は、果たして存在するだろうか。あるいはガーネフなら可能だったかもしれない。その肉体は塵となり、魂は冥府に納まることなく地上をさまよい続ける。稀代の策謀家が狙うにはうってつけの火種であった。

 

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