ガリガリと精神力が削られていきます。
時間は少し進んで6月も終盤。制服もとっくの昔に夏服に変わり、新鮮さも薄れつつあり、あと2、3週もすれば期末試験が始まるという時期。僕と奏、それに操緒は、杏との予てからの約束である勉強会の開催地に歩いて向かっていた。
『あ~、あづい~』
勉強会をやる際に一番の問題は、勉強会を行う場所だった。図書館とか学校でやればいいと僕は思っていたのだけれど、学校は部活動などの理由ではないため休日は使用不可。解放されている教室もあるにはあったけど、主に受験生に向けての解放なので僕たち一年生が使えるわけもない。それなら、と思って図書館に訊ねてみたところ、自習室とか個室は既に予約でいっぱい。勉強会を行う際にどうしても会話は必要であり、一般の人も多く来ている普通の場所では周囲の人に迷惑がかかる可能性がある、とのことで却下。
「……お前が暑いわけないだろうが……」
『そんなこと言われても、暑いものは暑いんだから仕方ないじゃない……』
ならば、誰かの家に集まってやればいいんじゃないかということになったのだけど、僕の家は狭いから駄目。奏の家は…………まぁ、広いけど中学生が簡単に出入りすることができる雰囲気ではないだろう――僕とか橘高姉妹みたいな関係者は別。その辺りの理由を説明するのは非常に面倒だったけど、今の時期にばれると色々問題が起きてしまう可能性が高いので、適当な理由を言って誤魔化しておいた。
それで、色々相談した結果、言い出しっぺの杏の家で開催するということになったのだ。
「奏は大丈夫……?」
「はい、熱いのは慣れてます、から……」
≪……なんか、“あつい”のニュアンスが違う気もするけど……まぁいいや≫
参加人数は、杏は勿論、頼まれた(脅された?)僕と奏、それに樋口とか杏の友達を加えた6人。本当は、もっと参加したいと言ってたらしい――大半が男子だった―けど、7人以上じゃまともに勉強できるほどの広さが確保できないため、その人数に杏が絞ったとのこと。
選考基準は単純で、前回のテストの点が低かった順。分かりやすい数値が出ていることもあり、幸いにも特に大きな反対も起きなかった。ちなみに、樋口がいるのはただ単にあいつが面白そう?だからというのと、教える役がもう1人は欲しいという僕と奏からのお願いが重なった結果だったりする。……珍しく樋口が男子から殺意の眼差しを向けられていたけれど。本人が気にしていないから別に良いかとも思う。
「……もうちょっとで着くはず……」
僕の家からだと、そんなに杏の家は遠い訳ではないから会場としても特に問題はないはずだったのだ。だけど、不幸にも6月だというのに、今日の気温は30℃越え、しかも、最高気温は36℃だそうだ。まだ午前中だから多少マシだけど、それでも暑い。しかも、梅雨入りが遅かったせいか、まだ梅雨が明けたという情報が入っておらず、非常に蒸し暑い。いっそ雨でも降ってくれればまだ幾らか涼しいと思うのだが、天気は雲一つない見事過ぎる日本晴れ。ただ歩いているだけでも頬を汗が伝い、地面に落ちて行く。シャツや下着の内側も汗があるせいでベトベト。非常に気持ち悪い。
『ねえ、なんで、自転車にしなかったの……?』
「……止める場所がないんだからしょうがないだろ……」
幽霊――というか射影体――なのだから、温度など関係ないだろうに散々愚痴を言ってくる操緒を適当に受け流しながら、奏と2人で杏の家に向けて歩き続ける。確かに、最初は操緒の言うように自転車にしようかという案は有った。ただ、前回の大原家の事情を知っている身としては賛成しかねるのだ。大原家は前回の世界では酒屋を営んでおり、きっとこの世界でも同じだろう。そして、それが同じなら前回の様に幾つもの自転車を止めるほどのスペースはないはずだ。
奏は遠いから自転車でも良いと言ったのだけど、
「これも、体力づくりの一環、です」
とのことらしく歩いて向かうことになっている。……そんなに体力がない訳じゃないと思うんだけどなぁ?
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「やぁやぁ、いらっしゃい。さささ、上がって上がって」
あの後5分ぐらい歩いてようやく到着した大原家(酒屋)は以前の世界と変わらず営業していた。
「お邪魔します」
『お邪魔しま~す』
「失礼します」
入口の所で会った大原父と大原母に挨拶をしつつ、大原家にお邪魔する。親交の深かった彼ら家族に会うと、何とも言えない感慨深さがあるけれど、それは顔に出さないように努力しながら会話する。その際に、
「あら、あなたが杏の言ってた夏目くん……?
ふ~む……これはこれで、意外と……」
「あ、あの……?」
「お母さん!!」
なんて言う会話があったり、
「嵩月って言うと……嵩月組の?」
「は、はい」
「ああ、以前どこかで会ったことがあると思った」
「あ、あの」
「まぁ安心しな、特に誰かに言うつもりはないから」
「あ、ありがとうございます」
なんていう裏話の会話があったりした。嵩月組は大原酒店のお得意様だそうで、その繋がりから分かったようだ。まぁ、大原父ならあの人たちとも渡り合えるだろうから、驚きよりもむしろ納得がいく会話だ。
「ほら早く早く!
夏目くんとカナちゃんが最後なんだから」
『私もいるんだけどな~』
操緒の言葉に苦笑しながらも、杏に急かされ部屋に入る。そこには、既に3人の人間が来ており、ノートや教科書を広げながら話していた。人数は女子が2人に男子が1人。要するに、樋口と杏の友達だ。かといって、樋口が隅の方で居心地が悪そうに縮こまっているという訳では無く、
「それで、振り向いて後ろを見たんだ……けど、誰もいない」
「「ゴク」」
嬉々として怪談を女子2人に話していた。相手の方も相手の方で、すっかり樋口の世界に引き込まれており、こっちには気付いていないようだ。なにもこんな明るい時間からそんな話をしなくても……
「だけど、いつまで経っても、その足音が遠ざからない。自分が止まれば足音も止まる、歩き出すと足音もついて来る。 走れば足音も走る、どれだけ道を変えてもついて来る」
外見が整っている分他の男子に比べて樋口は目立つ。そして、それは大抵が好意的な意味だ。まぁ、何が言いたいかというと、こんな場所で突然怪談を話しだした場合に、一般的な容姿の男子生徒よりは樋口の方がまだひかれる可能性が低いのだ。で、樋口は語り方も上手い。気付けば樋口の世界に引き込まれていたりする。
まぁ、佐伯妹とか朱浬さんだったら容赦なくその世界をぶち壊すのだが……
「それで、ベッドの下を覗き込むと……」
気付けば怪談も佳境に入っていた。
「「ううう」」
半ば泣き出しかけている面々すらいる始末。僕は前に聞いたことがあるから――前の世界ではなく今の世界で――オチも知っているので、特別怖い訳でもない。
……まぁ初めて聞いた時、それなりに驚くところがあったのは事実だけど……
「ガツガツと赤ん坊の血肉を貪っている妹の姿が……!!」
「「ギャー!!」」
一段落ついたらしく、いかにも『やりきったぜ』とでもいうかのような表情になる樋口。こっちとしては、なにもそんな長い話をしなくてもという気分だ。
捜索2時間、語りに1時間
そんなどうでもいい情報を聞かされた時の記憶が蘇ってくる。
『う~ん、語りは良いんだけど、内容がちょっと薄い?
もうちょっと二転三転しても良かったかもしれない』
操緒は操緒で、何故かさっきまでの怪談の評価をしていたりする。幽霊が怪談を評価するっていうのもどうなんだろうと、少し疑問に思ったり。
「お茶、淹れてきました」
奏は荷物を置いてすぐにキッチンの方へ向かったようで、手にはお茶とお茶菓子を載せたお盆を持っていた。
「あれ?何で嵩月がそんなことしてるの……?」
普通だったら、大原家の住人である杏とか大原母とかがやってそうなものだけど……
「あの、杏ちゃんは、怪談を聞いてて、お母さんは、忙しそうだった、ので……」
「ちゃんと、許可はとりました」そう言って、テーブルの上にそれらを並べ始める奏。別に奏がやらなくても良いような気はするのだが、まぁ、奏らしいと言えばそれまでか。
「迷惑、でしたか……?」
空いたお盆を腕で抱きしめ、どこか捨てられた子犬や、子猫を連想させるような雰囲気になる奏。
「い、いや、迷惑とかそんなんじゃないよ……!!」
「良かった」
そう言って、不安そうな顔から一転して笑顔になる奏。
「う」
なんか、今の奏の笑顔を見て頭の中がすごいことになった気がする。勿論、良い方向で。
「あー!!ごめん、カナちゃん!!」
奏がやっていた配膳作業に気づいた杏が急いで、自分も手伝いに入る。とはいっても、元々そんなに量があるわけでもないのだから作業自体はすぐに終わる。全員の前に飲み物が行き渡り、教科書やらノートなどの勉強道具も広げられた。
ちなみに、長方形の机で席順は僕の隣は奏、向かいは杏の友達が2人、杏は僕の右斜め前、樋口は奏の左斜め前だ。
「じゃあ、飲み物とかも行き渡ったし、始めましょう!!基本は自力で。
分からない所があったら遠慮なく聞き合って理解を深めていきましょう!!
……それで、さっそく何ですが夏目くん……ここの問題を教えていただけないでしょうか……」
「ああ、うん、どこどこ?」
そう杏が飲み会の挨拶?みたいになっているけど宣言し、それぞれ教科書とかノートに向かい始めた。僕と杏は、一先ず杏の分からなかった数学の問題に挑戦しているけど……
「だから、xにさっきの答えを代入して……」
「代入って何?」
「…………えっと、代入って言うのは」
だとか、
「じゃあ、グラフを書いて見た方が良いよ。その方が分かりやすいだろうから」
「うん、分かった!!」
「って、違う!!それは反比例!!」
等々、色々と前途多難だということが判明した。まず、基本が理解できていないのと、公式をほとんど覚えていないこと。それ以外にも色々あるのだけど、その二つが主。なので、テストまでに必要な所を纏めて、一気に覚えてもらうことにした。
幸い、まだそんなに公式とかの数が多い訳では無かったから手の施しようがあった。これが、3年の今頃だったら、死んでたかもしれない……なんか、前の世界よりも杏の成績が酷いことになってる気がするのは僕の気のせいなのだろうか……
「じゃあ、次は英語をお願いします」
「……うん……」
ここまでで既に1時間以上経過している。他の女子2人は奏と(何だかんだで)樋口が見てくれており、何とか成り立っている。奏は説明があまり得意ではないからどうなるか不安だったけど、以外にも樋口が意を酌んで説明に協力しているので、何とかなるだろう。
・
・
・
そんなふうに、わいわいと、やかましくも楽しく勉強会を進めていた中で、ふと、
ポロ
僕の消しゴムが杏の手に弾かれて机の下に落ちてしまった。まぁ、良くあることだし特別思うことはない。
サッサと拾ってしまおう
そう思って、身を屈め、机の下に手を伸ばす。その時だった、
「「あ!!」」
横から手がもう1本伸びてきて消しゴムを取る直前でぶつかり合った。
「あ~、ごめん」
「う、ううん。いいのいいの」
杏が咄嗟に手を引っ込めたので、つられて僕も手を引っ込めそうになったけど、まだ拾ってなかったと思いだして、消しゴムを拾い直した。そうして、体を元に戻すと、
「…………?…………」
何故かその場にいる他の面々から微妙な視線を向けられた。
樋口からは、「……智春……お前って……」等という呆れ気味な視線。杏からは、
チラ、チラ
と、何故か顔を朱に染めながら妙に僕の方を意識した視線を向けられる。女子2人からは、「キャーキャー」と、何故か黄色い視線が僕と杏の2人へ。操緒からは、『……トモ……』と、やたら低い声音をのせた絶対零度の視線。
……で、見たくないけど、僕の左隣に座っておられる奏さん。もう、なんか雰囲気だけでも人が殺せるんじゃないかってぐらい。操緒の視線が絶対零度なら、奏の視線は八寒地獄の
………いつ鳳島一族に変わったのでしょうか嵩月さん……?
ギリギリ
と、首を動かして視線をそちらに向けると、
「どうかしたんですか?夏目くん……」
柔らかな口調でそう僕に語りかけてくる奏さん。逆に、凄い怖い。
表情も、見た目は普段通りだけど、それなりに付き合いのある人間だったら分かる。
あれは怒りで顔が固まっているのだと
いつだったか、間違えてアニアのベッドに潜り込んでしまった時の奏に近いけど、あれ以上だ。
「イエ、ナンデモアリマセン」
だけど、僕には原因が分からない。なんとなく、さっきの行動が問題だというのは分かるけど、それが何故なのかまで分からない。
「…………………………………」
とりあえず、今は気にしないようにして――出来ないけど――勉強に集中することにしよう。
・
・
・
そうして再開した勉強会だけど、中々空気が元に戻らず凄く大変だった。操緒と奏からは怒っている雰囲気が常に感じられるし、杏たちからは妙に期待感に満ちた視線を向けられたから。唯一樋口だけが、多少なりとも心配の視線を向けてくれたけど焼け石に水だ。僕の両隣と頭上が原因なのだから。
まぁ、なんとか杏に教えないといけないものが教えられたのは良かったのだろう。
後で結果を聞いたら、ノルマは達成できたと言っていたからおそらく効果は有ったのだ。
「今度何かお礼するね」
と、僕に言ってきたけど丁重に断っておいた。そんなものが欲しくて参加した訳じゃないし、杏と(まだ前の世界ほどじゃないけど)それなりに仲良くなれたのだから。
P.S
操緒の機嫌は、僕が1週間あいつの愚痴を延々聞くということでなんとか解消された。
奏の機嫌は、夏休みに海に一緒に行くという約束で、なんとかある程度まで戻った。
………………凄く疲れた