まぁ、特別大きな変化があるわけでもないので気にしないでいいとは思いますが。
一抹の不安を残しながらも終わった会合。
その5日後、僕と奏、それに橘高道場の面々は同じ県内のとある山に来ていた。
山といっても、家族連れでキャンプに来たり、登山客で賑わっているような有名な山ではない。
むしろ、本来であれば立ち入り禁止となっているであろう不気味な山だ。
木が鬱蒼と生い茂り、山の中でも木が密集している所に行けば、昼が夜になる。
とはいえ、山の全部がそうなっているわけではない。
ちゃんと川は流れているし、木々が生えていない部分だって存在する。
僕たちが寝泊まりする山小屋――コテージほどではないが、それでも大きい――は、そんな山の中にポッカリと空いた穴みたいな場所にあった。
川が近くに流れており、鬱蒼とした山の森の中とは逆に日の光が射しこみ、水面は光を反射して輝いている。
澄み切った川の中には、魚たちが元気に泳ぎ回っている様子が川岸からも見て取れる。
流れも穏やかだし、水深も浅いところが多く水遊びにはちょうど良い。
「……さて、開けるぞ」
「ゴク」
そんな不気味の中に感じる穏やかな山の自然とは裏腹に、僕たち橘高道場一行(+奏)は緊迫した雰囲気に包まれていた。
珍しく緊張した様子の秋希さんが扉の鍵を開け、ドアノブに手をかける。
誰かが唾を飲み込んだような音が聞こえてくる。
それだけ緊張しているのだろう。
それもそのはず、
「うー」
「ほら、嵩月も落ち着いて。
大丈夫だから」
「……ほんと、ですか?」
「……多分……」
去年の使用状況と、使用後の後片付けの顛末を聞く限り、50%以上の確率で“あれ”が大量発生している、という結論が事前準備の際に出されたからだ。
市内であれば、ほぼ100%発生していただろうが、幸いにもここは人里離れた山奥。
少しは発生していないんじゃないかという希望が持てる。
……ほとんど、無いに等しい希望だけど……
「……秋希、慎重にね……」
「わ、分かっている」
扉を開けようとしている秋希さんもいつもと違って、テンションが少しおかしい。
そんな彼女に、塔貴也さんが声をかけ、焦った勢いで飛びこまないように注意している。
「……冬琉、お前はなんで冬櫻なんて構えてるんだ……?」
「ね、念のためよ。
そう、念のため……!?」
「俺に聞いてどうする……」
冬琉さんは、八條さんのとなりで愛刀の冬櫻を構えている。
それを見て呆れる八條さん。
この面子の中では、一番落ち着いているんじゃないだろうか。
『……私が先に見てこようか……?』
僕の後ろで脅えている奏を見かねたのか、操緒が僕に提案してくるが、
「……出来るならとっくに頼んでるよ……」
『……う……!!』
そう指摘すると奏を心配していた顔を曇り顔に一転させる。
触れられたり、(多分)向こうが気付かないから実害がないとはいえ、流石に“あれ”は嫌らしい。
まぁ、あれの恐怖は食料に対する実害よりも、生理的な嫌悪感の方が多いから仕方ないとは思うけど……
僕も、奏や朱浬さんたちほどではないけれど苦手だ。
食用の“あれ”も世界にはいるらしいが、失礼だとは思うけど、食べている人の頭がおかしく思えてしまう。
「……いくぞ……」
覚悟が決まったのか、鍵を開け、秋希さんが手をかけていたドアノブを回し、
ガチャ
そっと、扉を押しこむ。
瞬間、
ズザァァァッ!!
「「「「「「『……………………』」」」」」」
何か、黒光りした群体が、動いた、気が……した。
扉を開けようとした秋希さんの手が途中で止まり、固まってしまっている。
その後ろにいる塔貴也さんはいつも通りの胡散臭い程の爽やかスマイルだけど、ちょっと冷や汗が見える。
冬琉さんは、泣きそうな表情になりながら構えた冬櫻を使って今にも山小屋を切り崩そうとしている。
そんな彼女を後ろから羽交い絞めにして、必死に止めている八條さん。
力は彼の方が強いから、任せておいても大丈夫だと思いたい。
僕はといえば、今にも泣き出して周囲一帯を焼き尽くし出しそうな奏を操緒と一緒に必死に宥めている。
山火事を起こすわけにはいかない。
そんな混沌とした状況の中、
ガチャ
秋希さんが開こうとしていた扉を手元に引き寄せて閉めなおした。
爆発しかけていた場の空気が一端停止する。
そしてその場にいる全員の視線を一身に受けながら、持っていた鍵を後ろの塔貴也さんに渡し、
「じゃあ塔貴也、後は任せた」
「……了解」
全てを自分の彼氏に放り投げた。
その言葉に特別反対する訳でもなく、塔貴也さんは鍵を受け取り、持ってきた荷物を漁りだす。
そんな彼を視界の端に捉えながら、
「よし、中のことと荷物は塔貴也に任せて、私たちは私たちで他の準備をするぞ」
そう言って、小屋に背を向けて川の方に歩きだす秋希さん。
そして、そんな姉に当然のようについて行く冬琉さんと、羽交い絞めを解き自分の得物を持って2人を追いかける八條さん。
「い、いいんですか……?」
自然とそんな言葉が漏れる。
あまりにも薄情なのではないだろうか?
「いいんだよ。
適材適所、だ。
あいつが付いてきてもあいつにはやることはないが、ここならやることはあるしな」
「やることって言っても……」
そう言われても、塔貴也さん1人にあの大群の対処を任せて良いものだろうか?
例え彼が以前の世界で“ジョニーさん”の形の疑似感覚入出力デバイスを使っていたとしても流石に大群はきついと思うのだけれど……
そんな風に悩んでる僕。
そんな僕の視線が塔貴也さんの方に向いた。
いや、向いてしまった。
そこでは、嬉々として鞄の中から厳重に密封された容器をとりだす塔貴也さんの姿が。
そして、その密封された容器の中身は、
『うげっ!!』
「き、きゃああああああああああああああーーっ!!」
容器一杯の“ジョニーさん”
正式には、昆虫綱・網翅目・ゴキブリ亜目――ゴキブリ
見るだけで、背筋が寒くなってくる。
奏は、いつかのように耳をつんざく絶叫を上げて、僕にしがみついてきた。
遠慮無しに、ものすごい力で抱きしめられる。
以前ほど苦しくはなかったけれど、それでもそれなりに苦しかったりする。
安心させる為に、僕の胸の内に顔を埋め震えている奏の背中に手を回しながら、頭を撫でてあげる。
そのお陰か、体の震えは徐々に治まってきているし、血の気をなくしたような肌の色も元の健康的な色に戻りつつある。
それでも、
「……ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい…………………」
またもや壊れた人形のようになって謝り続けている奏。
よっぽど嫌な事があったのだろう。
理由は分からない。
こんな状態に奏がなるのだから聞くに聞けない。
一先ず、奏を慰める。
そのまま、極力奏の体温だとか、胸の感触だとか、操緒の少々厳しい視線を気にしないようにしながら、嫌悪感を丸出しにして塔貴也さんに話しかける。
「……なんですか、それ……?」
「うん?
ああ、これはね」
そう言いながら塔貴也さんは容器を開け、特に抵抗もなく中に入っているうちの1匹を指でつまみあげる。
『う』
操緒がかなり引いているが、塔貴也さんは見えないのだから気にしていない。
「僕が事前に作っておいた“対ジョニーさん駆除部隊”さ。
これなら相手に警戒されることもなく確実に駆除できるだろうからね」
「そ、そうですか」
そう言われると、こちらとしてもあからさまに反対する訳にもいかない。
これから暫く寝泊まりする場所を確保してくれるのだから。
……正直に言うと、ジョニーさんの群体が過ごしていた場所で寝泊まりなどしたくないのだが……
「お~い、夏目。
早くしろ~」
既に川の辺りにまで到着していた秋希さんから呼び声がかかる。
奏の絶叫は聞こえていただろうに、3人とも気にした様子がない。
多分、元々知っていたのだろう。
……知ってたなら教えてくださいよ……
そんな言葉を頭の中に浮かべながら、奏を促して秋希さんたちの方に向かうことにした。
決して後ろを奏に見せないようにしながら。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
『あ~、惜しい!!
もうちょっと速く動けば捕まえれそうだったのに……』
「って、言われても……」
現在、僕と秋希さんは魚狩りの真最中。
釣りではない。
釣りは、少し離れた場所で奏がしている。
既に何匹か釣れたのか、餌が食べられたのだろう、餌を再び餌箱から取り出して針につけている。
僕が今しているのは、川の中に入り、素手で魚を捕まえるという荒行。
塔貴也さんが小屋の中をある程度綺麗にするまでに、僕たちは食料調達をするということになった。
その分け方は、僕と奏、それに秋希さんが魚担当。
八條さんと冬琉さんが山菜や食べられる動物などの野菜と肉類担当。
そのため、八條さんと冬琉さんは得物とそれなりに大きな籠を持って森の中へと消えて行った。
あの2人に関しては心配もしていない。
残った僕たちは早速魚採りに取り掛かった訳だけどその際に、秋希さんから、
「最低でも1匹は捕まえるように。
働かざる者食うべからず、だ」
と、ある種理不尽なお達しが下っていた。
奏の場合は僕や秋希さんが近くに行って騒いだりしない限り問題ないだろうし、既に何匹か釣れている。
一方の、僕と同じように川に入って魚を狩っている秋希さんはというと、
「…………………」
ジッ、と川の中ほどに直立していて動く気配がない。
まるで、ただの置物にでもなったかのようだ。
そんな秋希さんが現在身につけているのは、華やかさ等とはかけ離れた紺色の競泳水着。
まぁ、こんな事をしていたら濡れるのは当然だから水着に着替えるのは分かる。
僕も、学校で使っている水着を着ているし。
ただ夏場とはいえ、普段過ごしている街よりもそれなりに高所にある川で何もせずに直立しているのは少々まずいのではないだろうか……?
陸地なら問題ないのだろうけど、川の中だと体も冷えるだろうに。
そう思いながら、休憩も兼ねて僕と操緒が岸の方から秋希さんを見ていると、
シャッ
「『……え……?』」
秋希さんが閉じていた眼を開き、一瞬動いたような気がした。
僕たちの見間違いかとも思った。
実際、すぐに元の体勢に戻り、また直立不動の姿勢になっている。
だけど、
ドサッ
という音が隣の方から聞こえてきた。
音が聞こえてきた方向を見ると、
『……うそ……』
ピチピチ、と魚が2匹ほど打ち上げられたのか悶えていた。
さっきまでの秋希さんの行動から考えると、ほぼ間違いなくやったのは秋希さんだろう。
操緒も珍しく呆気にとられている。
そして、また、
シュッ
という風切音と
ドサッ
という落下音が続けて僕らの耳に飛び込んでくる。
今度は注視していたからか、さっきよりは動きが見えた気がする。
それでも、腕の動いた軌跡が見えたぐらいだ。
腕が単体で見えた訳ではない。
……どれだけ速いのさ……
『……はあ……
秋希さんのやり方はあんまり参考になりそうにないね』
「……ああ……
自分でどうにかしないとだめなんだろうな」
秋希さんを見ていたのは休憩もあるけど、何か参考になることがないかという打算的な考えもあったのだ。
あったのだけど、いくらなんでもあれが参考になるとは思えない。
あのやり方は、本気で鍛えて、本物の速さを持つ人じゃないと出来ない業だ。
静から動へ
その際のタイムラグがほとんどゼロで、尚且つ振り抜く腕がしっかりと魚を捉えていないと出来ない。
例え腕が魚に当たったとしても、上から押しつぶすだけじゃ水が吸収して威力も低くなる。
それに、方向を間違えれば全く意味がないものになる。
それらを全てクリアして初めて可能になるのだ。
到底僕に真似できるようなものではない。
それでも、
『……トモ……?』
少し思いついたことがある。
足を滑らせないように気をつけながら川に入る。
操緒が不審そうな顔を浮かべながら憑いて来るけど、集中しているからかあまり気にならない。
僕には秋希さんのような速さも正確さもない。
それでも、さっきまでの自分のやり方が間違っていたのは分かった。
水の中なのに人が魚より速いわけがない。
それなのに僕は必死に魚を追いかけていた。
今まで朝のトレーニングをこなしてきた分、下手に体力に自信があったから身一つで何とかなると思ってしまった。
だけど、やっぱり無理だ。
水や川の流れに足をとられるから到底満足には動けない。
それなら、秋希さんみたいに動かない方がいい。
体力だけを消耗しても無意味なのだから。
「…………………」
かといって、秋希さんみたいな動きはできない。
それならどうするか。
幸い、さっきまでの魚との追い駆けっこで魚の行動パターンは何となくだが分かっている。
だから、魚の行動を先読みして腕を動かす。
右腕では魚を追いつつ、左腕を魚が来るであろうポイントに移動させる。
この方法が無理なら、石を使って追い込み漁をした方が良いだろう。
だけど、それじゃあ意味がないような気がする。
幸い、体はついてきてくれる。
後はタイミングだ。
静から動、ではなく、動から静へ
最小限の動きで、待ち構えている罠へと誘い込む。
そうして、
「フッ!!」
左腕を向かってくる魚に合わせて動かし、決して逃がさないよう思いっきり掴みあげる。
結果は、
『やったー!!』
なんとか魚の尻尾の部分を掴みあげることに成功した。
その魚が逃げないよう、急いで岸辺に向かう。
今思えば、この時陸地に魚を投げていればよかったのだろう。
急いでいたせいで、川の流れに足をとられ、
「うわっ!!」
ドボン!!
石で滑って転んでしまった。
『ちょっ!!
だいじょぶ、トモ!?』
「あ、ああ。
なんとか」
幸い、浅瀬で角張った石もなかったため、尻もちをついただけで無事だった。
ただ、
『あー、逃げられちゃったね』
操緒が僕の左腕を見ながらそう洩らすように、掴んでいた魚を逃がしてしまった。
「まぁ、いいさ。
要領は分かったから何とかなるだろうし」
悔しくはあったけど、時間はまだまだあるから何とかなるだろう。
そう思いながら、僕は再び魚狩りへと戻っていった。
・
・
・
・
・
・
僕がその後捕まえた魚の数は3匹。
秋希さんが捕まえた数の5分の1だ。
奏は10匹。
途中から全然当たりがこなかったらしい。
『初めてにしては上出来だ』
と、僕は秋希さんや八條さんには褒めてもらえたけど、もう少し捕れたんじゃないかと思ってしまう。
八條さんと冬琉さんは、山菜を採ってきたのは勿論のこと、見事に、鹿を狩ってきた。
誰が捌くのかと思ったけど、懐からナイフを取り出した秋希さんが捌いていた。
「料理はあんまりなのにこういうのは上手いんですね」と八條さんに言ったら、聞こえていたのか鹿の角が飛んできて頭を掠めた。
山小屋も、“ジョニーさん”は無事に駆除され、掃除も何故か済んでいた。
塔貴也さんに聞こうかと思ったけど、不気味なのでやめておいた。
まぁ、無事夕食にはありつくことができたから気にしないようにしよう。
夕食は、鹿の焼肉と、川魚と山菜の鍋だ。
鍋の支度は僕と奏が、焼肉の方は八條さんたちがやってくれた。
この調子で残りの日程も進んでくれたらいいんだけどな……
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
到着した日の翌日から本格的な修行漬けの日々が始まった。
起きる時間は――いつも早朝トレーニングをしていたから特別早いとは思わなかったけど――朝の6時。
夏場とはいえ、平地よりも高所である山の朝はかなり肌寒い。
山一帯に霧が立ち込める時もある。
まぁ、朝食を食べたらすぐに動き出して汗を掻くから、肌寒いのが気になるのは最初の頃だけで、動きだせばあまり気にならなくなる。
一方で、霧が立ち込めると視界が悪くなり、非常に困ったことになる。
朝食後、最初にやるのはランニング。
といってもただのランニングなわけがなく、山の頂上まで登り、小屋のある場所まで戻って来るというそれなりに過酷な道筋。
制限時間などは特に決まっているわけではないが、秋希さんたちはモノの30分で済ませてしまっている。
奏も参加しているけれど、その奏だって45分程度。
僕に至っては最低でも1時間はかかってしまう。
そのことでやる気が無くなる訳ではないし、むしろ負けられない気持ちが湧いてくるから問題ではないが、それでもかなり微妙な気分にはなってしまう。
それに加えて、ただでさえ過酷な行程なのに余計な物が付いてくることが一番嫌な理由だったりする。
加わってくるのは、塔貴也さん特製の筋力負荷装置
両手両足に装着する腕輪と足輪の形状になっていて、それが筋肉に掛かる実際の負担を凡そ3倍程度に増幅させる。
調整すれば100倍ほどまでは可能らしいが、そんな余計な事はしなくていい。
おかげで負担がとんでもないことになってしまっている。
しかも、これを着けているのはほぼ一日中だ。
流石に風呂やシャワーでは――一応小屋の中に存在していた――外しているし、寝る時も取ってはいるけれど、それ以外では休息日以外いつも着用させられている。
しかも、今後の生活でも付けていくとか何とか。
流石に冗談だと思うが……
おかげで、トレーニングとか試合(という名の模擬戦)での疲労が半端じゃない。
秋希さんが塔貴也さんを連れてきた理由が良く分かった。
万が一装置に不具合が生じた場合に、整備出来る人間がいた方が良いに決まっているからだろう。
そんな負荷のかかる一日は、ランニングが終わったら本格的な地獄に大変身だ。
日によってやる内容は変わる。
例えば、
「……あの、なんですかこの状況……?」
僕の視界はほとんど何も捉えていない。
何も分からず秋希さんたちに連れ出された先は、山に到着した日とは真逆の暗闇だった。
「いや、こうしないと意味がないからな」
僕が今いるのは鬱蒼とした森。
それこそ、日の光が届かないから、秋希さんの姿も輪郭が分かるかどうかぐらい、朧気だ。
戸惑う僕を余所に、秋希さんが説明を始める。
「夏目には、この暗闇の中で私とやり合ってもらう」
「……え……!?
いやいや、無理ですよ!!
こんなに暗くて何も見えないのに!!」
何をいきなり言い出すんだこの人は。
見えないんじゃ対処の仕様がないというのに。
心眼でも開眼させろというんだろうか?
そんな僕の反論も、すぐさま切り捨てられる。
「だからこそ、だ。
……どうもお前は視覚に頼り過ぎているようだからな。
それでは奇襲されたりした時に何も対処ができなくなる。
『見えなかったから何も出来ませんでした』、では話にならない」
「は、はぁ……」
自分ではそんなに視覚に頼っている気はなかったのだけれど……成程、言われてみればそうかもしれない。
実際、こんなにも物が見えない中でやり合ったことは以前の世界でもなかった。
「で、でも、見えないのにどうすればいいんですか……?」
「それは自分で考えろ」
「んな……!!」
そこまで説明しといて後は全部こっちに放り投げられても、手掛かりが何一つないのにどうしろって言うんだ!?
「まぁ、ヒントぐらいはやるか……」
「是非お願いします」
いくらなんでも無茶だと分かってくれたのか、あまりにも僕が情けなくて見ていられなかったのか分からないが――出来れば前者だと思いたい――秋希さんがそう提案してきてくれた。
それにすぐさま返事を返す僕。
操緒がすごく情けないものを見るような視線を向けてくるが、全く気にならない。
少しでも頼れるものには頼っておかないと、僕の身がもたない。
こんな暗闇の中で秋希さんとやったら、それこそ30秒と持たないだろう。
「人間には視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚等の五感と呼ばれる感覚がある。
……まぁ、実際には平衡感覚だとか内臓感覚だとかあるらしいが、今は必要ないから省く」
「は、はぁ」
「それで、今の状態は五感のうちの視覚を疑似的に封じている状態なわけだ。
さて、ならばどうすればいいと思う……?」
「え?
そ、それがヒントですか……?」
「ああ、ヒントはこれだけだ
後は実際にやりながら見つけ出してみろ」
「そんな!?
いくらなんでも無茶でしょう!!」
抗議してみるが、
「うるさい。
いくぞ!!」
「え、ちょ、ちょっと!!」
見事に僕の意見は却下され、強制的に始められた。
秋希さんも暗闇ではあまり慣れていないのか、それとも手加減してくれているのかは分からないが、いつもよりも攻撃は緩いように感じられた。
というのも、開始したばかりの頃は訳が分からず、ただひたすら秋希さんの攻撃を受けているだけだったからだ。
そのうち、10回に1回程度は防げるようになってきた。
自分でもその時は、理由はよく分からなかった。
だけど、後から振り返ってみると、音や空気の動きを頼りにしながら防いでいたような気がする。
非常に拙い技術だけど、『これをもっと突き詰めていけばいいのか』と納得した。
また、他の日には、
「……あの、八條さん……」
「なんだ?」
「これって、当たったらシャレにならないと思うんですけど……」
「ああ、そうだな」
「いや、そうだなって……」
今僕と八條さんは小屋近くに流れている川のやや水深が深めの所で対峙している。
深めと言っても、膝が隠れるかどうかといったぐらい。
対峙している僕らの格好は、互いに水着姿。
僕は学校で着ていた紺色のボックス型の水着。
八條さんが着ているのは特に派手な装飾などしていない黒色のトランクス型の水着。
互いに、ほとんど素肌だ。
攻撃が命中すれば、今迄にない程激痛が奔るだろう。
で、互いの手には自身が普段から使用している得物。
僕は右手には実際の太刀(本差し)と同じサイズ(らしい)の木刀を順手で、左手には同じく実際の脇差と同じサイズ(らしい)の木刀を順手で持っている。
そして、体の右半身をやや前に出し右手の木刀を胸の高さで構えている。
一方の左手の木刀は右手の木刀よりやや低い位置で構えている。
持ち方は秋希さんに教えられてこうなった訳ではない。
実際、秋希さんが使っている二刀流はどっちも順手だ。
僕のこの構え――持ち方――は秋希さんや冬琉さんたちとやっているうちに、自然と形成されていた。
秋希さんや冬琉さんの猛攻を防いでいるうちにこんな構えになっていた。
だから、僕の今現在の戦い方は防御がメインだ。
勿論、攻撃するときはしているけれど、攻撃の回数よりも圧倒的に防御する回数の方が多い。
左で受け流したり抑えたりして、右で斬る。
もしくは、右で牽制し、出来た隙に左を使う。
まだ、自分でも扱い切れてはいないけど、このやり方が一番自分に合っている気がするから今後もこのままいくことになると思う。
「まぁ、心配するな」
「な、なんのでしょうか……?」
「怪我しても嵩月のお嬢さんが手厚く介抱してくれるだろうからな」
「怪我するの前提ですか!?」
対する八條さんが持っているのは、木槍で長さは凡そ2m30㎝ほどだと思う。
八條さんがよく使っている得物だ。
彼は、他にも昆や杖等の刀よりも長い武器を使う。
今まで、刀や銃を使ってきた人ばかりだったから、そういった多少異色な得物を使う人は初め見た時は新鮮だったし、純粋に戦い方に興味が湧いた。
だけど、実際に戦ってみると槍や昆等は僕の予想以上に参考にならなかった。
槍は、刺突の速さや、それに伴って体運びなどは参考になったけど、それ以外は全然だ。
昆や杖に至っては、全く参考にならない。
そりゃあ、そういった獲物を使う人への対処法は身につけることができるけれど……
「当たり前だろ。
俺が、お前程度にやられるとでも思ってるのか?」
「ぐ……」
言い返せない。
「まぁ、安心しろ。
場所が場所だから俺もまともにやるのは厳しいしな」
「その台詞で安心できる人がいるんですか……?」
「うん?
美呂の奴なら似たようなこと言った時に安心してたぞ」
「えー……どんな状況ですかそれ……?」
槍や昆の威力は刀とは違う。
刀は斬ればそれがそのまま相手にとって致命傷となることが多い。
一方、槍は刀身の部分を使えば同じように致命傷は狙えるが、いかんせん狙って斬れる範囲が刀と比較すると大幅に狭くなる。
それに、刺突の速さはともかく、斬撃となると振り下ろし、振り上げ、薙ぎ払いなど動作が刀に比べてどうしても大振りになってしまう。
そのため、刺突をメインに措かない場合、槍の基本動作は回転になる。
相手の攻撃を柄で払い、そこから槍を回転させて斬撃に繋げる。
勿論、ただ斬ることや、突く事も出来るが、威力や手数を求めた場合、どうしても回転を使った遠心力が必要になってくる。
そしてそれは、斬撃のない昆や杖の場合尚のこと顕著になってくる。
斬って倒す事ができない以上、いかに速く相手に打撃を連続で打ち込み行動不能に出来るかが勝負の分かれ目になってくるからだ。
それ故、どれだけ速く正確に得物を回すことができるかが槍や昆には必要になってくる。
勿論、突きをメインにおくことも出来るが、それしかできない場合、闘いに措いて選択肢が非常に狭まってしまう。
だから、メインが突きであっても回転の力は必須なのだ。
そして、突きも刀の突きより断然速く、強い。
両手で押し出される力は、僕や秋希さんの片手の剣では比べ物にならない。
それに加え、二刀を使い手数で攻める秋希さんにある程度拮抗できていることからも、八條さんの槍のスピードが半端ではないことが伺える。
「まぁ、不安なのは何となく分かるが、この場所でやるってことはどれだけ自分の体運びが無駄か分かるためでもある。
俺も、このやり方のお陰で大分体捌きがマシになったからな」
「そう言われましても……」
「実際にやってみりゃわかる。
初めは慣れないだろうが、そこから先はお前次第だ」
力で拮抗出来ているのは冬琉さんぐらいだろう。
とはいえ、彼女が拮抗出来ているのも今まで培った技術のたまものらしい――冬琉さん本人がそう言っていた――から、純粋な力では八條さんが上なのだろう。
技術では秋希さんや冬琉さんの方が断然上だ。
だけれども、力も他の門下生の方でもっと強い人がいるのは知っている。
それでも、橘高道場内で彼以上の速さを持った人がいない以上、おそらく彼が最速だ。
そこに悪魔としての能力が加わったらどうなるかは分からないが、かなり強いのだろう。
以前の会合の後、奏から聞いたが、
八條一族の能力は影操作
自身の影は勿論、周囲にある物体の影を使い攻撃してくる。
時には、敵の影を使って攻撃してくることもあるらしい。
聞いた瞬間、絶対に八條さんの敵にはなりたくないと思ったのは、当然だと思う。
「分かりました。
………いきます!!」
「ああ!!」
そうして、僕と八條さんの川上での試合(模擬戦)が始まった。
足を水にとられながらも、本来の防御とは一転して八條さんを攻める僕。
秋希さんや冬琉さんであればいつも防御に回って隙――まぁ、実際は誘いなのだけれど――をつく形でやり合うのだけれど、八條さん相手じゃそうはいかない。
防御に回ればずっと防御になってしまう。
隙と思える誘いもなく、ただひたすら攻められる。
気付けば八條さんの連撃を防いでいるうちに――最初の頃は防ぐ間もなくやられていた――体力が底をつき、すぐさまバテた部分をつかれて負けてしまう。
かといって攻めれば勝てるという訳でもない。
気付かぬうちに攻守が逆転していて、負けてしまう。
結局は僕の力不足なのだ。
それでも、ただ守勢に回るよりは、攻勢に出た方が良いのも事実。
秋希さんほどとはいかなくても、手数がもっとましになれば少しは護りに回りながらいけるのだろうけど……
「やああぁぁっ!!」
「遅い!!」
足場が悪いから普通に動いていたのではどうにもならない。
上半身の動きや、腕の動きで対処できるのならそれも問題ないけど、そんな中途半端な技術で対応できるほど八條さんは甘くない。
それでも、今の僕は喰らいついていくしかない。
自身に迫る木槍の石突きの部分を右手の木刀で受け流し、左手を八條さんの首元に伸ばす。
そして、左手の木刀が届くより前に相手の槍が動く。
石突きとは逆に槍の穂先が頭上から迫ってくる。
瞬間的に、左手をそのまま頭上に向けるが、
「ガッ!!」
穂先は方向を変え、左に流れて行く。
それと同時にさっき受け流したはずの石突きが右の脇腹部分にめり込んでいた。
「……とりあえず一本な」
「は、はい」
痛みに耐えながらも再び距離をとって対峙する。
……これは、本格的にまずいかもしれない……
早く足場というか、川の流れの中での動きを少しでも掴まないと大変なことになる。
「あと五本は最低でももらっていくからな」
「……ぐ……」
これが、ただの誇張ではないことぐらい僕にだって分かる。
「まぁ、精々足掻きな」
『トモ、頑張って!!』
操緒が後ろから応援してくるけど……
ごめん、足場に慣れるだけで精一杯だと思う。
結局その日はなんとか慣れることまではできた。
できたけど、それが正しいのか間違っているのかがよく分からない。
……まぁ、間違ってたらまたボコボコになるんだろうなぁ……
また、他にも色んな方法の修行を課せられた。
【集団戦闘】や【遠距離からの狙撃】に、【奇襲の対処法】といったものまで様々だった。
どれもこれも実際の戦場では役に立つものなのだろうけれど、道場に通いだして半年も経っていない人間にやらせる内容でもないような気がする。
まぁ、疑問は尽きないけれど、これが橘高道場でのやり方なのだから特に反対する訳でもない。
それに、やっている内容はともかく、僕が実際に必要としている力は、他の場所で習うよりも確実についていると思う。
自分自身に実感がある訳ではないが、この短期間で教え込まれ、身についたことが尋常じゃないほどの量だ。
それでも、周囲のレベルが高いから、彼らに追いつくためにはまだまだ足りない事は分かっている。
それに、3年後には自分もそんな世界に踏み込まないといけないことはほぼ確定している。
洛高に入らなければそんな世界に入らなくて良いのかもしれないが、その場合世界はほぼ間違いなく滅ぶだろう。
だから、今はどんな事でも良いから習得しておきたい。
少しでも、未来を良くするために。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
早いもので、2週間が経過し、夏休みも残り一週間程度になっていた。
流石に、もう帰らないといけないので、皆揃って後片付けをしている。
「……あの、夏目くん……」
「あれ?
どうしたの、嵩月?」
僕が男部屋で荷物を纏めて帰り支度をしていると、奏が部屋の入口の所に立って僕のことを呼んでいた。
一旦荷造りを中断し、奏の方に向かう。
「……その……」
「?」
どうしたんだろう。
話し方がマイペースでとろい部分がある奏だけど、今の彼女からは少し戸惑っているような空気が感じられる。
「……手伝ってもらえません、か……?」
「……手伝う、って……奏の荷造りを?」
特別奏は片付けが下手だった訳ではないと思う。
むしろ、あのお祖母さんの躾のためか、家事全般やそういった自分の周囲のことは得意だし、大抵1人でこなせていたはずなのだが。
だから、とっくに荷造りは終わっているものだと思っていたのだけど……まだだったのだろうか?
「いえ、その………私ではなくて……
……秋希さん、と冬琉さん、を……」
「…………ああ、うん…………
僕のが終わったらすぐ行くよ」
「………お願いします」
そう言って、奏は軽く頭を下げ、すぐに女部屋の方に戻って行った。
……さて、僕もさっさと自分のを終わらせないとな。
「なぁ、炫……」
「なんですか、八條さん……?」
「お前、自分の恋人と幼馴染を手伝う気はないのか……?」
「何を今更。
そんな労力があるなら、次回の為の“ジョニーさん”撃退法でも考えてますよ」
「……それもそうだな」
「八條さんは手伝わないんですか……?」
「お前、分かって言ってるだろ」
「はは、そんな訳………ありますけど……」
こんな会話を2人はしていたらしいけど、できれば僕にも教えて欲しかった。
教えてもらっていたら、無理矢理にでも2人を引っ張って行ったのに……
だけど、おかげで最後の丸一日が荷造りに充てられている理由が良く分かった。
そりゃあ、あの状態から荷造りするのは男性にはきついだろう。
秋希さんの方はまだ――あくまで、『まだ』――マシだった。
だけど、冬琉さんの方は、以前の世界での朱浬さんの部屋と同じぐらいのレベルだったのだ。(操緒も若干引いていた)
僕もできることなら逃げ出したかったけれど、奏に頼まれた手前そういう訳にもいかないし、片づけないと帰れないのだから、ただひたすら無心になって2人の荷造りを手伝っていた。
……まさか、最後の最後でこんな大きな障害に出くわすとは思いもしなかったよ……
今後は料理だけではなく、2人の全体的な家事能力の向上を目指していこう。
そう、心に誓った瞬間だった。