闇と炎の相剋者   作:黒鋼

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うう、結局10月に入ってしまいました。9月中に完遂するのは無理だったか……


20回 低気圧の下で

空を見上げれば、本日の天気は生憎の雨模様。

バケツをひっくり返した様な豪雨ではないけれど、春先には珍しく激しい雨が降っている。

そんな気落ちしそうな天気とは反対に、駅の中は生徒たちの熱気で興奮の坩堝と化していた。

今日から3泊4日、京都へ修学旅行に向かうのだ。

気心の知れた仲である友人同士で過ごすのが嬉しいのか、親の監視の下から逃げ出せるのが嬉しいのかは知らないが、何にせよ楽しみで気分が高揚してしまうのはよく分かる。

いくらか教員から行動を制限されることになるとはいえ、普段から顔を合わせている面々と一緒に旅行に行くというのは誰だって興奮するものだ。

 

「5班、全員揃いました」

 

そんな周囲の興奮を余所に班長の露崎が人数確認を終え、無事に班員が揃っていることを担任の教員に報告している。

幸運にも班長として頑張っている彼女は、今のところ特別具合が悪いようには見えない。

周囲の生徒たちと同じような健康体だ。

時期も5月頭だし、一先ず安心して良いのだろうけど……まだ、分からない。

それでも、何が原因で彼女の病気が発病しなかったのかは分からないのは不安だが、こうして元気な彼女と修学旅行に行けるのなら全くもって問題ではない。

以前の世界ではそれは叶わなかったことなのだから。

 

「……?

 どうしたの、夏目くん?

 私の顔に何か付いてる?」

 

そんな風に観察するかのように彼女の方を見ていたからだろうか、僕の視線に気づいた露崎が僕の方に話しかけてきた。

因みに、彼女は僕たちの班の班長である。

なぜ男女混合なのかはこの際措いておこう。

部屋は男女別だから特別問題もない。

それに、どうせ教員側に理由を聞いても大した理由などないのだろうし……

 

「い、いや、別に何も付いてないよ。

 うん、露崎はいつも通り」

 

「そう……?」

 

僕の慌てたような反応がおかしかったのだろう。

首を傾げつつ、クスリと笑いながら返事を返してくれる。

彼女のそんな姿に僕もつられてしまい、つい笑みが浮かぶ。

 

「そうだぞ、波乃。

 お前の顔には何らおかしな所はない。

 おかしな所があるとしたら、こっちの馬鹿の頭の方だ」

 

そんな微笑ましい空気に突如割って入ってくる異分子。

 

「……いきなり割って入って来て随分な言い草だな、アニア」

 

唐突に現れて僕のことを馬鹿にしたのは、一人の少女。

150センチに達しているかどうかという少し小柄な体からはその小さな体躯に似合わない自信が漏れ出している。

頭部に生えた銀色に近い金髪を腰まで伸ばし、先端部分がドリルの様にグルグルと渦巻かせている。

……絶対潮泉翁辺りの影響を受けていると思うのだが、本人は一貫して否定している。

じゃあ、早朝からたっぷり時間をかけてセットしているその髪型のこだわりはなんなのかと問いただしてみたいところであるが、非常に時間の無駄の様な気がする。

どうせ、まともな返事が返ってくるわけないことは分かっているのだ。

彫りの深い顔立ちは厭でも僕らと彼女の人種としての違いを認識させる。

……スタイルの問題は奏とか朱浬さんみたいな例があるからどうにかなるのだろうが……

 

アニア・フォルチュナ・ソメシェル・ミク・クラウゼンブルヒ(13歳)

 

本人の希望により、僕と操緒(黑鐵)の手によって一巡目の世界に送られ、既に5年過し僕らと同じ歳に成長してきた少女。

一巡目に彼女が跳んだのは、今後塔貴也さんが暴走しなかった時に起こる可能性のある歴史の矛盾を無くすためだ。

上手くいくかどうかはまだ分からないが、仮に秋希さんが機巧魔神(アスラ・マキーナ)から無事に解放された場合、塔貴也さんがあの事件を起こす可能性がほぼなくなる。

仮に前回の世界と同じ歴史を歩もうとして似たような事件が起きる可能性も捨てきれないが、そこを気にしていたら何も出来ない。

それこそ、起きたら起きたとして処理するしかないのだ。

さらに、既にこちらの手元に点火装置(イグナイター)があったことも大きかった。

∞の軌跡によって生み出されたプラグインは一巡目に必ず一度は存在しなければ矛盾が起きてしまう。

そうしなければ、こちらの世界に点火装置(イグナイター)が存在することはないからだ。

これが消えてもかまわないプラグインなら問題なかったのだが、点火装置(イグナイター)は“神(デウス)”を倒すためには欠かせない装置の一つだ。

失くすわけにはいかない。

そう言った諸々の事情――別に今じゃなくても良かったのだが、アニアが色々ごねたのだ――が重なり、アニアが跳んだのは、こちらの世界の時間的には、先日の宴会の翌日の午前中から夕方の6時ごろまでの大凡半日。

(僕や操緒の休憩も必要だったので)

流石にそんな短時間だったので、僕や操緒には上手い具合にダルアさんとかを誤魔化す説明を思いつける訳がなかった。

まぁ、その辺りの説明は帰って来たアニアがしていたのでどうにかなったが。

あちらは5年も時間があったのだからいろいろ思いついていて当然だろうさ。

とはいえ、問題はそこではない。

 

「ふん、奏からお前がおかしなことをしないか見張っておいてくれと頼まれているからな。

 それとも、お前は奏を裏切るつもりか……?」

 

「そ、そんなつもりじゃないって!!

 ただ……」

 

「ただ、なんだ?」

 

問題なのは成長して戻って来たアニアがとった行動だ。

彼女は突然、僕らの中学に編入してきたのだ。

それも、何故か僕のクラスに。

いや、奏のクラスに転入して、変に高位悪魔が揃って佐伯兄妹を刺激するよりいいのかもしれないが……

というか、ただでさえかなりの美少女で、しかも外国人ということで珍しいのに、編入してきた時期も新年度が始まったばかりというおかしな時期であったため、彼女は一躍校内で時の人となった。

そんな彼女と普段から親しげに――口喧嘩とも言う――をしている僕は更に周囲の人間とか、樋口から質問攻めにされた。

奏とのことで大分慣れたとも思ってたけど、甘かった。

今度はむしろ僕よりも奏に大量の質問がいったようだった。

一応アニアが適当にそれっぽい説明をしてはいたが、それで周囲が納得する訳もない。

ついでにいえば、敢えて重要な部分をあの運喰らいの雌型悪魔は話さなかった。

それで困っている僕を見て楽しんでいたのだ。

……分かってた、アニアが来たらこんな事態が起きても不思議じゃないことぐらい分かってたさ……

にしたって、悪い意味で予想を裏切り過ぎだ!!

ある程度用事も済んだんだろうからサッサと国に帰れ。

クルスティナさんのこととかもほとんど解決してるんだろうから、2年ぐらいは実家で過してろ。

後の諸々は僕らで何とかするから!!

 

話を元に戻そう。

 

「そ、その……露崎の体調が心配だったというか、班長の仕事なんてして大変だなー……と……」

 

「……体調?

 別に私は元気だよ?」

 

「う、うん。

 それは分かってるんだけど……」

 

言えない。

以前の世界で露崎がこの時期に入院することになってたから心配してるなんて、アニアならともかく、露崎本人に言える訳がない。

 

「そら、それが裏切りだ」

 

「だから、違うって言ってるだろ!!」

 

僕の露崎に対する態度がそう見えてしまうのか、アニアは糾弾してくる。

せめて操緒が出てきてくれればいいのだが、流石にこんな知り合いが大勢いる場所で姿を現す訳にもいかない。

とまぁ、結局普段通りの口論をアニアと(間に露崎を挟みながら)繰り広げていると、

 

「あら、夏目さんにニア。

 こんな所で会うとは奇遇ですわね」

 

予想外の人物の声が聞こえてきた。

声につられ、声の聞こえてきた方向に顔を向けると、

 

「あ、氷羽子さん。

 こりゃまた、珍しい所で会うもんだ」

 

自身の通っている中学の制服に身を包んだ鳳島氷羽子が、旅行用のトランクケースの取手を片手に持って立っていた。

因みに、鳳島兄妹は制服姿で道場に顔を出すことも多いため、氷羽子さんの制服姿は特別珍しいものではなかったりする。

 

「見たところ、旅行の様だが……お前も修学旅行か?」

 

「ええ、そうですわ。

 そうでもなければ平日のこんな時間にここにいるはずがないでしょう?

 ……と言っても、決められた集合時間にはまだ少し時間がありますわね」

 

駅の構内に備え付けられている時計を見上げ、そう呟く様は周囲の雑多な光景からは切り離され、一枚の立派な絵画として通用しそうなほど画になっていた。

そんな、突然現れた人間離れした美少女に浮足立つ僕らの中学の生徒たち。

まぁ、そんじょそこらのモデルよりよっぽど綺麗だし、漂っている雰囲気も大人の女性顔負けだ。

同学年の生徒たちが騒ぎ出しても特別不思議ではない。

こんな周囲の生徒たちの反応を見ていると、この少女が通っているクラスが彼女にどんな対応をしているか、それなりに興味がある。

 

「それにしても、氷羽子さん1人でいる姿も中々新鮮だね。

 大抵は蹴策と一緒にいるから」

 

「……そう言われれば、夏目さんにこういった形で会うのは初めてですわね。

 ですが、私だって1人の少女なのですから、四六時中お兄様と一緒にいる訳ではないですわ」

 

いや、あなたが言ってもその言葉に説得力は皆無ですけど……

隣にいるアニアも僕と同じように疑惑の表情を浮かべている。

そうそう、隣と言えば。

いつの間にやら僕とアニアの間にいたはずの露崎が樋口たち僕ら以外の班員の面々が集まっている所まで戻っていた。

別に気まずくなったという訳ではないが、こちらに合わせてくれたのだろう。

そういった気遣いは純粋にありがたい。

 

「……なんだか疑わしげですわね……良いですわ、証拠をお見せしましょう」

 

僕とアニアの疑惑の視線に何か思うところがあったのか、そんなことを言ってくる(自称)氷の女王様。(因みに蹴策は王様ではなく女王様付きの下男らしい……似合ってるから良いか)

それにしても、証拠?

いや、この場でそんなもの見せられるものなんですか?

 

「ええ、要は私が常日頃からお兄様といる訳ではないと貴方たちに分からせればいいのでしょう?」

 

それだけ言って氷羽子さんは荷物をその場に置き、足早に駅の喧騒の中へと消えて行った。

いや、いきなり何がしたいのやらあの人は……

僕とアニアが2人揃ってそれなりに呆然としていると、

 

「おい、智春。

 お前、あの子とどういう関係だよ!?」

 

樋口が何故か鬼気迫る表情で、班員の男子と一緒に押し寄せてきた。

ええい、そんなに寄ってくるな暑苦しい!!

 

「いや、どういう関係って言われても……友達?」

 

なんとなくそう言っていいのかどうか分からないので、確認の意味を込めてアニアに振ってみる。

あの人の場合、そう軽々と友達だとは言ってはいけない気がするし。

 

「そこで私に振られても困るのだが……まぁ、間違っていないと思うぞ」

 

アニアも自信がある訳ではないのだろう。

首を捻りながらもとりあえず肯定の答えを返してくれた。

まぁ、あの雰囲気は常人には分かりにくいところがあるからな……というか、普通に分かる相手が非常に限られる。

同レベルの存在としては、美呂ちゃんとかだろうか?

奏も雰囲気は違うけど、似たようなものかもしれないが。

 

「そうか、それなら、俺たちにも……夏目を経由していけばなんとかチャンスが……!!」

 

「おお、そうだな。

 樋口、まずは名前だ!!

 あの子の名前を!!」

 

「ああ、分かってるさ!!

 と、言う訳で、智春!!」

 

なんかえらい盛り上がってるな。

しかも、氷羽子さんに相手がいない前提というのがまたすごい。

これで蹴策のこととか教えたらどれだけ一気に沈静化してくれるだろうか?

アニアも若干引いてるし、露崎とか班の他の女子に至ってはドン引きしている。

 

「あの子の名前「いや、やめといた方が良いよ」を……って、なぜ?」

 

他の面々には僕が情報を独占しようとしているように見えたのか、僕に対してそれなりに鋭い視線が向けられる。

いや、ホントに氷羽子さんはやめといた方が良いんだって。

万が一、いや億、兆、京、分の一で好意が樋口とか他の男子に向いたとしても、その男子が酷い目に会うのが確定している。

特に鳳島本家辺りから。

とまぁ、そんなことよりも、現実的な意見としては、

 

「だって、ブラコンだからね」

 

これが最も適当だろう。

 

「「「「……は……!?」」」」

 

僕の言った単語が信じられなかったのか口を大きく開き、凄い呆けた表情になる男子の面々。

そりゃそうだ、僕だって奏がファザコンとか言われたら似たような表情になるだろうから。

だが、事実は事実。

彼女は実の兄に恋する乙女なのだ。

 

「だから、ブラコン、ブラザーコンプレックス。

 兄のことが大好きな妹なんだよ、あの子は」

 

「一応私からも補足しておくが、事実だぞ。

 先程の会話を聞いていたのなら分かると思うが、彼女は兄である蹴策に普段からベッタリだ」

 

僕の言葉だけでは信じてもらえないと判断したのか、アニアが口添えしてくれる。

その言葉で、それなりに信用したのか、ようやく僕の言葉を咀嚼できたのか、

 

 

「「「「マ、マジかよ……」」」」

 

樋口たちはその場に崩れ落ちた。

というか、前者だった場合どれだけ僕の信用は少ないのだ……

と、そんな彼らが崩れ落ちると同時に、

 

「お待たせしました。

 ……って、どうしたんですのこれ?」

 

「樋口くん、たち……どうかしたん、ですか?」

 

氷羽子さんと、彼女の連れてきた証拠(証人)が到着した。

2人揃って、崩れ落ちている男子のことを不思議そうに見つめている。

 

「いや、気にしなくて良いよ。

 って、なんで嵩月が……?」

 

「ああ、こいつらの場合勝手に期待して盛り上がって、その大きくなった炎が一瞬で消え去っただけだ、気にするだけ無駄だ。

 というか、何故奏がここに?」

 

「「??」」

 

美少女が2人揃って小首を傾げているのは誰もが見惚れてしまうほどに素晴らしい画だ。

氷羽子さんが連れてきたのは奏で、奏本人もなぜ自分が連れてこられたのかよく分かっていないようである。

奏の頭の上には疑問符が浮かんでいる。

……証人が理解していないってどうなんだろう?

 

「ああ、そうでした。

 奏、先日の休日私たちがどこで何をしていたか、あなたの彼氏に話してあげなさいな」

 

「ベ、別に、夏目くんとは、そんな、関係じゃ……」

 

氷羽子さんの後半部分の単語に反応して赤面している奏。

いや、ここでそんな反応されると、一旦沈静化していた炎がさ……

 

「うわー、やっぱり夏目くんと嵩月さんってそう言う関係だったんだ……」

 

「えー、私夏目くんのこと狙ってたんだけどなー」

 

「まぁ、相手が悪かったと思って諦めなよ」

 

「夏目ぇー!!」

 

周囲の面々との今後が色々厄介になるんだから……

と、そんなことより、

 

「嵩月、この間の休日って?」

 

氷羽子さんの言ってることの内容の方が気になる。

話そうとしているのだから特別この2人の秘密というわけではないだろうが、中々考え難い話の内容ではあるようだ。

 

「あ、はい。

 この前は、氷羽子ちゃんと美呂ちゃんと、一緒に買い物に行きました」

 

で、奏の口から語られたのは、氷羽子さんと美呂ちゃんと一緒に買い物に行ったという事実。

アニアも誘うつもりだったそうだが、塔貴也さんとの(危ない)実験の最中だったため断念したのだとか。

 

「ふふん。

 どうです、私の言ったことは本当でしたでしょう」

 

そんな証人の発言にやたらと得意気な顔になる女王様。

これまた珍しい。

 

「う、うん」

 

「あ、ああ」

 

そんな彼女に僕たちはそんな言葉しか返せない。

いや、それ以上返せても困るけど。

この場合、どんな反応が正解なのやら……

まぁ、奏と氷羽子さんの仲が良好なのは良いことだとは思うが。

天敵同士の悪魔の家の次期トップの2人が仲が良いのは良いことだろう。

これまでなかった交流が限定的とはいえ行われているのは喜ばしいことである。

 

「ふふ、それでは私はそろそろ時間ですしもう行きますわね。

 では、夏目さんに奏、ニア、姿は見えませんが操緒も、機会があればあちらでお会いしましょう」

 

それだけ言い残して氷羽子さんはトランクを引き摺りながら駅の雑踏の中に姿を消した。

大方自身の集合場所に向かったのだろう。

それにしても、“あちら”?

どういうことだろう。

 

「嵩月は何か聞いてる?」

 

そう言った言葉の意味の確認のために奏に聞いて見ると、

 

「あー……確か、氷羽子ちゃん、の学校も行先は京都のはず、です……」

 

ああ、そう言うこと。

まぁ、修学旅行の行先が京都というのは何らおかしいことはない。

日本で一番の観光名所なのだし。

 

「結局、普段の道場の空気とあんまり変わらない気がしてきた……」

 

まぁ、それはまだ出発前だからということだろう。

実際に電車に乗って目的地に着けばテンションも上がって来るだろう。

よし、

 

「3泊4日、鍛錬のこととかは一旦忘れて、思いっきり楽しもう!!」

 

「はい」

 

「ああ」

 

何だかんだで僕も奏も、それにアニアも修学旅行が楽しみなんだ。

鍛錬もこの期間は休みにしてもらっているし、休暇も兼ねて存分に楽しもう!!

 

 

 

♦ ♦ ♦ ♦ ♦

 

 

 

智春や氷羽子たちが電車に乗って目的地へと旅立った後の駅のホームでは、

 

「準備は良いかお前ら。

 お嬢様と夏目様、お2人の身の安全をお守りするのだ!!」

 

「「「「オオオーーーー!!」」」」

 

「あら、私も忘れないでいただきたいですわね」

 

「ダルアさんは、ご自身の役目をお果たしください。

 まぁ、行動パターンから推測すれば同じような行動になるでしょうが」

 

嵩月組の面々とダルアが行動を起こそうとしていた。

放っておけばいいものを……余計な刺激を起こして、変な事が起きなければ良いが……特に鳳島家との問題とか。

 

 

 

♦ ♦ ♦ ♦ ♦

 

 

「着いたぜ、京都!!」

 

新幹線から降りて開口一番、樋口がそんなことを言う。

やたらとテンションが高いのは、3日目の自由行動への期待が大きいからであったりするのだが……早くないか?

今日明日とクラスごとに決められた観光地や店を巡り、明後日は丸一日班ごとの自由行動。

と言っても、宿から出る時と戻ってくる時だけメンバーが揃っていればいいので、戻ってくる時の集合時間と場所だけを決めてしっかりと守れば個人行動も何ら問題の無いものとなってしまっている。

この時に問題が起きると非常に面倒な事になるのだが、その辺りは個人の責任感に委任することになっている。

つまり、問題起こす可能性があるのなら、ばれないように、という暗黙の掟である。

 

「ああ、着いたな!!」

 

更にテンションが高い人物?が1人。

グルグルと金髪の先端をドリルの様に巻いた女子生徒、アニアだ。

古き良き日本の文化が残っている京都は、アニアにとってはかなり楽しみらしい。

5年(前の世界も加えれば+6年程)も過しているのにそこまで期待出来るものなのか少々疑問だが、本人がそうなのだから別に構うまい。

 

「ふ、2人とも、先行くよ~」

 

班長である露崎がトランクをコロコロと転がして移動しながら、未だにホームで騒いでいる2人にそんな声をかける。

僕たちの班はクラスの中では最後の番号の班であり、新幹線から降りたのも最後。

僕たちがホームで騒いでいる間に他の班の面々は既にホームを下り、改札を抜けていることだろう。

急がないといけないのは自明の理だ。

 

「ほら、アニア、樋口、行くぞ」

 

班長を手伝うつもりで、僕も2人に声をかける。

 

「むぅ……智春のくせに私に命令するとは……だが、まぁいい。

 早く行動すればその分観光名所を巡れるというものだ」

 

意外とアニアはすんなり折れてくれた。

それだけ京都の神社やお寺が楽しみなのだろう。

僕には何が良いのかよく分からないが、本人が楽しそうだから別に構わない。

というかそんなに楽しみなのなら、嵩月祖母あたりに日本の伝統文化を習ってくればいいと思う。

懇切丁寧に教えてくれることだろう。

 

「待てよ、智春。

 京都駅のホームにもそれなりに色んな言い伝えやら怪談とかがあるんだぞ!!

 その場所の写真も取ってないのに!!」

 

「ああ、はいはい。

 分かったから行くぞ~」

 

右手に旅行鞄、左手に樋口の上着の襟を掴み、足を進める。

これぐらい無理矢理やらないとこいつはついて来ないのだから。

実際以前の世界では、その所為で僕はバスに乗るのが遅れ、タクシーで合流する羽目になったのだ。

幸いにも今はそれなりに握力が付いてきたから、樋口1人を引っ張ることなど造作もない。

あんな馬鹿げたことで貴重な財布の中身を失うなど二度とごめんだ。

 

「ま、待ってくれ智春!!

 首!!

 首、が閉ま、って……!!」

 

「大丈夫なはずだよ。

 圧迫感はあるかもしれないけど、気道は確保してるから、呼吸困難で死ぬようなことはないはずだから」

 

そうでもしないと、このオカルト馬鹿は逃げて撮影やら調査といった行いに走るのだ。

ちなみに、この襟の持ち方は、何故か奏に教わった。

より正確に言えば、氷羽子さんに教わった奏に教えてもらったのだ。

まぁ、あの氷姫がこの持ち方を奏に教えた理由が、奏に僕のことを無理矢理連行できるようにするためだと知ってからは空恐ろしいものを感じずにはいられなかったが……それ以上に、普段からこんな技をかけられている蹴策に心底同情してしまった。

 

「何をしている、智春!?

 っと、そいつの世話をしていたのか……仕方ない。

 サッサといくぞ」

 

「ちょ、ニ、ニアさ、ん!?

 助け……」

 

樋口の様子を見たアニアも樋口を助けようとはせず、寧ろ僕のことを支持する様な言葉を送ってくれた。

 

ありがたい。

 

……何故だろう、不覚にもドキッとしてしまった。

僕は奏と恋人同士で、操緒のことも大事に思っているけれど、ひょっとしたら、奏や操緒に褒めてもらえるより、アニアに褒めてもらえるのが一番嬉しいかもしれない。

……多分、普段とのギャップの所為なのだろうが……

 

「はいはい、あと少しで着くからそれまで我慢な。

 あ、階段は上下するからかなりキツイけど頑張れよ!!」

 

とりあえず樋口に一声かけ、僕とアニアはホームから改札口へと向かう階段へと足を向けた。

 

「ちょっ!?

 ああ、か、グゲ!?

 上下運動は~!!!」

 

樋口の悲鳴を耳元に大量に浴びせられながら。

全く、耳の鼓膜が破れたらどうするつもりなんだか……

 

 

 

♦ ♦ ♦ ♦ ♦

 

 

 

ザッバーン!!

 

旅館内の浴場にそんな音と共に、水(湯)飛沫が飛び散っていく。

浴槽に跳びこむのは列記としたマナー違反だが、現在屋内の浴場にいるのは僕らの中学の生徒たちだけなので特に誰も注意しない。

むしろ、飛び込んでいった人物に自分も続こうとして、急いで体を洗っている。

そんな風にしてはしゃぐクラスメイトや、他のクラスの男子達の姿を視界に収めながら、僕は何故か誰も向かっていない露天風呂の方へと向かうことにした。

 

……その時は湯気やらなんやらで気付かなかったけれど、入口付近にこんな注意書きがあったらしい。

 

【この先混浴ですのでご注意ください】

 

「おー!!」

 

注意書きのことなど露知らずに足を踏み入れた先では、絶景とまではいかないにしろ、中学生が使うには少々勿体ないであろう光景が広がっていた。

夜空に煌めくは満天の星空。

周囲の木々は夜の闇に呑まれながらも、旅館の明かりによって輪郭を顕わにしていた。

今は青々と葉が生い茂っているだろうが、秋には見事な紅葉が見れるはずだ。

その事に気づき、少し残念に思いながらも、折角の露天風呂を楽しまないのは損だと思い、いそいそと浴槽へと身を浸ける。

……飛び込みはしない……

というか、飛び込むにはそれなりの深さが必要なのだ。

浅ければ腰を強打してのたうち回ることになるだけだし……流石に身に何も纏っていない――一応タオルがあるが、ほとんど無意味だろう――状態でそんな醜態をさらす破目になるのは避けたい。

 

「……ふぅ……」

 

今日一日のことを脳内で振り返りながら、大きく吸った息をゆっくりと吐き出していく。

それと共に体の力が抜け、四肢の先からじんわりと熱が沁み込んできて、体から疲れが抜けていくようだ。

やれ美肌効果だ、やれ腰痛や肩凝りに良いだ、色々言われているけれど、温泉の一番の効能はこうやって疲れが抜けていくことだと思う。

今日だけでもかなり樋口が暴走してくれたし、アニアも予定に無いところまで行こうとしてかなりてこずらせてくれた。

その度に僕や、班長である露崎が止めなければならなかったのだから、面倒くさいったらありゃしない。

これが後3日程度は続くのかと思うと若干思うところが無い訳ではないが、今更気にしない。

これぐらいの騒動なら、洛高で起きていた騒動に比べれば全然大したことはないのだから。

 

「……たまにはこんなのも良いな……」

 

屋内の喧騒を聞きながら、露天風呂という一種の切り離された静謐な空間に身を任せる。

こうして独りきりになるのはいつ以来だろう、とふと思う。

身体的には1年と少しなのだろうけれど、主観的には凡そ5年ぶりだ。

普段からほぼ必ず一緒にいる操緒も今は姿を消し、奏やアニアは隣の女子風呂のはず。

樋口も屋内で騒いでいるし、嵩月組の方々や橘高道場の皆も京都からは遠く離れた地元の街にいるはず。

彼らのことが嫌いという訳ではないし、むしろ普段から一緒にいることで楽しいから別に何も問題はないのだけれど、やはりたまには独りでこうして過すのも良いものだ。

というか、こんな学校行事じゃないと独りではいられない僕のプライベートって一体……

そんなことに思考が進み、若干気落ちしながらも、体をお湯に浮かべる。

こんな場所でするのは自分でもどうかとは思うけれど、幸いにも周囲には誰もいない。

全身を露天風呂に浸け、力を抜き浮力にまかせて仰向けになった体全身を風呂の水面に浮かび上がらせる。

こう、浮いているのが体の前面ではなく背面だったら、水死体が浮かんでいるのではないかと思えるぐらい脱力している。

……一応誰か来ても大丈夫なように、タオルは腰に巻いている。

マナー違反だけど誰もいないのだからこれぐらい許して欲しい。

 

目の前には夜の闇の中に輝く数多の星々

建物の光もこの場所には届いていないようで、幸いにも星の瞬きがよく見える。

こんな雄大な星空を眺めていると、いかに自分が矮小な存在なのか改めて思い知らされる。

 

「……そんな僕が世界を救おうとしてるんだもんな……ふふ」

 

我ながら自分自身がおかしく思えてくる。

傍から見れば気持ち悪い奴だとは思うけど、自分で自分のことを嘲笑してしまう。

 

こんな僕でいいのか

 

と。

今更ながら。

奏の相手だって、もっと良い相手がいるだろうし、直貴の奴の保険だってもっとマシな人間がいるだろう。

やり直したいとは思わないが、そう思ってしまう。

もっと、最善の選択があったのではないかと。

僕と奏の関係も、世界崩壊という時間の制約に焦り、その結果として二人で歩み行くようになったのではないか。

僕が奏に抱いている感情も単に僕が愛だ、恋だと思っているだけで、本当は愛情とは異なる感覚であるだけなのではないだろうか。

 

チャプ

 

そんな風に思っていた僕の耳に音が届いた。

他の人間なんて誰もいないはずのこの場所に誰かが湯に入る様な音が。

(少なくとも男湯の扉が開けられた音はしなかった)

しかも、それはお湯を掻き分け僕の方に向かってくるような音だった。

 

「……智春くん、だから……」

 

「え……?」

 

それは男湯であるこの場所では聞こえるはずがないのだけれど……確かに、聞こえた。

浮いている体の足部を風呂底につけ立ち上がり、体を声が聞こえてきた方向へと向ける。

そこには、

 

「奏……」

 

奏がいた。

バスタオルを体に巻き、しっかりと肝心な部分は見えないようにしてはいるが、お湯で濡れ、体に張り付いたバスタオルでは体の凹凸までは隠せない。

髪は結い上げ、後頭部で纏めている。

中学2年生、という年齢からは考えられないほどの大人の色気を纏った少女の姿がそこにはあった。

そんな彼女は、しっかりと僕のことを見据え、

 

「智春くん、だから、私は、好き、になったんです。

 智春くん、だから、操緒さんも、身を任せてるんです。

 智春くん、だから、ニアちゃんも、信頼してるんです。

 他の誰でもない、貴方だから……身を任せられる」

 

そう、僕に向かって言ってくれた。

諭すでも、怒るでも、説得するでもなく、ただ自身の想いの丈を言葉にのせてぶつけてくれた。

そして、確かに、その言葉は確かに僕の心に届いている。

独りになって緩んでいた心が、また奏によって締めつけられていく。

漏れ出していた弱気が湯の中に溶け出して、自分の中から消えていく。

 

「だから、自分に自信を、持って……」

 

貴方は私の契約者なんだから

 

言葉にはしなくても、僕には奏がそう言ってくれたような気がした。

 

「……そう、だね……」

 

僕がいくら自分に自信を持てなくても、奏には自信を持てる。

僕には勿体ないぐらい、出来過ぎた恋人だ。

そんな彼女が、操緒がアニア達が、僕のことを認めてくれる。

そうだ、なのに僕がこんなことで悩んでてどうするんだ。

 

彼女たちの期待に応えるため

 

それだけで良いじゃないか。

世界を救うのはそのついでで事足りる。

奏たちの期待に答えていくことにしよう。

そうすれば、ついでで世界もどうにか出来るはずなんだから。

 

時に焦った結果で供に歩むようになったのであったとしても良いじゃないか。

 

間違いなく、2人の心は寄り添っているのだから

 

そう考えたら、先程までの心の中にあった狂騒が消えていた。

 

「ありがとう……奏」

 

フルフル

 

緩んでいた僕の心を再び強く、奏への情熱という形で締めつけなおしてくれた。

そのことにお礼を言ったのだけれど、首を振ってやんわりと断られてしまった。

まるで、何を今更、と言われた気分だ。

確かにそうかもしれない。

僕たちは互いに支え合ってこれからも生きていくことになるのだから。

 

『もう1人の当事者を放って、なに良い雰囲気になってるんだか……』

 

「う、うわ……!?

 操緒、驚かすなよ!!」

 

『ふ~んだ、どうせ私の入り込む余地なんて今更ないですよー、だ。

 そんな格好で真剣に見つめ合ってる中二カップルなんて知りません!!』

 

それだけ叫んでいきなり現れた操緒は再び虚空に溶けるように消えていく。

その際、

 

『トモと奏ちゃんの馬鹿!!』

 

僕らにそんな言葉を言い残して。

そんな風に突然現れた操緒によってその場の雰囲気は思いっきり壊され、

 

「「………………」」

 

改めて、互いの格好に視線がいく僕と奏。

僕は腰にタオルを巻いただけの状態。

それもお湯で体にピッタリと張りついて、下手に全裸でいるよりもよっぽど恥ずかしい。

僕の正面にいる奏も、似たような格好。

隠しているのは胸元から膝の最上部あたりまでなのだが、これまたお湯でピッタリと張りついて……こう……有体に言って……凄い、エロいです、奏さん。

 

「キャッ!?」

 

それに気付いたのか、奏は体全身を腕で抱え込むような体勢をとり、すぐに湯に体を浸ける。

幸いにもここの湯は乳白色に濁っており、湯に体を浸ければ見ることはできない。

だが、湯に浸かったは良いものの、目の前には僕の……その、タオルの部分。

しかも、さっきの奏の格好に知らぬ間に反応していたわけで……・

 

「……っつ~!!」

 

奏は顔を紅らめるどころではなく、茹であがった蛸のように真っ赤にしてすぐさま顔を体全身を反対側に向けることで“それ”から視線を背ける。

 

「……………」

 

僕も気恥しくなり、体全部を使い奏とは逆の方に視線を向ける。

背中合わせになり、黙り込む僕と奏さん。

……さっきまでの空気はどこへやら、やたらと桃色な空気に変わってしまった。

 

 

 

♦ ♦ ♦ ♦ ♦

 

 

 

一方の男子浴場では、

 

「おい、樋口!

 混浴だぜ、混浴!!

 女子が誰かいるかも!?」

 

「馬鹿やろー!!」

 

「ごふぅっ!?

 な、何をするんだ!?」

 

「いまどきの女子中学生が、そんなところに行くわけないだろうが!!

 しかも、俺たちの最大の目的である嵩月や佐伯みたいな女子が行くわけないだろ!!

 行ってる女子がいたとしても、それはどうせ期待もしてない奴なんだよ!!」

 

「そ、そうか!!」

 

「ああ、だから……急いで部屋に戻るぞ!!」

 

「そうか!?

 お前が仕掛けてたあれを使えば!!」

 

「おうよ!!

 急ぐぜ!!」

 

こんな会話が繰り広げられ、折角の機会を見逃していた。

いや、希望を打ち砕かれなかった分危機を察して逃げたと見るべきか……

どちらにせよ、その後彼らは理想郷は見届けられず、代わりに地獄を見る羽目になったと記述しておく。

 

 

 

♦ ♦ ♦ ♦ ♦

 

 

 

露天風呂の一件の翌日、つまりは修学旅行2日目。

燃え尽きている樋口達――何があったかよく知らない――を余所に、僕は気持の良い朝を迎えていた。

普段は朝4時に起きているから、5時半ぐらいだと少し寝過ぎた感じになる。

こう、普段の自身の生活を改めて振り返ってみると、やたらと健康的だ。

老人という年齢でもあるまいに……

良いことなのだろうけれど、中学2年生の生活じゃないよな~、と改めて思ってしまう。

ただ、そんな僕の得した気分とは裏腹に外は生憎の雨。

昨日の地元の雨が遅れてやって来たような感じだ。

風向きとかが違うからそんなわけないだろうけれど……

心なしか、昨日の雨より激しい気がする。

風もかなり吹いているし……今日の企画は大丈夫なんだろうかと少し不安に思ったり。

……まぁ、余計な心配か。

 

「顔でも洗ってこよう……」

 

布団で眠っている樋口達を跨ぎながら部屋から出る。

部屋の扉を開け、洗面所へと向かう。

流石にまだ早いらしく、教員の方々も起きていないようだ。

いや、起きてはいるのかもしれないが、まだ部屋から出てきていない。

昨夜はかなり騒がしい気配で満ち溢れていた廊下も今ではひっそりと静まりかえっている。

それでも、宿泊客である僕らの朝食を用意してくれているのか、従業員の方々が活動している場所にはそれなりの活気があった。

 

バシャッ!!

 

洗面所の蛇口を捻り冷たい水道水を顔に浴びせ、まだ少しぼんやりしていた頭を覚醒させる。

おおう……うん、眼が覚めた。

目の前にある鏡で寝癖がないかどうか確認しながら髪を整えていく。

蛇口から勢いよく放たれる水流を両手を皿のようにして受け止め、口に持っていき、その水を口に含み、口内を濯いで綺麗にする。

口内に残っている水は勿論、吐き出しておく。

別に飲んでしまっても良いのだけれど、なんとなく気分的にそれは遠慮したいものがあるのだ。

 

「よしっ!!」

 

もう一度鏡で自身の顔を確認し、特に異常がないことが分かったので洗面所から出る。

洗面所から出て、僕が向かった先は階段。

部屋に戻り、未だに寝こけているであろう班員の寝顔を眺めているのも面白いかもしれないが、そんなことで残りの起床時間までの1時間を潰すのは勿体ない。

折角だから朝の京都の空気を吸ってこようと思ったのだ。

人はいないかもしれないけど、玄関の扉は開いているだろうから外に出ることはできるだろうし。

雨が降っているが、屋根の下なら問題ないだろう。

……それに、少しは体を動かしておきたい。

シャワーなどが朝から使える訳がないのだし、時間もあまりないのだから普段のトレーニングができるわけはないが少しは動いておいた方が良いだろう。

……なんか、思考がかなり秋希さんや冬琉さんに毒されてきた気がしないでもないが、気にしない。

気にしてしまった瞬間色々おしまいな気がする……それに、軽くストレッチをしておくだけでも大分違うだろう。

全くやらない日はなるべくつくらないようにしないと、トレーニングは続かないものだし。

一日でもサボると、そこからズルズルとサボりたい欲求が続いていくのだろうから。

そんなことを思いながら階段を下り、一階にある旅館の玄関へと向かう。

と、

 

「……なんだ、あれ……?」

 

ロビーに置いてある観葉植物に紛れておかしなものが生えていた。

いや、よく見れば鉢から生えている訳ではないようだから、隠れている(隠している?)つもりなのだろう。

不自然なまでに鉢が集まって、旅館のロビーとは全く合わない鬱蒼とした景観を作り出しているし……

 

「……とりあえず……」

 

近寄って見る。

ひょっとしたら僕の見間違いかもしれないし。

だが、そんな僕の予想を裏切り、その生えている(隠れている)モノは消え去ることがなかった。

いや、むしろ僕が近づくことによって動揺したのか、ピクピクと動き始めている(震えている?)。

 

「……………………」

 

やはり、見間違えではなかった。

何だってこんなものが京都の旅館にあるのか……?

いや、そもそも何故こんな隠れているつもりで尚のこと目立つようになっているのか……?

色々と疑問が浮かんでくるが、とりあえず、

 

「なんで、ネコ耳?」

 

それが一番大きな疑問だろう。

 

ネコ耳。

いや、猫耳。

三角の形をしており、人の耳とはまるで違う。

生やしている猫の毛の色や質によって様々な模様が存在するが、いずれも猫という動物とは切っても切り離せない存在である。

獣耳という分類から言えば、犬耳だとか、バニーガールが装着しているウサ耳などがあるが、ああいった耳は須らく装飾品だ。

 

だが、今僕の目の前に鎮座?している猫耳は間違いなくその様な装飾品ではない。

なぜならさっきから動いて(震えて?)いるし、いっそ艶やかに思えるほど魅力的な黒の毛をその耳に生やしているからである。

こう、引っ張ってみたくなるぐらい見事に生えている。

上に看板でも吊るしておいたら、人気が出るだろう。

 

【引っ張ってください↓↓】

 

みたいな、看板を。

と、そんな与太話はともかく……

 

『……なにしてるの、奏ちゃん?』

 

ビクッ!!

 

問題は正面にあるネコ耳の主が、僕の恋人だということ。

操緒も周囲に誰もいないことから姿を現している。

 

「……な、なんのこと、で、しょう……?」

 

『いや、返事をするってのも……どうなの?』

 

目の前で声が発せられた訳だが、当の本人が姿を現さないため、僕たちから見るとネコ耳が喋っているように見える。

 

……シュールだ……

 

だけど、奏の姿が見えない以上傍から見れば僕と操緒はネコ耳と会話をしている痛い人間になってしまう。

それはそれで避けたい。

幸いにも周囲に人はいないけれど、そろそろ教員も起きてくるだろうし、従業員の方も受付に来るだろう。

 

「……奏……とりあえず、そこにいるのはどうかと思う」

 

「…………………」

 

『隠れてるだけじゃどうにもならないって……』

 

ネコ耳が横に揺れる。

奏が首を振って拒絶の意を示しているのだ。

いや、恥ずかしいのは分かるけれど、このままそこにいたんじゃ、本当に取り返しのつかないことになると思うのですよ。

というか、以前の世界ではそのネコ耳のままで登校してきたというのに……

その度胸は……ないんだろうなー……あったら、気にしていないのだろうから。

 

「……なぁ、操緒」

 

『ん?』

 

「何か良い方法ないか……?」

 

こう、ネコ耳を隠していても不自然じゃない方法が。

一番良いのは帽子を被ることとか、仮装の一つとしてしまうことなのだろうけれど、残念ながら今は修学旅行中のため、仮装はおろか、帽子を被ることさえ難しい。

となると、髪型で誤魔化すのが僕には一番良い案に思えるのだが……

 

『う~ん……奏ちゃんは髪の量が多いから、やってできないことはないと思うけど…… 凄く、不自然な髪形になると思うよ?』

 

そう言って操緒が例として挙げたのは、ツインテールだとか、無理矢理上に髪の全部を持っていってから纏めるポニーテール。

後は、パイナップルみたいになる髪型(名称が分からない)などなど。

いずれも、創り上げるには一手間かかる髪型だ。

ついでに言えば、奏に似合うとも思えない。

それでも背に腹は代えられないというか、奏はその案に食いついてきた。

なんでも、自分でも四苦八苦したらしいのだが、どうしてもネコ耳が少しは見えてしまう髪型ばかりになってしまったのだそうだ。

 

『よーし、じゃあ鏡のあるところにLet’s Go~!!』

 

「なんでそんな部分だけやけに発音が良いんだ?」

 

『ニアちゃんに習ったから!!』

 

奏の髪を(間接的にとはいえ)自身が弄れるとあって、操緒はかなり機嫌が良い。

一方の奏は、周囲にキョロキョロと視線を向けながら急ぎ足で――かといって音を立てることなく――進んでいった。

まるで忍の様である。

それでも、頭にはネコ耳が付いているのだからどこか緊張感に欠けるのは否めない。

 

幸いにも売店が開いており、そこで土産物と思わるピンやゴムといった髪留めを操緒の指示のもと僕が購入しているため、髪留めに関しては特に大きな問題はない。

購入した物品は既に奏に渡してあるため、僕はロビーで待機である。

あんまり離れ過ぎると操緒が活動しにくくなるため、外に出ることはできない。

なんとなく残念ではあるが、ロビーにも人がいるわけではないので、この場所で済ませてしまおう。

 

そう思い、ストレッチを始める。

それが終わると、腕立てや腹筋などの簡単な筋トレ。

あまり周囲に迷惑をかける訳にもいかないので、程々にして済ませる。

その後はイメージトレーニング。

普段は、自身の想像上のシャドー相手に実際に木刀を振るっているが、流石に旅館内でそんなことをする訳にもいかないので、座って目を閉じ、頭の中だけで戦闘をシュミレーションする。

頭の中に浮かぶ相手は、加賀篝が操るその名の通り真赤な薔薇の様な機巧魔神(アスラ・マキーナ)、薔薇輝(ロードナイト)。

普通に体を動かす時なら、秋希さんや冬琉さん、それに八條さんなのだが、イメージだけなら、機巧魔神(アスラ・マキーナ)にしている。

幸い、今のところ黑鐵を使う様な戦闘は起きていないが、準備しておいて悪いということはないだろう。

 

目の前に浮かび上がる薔薇輝(ロードナイト)から4本の鉛色の鎖が伸びてくる。

1本は僕に、残りの3本は黑鐵に巻きつこうと勢いよく向かってくる。

それを黑鐵に大剣を振るわせ、空間を切り取ることで防ぐ。

だが、それを越えた残りの2本が向かってくる。

1本は体を横にずらすことで避け、もう1本は重力球で撃墜する。

鎖が巻き戻っていく隙を逃さず、黑鐵から重力球を発射させる。

黑鐵の左手の先から勢いよく打ちだされた“それ”は、普通の人間ならばまず反応できないであろう速度で加賀篝達に迫る。

だが、それを迎撃しようと薔薇輝(ロードナイト)から鎖が迫る。

発射された重力球は一直線に進んでいるため、迎撃は容易だろう。

しかし、そうはさせない。

黑鐵が右手に持っている大剣を振るい、重力球の進む先に空間の裂け目を作りだす。

出来上がった裂け目は、重力球を取り込むと同時に、迫っていた鎖から身を守る盾となる。

その様子を見届けた僕は、再び黑鐵に大剣を振るわせ、加賀篝達の背後に裂け目を創る。

すると、そこから先程向かっていた重力球が飛び出してきた。

咄嗟のことに反応できない加賀篝だが、彼の使い魔(ドウター)であるイングリッド(こちらの世界ではまずあり得ない)が防ごうと反応する。

だが、それも重力球に更に重力をかけ、自壊させることで無意味なものにする。

高密度の重力球が壊れた場所は渦を巻き、周囲の物体を取り込もうとする。

光さえ捉える漆黒の大渦、ブラックホール。

それを小規模だが発生させ、相手の行動を奪う。

加賀篝は自身とブラックホールの間に、鎖を巻いた巨大な瓦礫を置くことで一旦凌いでいる。

だが、長く持たないことは向こうも分かっているのだろう。

すぐさま薔薇輝(ロードナイト)とイングリッドによる慟哭する魔神(クライング・アスラ)を行い、僕に攻め掛かってくる。

それを、僕も黑鐵とペルセフォネによる慟哭する魔神(クライング・アスラ)で対処しようとして……

 

『トモ!!』

 

現実に呼び戻された。

目を開き、声が聞こえてきた方向へと視線を向ける。

 

「できたのか……?」

 

そこにいたのは何故か操緒だけ。

肝心の奏(ネコ耳ver)はどこにも姿が見当たらない。

まぁ、時間も時間だから自身の割り当てられた部屋に戻ったのだろう。

そう思ったので、

 

「じゃあ、僕たちも戻るか」

 

そう言ったのだが、

 

『何言ってるの、トモ……?

 寧ろ、トモはちゃんとここに座ってて!!』

 

そう操緒に怒られてしまった。

何か変な事言ったっけな?

と、そんな僕を余所に操緒は角を曲がり、廊下の方へと向かって行った。

そのまましばらく待っていたのだが、

 

『な・で・・れ・・るの!!』

 

だとか、

 

「あの……い・・ら・・な・・・も・・・・これ・・・」

 

みたいな声が聞こえてくるだけで、一向に事態が進展しない。

まぁ、奏はとりあえず大丈夫みたいだし、一先ず心配しなくても良いか。

そう思い、さっきの続きをしようとして、ふと気付く。

 

あれ!?

僕はいつの間に秋希さんみたいなバトルマニアに……!?

 

知らぬ間に汚染されていたのか、僕の思考は普段から戦いのことを考えるようになってしまっていたのか……!?

気付いてよかったのか、気付かない方が今後のためには良かったのか……

どちらが良いのか判断に困るところではあるが、すごく微妙な気分になってしまう。

修学旅行で泊まっている旅館で。

しかも、早朝から。

我ながらおかしなテンションではある。

 

「あ、あの……夏目くん……」

 

そんなことを考えていると、気付かぬうちに悪魔と幽霊の問答は終わっていたらしく、

 

「……ど、どうです、か?」

 

目の前には普段と違う髪型をした奏が立っていた。

操緒は姿を消している。

よく見れば、周囲の人の数が明らかに増えているし、奏が呼び方を変えているのもそのためだろう。

 

「……うん、上手く隠れてると思うよ」

 

正直言って、奏の新しい髪型は新鮮だった。

頭頂部の左右で無理矢理纏めた感は否めないが、何にせよ、二つ結い、奏のツインテール……いや、ツーサイドアップかな?

決してグドンとワンセットになっている様な怪獣のことではない。

普段の人間離れした美貌はそのままに、やや幼くなっている様な感じに見える。

ネコ耳もしっかり隠れているし、パッと見大きな問題はないように見える。

 

「……………………」

 

そんな僕の気分とは余所に、奏は若干気落ちした様な表情になっていた。

どうかしたのかと思い、聞いて見たが、

 

「いえ、なんでもない、です……夏目くん、ですから……」

 

という、よく分からない返事が返ってきた。

首を傾げるも、奏も答えてくれるわけではない。

とりあえず、その場はそれで別れ、互いの部屋に戻ることになった。

その際に、昨日なんで露天風呂にいたのか聞いてみたが、

 

「その……杏ちゃんやニアちゃんから、逃げてて……」

 

という答えが返って来た。

要は、杏やニア(+多数の“小さい”方々)の追求から逃げた先が露天風呂だったと。

更に言えば、僕と同じように混浴だと気付かずに扉を開け、入ったのだそうだ。

それで逃げ込んだ先に僕がいたらしい。

僕で良かったのだろう。

樋口とかがいたら酷いことになってたのだろうから。

 

 

 

♦ ♦ ♦ ♦ ♦

 

 

 

「す、すごい所見ちゃった……!!」

 

その少女は物陰に身を潜め、2人(3人?)の様子の一部始終を見てしまっていた。

偶然、昨晩早く眠りについたため朝早く目が覚めてしまったのだ。

始めに智春がネコ耳(奏)を見つけ、それに話しかけている時は若干引いていたが、そこからは驚愕の連続だった。

空中から突然どこか姿が透けた少女が現れ、同じようにネコ耳に話しかけ始めたのだ。

更には、植え込みから姿を現したネコ耳の主は同学年では断トツの美少女である嵩月奏であった。

 

夏目智春と嵩月奏

 

この2人の仲が良いことは昨年から学校中で当然の認識になっていたため、2人でいることには特に驚きがあった訳ではない。

驚きは、2人の呼び方。

 

夏目智春から嵩月奏へは、奏

嵩月奏から夏目智春へは、智春くん

 

いつもとは違う呼び方でいつも以上に親しそう。

しかも、人が増えてくると、空中に浮かんでいる少女は姿を消し、2人の呼び方もいつも通りの物になっていた。

 

明らかに隠し事をしている。

 

別に少女としてはあの2人が付き合っていようが、何ら問題はない。

というか、個人的にはそちらの方が自然だ。

彼女と同じ部活に所属している佐伯玲子はやたらと2人を目の敵にしているが、自分は全く関係がない。

更に、嵩月奏と宙に浮いている少女が消えると、夏目智春はストレッチや筋トレを始めていた。

少女の記憶が正しければ、彼はどこの部活にも所属していなかったはずである。

にも拘らず、あそこまでする意味は……?

しかも、こなしている量がおかしかった。

自分の所属しているテニス部の男子たちが普段からこなしている量の軽く5倍程度はあった。

しかも、それを信じられないほどに少ない時間で終わらせていた。

更に、汗一つかいていない。

同級生にここまでの身体能力があったことは勿論驚くべきことだが、それをこんな修学旅行に来てまでやっている意味が少女には分からなかった。

その後の2人のカップルの様な会話や空気は今更としても、昨日嵩月奏が消えていた先が混浴の露天風呂だということは予想外すぎた。

更に言えば、そこに夏目智春がいて2人で過していたということも。

少女――露崎波乃は、嵩月奏に女としての敗北を感じながらも、この特ダネをどうするべきか悩むことになる。

いっそ新聞部にリークするのも手だが……

 

「とりあえず、観察、観察♪」

 

今後、2人のことをもっとしっかり見ておこうと決めたのであった。

特に、もう1人の、色素の薄い少女――夏目智春によれば“ミサオ”さんというらしい――は誰なのか。

可能ならば正体を暴いてみたい。

そう思い、彼女も急いで自身の部屋へと戻るのであった。

 

 


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