といっても、次の話で終了の予定ですが……纏めてみると、一番短い章だったな~
23回 妹の悔恨
「は、は、はっ!!」
夜も明けきっていない川沿いの道にランニングをしている僕の息が漏れ、秋の朝の空気の中に溶けるように消えていく。
『はい、あそこの橋まで!!
時間もないんだし、急いで、急いで』
懸命に堤防の上を走る僕を尚のこと急かすように――いや、実際急かしているんだけど――操緒が声を張り上げる。
この(無駄に)優秀なトレーナーがいるため、僕の早朝トレーニングは今迄一度も不完全に終わったことはない。
実行した日は必ず目標が完遂されている。
ありがたいはありがたいのだけれど、たまに口の端に上る僕に対する文句はできれば勘弁して欲しい。
『……ん?』
そんな名トレーナーの彼女が目的の橋の方を見やり、不思議そうに首を傾げた。
操緒につられて走りながら僕も橋の方を見やるが、朝日に照らされた街の中に浮かび上がる灰色の橋は、いつも見ている橋と特別大きな変化があるわけではない。
いや、通っている車だとか、橋の上の通行人とかは勿論違うのだけれど些細な問題だろう。
が、
『……どこかで見たような……?』
操緒が疑問に思ったのは、僕が些細な問題だと思ったその通行人の方だったようだ。
早朝の街に浮かび上がる橋の上には、遠目で見ても数えるのにさして苦労しない程度にしか人がいない。
しかも橋の上に見える人は僕と同じようなロードワークに精を出している人がほとんど。
ここ1年近く毎朝走っているから特別珍しい光景だとは思わない。
まぁ、今日は休日だからいつもよりは若干人が多いけれども。
けれど、そんな見飽きた風景の中に、普段とは違う光景があった。
「ん?
あれって……」
橋の欄干に腕を載せ、橋の下を流れる川の水面にじっと視線を向けている一人の少女。
彼女の身を包んでいるのは、白地に青いラインの入ったセーラー服で、市内ではお嬢様学校として有名な名門女子中学の制服だ。
こんな時間帯にそんな学校の生徒が街を一人でうろついているのはかなり不思議で異常だ。
『……あの子、どっかで会ったと思うんだけど……どこだったっけ?』
そんな少女の様子を遠目に見やり、首を傾げながら操緒が言葉を紡ぐ。
僕も走る速度を落とし、操緒が言っている少女の顔をしっかりと見る。
「……って、和葉!?」
始めは良く分からなかったけれど、近づくにつれて顔の輪郭がはっきりと見えるようになり、目や鼻、口といった顔のパーツも何となくだが見えるようになっていた。
結果、見えるようになったその女子生徒の顔を僕は知っていた。
操緒は覚えていなかったようだが、確かに僕は覚えている。
苑宮和葉
以前の世界でも、母親の再婚相手との顔合わせの時や、奏との強制二人三脚での下校の時など、直接顔を合わせたことは数回しかないけれどそれでも覚えている。
義理の、血の繋がっていない妹ができるということにそれなりの期待感を持っていた僕だ。
当の義妹の顔をそうそう忘れることはない。
『ああ、和葉ちゃんか!!
どこかで見た顔だと思った』
僕の洩らした名前を聴き取っていたのか、操緒が驚きの声をあげる。
そんな驚愕の表情を浮かべている操緒を余所に、僕らの足は橋へと更に近づく。
結果、和葉の顔――というか、表情がよく見えるようになった。
細部まではっきりと見えるようになった和葉の表情は、何かを決意したかのような、それでいて決して明るくはないものだった。
「それにしても、なんでこんな時間にあんな場所に……」
いるんだ?
と言おうとして気付く。
彼女のいる場所と表情、そしてほとんど周囲に人がいないという時間帯。
そういったことを考えると、どうしたって、飛び降り自殺をしようとしているのではないかということに。
『トモ……』
「分かってる」
操緒も僕と同じ考えに思い当ったのだろう、先程までの嬌声はどこかになりを潜め、声には真剣なものへとかわっていた。
そんな操緒と小声でやり取りを交わし、慎重に和葉の後ろに近づいていく。
彼女が自殺でもしようとするのならすぐに止められるように。
だが、バレたり怪しまれたりしては意味がないので、見られても言い訳が聞くよう、ごく普通に出来る限り気配を殺し、足音を消して近付いていく。
既に操緒も姿を消している。
自分がいてややこしい事態になるのを避けたのだろう。
……なんか、二人揃って橘高道場の影響を非常に強く受けてる気がしないでもないが、気にしない。
そうして、僕と操緒が慎重に和葉へと近づいていくと(タイミング良くと言うと変化もしれないが)すぐに彼女は行動を起こした。
白いセーラー服に身を包んだ彼女は、コンクリート製の橋の欄干に足をかけ、眼下に広がる川の水面へと大きく身を乗り出す。
「何してるんだ?」
「え!?」
僕はすぐに彼女に駆け寄り、和葉の肩を掴む。
そのまま和葉を自分の許へと引き寄せ、欄干に身を乗り出させていた和葉の体を強引に橋の通路の上に引き戻した。
「わ、わっ!?」
無理矢理体勢を崩された和葉は当然の様に体のバランスを崩してしまう。
何が起きているのか分からないらしく、顔には驚きの表情が張られ、大きく両腕を振り、必死に体のバランスを取り戻そうとしているが、その努力の甲斐もなく、
ドンッ!!
引き寄せた僕の体に自身の体を預けるようにぶつけてきた。
「と、とっ」
そんな(未来の)義妹の体をそっと抱き留めるように支える。
流石にこれぐらいの勢いで自身のバランスが崩れることはない。
「大丈夫?
怪我とかしてないよね?」
未だに呆然として、僕の腕の中に納まっている和葉を見下ろしながら聞く。
些か乱暴に扱ってしまったから、怪我とかしていないといいのだけれど。
パッと見では外傷はないが、足とか捻ってたら申し訳ない。
そうこうしているうちに、自身の今の状況に気付いたのか、
「は、放してください!!」
僕が聞いたことがないほどに強く、堅い調子で和葉はそう言い、体を暴れさせた。
まぁ、彼女からしてみれば見知らぬ男子にいきなり体を抱きとめられているのだ、暴れるのもごく普通の反応だと思う。
……というか、僕がこの光景を奏に見られた場合のほうがマズイとは思うが……気にしないようにしよう。
「あ、ごめんごめん」
一先ず和葉の体に回していた僕の腕を解き、彼女の体の拘束を外す。
いや、外そうとして、
「やめてぇぇぇぇぇーーーーっ!!」
周囲に響き渡った絶叫に遮られた。
「……へ?」
「……え?」
僕の腕の中で暴れていた和葉と、彼女の拘束を今にも解こうかとしていた僕の二人は揃って呆気にとられ、声の聞こえてきた方向へと振り返り、声の主を見やる。
そこには、
「お、同じ顔?」
僕の腕の中にいる少女と同じ顔で、同じ服を着た少女がいた。
しかも、その和葉と同じ顔をした少女は必死な形相で僕らの、いや、“僕”の方へと走り寄ってくる。
「……咲華」
自身と同じ顔の少女を見た和葉がポツリ、と呟いた。
先程まで僕の腕の中で暴れていた彼女とは打って変って、大人しいものだ。
まるで悪戯がバレた子供の様に。
そんな和葉に回していた腕を僕はそっと解き、彼女から離れる。
が、
「え?」
和葉に咲華と呼ばれた少女は方向を変え、僕に向かって勢いよく突き進んできていた。
……なんで!?
呆気にとられている僕を余所に彼女は足を速め、両手を自身の前に突き出す。
ドンッ!!
そしてそのまま勢いよく僕に体当たりをぶちかましてくれた。
「うわっ!!」
僕はそのまま勢いよく橋の欄干に激突。
腹部から当たる形になったため、それなりにきつかったが、問題はその後。
メキ
と、嫌な音が早朝の橋の上に響いた。
恐る恐る視線を下に向けてみると、分厚いコンクリートの欄干に罅が入り、それが勢いよく広がっていっていた。
嘘だろ!?
慌てて欄干から離れようとするも、時既に遅し。
僕の体を支えていた欄干は呆気なくへし折れ、下に見える川の水面へと落下していく。
ついでに言えば、体を支えていた欄干が無くなるということは僕の体を支えるものは無くなってしまうという訳で……
「う、うわあああああああああああっ!!」
『智春!!』
姿を現し、唖然と僕を見下ろしている操緒の身体が見えるが、次第に遠ざかっていく。
浮遊感と落下感を同時に味わいながら僕は水面へと落下していった。
その頃橋の上では、
僕にぶつかってきた彼女はそのまま
「和葉!!
大丈夫だった……!?
変な事とかされてないよね!?」
「う、うん。
私は大丈夫だけど、さっきの人が……」
「良いの!!
和葉が無事ならそれで!!」
「いや、でもさっきの人ひょっとしたら私を助けようとしてくれたのかもしれないし……」
『トモーー!!』
「あ、女の人が飛んで行った……って、えーーーっ!?」
みたいな会話が繰り広げられていたらしい。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
僕がなんとか岸まで泳ぎ着き、体を休めていると、
『トモ!!
大丈夫!?』
操緒が橋の上から一直線に飛んでやってきた。
遠目に見ると、二人の和葉?も走ってこちらに向かって来ている。
「ああ、なんとかね。
これも秋希さんたちに鍛えられたおかげかな?」
実際、去年の僕だったら死んでたかもしれない。
そう考えてみると、予想外の所でこの朝のトレーニングが役に立っているのが判明したことになる。
いや、普通こんなこと予想してトレーニングをしている人間がいるとは思えないが。
秋に入ったばかりでまだまだ残暑が厳しい今日この頃ではあるが、こんな夜明け直後は流石に冷える。
上下ジャージで、下も吸水性の良い下着やシャツを着ているとはいえ、あまり効果はない。
が、そんな僕の様子を見て、無事だと分かり一安心したのか、
『はぁ~……良かった~』
深い溜息を吐き、安堵の言葉を投げかけてくれる操緒。
ただ、
『奏ちゃんがこの場にいなくて……』
その後に続いた言葉で色々と台無しになった気がしないでもないが。
とまぁ、操緒には後で(可能なら)色々問い詰めるとして、今はちょうど僕らの目の前にやってきた二人の少女の相手をしよう。
二人とも全力で走ってきたのか、息を切らせて浅い呼吸を頻繁に繰り返している。
僕の前にやってきた二人の少女は本当に瓜二つ。
髪止めの位置や、被っている帽子に多少の差異は見受けられるけれども、一見しただけでは違いが分からない。
さて
そんな少女二人になんて声を掛けようか迷い、悩んでいると、
「よく生きてますね……」
「どうして生きてるんですか?」
と声を掛けられた。
片や呆れたように、片や本当に僕が生きているのが不思議なようだ。
いや、前者はともかく後者はどうなのさ……?
「ははは、普段の鍛錬の成果かな」
顔を青褪めさせながらも、とりあえず苦笑で返しておくが、そんなに僕が生き残っているのは不思議なのだろうか?
確かに、7、8m落下して生きているのは不思議かもしれないが……
幸い、それなりに水深があったので助かったようなものだしな。
というか、寒さよりも落下した時の精神的ダメージの方がきつい。
『おお、久しぶりに高所恐怖症発動?』
他人事のように声を挙げている操緒を無視して和葉?(咲華?)は口を開いた。
「それで、あなた達は誰……というか、何なんですか?
いきなり人のこと抱き抱えたりして……それに、そっちの人は何か浮いてますし」
無表情のまま、ややきつめの視線を僕と操緒に向けながら彼女は言う。
成程、こっちが和葉……か?
隣に視線を向ければ、和葉?よりも厳しい視線を咲華?が僕らに向けている。
そんな彼女たち二人の視線に晒されながら、僕は上半身に来ているものを脱ぎ、服を絞る。
「「ひゃっ!!」」
僕の行動に驚いたのか、それとも男子の上半身に驚いたのか知らないが、慌てて視線を外す和葉と咲華。
別に女性じゃないし、隠すようなものでもないから気にしなくて良いのだが……
そんなとりとめのないことを思いつつも、頭を捻り、どう答えたものかと悩む。
とりあえず、目の前の女子中学生二人がお気に召さないようなので絞った服は着るが……うわぁー湿って、体に張り付いて来て気持ち悪い……
そして、服を着終わった僕が二人に向けて言ったのは、高一の春に散々後悔したこの言葉。
よりによってまた和葉相手に使うなんて……
――幽霊って信じる?
・
・
・
橋の上を通るいつも以上に激しい車の往来に耳を傾けながら、
「――幽霊、ですか……?」
操緒を見やり、戸惑いを隠せていない苑宮姉妹?
だが、あからさまな否定の感情を見せていないだけ以前の世界よりはマシな反応だと思う。
あの時は、気まずいったらなかったからなー……いや、間違いなく僕のせいだったけどさ。
「うん、幽霊」
ぼんやりと当時の事を思い出しながら、答える。
正確には違うけれど、一般人からしてみれば対して違いがあるとは思えない。
「……信じてはいないですけど……」「目の前にいるので信じるしか……」
未だにどう反応したものか困惑しているようだが、別に操緒のことはそこまで重要ではないのであまり長引かせるつもりはない。
……濡れてて寒いし。
「まぁ、分かってくれたみたいだから、操緒のことはとりあえず措いといてもらっていい?」
「ええ、良いでしょう。
私たちとしてもそこまで長引かせるつもりはないですから」
こう答えるのは、咲華?と呼ばれていた後から駆け寄ってきた方の少女。
ついでに言えば、僕を川に突き落とした張本人でもある。
和葉と僕の間に立ち、和葉を護るかのような姿勢を取っている。
個人的には、そこまで警戒される理由がまるで分からないんだが……
「……じゃあ、そっちの、えっと……君の後ろにいる方の子」
僕が和葉の名前を今の歴史で知ってる訳がないので名前は使えない。
となると、こういった呼びかけしかできないから仕方がない。
ただ、その呼びかけの所為か、後ろの和葉と、目の前の咲華?の両名の身体が強張るのが分かった。
だから、なんでそこまで警戒するのさ?
「さっきはどうして橋から飛び降りようとしてたの……?」
若干怒りつつも諭すような口調で和葉にそう言うと、
「飛び降り?
何のことですか?」
訳が分からない、とでも言うかのように目を大きく瞬かせ、疑問で返事をされた。
が、それは当人だけの疑問だったようで、
「和葉、それ本当!?」
和葉のことを護る体勢を取っていた少女は驚き、自身の背中側にいる少女を詰問しに掛かっていた。
「いや、だから、私には何のことやら……」
「ほんと?
それなら良いけど……」
渋りつつも抜き放っていた言葉を鞘に収め、再び僕と和葉の間に立ち僕を威圧しようとするもう一人の少女。
だが、
『え?
でも、さっき確かに橋の欄干に足を掛けてたよね』
「和葉ーっ!?」
操緒の一言で再び詰問再開、と思いきや、
「ああ、その事なら……」
一言呟いた和葉が一瞬躊躇いを見せたが、制服の胸ポケットに手を突っ込み、
「私はこれを破り捨てようとしていただけです」
一枚の何かのチケットの様なものを取り出した。
パッと見は、手作り感満載の……というほどでもない手書きの原稿をコピーしただけのチケット。
書かれている文字までは読めないが、そこまでいいものとは思えない。
まぁ、こちらとしては自殺しようとしていたのではないと分かり一安心だ。
それで興味がそのチケットに移ったのだが……
正直言って、いらないものでも渡されたのかな?と思った。
見かけは安っぽいし、何かのクーポン券だったとしても出来が悪すぎる。
だから、捨てても特別おかしなものではないと思ったのだ。
(態々早朝の橋の上で破り捨てる意味も分からないが……)
しかし、
「そ、それって……まさか、お母さんの……」
そのチケットを見て声と体を震わせているもう一人の少女の姿を見ると、ただの紙切れではないことはよく分かった。
「……………」
和葉の方は、明らかに視線を逸らし、気まずそうにしている。
……成程、こうして知られたくなかったからこんな朝早くから態々うろついてたのか。
「なんで……なんでそんなことしようと思ったの!?」
僕が勝手な憶測をしているうちに、目の前で同じ顔の人間が喧嘩を始めていた。
区別が分からない方からしてみれば、ややこしいことこの上ない。
「……良いじゃない、私が何をしようと、私の勝手なんだから」
「良くないわよ!!
和葉は、それが何かちゃんと分かってるの!?
お母さんが私たちに遺してくれた……「分かってるよ!!」……」
あー、結構服も乾いてきた。
けど、生乾きの方が気持ち悪いかもしれない……
などと、姉妹喧嘩?を目の前で提供されているのに呑気に思っている辺り、僕も大分図太くなったものだ。
「最後の最後で、私に渡されたのがこのチケット!!
咲華は違うよね!?
だって、咲華の方がお姉ちゃんだし、お母さんとも仲が良かったから良いもの貰えてるはずだもん!!」
「な!!
何言ってるのよ和葉!?
私だって同じものを貰ったこと知ってるでしょ!?」
そう言って、自身の制服を探り、一枚の紙切れを取り出す咲華。
確かにそれは傍から見ても、和葉が持っているチケットと同じものに見えた。
「それは……!!」
自身の破り捨てようとしていたものと同じものを目の前に出され和葉は若干怯むが、尚も口喧嘩を続けようとする。
咲華も引きさがることはなさそうだ。
そんな二人を、
『はいはい、二人とも落ち着いて』
操緒が間に割って入ることで止めていた。
なんだか最近の操緒の役割って喧嘩の仲裁が多いような気がしないでもないが……本人が良いなら別にいいけど。
『なんでそんなに熱くなってるのか知らないけど、一旦落ち着きなって』
未だに一色即発の空気を纏っている二人を無理矢理押し留めている。
「……関係ない人は退いてください。
これは私たち家族の問題なんですから」
『そう言われても、目の前で始まった喧嘩を放っておける訳もないでしょうが』
「それでも、これは私たちのことなんですが……というか、改めて聞きますけど貴方たち誰ですか?」
和葉は未だに憤っているが、操緒と僕の間にいる咲華?の方はといえば幾分落ち着いてきたようだ。
今更な気もするが、僕たちの事を聞いてくれるぐらいには落ち着いたのだから。
『私?
私は水無神操緒。
そこにいるトモの幼馴染で、トモに憑いてる幽霊みたいなもの、かな……?』
首を捻りつつ自己紹介。
まぁ、特に何が間違っている訳ではないから別に問題ないだろう。
「で、僕が夏目智春。
操緒に憑かれてる中学2年の男子生徒。
因みにここにいるのは、朝のロードワーク中に橋から身を乗り出していたそっちの和葉?さんを引き留めたら、咲華?さんに突き落とされたから。
それで、君たちは姉妹でいいのかな……?」
出会ってから自己紹介に至るまでの過程がやたらと遅かったような気がする。
既に30分くらいは経ってるし。
「はい、私が姉の苑宮咲華で、」
「……私が妹の苑宮和葉です」
咲華の方は礼儀正しく、妹の和葉の方はぶっきらぼうに自己紹介をしてくる。
個人的な意見としては咲華の方が以前の世界の和葉に抱いていたイメージに近いが、些細な問題だろう。
……というか何故和葉に姉がいるのだろうか?
少なくとも以前の世界ではそんな事実は聞いていないのだが。
『それで?
何だって和葉ちゃんはこんな時間にあんな場所でそれを破ろうとしてたの……?』
「……これは、家族間の問題だからあなた達には関係ないです」
『関係あるよー』
「何でですか!?」
『だって、それが原因でうちのトモは川に落ちちゃったわけだしね。
そんな目に合わされたんだからせめて原因ぐらいは知っておきたいじゃない』
「む……」
操緒の指摘に押し黙る和葉。
痛い所を突かれたといった感じだ。
自身の姉である咲華を睨んでいる。
黙ってしまたところを見るに上手い手ではあったのだろう。
とはいえ、僕がダシに使われている感じがするのであまりいい気はしない。
操緒がそこまで気にしているはずがないのだから。
「あの、水無神さん……」
『なに、咲華ちゃん?』
操緒にやり込められた妹に睨まれ思うところがあったのか、咲華が操緒に声をかける。
「夏目さんを勘違いで突き落としてしまったのは私です。
和葉は悪くありません。
……すみませんでした」
僕と操緒に向かって頭を下げる咲華。
僕としてはこの程度慣れっこだったから別に気にしていなかったのもあって、
「ああ、うん。
別に良いよ、こんなことしょっちゅうだし」
早々に咲華の謝罪を受け入れていた。
このての事は後まで引っ張ると面倒だから、サッサと互いの落着点を見つけてしまった方が今後のためにも良いと思う。
だが、
『う~ん……』
操緒はそれで済ませる気はないようだ。
『咲華ちゃんの方はそれで良いんだけど……結局和葉ちゃんがややこしいことしてたのが原因でしょ?』
「それは、そうですけど……」
『なら、せめてそんなことしてた理由ぐらいは教えてくれてもいいんじゃないの?』
普段の操緒ならまず使わない声音。
やや低めの、いたって真面目なものだ。
「……でも……」
それでも渋る和葉。
余程他人には知られたくないのだろうが、今の和葉は周囲の想いなど無視して駄々をこねている子供そのままだ。
世間的にはそうなのかもしれないが、このまま放っておく訳にもいかない。
僕たちがこのままここで帰ってしまったら、きっとこの姉妹の関係や和葉と母親の関係は修繕不可能な程に壊れてしまうのが目に見えている。
次に再会するのは多分1年後ぐらいなのだろうが、その時になって崩壊した家庭など目にしたくない。
……これが、自身のエゴだとは分かっているけれど、仕方ない。
黙ってしまった和葉に向かって僕が口を開く。
「……今の君は逃げてるだけだよ。
さっきの言い合いから判断するに、そのチケットは君たちのお母さんが二人に遺してくれたものなんだろ?
君たち姉妹と母親の関係がどんなものだったのか僕には分からない。
だけど、それを受け取りもせずに破り捨てるなんて、馬鹿のすることとしか思えないよ」
想いを残してもらえるだけ良いじゃないか。
世界にはそれすら残してもらえない存在がいるんだから。
「なっ!?
馬鹿ってなんですか馬鹿って!?」
操緒に代わって突然僕が口を開いたかと思えば、自身の決意を馬鹿にされたのだ。
当然、気に食わなかったのであろう和葉が僕に食って掛かる。
が、今回ばかりは僕も退いてやるわけにはいかない。
義妹(予定)の間違いぐらい義兄(こっちも予定)として正してやらなければならないだろう。
……僕は兄(あの馬鹿)にそう言った意味で世話になったことなど一度もないが……
「馬鹿だよ。
周囲の意見なんて無視して、自分の考えだけで全てを決めて行動しようとする。
君がどうしてそこまで意固地になるのか知らないけど、僕からして見れば君は駄々をこねてる子供そのものだ」
「っつ!!だったら!!だったら、私はどうすればいいんですか!?
お母さんにあんな酷いことを言っておいて、それでもお母さんの優しさを受けとる資格なんて……!!」
髪を振り乱し、瞳に涙を浮かべる和葉に言葉を掛ける。
先程までの諭すような冷たい感じではなく、包み込むように暖かく、そして、励ますように熱く。
「簡単だよ。
そのチケットを使ってみれば良い。
それがどんな物かまで僕は知らないけど、君のお母さんが遺してくれたものなんだ。
どんな答えが待ってるにしろ、それを全部受け止めるのが遺されたものの務めだ!!」
「………………」
僕が言葉を言い切った後、和葉はそれ以上動くことなく、ただぼんやりと自身の手の中にあるチケットに目をやるのだった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「……あの、ありがとうございました。
夏目さん」
そんなこんなで僕や操緒、それに苑宮姉妹は揃ってこれからチケットに書かれていた店に向かうことになった。
その道中、激しい車の喧騒に掻き消されそうな程に小さな声で咲華ちゃんが話しかけてきた。
和葉は僕たちの後ろをやや距離を取りながら歩いている。
一応操緒が一緒にいるから大丈夫だとは思うが、少々不安だったりする。
先程のこともそうだけど、一緒にいるのが操緒だからこその不安もある。
「ん、何のこと?」
「さっき、和葉に言い聞かせてくれたことです」
「ああ、別に構わないよ、あれぐらいのこと」
喧嘩の仲裁役……というか、巻き込まれるのは慣れているし、自分から行動を起こしている分普段の事件の時よりも何倍もましだ。
それに、この世界でどうなるのか分からないけれど未来の義妹たちの面倒ぐらい見てあげられる兄でありたいと思うのだ。
自分の兄と呼べる存在は、一巡目にしろ、この世界にしろ碌な奴らじゃないのだからせめて僕ぐらいは。
「それでも、ありがとうございます」
やたらと丁寧に感謝の言葉を述べてくる咲華。
「……私、駄目な姉ですよね」
歩いていると彼女はポツリと呟いた。
感謝の姿勢から一転して、落ち込んでいる。
「そんなことないと思うよ?
こんな朝早くから妹の事を想って街中掛け回ってたんなら、立派なお姉さんだと思うけどな」
少なくとも我家の母や兄は僕が行方不明になったとしても、1日やそこらでは絶対にしてくれないと断言できる。
「いいえ、駄目な姉なんです。
お二人がいなかったら和葉とも喧嘩を止められなかったでしょうし、それに、お母さんとの約束も果たせてないのに……」
「約束?」
「……はい」
大分暗くなっていた彼女の雰囲気が更に暗くなる。
触れてはいけない話題だったかと思い、慌てて話を逸らそうとするが、
「良いんです。
私は大丈夫ですから……それと、これも良い機会かもしれませんから、良かったら聞いてもらえますか?
……私たち姉妹と母親の話を」
咲華はやんわりと僕の話題転換を断り、逆に自身の話を聞いてくるよう催促してきた。
……さっきまでの僕らへの高圧的な態度から一転し、やたらと殊勝な咲華の姿にどこかうすら寒いものを感じながらも、
「僕で良いんなら」
一先ず咲華の話を聞くことにした。
「……私たちの母は1年前に亡くなってしまったんです」
「……………」
口を開いた咲華に合わせて歩む速度を緩めながら、彼女の話に耳を傾ける。
「そのこと自体は悲しむべきことなんですけど、元々母は身体が弱くて、入退院を繰り返していたこともあって私は割と覚悟はできてました……和葉の方はどうだか分からないですけど……
だから、私に対しては変な気は回していただかなくて結構ですよ」
僕がまた暗くなったのを敏感に感じ取ったのか、咲華は先に気遣うかのような言葉を僕に放ってくる。
この子、本当に僕より一つ下の中学1年生なんだろうか?
「……それで、私たち姉妹のことなんですけど……お分かりのように仲がすごく悪いんです」
いや、そこまで仲は悪くないと思うけど……?
まぁ、兄弟、もしくは姉妹の関係は各家庭によって違うかもしれないが……
それこそ鳳島兄妹のような関係から、我が夏目家のような関係まで。
「いえ、悪いんです」
僕の疑問を余所にきっぱりと断言する咲華。
「今でこそ、私は和葉のことを何とかしてあげようと思って頑張ってますけど、昔は違ったんですよ。
……お父さんは仕事を頑張っていたから、その分、お姉ちゃんの私が病院にいつもいるお母さんのお世話をしなきゃいけないと思っていつも病院に入り浸っていたんです。
一人家に残された和葉のことなんて考えもしないで」
「……それ、は」
苑宮家の事情なんて知らない僕からしてみても、和葉の置かれた境遇は否が応にも想像できた。
「私が和葉と一緒にお母さんのお世話をすれば良かったのかもしれない。
だけど、当時の私はお母さんのお世話をするのに精一杯で、和葉のことなんて眼中になかったんです。
……気付いた時には、私と和葉の関係は悪化するとこまで悪化していて、和葉とお母さんの関係も……」
「お母さんが亡くなる日の前日、和葉とお母さんは喧嘩したんです。
いえ、あれは喧嘩なんて言う上等なものじゃなかった。
和葉がお母さんに今迄の不満をぶつけるように一方的に文句を言ったんです。
ただ一言、
――あんたなんかいなくなっちゃえ!!
って」
僕は黙って先を促す。
以前の世界で会った和葉が母親とどんな別れをしたのかは知らないけど、彼女は母の死を引き摺っている様な暗い雰囲気ではなかったと思う。
だから、きっと今僕と話している彼女たちも、母の死を乗り越えられると思う。
「……お母さんはそんな和葉の言葉を聞いてすごく悲しそうな顔になって、和葉もそれで自身の言ったことに気付いたのか逃げるように病室から飛び出していきました。
私は急いで和葉の事を追いかけたんですけど、見つからなくて……
一旦病室に戻った時に、寂しそうな顔をしたお母さんに言われたんです。
『咲華……貴女が和葉を護ってあげて、お母さんになってあげて』
って。
今思えばお母さんは死期を悟っていたのかもしれないです。
けど、あの時の私はお母さんのそんな言葉が信じられなくて、母が何を言っているのか分からなくて、ただ呆然としたまま頷き返すことしか出来ませんでした」
「その後、面会時間も終わりになったので和葉を探し出して一緒に家に帰りました。
……その日の夜、母の容体が急変し、母はこの世を去りました」
「きっと和葉は母が死んだのは自分が酷いことを言ったせいだと思ってるんです。
あのお母さんがそんなこと思ってた訳ないのに……」
それっきり、咲華は口を閉ざし、僕らはただ黙々と歩き続けた。
謝る機会を失った妹と、母との最後の約束を護ろうとする姉。
どちらがどれだけの重荷を背負っているのか僕には分からない。
だけど、ひとまず答えは出るはずだ。
ここで二人を何が待っているのか僕には分からない。
願わくば、それが二人の義妹を助けてくれるものであることを祈る。
僕らの目の前には『ゆのみ屋』という名前のありふれた大衆食堂が一軒。
チケットに記されていた住所は確かにこの店を示していた。