前章の後味の悪さをここで払拭できるかどうか……
36回 再開
あの事件が終結してから早4ヶ月が過ぎた。
中学2年生の2学期と3学期も終わり、現在は春休みの真只中である。
事件後は、あの事件に関わった殆どの人たちの間に大きな壁が出来ていた様に感じられたが、時間の流れとは偉大なもので、僕たちの間にあった壁をいつの間にか消し去っていた。
といっても、完全に壁が消え去った訳ではない。
未だに、どこか一歩踏み込めない空気が僕らの間には漂っている。
あんなことがあったのだから仕方のないことだけれども、その空気が漂っているせいで僕たちは中々次に踏み出すことができないでいた。
そんな閉塞感を、敏感に感じ取ったのかどうかは分からないが、
「来週、親睦会と祝賀会を兼ねて温泉旅行に行くから準備しとけよ」
『「「「……はい?」」」』
先日道場に顔を出した時、そんなことを八條さんが僕らに言ってきた。
あまりにも突然の言葉に首を捻るしかない僕や奏たちを余所に、八條さんは流暢に説明を続けていく。
全治半年と言われた大怪我は、どういう理屈か既に完治しており、日常生活や戦闘行為も全く問題ない状態に復活。
本当に――肉体的には――人間なのかと疑ってしまった僕らを誰が責められようか……
……それでも、2学期終盤と3学期を――怪我とはいえ――丸々欠席してしまったために留年確定。
来年は冬琉さんや塔貴也さんたちと共に洛高の2年生として過さなければいけない。
普通だったら落ち込むのだろうが、洛高は他校に比べて留年組が多いこともあり、八條さん自身はあまり気にしていない様子。
むしろ、八條さんと同学年になるということで騒いだのは冬琉さんや秋希さんであり、当の本人は言われてから気付いたようだった。
その事で若干冬琉さんともめていたが、1日もすれば普段通りに戻っていたので、然程大きな問題でもなかったのだろう。
……そう言えばあの事件の後遺症が八條さんや冬琉さんからはあまり感じられない。
事件が終結して数日は他の誰よりも落ち込んでいたようだが、美呂ちゃんからの手紙で何か考えさせられることがあったのか、割と早く普段通りに戻っていた。
……いや、普段通りというか、やや冬琉さんが八條さんに甘える回数が増えた気がするけれど、そんなに気にすることでもないだろう。
事件中も病院の個室内でやたらと甘ったるい空間を作り出していた二人なのだから。
それ以外にも、美呂ちゃんの手紙の件もあるから、ひょっとしたら付き合いだしているのかもしれない。
それはそれでめでたいことだし、以前とは歴史が変わったということの表れでもあるので大歓迎だ。
ただ、これ以上周囲に甘ったるい空気を振り撒くのは勘弁願いたい。
……操緒やアニアに言わせれば、『僕と奏も大概だ』そうなのだが……よく分からない。
まぁ、僕たちのことは置いておいて、八條さんが前述の台詞を言ったのは、やはり最近道場に漂い続けるぎこちない空気を感じ取ったからなのだろう。
故人の身内である自身よりも周囲がその事を引き摺っているのが我慢ならないからなのかもしれないけれど。
「別に良いですけど……メンバーはどうなってるんですか?」
「ん、俺と冬琉に、秋希と塔貴也、蹴策と氷羽子、この面子からは了解を得てる。
後、聞いてないのは、お前と嵩月、それに水無神とアニアだな。
一応、雪原と露崎にも声は掛けたんだが、引き継ぎとかの仕事が忙しいらしくて参加できないそうだ」
……大体、この前の事件に関わっていた面々で、道場とも関わりのある人たちだ。
若干、塔貴也さんの様な例外も関わっているけれど、別に問題があるわけじゃない。
「冬琉はいいのか?」
雪原さんと露崎の事を聞いたアニアが疑問を漏らす。
確かに、冬琉さんも学生連盟所属なのだから仕事は色々あると思うのだが……
「ああ、念のため雪原にも確認はとったんだが今のところ大きな事件は起きていないし、GDとしての仕事も巡回程度らしいからな。
……それに、なんだかんだ言って冬琉もデスクワークは優秀だから、担当の仕事は終わってるんだとよ」
そう言えば、前回の世界での冬琉さんはかなり優秀な生徒会長でもあった。
今回の世界では普段の性格からしてあまりその能力が活かされた場面を見たことはなかったけれど、単に今迄僕たちがその場面に遭遇しなかっただけなのかもしれない。
「……ふむ、なら問題ないか。
私はOKだ。
波乃が来れないのは残念だが、仕事なら仕方あるまい」
「僕も大丈夫です」
「あ、私も……」
『勿論、OK』
アニアに続く形でそれぞれ、返事を返していく僕たち。
全員から参加の意志が聞けたからか、八條さんは満足そうに頷き、
「なら、全員参加だな。
日程は明日にでも知らせるから、保護者に説明しとけよ」
「はい、分かりました」
それだけ言って練習に戻っていった。
その背中は美呂ちゃんが亡くなる前よりも、どこか大きくなっているように見える。
八條さんが自身の中での美呂ちゃんがどんな形でいるのか分からないが、今の彼の姿を見ている限り、少なくとも暗いものではないのだろう。
一方で、橘高姉妹や鳳島兄妹は、考える時間が増えた気がする。
冬琉さんは前述したとおりでそこまで引き摺っている感じはないし、秋希さんもあからさまに問題がある様な状態にはなっていない。
けれど、姉妹揃って顔を突き合わせ、何かを深刻に話し合っている光景をよく見る様になった。
たまに、そこに八條さんや塔貴也さんが加わっていることから“他人に話せない内容”というわけではないのだろうが……いずれ話してくれることを期待しよう。
……ひょっとしたら、黑鐵の出番かもしれない。
氷羽子さんと蹴策は相変らずだけれど、最近どことなく氷羽子さんが蹴策から距離を置いている様な気がする。
蹴策は今迄通り馬鹿だが、能力を無駄に使わなくなった。
氷羽子さんは、以前は蹴策といる時は、四六時中――と言っても良い程――蹴策にベッタリだったのに、最近はそこまでじゃなくなった。
勿論、普段から一緒にいることに変わりはないのだが、何となく依存度が下がった気がする。
巣立ち直前の雛鳥と言うか、成長して群れに居辛くなった雄ライオンと言うか……有体に言って、これからどう接していけばいいのか分からなくなっているようだ。
別に、蹴策のことが嫌いになったのではないだろうし、蹴策も氷羽子さんのことを避けている訳ではない。
ただ、美呂ちゃんの手紙に思うところがあったのか、氷羽子さんは、少し、そう、ほんの少し、兄である蹴策と距離を置いている。
現在、自分の在り方について悩み続けている、とは友人であり、立場も似たような位置にある奏の弁。
雌型悪魔であり妹としての気持ちと、一人の女としての気持ち。
今迄は、分かっていても見て見ぬふりをしていたそれに否が応でも向き合わなければならなくなったのだとか。
切掛けは美呂ちゃんからの手紙なのかもしれないが、いずれは向き合わなければならなかったもの。
下手に僕たちが手を貸す訳にはいかない。
変に捻じれてしまったらその時点で氷羽子さんの未来は決まってしまう。
だから、
酷かもしれないが、それが今の彼女に対しての最善だと思う。
それから、雪原さんや露崎はあまりにも変化がなかった。
雪原さんは、相変らず仕事熱心だし、露崎もそれらの処理に追われている。
一応、露崎は学校にちゃんと来ているから大丈夫だとは思うが、少々不安だったりもする。
雪原さんは道場にもちょくちょく顔を出しているから、そこで話をするのだが、美呂ちゃんのことはあまり気にしていない様だった。
それでも、若干奏やアニアを見る目が柔らかくなっている気もする。
……僕の気のせいだ、とか言われたらそれまでだが。
露崎は、元々美呂ちゃんとはあまり関わりがなかったから、特別思うこともないのだろう。
彼女が道場に(連行されて)来た時に挨拶したぐらいだったから、精々1、2回程度。
学校でも、顔を合わせたら挨拶するぐらいだったそうだ。
だから、彼女が心配していたのは、美呂ちゃんの方ではなく、むしろ美呂ちゃんを助けようとしていた僕たちの方だったらしい。
仕方ないことだが、どこか遣る瀬無い気持ちになったのも事実だ。
僕や奏、操緒にアニアはそりゃもう落ち込んだ。
“やり直す機会を得たというのに結局助けられなかった”という事実が、僕らのこれからを暗示しているように思えたからだ。
何をやっても未来は変えられないんじゃないか?
僕たちに人を助けることができるのか?
などという疑問が頭の大半を埋め尽くしていた。
けれど、美呂ちゃんの手紙でその悩みもかなり解消された。
手紙を読んだから解消されたわけじゃない。
手紙を読んだ皆の行動が、以前の世界とは明らかに異なる様に動き始めたからだ。
僕らがいることで、未来が変わる。
その確信を得られた。
それだけで、再び前に進もうと思ったのだ。
奇しくも、美呂ちゃんが願ったとおりに僕らは動いている。
それが、今後の世界にどの様な変革を齎してくれるのかまで、僕たちはまだ知らないけれど……
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「ふぃ~……癒されるな……」
「そうだな~
氷風呂も良いが、やっぱ温泉だよな」
「いや、氷風呂なんかと比べるのって……」
そんなこんなで旅行当日。
到着して早々に男女の部屋に分かれて行動することになった。
操緒はどうなるのかと思ったが、隣部屋なので特に問題はないらしい。
ただ、男性陣――というか僕――が遠出することになったら、どうしてもこちらに憑いて来ざるを得なくなるが……まぁ、旅館の外に出るような事でもない限り特に問題はないと思う。
「……むぅ……」
現在、旅館内の温泉(露天風呂)に浸かっているのは、僕、八條さん、蹴策の3名。
硫黄臭が漂う露天風呂は、以前の修学旅行の時に入った温泉とは違い、風呂底がはっきりと見えるくらい澄んでいた。
そんな浴場から見える景色には、梅や桜の花が見られ、風呂に浸かりながら花見ができる。
風に吹かれて花弁が僕らのいる浴場にまで運ばれ、硫黄臭に混じってどこか甘い匂いが鼻を衝く。
何とも、風流なものだ。
そんな中々味わえない光景なのに、塔貴也さんは体を洗い終えてもなかなか湯に浸かろうとせず、どことなく羨ましそうな視線を僕らに向けていた。
景色に目を向けず、僕らに視線を向けるとは……正直言って、不気味です。
「塔貴也、お前は入らないのか?」
「……ああ、今入りますよ」
八條さんに声を掛けられたからか、塔貴也さんは返事を返すと湯の中に足を踏み入れた。
表情は硬いままだが、予想以上に高い湯の温度に驚いたのか、やや顔を顰めている。
「「……?」」
蹴策と顔を見合わせ、いつもと違いどこか覇気のない塔貴也さんの様子に首を傾げる。
ここしばらく自宅のプレハブ小屋を、前回の世界の様に改造するので忙しかったから疲れているのだろうか……?
今の塔貴也さんの体調も不安ではあるのだが、アニアが悪乗りしたから前回以上の代物になってしまったことの方が個人的には不安だったりするのだが。
「……ふぅ」
湯に肩まで浸かったところで、塔貴也さんの顔がようやく崩れた。
眼鏡を外した端正な顔立ちを湯気の中に漂わせる。
そのまま露天風呂を堪能しているのか、言葉を発さず黙り込む。
「たまには男だけってのも、いいもんだな……」
「そうだな……」
「ええ」
「ですねー」
黙り込んだ男連中だったが、暫くして、八條さんがポツリと漏らした言葉に3人とも頷く。
別に彼女たちの事が鬱陶しいわけじゃないけれど、やっぱり男だけというのはどこか気楽なのだ。
変に飾らなくていいからかもしれないし、馬鹿をやっても笑い話で済ませられる。
「そういや、塔貴也さん」
「ん、なんだい、夏目くん?」
「風呂に入る前に僕らの方を見てましたけど……何か気になるところでもありました?」
塔貴也さんに“そっちの気”が無いのは知っているけれど、念のため。
その返答次第によっては今後後ろに気を付けなければいけない。
「なんだ、塔貴也。
お前、そっちの気でもあったのか?」
冗談だろうが、顔を強張らせつつ塔貴也さんに訊ねる蹴策。
手が腰の後ろに回っている辺り、冗談なのか本気なのか判断に困る。
「いや、違うよ。
単に、僕と違って皆鍛えてるんだなーと思ってね。
一応、秋希の彼氏なんてやらせてもらってる身としては羨ましいのさ」
「あー、そういうことですか……」
塔貴也さんに言われて改めて自分の体に目をやれば、確かに以前の世界での自分の体と比べても鍛えられてると思う。
全体的に引き締まった体躯で、殆ど脂肪が見られない。
腹筋だっていつの間にか割れてるし、自分でも驚くぐらい見事な体躯になっていた。
「まぁ、あんな脳筋の彼氏なんてやってたら、男としての強さってなんなのか不安に思うわな……」
そういう蹴策も僕と似たような体型だ。
安心したのか、後ろに回していた手を元の位置に戻し肩の力を抜いている。
どうやら、先程の言葉は割と本気だったらしい。
やっぱり馬鹿は馬鹿なのか……
「諦めも肝心だぜ、塔貴也」
笑いながら塔貴也さんに言った八條さんに至っては、筋骨隆々とした体型で、更に体の所々に傷跡が見える始末。
歴戦の兵と言える体躯だ。
塔貴也さんではないが、一人の男として、憧れられずにはいられない。
「和斉さんは良いですよ、年上ですし、冬琉ですから。
けど、僕の場合は……何と言うか、あんまり甘えてくれないですし……どちらかというと世話焼き女房みたいというか……」
ついでに言えば、現在は
「まさか、お前からそんな愚痴を聞くことになるとは思わなかったな……」
塔貴也さんの愚痴に、八條さんがポツリと返す。
確かに、今迄の塔貴也さんであれば、こんなことは言うはずがない。
何かあったのか……というか、いつの間にか二人の間での互いの呼び方が変わってるし。
「よく言いますよ……あれだけ、冬琉といちゃついてるのを見せられたら、いくら僕だって愚痴ぐらい言いたくなる」
「……和斉、お前いちゃついてるのか?」
塔貴也さんから漏れ出た言葉に反応し、八條さんにジト目を向ける蹴策。
「……八條さん」
僕もそれに便乗して咎めるような視線を八條さんに向ける。
最近、仲良くなったと思ったらこんなところに実害が……
「蹴策や塔貴也に言われるのはともかくとして……夏目、お前に言われると腹が立つ」
「僕らは、場を弁えてます。
八條さんと冬琉さんみたいなことはしてません」
「よく言えるな。
それなら、俺と冬琉だってそうだっての」
塔貴也さんの愚痴だったはずなのに、何故か矛先が僕へ。
心外だ。
「……五十歩百歩」
「……どんぐりの背比べ」
僕と八條さんの訳の分からない言い合いを余所に、蹴策と塔貴也さんがそんな事を言っていたらしいが、僕と八條さんの耳には入ってなかった。
・
・
・
「そういや、結局八條さんと冬琉さんって付き合ってるんですか?」
途中でバカバカしくなったこともあり、矛を収めた僕はそもそもの疑問を八條さんに訊ねていた。
一応、僕と奏は……その……付き合っているわけだが、八條さんと冬琉さんはどうなのか?
別に付き合ってるなら、そんなに問題ないんじゃないかと思うのだが……
「ああ、それは…『へー、冬琉さんと八條さんって、付き合ってるんですかーー!!』……そういうことだ」
「あ、はい」
八條さんが言おうとした時に、タイミング良く女風呂の方から操緒の大声が聞こえてきた。
内容も、まさに質問の返答内容。
一瞬固まってしまった僕らを誰が責められようか。
タイミングが良すぎて怖いったらない。
因みに、時々女風呂の方から大声は聞こえていたのだが、僕らは敢えてスルーしていた。
だって、
『うわー、奏ちゃん胸すごっ!!
ていうか、クビレ、腰、あーもう、なんで私とはこんなに違うのーー!!』
だとか、
『氷羽子ちゃんの肌……真っ白……』
『うふふ、ありがとう奏。
あなたも綺麗よ、こことか』
『ひゃんっ!!』
だとか、
『じー……』
『な、なんだ!?』
『うし、勝った!!』
『待て、操緒。
今私のどこに視線を向けてその台詞を言った!!』
『ふふ~ん、ニアちゃんも頑張れば~、最近ではレーザーでの豊胸とかあるらしいから……あ、でも、ニアちゃんは唐揚げで頑張ってるんだっけ?』
『何故、お前がそれを知っているーー!!』
『律都さんから聞いた』
みたいな非常に反応に困る内容だったからだ。
もう、向こうは聞こえてるのが分かってやっているとしか思えない。
まぁ、なんにせよ、
「お、おめでとうございます?」
「あ、ああ」
祝っておくべきか。
戸惑いながらも、満更でもない笑顔を浮かべる八條さん。
なんだかんだで、嬉しそうだなー
と、
「早く、見つけないと……」
嬉しそうな八條さんとは逆に、塔貴也さんがどこか焦ったような表情でポツリと呟いた。
「もう、秋希に残された時間は……」
隣から聞こえてくる女性陣の騒がしい声に紛れて八條さんと蹴策には届かなかったようだが、僕には確かに聞こえた。
塔貴也さんの苦悩が。
だから、
「塔貴也さん」
「……なんだい、夏目くん?」
「この後、秋希さんと冬琉さんを交えてお話があります」
気付けば塔貴也さんに近づいてこっそりと声を掛けていた。
・
・
・
「それで、話ってなんだい、夏目くん?」
湯上りの上気した頬を朱に染めながら、塔貴也さんがやや困ったような顔で僕に問いかけてくる。
今僕たち男性陣がいるのは、脱衣所のすぐ横にある休憩スペース。
女性陣を待っている間、各々が好きなように時間を潰している。
僕と塔貴也さんは、自販機横にあるベンチに並んで座り、八條さんと蹴策がしている卓球をぼんやりと眺めていた。
白球が目の前を何度も横切り、八條さんと蹴策の威勢のいい掛け声が飛び交う。
そんな中で、ポツリと塔貴也さんが呟いたのが、上記の言葉。
「え?」
予想外のタイミングだったこともあり、戸惑った声を上げてしまった。
「さっき、話があると言っていただろう。
今じゃ駄目なのかい?」
「……秋希さんたちを交えた上で、と言ったはずですが?」
さっき言ったことを聞いてなかったのだろうか、と首を傾げつつも再度確認のために訊ねてみる。
……まぁ、確かに塔貴也さんも間違いなく当事者ではあるのだが、あくまで今回の件の最重要人物は秋希さんと冬琉さん。
言い方は悪いが、塔貴也さんはおまけでしかない。
そのくせ、助けなかったら暴走して最悪の結果を生み出すといういらない要素がある非常に厄介なおまけなのが問題なのだけれど。
「ああ、それはそうだが……なに、彼女に関わる事なんだ。
先に取り除けるものがあるなら取り除いておきたい、彼氏心というやつだよ」
「はぁ……」
首を傾げる僕を無視して、塔貴也さんは特に表情も変えずあっさりと答えを返してくる。
塔貴也さんと同じ様に相手がいる身としては、分かるような、分からないような……
彼氏心なんていう殊勝なものが塔貴也さんに備わっているとは考えにくいのだが……まぁ、以前の世界であんな事をしでかした人なのだから、特別不思議でもないか……
改めて炫塔貴也という人物の面倒臭さに気付きつつも、頭を回転させる。
≪……できれば、奏たちに相談してから話したかったんだけどな≫
特に、一度アニアの意見を聞いてから実行に移りたかった。
この件は、それだけ非常に慎重にいかなければいけないのだ。
……それなのに、軽々と塔貴也さんに声を掛けてしまった数分前の自分を叱ってやりたいが、あんな苦渋に満ちた独白を聞いたのだから仕方ない、か。
あの焦りの感情は僕にもよく分かる。
そもそも、秋希さんを助けるだけなら、それほど慎重にいく必要はないのだ。
何故なら、僕と冬琉さんの二人――操緒と秋希さんも入れれば4人――がいれば解決する問題なのだから。
黑鐵の能力で、
実際にやってみたことはないが、鋼と同じ“完全なる空間制御”の能力を得た黑鐵・改なら、あの次元の奥底に沈んでいる
だから、助けるのは問題ではない。
問題なのは、
これが、
前者は方法を開示しても使える人間が限られているし、そもそも技術だけなら既に資料として殆どの人間には見ることができる。
後者は周囲に広まる可能性が極端に低い。
例え
が、今回の件はそう簡単に片付けられないのだ。
方法がこの世界には存在しないはずの
一つ目の点は、主に今後の僕らの方針に関わってくる。
先日の事件で殆どばれてるとは思うけれど、精々強力な
だが、
今だって嵩月組所属で鳳島家や学生連盟が動いているからこそ、教会や商連合とも一定の距離が取れているのだ。
薄氷の上に立っている様な状態なのに、ここで更に僕が余計な事をしたりすれば、まず間違いなく氷は割れ、非常に厄介な事態が起きることだろう。
最悪、直貴の奴が介入してきて前回以上の悲劇が起きる可能性もあるのだ。
世界崩壊を防ぐために動いているあいつが余計な動きをして前回以上に酷くなるのは避けたい。
二つ目の点は、一つ目に繋がる。冬琉さんが学生連盟を辞めるのは問題ないだろう。
前回の世界でも結果的にはそうなっていたのだし、辞める過程で今更何が起きるとも思えない。
ただし、秋希さんが消滅しているという前提があればだが。
結局問題はそこなのだ。
しかも、それが
誰でも使えるのなら加賀篝の様な人間は以前のように造り上げようとするだろうが、僕たちしか使えないとあればどんな手を使ってくるか分からない。
奏やアニア、樋口に杏、それに露崎たちを人質にする可能性だって捨てきれないのだ。
三つ目の点は嵩月組の皆さんにいらぬ負担を強いてしまう事になるから。
社長や八伎さんに相談した時は、
『婿殿は奏と上手くやってくれればそれでええ』
『夏目さんの心配も御尤もですが、私共もこの様な世界に身を置いているのですから相応の覚悟はあります。
お気になさる必要などまるでありませんよ』
と、笑い飛ばされたけれど、そんな皆さんだからこそ、僕たちは余計な迷惑はかけたくないのだ。
解決策としては単純で、
黑鐵を使って解放したのだと周囲に漏れないこと。
という一点に尽きる。
……のだが、これが予想以上に難しい。
秋希さんたちは黙っていてくれると仮定しても、学生連盟がその辺りを問い詰めない訳がないだろうから、彼らを納得させるための物的証拠がなければならない。
ただ単に、『
『それが出来るのなら、実際に使わせろ』と求められた際に断れなくなる。
勿論、魔力を理由に断ることもできるだろうが、あちらがその魔力を用意でもしてきた場合断れないのだ。
≪ああもう!!
これなら夜襲でもかけて、そこでやった方がいいかも……って、それだ!!≫
八百長でもいいからそういう状況を作り出せば、正体不明の敵に襲われて無力化されたということにできるはず……上手くいく気がしないけど。
だが、それでも、解決策がまるで無い時よりはマシだ。
秋希さんたちに諸々ばらさなきゃいけないだろうが、そこは仕方ないし、もうそろそろ話さなければいけないと思っていた事だ。
時期が来た
それだけのことなのだろう。
信用も信頼も十分だと僕は思っている。
思い過しだった場合は手痛い事になるだろうが、一つの事件を共に乗り越えた仲間なのだから、大丈夫だと思いたい。
≪……うん、それなら先に塔貴也さんに話してみて反応を探ってみるのも良いかもしれない≫
僕なんかが上手く事を運べるとは思わないが、それでも何もしないよりマシなはず。
……たまに、張り切り過ぎて出る目が全部悪手になることもあるが、それは今気にしても仕方ない。
よし
決心はついた……否、つけた。
いつの間にか俯き気味になっていた顔を上げ、塔貴也さんの方に向ける。
「夏目くん……?」
黙り込んでいた僕が急に顔を上げ、自身の方を見てきたからか、塔貴也さんはやや戸惑い気味だ。
戸惑ったままの人に切り出していいとは思えないが、聞いてきたのは塔貴也さんの方なのだから気にしなくていいだろう。
「……分かりました。
正直に、教えて下さい、塔貴也さん……秋希さんに残された時間は、後どれぐらいですか?」
僕はこの言葉を口にしたことをその後の人生で二度と後悔はしなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
『……塔貴也?』
「……ん?ああ、秋希か。
どうかした?」
ふと目線を上に上げれば愛しい幼馴染の姿が。
普通の人には見えないのだけれど、幸い僕には改造した眼鏡があるから問題ない。
声も眼鏡が振動を察知してフレームを伝って把握できるようにしてある。
学生連盟や科学狂会などの諸組織に売り出しているため、割と儲からせてもらっている。
いつの間にか着替えたのだろう、普段のパンク調の私服から旅館にあった浴衣姿に変わっている。
それでも
まぁ、彼女の姿が可愛らしいことはまるで変わらないのだが。
『いや……何かあったのか?』
どこか不安そうな表情で僕を見下ろしながら秋希は問いかけてくる。
珍しい。
秋気が僕に向けてくる視線は大抵呆れたようなものか、知的好奇心に満たされたようなものなのだけれど……
それだけ僕の顔が悩ましいものだったのだろうか?
「……まぁ、ちょっとね……
まだ纏ってないから、自分の中で整理できたら話すよ」
先程まで僕の隣に座っていた彼の姿を思い出しながら言葉を紡ぐ。
蹴策に引き摺られて卓球に興じている今の顔は年相応のものだけれど、先程まで僕と話していた彼の顔は僕なんかよりも大人びたものだった。
それだけ彼が抱えているモノは深く重いものなのだろう。
事実、語られた内容は正直信じられないものだった。
仮に本当なのならば僕は無条件で彼のいうことに従おうと思えるほど魅力的なものだったし、今迄の彼の行動から判断しても特に問題ないとは思う。
だが、それでも、これは僕の中で処理する訳にはいかない。
秋希と冬琉、それにおそらく八條さんと話し合った上で決めなければいけない。
だけど、今は黙っていよう。
少なくとも、事の真偽を判断するまでは。
秋希と冬琉たちには黙っていてくれるよう夏目くんには頼んであるし、彼も了承してくれた。
……一応、八條さんには相談してみるつもりだ。
彼の立場が、今の僕の立場に一番近いからというのもあるが、冬琉のこともあるのだから、彼に話さない訳にもいかない。
八條さんとの相談の結果次第で秋希と冬琉にはどう話すか決めようと思う。
だから、今は話せない。
『……ん、分かった』
渋々、といった様子で秋希は頷いてくれる。
そんな表情を見ると、まるで自分が悪い事をしているように思えてくるが、今回の事は話す訳にはいかない。
「ごめん」
『いや、良いんだ。
話してくれると言うならそれまで待つさ』
言葉の上では気丈に振舞っているつもりなのだろうが、やはりどこか物悲しさが隠せていない。
うう、そんな悲しそうな顔をしないでよ、秋希。
決意が揺らぐじゃないか。
でも、そうだな少しぐらいなら……
「秋希」
『なんだ、話す気になったのか?』
途端に表情を一変させ、喜色満面の笑みを顔に浮かべながら僕にすり寄ってくる幼馴染兼恋人。
そんな分かりやすい彼女の姿に苦笑しつつも、
「違うよ」
やんわりと否定しておく。
『そ、そうか……』
一転、再び落ち込んだ顔になる秋希。
ここまで分かりやすいと、悪気よりも先におかしくなってくる。
が、笑ったら笑ったでむくれて暫く機嫌が悪くなるだろうから決して笑みは見せないようにしないと……
「一つね、問題が片付きそうなんだ」
落ち込んだ様子の秋希に、出来るだけ柔らかく優しい調子で言葉を掛ける。
『問題?』
「ああ、上手くいけば当面の間は安心できるようになるはずなんだ」
そう、当面の間。
彼と彼女が同様の問題に直面するその日まで、この問題は触れなくてよくなる。
勿論、僕の方でも何か出来ないか探ってみるつもりだが。
『……そうか、よく分からないが、問題が解決できるのなら喜ばしいことだ』
頭を縦に振りながら、まるで自分のことのように喜んでくれる秋希を見てると、自分自身も嬉しくなってくる。
まだ上手くいくとも決まっていないのに、こんな風に喜んでしまうのはいけないと分かっている。
分かっているが、それでも、
『ふふふ』
「ははは」
僕と秋希は、何故か二人とも零れる笑みを抑えることが出来なかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「……ふむ、成程」
「どうだ、アニア?」
冬琉さんたちが行っているマジカル卓球を横目で見ながらアニアに問いかける。
「悪くはない、と思うが……不確定要素が多過ぎる。
もう少し練り込む必要があるな」
「そうか……良い案だとは思ったんだけどな」
「“悪くはない”と言っただろう。
大筋は問題ない。
が、過程に不安があり過ぎる。
なに、まだ幾らかの時間は残っているのだ。
その間に仕上げればいい話」
珍しい。
アニアが僕の意見を褒めて、更に認めてくれるなんて。
なんだか感慨深いものがあるな……
と、
「ああ、そう言えば……」
何か思いついたのか、ポツリとアニアが呟いた。
眼に見えない速度で卓上を掛ける白球。
振り抜かれるたびに消える腕。
もはや、撃ち返す音しか聞こえない。
そんな異常に眼を背け、隣に座っているアニアに視線を戻すと、
ニヤリ
何やら非常に悪い顔をして嗤っているアニアと眼があった。
「うっ……!!」
一瞬にして全身が総毛立つ。
蛇に睨まれた蛙の様に、キレた冬琉さんの視線に射抜かれた時の様に、
今すぐ逃げろ、と。
「じゃあ、また後で……」
危険信号に従い、急いでその場から立ち去ろうとする。
が、それより速く、
「まぁ待て、智春」
がっしりとアニアが肩を掴んでくる。
「い、いや、そろそろ僕もあっちに……」
「悪い話じゃないぞ……?」
いやいや、間違いなく悪い話でしょうが!!
そんな顔をしている人間のいうことなぞ、誰が信じるものか!!
「だから、ほら、奏が呼んでるし……」
正確には、呼ぼうかどうしようか迷っておろおろしてると言うべきだ。
まぁ“あんな状態の奏=呼んでいる”と判断するべきなのだが。
「なに、早く済むから耳だけ貸せ」
「いたたた、引っ張るなって」
僕の耳朶を指で掴み、力一杯自分の許へと引き寄せる運喰らいのお嬢様。
自身の口を僕の耳のすぐそばまで持ってきて放った一言は、
「喜べ、久しぶりのおめかしの機会ができたぞ……と・も・は、ちゃん」
僕が絶対に繰り返してはいけないはずの黒歴史を再現するものだった。
イヤーーーーーーーーーーーーーーーッ!!