まだ日も上がりきらない早朝。わたしは人通りのない商店街をせっせと歩く。まるで世界に1人だけ取り残されてしまったように感じて、少しだけ鼓動が早くなる。島でも、こっちに来てからも人に囲まれた生活をしているせいか、1人でいるとどうにも落ち着かない。
不安を取り去るべく、目的地へと急ぐ。
目的地が近づくにつれ、香ばしい香りが漂ってきた。朝から何も食べていない空腹に響く。
この時間、まだお店のシャッターは開いていないので、携帯を取り出しお店の住人に電話をかける。すると、まるでわたしが来るのを待っていたかのように、ブルブルと震える携帯を手に持った沙綾が裏口からひょこりと顔を出す。
「おはよう。待ってたよーナギ」
「おはよう沙綾」
どうやら本当にわたしが来るのを待っていたらしい。沙綾と結婚したらどれだけ帰るのが遅くても起きて待っててくれそう……好き。
緩やかにウェーブした髪を一つにまとめたポニーテールがよく似合う彼女の名前は山吹沙綾。有咲や香澄と同じく、ポピパのメンバーでドラムを担当している。商店街で人気のパン屋さん、やまぶきベーカリーの看板娘でもある。
いつも通り裏口からお店に入り、「はぁ〜!」と指に息を吐きかける。
「寒かったでしょ?」
「んー、春でも朝はまだまだ寒いね」
「じゃあ……こうすれば温かいかも」
はい、と沙綾が両手を広げる。その行動の意味を理解し、わたしは応えるように両手を広げ、その胸に飛び込む。
「さーやー!」
「ふふ、ナギー」
細い腰に手を回し、抱きしめる。沙綾もわたしの背中に手を回し、ギュッと力を込める。沙綾の体温が心地いい。
沙綾は意外と寂しがり屋さんだ。いつもはみんなの意見をまとめてくれたりするしっかり屋さんだけど、いつも別れるときは寂しそうな表情を浮かべる。あと、ボディタッチがかなり多い。香澄の次に多い。ふとしたときに手を伸ばしてくるし、抱きついてきたりする。そういうところも可愛い。好き。
「ありがとう沙綾、温まった」
「どういたしまして。それじゃあ、今日もお手伝いしてもらおうかな」
「うん、じゃあお父さんとお母さんに挨拶してくるね」
名残惜しいけれど沙綾と離れ、厨房にいる沙綾のお父さんとお母さんに挨拶をしてから、エプロンを身につける。
手をしっかりと洗い、台拭きを手に持ちふんすと息を吐く。
わたしは時折こうしてやまぶきベーカリーのお手伝いをさせてもらっている。島から出て1年、ご近所さんということもあってやまぶきベーカリーにはたくさんお世話になっている。パンの差し入れなんて何回してもらったことか……
その恩返しではないけれど、こうして朝の品出しやお掃除などを手伝っているのだ。
えっさおいさと棚やお店のお掃除をして、出来立てほかほかのパンをディスプレイする。お店の前の掃除を終わらせ、自分の見事な仕事っぷりにむふんと誇らしげに胸を張っていると、あっという間に開店時間だ。
もう随分と慣れたレジ作業をこなし、沙綾と2人でお客さんをさばく。沙綾はわたしの隣で素早く丁寧にパンを袋に詰め、渡している。
「そういえば、いつも思うんだけどうちの学校のお客さんが多いね」
始業まで随分と時間があるのに。
部活の朝練とかなのかなぁ、そんなことを考えながら見慣れた制服の女の子たちをみていると、目があったのでにこりと微笑む。すると女子生徒たちは「ひゃ〜っ!」と悲鳴を上げた。
あれ……わたし嫌われてますか?
「あー……まあ、ナギにはわからないよねー」
あはは、と苦笑いを浮かべる沙綾に対して、わたしは首を傾げる。どうやら沙綾は花咲川の学生が多い理由をなんとなく察しているらしい。
「え、わたしにはわかんないの?」
「ナギは鈍いからなぁー」
「……そんなことないし」
「あはは、そうかなー?」
うーん……沙綾はいまいち納得していないみたいだ。なんでだろう。そういえば他の人にも鈍いってよく言われる。遺憾の意である。
「好きな人のことならちゃんとわかるもん」
「えー? ナギ、好きな人なんていないのに?」
「沙綾のこと好きだよ?」
「……え゛!?」
「あと有咲と、香澄と、おたえと、りみ、それに六花でしょ? 明日香ちゃんと、あとーー」
「はぁ……うん、分かってた」
私が指を折りながらみんなの名前を挙げていると、沙綾が「あー……」と苦笑いを浮かべる。
「なにさ」
「んーいや、ナギらしいなって」
「わたしらしいかな」
「うん、ナギらしい。だからみんなナギが好きなんだよ」
「……あは、照れるなぁ」
本当に、この商店街の人は良い人ばかりだ。この町に引っ越してきてよかった。
「ありがとう沙綾」
「えー? どうしたの急に」
「わたしが商店街のみんなに良くしてもらえるのは、沙綾のおかげだから。わたしが今幸せなのは、沙綾のおかげ。だからありがとう」
「っ…………え、あ、うっ、うん……」
「あ、沙綾照れてるー」
「それはっ……もーっ!」
「あははっ」
こうして、沙綾と2人できゃっきゃっうふふと仲睦まじくお店のお手伝いをしていると、あっという間に学校に行く時間になってしまった。
「ナギちゃん、今日もありがとうね」
エプロンを外し登校の準備をしている私に、お家の奥から顔を出した沙綾のお母さんがにこりと微笑み言った。
流石は沙綾のお母さんだけあって、にこりと微笑む姿が美しい。
「いつもお世話になっているので」
「ううん、私たちも助かってるわ。それに、沙綾もすごく楽しそうで……」
「ちょっと母さん! 恥ずかしいこと言わないでよ!」
「本当のことでしょ?」
「もーっ! だから恥ずかしいんでしょ!?」
ほら、早く行かないと遅刻するから!と沙綾がお母さんの背を押し、お家の中へ戻れと催促している。
「相変わらず仲がいいんだね」
「もー、からかわないでよ」
沙綾の家族とのやりとりは見ていて微笑ましい。みんながお互いのことを大切にしているのが伝わってくる。わたしも将来、こんな家族でありたい。
「はいナギ、今日のまかないだよ」
「ありがとう沙綾」
「実はこれ、沙綾が雛菊ちゃんのためにってこっそり作ったものなのよ?」
「ちょっと母さん!?」
お家の奥に戻ったはずのお母さんが、扉の隙間から少しだけ顔を覗かせ言った。その表情は「うふふ」と笑顔を浮かべている。
わたしのためだけに作られたパン、か……
「……結婚する?」
「もー、早く行くよ!」
こえして、沙綾とわたしはお母さんに見送られ学校に向かったのであった。
× × ×
「っへこほがあっへね」
「口にモノ入れて喋んじゃねー」
登校して席に座り、沙綾の愛情がたっぷり詰まったパンを食べながら、有咲と談笑をする。しかし食べながら喋るなと怒られてしまった。
「…………」
「私と喋ることを放棄すんなよ!」
「だってお腹すいてるし」
「はぁ!?」
空腹は敵だ。授業中にお腹鳴ったりしたら恥ずかしい。
「…………」
「なんか喋れよ」
「…………」
「おい」
「……有咲はずっとわたしのそばにいてくれるから、そんなに慌てなくてもいいかなって」
「んな!?」
ぼふ、と有咲の顔が真っ赤に染まる。
「有咲とわたしはずっと一緒だから、大丈夫」
だから今、わたしはパンを食べるのです。
「ちょまっ! ずっとって、いやそのつもりだけど……! その、ナギはいいのかよ……私とで」
「…………」
「なんか言えよ!」
「…………」
「あーもうっ! いい加減にしろー!!」