室内を照らすキャスターの魔力――紫色の光源と、絶え間なく紡がれる神代言語、その詠唱。
弓塚も自分も物音一つ立てないまま、胎児を想いながら術が終わるのを静かに待った。
凡そ1時間後。
弓塚を中心に展開されていた術式、魔力が段々と希薄になっていく。
スッと弓塚にかざされたキャスターの手が下げられる。
魔力の気配が完全になくなると同時、キャスターが少しだけ、息を整えてから言葉を発した。
「……はい、術式は完璧ね。今日はこれで終わり。また一ヶ月後に様子を見させてもらうわ」
「ありがとうございます、キャスターさん。その、結構長い時間でしたし、大変でしたよね……私の我儘で迷惑掛けちゃってごめんなさい」
「謝らなくていいわよ。話を持ち出したのは他でもないこの私。それに、こういう事に魔術の腕を振るえるのは、私としても嬉しい限りよ」
生前は碌な使い方をしなかったしね、と自嘲気味に呟くキャスター。
だが、そんなことは関係ない。
少なくとも今この瞬間、キャスターのおかげで一人の子供の未来、可能性が大きく開けたことは事実で、それに感謝している自分と弓塚がいる。
とても大きな恩過ぎて、お礼の仕方が思い浮かばないのが難点か。
子供が生まれて落ち着いてからでも構わない。
いずれか、ちゃんと弓塚と話し合ってキャスターにはしっかりとお礼を返さなければと心に深く留めておく。
「……よし、着替えたからアキ君もこっち向いていいよ。ごめんね、一時間もそっぽ向かしちゃって」
「別に気にしなくていいぞ。子供の事、ゆっくり考える時間にもなったしな」
おざなりにしていたわけではないが、弓塚に比べれば子供への想いが足りなかったのだろう。
キャスターと連絡を取り合っていたのは弓塚であり、少なからず、そこには子供の話題もあった筈。
夫、そして親として自分も弓塚に負けないくらいに子供のことを考えて、生まれる前からできることを探していかなければと反省した。
長時間組んでいた足を伸ばし、背筋を反らす。
夏真っ盛りであるが、冬木という土地柄か、今日は日差しが心地よい。
夕方にはまだまだ早い時間帯。
以降の予定は特にないため、今日の残りの時間をどう過ごすかを思案した。
「弓塚の言っていた用事は、これで終わりか?」
「うん、キャスターさんに赤ちゃん見てもらったし、魔術も掛けて貰ったから。アキ君は?」
「いや、何もないぞ。そもそも、妊婦の弓塚を一人で遠出させるのが心配だったから付いてきただけだし。まぁ、冬木に来たついで、衛宮に久しぶりに会えたらなとは思っているけど」
互いに予定がないなら、しばらくキャスターのいる柳洞寺でゆっくりした後、ぶらりと衛宮邸に顔を出す、もしくは冬木の町を散策しようと考える。
午後の陽気に当てながらのんびりと思考を巡らせている最中――パン、と手を叩き、キャスターがこちらを見据えた。
「あら、マスター。暇なら、私にもう一仕事させてちょうだい」
「……え、何? もしかしてまだ赤ちゃんに魔術掛けるのか?」
「お馬鹿、胎児に手を加えるのはもう終わりよ。いくらサツキの子が頑丈と言っても限度があるわ。……私の残り仕事は、マスターのソレ」
言って、キャスターはこちらの顔――正確には眼球へと指をさす。
弓塚の赤子に魔術を掛ける優しい顔とは対照的に、こちらに向けるのは面倒そうな、気怠そうな表情で。
ただ2年前の聖杯戦争でマスターが抱えてしまった傷に、彼女なりに思うところがあったのかもしれない。
「――貴方の魔眼、そろそろ使えるようにしてあげるわ」
憑依in月姫no短編
10. 冬木。弓塚さつきと 中編
「それでマスター……2年前に言った通り、あれから魔術回路は一切起動させていないでしょうね」
「あ、あぁ。ちゃんと言われた通りにしてるって。何かあっても体術だけで対処してたし……」
キャスターの言葉に動揺しつつ、問いに答える。
今、キャスターは何て言った?
聞き違いでなければ、彼女は再び魔眼が使えるようになると、そう言った。
でも、そんなことはあり得ない。
この魔眼、しいてはこの身体の魔術回路は、疾うに無茶をして焼き切れた筈。
聖杯戦争の終盤で自分の持つ歪曲の魔眼、その限界以上の力を引き出した。
一瞬でも力量を超える能力を行使できた代償として、眼球のみならず魔術回路も千切れ、魔力も光も失ったのだ。
キャスターの言葉で過去の死闘を思い出し、おもわず右目を手で覆う。
ふと、何かに引っ張られて身体が傾く。
見れば、こちらのシャツの端をぎゅっと引っ張っている弓塚がいた。
「……あの時はアキ君のこと、本当に心配したんだからね。バーサーカーさんとの戦いが終わって駆けつけてみれば、アキ君は目の周りが血だらけで、琥珀ちゃんも泣いてたし」
彼女も当時の凄惨さを思い出したのか、口を尖らして非難してくる。
……琥珀にも散々非難されているネタである。
未だ怒りが収まっていないのか、喋りながら弓塚は段々と機嫌を斜め下へと下げていく。
「橙子さんが代わりの目を作ってくれて、キャスターさんが千切れた魔術回路の痛みを抑えてくれて……二人がいなかったら廃人だったんだよ、アキ君?」
「いや、失明はともかく、魔術回路の後遺症があれほど残るとは予想外だったというか……」
思い出したくない過去の痛みが、脳の裏から湧き上がる。
眼球が潰れた痛みは、遠坂さんやキャスターさんの治癒魔術もあり、眼球の復元までは至らずとも早々、痛みにのた打ち回ることは無くなった。
橙子さんが代わりの目を作ってくれた……もといアフターサービス含めて売ってくれたこともあり、潰れた眼球は思いのほか早く元の形へと戻すことができたのだ。
問題は……許容量を超えた魔力を行使して焼き切れてしまった魔術回路。
「わたしは分からないけど、火傷の痛みに似てるって……頭痛が収まらないって、アキ君苦しんでたよね? 橙子さんも専門外だったし、ほんと、キャスターさんがいなかったら冗談抜きで死ぬか、頭がおかしくなってたんだからね……」
「……心配かけて、悪かったって」
話す度に心底辛そうな表情を、弓塚は見せる。
そんな顔を見せられれば、こちらとしても謝る以外に何もない。
もっともこちらはこちらで、あの黒化したバーサーカーと一対一で戦っている弓塚が非常に心配であったのだが。
心配はお互い様というには、悔しいが自分が弱すぎる為に言える言葉ではないのだろう。
これ以上弓塚に悲しい顔をさせるのは忍びないので、話を切り上げてキャスターへと会話を戻した。
「で、キャスター。その、この魔眼を治すって……本当か?」
「えぇ、もっとも治すというのは間違いで、マスターの魔眼――魔術回路は実はもう治っているわ。今日はその仕上げ。サツキの赤子をみるついでに片付けてしまおうと思ってね」
キャスターがこちらに近づき、人差し指をこめかみへと静かに当てる。
その指先が静かに淡く光り出す。
それと同時に、こちらの眼球に――まるで冷気を当てられていると勘違いするくらい、冷ややかな魔力が侵食してくる。
「マスター。魔術回路が焼き千切れ、痛みで苦しんでいた貴方に、私が何をしたかは覚えていて?」
「あ、あぁ。千切れて、乱雑に散らばった魔術回路を元の位置に収めてくれて……あと、半端に生成されていた魔力も鎮めてくれて……それで少しずつ、痛みは無くなっていった」
キャスターに回路を見て貰った当時、目は見えなかったが、キャスターの心底呆れた声、様子だけは察知できた。
曰く、酷く壊れた水道管のようであると。
所々が捻じれ、隙間ができ、まともに水が流れることがない水道管だと、キャスターは酷使して機能しなくなった魔術回路をそう例えた。
確かに、そのような回路で魔術を行使できる筈もないだろう。
それどころか、蛇口を閉めても水が漏れるような回路であれば、人体に後遺症――痛覚残留と言えばいいのか、あの終わらない頭痛も頷ける。
キャスターが頷きながら、こちらの言葉を捕捉する。
「えぇ、できたのはマスターの痛みを無くすことだけ。魔術回路は実体こそないものの、器官としては人の内臓と同等で、一度失ったら通常元には戻せない。
――だからマスター。貴方は単純に、物凄く運が良かったのね」
「運、だって?」
「そう、運が良いどころか、奇跡と言ってもいいくらいだわ。貴方の魔術回路は“治しやすい壊れ方”をしてくれた。例えば、引き千切られたマフラーが実は大きな欠損なく編む前の毛玉に戻ったように。例えば、洪水で破壊された防波堤が実は分解されただけで繋ぎ目を合わせればすぐに再利用できるように。
……そうであれば、壊れた回路を適切に結び、自然治癒に2年の歳月を当てれば再び使えるようになる。2年前に私が貴方の魔術回路に行ったのは、そういった類の治療行為よ」
竜牙兵、と呼ぶキャスターに従い、蹲っていたソレが立ち上がる。
竜牙兵は縁側から外へと進み……こちらが直線で認識できる、かなり遠くで立ち止まった。キャスターはそれを確認して、一歩引いて魔術の行使を終わらせる。
回路を治す仕上げが済んだのか、だがこちらとしては先ほどから変わった感覚は特にない。
そんな様子は知らぬとばかりに、キャスターは遠く離れた竜牙兵、そして自分へと目線を寄越して命令する。
「ほら。やってみなさい」
「……」
この距離では意味がない、とは言わなかった。
一緒に聖杯戦争を戦った手前、キャスターはこちらの持つ歪曲の魔眼の特性も知っている。
藤乃さんの持つ魔眼と異なり出力の低いコレは、至近距離でこそ有効打になり得る威力を発揮する。
こんな離れた竜牙兵相手に、通用する上等な魔眼ではなかった筈だ。
それを敢えてやらせようとするキャスターの意図はおそらく――
「――っ」
身体が覚えている過去の強烈な痛覚、その記憶に強張りながらも、2年振りに魔術回路を起動させる。
起動させる方法は魔術師それぞれであり、士郎は撃鉄を引く、遠坂さんは心臓にナイフを突き立てるなど様々だ。
自分は――七夜の意識を強くして、ナイフを握る、その感覚。
捻られた蛇口から勢いよく飛び出す水、もとい魔力に痛みを覚える。
歯を食いしばりながら魔眼の力を引き出し、ターゲットの四肢に軸の焦点を合わせ……。
“――歪れ”
歪曲の力を発動。一度の魔眼行使で対象物が歪みきる。
拍子抜けするくらい、あっさりと竜牙兵の四肢は砕かれた。
「わわ! い、今のアキ君がやったの!?」
「上出来ね、マスター」
「……」
うわっ……私の魔眼、強すぎ……?
と、そんな感想を頂いてしまう程に、これまで使っていた歪曲の魔眼との出力に差があった。
もちろん藤乃さんの持つ歪曲の魔眼に比べれば、性能は遠く及ばない。
彼女の魔眼は、対象の硬度に関係なく捻じ曲げる。
欠点をあげるとすれば、対象が大きい場合は幾分か時間が掛かるし、視認してから歪曲が発動するまでのタイムラグ、隙はある。
ただ物質の硬さに影響を受けるこちらの歪曲に比べたら、彼女の持つ歪曲の魔眼こそが真であり、自分の魔眼は偽の物だ。
まぁこんな魔眼でも七夜の反射神経と合わせた魔眼の即時発動や、歪曲の軸を増やして出力を上げる、または複数個所を同時に曲げる等、小手先を増やしてきたわけだが……
「この出力なら十分に対人……いや、退魔用としても扱える。でも一度壊れた筈がどうしてこんなに強くなってるんだ……?」
魔眼の運用方法が劇的に頭の中で広がっていく。
その喜びと同時に、当然の疑問が湧いてくる。
筋肉や骨は一度壊れた個所を治す時、以前よりも多少頑丈になると聞く。
魔術回路もそれに該当するのか?
それにしても、パワーアップの差が大きすぎる気がしてならない。
歓喜と戸惑いの感情に翻弄されているこちらに、キャスターの口元が三日月のように吊り上がる。
計算通りと、満足げな表情でキャスターはこちらの疑問を説いていく。
「マスター、人類史屈指の魔術師であるこの私が“治しやすく壊れた魔術回路”……それを単純に治すだけと思って? 出来上がっている回路ならともかく、バラバラになってしまった回路を一から組み上げるのであれば、そこに手を加える隙は十分にあるわ。
回路数自体は変わらなくとも、回路の質を上げるだけで劇的に魔力の生成量、保有量、そして魔眼への伝導率は変化するわ。貴方の魔術回路は元々、お世辞にも整っている、効率の良いものとは言えなかったもの」
「魔術回路の質が上がった? それだけで、ここまで変わるものなのか……」
存分に魔術の腕を振るったであろうキャスターは自慢気だ。
人体、それも魂に通じる魔術回路に手を加えるなんて、素人が想像しても並大抵の技術ではないと分かる程。
(確かに、橙子師匠の妹――ミス・ブルーの魔術回路も数は平凡である反面、質が超一級品と聞くし)
過去に数度だけ会った人物を思い出す。
魔法使いとして実力を有する彼女の特性の一つが、魔術回路の質である。
キャスターの手が加わった自分の魔術回路がどの程度の質なのかはわからないが、回路の質というのも本数と同等に重要なものであるのだろうと実感した。
事態が飲み込めたのは弓塚も一緒のようで、キャスターに惜しみない称賛を送りながら拍手する。
「キャ、キャスターさん凄い! つまり、今までアキ君の魔術回路は廃村の用水路みたいな感じだったけど、それを効率抜群、最新の野菜工場内の水路みたいにしたってことですよね!」
「うん、その例えは正しいかもしれないけど、同時にかなり貶してるからな、それ」
上手いこと言った、みたいな顔をしている弓塚に突っ込みを入れる。
廃村とか言うなよ。せめて田舎にしてくれませんかね。
「まぁ、それはともかく……キャスター、もしかして今の魔術回路なら、もう一つの“眼”も……」
「えぇ、マスターの考える通りよ。今の貴方の魔術回路なら、扱える代物じゃないかしら」
「……よしっ」
不安になりながらもキャスターに問い掛けてみれば、彼女から返ってきたのは肯定の言葉。
2年ぶりの魔眼の行使に多少の頭痛が襲ってくるが、今はそれよりも好奇心が遥かに勝る。
抜群に向上した魔術回路の質、性能。
それを伴ってこの眼に宿る力、全てに手が届く可能性が見えてきたのだ。
心臓が高鳴るのは当然だろう。
「――――」
歪曲の魔眼を解除して、別の力を、瞳の奥底から引きずり出す。
器用にもこの身、この眼は2つの魔眼を有している。
1つは幼少の頃から使い慣れた歪曲の魔眼。
そしてもう1つは、自分一人の力では引き出せず、過去2回とも琥珀の感応能力を使ってようやく発現された能力。
「……視える」
室内に目を向け、神経を研ぎ澄ます。
ぼんやりとだがほんの数秒、この眼は柱の向こうを透視した。
「マスターの持つ“透視の魔眼”ね。少し調べたけれど、貴方のそれは物体透視の他、結界透視もできる代物よ。まぁ、その能力自体は透視能力としては珍しいほどではないし、ランクで言えばEランクでしょう」
「Eランク……透視にもランクがあるのか?」
「えぇ、透視と言ってもその概念は幅広いわ。最低ランクが実体や魔術を透視するものであれば、Dランクは……そうね、例えば相手の“弱点”を見出すようなもの。攻城戦や野戦といった戦争で相手の弱点を透視して優位に立つ、そんな使われ方もあるでしょうね。
Cランク以上は、それこそ過去や未来を透視する――もっとも、それは既に透視の魔眼とは呼ばれないでしょうけれど」
Eランクと言われてその低さに驚くが、キャスターの説明を聞いて納得する。
なるほど、確かに透視と言っても何を視るか、一言ではとても言い尽くすことはできないだろう。
壁の向こうを視る。結界の干渉を受けずに真を視る。
過去を視る。未来を視る。
人の可能性を視る。現状を打開する解を視る。
新たに扱えるようになった透視という能力に思案する中、キャスターの言葉は続けられる。
「ただ、貴方のその魔眼はこれまで碌に使われていなかったもの。これから慣らしていくことで、その先の能力が開花することは十分にあり得るわ。
事実、その魔眼は間桐の魔術師、その本体を一目で認識したのでしょう。ただの透視であれば、人体の中に潜む蟲一匹……それに照準を合わすことなんて至難の技だもの」
「……確かに、都合よく透視できたなとは思っていたけど」
「もしかしたら、マスターの魔眼にも弱点や急所、そういった相手の脆い箇所を視る力があるかもしれないわね。ランクD相当でも、貴方にとっては貴重な戦力でなくて?」
「あ、あぁ、色々と情報をありがとう、キャスター。その、ここまで気に掛けて貰えるとは思ってなかったし……凄い助かるよ」
キャスターの考察から自身のやるべきことや可能性が見えてくる。
魔術回路が治っただけでも僥倖なのに、加えて単体でも扱えるようになった透視の魔眼。
しかも訓練することでランクアップの可能性があるのなら、例え確証がなくとも時間を費やす価値は十分にある。
その能力が相手の“脆い箇所”いわゆる隙を視ることができるというのであれば、汎用性も十分だ。
気を抜けば子供のようにはしゃいでしまいそうな程、高揚した気分。
礼を受け取ったキャスターは、しかし相変わらずのしかめっ面で、
「別にマスターの為でなくてよ。私にとって貴方という人間に、良い印象は一切抱いていないもの」
吐き捨てるようにキャスターは言う。
だけど、と伏し目がちに、見守るような目線を隣に向ける。
――その先にいるのは弓塚だ。
「マスターはサツキの夫であり、この子は今は人の身でしょう。守れる力を持って貰わないと困りますし、何かあった時に悔やむことはしたくない。そんな理由よ。
……お膳立てはしてあげたのだから、貴方も鋭意努力なさい。透視の魔眼、その能力を引き出すのは当然よ。今の貴方の完成系は、歪曲と透視、それを複合させた――そうね、名付けるなら『無境・歪曲の魔眼』とでも言おうかしら。それを自在に行使できる魔術使いになりなさい」
「無境・歪曲の魔眼――」
キャスターから告げられた今持つ2つの魔眼、その行きつく先を夢想し心が震える。
やだ……かっこいい……。
魔眼の複合と言って頭に浮かぶのは、またしても親戚である藤乃さん。
彼女の場合は歪曲と千里眼の複合技で、名は『唯識・歪曲の魔眼』――だったか。
遥か高見、神の視点から物体を視認して捻じ曲げる。
藤乃さんのそれに比べたらやはり劣るが、七夜の体質と合わせた奇襲用・暗殺用の技と考えれば十分に必殺となり得るだろう。
もう使えないと思っていた魔眼、一種の相棒とも言えるソレを再び手にしたことで、好戦的な表情になっていたのかもしれない。
弓塚がこちらの顔を覗き込ながら、諫めるような目線を送る。
「むっ、アキ君、何かワクワクしてるでしょ。その、守ってくれるのは嬉しいけど、危険なことは極力避けてよ?」
「別に、積極的に荒事に首突っ込むことはしないって。ただ、目標が一つ定まって、少し嬉しく思っただけだ」
心配そうに見つめてくる弓塚に、安心させるよう言葉を選び返した。
力が手に入ったのは確かに嬉しい。
だけど、自分の生来の臆病さは変わらない。
この世界の物騒さを知っているなら尚の事、この程度の能力取得で気が大きくなることは決してない。
「透視の魔眼を使いこなして、二つの魔眼を複合させた技も身につける。一体、何年掛かるんだろうな、それ」
「……えっと、それってそんなに難しいことなの?」
「こっちには志貴みたいなセンスはないからな。大体、歪曲の魔眼を使いこなせるようになるのも10年近く掛かってるんだぞ。魔術回路の質が上がったからと言って1年、2年で習得できるものじゃないだろうな」
首を傾げて質問してくる弓塚に、正直に心情を話す。
キャスターが言う『無境・歪曲の魔眼』。それを自分は過去に2回、琥珀の補佐によって使用している。
極限とも言える集中力と、魔眼の酷使と、感応による潜在能力の引き出しを持って、ようやくその技は扱えた。
使った経験があるからこそ、今の自分にとってそれを一人前に扱うことがどれだけ難しいかが明確に理解できている。
「でも魔術回路も壊れてて、半端な体術しかできなくて、色々と頭打ちだと思っていたから……やれることや目指すものが出来たのは、本当に嬉しいんだよ」
「……絶対に無茶はしないでね?」
「いや、別に大和魂とか持ってないし、常識力もあるからね? 何か、酷く頭悪いイメージ抱いてない?」
男の子的にテンション上げる気持ちも分かってほしいのだが、弓塚の口から出るのは心配と不安のそればかり。
これまでの行動や結果をみれば、頼もしさよりも心配が上回ってしまうのは仕方ないのかもしれないが、少しは共感というか、喜びを共有したいものである。
(まぁ、弓塚とは“別の方面”でこっちも不安に思うことがあるのだが……)
魔術回路を治せたのは奇跡的だと、キャスターは言った。
だがそれを素直に受け取れるかと言えば、そんなに甘い話があるのかと捻った見方をしてしまう。
――いずれまた、大きな争いに身を投じる。その前準備、運命として、再び魔眼が自分の元に戻ってきたのではないか?
「……それは考えすぎか」
「どうしたの、アキ君? なんか難しい顔してるけど」
「……」
こちらの顔を覗き込んでくる弓塚に、物騒な思考を中断する。
引っ掛かるような不安もあるが、自分にできることなんて限られている。
今はこの子と今日のような日常を過ごすのが大事であり、疎かにしていいものじゃない。
強張った顔をほぐしながら、表の話題へと頭の中を切り替えた。
「あー……今日の宿、どうしようかなと思ってな」
「あ、あはは。そういえば決まってなかったね。別に旅行じゃないし、駅前のビジネスホテルでもいいよ?」
「あら、珍しいわね。赤毛の坊やは泊めてくれなかったの?」
弓塚の返事に被せるように、キャスターがこちらに問いかける。
赤毛の坊やとは衛宮士郎のこと。
大抵の話、冬木に来た時は彼の住む屋敷に一泊しているのだ。
頻繁に来れる距離でない反面、来た時には積もる話が色々ある。
互いに忙しない日常を送っているせいか、衛宮も自分も饒舌でないのに、意外と話がよく弾む。
そのため今回も例の如く、冬木に赴く数日前から衛宮に連絡を取っているのだが――
「それがさ、衛宮の携帯に掛けても一向に繋がんないんだよ」
ポケットから携帯を取り出しながら、肩を竦める。
衛宮が日本に、冬木にいるのは間違いない。
ちょうど先日、彼は蒼崎橙子の依頼を完了した。
衛宮がホムンクルスとして長くはもたないイリヤの身体を延命させるために走り回っているのは知っていた。
橙子さんへの伝手は自分と琥珀と弓塚が。
金銭は衛宮の養父の遺産や、遠坂さんと間桐さんに頼み込んで用意したらしい。
橙子さんが衛宮にどのような依頼を出したかはわからないが、彼も自分と同じように四苦八苦しながら、ついに先日、依頼を完遂させたのだという話は橙子さんから伝えられた。
橙子さんは今頃工房にこもり、イリヤスフィールに合う仮の肉体を作っているのだろう。
「も、もしかして何か事件に巻き込まれたとか……?」
「それなら遠坂さんや間桐さんから何かしら連絡が入るだろ。案外、携帯が壊れただけかもしれないしな」
ただし衛宮邸に電話してみるも、そちらも繋がる気配がなかったのだが。
心配半分不思議半分といったこちらの説明に、キャスターは少し逡巡した後、あぁ、と思い付いたように口を開いた。
「それなら心配いらないでしょう。あの赤毛の坊や、多分だけど折檻中なだけじゃないかしら」
「せ、折檻? 誰に?」
「誰にって、もちろん彼女“達”でしょう? 風の噂だけど、坊やが海外でまたやらかしたらしいわよ」
あまり興味がないのか、キャスターの喋りは淡泊だ。
衛宮。やらかした。彼女たちが折檻。
……うん、断片的な情報しかないが、何となく大まかに理解した。
隣りの弓塚に目を向けると、自分と同じことへ思い至ったのか苦笑いを浮かべていた。
衛宮への懸念と心配が晴れた反面、今日を含めて当分衛宮に会うことはできないだろうと嘆息する。
当然、衛宮邸に泊まる予定も白紙になった。
弓塚との小旅行は楽しいのだが、宿泊先がビジネスホテルなのは少々味気なくて彼女に申し訳ない気持ちになる。
洒落た雰囲気の宿泊先が近くにないだろうかと、こっそり携帯で探そうとしたその時――
「そうだわ、サツキ。うちで良ければ泊っていきなさいな。部屋はたくさん余っているし、そこら辺のホテルよりもきっと過ごしやすいわよ」
「えぇ、いいんですか!? やった――あ、泊まればキャスターさんの旦那さんにも会えますよね!?」
「そう言えば写真を見せただけで実際に会ったことなかったわね……ふふ、ちょうどいいわね。ついでに私の手料理もご馳走させてあげる。自慢するわけじゃないけど、相当上達したのよ、私」
キャスターの提案に、物凄く嬉しそうに喜ぶ弓塚。
その反応がお気に召したのか、キャスターも優し気な瞳で弓塚を見つめ、会話を弾ませる。
母と娘というよりは、年の離れた姉妹のような、そんな感じ。
キャスターの現在の交友関係は深くは知らないが、弓塚とは特段、仲が良い。
見慣れた光景ではあるが、二人の波長がこんなに合うとは正直意外であった。
片や人類史屈指の魔術師で、片や元一般人で性格も平凡な吸血鬼。
特に共通している部分なんてない二人の仲の良さに、ちょっとばかし腑に落ちずに首を傾げる。
……まぁ、仲が良いことに悪いことなぞある筈もなく。
自分の預かり知らぬところで彼女たちの物語があったのだろうと、二人の過去の出来事にそっと思いを馳せた。
それよりも心配なのは、やっぱり今日の宿である。
キャスターが弓塚を泊める気満々なのはわかったが、自分もちゃんとセットですよね?
鮮花の一件でキャスターのヘイトを存分に稼いでしまったのだ。
自分は今夜、どっかの侍の如く門の近くでテントを張っている未来も十分あり得る話であろう。
会話が一段落したら訊ねなければと、部屋の隅で大人しくしながら、楽しそうな女性陣二人を眺めていた。