〈鮮花side〉
女学院の寮に着くも束の間、一直線に自分の部屋へと向かう。
俯きながら早歩き。
すれ違う学生には、今の私の顔は到底見せられるものじゃない。
「あ……お帰り、鮮花」
「た、ただいま」
ドアを開ければ、ルームメイトの藤乃が既にいた。
一瞬顔を見られてしまい、しまったと少し後悔する。
門限ギリギリの時間だ。優等生でいい子な藤乃が出歩いている筈がないのはちょっと考えればわかること。
つまり、今の私はそんな事を見落とすほどに余裕がないのだろう。
「鮮花……えっと、すごいにやけてる」
「い、言わなくていい、分かってるから! もうっ」
藤乃にだらしない顔を見られたのが恥ずかしくて、行儀の悪さなど気にしていられず外着のままボフっとベッドにダイブする。
火照った顔を鎮めるように、枕に自分の顔を深く埋めた。
七夜さんと別れて電車に乗ってから、頬が緩みっぱなしで直らない。
全くもう、どうしてくれるんですか!と心の中で彼を思い出して八つ当たりする。
もちろん、顔のにやけが止まらない原因を作ったのは、他でもない私だけど。
「……藤乃、その……ありがとね」
枕に顔を埋めたまま、こちらを見てるであろう親友にお礼を言う。
何のお礼かと言われれば当然、七夜さんを振り向かせるために協力して貰ったことに他ならない。
「ううん、そんなに難しいことはしてないし、私にもメリットがあったから」
そう、藤乃は私の親友で――前とは違って、今は私の味方。
「鮮花の言った通り、アキお兄さんは私のところに相談に来てくれたから……鮮花とデートする話も自然にお願いできたし。疑われるかちょっと心配だったけど」
「藤乃は演技派だから大丈夫って言ったでしょ。それに七夜さんのことだから、ヘタ……性格的に、彼女の琥珀さんやさつきさんには私のことを相談しないと、まぁ、少し考えればわかるしね。
藤乃の方に『最近、鮮花のアプローチがさぁ……』なんて相談が来るのは、七夜さんとそれなりに付き合ってれば容易く想像できるかな」
枕から少し顔を出して、藤乃の方へと視線を向ける。
藤乃の――真剣な瞳と交差した。
「それで鮮花……アキお兄さんとデートを取り付けたんだから、約束通り……」
「はいはい、兄さんへのアプローチは一旦やめるわよ。できるなら藤乃とは仲良くしていたいしね。私は七夜さんとデート出来て、藤乃は幹也を狙うライバルが減る。WinWinね、私たち」
「……そ、そういうわけじゃ」
「そこで嘘ついちゃ駄目よ、藤乃。欲しいものには貪欲でいいの、特に恋なら猶更。今どきいい子ちゃんなんて流行らないわ」
藤乃に軽く叱責しながら、ころんと仰向けに寝転がる。
顔はまだまだ火照っているが、藤乃と話しているうちに弛んだ頬は少しずつ元に戻ってきた。
出掛ける時にはなかった、首に掛けられたネックレス。
先端で光るリングを指でいじっていると、藤乃もアクセサリーの存在に気が付いた。
「鮮花も貰ったんだね、ネックレス」
「うん、藤乃が先に貰ったから知ってたけど……やっぱり藤乃と同じものだったのはショックかなぁ」
藤乃はこの間、七夜さんから相談を受けた際に貰ったらしい。
私より早く貰ったのが少し恨めしかったが、彼としては特に順番を意識したわけではないのだろう。
偶々、私より藤乃が先に貰っただけ。……うん、やっぱり恨めしい。
「ネックレスは確かに嬉しいけど、私と藤乃に――と言うより、女の子に同じプレゼントを渡すのはねぇ。七夜さん、女心が分かってないなぁ……」
「アキお兄さんとしてはただのお礼だし……私は十分、お兄さんの気持ちが感じ取れて嬉しかったよ?」
「そりゃ私も嬉しいけど、私と藤乃じゃ七夜さんに求めているベクトルが違うでしょう?」
律義に、そして彼なりの精一杯を込めてくれたこの礼装は、私も藤乃も気に入っている。
唯一の不満は、ただ『藤乃と重なっている』ものだということ。
恋する女性としては、誰かと同じものでなくオンリーワンが欲しかった。
「だから……」
そう、それは分かっていたこと。
彼が私と藤乃の小指のサイズを訊いてきて、師匠の工房で指輪を作成し始めた時から分かっていた。
七夜さんは指輪を作ってるけど、おそらく指輪を女性に送るのは恥ずかしいとか言って、リングネックレスに変えるだろうな、とか。
七夜さんは気が利かないから、おそらく私と藤乃に全く同じものを渡すんだろうな、とか。
――だから、私は1つ、七夜さんに嘘をつきました。
首に掛けられたネックレスを外し、鎖を取った。
残ったのは、七夜さんが最初に渡そうとしていたピンキーリング。
お守りの意味をもつ右手小指に着けるのを想定した、小さな指輪。
それを――予定通り、右手薬指にスッと嵌めた。
「ふふ……やっぱり詰めが甘いですね、七夜さんは。私と藤乃が教えた指のサイズ、疑わずにそのまま信じちゃうんだもの」
「鮮花の暗躍が多すぎるだけだと思うんだけど……」
ちょっと引いたような藤乃の声。
暗躍とは失礼な。
ちょっと七夜さんより先回りして藤乃に協力を仰いだり、小指より薬指の指輪が欲しかったから訊かれた指のサイズを偽っただけ。
指のサイズが藤乃より一回り大きかったら、きっと七夜さんは怪しんだ筈。
先手を打って私と藤乃の二人とも、七夜さんに教えたサイズは小指ではなく右手薬指の方。
藤乃は当然躊躇ったけど、幹也の件であっさり買収できました。
七夜さんの敗因は……恋する女の子を甘く見ていたことですね。
藤乃も、私もそうなのだから。
「……でも、もしアキお兄さんがネックレスにしないで指輪のまま送ってきてたらどうしてたの?」
「あぁ、確かに、私はいいけど藤乃が薬指の指輪を貰っても複雑よね。ちょっとしたアクセサリーならともかく、指輪はやっぱり幹也から欲しいでしょう?」
「そ、そうだけど……もう、からかわないでっ。私が言いたいのは、アキお兄さんの行動を予測できても確信じゃないのだから、嘘も程々にしなよってこと」
共犯したことを少し後悔しているのか、藤乃の表情は少し暗い。
藤乃の言う通り、万が一、七夜さんがリングネックレスではなく指輪のままプレゼントしていたら、きっと藤乃は着けることを戸惑い、サイズを偽ったことを悔やむに違いない。
小指はともかく、女性にとって右手薬指に嵌める指輪は大切な意味を持つ。
指輪を貰って、それを自分たちでネックレスに変えるというのも、見方を変えれば贈り物にケチをつけたことになる。
予測で動くには我儘が過ぎる……と思う。
もちろん、予測であれば。
「大丈夫よ、藤乃。今回は七夜さんが指輪からリングネックレスに切り替えるって“確信”していたから。……だって、所長に『女性の友人に贈るなら、指輪よりリングネックレスとして渡した方が喜ぶ』って暗示を掛けてもらったしね。
案の定、暗示をかけた翌日から七夜さんはチェーンを作り始めたでしょう?」
「……や、やっぱり暗躍が過ぎると思うよ、鮮花は。うん、別にいいけど」
呆れを通り越して感心したように藤乃が呟く。
そこは用意周到と言ってほしい。
裏で色々と動いたおかげで、今の私の手の中には、藤乃と重なることのないオンリーワンの贈り物があるのだから。
手を眼前にかざし、右手薬指に輝くリングを見つめる。
右手薬指に込められた意味は『恋を叶える』。
七夜さんが刻んだ『羽翼』のおまじないと合わせれば、彼に想いを届けさせる、その助けをしてくれるのではないかと思えて勇気が出てくる。
「そういえば鮮花、そのペンギンのぬいぐるみはどうしたの?」
「えへへ、クレーンゲームで七夜さんに取ってもらった」
「そう、ちょっと羨ましいな……あと、また頬が緩んでる」
藤乃から羨望の眼差しを受けながら、七夜さんからもらったぬいぐるみを枕の横にそっと置く。
頬が弛んでいるのは仕方がない。
今日1日は楽しく、悔しく、刺激的で――胸がたくさん高鳴った。
寝れば少しは冷めるだろうが、反面、この気持ちをずっと抱えていたいとも思ってしまう。
横に転がった、彼に似たぬいぐるみと目線が合う。
まだ夜は長いのに、今日は藤乃とまともに顔を合わせられない。
全くもう困った人ですねと、いつもの口調で彼への文句を呟きながら、左手で銃を形作り、ぬいぐるみへと切っ先を向けた。
右手薬指に嵌った、白銀色に光るアニバーサリーリングを見る度、鼓動が高鳴る。
刻印された『羽翼』のおまじない。
七夜さんはほとんど効果のない礼装モドキと卑下していたが、そんなことはきっとない。
薬指から伝わるこの暖かさは、錯覚だとは思わない。
――この想いは絶対に成就させますから……覚悟してくださいね、七夜さん。
ぬいぐるみの向こうに、彼を視る。
脳裏に鮮明に映った彼目掛けて……必ず射止める。その想いをのせて引き金を引いた。
「鮮花、目標を狙い撃つ――ってね」