【1週間後 遠野の屋敷にて】
「――というわけで、アキさんとさっちゃんにご紹介しますね。今日から週末のみ臨時のお手伝いさん、つまりメイドとして採用されました黒桐鮮花さんです」
「はい、妊娠されたお二人の代わりとして、土日のみですが遠野家お屋敷の家事をサポートします。よろしくお願いしますね」
お昼にはまだ早い時間帯。
再建された遠野の屋敷、その自室で寛いでいたところ、子供っぽい笑みを浮かべた琥珀に手招きされて部屋を出た。
何用かを告げられないまま階下に連れてこられたら、そこには遠野家支給のメイド服を纏った鮮花の姿が。
かなり可愛かった。
「……いやいや、何がどうしてそうなるんだよ!?」
「あ、鮮花ちゃんがメイド? え、何で?」
一緒に呼ばれた弓塚も、隣でこの現状に困惑している。
メイド服を纏っているということは、既に秋葉を通して正式採用済みということだろう。
屋敷の管理となれば十中八九、琥珀が絡んでいる筈なのだが、琥珀から自分へ鮮花を雇うなんて話は一切されていない。
弓塚の反応を見るに、彼女も今初めて知った話らしい。
琥珀が珍しくも自分と弓塚抜きに秘密裏に進めた理由は――まぁ、相談したら難色を示すと思ったのだろう。
それは多分、間違っていない。
一週間前に弓塚は鮮花を非難し、自分は彼女の好意を断ったのだ。
鮮花と今後どのように接していくかは、未だ決めあぐねているのだから。
いきなり目の前にメイドとして現れた鮮花に、言いたいことがまとまらない。
が、弓塚は一足先に再起動して、鮮花に――心配そうな声色で、問い掛けた。
「その……鮮花ちゃん、大丈夫なの?」
弓塚が見せた表情は戸惑い。
先日、鮮花の考えをはっきりと非難した弓塚だが、普段の仲が悪いわけではない。
自分と同じく、鮮花とは3年以上の付き合い、友人だ。
謝罪こそしないものの、鮮花の心情を気に掛けるのは、弓塚の性格なら当然だろう。
問い掛けられた鮮花はほんの一瞬、表情に陰りを見せる。
しかし、それを振り払うかのように明るい声で言葉を返した。
「お気遣いありがとうございます、さつきさん。でも、もう一週間前の話ですので。……それに、さつきさんには私の気持ちが本物ってことを見てもらわないといけませんから」
「あ、あはは……すごいね、ちょっと驚いちゃった……かな」
鮮花の行動が予想外だったのか、呆気に取られた風に押し黙る弓塚。
これも七夜アキハに対してのアプローチであることは明確なのに、弓塚の表情に先日のような怒りは見えない。
どちらかと言うと、絶句と言うか、鮮花に言う言葉が見つからないとか――あと少しだけ、瞳に羨望の色が見て取れた。
「……おい、鮮花。ちょっとこっち来い」
「ちょ、ひ、引っ張らないでくださいって、七夜さん!」
まぁ弓塚の心情はさておき、こちらもメイド鮮花の衝撃から回復したので彼女を質問攻めするため無理やり手を引き、場所を変える。
琥珀と弓塚がいても構わなかったが、二人きりの方が何かと本音を喋りやすいし聞きやすい。
当惑気味の弓塚、終始微笑んでいる琥珀に背を向けて、鮮花を連れて階段を上がり、自室へと入って鍵を閉めた。
「い、いきなり部屋に連れ込んでどうする気ですか! ま、まさかメイドだからって無理やり私を――ふ、不潔です、七夜さん!」
と、部屋に入るなり頬を赤くして抗議の声をあげる鮮花。
手を振りほどき、こちらから逃げるようにしてベッドに飛び込む。
……ちょっとテンション高すぎない?
二人きりになったからと言って、いきなり漫才を始めないでほしいんですが。
あと、勝手に人の枕の匂いを嗅ぐのはやめなさい。
「こら、枕を返せ。というかメイドが積極的にベッドをしわくちゃにしてどうする」
「むっ、七夜さんにしては的を得たことを言いますね……仕方ありません」
渋々とベッドから身を引き、ベッドの皺を直す鮮花。
ちらりと、ベッドメイク中の鮮花の後ろ姿を視界の隅に映した。
メイド服のデザインは翡翠が纏っているものと全く同じだが、着る人によって与える印象が大きく変わる。
翡翠はメイドとしての作法も昔から仕込まれており、髪の色も日本人とは離れた赤毛のため、西洋の、本場のメイドさんという感じが強い。
対して、目の前のこちらに背を向けている鮮花はお嬢様的教養を受けてはいるがメイドのそれではないし、長い黒髪は大和撫子を彷彿させる。
何が言いたいかと言えば――新鮮さもあり、見惚れてしまったということである。
「むっ……やっぱり邪な視線を感じるんですが」
「き、気のせいだろ……それでだ、聞きたいことが幾つもあるんだが」
振り向き、警戒の色を込めた瞳をこちらに向ける鮮花。ついでにお尻を押さえる。
見てないと言ったら嘘になるが、視界に入ってしまっただけなので勘弁してほしい。
というか、襲っても実は怒られないのでは? ……いや、もちろん襲わないけど。
鮮花のメイド姿に釘付けになる目線を無理やり逸らし、本来すべき会話へと思考を戻す。
「礼園女学院ってバイトできたっけ? あそこ、お嬢様学校だろ」
「学院に遠野財閥での研修と言ったら、簡単に許可貰えましたよ。まぁ、普通の生徒では無理かもしれませんけど、私ってほら、女学院の中で“傭兵”的な立場ですからね。次の全国模試でも上位に入ると前提に、特別待遇ですよ」
ベッドメイクの終わった鮮花が、こちらに向き直り得意げな顔を見せる。
いつもの口調、いつもの表情。
一週間前に自分は彼女に酷いことをした筈なのに、まるで変わらない鮮花との距離感に心の整理が追い付かない。
耐え切れず、問い掛けた。
「……その、弓塚も言ったが……無理して“今まで通り”を続けなくてもいいんだぞ? 鮮花の好意は受け取れないと言ったが、だからと言って友人をやめるわけじゃない。まだ一週間しか経ってないし、これからゆっくりと互いの距離感を探っていけばいいんじゃないか?」
「はぁ? 何言ってるんですか、七夜さん? 相変わらず、馬鹿と言うか鈍いですね」
心底気遣って紡いだ言葉を、心底呆れた口調で投げ返される。
一週間前に告白してきた子とは思えない態度である。
深く溜息を吐いた鮮花は少し眉を吊り上げながら、まるで勉強が分からない子を教える調子でこちらを見上げた。
「いいですか、七夜さん。一週間前、師匠の工房で琥珀さんやさつきさんを交えて話し合いをしましたよね。あの場で判明したことはなんでしょう?」
「……鮮花が告白してきて、それが無理だったということ……じゃないのか?」
「こ、告白の成否は重要じゃありません。いえ、確かに重要かとも思いますが……そ、それは今はいいんです。分かったことはですね――」
告白というワードに若干頬を染める鮮花。
恥ずかしさを思い出したのか、こちらを怨みの籠った視線で睨みつける。うーん、理不尽。
コホン、と咳払いを一つ。
鮮花は確信を持った表情で続く言葉を言い放った。
「分かったことは、さつきさんに対しては真剣さが、七夜さんに対しては時間が、それぞれ私に足りなかったということです」
「……なんだ、それ?」
「私が七夜さんへの告白を成功させる為の要因ですよ。この間、はっきりと分かったじゃないですか」
そう言った鮮花は、メイド服を翻しながらぐるりとこちらの周囲を歩いて回る。
「琥珀さんは私の意見に賛成してくれました。私と思考が似ているところや、琥珀さん自身の生い立ちが後押ししてくれたのでしょう。
ただ、さつきさんは吸血鬼ですが心は誰よりも一般人でした。私や琥珀さんと異なり、さつきさんは感情で動くタイプで――メリットよりも、私の心を見ていました」
失敗しましたと、若干悔しそうに鮮花が呟く。
部屋を観察し終えた鮮花は、再びこちらの正面に立った。
「琥珀さんにはメリットを提示する。さつきさんには想いの真剣さを認めて貰う。そうすることで、私が七夜さんと付き合うことができる。それが先日の話し合いで判明したことですよ。
元々1回で全て上手くいくとは思っていませんでしたから、想定内ではありますけど」
「いや、ちょっと待て鮮花。こっちの気持ちもあるだろ……っていうか、当事者を放っておいて勝手に付き合うな」
「そんなことありません。ちゃんと七夜さんの気持ちは汲んでありますよ。その上で、琥珀さんと同じく七夜さんも解決済みです」
当たり前の言葉を掛けた筈が、不可解な言葉を当然のように返される。
自分は鮮花からの告白を受けて、それを心苦しくも断ったのは紛れもない事実だ。
鮮花の言動に理解できず、頭を悩ませる。
そんなこちらの困った顔に、クスリと笑い口元を緩める鮮花。
考えていることはお見通しと言わんばかりに、悩みの答えを言葉にした。
「だって七夜さんって物凄く情に弱い人ですから。あと数年したらもっと情が湧いて、きっと断れなくなっています。
というか、私が告白した時点で七夜さんにしては小難しい顔していましたし。大方、琥珀さんやさつきさんよりも先に私と知り合ってたら付き合っていた――そんなことを考えていたのでしょう?」
「…………」
「ふふ、やっぱりそうでしたか。だとすると、あとはさつきさんが私を認めてくれれば私の勝ちですねっ」
勝手に問い掛けて、勝手に思考を読んでガッツポーズを決める鮮花。
黙秘権が役立たず。怖い後輩である。
「こうなると、さつきさんの攻略が私の命運を握っているわけですけど……実は、さつきさんの方も既に攻略の切っ掛けはできているんです。
先ほど、さつきさんがどういう目で私を見ていたか、七夜さん気付きました?」
スラスラとまるで論文を発表するかのように鮮花は喋る。
彼女の思考や洞察力に理解が及ばず、悔しさを感じながら首を振る。
「何も変わっていなかったと思うが……しいて言えば、この前ほど鮮花に怒ってはない、くらいか?」
「怒る怒らないではなく、私への印象自体が変わっていました。この前は……そうですね、さつきさんが私を見る目は泥棒猫と言いたげな感じで、警戒心が強かったです。でも、今は先輩が後輩を見守る系の目に変わっていました」
「その、変わった原因はやっぱり……」
「はい、私がさつきさんの目の前で七夜さんに告白して振られたこと。それでも、今こうして諦めていないことが、少しですが、さつきさんの心に響いたのかと。
……女性側から告白するのって、すごい勇気が必要ですから。しかも、あれほどはっきりと言葉にするのは。多分、さつきさんもしたことありませんし、私の本気がどうであれ伝わったのなら幸いです」
あと振られたから可哀そうだと同情も誘えますね、と鮮花は付け加えて呟いた。
なるほど彼女らしい打算的な思考だと思うと同時に、目の前の少女に抑えきれない疑問がわく。
一度、はっきりと振ってしまった相手に聞いて良いことではないかもしれない。
一見、平然と変わりない態度を見せる鮮花も、実は気丈に振舞っているだけかもしれない。
だから、訊きたいけど訊く勇気が自分にはない。
「――で、何を私に訊きたいんです、七夜さん?」
「……は?」
「は? じゃないですよ。分からないことがあるって、顔に書いてあるじゃないですか」
書いてるとか幻覚だから……とは言えなかった。
心の内を読まれるのは悔しいが、せっかく鮮花がお膳立てしてくれたのだ。
彼女の心境がどうであれ、今はこの察しの良すぎる後輩に感謝して口を開いた。
「……なんで、好きになったんだ?」
「……それ、訊きます?」
「いや、すまん。デリカシーがないのは分かってるし、言いたくないなら言わなくていい」
こちらの問いを予想していたのか、鮮花に動じた様子はない。
ただ、苦虫を潰したような表情に変わる。
物凄く言いにくいにだろう。
真っ当な理由というより、至極単純か複雑かのどちらかか。
言いあぐねる鮮花に、別に喋る必要はないと静止を掛ける――のを振り切って、鮮花はこちらの問いにゆっくりと答えた。
「――特別だと、思ったんです」
「特別?」
「はい。……その、最初に謝罪しておきますけど、実はさつきさんの言う通り、七夜さんを明確に意識したのは七夜さんがお二人と付き合ってからです。
ただ、始まりの感情はもっと前にありました。……伽藍の堂で七夜さんと過ごすうちに、私は七夜さんに他の人間にはない『特別』を薄っすらと感じたんです」
特別。
まるでそのワードが鮮花の恋の中心にあるように、鮮花は言う。
その彼女の特性を、もちろん自分は原作知識として知っている。
ただ普通の人には理解できないことであり、それは鮮花もわかっているのだろう。
遠野アキに伝わるように、鮮花が自身の特性を説明する。
「私、昔から特別なものに憧れるんです。多分、一般の人が惹かれるよりもずっと強く、私にとって『特別』は特別なことだったんです。
兄さんを好きになったのもそう。七夜さんには理解できないと思いますが、私の兄は普通で、どこまでも普通でしかなくて、誰かの特別にはなれない人……私が兄さんを好きと想う原点は、兄の持つ普通さを『特別』と感じたからです」
昔を懐かしみ、瞼を閉じながら言葉を紡ぐ。
鮮花が思い出しているのは、幼少の頃、祖父の葬式での出来事だろう。
幹也さんは親しい祖父の死にすら、涙を流すことはできなかった。
『普通』の人であるが故に、誰かの特別になることがない。だから祖父の死も幹也さんが特別に涙を流すことがなく……それが、鮮花の初恋だった。
「さて、ここで問題です。私は一体、七夜さんの何を『特別』と感じたのでしょうか?」
「……退魔の混血、それとも端くれだけど魔術師だから……とか?」
「うーん、それは違います。私、所長の付き添いで他の男性の魔術師とも会ったことありますが、七夜さんのような『特別』は感じませんでしたので」
「……彼女二人いるところ?」
「それも、知り合ってからかなり後の話なので違います。あと、それは『まとも』じゃないだけで『特別』とは言いません」
こちらの回答に返ってきたのは、鮮花の心底呆れた表情。
そもそも、自分自身のこととは言え鮮花の『特別』の定義をこちらは知らない。
七夜アキハの何を『特別』と感じたのか。
答えに詰まるこちらを見かねた鮮花が、仕方ないですね、と微笑みながら解を述べた。
「正解は――私も分かりません」
「……え?」
「分からないんですよ、なんで七夜さんを『特別』と感じるのか。兄さんの時ははっきりと自覚できたのに、七夜さんは『特別』という気配だけで、正確な言葉にできないんです」
全く何でですかねー、と自分のことなのに理解できていない鮮花は、その言葉とは裏腹にそこに不満な気持ちは見られない。
分からない、それでも『特別』は確かにあると、そう確信持った表情を鮮花は見せた。
鮮花にも分からない、それでも確信している七夜アキハ――遠野アキの『特別』さ。
言われて、一つの可能性が脳裏を過ぎる。
いつか橙子さんに言われた言葉。
七夜アキハは抑止力に呼ばれた存在ではないか、そんな橙子さんの仮説を思い出す。
この世界は原作と幾つか差異があり、 “主人公”の死が近い不安定な世界だと。
夏の惨劇、遠野四季の暴走に一向に駆け付けなかった槙久。
聖杯戦争で令呪が刻まれず、セイバーを召喚できなかった士郎。
美咲町に現れず、第五次聖杯戦争に参加したシオン。
どれも死が確定していたわけではない。
槙久が来るのがどれほど遅くとも、暴走した四季が志貴や秋葉を殺さない可能性もあるかもしれない。
ただ、あの時の四季は七夜アキハに致命傷を与え、遠野志貴を瀕死にさせても止まらなかった。
秋葉を守る人がいなくなり秋葉が倒れれば――志貴の命は繋がらない。志貴が死の淵から戻ったのは、秋葉の能力のおかげなのだから。
士郎も、シオンも、七夜アキハの介入がなくとも無事生き残れた可能性はあるかもしれない。
しかしそれも可能性があるだけで確実性、実効性は限りなく低いのかもしれないが。
これらの仮説が正しいのならば、鮮花の解になり得るのだろう。
七夜アキハは真に抑止の存在であり、このズレた世界の『特別』である。
もし、本当にそうであるならば……
「……それは、分からないかもな」
「え、何ですか、七夜さん?」
「いや、何でもない。ちょっとした考えごとで、もう終わった」
首を傾げる鮮花に、思わず苦笑する。
本当に抑止の存在を感じているならば、鮮花が見ているのは七夜アキハの、更にその向こう側だ。
前の世界、憑依前の“自分”という意識は疾うに消えたが、今更、良く見つけてくれたものだと――ほんの少しだけ、七夜アキハ、遠野アキとして嬉しく思った。
苦笑いを浮かべるこちらにおかしな人を見るような目線を鮮花は向ける。
が、次には姿勢を正して凛とした、綺麗な薄黒い瞳でこちらを見据えた。
「……七夜さん、だから、改めて謝らせてください」
告白した時と同じ雰囲気。
しかし悲しそうな、まるで鮮花自身を哀れむような声色で彼女は謝罪の言葉を紡ぐ。
「七夜さんへの想いは……さつきさんの言った通り、兄さんに向ける想いより強くありません。『特別』をはっきり自覚している兄さんへの想いと比べて、七夜さんの『特別』は私自身分からなくて……」
でも、と鮮花は否定するように首を振る。
「七夜さんへの想いは嘘じゃありません。『特別』は切っ掛けで、想いが育ったのは私自身の本当の気持ち、本物なんです。
――だから、3年……あと3年、私にチャンスをください」
これ以上ない鮮花の真剣な眼差しを身に受ける。
悲哀さと覚悟を込めたその眼差しに、彼女が告げる言葉をじっと待つ。
「3年、私とこれまで通りに接してください。その間に、さつきさんに私の本気を認めて貰います。
……兄さんへの想いをすぐに無くすことはできません。でも時間を掛けて、兄さんへの想いをちゃんと全部消化して……さつきさんが言う、本気の想いになれるようにしますから――」
「それは、駄目だ」
何を言うかと思って聞いてみれば、鮮花は実に酷い話を振ってきた。
耐え切れず言葉を遮る。
言葉を被せられた鮮花は、否定されると思っていなかったのか珍しく困惑した顔をこちらに見せた。
不安そうに、メイド服の胸元を両手で握っている鮮花の姿が目に映る。
――らしくない。
先日の告白と同じ感想を抱く。
そう、こんなの全然、黒桐鮮花らしくないじゃないか。
「鮮花。幹也さんを諦める必要なんてないんだよ」
「え、でも……」
「いいから聞いてくれ。大体、弓塚が言う“本気の想い”はあくまで弓塚の考え方だ。そりゃ、認めて貰うには言われた通りにするのが手っ取り早いが……それで、鮮花は本当に納得してるのか?」
「……それは、その」
こちらの問いに、鮮花は珍しく言葉を濁らせる。
分かっている。
先日、弓塚にや琥珀をズルいと慟哭した彼女の言葉を、自分も聞いた。
鮮花が一番好きなのは幹也さんで、でも幹也さんが鮮花に振り向くことはきっとない――そう、他の誰でもない鮮花自身が思っている。
だから叶わない本命の恋心よりも、まだ叶う見込みのある二番目の恋心を実らせたい。
気持ちは理解できる。
でも、これまで自分の背中を押してくれた鮮花だからこそ、そんな彼女らしくない妥協した恋心で人生を送ってほしくない。
「何を焦っているか知らないが……3年とか、悲しいこと言うな。5年後も10年後も、鮮花と関係が続いていくことは変わらないし、藤乃さんや幹也さん、式さんとも同じだ。
それに……幹也さんにアプローチを続けながら、弓塚に本気を認めさせることだって、鮮花ならできる……と思う」
もちろん鮮花の言った3年が『鮮花自身の恋心に見切りをつけるリミット』ならば、何も言うことはない。
自分という一人の男性に固執しなければいけないほど、彼女の世界は狭くない。
3年で駄目ならスッパリと諦めて、他の恋心へと移していく……それは、何もおかしいことじゃない。
ただ自分や弓塚に気遣ってこちらへのアプローチ……迷惑を掛けるのを3年と決めたのならば、それは要らない気遣いだ。
七夜アキハとして苦しい時期に同じ目線で切磋琢磨して、多くを助けてくれた鮮花の存在は、自分にとって非常に大きい。
鮮花とはどんな形であれ、例え会う頻度が少なくなろうとも、紡いだ絆は切れることはないと信じている。
「……鮮花のことだって大事に想ってる。だからこそ妥協したり気を遣ったりしないで、本当に鮮花のしたいことをすればいいし、してほしいと思ってる」
「私のしたいように……ですか?」
「あぁ、もちろん場合によっては弓塚が怒るかもしれないが……うん、その時は謝るし、機嫌直すようあの手この手を使って頑張ってみるさ。伊達に長く付き合ってるわけじゃない。
……だから、鮮花には幹也さんを諦めてほしくないし、一番に好きでいてほしい。これは……この間の告白の返事の続きだと思ってくれ」
「……」
聞いて、鮮花は熟考するように沈黙した。
恋心を実らせたい彼女と、妥協だけはしてほしくない自分。
彼女の描いていた未来が、少しずつ頭の中で書き換わる。
長い沈黙が降りる。
その間、こちらは彼女の考えが纏まるのをじっと待つ。
長考の末、鮮花は確認するように、そしてこれから歩む道の不安を掻き消すようにポツリと呟いた。
「……私、勝負ごとには勝ちたいんです」
「あぁ、知ってる」
「……先ほどは兄さんへの想いを無くしていくと言いましたが、実は無くせる自信もありません」
「あぁ、それも知ってる」
一つ一つ、言葉を紡いでいく鮮花。
こちらも、彼女の言葉を肯定するように頷き、続ける。
「……兄さんにも、七夜さんにもアプローチするとか、とても優柔不断な女性になってしまいます」
「別にいいじゃないか。お互いに世間とはズレた、表裏を歩く魔術使いだ。……こっちだって、琥珀と弓塚の両方を好きでいるわけだし」
「……七夜さんって、情に弱いし隙が多くて、見ててチョロい感じがしますから。私がこんな状態になってしまったのも、99割、七夜さんが悪いです」
「……いや、それは人のせいにするなよ」
「むぅ、今は何でも肯定してくれるんじゃないんですか。心が狭いですね、もうっ」
流石に頷けない話だったので断ったら、理不尽とばかりに鋭い目線を送る鮮花。
何でもとか言ってないから。
あと99割悪いとかおかしいし。頷いたら、自分は大悪党になってしまうのではなかろうか。
少しだけ緊張が解けたのか、鮮花の表情が柔らかくなる。
いつもの勝気で、凛とした面持ち。
自分も彼女もぎこちなくだが、ようやく普段の距離感で接するようになってきた。
「告白した相手のことをチョロいとか……他の男性なら怒るからな、それ」
「事実を言ったまでです。全く、少しは兄さんを見習ってくださいよ。朴念仁なところもありますが、七夜さんに比べたらずっとガードが固いんですからっ。
大体、七夜さんがお二人と同時に付き合うなんて非常識なことしなければ、私も七夜さんにアプローチしなかったんですから。その点だけは絶対に七夜さんの責任ですよ。この優柔不断、女泣かせ、不潔っ」
「……」
暴言の嵐に、思わず押し黙る。
デートをしたし、頬にキスされたし、告白もされた。
でも悪態をつく鋭さは一向に変わる気配はなし。
心は硝子で傷つきまくるが……そこがどうにも鮮花らしく、それが嬉しく苦笑した。
「な、なに笑ってるんですか。兄さんを諦める必要ないって、七夜さんが言ったんですからね。今まで通り――いえ、今まで以上にアプローチしますし、もう止めても遅いですから」
「笑ったのはそこじゃないんだが……まぁ、いいと思うぞ。自分も、妥協しない鮮花が好きだし」
「……え、えっと、もう一回言ってもらえます?」
「……いや、忘れた」
「嘘ですよ! 『妥協しない鮮花が――』の続きです! ほら、言ってくださいよ!」
「こら、やめろ! 胸倉掴むな!」
口を滑らせた、自然と口から出てしまった。
誤魔化す間もなく、詰め寄ってリピートを要求する鮮花。
襟元をきつく掴まれて前後に揺すられる。吐きそう。
「むぅ、強情ですね。減るもんじゃないですしいいじゃないですか」
「減るだろ、人間性とか常識力とか色々と……とにかく今のは忘れて、そろそろ仕事に戻ったらどうだ? 出勤初日だろ」
「七夜さんに連れ込まれたからセーフですー。あと『妥協しない鮮花が好きだし』はちゃーんと脳内録音しましたので」
「……他言無用で、できれば忘れてください」
「ふふ、そこは七夜さんの今後の態度次第ですね」
こちらの弱みを握ったのがよほど嬉しかったのだろう。
心に余裕のある満面の笑みを鮮花は見せる。ファックである。
ただそろそろ戻らないといけませんねと、鮮花はくるりと入り口の方へと顔を向けた。
足を進めて扉の前へ。ガチャリと、施錠していた鍵を外す。
「――七夜さん」
ふと、自分の名を呼ぶ鮮花。
その表情はいつも通りでちょっと違う。
まるで互いの関係が少し変わった――前進したような雰囲気の中、鮮花が今の想いの丈を伝える。
「好きって……表現するだけは、疲れるんです。私、兄さんにたくさん好きを表現してますけど、いつも受け流されてばかり」
ちょっとした不満を言うような、鮮花の言葉、鮮花の想い。
仮デートから告白、遠野家でメイドと、ここ数日で鮮花との関係はややこしくも更に近いものと変化した。
それは、これからも変わらない。
いや、もっと面倒で、刺激的で、楽しいものに変わっていく――そんな予感がした。
「私、好きに飢えてますから……そうですね、さっきみたいに七夜さんが私に『好き』と言ってくれると、私はとても嬉しいです。
七夜さんから『好き』を満たしてもらう。そのエネルギーがあれば、私も兄さんへのアプローチをずっと頑張れる気がします……えぇ、素敵な未来で、理想的だと思います」
何やら都合の良い妄想を羅列する鮮花。
自分はそんな好き好き言う性格じゃないし、そもそも鮮花に好きと言ったことはない。
……さっきのはノーカンだよね?
理想に浸ってトリップしている後輩に、手遅れになる前に忠告する。
「あの、鮮花さん? アプローチは構わないとか、気遣わなくていいとは言ったが……その、求められても応えるかは別の話であって……」
「えぇ、いいんですよ。“今”はそれで構いません。平和になって、お子さんもできて……七夜さんが遠くへ行ってしまう感じがして、私は少し焦っていました。
――でも、焦らなくていいと。関係はこれからもずっと続いていくと、七夜さんは言葉にしてくれました」
明るい陽射しが部屋に差し込む。
鮮花。
その名の通り、彼女の人生は凡人には染められない鮮やかな出来事に彩られたものとなる。
そう思わせるほど、今の彼女の表情は花のように美しかった。
「“今”は何も実っていませんが、これから私が実らせます。七夜さんにも口が滑るのでは足りないくらい、たくさん愛を囁いて貰います」
希望に満ちた瞳が、こちらを捉える。
これは勝負ですよ、と言いたげに。
そして絶対に負けませんよと、強い意志を精一杯の言葉に込めて、
溢れんばかりの笑顔で、宣戦布告に似た『約束』を言い放った。
「だから――遠い未来で構いません。次はちゃんと私を見て、好きって言ってくださいね、七夜さん!」
……過去を振り返れば、ここが多分、互いの関係を決定づけた分岐点。
勝負の行方がどうなったかは――散々、橙子さんに酒の肴にされたとだけ言っておこう。
以上、リクエスト頂きました鮮花√でした。
プロットありませんでしたが本編・外伝に違和感なく書けていれば幸いです。…ちなみに憑依in月姫no後日談は無視してください。今回の鮮花√と矛盾してしまいますので。
あとは琥珀さんやさっちんメインの話を4話ほど。短編にお付き合い頂けると嬉しく思います。