イーディス(主人)と臨むアンダーワールド 作:粗茶Returnees
のぼせない程度に温まり、彼女にブレスレットに戻ってもらう。ステイシアの窓で天命を確認すると、驚くことに天命が結構回復していた。この大浴場にあるという治療促進の効能。それに加えて彼女の心遣いで天命の回復が捗ったようだ。
神聖術はそこまで得意じゃないというか、物質変化あたりしか分からない。別にいいかと思ったのだが、彼女が神聖術で髪を乾かしてくれた。
「その状態でもピンポイントにできるのか」
[見えている範囲であればある程度どうにかできると思います]
「ちなみにどう見えてるの?」
[あなたの体を中心にいつでも全方向を見られますよ。回転椅子に座ってる状態とお考えください]
「分かりやすいなぁ」
俺が見ている方向とは関係なくどこでも見えるということか。だからあの時も敵が上から来るのを先に察知できたってことね。それは戦闘でもそれ以外でも大きな利点だ。もっとも、彼女にそうさせるということは考えてない。彼女に強制させる気はないんだ。
[あの方の話とはなんでしょうか?]
「あの方? あー、イーディスのことか。あんまり見当はつかないし、とりあえず俺は話を受け止めるつもりでいるよ」
[とりあえずで受け止めるのですね]
「おかしいかな?」
[たぶんおかしいのではないでしょうか。ですが、私は好意的に思います。そういうあなただからこうして共にいるのですから]
「あはは、ありがとう。そういえば俺やイーディスのこと名前で呼ばないんだね」
[……不慣れなものですから。ですが、これから多くの方と知り合うと思うと、お名前で呼ぶことに慣れたほうがいいですよね]
「そうだね。まずは俺とイーディスのことを名前で呼ぶことから始めよう」
[はい]
声に出さずとも脳内で会話は可能なんだけど、基本的に会話は声に出して行ってるからな。必要でない時はこのスタイルでやらせてもらおう。
[
「うん? ……ああそっか。カイルで頼むよ。ここではそういうことにしてるから」
[わかりました]
そうか。彼女は俺の本名も知ってるわけか。ということは、俺が外から来た人間であることも知ってることになる。それでもこうして一緒にいてくれてることに感謝しないとな。
名前で呼ぼうと心掛けているようで、意識を内側に集中してみると彼女の深呼吸が聞こえてくる。ぼそぼそと俺の名前を何度か呼ぶ練習もしてるようだ。気づいてないフリをしておく。
なんだか子どもの発表を見守る親の気分だな。そんな経験一切ないけど。
[で、ではいきます]
「うん」
[ふぅー。……カイル……っ!]
「うん。ちゃんと呼べたね。嬉しいよ」
[ほ、本当ですか?]
「もちろん」
[はあぁ……。よかったです]
安堵の表情をしているのが思い浮かべられる。慣れないことにはだいぶ純粋な反応をするんだね。新たな一面を発見だ。
「っと、そうだ。名前をつけてほしいって話だけど。こういう方向性でって要望ある?」
[要望ですか? 特にはないですね。カイ……ルに呼んでもらえるならそれで]
「そっか。えーっと、じゃあ愛称を前提にするかは決めてほしいかな」
[愛称……ですか?]
「そっ。愛称。愛称っていうのは──」
[少しお待ちください。記憶を漁りますので]
うん? それはいったい誰の記憶かな?
[えーっと、シャルロットがシャルル、シェリルがシェリーと呼ばれたりするやつのことですね。……せっかくつけていただくのですし、愛称がないやつがいいです]
「りょーかい。ちなみにいつでも俺の記憶漁れちゃうことには今度話を聞かせてもらうよ」
[ごめんなさい]
愛称はなしね。それだけでも決まるのはありがたい。絞り込めるからね。
そんなこんなしているとイーディスの部屋へとたどり着いた。いつも同時に入ってたし、改めてこうやって入るのは些か思うところもある。単的に言えばちょっと緊張する。おかしいな。内装とか全部知ってるのに。
「イーディス起きてるかー」
ドアをコンコンとノックしながら話しかけて確認。返事が聞こえて中に入っても大丈夫だとわかる。ドアを開けて中に入ると、やはり変わらず見慣れた部屋の様子。
イーディスはベッドに腰掛けていた。当たり前だけど鎧は着ていない。鎧の下に着てる服でもなく、ワンピース系の寝間着。その寝間着は初めて見た気がする。というか、首輪があるとはいえ仮にも異性と同室なんだぞ。肩出しだとか鎖骨が見えるとか気にしないのな。襲わんけども。ランに殺されるわ。
「思ってたより早かったわね。天命はどう?」
「代謝がいいんでね。のぼせやすいんだよ。天命の方もおかげさまで大丈夫」
「そう。ならよかったわ」
「何か飲み物でも飲むか?」
「ううん。あたしは待ってる間に飲んだから。遠慮しないで飲んでいいわよ。あたしが口つけてないやつなら」
「わかってるって」
あの一件以来イーディスは事あるごとに釘を差してくる。好きこのんでやったわけじゃないんだが、結果はあれなのだから仕方ない。
コップに飲み物を注ぎ、それを一気に飲み干す。風呂上がりに1杯飲むときは勢い良くグイッといきたくなるもんだ。イーディスだって同じことやるだろう。わりと豪快な性格してるんだから。
「改まって話ってなに?」
椅子を動かしてイーディスと向かい合うように座る。椅子とベッドとでは高さが異なるけど、そのズレは多少で済む。俺が見下ろす形になることについてはこの際堪忍してもらおう。
「……カイルは
「…………え? どういうこと?」
「地下に入ったでしょ? あたしそこでの記憶が曖昧なのよ。何かを見させられたってことは分かるんだけど、その内容が何一つ思い出せない」
「それが自分だけか確認したいってことか」
「うん」
どういうことだ。俺はあの時に見たものをすべて覚えているぞ。幻覚でランを見させられたってことを。
そのタネについてはひとまず置いといて、イーディスの質問に答えるか。
「俺は覚えてるよ。何を見たのか全部覚えてる」
「っ、やっぱりそうなんだ。じゃああたしの方がおかしいんだよね」
「おかしいかどうかは別として、その原因については考えたほうがいいだろうな。今後も同様のことがあったら困るし」
「そうなのよね。でも、ひとりで考えてもその理由がわからないのよ」
イーディスはそこで一旦区切ると、瞳を伏せてから話を続けた。
「思い出そうとしても思い出せないけど、何か大切なことだったのは分かるの。温かくてたぶん幸せなことだったはず。……だからかな。思い出そうとすると胸が締め付けられるの」
「そうだったのか。ずっとそれを気にしながら黙ってたのか?」
「だって……今のあたしがおかしいって思うと……ぐっ、ぅぁ……これ、が出てきちゃう、から……!」
「イーディス……」
イーディスの右目が赤く染まり、前に見たのと同じように逆さで文字が綴られる。いらないはずのコード。この世界の住人を縛り付ける不要なルール。それを取り払うためには一度外に出る必要がある。だけどこの世界と向こうでは時間の流れが違う。外に出て、コードを修正して戻ってきてもそれだけで何年経つことか。
「ねぇ、カイル。あたしはどうしたらいいかな? どうしてあたしは、大切なことを思い出そうとしたらこうなっちゃうのかな?」
「……」
たぶんそれを考えるだけでその赤いコードは出ない。ただ、イーディスは北の洞窟で守護竜が殺されてたのを見てしまった。だから公理教会へ多少なりとも疑念を抱いている。それもあって記憶のことも教会が関与してるんじゃないかと結びつけてしまうんだろ。
[あの幻覚はどういうものを見せる?]
[その人にとって最も深い心層の思い出です。ただ、この方の場合その記憶が欠落していました。ですから、多少は勝手に設定が組まれたものです]
[イーディス自身記憶がないから疑わず、それでいて大切なものがベースだから効果は絶大と。なるほど、だからイーディスにあそこまで効いたわけか]
異様とも言えるぐらいイーディスに効果があった。そのカラクリはすべてイーディスの記憶の欠落が原因となっているわけか。それをやったのはこの教会なんだろうけど、生憎とそれを証明できるものもない。あくまで教会が最も可能性が高いと言えるだけ。
それもこれも、ここのトップに会えりゃ話がつくんだろうけども。俺はもうわがままでゴリ押すことはできないからな。
「イーディス。俺にできることなんてほとんどない。俺は君の従者で、俺が主動になることはもうないって決めたから」
「……わかってる。カイルはたぶんあたしがお願いしたら、どんなことでも挑んでくれるんでしょ? でも、あたしはカイルにそんな無茶をしてほしくない」
「買いかぶりだと思うけどな。信頼されてるのは嬉しいよ」
「カイルはそういう人だって今回でわかっちゃったから」
ふにゃっといい感じに力の抜けた笑顔を見せてくれる。よかった。イーディスは思い詰めていたわけじゃないんだ。ただ、完全には安心できない。イーディスはすでに疑念を抱いた。それくらい他の騎士たちだって思ったことはあるはず。それでも教会は変わらずに存在しているのなら、何か手段を講じていることになるのだから。
[……おそらく、記憶を操作できるのでしょう]
[やっぱり? それも可能なのか]
[はい。解析していないので不明な点が多いですが、可能ではあると断言させていただきます。それができるほどの術者が最高司祭なのかと]
薄々感じてはいたけど、最高司祭にカチコミに行っても簡単には進まないな。戦いは勝算がついてなければ始めるものじゃないのだから。俺はまだまだこの世界の戦いというものを知らない。
考え事をしていると反応が遅れた。気配を感じて顔を上げると、目の前にはイーディスが立っていた。
「イーディス?」
「カイルおねがい」
「ん? なに──をっ!?」
イーディスにグイッと手を引っ張られる。立ち上がっただけでなく、そのままイーディスが後ろに下がり、俺も手を引かれることで追従する。数歩下がったところでイーディスの足がベッドに引っかかって倒れる。俺もそれに続くことになり、押し倒す形となった。
片手は頭上へ。握られてるせいで俺が抑えてるみたいに見える。ばさっと広がってるイーディスの髪を挟まないように全力で避けた。空いている手で自分の体を支えようとするも、ベッドに手を置いた瞬間にイーディスに弾かれた。背中に手を回されて密着する。
「なに考えてるんだか……」
「あたしにもわかんないよ。けど、ずっと頭に残るんだもん。ずっと胸が苦しいんだもん。ずっとずっとわけのわからない何かがグルグルしてる。お風呂入ってても落ち着かない」
あぁ……俺は馬鹿だな。いったいイーディスの何に気づいていたっていうんだ。イーディスの何を分かってられていたんだ。何もできていない。この子が出してたSOSのサインのどれにも気づいていなかった。
いつも俺から目を離さないようにしてたのに、騎士長への報告を俺に任せたのも。すれ違った時に話があるからって前もって言ってたのも。気持ちを切り替えるためか普段着ない服を着てるのも。全部弱ってて追い込まれてるからじゃないか。
「胸にぽっかり穴が空いてる気がして……どうしたら埋められるかわからなくて……!」
「イーディス……それは俺にもわからない。だけどイーディス。代わりにはならないけど、俺は君の隣りにいるから。約束する。ずっと隣りにいるから。記憶になり続けるよ」
「……約束、破らないでね」
「ああ、もちろんだ。他の誰でもない君に誓うよ」
イーディスの額にそっとキスをした。