イーディス(主人)と臨むアンダーワールド 作:粗茶Returnees
牢屋の中は薄暗いものの、見えないわけじゃない。他に人がいるのかと言えばそうでもない。今カイルがいる場所は本来2人部屋として使われるであろう牢屋。ベッドが2つある。この部屋の中にトイレもあるのはいろいろと精神的にくるものがある。罰としてはたしかに有用だ。
ベッドが2つあるがそれは固定されており、繋げて1つの巨大ベッドにしようとしたカイルの目論見は早々に散った。呆気ない夢だった。
「どう出たものか」
アンダーワールドに来てみたらまさかの牢屋スタートだ。こんな始まり方するのは一部の死にゲーくらいではないだろうか。
幸いにも手錠の類はない。鎖に繋がれているわけでもなく、快適に牢屋生活を送ることは可能だ。快適な牢屋生活とはいったい何なのか。それは囚人にしか分からぬことだった。
[カイル!]
「うわなんだこれ。脳内にダイレクトに……気持ち悪いな」
「気持ち悪いとは酷いです」
「どっから現れた!?」
カイルの前に姿を現したのは、月も恥じらうほどの美しさを持った少女。
牢を開けたわけでもなく、当たり前のようにカイルの前に現れた少女にカイルは戦慄し、どこかに仕掛けがあるのかと視線を走らせる。どこにもそんなものはない。
「君はいったいどこから?」
「覚えてないんですか? 私のこと」
「……俺と知り合いなの?」
「知り合い以上です。私はあなたの心のままにある存在ですから」
前回のダイブでいったい何をしたのか。カイルは頭を抱えた。ランという存在がいるのに、キリトのことを馬鹿にできない。
少女はカイルのその反応にくすりと笑うも、その目は寂しそうだった。カイルの良心がこれでもかと締め付けられる。
「思い出させてあげます」
「どうやって?」
少女がカイルに近づき、なんとなくカイルは後退。牢屋の中なのだからそれができる範囲は限られ、自ずと壁にぶつかった。頭をぶつけた。結構いい音がした。少女はその箇所を労るように手を伸ばす。
「えーっと……何する気?」
「カイルの記憶を戻させるんです」
カイルの頭を引き寄せながら背伸びをする。その柔らかな唇がカイルの口に押し当てられ、カイルはパニックに陥った。相手が女性じゃなければ蹴り飛ばしていた。まず同性には迫られるだけで蹴り飛ばすが。
頭に流れ込んでくる映像。目の前にいる少女が誰なのか。前回のダイブでいったい何をしていたのか。どう過ごしたのか。それらが映像となって一気に頭に流れ込んでくる。大量の情報に混乱した。他人事のように思えるのに、それは紛れもなく自身のこと。
「思い出せました?」
唇を離して一歩下がる。
カイルは無言で虚空を見つめていた。
「カイル? きゃっ!?」
反応がないことに小首を傾げていたら腰に手を回されて引き寄せられた。丁寧かつ熱く抱きしめられた。
「ごめん……
「……いいえ。いいんですよ」
外部のせいとはいえ忘れていたこと。不在中にイリナに任せていたこと。諸々について謝り、イリナはそのどれもを許した。彼女の願いは、ただカイルの側にいることだから。再会できればそれでいいのだ。
イリナもカイルの背に手を回す。カイルの左手首にブレスレットが現れた。これで形として元通り。不在中に起きたことも、追加でカイルの頭に流れ込んだ。キャパオーバーである。
「えーっとつまり。俺はいなかったものとして処理されたわけか」
「そうなります。私は例外ですけどね」
「そうな。扱いとしては神器とかになってるわけか」
「不服ですが、そのおかげって部分もあるので複雑です」
ベッドに腰掛けて情報の整理をする。イリナは複雑な心境のようだが、少し機嫌を損ねたのは間違いない。カイルの肩に寄りかかった。
「騎士長とか、イーディスとか。みんな俺のことを覚えてないわけね」
そうなると、キリトの前回のログインで関わった人間も同じ扱いだろうか。カイルはぼんやりとそんな事を考え、どのみちキリトが覚えてないなら関係ないかと結論付ける。
「……アリス」
「はい。騎士になりました」
キリトと過ごした人間の1人。もし記憶の削除がログを頼りにした場所指定なのなら、アリスはそれを免れた形となる。整合騎士はどこかしらの記憶を抜かれた人たちだ。アリスはキリトを覚えているのか否か。確かめるにも会うしか方法はない。
「出るとするか」
「そうしましょう」
出てどうするかなんて聞かない。カイルと同化したイリナはダイレクトにその意志が伝わってくるから。オンオフの自由は未だにイリナの手の中ではあるのだが。
イリナが1回姿を消し、牢屋の外側で実体化する。風素を鍵穴にねじ込み、強制的に鍵を開けた。何でもありな彼女を改めて心強く感じる。
「イーディスはカセドラル内にいるのか?」
「いますよ。私が抜け出したので、たぶん探し回ってると思います」
「逆に探しにくいな……」
居場所の目処をつけられない。人を探す時にこれほど厄介なものはない。どう探したものかと考えつつ、イリナの手を引いて外に出る。地下牢だったようだが、それなら差し込んできたあの光は何なのやら。今は夜で、なおさら光のことが気になる。しかしそれは今考える必要のないこと。
「とりあえず、塔の中に入るとするか」
「はい。あ、でも侵入者扱いになるのでお気をつけください」
「良くも悪くも、最初に遭遇すべきはイーディスか」
脱走者扱いではなく侵入者扱い。いなかった人間が突如現れるのだから、そういうことになるのも頷ける。そうなると、他の騎士に遭遇するべきではない。基本的に騎士は思考が硬いから。イーディスやベルクーリが例外なのだ。
薔薇園を進みながら周囲に注意を払い、カイルはふとある事に気づいた。角に隠れ、手を繋いでいるイリナに目を向ける。何を言われるのか分かっているのか、イリナはにこりと笑った。
「イリナがイーディスの記憶を戻してくれてたら楽だったんじゃね?」
「カイルが来てから戻すべきだと判断しました」
「そこはそうなんだけど、俺が来たことに気付けるならその時に戻せたよね?」
「カイルのことで頭がいっぱいです」
「うん。ありがとう」
気恥ずかしくなるようなことを言われた。それだけ思われていることは喜ばしいことだ。カイルはイリナの頭を優しく撫でる。イリナとは記憶を共有した。数年も待たせたのだ。彼女に疑問を投げかけることはできても、責める道理などない。
「キリトがダイブしてからの時間差でどれだけズレがあることやら」
「そこは私にもわかりません。その方のことは感知できません。正確には、離れていても分かるのはカイルのことだけですので」
「そっか。心強いなまったく」
「私はあなたのためにいますから」
キリトがどこにダイブしたのか。キリトがダイブしてからカイルがダイブするまでの間に、こちら側でどれだけの時間が経っているのか。
頭の片隅にその事を追いやり、今はイーディスを探すことに集中する。イーディスのお気に入りの場所といえば大浴場なのだが、当然他の騎士だって利用する場所。イーディスが暇さえあればそこにいるわけでもない。やはり見当をつけて探すのは難しい。
「イリナがイーディスの部屋に戻ったら済むんじゃ」
「カイルの側にいたいです」
「ごめん。それじゃ一緒に探そうか」
「はい」
方針を固め直す。
イリナと指を絡め合い、角から飛び出して次の角へ。慎重かつ迅速に塔へと近づいていく。
そうやって進んでいく中で気配に感づく。それが誰のものなのか聞く必要などない。カイルもイリナも、それを間違えるわけがない。
「そこに隠れているのは分かっているわ。出てきなさい」
彼らに分かるということは、その騎士にも分かるということだ。
「イーディス」
「どこかで会ったことあったかしら?」
「あるよ。一度ではなく、何度もな」
「人違いじゃないかしら? あたしは知らないわよ侵入者さん。……それで、イリナはどういうつもり?」
「どうもこうも。私にとってこの人が主なのです」
「……そう」
2人が繋ぐ手を見る。微かに胸の中でさざなみが立った。イーディスはそれを、イリナと敵対することになったからだと受け止めた。
一度ゆっくり呼吸し、目を閉じる。
目を開き、イーディスは神器へと手を伸ばした。
「こうなるわな」
「侵入者を放置するわけにもいかないからね。悪いけど、捕まえさせてもらうわよ」
その赤く人懐っこい目が鋭さを増していく。敵へと向けるその視線を受け、それでも尚カイルは飄々と受け流す。
「そいや、イーディスの記憶を戻すためにはどうしたらいい?」
「イーディスの体に触れてください。鎧の上からではなく肌に」
「完全武装してるんだが?」
イーディスは鎧をしっかりと着ている状態だ。露出している肌など首から上ぐらいである。あとは肩周りだけ。ハードモードに嘆くべきか、他の騎士とは違う鎧に感謝すべきか。
「脇に感謝だなんてえっちです」
「一言もそんなこと言ってないが?」
イリナからの冷たい視線を受け、酷い誤解だと肩を竦める。イリナはそんなカイルに冗談だと伝えてくすくすと笑う。
イーディスの記憶を戻すためには、一時的にでも押さえ込まないといけない。そのためには、最低限の戦闘も必要になる。イリナは自分の姿を、カイルの望む姿へと変える。二丁の銃へと。
[イーディスを傷つけずに抑えたい]
[サポートしますが、私にできるのはそこまでです]
[意図を汲んでくれるだけで十分だ]
イーディスはカイルに関する記憶が消えている。そのために銃という存在も忘れている。
未知のものに警戒し、無闇に突っ込むことはしない。それに注視し、観察し、形状から分析する。刃はない。ならば近接戦闘を前提としたものではない。消去法でそれが飛び道具だと予測を立てた。そしてそれは当たっている。
カイルがイーディスに銃を向ける。それで直線的なものだと予測する。これもあたりだ。
「場所が悪かったな」
「それはお互い様ね」
直線的な軌道をする弾を放つ。銃は変化球を撃てない。しかし薔薇園という場所では左右を大量の薔薇たちが仕切っている。避ける範囲が限られるということは、弾を避けにくいということ。
しかしそれはカイルも同じこと。イーディスが掻い潜ってくれば窮地に陥るのはカイルだ。中距離戦を前提とした銃と近接戦を前提とした剣。整合騎士を相手に、一度詰められたら距離を取るのは難しい。この戦いは、距離を保てるかで決まる。
「いや、お前の負けだよイーディス」
「っ!」
イーディスに向けた銃の引き金を引く。知らぬのだから当たり前だが、この銃は普通の銃ではない。弾は鉄ではなく神聖術。そしてその口径に意味はなく、口径以上の大きさの弾だって撃てる。たとえば、今いる通路を覆うような弾だって。
「この程度……!」
傷つけたくない。
イーディスは勝つために距離を詰めないといけない。カイルはその逆。だから、詰められないための風だと判断し、その風に抗って地を蹴る。整合騎士の実力は一騎当千。それは神器があるからではない。実力があるから神器を持っているのだ。
突風など関係ない。多少の失速は否めないが、この程度で止められるような鍛え方はしていない。
「イーディスはそうだよな」
そんなこと、カイルだって百も承知だ。
反対側の銃を向ける。ただしそれはイーディスではなく、自分とイーディスの中間地点の地面に。
カイルの意図が読めない。自分を狙わないならこのまま突っ込めばいい。だが未知の武器が相手だ。弾が神聖術だということも今理解した。無視することもできない。
イーディスが弾の行方を目で追ったのは仕方のないことだ。
そしてその心理をついたカイルが勝つのも、当然な結果なのだ。
「眩しっ!」
「スキあり」
「うっ……! このっ、卑怯者!」
「そりゃどうも。イリナ」
[はい]
放ったのは閃光弾。それに怯んだイーディスをカイルはこかした。頭を打たないようにカバーしつつ、イーディスの両腕を膝で押さえる。
閃光弾を使った以上、他の騎士が様子を見に来ることも考えないといけない。急ぐ必要があった。
イーディスの言葉を受け流し、その頬に手を添える。イーディスが顔を逸したので頬を軽く摘んだ。柔らかな頬だ。そうしてちょっと遊んでるカイルを叩いてやろうかとイリナは思ったが、イーディスのことを優先した。
「なに……これっ……! あたまが……!」
「わかるわかる。バグるよな」
イーディスの頬を摘む手が淡く光る。それが記憶を流している証のようで、それが収まるとカイルはイーディスから離れた。イリナも銃の状態を解き、カイルの中で休む。実は結構疲れが出る荒技なのである。
「なんなのよ……」
倒れたまま腕で目元を隠した。流れてきた映像。それは過ごした日々で。何か欠けていると感じていたものの正体。だけれどそれがどこか他人事のように感じる。
立ち上がり、カイルと視線を交える。彼を見ることで胸に込み上げて来る想いがある。けれどそれは自分の想いだろうか。忘れる前の自分で、それは
「ただいまイーディス」
「ぁ……」
強く、強く抱きしめられる。
彼の手が、彼の鼓動が、彼の熱が。
すべての靄を払っていく。
「イーディスはイーディスだろ」
「なん、なのよ……。カイルの、くせに。遅いのよ……ばか」