VTuber もう一人のジブン ~keep your【Second Personality】~ 作:no_where
午後1時過ぎ。
「ごちそうさまでした」
両手を合わせて、箸を置く。
席から立ちあがり、食器を水につけた。
「だいぶ、冷たくなってきたな」
今年の夏は長かった。それでも9月の下旬にもなれば、晴れた日の昼下がりであっても、気温の変化を直に感じる。
「もう、さすがに長袖だよな」
クローゼットの中の衣替えは済ませてある。いつでも、秋物の服に袖を通せるし、寒い日は上着を重ねることもできる。なにより、毎日のスーツを着ることへの抵抗感が、少しはやわらぐ。
蛇口の水をしっかり止めて、乾いたタオルで手をふいて、そのまま居間を後にする。もうじき、同居人の仁美《ひとみ》も目を覚ます時間だ。本人が言うには、家事が自分の仕事だと主張していることもあり、後は任せる。
廊下を進み、洗面所で身だしなみを整えた。二階への階段を上がる。自室に入り、出勤用のスーツ一式を取りだして、クローゼットの裏側にある、全身鏡の前で着替えた。
「……」
ネクタイには、しっかりとアイロンが掛かっている。一人暮らしだった頃は、さすがに毎日、そこまでするのは億劫《おっくう》だった。
数本を使いまわして、どこか空いた時に、スーツやワイシャツとまとめて、クリーニングにだして取りに行く。というルーチンが出来上がっていた。
多少、金銭はかかったが、『一秒』という時間の単位の方が、はるかに貴重で重たかった。現在も、その認識はもちろん変わっていないが、
「ありがたいよね」
すっかり熱だけは遠のいた、生地の中に。ぬくもりを感じるようにも思う。首に巻いて、いつもと同じ具合を確かめるようにして、締める。
(それにしても結局、再就職した先でも、スーツを着てるよな)
子供の頃は、スーツを着る職業。ひいては、サラリーマンにだけはなるまいと思っていた。
(首元が窮屈なのはもちろん。夏場は汗で、冬は雪で濡れるしな)
スーツという衣服、他にもコレに合わせた革靴が、そもそも、湿度の高い日本という国土に向いてないのは、誰の目にもあきらかだった。
わざわざ、機能的ではないものを、ガマンして着る。
サラリーマンの父親が、やたら傲慢で、居丈高であった要因の一部は、おそらくこの衣服が影響していたんじゃないかって思ってる。
「毎日、自分はガマンしている。だから偉いのだ」という、謎のプライドが、自身の性格に悪影響を及ぼしていたんじゃないかと考えるわけだ。だから、スーツを着るような人間にだけは、なりたくなかった。
ひいては、上から目線で、他人に物を申すような、そんな立場の人間にだけはなるまいと思っていた。
「……」
ままならないものだよね。とか思う。どうしてこうなったのやら。
最後に、同じくアイロンを掛けられたハンカチと、充電しておいたスマホ、去年新調した鞄を取り、部屋をあとにする。
まだ少し出勤の時間には早かったが、時間があれば目を通しておきたい本があったので、今日の内に職員室で確認してしまおう。
頭の中でスケジュールを組み立てる。階段を降りて、玄関先の土間で一度、鞄を置いた。靴べらを取って、革靴を履く。
「景《けい》」
「…ん」
振り返ると、一階の通路の方から、黄色のフードの付いた、キャラクタのパジャマを着た同居人がいた。
「もうしごと? はやくない?」
「せっかくだから、担当の授業が始まるまで、本でも読みながら待機しているつもりだよ」
「わかった」
同居人の年齢は14歳だ。今日は平日だから、一般的な『普通』を当てはめるのであれば、彼女も学校に赴いているはずだった。
「はい。どうぞ」
しかし革靴に脚を通せば、小さな両手で、置いていた鞄を拾いあげ、手渡そうとしていた。
「いってらっしゃい」
もう完全に見送りの姿勢だよね。
わたしは家から出ませんけど、なにか? と暗に主張している。
「仁美、寝ぐせがひどいね」
「ねぐせ? かみ?」
「そう。その髪。そろそろまた切った方がいいんじゃない」
「んー?」
自分の肩幅に届くぐらいに伸びた髪。ひとまず、仁美から鞄を受け取ると、同居人の少女は、自分の黒髪を一房つまんでから、くるくると回しはじめた。
「じゃ、きって、ください」
「わかった。帰ったら切ろうか」
「うん」
俺も割と、無頓着な方だと思うんだけど、14歳のひきこもり女子は、正直なところ「おっさん」と言われる俺と同じか、それ以下の関心の無さだった。
「それじゃ行ってくるよ。あと二階の洗濯物、夜までに取り込んどいてくれると、助かるよ」
「はい」
無表情で、抑揚のない声で、こくんと頷く。玄関の扉を開けて、家をでた。
* * *
軽自動車を、指定された駐車場の近くに止めた。鞄を持って、高校の正門を抜ける。まさかもう一度、学び舎の門をくぐることになるとは、思ってもみなかった。
(…大学や、専門学校ならまだしも、県立高校の非常勤講師とは思わないよね)
自分を含め、片手で数えられる程度の知人、友人、それなりの数の元同僚たちが、一斉に「冗談でしょ?」とか言う顔が見えるよね。
わかる。今年で二年目。その季節も半分が過ぎても、わかる。
(違和感がすごい)
教師に用意された『下駄箱』に、革靴を突っ込み、代わりの上履きなんてものを取りだす。アッシュグレーのスラックスに、汚れのない白いスニーカー。学生の頃はなんとも思ってなかったが、いざ自分が足を通せば、ちぐはぐだ。
音の無い、静かな廊下を進む。生徒の声は運動場の方からのみ聞こえてきた。今は昼休みが終わって、午後一の授業という時間帯だ。
この辺りでは、もっとも偏差値の高い進学校ということもあって、さすがに不要なトラブルは滅多に起きない。今日もまた、職員室の扉を開いた。
「あら、黛先生。おはようございます」
「おはようございます。鈴原先生」
職員室の中には、同じく非常勤講師である、鈴原ルネ先生がいた。部屋を進んで、自分の机のうえに鞄をおいてから、椅子に座る。
「早いですね。黛先生の授業って、今日は六限からですよね?」
「えぇ。たまには早く家をでて、空いた時間で技術書に目を通そうかなと」
「技術書! なんだか新しいスキルを覚えそうな響きですね!」
「そうですね。今後も使う機会があるかは、微妙ですが」
鞄の留め具を外して、今年に発売された、プログラミング言語の本を取る。
「あっ、そうだ、黛先生。良かったらコーヒー。飲まれませんか?」
「えぇ。煎れますよ」
「いえいえ。わたしの方も今、眠気覚ましが必要かなーと思ってまして。ここは鈴原にお任せください~」
「すみません、どうもありがとうございます」
鈴原先生が言って、斜めまえの席を立つ。入社時期――非常勤講師の職に就いたのは、鈴原先生の方が一年早いので、本来ならこっちが動くべきだったかなと、そうした事を少し考えた。
(次に早く来ることがあったら、先に缶コーヒーでも買っておくかな)
気を使うのも、使わせてしまうのも、あまり好きじゃない。そんなことを考えながら、一応、今日用意しておいた教材の一覧を確認する。不足がないことを見終わったあとで、プログラミングの本を開いた。
「黛先生、お待たせしました~」
「ありがとうございます」
職員が使う紙コップに入った、インスタントコーヒーを受け取る。一口だけ先に飲んでから、メモ用の、色のついたふせんと、赤ペンも取りだす。
「それ、黛先生の自主学習になるんですか?」
「そうですね。プログラミング、というかITの世界は、新しい技術や取り組みがそろうと、扱う言語自体が変化するので」
「ほえぇ…日進月歩というやつですねっ」
「そうですね」
言いながら、鈴原先生も、自分の席に戻った。
「情報技術の世界は大変ですよね」
「えぇ。とは言っても、第一線的なところからは退いたわけですけど。ただ、美術の方も、そんな感じではないですか?」
「うーん。美術に関しては、どうなんでしょうねー。もちろん、パッケージデザインなんかは、毎年、というか毎月、流行が変わっていくって感じですけど」
「どこも流行の推移が激しいですね」
「そうそう、そうなんです~。鈴原は、もちろん今の作品も大好きで、良いところも一杯あるよねって思うんですけどね。昔の作品だって、たくさん良いところがあって。そういうの語れる人って、どんどん少なくなっちゃってるって気がついたら、鈴原は、こっちかなって」
「おそれいります」
「えっ、鈴原こわいですか!?」
「いえ」
そういう意味じゃないんだけど。
「ここの生徒たちと、さほど変わらぬご年齢で、自分の道を決めたこと。自身と相手の価値観を保ったまま、進む道を決めたことに、敬意を表します。ということですよ」
「……」
あれ? なんか先生がフリーズしていた。
、
「いえっ! 鈴原はっ! ただのゲームが好きな一般人だよですよ!?」
「ご謙遜を」
「いえいえいえっ! 鈴原は、令和の年末に14時間ほど、35年前のゲームをプレイする程度ですよ!? しかも、2周目どころか、1週目でやっとなんですよ!」
「わかります。自分も先生ほどのご年齢の時は、朝10時の開店と同時にゲームセンターにおとずれて、閉店まで同じ対戦ゲームを通しでやってました」
週5とかで通ってたよね。全国頂上決戦にのるランカーと、1勝1敗の差を競いあってたよね。
アップデートが入った日には、かならずスマホを片手に通ったよね。平日だってのに、カード掘ってる転売屋の連中どもが、数人で群れて、台を占拠してうっとおしかったよね。おまえら、そこは俺の席なんだよ。
「…黛先生も、ゲーマーだったんです?」
「ほんの一時期だけです。高校を卒業して、一人暮らしを始めて、やたら時間があった時にだけ通っていました」
「わかりますっ、鈴原もっ、本格的に大学で目覚めましたので! でもゲームセンターは、あんまり通わなかったですねぇ」
「そこは人それぞれなんでしょう」
俺の当時の先輩は、雀荘だった。今はプロ雀士をやっている。
「あはは。生徒や、他の先生に聞かれたら、怒られちゃいますねぇ」
「そうですね。この辺りにしておきましょうか」
「はい」
俺は視線を本に落とし、鈴原先生も、自分の授業の用意をはじめた。コーヒーを一口。できれば、砂糖を少し落としたかったけど、たまにはいいかなと、そのまま飲んだ。
しばらくして、『学校のチャイム』と呼ばれるものが、鳴る音がした。
* * *
「起立、気をつけ、礼」
『ありがとうございました』
午後の授業が一限終わった。
解放された空気感。辺りが少しさわがしくなる。
「さてと…」
号令を終えてから、机の上にだした教科書とノートをまとめる。次の授業が移動教室だったので、筆箱とノートだけを持って、席から立ち上がった。
「滝岡《たき》、教室移動しよう――」
しようぜと言いかけて。
「……」
見なれた坊主頭が、机の上に突っ伏していた。
クラスの大半が「いつものことだしな」と、たいして気に留めない。さっさと移動していく中で、原田と目があった。
「コイツ、途中から完全に寝てたよ」
「先生もスルーか」
「まぁ、要点だけをかいつまんで理解するの、上手い奴だからねぇ」
中学の頃と比べて、少し視力が落ちたという原田は、軽い度の入ったメガネをかけていた。相変わらずイケメンで、知的な印象を漂わせている。ついでに重度の二次元信者なのも変わらない。
「睡眠学習してるとか、思われてるんじゃないのかな」
「割とガチでしてるかもな」
熟睡する滝岡を、二人で見やる。
「……」
いびきすら、かかず、死んだように眠っていた。
「…これさ、背中叩いたら、口から魂とか飛びだすんじゃない?」
「やってみるか」
一応、うちの高校は、この辺りでは進学校として有名だ。滝岡みたいな生徒は余計に目立つ。あと、俺と原田は一般入試で進学したけど、滝岡は野球部の推薦だった。
「……」
しかし、見ろよコイツ、中学の頃から変わらず、綺麗な丸坊主しやがって。
「ダメだ、俺にはできねぇ。ムカツクが気が咎める」
「仕方ない。普通に起こしてやろう」
「だな。滝岡。起きろ。次、教室移動だぞ」
「んあー? りょー…」
「りょ、じゃねーんだわ」
中学3年の間、ひたすら成長期だったらしい幼馴染は、身長は190cmに迫っていた。
今年の夏、高校1年でありながら、甲子園のスタメン入りをはたした、野球部期待の新星。
もちろん本人の自称だが、あながち間違いじゃない。今年、うちの高校は、5年ぶりに予選を勝ち抜き、甲子園に出場した。残念ながら一回戦で敗退したが、もっとも打率が高く、チーム内での得点率に貢献していたのは、滝岡だった。
「…ふぁ~。次、なんだっけ? 科学か~?」
「それ明日な」
「情プロだよ。視聴覚室だね」
この三人でつるみ始めたのは、中二の時からだ。運が良いのか、最初の年を数えて三年間、ずっと同じクラスになっている。
「おっ、情プロかぁ。いいねぇ。今日はなにやるんだろうな?」
「それは、俺たちの社長に意見をうかがってからだな」
「二人とも。そろそろ行こう。遅れるよ」
俺たち三人は、筆箱とノートだけを持って、教室をでた。
* * *
情報プログラミング。略して『情プロ』。
2020年から、日本全国の学校で、正式に取り組まれるようになったカリキュラム。その名の通り、パソコンのIT情報や、プログラミングスキルの習得に向けて学ぶ授業だ。
今年は2026年。
実施された6年前といえば、俺が小学校4年の時になる。
残念ながら、一斉実施とはいかず、当時の小学校は、ペラい教科書を一冊だけ渡されて、道徳の時間を1コマ削って、先生が内容を読みあげていた。
子供たちにプログラミングを勉強させなさい。というのは一応、日本政府からの公式なお達しだったが、6年間でまともな授業を受けた記憶は、ハッキリ言ってない。
そもそも、授業を担当できる、先生がいなかった。
席に着いて、教科書を開く。AIとはなにか。ロボットの定義はこうです。コンピュータの誕生はこんなんでした。内容は『社会』の教科書そのものだった。滝岡は寝ていた。
クラスで俺だけが、興味を持って図書館に通い、表紙の取れかけたHTMLの本を借りて、両親の店のホームページを作っていた。
中学にあがっても、情プロの内容は、せいぜいコマンドプロンプトを立ち上げてから「ハローワールド」と表示させれば80点。四則演算の結果ができれば、100点の世界だった。
そして半年前、高校に合格してから購入した、『高校生情報プログラミング』の教科書をペラペラめくって分かったのは、相変わらず、初歩の初歩だということ。
普通科の進学校で配布された、その教科書だけが、他と比べて、あきらかに内容が軽かった。割り振られた時間数も、週に一回、うちのクラスは木曜日に二時間だけ実施される。
正直な話、この授業に関しては、どうにでもなるかなと、思っていた。
* * *
元は視聴覚室だった空間を、校舎の建て替えと共に改装した、PCルーム。個別の机ではない、横長の机にモニターがそれぞれ置かれている。
半年前の春、俺たちはここで、一人の先生と出会った。
「人間は、興味のある分野でしか成長できない。俺が唯一、正しいと思ってる、世間一般論だよ」
四月の初週。初めて顔を合わせた先生は、若い男の人だった。
「昨年度より、本校にて、全学年の情報プログラミングの授業を担当している、非常勤講師の黛景《まゆずみけい》といいます。はじめまして。どうぞよろしく」
静かで、音階に乏しい声が響いた。
「まず最初に、正直な所感を伝えます。週1回、2コマで、プログラミングのイロハが教えられるかっていうと無理なんだよね。少数ならともかく、この人数は無理」
それから突き放すような口調で、淡々と続けた。
「ましてやここは、学習塾じゃない。内容も受験には一切、影響はしません。生徒に国家資格を取らせろとは言われてないけど、なにかまともに動くものを作らせろって言われたら、授業だけでは不可能だと思いますよ。って即答したよね」
世間体とかいうものを、ほとんど気にしない物言いで締めた。俺たちの間に、なんともいえない、微妙な空気が漂う。
「だからね、俺の授業に必要なのは、これだけです」
黛先生はまったく気にした様子もなく、赤のマジックペンのキャップを外す。
ホワイトボードに、
・interesting 楽しい。
・funny たのしい。
でっかく書いた。
「理想的なのは上。興味があって楽しい。それが言われずとも、最善だっていうのは、みんなも分かると思う。下の方も悪くないけど、ここは一応、すでに義務教育を卒業した『大人』の空間だからね。俺の言いたいこと、わかるよね?」
……。
俺たちは、とりあえず沈黙を保ちながら、肯定した。
「一応、放課後もこの教場を開放する予定ではいます。授業内容は、ITに関連した国家試験対策です。対象は学習意欲があるもの。ただし、通常の学習も並行して行えると自負する生徒に限ります。希望者がいれば後ほど伝えてね」
言いつつ、さらに赤ペンで続きを書いた。
・AND free
「なのでキホン、俺の授業は、自習だと思ってください」
やったぜ。という空気が、俺たち生徒の間でふわっと漂う。
「だけど、あたりまえの話。成果は必要だよね」
今度は、しゅん…と落ち着く。まぁ、ですよね。
「だからまず、キミたちが、自分にとって本当に必要だと思うことを、まずは明言してほしい。俺が納得できたら、この二時間をあげます」
うん? 時間をあげる?
「時間は有限だよ。そのことを、キミ達だってよく分かってるはずだ。すでにキミたちは、取り急ぎで『情報プログラミング』というカリキュラムを組んだ国と、政治家、および関連性のある大人たちに、割と真面目に怒っていい。人生の週168時間のうち、2時間を不当に奪われたわけだからね」
……。
「ただ、他人に対して怒ることができるのは、自分が時間を浪費していない時、かつ過去を省みない場合にのみ限定されるよね。というわけで各自、なにかしら自分の時間を有効活用できる意見があれば、どーぞ」
俺たちは、ちょっと顔を見合わせるように視線を泳がせた。仮にも今年、それなりの受験倍率を制して、この場所にやってきた。言ってることは分かるけど、
「主張がなければ、なんの変哲もないプリント学習をしてください。3分待ちます」
……。
なんだこの先生は。非常勤だから、適当なこと言ってるのかな。一瞬そう思いかけたけど、違うらしい。さっきからずっと、ポーカーフェイスで、表情が視えづらいのはあるけど、淡々と、事実だけを発信しているような、力強さがある。
「はい、先生」
手があがる。そらだった。
「質問いいですか?」
「どうぞ。初顔合わせだから、発言の前に名前もつけてくれると助かるよ」
「西木野です。わたしは、麻雀が大好きで、内容にもすごく興味あるんですけど、この授業で、麻雀を研究してもいいですか?」
…ざわっ…ざわっ…。
空気がまた、変な感じにゆれた。
なんだ、あの清楚な女子は。いったい何者だ…という感じが伝染する。
いいぞ。もっと早くから気づけ。
ただ、今の発言は、さすがに黛先生も怒るんじゃないかと焦ったけど、
「西木野、君は麻雀のプロになりたいの?」
「なれるかは分かりませんけど、夢のひとつではあります」
「わかった。と言いたいところなんだけど、一応プログラミングの授業だからね」
ですよね。良かった。変な女子の取り扱いが上手いというだけで、俺の中での信用度が急上昇した。この先生はできる人だな。
「じゃあ、麻雀のゲームを作るっていうのは、どうですか?」
「いいよ」
いいのかよおおおいぃっ!?
俺だけではなく、割とクラスの全員が叫んだと思う。心の中で。
「ただ、期限は提示してほしいな。そもそも西木野はプログラムできるの?」
「できません」
…ざわっ、ざわっ…
…なんだあの清楚な女子は…意味が…わからない…。
「まぁ、完成とはいかずとも、試作品として、動く程度のものを提示できるのであれば、自習活動として認めてもいいよ。ただ麻雀ゲームを作るには、相応のスキルが必要だから、神経衰弱ぐらいにしておいたら?」
あっ、先生っ、それは地雷ですっ!
「…先生、麻雀と神経衰弱は別物です。奥の深さが、宇宙とそうでないかぐらいの差があります」
「いや、そんなことを力説されても困るよね」
なんだこの空間は。なんで麻雀と宇宙の話になってるんだよ。
「先生、発言よろしいでしょうか」
カオスとなりはじめた空間で一人、平然と別の女子が手をあげた。また全員の注目が向かう。
「どうぞ。名前は?」
「竜崎ですわ。西木野そらさんの、おゲーム開発、わたくしが手伝います」
「君たちは、同じ中学の出身だったりするの?」
「出身は異なりますけど、今は彼女の家に、ホームステイという形で滞在させて頂いておりますの」
「なるほど。じゃあ時間は合わせられるわけだ」
「はい。それと先生」
「なにかな」
「限られた時間で、二人でプロトタイプを作成するよりも、ある程度の少人数で意見をだしつつ、時間内にまとめて進行した方が、精度の高い結果が得られると進言いたしますわ」
猫をかぶったご令嬢が、しとやかに言った。
「ふむ…つまり、完成品が作れる自信があるわけだよね。竜崎は、プログラミングに関するスキルは有しているの?」
「はい。エンジニアの愚兄…お兄さまの手伝いで、わたくしも仕事として開発したことが、ございましてですのよ?」
あかね、無理すんな。
日本語ペラッペラなのに、語尾がおもしろ外国人と化してるぞ。
「じゃあとりあえず、3ヶ月以内で、成果物として報告できるものを提出できる?」
「若干名、スキルを持つ人間がいれば、可能です」
…なんだなんだ。ざわざわざわ…。
ここは学校やぞ。仮にも普通科の進学校で授業中やぞ。
という空気が伝染する。
「それじゃ募ってみようか。君達のなかで、プログラミングスキルを有してて、ゲーム開発に興味がある。または作ったことがある人はいる?」
先生は告げる。お客様の中で、プログラミングスキルを持ってる方はいらっしゃいませんかー。いませんよー。どこにも、一人も、いませんよー。
「…はい。先生…」
「君の名は?」
「前川です…」
悲しいな。最近できた若い常連のお客さまは、大事にしないといけないのだ。特にうちの母が気に入ってるから断れない。俺の一存如きに、そのような権限はない。
「竜崎さんと同じで、本当に少しだけ、実務経験があります。国家試験も去年取らされ……ではなく自主的に取得しました」
「なにとったの?」
「基本です」
「なるほど。じゃあ君も、西木野たちとチームを組むように。あと若干名、なんらかの形で加われそうな人間はいる?」
「はい先生」
「どーぞ」
「原田です。独学ですけど、DTMを始め、電子音楽の作曲とか、サンプリングなんかもできます。ゲームは音楽が必須だと思いますから、参加したいです」
「はーい先生、俺も俺もー! 滝岡っす! PCはネット見るぐらいしかできねーすけど、中学の時、そこの二人と組んでバンド演奏したこともあるんで、俺も入れてもらえますかー。なんかたのしそーなんで!」
ありがてぇ。これが友情かぁ。とか思っていたら、
「ところで西木野~!」
「えっ、あっ、うん。なに?」
「麻雀というからには、脱衣要素を入れてもいいよな! 当然だよな!!」
あっ、この滝岡《バカ》他人です。
手錠でもつけて、最寄りの交番にでも捨てておいてください。
* * *
そんなわけで。高校一年生の春。情報プログラミングの授業で、俺たち5人はチームを組んで、『麻雀ゲームの制作』をすることになった。
マンガみたいな展開だな。
たぶん、世界全国の高校生を見回しても、そんなことをやってるのは、俺たちの他にいなかったんじゃないだろうか。
そして半年後…。
マンガなら、そんなモノローグがフキダシに浮かびそうな時間が経過した。
「それじゃ、原田くん。夏休みの間に『サウザンド・エピックス』のネットダイレクトで販売した『そらまーじゃん』なんだけど、何点かたずねていいかしら?」
「はい、竜崎社長。どうぞ」
情報プログラミングの授業は、俺たちにとって、経過報告という名の会議。事業報告、今後の展望などを語る時間になっていた。
「9月に入ってから、接続してるユーザー数の推移と評判、追加衣裳のアイテム課金に関しての売り上げを報告して。あと一言、所感を述べてもらえる?」
「了解しました。ではお手持ちのタブレットから、業務推移状況の1ページ目をご覧ください」
我らが社長こと、竜崎あかねが尋ねると、忠実な腹心である、原田がうなずく。残る俺たちも、手元のタブレットPCをスライドさせた。
「夏休みが終わり、やはり接続状況は落ち着いてきましたね。しかし元々、内容が麻雀だということもあって、プレイヤー層の年齢が高く、思っていた以上には、課金総額は落ちませんでした」
「追加コスチュームや、好感度に関連した課金アイテムの売り上げは?」
「そちらも減少傾向にありますが、ガチャのSSレアリティを、当選確率70%にしたおかげで、全体平均値としての課金額は、変わらず上々と言えます」
原田がニヤリと笑う。眼鏡をクイッとする姿が、実に様になっている。
「元々、ガチャで儲けるビジネススタイルじゃなかったからねー。やっぱりゲームは実力勝負だよねー」
我らが会長こと、西木野そらが「うむうむ」と、満足げに応えている。それはまぁ同感するところではあるけれど、
「会長のおっしゃるとおり。しかし、一般的なガチャに慣れているプレイヤーほど、70%という数字は魅力的に映るのでしょう。それならば買う。出るまで回す。コンプ厨の購買率は変わらないので、結果として悪くない数字が継続中ですね」
完全に『悪の参謀役』といった感じで、原田が笑う。こちらの気持ちもわからんでもない。実際、ガチャの課金額の数字、主要な売上高とにらめっこしてると、なんかこう、悪い笑みを浮かべたくなるよな。
「はいはいはーい! 脱衣要素のアプデはいつなんですかー?」
「「おまえは黙って寝てろよ」」
俺と原田の良い感じのツッコミが入る。
「んー、あれば欲しいよねぇ。というかわたしもやりたい!」
「会長。今はまだ夕方で、授業中なんで控えてもらえる?」
「会長が言うのであれば、やむなしですね」
「あっさり賛同してんじゃねぇよ。二次元オタク」
ほんまこいつらは。美少女に対して節操ねぇな。
社長、いっちょなんか言うたってくださいよ。
「売上に良い影響がでるなら、別バージョンでの実装と検討には値するわね。前川ならできるわよね?」
「はい待ってくださいね、社長も落ち着きましょうね。その案は主に俺が死にますので遠慮してくださいね。物量的に、今でもいっぱいいっぱいなんでね」
「そこをなんとかしなさい」
「できませんっ!」
強く否定する。俺だって、言う時は言うんだよ?
「仕方ないわね。脱衣に関しては、また時期を見てから相談しましょう。ところで原田くん、売り上げは当初の予定通り、件のイラストレーターとアシスタント、それから外注プログラマーの彼女たちに送付は確認してくれた?」
「はい社長。先方とはメールで、折り返し確認済みです。売上額のロイヤリティ50%を3分割してクリエイターに。残る50%は、赤十字社をはじめ、社長から言われたとおり、有名どころの各団体に、寄贈しておきました」
「きちんと、募金しました、アピールはしたわね?」
「ぬかりありません。写真をとって、ネットにアップ済みです」
「ならいいわ。学校は、学生が利益をあげすぎてると、いちいち余計な勘繰りを入れてうるさいからね。これで文句もでないでしょう」
まさに環境のどまん中で、あかねが帝王のように腕を組み、言いきった。さっきから脱衣というキーワードを連呼していた気がするが俺はなにも聞かなかった。
「でも社長。そろそろ俺を、『お客様《せんせいとほごしゃ》対応窓口』から、解任してやってください。現場と窓口の両立は、物量的に死にます。せめてディレクターだけにして。プロデューサーの役職も兼任させないで」
「そら、今なにか聞こえた?」
「ううん。なにも聞こえなかったよ~」
お願い、聞いて。
かくして俺が、過密したスケジュールに推される一方。周囲のクラスメイト達からは「あいつらだけ授業中に会社やってやがる…」とか言われていた。
しかも、その意見はあながち間違ってない。ライセンス契約と認証は、ネクストクエストに頼んでいるのもあって、普通に認可と申請が通っている。検索すれば正式なダウンロードソフトとして、販売されている。
「じゃあ次、来月の文化祭の件だけど、できれば出し物として、『そらまーじゃん』を、発表したいっていう話になってたわよね。滝岡くん、状況は?」
「おーよ。交渉イイ感じに進んだぜぇ。うちの高校の校長と教頭ってよ。野球も好きだけど、実は麻雀も大好き人間だったってのが、この前の調査で判明したじゃん?」
「そうそう。校長先生は、元プロ目指してたって聞いたよねぇ」
調査の詳細には触れないが、べつに悪い手段は使ってない。滝岡のクソ度胸と、遠慮のない性格が幸いして、この学校の最高権力者《校長&教頭》にプレゼンする時間を作れたのが、夏休みの出来事だった。
さらにもう一点、新たに判明した事実が、
「んで、二人にさぁ、宵桜スイのサイン欲しいですかって聞いたら、マジでもらえるのか!? って、すごい食いつきだったじゃん?」
世界初、Vtuber雀鬼の大ファンだったということ。
「だったねー」
「はっはー、サインが欲しけりゃ、空いてる部室よこせっつったら、イチコロっしたわー。やっぱ世の中、賄賂がさいきょ…」
「「滝岡」」
どす、ぼす。
さすがに不穏なので、俺と原田が強めにツッコミを入れて、言動キャンセルを発動。それでも滝岡は、力強く親指を立てて宣言した。頑丈になりやがって。
「そんでよ。文化祭当日、部屋借りていいってよ。ついでに、麻雀喫茶を開いてもいいぞっつー、許可を取り付けたぜー」
教頭先生、校長先生。
麻雀を打ちに来るつもりですか。文化祭当日に。
「やったー! 滝岡くんやりおるー!」
「ふはははは。まぁ俺だけじゃなくて、祐一の力も借りたけどな」
「俺はなんもしてないよ。常連のじいちゃんズが、学校側に口添えしてくれたおかげだよ」
あと何気に影響力すごいんだよな。うちの常連さんは。
「あ、ちょっと話それるけど、前川の店の常連さん、『じいちゃんズ』の配信、一昨日のも面白かったよ。良かったら、伝えといて」
「オッケー、伝えとく」
「おー、いいよな。俺も好きだわ、『じいちゃんズ』。楽しく雑談しながら、麻雀打ってくれるしなー」
「ねー! いいよねー、じいちゃんズ、わたしも好きー!」
「ん。悪くない。アレは為になる」
そう。今年の春、俺たちが高校生になったのと同時に、町内会長の友重《ともしげ》さんこと、シゲさん。宮脇さんこと、ミヤさんが、個人性のVtuberとしてデビューしたのだった。
――永遠の67歳。その名も
『じいちゃんズ』。
【セカンド】の見た目は、大正ロマン風の、唾広帽子に、詰め襟。何故か口元に葉っぱをくわえていて、下駄を履いている。感情が高ぶると、目の中に炎が燃えさかったりする。
名前はそのまま、シゲと、ミヤ。
『じいちゃんズ』のファンからは、シゲミヤという愛称で親しまれている。
二人の配信は、だいたい週二回。やや不定期ではあるが、夕方から夜の8時ぐらいの間に、毎回1時間ぐらいの放送をやっている。
中でも『若者お悩み、進路相談室』は、チャンネル開設当初からの人気コーナーだ。67歳の二人が真摯に悩みを聞いたり、アドバイスをしてくれる。
他には、視聴者参加型の、将棋や囲碁といったものもやっていたが、最近は俺たちが夏休みの間に『そらまーじゃん』をリリースしたことで、そっちも積極的に遊んでくれるようになった。
そんな、じいちゃんズのコンセプトは『一言見捨てず』である。
麻雀のルールが、難しくて覚えにくいという相手にも、自分たちの手牌を公開して、気軽に教えながら遊んでくれる。
元々、あのじいちゃん二人が、若者肯定型であり、性格的にも、すげぇ取っつきやすいのがあって、最近ではチャンネル登録数が増えまくっていた。
ちなみに夏休みの間は、俺たちもコラボして、ハヤト達Vtuberの姿で麻雀にも参加した。逆に人狼系のサバゲ―なんかもして、全員でもりあがっていた。
「じゃあ、話を戻しましょうか。『そらまーじゃん』の登録数と、総接続時間の推移はどう?」
「そちらも順調ですね。いずれ落ち着くとは思いますが、一定数のユーザーは確保したままいけると思いますよ」
原田が完全に、社会人スタイルで言う。似合う。
「従来までのアプリだと、麻雀単体として完結していたスタイルに、『サウザンド・エピックス』の会員登録をして、共有ログインフィールドにアクセスする。今年発売されたホロビジョンを装着することで、VR空間の中で、麻雀を打ちながら、人気ゲームの観戦や実況もできる。というスタイルが取れますから」
「なんかアレだよな。麻雀しながら、リアルタイムのスポーツ中継を見てる、みたいな」
「そうそう」
自宅で『VRデバイス』を用いれば、仮想空間の中で、理想のキャラクタを伴って麻雀を打つことができる。麻雀を打ちながら、テレビを見るように、eスポーツのランカー頂上決戦を見て、仲間内でダベることもできる。
「今なら『GM』ですかね。このゲームのライブ配信を見ながら、4人部屋を立てて打ってるプレイヤーも多いです。特に『宵桜スイ』さんが、熱心なFPS系のゲーマーでもありますから。彼女がGMに参加してる時間帯は、卓も増えますね」
「そうね。『宵桜スイ』を始めとしたインフルエンサーが、上手く機能してる」
「ふふ~、そだね~」
あかねが平然とうなずく。そらもまた、くすぐったそうに、うなずいていた。
「確か、スイとかハヤト、あとユキも、俺らと同じ高1なんだよな」
「らしいね。だから、僕たちが作ったゲームに興味持って、アクセスしてくれたみたいだし」
滝岡と原田が、それぞれ言う。
去年、ハヤトが高校受験を機に、活動の縮小を発表した際。宵桜スイと、黒乃ユキも同様のことを発信した。なので一般世間には、最低限の情報が知れている。
(でも、気づかれないもんだよな)
声は【セカンド】の能力で加工している。絶妙に、本人を特定できない範囲で補正が入っていて、とあるスキルがないと見破れない。
じいちゃんズの二人には、ネタ晴らしをしているが、滝岡と原田には、そこまで知らせてない。俺は構わないのだけど、女子二人から「黙ってると面白そうだから言わないで」と、口止めされた。
「じゃあ、報告はひとまずそんなところね。あとはこれからの予定だけど。文化祭までのアップデートに向けて、こっちはゲーム内容の更新に取りかかるわ。背景楽曲に関しては、3人にお願いできるかしら?」
「わかった。了解」
「けどよ~、わかっちゃいるけど、もったいねーよなぁ」
「なにが?」
「俺らが学生じゃなかったら、コレ、ちゃんと収入になるのによ。普通にゲームとして完成してんじゃん」
「まぁね」
遠慮なく、滝岡が言う。俺たちが内心では思っていても、口にはださないこと。だからこっちとしては助かるが、滝岡本人が、損な役回りをかぶる事が多い。
「麻雀って、一般的には、あんまり綺麗なイメージないからねぇ」
そらが言う。俺たちは同意して、だけど口々に言う。
「やってみると、奥深くて、すっごくハマるんだけどねー」
「けど奥深いってことは、難しいってことだからな」
「確かに、単純じゃないわよね」
「けど俺らで、ワンチャン、そういうの変えていけんじゃんね?」
「そうかもしれない。ちょっと、ワクワクするよね」
見えている世界。
誰かに植え付けられた常識性。
ひとつずつ、協力して、手を取り合って。
良い方向に。変えていく。
「あっ、そうだ。前川くん」
「なに?」
「宣伝の方は、告知できる範囲でよろしくしておいてね~」
「会長。俺さっき、楽曲の依頼を受けたよね?」
「うん。そっちも期待してるよー。がんばってね」
「………了解す………」
清楚な雀鬼が微笑む。うん。断れないよな。あと日本語って難しいよね。知ってた。あと俺、同時に四面打ちできる、マルチタスクな脳みそ持ってないんだよね。知ってた?