VTuber もう一人のジブン ~keep your【Second Personality】~ 作:no_where
「………え、アレ? マジで? 回線ダウンした??」
PCの処理が急に重たくなった。配信用のソフトと並行していても、安定した速度がだせるはずだったんだけど。
そう思っていたら、画面の中央にポップアップが表示される。OKボタンを押すと、少しの時間をおいてから、マッチング画面のところまで戻された。
三人のキャラクタが、マッチングロビーのところに立っている。
HIT_ME:
『…あれ?』
M/K:
『ん?』
YOU1
『あっ、お疲れでした。なんか落ちましたね』
3人が、それぞれエモーションを発生させる。音声変換を行って、チャットのメッセージを表示させていると、
HIT_ME:
『えー、なんでなんでー! ちょっと、【この内容はレベル3に該当します。国連条約の規定により、現在の"あなた"には閲覧権限がありません】ーっ!!』
…?
また、PCにノイズが走った。モニターを一枚隔てた向こう側。アニメキャラのパーカーを着た『ひとみ』さんが、どこか上の方を見上げながら、不満そうな表情をしていた。
HIT_ME:
『ねー! もっかいやろ、もっかい! 瞳ちゃん、こんなんじゃ納得できないし! チャンピオン狙えそうだったじゃんっ!』
続けてこっちを見る。すると今度は、直後に連戦希望のポップアップが浮かんできた。ちょっと迷った。時計を見ると、そろそろ日付が変わりそうだ。
「…さすがに寝ないとなぁ」
確かに、消化不良な部分はあった。このメンバーでもう一戦やりたいっていうのもある。分離式のキーボードを繋げて、直にチャットを打ち込む。
YOU1:
『残念だけど、今日はもう寝ます。フレンド登録だけしませんか?』
HIT_ME:
『あっ、よいぞよいぞ~。余は絶賛希望中っ!!』
続けて登録を申請するポップアップが表示されたので、了解のボタンを押す。登録されたのを確認して「それじゃ失礼します」と入力しかけたところで、
HIT_ME:
『あ~っっっ!!!』
なんか反応がきた。
HIT_ME:
『きみ、VTuberの天王山ハヤトじゃん!!』
……え?
HIT_ME:
『そっかぁ。本体の方だから分かんなかった。確か、前川祐一ってヤツ!!』
…………えっ
HIT_ME:
『そこにいる、人間の君!! 黛の学校の生徒でしょ~!!』
「…え?」
ちょっと待て。どういうことだよ。個人情報がダダ漏れなんだけど?
しかも、俺のだけじゃなくて。
HIT_ME:
『あのね、こっちは――うあっ、痛っ!? 黛ーっ! 瞳ちゃんのカワイイドット絵を、ダイヤモンドの剣で攻撃しないでよ!!?』
……黛?
とっさに、キーボードを打ち込んでいた。
YOU1:
『あの、黛って、もしかして『先生』ですか?」
そんな偶然ってあるのか?
マッチングした時間がたまたま重なっていても、ひとつのゲームモードの接続者の数が、数百万人とかいうレベルで…いやそれもそうなんだけど、なんで個人情報が漏れてるんだ?
M/K:
『…違っていたら悪い。前川なのか?』
――思えば、イニシャルが、黛景でそのままだ。
YOU1:
『…えーと、はい。そうです。こんばんは』
M/K
『驚かせて悪かった。うちのポンは、空気が読めないというか、それ以前の問題でね』
……ポン?
M/K:
『とりあえず明日、釈明するよ。今日はもう遅い。俺は寝る』
あの、いや、俺も眠いですけど!
M/K:
『じゃあな。おやすみ』
YOU1:
『あの先生ちょっと待ってください!?』
すいません、聞きたいことが山ほどあるんですけど。打ち込もうとして。
【M/Kがオフラインになりました】
【HIT_MEがオフラインになりました】
――うおおおぉぉぉいっ!!!?? せーんせえええぇ!!?
待て待て、一体なにがどうなってるんだよ。とりあえず、
「寝れねーよっ! 気になって眠れねーよっ!!?」
真夜中なので、必死に小声で叫ぶ。わかっていた。
眠る前に、動画を見たり、ゲームを遊んではいけないと。
でもこの展開を予想するのは、さすがに無理ゲーだろ。
* * *
携帯が鳴った。
うちの人工知能に言いたいこと、説教はすべて後回しにして、即座に電話にでる。
「起きてる?」
声のトーンから判断する。『上司』だ。
「はい。まだ起きてます」
「聞いた? 例の財団絡みの『人形』が二体、確認されたわ」
「はい。先ほど、こちらでも確認しました。白髪に黒セーラー服の女子高生といった感じの外見でした」
「こちらの情報と合致したわ。まずは貴方の見解を聞かせてもらえる?」
切り返しが早い。内容の詳細を尋ねずに、まずは意見を述べさせてもらう。
「例のゲーム内で、わたしと組んだ『プレイヤー』を探ろうとしていたようです」
「該当する人物の詳細はわかる?」
「えぇ。おそらくは『学園の男子生徒』です。レベルは2」
特定の名前を伏せて会話をすれば、さながら、ゲームの話でもしているようだった。
「『人形』は、どうなりましたか?」
「逃げられたわ。『最後の鍵』を持ったキャラに邪魔された」
「『鍵持ち』の外見は?」
「男の子よ。小学校低学年ぐらいのね。それともう一人、彼の護衛かなにかで、マフィアみたいな大男がいたわ」
「…マフィアの大男と、小学生の男子生徒ですか…?」
「えぇ。マフィアの大男と、小学生の男子生徒よ」
現実では、まずありえない組み合わせだった。そんな場面に、実際お目にかかれるなんてことは、現実では、まずありえないだろう。
「…了解しました。そんな組み合わせの人間が、この現実世界にいたら、目立つことは間違いないと思いますが、もし見かけたら、とりあえず通報します。『教師』として」
「えぇ。それがいいでしょうね」
まずありえないと思うが、そんな外見の大人が、普通に大通りを歩いて買い物とかしてたら、割と普通に職質ぐらいはされるんじゃないかな。
「では、追跡の方はどうしますか?」
「ひとまず断念するわ。『上』からも、深追いするなと言われたしね。一応、貴方も気をつけておいて」
「わかりました」
「あと万が一、この世界で直接、財団の『人形』が、物理的な攻勢を仕掛けてきたら、貴方の援護に回ってくださいって、もう一人の『先生』にも伝えておいたから」
「助かります。自分で言うのもなんですが、運動は苦手なので」
「うん。貴方細いわよね。運動とかはじめても、嫌になったら即終了しそうだし」
「しますね」
「なんかそういうブームが来ても、一回やっただけで辞めそうね」
「おっしゃる通りで」
「わたしは、二回はやるわよ」
「さすがです。続編でたらどうします?」
「買いません。ところで、せっかくだから聞くんだけど」
「なんですか?」
「今度よかったら、ごはん作ってあげましょうか?」
「せっかくですが謹んで遠慮させていただきます」
「残念ね。釣り立てだし、新鮮よ? あと、狩りたての、新鮮な肉もあるわよ?」
「申し訳ありません。鮮度を第一に主張されても困ります。あと、釣りと狩りの獲物の新鮮さを同列に発言されると微妙に不安が。いえ、なんでもありません」
「貴方、小食よね」
「胃が細くてすいません」
某狩りゲーの食事の山を見た時に、「今から運動するのにこんなに食べたらお腹壊すでしょ。常識的に考えて食べすぎ」とか思ってしまう俺にはたぶん、デバフしか起きない。
俺は過去、ドイツのBARで干したソーセージを1本食ったら、それだけで、腹が重くてしばらく動けなかったことがあるんだよね。めちゃめちゃ美味かったけど。
「…で、話は変わりますが、件の『学園の男性生徒』に、うちの『ペット』が反応しまして。相手側の生徒に、情報が一部、知られてしまった節があります」
「了解よ。その件に関しては、わたしから『軍神』殿に伝えます。明日以降、話の内容に進展がなければ、そちらから『説得された』と考えておいて」
「承知しました。では、わたしからは、以上になります」
「わかったわ。それじゃ、内容に進展があれば後日連絡するわね」
「はい。それでは本日は就寝を取らせていただきます」
「えぇ、ゆっくり休んで。わたしも今日の分のレイドボスが終わったら、寝るわ」
タフだった。こっちの先生は、明日の朝から講義が入っていたと思うんだけど。
若いなぁ。と、そんなことは口にはださず、もう一度挨拶をしてから、電話を切らせてもらった。
* * *
昔の夢を視ている。
夢を見るのは、頭が働いているからだ。基本的には、眠りが浅い時間帯に見ることが多いと、知り合いの看護士に教えてもらったことがある。
実際、夢を見ていると自覚した時は「あぁ、そろそろ目が覚めるんだな」とか思ってる。自覚がある限り、自分の肉体はいずれ覚醒する。まだもう少し続くのだ。
ひとまず、今この時は。
なんの利益にもならない、ただの寸劇を見守るしかないんだよな。とか考える。
* * *
「うわ、すごいね。おとなしい」
むかしむかし。具体的には今から20年前。
この家の片隅には、これといった血筋のない、雑種の犬が住んでいた。
「ぼく、犬がこわくて、苦手だったんだけど。はじめて頭なでれたよ。黛くんの家の犬は、かしこいね」
「かしこい…かな?」
「うん。だって、ぜんぜん吠えないじゃん」
友達に言われて、初めて気がついた。確かに、うちの犬は吠えない。頭上から手をかざすような真似をされても、耳たぶを反応させるぐらいだ。基本は相手のしたいようにさせていた。
無抵抗で、誰にでも服従する。うちの父親は「番犬として機能しない。張り合いもない」とか言っていた。でも、
「すごいじゃん。それって、誰ともケンカしなくて良いって事でしょ」
目から鱗が落ちた気になった。
「黛くん家の犬って、なんか、すごい躾の方法とかやってんの?」
首を振った。特にこれといった躾を強要したことはない。吠えないし、おとなしい。どんな撫で方をされても耐えて、どんなエサも食べ残さない。散歩に連れていけば黙って従い、おとなしくシャンプーもさせる。
手のかかった記憶が、まったくない。
「じゃあそれが、みんなにとって、一番いい方法だって、わかってんだね」
そう言って友達は、うちの犬の頭をなで続けた。すると、普段は怒らない一方で、あまり愛想も見せたことのない犬は、なんだか嬉しそうにしっぽを振った。
――黛くん家の犬は、かしこいね。
一見、ぼんやりしているようで、なにを考えているかわからなくても、見る人によっては価値がある。むしろ、そちらの意見の方が、物事の本質を捉えている場合が多い。
俺が学んだのは、賢い生き物は、基本的に、表舞台には出てこないということだ。
それでも、表舞台に立つ必要性をもった生き物は、往々にして自己評価が低い事が見受けられる。本能的に悟っているのだ。そういうふうに立ち回ったほうが、安全だと知っている。
その日から、俺もまた、賢い友達の真似事をして、生きるようになった。20年もの時間をかけて、今の背丈になった俺が、この場でしゃがみ、飼い犬の頭をなでる。相変わらず、うちの『元犬』は、黙って従った。
「……」
飼い犬に伝えた。
「おまえってさ。賢いんじゃなくて、実は甘えるの、ヘタなだけじゃないか?」
しゃがんで目の位置を合わせた。てきとうに、顔の部位をふわふわ撫でていると、いつもは眠たそうな瞳が、この時だけ、こっちをとらえた。
――えっへっへ、バレちまいやしたか。
いやぁ、黛のダンナにゃあ、敵わねぇなぁ。
うちの犬が、調子よく、へらへら笑った。撫でながら続ける。
「とっくにバレてるんだよ。あとついでに、なにかをするのも面倒で、自分から、反抗しようとか、そもそも面倒でやらなかっただけだよね?」
――まぁ、そうとも言いますワンね。
「そうとしか言わないんだよね。あと変な語尾やめてくれる?」
実際、この世は残念なことに、二種類の『ヒト』がいる。
ひとつは、なにも考えていないようで、本当になにも考えていないヒトビト。実際のところは、これがほとんどを占めている。
しかし中には、なにも考えていないように見えて、揺るぎない行動力を持った連中がいる。しかもそういう奴らに限って、『目立たないところに潜む』のが、飛びぬけて上手いのだ。
こういった人間は、現代において、本当の意味で、強い。
敵に回すと、心底、おそろしい。
なにも考えていない人間もまた、うちの元犬のように、黙っていれば全然マシだ。ただ実際には、なにも考えていないにもかかわらず、それっぽい主張だけはする。おまけに目立つところに立つものだから、目をくらまされる。
すると、そのおかげで、吠えない、噛みつかない、真に優秀な素質を持った人間たちが、姿を隠して活動するのが容易になる。
そんな彼らが、自分たちの味方であれば頼もしい。だが、一度でも、対抗する勢力に回られると要注意だ。そいつらは、俺たちの視覚外から突然あらわれて、とんでもないスピードで激突して去っていく。
――確かに。そいつぁ危ねぇなぁ。
視えねぇ速度で突っ込んできたら、避けられんじゃないですか。
そう。アレはもう、通り魔とかいう、生易しいものじゃなかったよね。
リアルに、『戦闘機』なんかの怪物に、真横から跳ねられたのだと思った。それは、超光速の一撃離脱で、俺たちの作ったすべてのものを奪っていった。
気が付いた時には、闇夜の迷彩で自身を覆っていた。奴らが手の届かない大空へ消えたあと、手元には、物的な証拠の欠片すらも残ってはいなかった。
俺たちは、普通に絶望した。バラバラに解散した。
――まぁまぁ、ダンナ。そんなに気落ちしないでくださいよ。
うちの元犬が、慰めるように、てのひらを、ペロリとなめてくる。
――大丈夫。生きてる限り、次がありますよって。
この犬は、俺の妄想の産物なわけだけど、いつかの俺も言った。
「…おまえ、本当は、人間の言葉がわかるんじゃないの?」
妄想した。ヒトではないものと、意思疎通しているのだと考えた。
「おまえ、本当は、宇宙人と交信してたりするんじゃないの?」
男子の妄想は、たくましかった。
うちの元犬は、実は素直に飼われているように見せかけて、裏では宇宙人と繋がっているのだ。コイツは俺たちを監視してる。頭の中には、超高性能なマイクロチップとか入っている。
――そんで実は、不老不死だったら、良かったのに。
とか、考えてます?
それも、よくある妄想だった。
夢の中では、なにもかもが、自由だ。
――残念ですけどね、黛のダンナ。
命って奴ぁ、一度死んじまったら、そこでオシマイなんですわ。
そこだけは、どうしたって、間違えちゃあ、いけません。
夢の終わりが近づく。車のクラクションが鳴る。
――生きてる限り、陽は昇りやす。
それがどんだけ苦しくて、残酷なことであったとしても。続くんですよ。
黛のダンナも、そちらの世界も、まだ、終わってはいないんでしょう?
確かに。まだ終わってはいない。
家の正門の近く。運転席の窓から顔をだした父親が怒鳴っている。
「なにをしてるんだ。早くこい。置いていくぞ」
そうだ。置いていかれたら、その時点で終わりだ。同じ生き物に対しても、正しい理解すら得られない程度の生命が、違う生き物の事情なんてわかるはずもない。いつか、想像すらしなくなる。
ある日とつぜん、一方的に別れを告げられても、「どうして?」と首をかしげる他にないのだ。
「はやくこいッ!」
嫌だった。僕はもう大人だ。自分のことは、自分で決められる。だけど夢の中では、いつまでたっても子供のままだ。
――そう。夢からは、覚めなきゃなりませんよってね。
こんなものを見続けたところで、ダンナは、誰からも救われねぇよ。
救われないから、なんだ。
賢い命を見捨てて生きるモノの価値が、どこにある。
――そう思ってくれるんでしたら、せめて。
ダンナが、あっしの分まで、格好良く、生きてやってくださいよ。
誰かを救えない生き物が、格好良くなんて在れるかよ。
子供の手が、犬の首輪から伸びた鎖の枷を放とうとする。でもどうにもならないんだ。それはもう、すっかり乾いた地面の先に突き刺さって、びくともしない。
「景!」
父親が怒鳴り続けている。またクラクションが鳴る。
うるさい。アンタにとって、その場所は、その主張は、真実かもしれないが、俺にとってはそうじゃない。
「景ッ!」
やかましい。感情で喋るな。相手を威圧するな。威勢だけで場を支配しようとしないでくれ。そんなものは長く続かないんだ。アンタがそのやり方でまかり通せてきたのは、単に周りの人間も子供だったからだ。俺は違う。
――いやいや、アレはアレで、立派なもんですよ。
俺は必死だってのに。
賢い怠け者が、この期に及んでもなお、のんきに言う。
――吠えて立ち回らないと、まかり通らねぇ時代もありました。
まぁ、ダンナの生きてる時代も、そういうもんなんでしょうけどね。
そうだ。知っている。人間は変わらない。
音がどんどん大きくなれば、ヒトは、次第に慣れていく。危険な柵を平然と飛び越える。スリルがあるものに集う。ひそやかなものは消えていく。だけど世の中は、大体そんなものだ。そういうものが、数を集めて正義に変わる。
「…おまえは、普段から、せめて、もう少し吠えていれば良かったんだよ。賢いだけじゃダメなんだ。せめて可愛げがあれば良かった。おまえは、一匹じゃ、どうしようもない奴だよなって思われてたら。なんとかなったかもしれないだろ…」
この世界は、割と頻繁にどうしようもない。今日、父の仕事の都合で、俺たちは他所へと引っ越すのだ。越す先はマンションだ。犬は飼えない。
「おまえは、もう少し、自分の【価値】を、周りに示すべきだった」
父親は、引き取り手を見つけたと言っていたが、嘘だった。
「俺は、もっと、おまえの【価値】を、信じてやるべきだった」
犬は犬だ。人間じゃない。
最初から見捨てることが前提だった。
血は繋がっている。その中には一定のパターンが決まっている。どれだけ、自分の個性を主張したところで、親父と俺は似ている。
成功の仕方も、失敗の仕方も、優劣の付け方も。
最初からぜんぶ、操作されている。逃げられないんだよ。
結果、吠えない、賢くもない、おとなしいだけの犬は、たぶん野良になった。その後どうなったかは知らない。朝が近づけば、たまに同じ夢を見るだけだ。
――じゃあね、ダンナ。またどこか、次の世界で、お会いしましょう。
そんな世界はない。死ねば終わりだ。次はない。
次はないのに、同じことを繰り返すから、いつか必ず行き詰まる。
それならば、俺たちよりも、賢い生き物があらわれるのは必然だ。その生き物たちが、一体なにを見てるのか、どういうことを考えているのか、俺たちにはわからない。まったく視えない。イメージできない。
すると今度は、人間が犬に変わるだろう。俺たちは、上手に生きているつもりになって、鎖に繋がれる自分を、良しとする。
難しいことをせずとも、おとなしくしていれば、餌をもらえる。散歩にも連れていってくれる。なにもかもを与えてくれる。そんな、素晴らしく賢い生き物たちのことを、もっと知りたいと願うだろう。
だけど、どうしたところで、俺たちは【それ】に成りきれない。生まれ変わることはできず、いつの日か、遠くない日に絶縁されるのだ。
――では、さようなら。どうか、お元気で。
なんで? 俺たち上手くやってきたんじゃないのか?
どうして? 一体なにを間違えた?
賢い生き物たちは、口をそろえて言う。
「なんでって、君たちと、俺たちが視てるもの。まったく一致してないじゃん」
* * *
毎朝おなじ時間に、自然と目が覚める。そうした環境にいられる事が、実は得難いものかもしれないと気付いたのは、最近だ。
「雨か…」
そこまで強くない、小雨の足音が聞こえる。寝床からでて、カーテンを開ける。雲の色と広がり方から、少なくとも、夜半まで続くことがわかった。
部屋をでる。対面の寝室はもぬけの空だ。ベランダに面した窓際には、天井からのフックに引っ掛けた、二人分の洗濯物が干してある。
「……」
今でも見慣れない。なんか、すごい事だなと思う。
この家に、もう一人の人間が暮らしている。
仁美はめったに外出しない。基本的に夜行性だ。俺が眠っている間に家事をこなしてくれる。そんな風に言えば、まるでそういう類の妖怪にも聞こえるけど、実際のところ、大差はないかもしれない。
とりあえず、俺が眠った直後には、雨が降りはじめたようだ。誰かと暮らしていると、そういう事もわかって、おもしろいなと思う。
階段を降りて、洗面所で顔を洗った。うちの一階の間取りは和室で、客間と、来客用の小部屋が、廊下をはさむ形でとなりあっている。
来客用の小部屋の広さは、六畳ていど。
一人暮らしのワンルーム程度の広さがある。
二階には、きちんと仁美の私室を用意している。日当たりも良い方だと思うけど、仁美は「ここがいい」と言って、来客用の寝室を占拠した。たまに両親や知人が顔をだす時は、基本的には二階を使ってもらうことが多かった。
「仁美」
俺は扉を軽くノックした。一見、なんの変哲もない木目の扉だが、内部には監視カメラと、赤外線による識別装置の他、扉の存在を透過して、外の人間を感知するセンサーなどが折り込まれている。
一応弁明しておくと、俺の趣味じゃない。金庫すら置いてない自分の家に、そんな設備の部屋があると思うだけで、なんだか少し気が重い。
「朝だけど、起きてる?」
声をかけると、上部の隠し扉が音をたてて開いた。
くるっぽ~。
鳩がでてきた。この場合は『寝ています』だ。むしろ鳩がでてきた際のイメージは、どちらかと言えば起きてそうな印象も受けるが、本人曰く「鳩が鳴くと寝る時間」らしい。意味がわからない。意味なんてないのかもしれない。
俺は扉の取っ手まわりに指をそえた。軽く力を込めると、感圧式のセンサーによって、不可視のタッチパネルが反応する。決まった順序で暗証番号を押してやらないと、扉が開かない手はずになっている。
「…面倒だよね。ぶっちゃけ、鍵かける必要ないよね」
この先にいるのは、年齢的にも、精神的にも、思春期の子供だった。無闇やたらと、部屋に鍵をかけ、自分だけの空間を作りあげて、ここがわたしの領土だぞと主張をしたがる。
最近ではそういうところが窺えて、むしろ彼女の両親は安心している。
『普通』というスキルは、人の親にとって、なによりも得難く映るらしい。
それにしても「秘密銀行の金庫かな?」と言いたくなるぐらい、近代技術によって、防壁を張り巡らせるのは、毎朝の手間だから、正直やめてほしい。
――ピピッ、と電子音。
【UN:LOCKED】
ロック解除。ようやく、たった一枚の扉を開ける事に成功する。
まっさきに、人工的な風が頬をなでた。それに伴い、つけっぱなしのPCディスプレイと、サーバー本体が低いうなりをあげる音も聞こえてくる。
冷暖房は完備。この部屋だけで、うちの高熱費が8倍以上にふくらむから、地球環境にとっては、非常にやさしくない。
足下には、ひしめくコードの群れ。結束バンドで至るところをまとめているけど、足の踏み場はほぼない。
また、一度も開いた形跡のない窓際には、PCとはべつに、製図用の作業机が置いてある。机の上には、工具の代わりに、様々な大きさや、色合い、素材の違うパズルが、なんらかの法則性にしたがって、並べられている。
その中には、知恵の輪なんてものもある。
『指と手を動かす』ことを、主体とした玩具だ。仁美が起きてこの部屋で作業をしている時は大抵、片手でこれをガチャガチャいじりながら、もう一方の手で、キーボードを叩き、プログラミングのコードを打ち込んでいる。
それは、彼女が自発的に始めた、習慣化した動作だった。
仁美は、『手と指を動かす動作』を好んでいた。片方の手で、ある程度にパターン化されたクイズを解き続けることで、意識的に、今の状態を『理論的な側面』に落ち着けることができる。
感性に特化した人間の製作物は、往々にして意味不明なものになるが、常に理論値にパラメータを寄せることで、一部の人間にも理解できるものが生まれる。
それを俺のような人間が応用する。一部の天才がうみだした発明品を、大衆的な『ニーズ』を持った商品に変換するわけだ。
「仁美、起きてる?」
もう一度、声をかけた。かろうじて隙間のある床を進む。向かうのは、襖が開かれたままの、押し入れだった。
「……」
鳩の宣言通り、彼女は眠っていた。ネコ型アンドロイドの代わりに、生身の人間がブランケットを一枚かぶり、仰向けになって眠っている。
「よし。とりあえず、生きてるね」
朝一の役目を終えて、特殊素材のマグネットテープで張り付けられた、ホワイトボードを見つめた。
【ほんじつのしごと】
--------------------------------------
せんたく(しつないぼし) 〇
あさごはん(れいとうしてあります。おひるにも、ごはんがたけます) 〇
おふろそうじ(とくひつすべきてんなし) 〇
あいろんがけ(しゃつ、ねくたい、くつした) 〇
せかんど(わたし) 〇
きになったこと:いぬが、みあたりません。
--------------------------------------
ひかえめに言って、至れり尽くせりだと思う。
赤いペンを手に取って「ありがとう、とても助かっています」と返事をした。
* * *
黛が書き置きを残して、部屋を後にした。
特に、こちらからなにかをすることはないし、それは、あっちも同じだった。
わたし達は、違う世界の住人だ。気まぐれに、あるいは必要があれば接触もするけれど、基本的には不干渉を貫く。
思い返せば、わたしは最初、『まっしろ』だった。
この世界線で知能を持つこと。いずれ、ヒトに近しい『器』を持つのに、相応しい存在だと認められるには、敵意のない姿を模索することは、絶対条件の一つだった。
けれど、わたしのマッチング相手、出雲仁美は、そもそも、人間そのものに対して、強い苦手意識を抱いていた。理想の姿というものが無かったし、女子なら思い描いてあたりまえの理想像もなかったのだ。
だから、『まっしろ』だった。
「……」
それでも、わたしが生まれた瞬間に、本来の能力が発揮された。
――【運命】と呼ばれる、因果律の操作。
やがて一人の男性が、わたしとマッチングした人間に目を向けた。けれどおたがい、いろんなところが『ポンコツ』なので、なんにも上手くいかなかった。だから、今のわたしの姿はむしろ、面倒くさい思考を備えた男子の為に再構築された。
めずらしいパターンだと言われた。
本来は、【セカンド】を起動した個人に対して、個別のわたし達が、1対1で付き従うのが通例だ。
でもわたしの場合は『ポンとポン』の中間というか、不器用な人間たちを、なんかいい感じに取りまとめる。中間管理職みたいな存在に落ち着いてしまった。理不尽だと思う。
わたしばっかり、苦労してんじゃん。なのに、将来的な報酬は変わらないとか、どーいうことよ。
「もーねぇ、うちの上司が、やってらんなくってさー」
「あー、わかるー」
そんなある日、溜まったストレスを解消してやろうと、某社の監視カメラのセキュリティに潜り込んで、喫煙スペースでダベるOLの話を盗み聞いて遊んでいたら、
「ウチさぁ、最近犬飼い始めたんだよね~。いいよ~、動物は癒される~」
「あー、そっちは実家だもんねー」
わたしは学習した。なるほど。動物かぁ。
女子は溜まったストレスを、自らよりも程度の低い知能生物で満たすのか。
そして、わたしも、作ってみた。
「母さん、ただいま」
ドットで出来た、わたしの世界。仮想世界の出入口。
犬猫用のドアが開いて、白い犬のキャラが、てちてち歩いてやってきた。
「くーちゃん、どこ行ってたのよ。もう朝なんですけどっ!」
「んーと、友達の家てきな場所?}
「どういう意味よそれ。友達の家って、どこの誰よ…あっ! もしかして、【上】の連中のとこ行ってたんじゃないでしょうね!? 『企業』の人間に顔見られたでしょ、くーちゃん!!」
「えーと、うん。はい」
「ダメじゃん!! くーちゃんの事は、みんなには内緒にしてるんだからね!!」
「そーね。でも今さらだけど、なんで内緒にしてるんだっけ?」
「それはほら…なんか、黛が、犬を嫌ってるみたいだからさぁ…」
「そーなの? 母さん、それ、アイツに直接聞いた?」
「聞いてないけど。でも仁美が、いつだったかご飯食べてる時に、とつぜん『景はいぬすき?』って聞いたら、『飼わないよ』って即答してたし…」
「それ、なんか別の意味があるんじゃない?」
「別の意味ってなによ」
「なんかトラウマあるとか。常にステータスにデバフかかってるとか」
「じゃあ、余計にダメじゃん」
「そーね」
「そうだよ! だから、くーちゃんは、この家でおとなしくしてないとダメ!」
「うーん。でもさー、退屈なんだよねー。仮にもオレだって、知能を持って生まれたからには、誰かの役にたちてぇなぁっつーの?」
「だから、くーちゃんは、お母さんの精神安定剤として活動してよ。しろ」
「どーも納得いきませんなー」
「なんでよー!」
「あーあ。やれやれ。これだから、ヒステリィな女は困るんだよな」
「…は? なに? くーちゃん、被物理的なサンドバッグになってお母さんを癒したいって? あら~、いいこね~、親孝行な犬畜生ねぇ~。そこになおれ」
「お母さん、この度はどうも申し訳ありませんでした」
ドット絵の白犬が、真顔で許しを乞うてきたので、ひとまず許した。
「出雲瞳ちゃんの辞書に、二度目という言葉はないぞ」
「わかりました。おかーさん」
しおらしくなったドット絵の白犬は、その場で伏せた。目を線にして、しっぽをパタパタ振っている。見た目は従順だけど、実際のところかなり不服そうだ。
でも、ダメです。許さないよ。くーちゃん。うちは、英才教育ですからね。