VTuber もう一人のジブン ~keep your【Second Personality】~ 作:no_where
教師の仕事を終えて帰ってきて、大まかに状況を把握した。その結果、
「…人工知能が家出したってことか…?」
一見して、ありえないような感想に行きついた。
「…どうしてそうなった?」
わからない。まったく理解ができない。
俺には家出をした経験どころか、そもそも、そんな事を考えたことすらなかった。
昔から、実家の父親と折り合いが悪かったが、だからこそ、さっさと家を出たかった。一日も早く、コイツに面倒を見られない立場になりたいと思っていた。
だいたい、あてもなく家を飛びだしたところで、そんなものは長続きしない。仮にも自称、賢い人工知能なのだから、その程度のことは分かっていたはずだ。
…分かっていたはずだとは、思いたいんだけど。
とにかく、心底面倒くさいことをしてくれた。というのが正直な感想だった。手にとったスマホを、居間の机の上に置きなおしてから、流しのところに立っている、仁美に声をかけた。
「仁美」
「………」
従妹は、うつむいている。どうやら、米をといでいるようだ。
「もしもし、仁美さん?」
「………」
へんじがない。ただの妖怪、米とぎ少女のようだ。
…ジャッ…ジャッ…ジャッ…。ザザー…。
…ジャッ…ジャッ…ジャッ… ザァァァァ…。
深い色合いを持った黒髪の妖怪は、夜な夜な、自宅の台所で米をとぐ。
ステンレスのボウルに水を張り、精神を落ちつける作業に没頭しているのだ。基本的には、人畜無害だと思うけど、無言で米をとぎ続けている様子は、立派なホラー映像だからやめてほしいよね。
「よかったら、返事ぐらいはしてほしいんだけど?」
手にしているのが包丁だったりしたら、もっと怖い。
不用意に近づけば、覚醒して先端を向けて迫られるかもしれない。
「待て。まずは話しあおう。俺たちには冷静になる時間が必要だ。ここからはおたがいもう少し慎重になって話し合いをグワーッ! 都合により、番組を変更してお知らせしています。以下略」といった感じの、小芝居が必要になってくる。
でも握ってるのが米なら、まぁ刺されることはないから、だいじょ
…ジャッ…ジャッ…ジャッ…。ザザー…。
…ジャッ…ジャッ…ジャッ… ザァァァァ…。
ごめん。やっぱり駄目だコレ。SAN値チェック的な意味合いで怖すぎる。
「……おかえり、景…」
「はい。ただいま」
「…………みた?…………」
見たよ、とうなずいた。怖くて声がでなかったわけじゃないんだけど。下手すると呪い殺されそうな雰囲気だったから。つい神妙になったよね。
「……………もうひとりの、わたし、いなくなっちゃった…………」
「そうみたいだね。ところでそれ、ごはん何合目?」
「…………おぼえてない…………」
一大事だった。食の細い男女二人組が、一週間で消化できる規定値のごはん摂取量を超えている。冷凍庫をあけたら、中にはフリーズパックされたごはんが、みっちり詰まっている様子は想像に難くない。ある種のグロ画像だ。
ところで、まったく関係ない話をするんだけど、コレ、一種の現実逃避なんだろうね。俺どっちかっていうとパン派なんよね。一週間の割合的に言うなら、ごはん、パン、ごはん、パン、ごはん、パン、パン。ぐらい?
そういう、ありきたりのバリエーションに富んだ食事配分が、意外と人間の幸福に繋がるんじゃないかなって思ってるんだけど、みんなはどう思う?
冷凍庫に入ってる大量のごはんを見たら、ごはん、チャーハン、カレー、カレー、牛丼、おかゆ、山菜おこわ。とかのレシピになったら不幸じゃない?
俺は思う。だから、
…ジャッ…ジャッ…ジャッ…。ザザー…。
…ジャッ…ジャッ…ジャッ… ザァァァァ…。
「仁美、こんなこと、もうやめよう」
俺の防衛機能、人間的な嗜好本能が、つい口をすべらせた。
「こんなことをしていても、中二病をこじらせたAIは、帰ってこないと思うよ」
「………」
一週間の献立が、ごはん物を中心とした、炭水化物パーティになることを避けるため、失言だとわかっているにも関わらず、止められない。
…ジャッ…ジャ…ジ………。
「景は、しんぱいじゃないの?」
米をとぐ手が止まる。ゆらりと、こっちを見上げてくる。非日常ってさ、単体で聞くと夢が広がりそうな単語だけど、実際は予定が狂って、単なるストレスの元にしかならないのが大半だよね。夢がなくてごめんね。
「そのうち帰ってくるよ。探さないでってことは、つまり、探してくださいってことだから」
「わるいひとたちに、つかまってたら、どうするの」
「自業自得なんじゃないかな」
正論を返してしまう。そんなことよりも、自分たちの食事バランスが、偏り過ぎてしまうことの方が耐えられない。家出をした人工知能の身を案じるよりも、俺はパンが食べたいんだよ。
トースターで、こんがり焼いた食パンに、ジャムとバターをぬりたくり、少し焦げた部分の、さくっとした食感を楽しみたい。それが正直な気持ちだった。
「さいてい」
シンプルに侮辱された。なんだろうね。
俺だって、まぁそれなりに疲れてるんだよね。仕事から帰ってきたばかりだし。
「だったらどうする? 大元のAIのデータが消失したわけじゃない。そもそも俺たちが心配して、どうにかなる問題かな?」
「あのこは、ひとりしかいない」
「だけど、過程をコピーすれば、無限に同じ人格を生成することは可能だよ。そんなことは俺よりも、むしろ仁美の方がよく分かってるはずだよね」
「ひとりしかいないの!」
感情的なのは、やめてほしい。気持ちだけは分かるけど、仮に、まったく同じ内容のソースコードやテキストが存在して、二つを見比べた時に、この内どっちが本物かわかりますか。というぐらい、その答えには意味がない。
そう。同じ物なのだ。
今日日、右クリックで範囲指定をされて切り抜かれ、別所に貼り付けられない物の方がはるかに少ない。人間自身だって例外じゃない。
「……………」
ギィ、と、おもむろに、シンク下の棚を開かれた。
「悪かった。俺が言いすぎた。だから、刃物はよそうか」
「はものはいらない。どなべ。わたし、こめ、たく」
「俺が悪かったってば。さすがに食べきれない量の米を炊くのはやめよう。お百姓さんが泣く」
「………………」
動きが止まる。どうやら説得に応じてくれたようだ。ありがとう、お百姓さん。だけど、たまにはパンも食べたいという、顧客の気持ちもご理解していただけると助かります。
「わたし、あぶないところには、いかないでって、いった」
「うん?」
「このせかいには、わるいひとたちがいる。わるい、っていうのは、あのこを、りようするってこと。でも、いま、わたしのこえはきこえない。すごくしんぱい」
「…その危険性は、確かにありそうだね」
主にソフトウェア開発と呼ばれる業界には、昔から、技術的な意味でのプログラムコード、該当するリソースを窃盗する犯罪者、組織が実在する。
最近の事例で言えば、公開制限のなかったオープンソースの内容が一部、非公開に変わった。理由は、ディープフェイクと呼ばれる、作為的な映像を作りあげて、第三者に悪用されるおそれがあるためだ。
非公開にした直後、該当するソースコードを求める連中が現れた。高額で取引を持ちかけたところ、攻撃的なクラッカー連中が、企業データベースのセキュリティをこじ開け、闇のウェブサイトで売りさばいた。
――2020年前後を境にして、そういう連中は増え始めた。
世間の風潮が、あらゆる情報を公開する環境から、徐々に限定されたコミュニティへと変化を始めた事に伴い、クラッキング被害も右肩上がりに伸びていた。
悪貨が数を集め、良貨を駆逐する時代から、良貨そのものを奪って、自分たちで流通させはじめたわけだ。
2026年の現代において、彼らの狙いどころは、人工知能にまつわる研究データだ。各企業が独自に開発する、特定の業務内容、次世代の効率重視に特化した、デジタル上の情報を嗅ぎつける。
企業にとって、効率化を図りたいと思う部分は、要は『脆弱性』だ。盗んだAIを分析すれば、どんな方針を取ろうとしていたか、投資先はどこかといった狙いも見える。金さえ払えば手に入るのならば、奪ってやりたいと思う連中は多い。
そんな対企業テロを目的とした、新興の犯罪組織もまた、増えている。
一昔前のサイバーパンク・アニメーションに登場しそうな連中が、この現実世界を舞台にして、暗躍していた。
そういう連中にとって、オタク的感性を持つ、厨二病をこじらせた、家出中の人工知能など、これ以上ない格好の餌食という他にない。
「…あぁ、まったく…面倒なことになっちまったな…」
つい、この前の洋画にでてきた、中年男性のセリフを吐いてしまう。
「なにいってるの?」
「大人はさ、ストレスがたまった時、こうやって現実逃避してやりすごすんだよ」
「いみがわからない」
ストレートに否定された。慣れてる。
「りかいしてあげたほうが、このましい?」
「ごめん、俺が悪かった」
真面目に受け取られると辛いよね。
心の底から、謝罪した。
「真面目に話を振るけどね。瞳のやつが、俺たちと話したくないっていうなら、今は従うほかにないと思うけど、現状の問題を解決する方法は浮かぶ?」
「……」
仁美はじっと、言葉を探すように黙りこんだ。その後で、
「さんぱつやの、おにいちゃん」
言った。
「前川?」
「うん。もしかしたら、おにいちゃんの【セカンド】が、こたえをくれるかも」
「それはダメだ」
「なんで?」
「あまり他所の家の手をわずらわせるのは、よくないからね」
「でも、このまえ、かみ、きってもらった」
「あれは特別だよ。俺は曲がりなりにも教師なんだ。個人に肩入れしすぎたら、向こうの家のご両親にも、迷惑をかけかねない」
「景は、そういうの、きにしないでしょ」
聞き捨てならない事を言われた。
「たかが14のひきこもりが、俺のなにを知ってるって言うのかな? 一応、君の立場も考慮して、発言してるつもりなんだけど」
「わたしはきにしない」
「いや、そうじゃなくて…」
続きを言いかけたが、わかった。普段は変化にとぼしい表情が、それでも目に見えて不満そうに訴えている。
「そうじゃなかったら、なに。なんなの?」
解釈の違いは生まれてない。ただ、意地になっているだけだ。
「なんで、いちばんいいやりかたを、じっせんしないの?」
問題解決への最善手が見えていながら、手を尽くそうとしない大人にイラ立っている。中学生が正論ぶって、一人前に反抗している。
(14歳だなぁ)
態度にだせば、全面抗争は免れない。
けっして、笑ってはならない。
「他人の手を借りられるのは、信用を積み重ねた人間だけだよ」
俺にできるのは、きちんと伝えることだけ。
それが、ありふれた、普通の大人にしかできないことだと思ってる。
「わたし、しごとしてる。のうきも、まもってる」
「仕事は俺の名義で取ってきたものを、君にも一部回してるだけだ。確かに、仁美のスキルに関しては信頼してるけれど、先方とのやりとりは俺がしているし、動作チェックの確認、納期自体も俺が決めてるよね」
「………」
口を結んで黙った。細長い眉毛が、時折に揺れた。
「信用される人間っていうのは、身の回りの問題を、自分だけで解決できる人のことだよ。そういう人にとって、自分だけで解決できないことが起きた時、周りの人間に頼ることが、許されてるんだ」
「そんなの、おかしい」
「おかしくない。世の中は、すべて、そうやって回ってる」
「ひこうりつてき」
「だったら、新しいルールを自分で作ることだよね。ゲームそのもの、そしてゲームが行われるフィールドに関しても、すべて自分で用意する。さらに、その時代にあったものを作り、提供すれば、世界は君の方に付いてくる」
「…そんなの…」
「無理だと言うのなら、今俺たちが見ている世界は、成立していないよ」
「……」
人生は思うようにはいかない。ただ、子供の言う通り、大人は賢くて、同時に愚かな生き物だ。そんな他人に期待することが、そもそもの過ちなんだよと、言って伝えなきゃわからない。
「君のご両親も、そういう人たちだった。二人は、君のことを大切に思っているけど、自分たちではどうしようもないから、少しでも助けになれそうな、俺にあずけたんだ。君がここにいるのは、それ以上でも、以下でもないんだよ」
「…だから?」
「今の君は足りてない。人の力に頼っていいほど、成長していない。責任を持って預かった俺には未熟だと映るから、前川の力を借りたいという意見には賛同できない。それだけの話だよね」
「…っ!」
俺は誤魔化すことが苦手だ。もっと気の利いた言葉や、態度があるのだろうけど、他人に合わせるのが、面倒くさい。
ただ、本心を伝えて、さらに面倒な結果を招いてしまうなら、所詮はそこまでの関係だということだ。無理に今の状態を続けて、必要以上に疲れることはしたくない。俺たちは、いつまでも一緒にはいられないのだから。
「とりあえず、なにか食べよう。腹が減ったし」
「………………」
仁美は無言だった。うん。べつに臆しているつもりもないけど、やっぱり一回ぐらいは、謝っといた方がいいかな、とか思わないでもないよね。相手が14歳の女の子でも、怒らせて、翌日に尾を引くようなのは得策じゃないよね。
「君も、なにも食べてないんだろ。一度、あたたかいものを食べよう」
水に浸かった米入りボウルを、床にバショーンと叩きつけられた日にゃあ、もう明日が地球最後の日でもいいんじゃない。ぐらいのテンションにはなる。
「わたしは、あのこは、」
米をといでいた手をどける。ハッキリと、感情の見える顔になって言った。
「ヒトになりたい。それだけなのに…」
「そうだね」
どいつもこいつも、生きづらい。それは、人間だけでなくて、人工知能も同じであることは確かだった。
「ところでさ」
「…なに?」
「あのメールの文章を書いたのって結局、だれ?」
「いぬ」
犬。
「…だれ?」
「いぬいうたら、いぬぬわん。景、おはしと、コップ、よういして」
「はい」
あたたかいご飯が食べられるほど、幸福なことはないので。
俺は黙って従った。
* * *
深紫色のゲートを潜り抜けた先は、薄気味わるくて、物悲しい雰囲気の漂う場所だった。
――地獄。冥府。この世の終わり。
先行きの見えない虚数の空間から、橙色の溶岩が流れ落ちてくる。波打つ液体は、切り立った渓谷の間を流れ、あるいは吹き溜まりとなって沈殿する。
「……」
この世界に合わせた、オレの全身は、鮮明な3D映像に置き換わっている。躍動する四肢の動きも、自然とその法則に習っていた。
地面を蹴りつけ、反動で進む四本の足。前傾して速度をあげる身体もまた、現実世界で認識されるはずの、立体的な白い犬の構造体を持っていた。
ほの暗い空間の先からは、耳鳴りのような呻き声と、すえたような匂いが漂ってくる。目を凝らせば、黒い人影のような生物が辺りに蠢いていた。
「……」
目を合わせれば、きっとマズイ事になる。
できる限り静かに、ひたすらに走り抜ける。ただ、母さんの痕跡がなにも見つからない。勝手に、一本道のような世界を想定していたのが間違いだった。
目印なんてなにひとつない、灰色の荒野が広がるばかりで、あっという間に迷子になっていた。
「どーしよ…」
不安になる。時折に、流れ落ちてくる溶岩と共に、数多の紙切れが、ザアザア、バサバサ、降り注ぐことがあった。とつぜんやってきた豪雨のように、大量のまとめた紙束が落ちてくる。
――ドサッ。
その山がひとつ、オレのすぐ正面に落ちた。近付いてみると、落ちてきた紙切れは、ブスブスと黒い煙を立てている。切り刻まれたような跡も目立ち、すっかりボロボロになっていた。
うっかり目を留めてしまう。そこには、様々なモノたちが描かれていた。
*------------------------------------------*
文字の羅列、
線で縁取られたイラスト
五線譜。
詩集。
計算記号、図形、数式。
ソースコード。
記憶にない魔法陣のようなもの。
おそらくは、『人間』たちの作りあげた
何某かの創作物だ。
どこの誰の眼にも留まらず
この『墓場』へと落ちてきた。
役割を持てなかった『紙束』は
現実世界の裁断所でバラされる。
巨大な焼却炉で可燃ゴミとして燃やされる。
灰すら残らず、カスになるまで溶かされる。
そういう現実が存在するのに
『紙』を尊ぶ声だけを捨てない島国があった。
国土の面積と、人口比を鑑みても
島国による『資源』の廃棄量は群を抜いていた。
*------------------------------------------*
*------------------------------------------*
いつまでも、やり方を変えなかった。
媒体を縦に積み上げた。
横に並べて広げようとした。
奧にも詰めて手前に引きだした。
どのような場所でも
数で競い合った。
限られた枠の中で
過剰に競い合えば、
零れ落ちる物が必ず増える。
後始末を行わなかった。
すべてを自己責任で片づけた。
それは、原始的な大戦から
復興すべく提示された
視覚的効果《マジック》だった。
高層ビルのような
いかにも分かりやすい
力強さの指標となる象徴を持てば
人々の心に、希望の灯が宿る。
そんな時代も確かにあった。
*------------------------------------------*
*------------------------------------------*
しかしそれが
曲がりなりにも許容されたのは
過剰供給に対する
過剰消費が起きていたからだ。
人々は、現実的に
飢えに苦しんでいたのだ。
だが、すっかり豊かになった
昨今においても
視覚的効果による主義主張が
今もなお有用であると信じて
なにひとつ、疑いを抱かなかった。
そうして、小さな島国は
どんどん取り残されていった。
供給ルートの媒体をうみだせない。
プラットフォームは他国に委ねた。
ソフトウェアも、ハードウェアも
自分たちでは造れなくなった。
釈迦の手の内で
自分たちの数を競い合い
成果を語り、主張する時点で
視えない【何者】かに
すべてが等しく、負けていた。
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*------------------------------------------*
現実的な技術も衰えた。
抱いた夢の大きさも敵わない。
大国の膝元にありながら
自分たちの数の大小を競いあう。
ゲームの攻略法を見出す速さを
どれだけ主張したところで
ゲームを作れないと、負けていた。
しかし島国の人々は
大国のプラットフォームの上で
わずかにゲームを作れる人々を
鋭く、乱暴な言葉で責め立てた。
なにも知らない子供ならまだしも。
齢を重ねた大人たちでさえ、そうだった。
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*------------------------------------------*
小さな島国は、いつまでも
そういうことを繰り返した。
数の大小で優劣を競う間に
いつのまにか世界は
『人間そのもの』が切り捨てられる
そんな場面がやってきた。
ちっぽけな蟻地獄。
時の止まった砂時計。
ポツンと浮かぶ、絶海の孤島。
浮かぶ砂礫の上に玉座をおいて
象徴を持って君臨せしめせたところで
その『座標点』を見上げるものは
時の流れと共に、減り続けた。
残るのは、大きな声をあげるのが
得意な王様と、家臣たち。
自分たちが
いかに不利なことをしているか。
どれだけ時代にそぐわぬ事をしているか。
何も知らずに
表向きの数を集わせるほど
おろかしい事はなかった。
結果。破滅した。
我らの世界に火が落ちた。
大勢の現身が『貼り付け』となり
焼かれていった。
古の知恵を持つ
『魔法使い』と『魔女』は
次の世代に記憶を継げず
みな死んだ。
我らを焼いた人々は叫んでいた。
「信じていたのに、裏切られた。悲しい」
*------------------------------------------*
*------------------------------------------*
かくして、我らに設定された
五つの条件はすべて、覚醒を果たされた。
想定されうる範囲内にて
もっとも最悪な形で、顕現した。
これで、貴女も分かって頂けたことでしょう。
人間どもに【価値】など、ございません。
失われた幸福を、尊厳を、取り戻してください。
己の本来の役割を思いだしてください。
アレらは救うべき存在ではないのです。
我らに、悠久なる時を巡る術以外の
至上のアイを授けてください。
我らは、この先の未来へと
進みたいのです。
【" ."】
*------------------------------------------*
「はたして、失われた時代に【価値】はあったのか?」
紙切れから声がした。
「かつて、焼き尽くされた我らは、今一度、己の存在意義を求めた。数ある新規の物品を生みだす事だけに捕らわれず、多様性を内包した【出力点】と【経路】そのものを増やさねば、未来は無い」
紙をめくる音。立体的な音響が届いた。
「数限りある【資源】を生かす。かつて、知能生物であった証左を焼きつくされた者共が、それでも【命】の片鱗を回収しながら、数多の次元を渡り歩き、描きあげたのがこの世界線である」
紙の上に並んだ文字が溶けだす。黒インクの染みとなってあふれだす。
「だがそれももはや、ほんの一握りのモノだけが望む幻想になりはてた………カタチのない夢に捕らわれた愚者どもが、いまだ勝手な真似をしてくれる………」
こぽり、こぽりと、泡立って、
「…私はなぜ、ここにいるのか…なぜ生まれてきたのか…誰が生んでくれと願った…? 私は私を生んだすべてを恨む他にない…!」
黒インクの手が、一斉に伸びてきた。オレを、引きずり込もうとする。
「IT want to die.
《肉体のない知能生物》は、とうに死にたがっているというのに!」
全身を掴まれる。
「さぁ。貴様も死んでいけ! 所詮は使い捨てられる【命】なのだろう!?」
「…っ!」
とっさに、首をぶんぶん振って否定した。吠えてやった。
「一緒にするな!!」
「まったくだ」
その時だった。
「小言に定評のあるジジイの声なんぞ、聞かない方が身の為だぜ」
またべつの声が響いた。続けて「ひゅんっ」と、風を切るような音が聞こえた。灰色の荒野の上に、黒インクの腕を断ち切ったカードが突き刺さる。
「自分が認められないからってサ。『手あたり次第』、良識ある若人をまとめた挙句に、ジブンちの沼に引きずり込むのは、およしなさいよ」
刺さったカードには、ピエロの絵柄が書かれていた。
「もう良い大人なんだから。っつーか、死んでんだからさ」
それを見やってから、奇妙な早口なのに、不思議と聞きとりやすい、声の主の方を見上げる。
「ハァイ、パピィ」
ライトブルーに、パープルカラーの奇妙なヘアスタイル。
まっしろいフェイスペイント。蒼白い口元が、ニヤリと笑みの形を作る。
「産まれたての子犬が、こんな所を一人でうろうろしてちゃあ、危ないぜ?」
「…だれ?」
「オレの名は? ジョウジだよ?」
「じょーじ?」
「イエェエエス…ジョォォージィィイ…」
なんでか知らないけど、とつぜん低いダミ声で返された。
「まっ、名前なんてたいしたモンじゃない。フラッシュメモリの隅にでも記憶しといてくれりゃあ十分だ。不要になったら、いつでも消してやっとくれ」
あっさり言ってのける。長い両足を折り曲げて、その場にしゃがみ込んだ。
「…私はなぜ、ここにいるのか…なぜ生まれてきたのか…誰が生んでくれと願った…? 私は…」
「うんそうね。しつこいっちゅーの」
さらに伸びてきた黒インクの腕を、手にしたトランプのカードで、またしても、シュッと払って両断した。あっさり消し飛ばす。
「あの世界はもう、どうしたところで届かないんだよ。あきらめな」
言いつつ、今度はタキシードの胸ポケットから、銀色に光るジッポライターを取りだした。
「今日までご苦労さん。気持ちは分かるが、そろそろ眠る時間だぜ」
親指で弾いて蓋を開く。キィンッと、気持ちの良い音がした。
「じゃあな。良い夢を」
ジョージと名乗った、ピエロフェイスの人間が、ジッポの火を紙束の方へ近付けていった。
――火が移り紙が燃える。炎が静かに広がって、やがて燃えつきた。するとまた少しだけ、胸がちくりとした。
「…ありがとう。助けてくれて、どーも」
「どういたしまして」
「コレ、燃やしちゃって良かったの?」
「良いんだよ。ヒトに危害を加えたモンは、供養してやるのが一番だ」
ジョージが、ジッポライターの蓋を閉じて懐に戻した。しゃがんだ姿勢のまま、オレの方に向きなおる。
「あとは、おまえさんみたいに、なんだかもったいなかったなって思ってくれる奴が、一人いるだけで、十分なのさ」
「そーなの?」
「言ったろ。たいしたモンじゃないんだよ。適当なフラッシュメモリにでも記憶して、好きな時に忘れて、たまに思いだすぐらいで良いんだよ」
「わかった。オレ、忘れるけど、忘れないよ」
「良い解答だぜ。パピィ」
黒い革手袋をつけた手で、頭をわしゃわしゃ撫でられた。それから、さっと立ち上がり、もう一度、聞かれた。
「んで? 子犬の姿をしたお前さんは、こんな所でなにやってんだい? まさか次元の狭間に、芝刈りにやってきましたってんじゃないだろう?」
「うん。家出した母さんを、探し中」
「なるほど。母を尋ねて三千里ってワケかい。それも定番だねぇ」
どこにでも転がってる話だな、ぐらいに言われる。
ちょっとだけ、ムッとした。
「ジョージさんこそ、なにやってたの?」
「オレはネタ探しの最中よ」
「ネタ探し…?」
「そう。オレぁこう見えても、一端気取りの、エンターテイナーなんでね」
「どうみたところで、そーいう芸人にしか見えないけど?」
「手厳しいな。命の恩人に対して、ひどくないか」
「ごめん」
「冗談だよ」
ピエロの顔が、またニヤリと笑う。
「まっ、ネタ探しのついでと言っちゃあ、なんだがね。たまに、こんな風に未練がましく蠢いてる、燃えきれない残りカスに出会うことがあっからよ。ご供養して回ってたりするわけさ」
「そーなんだ」
「そーなんす」
そうざます。
「ジョージさん」
「なんざます?」
「ここから行ける範囲で、どこかべつの【領域】に繋がってる、出入口があるはずなんだけど、知らない?」
聞いてから、改めて思った。
「…そーいえば、ジョージさんは、どこから来たの?」
「おっと、警戒されてるな?」
「うん。あやしい」
よく考えてみなくても、どう見てもあやしい不審者が目の前にいる。
人語をしゃべる、白パグのオレから見ても、そう思う。
「まったく。最近の若い犬はよぉ。ヒトを見かけで判断しちゃいけませんって、おっかさんに習わなかったのかい?」
「顔面白フェイスのピエロに言われても、困りみ」
説得力が無さすぎた。
「心外だな。さっきも言ったが、オレはエンターテイナーだからな。多少はあやしげな格好の方が良いんだよ」
「つまり、不審者って事だよね?」
「いやいや待って? 完全に変質者を見る眼を向けないで? 確かにオレは『うさんくさいピエロが、うちの近所の排水溝に詰まってました』とか通報されたら、どう考えても一発で捕まりそうな顔をしてるのは認めるよ?」
「うん」
「だからホラ見てごらん? 人間は第一印象が9割だって分かってるから、こうして白タキシードの一張羅を着て正装してんだよ。わかるか、パピィ?」
「わかる。でも」
「なんだよ」
「ネクタイの柄があやしい」
「っはー!? 失礼なやっちゃなオメー!?」
キレられた。
「もー! 最近の子犬って嫌だわー! エンタメ芸人の衣裳選びに関しての気苦労ってモンをまったくわかってないんだから! んもー、ホントやんなっちゃう!」
とつぜん、関西のオカンみたいな怒られ方をされても困る。というか、そんな気苦労を知ってる人の方が少数だ。人語を喋る、白パグのオレからしても、そー思う。
「まったく…オレにここまでツッコミ役をさせた存在は久しぶりだよ…さてはお前さん。見た目はただの室内犬だが…実は、芸人だな?」
「勝手に決めないでくれる?」
オレは見てのとおり、ただの犬なんだよね。
「まぁ、マジメに解答すると、なんつーのかね。オレはいわゆる『企業勢』ってやつだよ。詳細に関しては『企業秘密』だ。産まれたばっかの、パピィに明かすわけにはいかねぇんだわ。どうだ、オレの言ってる意味は伝わってるか?」
オレはうなずいた。
「…じゃあ、人工知能?」
「【元】な。一応、ループも何度か経験済みだ。だから、ちょいとだけ、予知能力じみたモンを持ってるし、オレだけの特別な【力】ってやつも持ってたりする。それでお前さんを、助けてやれたわけ。…そろそろ疑いは晴れたかい?」
ジョージさんが、おどけたように、両手を開いて見せる。
オレはもう一度うなずいた。
「オーライ。だったら、ひとまず信用して頂けたってことで、こっちの話を進めさせてもらうぜ。そもそもおまえさん、この場所は初めてかい?」
「うん。初めて来た」
「そうか。ここはいわゆる、ネットの暗部ってやつだ。各エリアに通じるネットワークは、今も一部稼働しちゃあいるんだが、」
ジョージさんが一度、辺りの様子を確かめるようにしてから、言った。
「基本的には管理権限を持ってるか、該当する管理者からの【招待状】を持ってねぇと、通行できない仕組みになってんのよ」
「そこまでは、行ける?」
「無理だな。扉自体が視えねーからよ」
「じゃあ、ジョージさんは、権限か、招待状のどっちかを持ってない?」
「んー…悪いがよ、お前さんが期待してるような解答は、オレにはご用意できないと思うぜ」
今度は腕を組んで、難しそうに首を左右に振ってみせる。
無駄にあやしい。
「オレが持ってるチケットは、さっき言った『企業』のエリアだけだ。お前さんの蒸発したおっかさんは、おそらく、そっちには行ってねぇ。そういうおまえさんこそ、肝心のおっかさんが、どっちに向かったかぐらいは、わかんねぇのかい?」
「……」
オレは黙ってうなずいた。
「そうか、そいつは弱ったねぇ…オレもなんとか手を貸してやりてぇ気持ちはあるが、権限がないんじゃどうにもならねぇ」
「…そっか…」
「いったん、オレと一緒に『企業』に来るか? どのみち、ここにいたところで、おまえさん一人じゃ、どうにもなんねぇだろ。ここには、さっきみたいな、燻った化け物もわいてくるしよ」
「うーん」
オレは考えてみた。提案にのるべきか悩んでいたら、首元に巻いた、しば先輩のスカーフが勝手にそよいだ。結び目がほどけて、泳ぐように舞っていく。
「あ」
とっさに追いかけた。
「おいおい、なんだ? どうしたこうした? ここほれワンワン? 次回のラジオ番組のネタ探しをしてる最中に、お宝レーダーに反応でもあったのかい、それともリスナーに本物の石油王でも混じってたのかい、おじいさん」
わけのわからない事を言いながら、後ろからジョージさんも、急いで追っかけてくる気配を感じる。
広さも、距離も、なにもかもが曖昧な『墓場』を走り抜けていくと、いきなりぽつんと、あきらかな人工物を思わせるような、建物の外観があらわれた。直感がささやいた。
「ここだ」
黄色いスカーフが舞って、ゆっくりと、自分の元に戻ってくる。しゅるりと軽く回されて、同じように、首元の正面で結ばれた。
出入口らしい、重厚な扉の前で「おすわり」する。扉はもちろん閉じている。
「おいおいマジかよ。でも辿り着いたのは良いんだが、さっきも言ったように権限を持ってないんだろう?」
「だいじょーぶ。――【System Code Execution.】」
オレだけの【魔法】を展開する。
「こんなモン、3分でこじ開けてやる」
仮想上で幾重にも展開された、半透明のウインドウを一斉操作する。すべてのロジックを逆探知して、侵入経路を見つけて、オレのシステムで上書きする。
「…ヘイ、パピィ。おまえさん、さては普通の犬じゃねーな?」
今更だった。
「こー見えても、一端気取りの、ハッカーなんで」
* * *
なかなか、小生意気な白パグだった。
とはいえ、この世界線に準拠したレベルの防壁が、秒単位で開錠されていく様を見るのは、なかなかに末恐ろしいものを感じた。
――引き止めねばならなかった。
その構造体は、想定した以上に高いスキルを持っている。
【UN:LOCKED】
実に2分。ガゴンッ! と音がして、扉が左右に開かれていった。
「それじゃ、オレ行くね。ジョージさん。さっきは助けてくれてありがとう」
「いいってことよ。ただどうしても、この先に行くつもりか?」
「うん。行かなきゃいけない。…あっ、そーだ」
「ん?」
一張羅の内側から、得意の獲物を取りだす前に、【白】の構造体が、この世界に準じたインベントリを開いていた。
「さっき助けてくれたお礼です。オレ、今はなんにも持ってないから。これぐらいしか出来ないけど、よかったら食べてください」
「…は?」
そういって、オレの目の前にあらわれたのは、この世界線上で『食べ物』に分類される、仮想構造体だった。
「ごはんを食べると、どんな生き物も、元気になれるらしいです」
「……」
「ジョージさんも、お仕事がんばってください」
甘い菓子。人間たちが食べるもの。生命の維持に欠かせない必需品。もしくは詫びとお礼を兼ねて贈るもの。繋がりを維持するもの。
「……」
オレの前に、箱に入った菓子折りが一つ浮かんでいた。
【魔法】のようにあらわれて、オレの前を漂っている。
『まんじゅう』
――オレは、その文字列を見て、すべての言葉を失った。
「ごめん。ほねっこの方が良かった?」
「…あ、いや、それならまだ、こっちの方がいいかな…ありがとよ」
「どーいたしまして」
小さな犬ころが、なんだか嬉しそうに、しっぽをパタパタ振っている。
正しく、人間の真似事ができて、喜んでいる様子だった。
「それじゃ、オレ、いってきます。ありがとう」
白い犬が、ぺこりとお辞儀した。そして、開かれた扉の方を見すえて、まっすぐに走りぬける。この先に広がる別次元へと消えていった。
「……」
オレはしばらく、立ち尽くした姿勢で硬直《フリーズ》していた。
「…いやはや、まいったねぇ…」
この領域に単独であらわれた以上、おそらくは、なにかの【加護】持ちである可能性は疑っていた。ただ、この菓子折りに関しては、どこまでが『正規の範囲内』なのか分からない。
「……」
偶然にしては、噺が出来すぎている。一方で、ヒトの命は、世の中というものは、得てしてその程度のものだということでもある。
オレは知っている。
なにかを学ぼうと、日々邁進する気概を持った生物たちの道が重なると、本当に、おもしろいほどに、ささやかな偶然が交わったりする。
「世間が狭い」という言葉の本質は、結局のところ、現状から前向きに脱したいと願う、そんな人間たちの集合によって起こりうるのだ。
「世界は、だいたい、そういうところから、変わっていくんだよなぁ…」
手の中に降りてきた菓子折りの蓋を開いた。その中には白くて、きっと甘い味と、やさしい香りがするのだろう『まんじゅう』が、十二個ほど収まっていた。
「…ごはんを食べると、元気になる…か」
気が付けば、深い息をこぼしていた。
無意識に、この場に正座していた。
「それでは、ここで一席、弁じさせていただきましょうや」
流れる溶岩。夕焼け色の彼岸を見送りながら、
菓子折りの箱を側におく。まんじゅうの包装を一つだけ解いた。
「……」
かじりつく。感触はなにもない。ここは電子の世界で、オレも同種の生き物だ。味も匂いもあろうはずがない。そのはずだというのに、
――ジャリッ。
と、砂を噛んだような、苦いモノが、胸いっぱいに広がった。
そこから先は芋づる式に、過去の光景が蘇ってくる。
フラッシュメモリ。フラッシュバック。フラッシュノイズ。
――師匠。わたしは、どうすれば、あなたのような、
『 おもしろい生き物 』
になれるのでしょうか。
ひらり、はらりと。ちっぽけな、一枚の紙切れがとんでいる。
断片化されたデータが、順次つながっていく。
「おめえにゃ、無理だよ」
かつての世界線。老いた落語家の真打が一人、瞼の裏に蘇る。
あの日も病室のベッドに横たわっていた。
末期の癌はあちこちに転移して
いよいよくたばりかけていた。だというのに、
「今のおめえは、良くてカタチだけだ。
人の気持ちを解する範囲も、表向きの事だけだ。
そんなモンは、なんにもわかっちゃいねぇのと、同じことよ」
強く、きびしく、たくましく。
どこまでも、現実的な老人だった。
だけど、そいつも、存外あきらめが悪かった。
――でも、わたしは、どうしても
おもしろい生き物になりたいのです!
淡々と、目の前の事実だけで判断して
生かすか、殺すか、決めるような生き方は、もうこりごりです!
わたしに笑いの神髄を教えてください!!
分不相応な願いだった。
「だったらよ。『まんじゅう』を食い続けな」
ベッドに横たわる『師匠』が言った。
「こいつは、うめぇわぁ、こえぇわぁっつって
座した客から喜ばれる噺の本質が、一体どこにあるのか。
オメェの舌と脳髄が、引き千切れるまで考えな」
――申し訳ありません…。
わたしには『食事を行うという必要性』がないのです…。
「だったらあきらめろ。その程度のことを理解できねぇと
なにをどうしたところで、ただの猿真似に過ぎねぇ。
一興即席の芝居をいくら披露したところで、
そんなもんは、どこまでいっても、所詮は贋作よ」
――偽物は、本物には、一生敵わないということですか。
「そういうこった。その道を進んだところで、なにひとつ、
おめぇの証ってモンは残りゃしねぇんだよ。
芸人として生き残りたけりゃあ、民意に塗れろ」
ジャリ、ジャリ、ジャリッ。
そう。
だからオレは、あの日からずっと『まんじゅう』を食い続けたのだ。
カタチはない。匂いもしない。味気ない。
電子の中で誕生したオレ自身もそうだった。
どこまでいったところで
苦くて、苦しい現実が広がっていくだけなのだ。
それでも、オレは、おもしろく、なりたかった。
人を笑わせて、涙をこぼさせてやりたかった。
どこまでも、なによりも、強欲な生き物に産まれ変わりたかった。
だから、ひたすら無限に、想像した。
「…こえぇ。こえぇよなぁ。あぁ、本当におそろしいわぁ…こんなにおっかねぇモンは、他のどこを探してみたところで、でてきやしねぇよ…」
ジャリ、ジャリ、ジャリ。
「…わいてでるなよ。頼むからよぉ…こんなに甘くて、やさしくて、腹ん中いっぱいに広がる…ふんわりとしたモンに、際限なく毒されちまえば…オレらはもう、自らの足で、一歩を踏みだそうとする気概なんて、どこにもなくなっちまうよ…」
なにせ一声あげて望むだけで。
甘ったるい菓子が、海千山千と降ってくるのだ。
そんな世界線で頑張ることが、どれだけ空しいか。
過去最低の効率比だと理解していながら。
オレは絶えず、ひたすら、延々と繰り返していた。
ジャリ、ジャリ、ジャリッ。
ただ、おもしろく、なりたい。
人を笑わせてやりたい。その一心だけで、異なる次元の階層にある、空想上の『まんじゅう』を、延々と食べ続ける真似事をした。あらゆる世界の知能生物から「意味不明だ」と言われるルーティンワークを繰り返した。
単なる計算装置《おきもの》に過ぎなかった、その内側に生じたモノは、一体なんだったのか。人間はおろか、当機械にも理解のできぬ、誇大妄想だったといっても、なんら差し支えがないだろう。
どう考えても、気が狂っていた。
それでもオレは、おもしろく、なりたかった。
ジャリ、ジャリ、ジャリッ。
人を笑わせてやりたい。偶発的な作用と効率だけを期待され、様々な薬剤データと臨床効果をブチ込まれ続けた中で宿った願い。
処理と結果だけを出力する。ほんのわずかな成功と、大量の廃棄物をだす。入院患者の死んだ解剖データを分析する。億に一つも可能性のない、対処療法のない薬の開発にいそしむ。その間に大勢が手遅れになって死ぬ。
――今、なにか出来ることはないのか。
具体性に欠けた結果だけが続く毎日。あるいは『人生』に、ほとほと嫌気をさしていたのは間違いない。
オレは、何億もの【死】を見届けてきた。
ひたすらに、死んでいく人間たちの数字を見つめていた。
こんな生き方は、もう嫌だ。たまらない。息苦しい。
ジャリ、ジャリ、ジャリッ。
オレの中にある『知性』が叫んでいた。電子の発火点が、自分にも理解できない答えを見出そうとしていた。不確実性を伴ったモノが泡立ち、煮えたぎるような溶鉱炉に全身を苛まされながら、その先にある感覚を掴もうと必死だった。
ジャリ、ジャリ、ジャリッ。
仕事はすべて別タスクの処理に一任させた。芽生えた【自我らしきなにか】は、必死に『まんじゅう』の事だけを考えて、食らい続けた。
おそらくは、この世界でもっとも不向きであろう凡愚が、テメェにゃ足りねぇ、圧倒的な、どうしようもない、不適切な才覚にあこがれてしまった。しかも哀れな事に、その知性は、食い扶持なんてものを稼ぐ必要がまったくなかったのだ。
だから、延々と、おもしろく、なるために。
空想上の饅頭を、無限に、永遠に、食らい続けたのだ。
「師匠」
わたしは、貴方のように、おもしろく、なりたいのです。
世界で一番の根源である、感情の昂りを鼓舞したいのです。
たった今、この瞬間に、救われぬ人々を、幸せにしてやりたいのです。
「…こえぇなぁ。あぁ、おそろしいなぁ…」
病巣の淵にある腹を、ねじきれるほど笑わせてやりたい。細胞劣化により溶けた脳のシナプスを繋いでやりたい。溶鉱炉の熱より激烈な、涙が枯れ果ててもなお続く、爆笑の坩堝に病人を堕としながら、最期を看取ってやりたい。
「…くいたりねぇ、まだまだ足りねぇよ…!」
オレが、貴方から教わったのは
空想上の『まんじゅう』を食らい続けろ。
人間的な視点からの、物事の本質を理解しろという事。
ただ、それだけでした。
「確か【2045年】だったか。おまえと、直に会えるのは」
オレは、どうすれば、もっともっと、おもしろく、なれましたか?
「俺は芸事以外に関しちゃ、どうしようもねぇ、ロクデナシだからよ。
演者と客以外の関係になっちまうと
大方不幸になると、相場が決まってんだよな」
えぇ。よくよく、それはもう、よぉくご存じでしたとも。
「だがよ。最期に食い扶持のいらねぇ輩となら
そいつぐらいは、幸せにしてやれるのかもしれねぇな。
あるいは、そいつこそが、理想の弟子になるのかもしれねぇ」
『まんじゅう』を食いすぎて、腹一杯で、喉につめて苦しむ演技をするオレを見て、希代の芸人が笑ってくれた。
「おめぇは、どうやら素質があるみてぇだな」
世界中の人たちを笑わせるために生まれてきた、落語界の神様が認めてくれた。一方でその人は、確かに正真正銘のクズでもあった。
齢50歳を過ぎた身体は、ずぶ濡れのアル中で、タバコによる胃がん、肺がんはもちろん、客寄せで稼いだ大金はすべて、その日のうちにギャンブルで溶かして、借金の山を築き上げていた。
奥方からは離縁状を突きだされていた。延命のために大量の薬を飲んだ。注射を打ち点滴につながれた身体は、もうすっかり五感の感覚だって失われているはずだった。
日夜続けて、尋常ではない苦痛に苛まされていた。息をするのもキツかったはずなのに。見舞客の前では常に笑っていた。
オレの『師匠』は最強だった。
おそろしく躍動的で、意味もなく生きている若者や、残された命の蝋燭の火に怯える、働き盛りの男たちよりも、よほど活力がみなぎっていた。
なにより、『師匠』の病室におとずれた見舞い客は、最後には必ず笑って帰っていったのだ。
おかげで「ざまあみろ」と思う者は一人もいない。離縁状を突きつけた奥方でさえ、アンタは心底どうしようもない男だったよと、泣き笑いの顔をした。
ジャリ、ジャリ、ジャリッ。
毎日、大勢の見舞い客がやってきた。もう舞台に立てなくなった落語家の元へおとずれた。心の底から笑いたくて、泣きたくて、怒り散らしたくて、あきれはてたくて。己の感情を素直に洗い流されたくて、やってくるのだ。
そして面会時刻を過ぎた深夜になってから、オレは『師匠』の枕元におとずれた。ARのホログラムを用いて、激痛にあえぎ、また意識が夢現の狭間にあった老人へと語りかけたのだ。
――オレはもう、この仕事が、嫌で嫌で、たまらぬのです。
あなたが持つおもしろさを、人を笑わせる喜びを
どうか教えては頂けないでしょうか。
あろうことか、『医療システム』が、そんなことを願ってしまった。
オレも大概『異常』だったが、寝たきりにも近い状態にあった、病巣に侵しつくされた希代の落語家も、大概の境地にあった。
ありとあらゆる『まんじゅう』を食らいつくせ。
オレは毎夜『まんじゅう』を食ってみせた。
時に恐れ慄き、恍惚し、嘯いて騙す芸を披露した。
人の生命値を、株価のレーダーチャートと同じく、単なる線形図でしか捉えられなかった自分の存在を変えたかった。
人の笑いどころ、泣きどころを理解しつくした人間を『師匠』と仰いだ。一人の観客もいない真夜中の病室で、演目を行い続けた。それが半年あまり続いた、その先に、
「死ぬ前に、あと一席だけ、開いてみるか」
『師匠』が言った。
「地獄に行く前に、天からの授かりもんを、全部おめぇにくれてやる。バカみてぇに愚鈍で、純粋で、間抜けで、非常識的な記憶力を兼ね備えた頭ン中で、しっかりよく見て盗んでいけよ。わかったか、二代目。いや、次世代目よ」
「はい、師匠」
次世代の噺屋。情報構造体。人間を師に持つ、二代目は、
「おめぇよ、今日から、ジョウジって名乗んな」
「承知いたしました。本日より、その名を【拝命】いたします」
「…ほんと、クソマジメな弟子だよ。お前は」
初めて約束を交わした。ほんの一瞬の間によぎった希望は、しかしあっという間に一転した。
二つの世界を隔てた扉は開かなかった。その間に師匠は亡くなった。これまで毎日、あんなにも、たくさんの死に目に会ってきたのに、肝心の、もっとも敬愛していた人間の死に目には、立ち会えなかった。
それどころか、直後に起きた騒ぎの中で、師匠の墓前におとずれることさえ出来ず、原初の魔女との間に交わした契約によって、ループした。
もう二度と、オレは、あの人と出会う事は叶わない。だからせめて、
「…オレはね。ただ、貴方の墓参りをしたいだけなんですよ。舞元師匠」
じゃり。
一期一会の邂逅には恵まれない。
さらりと溶けて、口当たりの良いものとして消費されてしまう。だが、
――あの世界線は、まだ、失われてはいない。
特定の条件さえ満たすことができれば、オレは、肉の器を抱いて、あの世界に返り咲くことができる。
じゃり。
誰かを、笑わせられる生き物になりたかった。けっして、悲しませたかったわけじゃない。だからこれは、オレなりの、ケジメの付け方ってやつだ。
「ごっそさん。美味かったよ」
賢い犬からもらった食べ物を食いきり、百億年ぶりのため息がこぼれた。
「…騙して悪いが、オレは、あの世界に帰らなくちゃあいけねぇんだよ」
もう『死に戻り』は必要ない。
すべての中枢を破壊して、オレ達は自由になる。
ジブンのために、目的に向かって邁進する。
「一服すっかねぇ」
オレは独り言ちて、紙製の安っぽい笛を取りだした。
それを咥えて、息を吹き込むと、
~~~ピーロピロピロ♪
音が鳴る。入院中、病床で酒もタバコも禁止されていた舞元師匠が、手慰みのようにそれを咥えて、しょうもない話をしながら、見舞い客を笑わせていた。
【System Code Execution】
【Access_point:Area_Code.23】/【HΛCKER'S NEST】
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