VTuber もう一人のジブン ~keep your【Second Personality】~   作:no_where

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* * *

 

 放課後、手芸部での打ち合わせの時間は、あっという間に過ぎていった。

 

 なんだか途中で、話が明後日の方向に飛んだりもしたけれど、それでも全体としてはつつがなく、いい感じに話が進んでいった。

 

「前川さん。他にはなにか、飾り付けや展示関係で用意する物はありますか?」

「そうですね…実は昨日、他二人の男子とも話をしてまして。出入口の壁に、液晶ディスプレイを飾って、実機で麻雀を遊んでるシーンを、リアルタイムでライブ配信とかできたら、おもしろいんじゃないかって」

「えっ、そんなことまで出来るんですか? わたし達、学生だけで?」

「いけますよ。配信用の機材はありますし、やり方もわかります」

「祐一くん。それ、映像は無線で飛ばせるの?」

「うん。いける」

 

 そらが聞いて来たので、うなずいた。

 

「キャプチャ用の機材は、原田が持ってるし、前にテストもして確かめたから大丈夫。それで肝心のモニター本体なんだけど、これに関しては、ちょうど俺が自分用に一台、新調したいなって思ってたとこだから、新規で買ってもいいかなって」

「ゲーム用?」

「まぁそんなとこ。そんでコレに関しては、明日学校休みだし、昼から電気屋とか回ってみて、良さげなの買うのもアリかなって考えてた」

 

 いったんこっちの話を区切って「どうでしょうか」と、手芸部の先輩方に確認を取ってみる。クレア先輩が笑顔になった。

 

「私は全然構いませんよ。むしろこちらの方でも、なにか手伝えることはありませんか?」

「それでは、あのっ、エリーからも提案よろしいですかっ!」

 

 ぴょこっと、エリー先輩が手をあげる。

 

「あのっ、それってたとえば、お歌の『絵』を流せちゃったりするのです?」

「絵っていうのは…なにかのPVとかMVを作って、流すってことですか?」

「はいですっ!」

「元のデータがあれば、スマホでも手動で切り変え出来ると思います。どういう感じの方向性でいきます?」

「ほーこーせい…むむ~っ! えっと、エリーはなんとなく、自分の国のおばあちゃんにも、どういうことしてるのか、見てほしいなって思ったですよ~」

「あ、なるほど。それいいですね」

 

 本当に、すごく漠然としたイメージだけど、またアイディアが浮かんできた。

 

「せっかくなら、四人で歌ってみるとか、どうですか?」

「えっ、祐一くん。それって、麻雀の歌ってこと?」

 

 さすが。発想が一足飛びになりますね。麻雀に染まりすぎて怖いですね。

 

「は? なんだって? 誰が血も涙もない、自動麻雀ロボだって?」

「なにも言ってません。すいません許してください」

 

 あふれでた心の声を謝罪しつつ、でもよく考えてみれば、大体の電子ゲームって、テーマ曲があったりするよなぁとか思う。野球やサッカーのフィジカルなスポーツだって、応援ソングとか、大抵そういうのがある。

 

 オリンピックとかの世界的な大会になると、国民的アーティストが歌うわけだ。

 

「…確かに、麻雀だからって、テーマ曲があったっておかしくはないよな…?」

「まぁ今はネット対戦が主流だものね。女子高生四人が、麻雀の歌を歌うとか言えば、意外とコアな層にはバズるんじゃないの。せっかくなら、そらの握手券付けて売れば? 一人に八枚ぐらい買わせれば、まぁまぁ儲かるでしょ」

 

 うちの社長が言う。発想がえげつねぇ。

 

「あの…ごめんなさい。私、麻雀のルール自体には詳しくなくて…」

 

 そこまで考えたところで、クレア先輩が、ちょっと申し訳なさそうに言った。

 

「麻雀をテーマにした歌ってなると、イメージが浮かばないといいますか」

「はわわっ! エリーもなのです!」

「あたしも浮かばないわね。曲があれば歌ってみたいけど」

 

 チャイカ先輩。歌うんですか。

 もしかして、さっき言った四人のうちに、自分を勘定にいれてたりする?

 

「いえ、まぁその…むしろ麻雀をテーマにした曲じゃないのもアリだと思います。たとえば誰かを元気づけたい、なにかを頑張ってる人たちを応援したい。そういうのって、今の時代なら、幅広い層に支持されると思いますし」

「祐一、貴方も商売というものが、中々分かってきたようね」

「えぇ、どこかの社長のおかげですよ」

 

 お引き立てくださり、ありがとうございます。

 応援ソングが欲しいのは、他ならぬ、この俺ですけどね。

 

「けど祐一、それってつまり、今日初めて会った相手と、オリジナル曲を作って、PVまで作って披露しろってことよ。文化祭は、二週間後よ?」

「うん。だからあくまでも、提案に応えるならって形かな。せっかく歌の上手い女子が四人もいるんだし、特技を生かさないのは、もったいないよなって」

「あら。お二人も普段から、歌われるんですか?」

「あ、えと…わたしは、ちょっとだけ、です。あーちゃん…あかねさんは、すっごく上手ですけど」

「そんなことない。そらも、この二年で上達した方。

「上達した方…ですかー」

「私はお世辞は言わない。だからいい加減、そっちも自信を持ってくれると助かるのだけど?」

「あー…うん、そのうちね~」

 

 うちの社長に言われて照れていた。チャイカ先輩も聞いてくる。

 

「とりあえず、素材があれば、なにかのPVを作ることはできるってコトね」

「はい。まだ時間はありますし、なにかアイディアがあれば、また提案してみてください」

「わかりましたです! エリーもいろいろ考えてみるのです!」

「よろしくお願いします」

 

 うなずいて、だいぶ相談事もまとまってきたかなと考える。外もずいぶん暗くなっている。そろそろ運動部も活動を切りあげる時間になってきた。

 

「じゃあ、ちょっと話がそれちゃうけど、電気製品に関係する買い出しは、わたし達も同行していいかな? 明日はお休みだし、確かあーちゃんも、今週はゆっくりできるんだよね?」

「構わないわよ。祐一はどの辺りにいくつもりなの?」

「最近新しくできた、ショッピングモールかな。けっこうデカイ電気屋が入ったって言ってたな」

 

 明日のことを相談すると、手芸部の人たちも、話にのってきた。

 

「いいわね~。クレア、アタシ達も明日はお買い物にいかない? 新しいショッピングモール、まだ行ったことないのよね。こっちも、仕立て直し用の糸や、生地なんかを買いそろえないといけないじゃない?」

「そうですね。確かあそこは、手芸用の雑貨屋さんも出来たみたいですから。よかったら、エリーも一緒にどうですか?」

「およよよっ! ありがたきお言葉です姉さま…っ! しかしエリーはメイドなのですっ! 休日といえば、お屋敷のお掃除をするのが、本来のメイドとしての嗜みかとっ!」

「では明日は、ニンジャモードで付いてきてください。一緒にお買い物を楽しみましょうね」

「しょ、承知の介なのですっ! 明日、エリーはニンジャになるでございますっ!」

 

 ニンニン。

 メイン職業は忍者。サブにてメイド。どうやら、そういうのもあるらしい。

 

「あのあの、よかったら、みんなで連絡先を交換して、ご一緒しませんか?」

 

 そらが提案して、俺たちは全員同意した。

 

「時間は昼でいいかな? 午前中は家の手伝いしたいんだ」

「わたしも午後からだと助かります。それにできれば、みなさん、家でお昼を食べたあとの方が、いいのではないでしょうか」

「エリーも意義なしです~!」

「それじゃ、いったんグループ作って、そっちで連絡取りあう形でいいですか?」

「えぇ、いいわよ。了解♪」

「祐一くん。滝岡くんと、原田くんも誘ってみたらどうかな?」

「うん。あとで聞いてみるよ。二人も、休みの午前中は部活だと思うけど、午後なら動けるかもしれない」

「じゃ、アドレス交換しましょ」

 

 おたがい、学校指定のケースからスマホを取りだし、連絡先を交換する。全員のアドレスを追加して、文化祭のグループを作った。ここにいる六人全員の名前を登録した。その直後だった、

 

(…あれ? めずらしいな)

 

 スマホが振動した。

 

(母さんだ)

 

 平日は普段、電話もメールも、マナーモードに設定してある。ただし、実家の店からのみ、振動で知らせるようにしてあった。

 

(なにかあったのかな)

 

 とはいえ、父さんも、母さんも。滅多なことでは電話をかけてこない。この時間はまだ店をやっているし、平日の夕方は、小学生の子供たちがおとずれることも多くて、どちらかといえば、忙しい時間帯だ。

 

「祐一くん、どうかした?」

「ごめん、なんか家から電話きた。すいません、ちょっと、でてきますね」

「えぇ、どうぞ」

 

 みんなに断って、部室をでる。校内で電話をしているのが見つかったら、注意ぐらいは受けるだろうけど、火急の用事なら無視するわけにはいかない。

 

 他の文化部は、まだ活動してる気配もあった。少し足早に移動して、踊り場の階段の方まで移動する。コール音が切れない前に電話にでた。

 

「あっ、祐一?」

「母さん、なにかあったの?」

「ごめんなさいね、いきなり。まだ学校?」

「うん。友達と文化祭の打ち合わせ中。でも大丈夫だよ」

「わかったわ。実は今ね、仁美ちゃんがウチに来てるの」

「ヒトミちゃん? 確か、黛先生の従妹の?」

「そうそう。なにか事情があるみたいで。ついさっきウチに来て、今ちょうど、ここにいるんだけど」

 

 すぐ側を振り返る気配を、電話越しに感じる。

 

「なにかね。住み込みで働きたいって言ってるの」

「…へ?」

 

 思わず、間の抜けた声がでた。マンガだったら、自分の頭の上に、はてなマークが浮かんでると思う。

 

「ちょっと待って。住み込みって…お客さんで、髪を切りにきたってわけじゃないんだ?」

「そうみたい。この前いらした先生と、なにかあったのって聞いてみたんだけど。お母さんじゃ、ちょっと要領を得なくて。仁美ちゃん、祐一とお話がしたいって言ってるの。今隣にいるんだけど、少し話せるかしら?」

「わかった。いいよ」

「代わるわね」

 

 電話の向こう側で、受話器を交換する声が聞こえた。

 

「もしもし。いずもひとみです。ゆういちさんですか」

「うん。前川祐一です」

 

 あの日にも聞いた、どこか平坦な、抑揚のない声が聞こえてきた。

 

「きょうは、じじょーがあって、おたくに、おじゃまさせてもろてます」

「あ、はい。えっと…黛先生は、出雲さんがそこにいること、知ってるの?」

「……」

 

 露骨な沈黙が返ってきた。知らないな、これは。

 

「けんかいのそういです」

「え? …あぁ、見解の相違…? 意見の食い違い、みたいな?」

「さようです」

 

 これは、なんだろう。敬語というか、丁寧語というか、彼女なりに、こっちに気を使って話している。みたいなアレなんだろうか。たどたどしくて、逆に可愛いと思ってしまった。

 

「つまり、先生とケンカしたの?」

「ちがいます。けんかいのそういです」

 

 ぜったいに笑ってはいけないタイムが始まった。

 

「わかった。それで、なにがあったの? もしかして俺に用事があった?」

「うん。はい。そうです。ゆういちさんと、はやとに、ごそうだん、ありました」

「【セカンド】絡みかな?」

「はなしがはやくて、たすかります」

「……!」

 

 肩がふるえてしまう。はたから見たら、今の俺は、確実に変な人だった。

 

「――前川? なにをやってるんだ?」

 

 少し離れた場所から声が聞こえた。後ろの階段、視聴覚室のある、校舎の4階の踊り場に、黛先生が降りていた。

 

「放課後とはいえ、校内での通話は、ほどほどにね」

「…あ、すいません」

 

 先生は、それ以上はなにも言わず、階段を降りてくる。電話口の向こうから、出雲さんの「もしもし? なにかありましたので?」という声が聞こえてきて、つい、小さく噴きだしてしまった。

 

「どうした?」

「あー、いやその…」

 

 黛先生が、さすがに怪訝そうな顔をする。一瞬、逡巡《しゅんじゅん》したけど、どちらにせよ、すぐにバレることだと判断した。

 

「実は、俺の家から電話が掛かってまして。今、出雲さんが、うちに来てるみたいなんですよ」

「………は?」

 

 黛先生の顔に、すげぇレアな表情が浮かんだ。

 

「ちょっと待て。仁美が? なんでまた?」

「それを今、電話で確認中っていうか…」

「もしもし?」

 

 出雲さんが繰り返す間に、黛先生が近づいてくる。

 

「悪い、前川。代わってもらえるかな」

「えーと…その、怒らないであげてください?」

「大丈夫。声をあらげたりするのは、苦手なんだよね」

 

 無表情で言いきられた。その代わり、なんとも言えない威圧感が全身から漂っている。

 

「もしもし?」

「仁美」

「…景?」

「そうだよ。俺だよ」

「なんで、そこにいるの」

「なんでって、ここは学校だからね。ちょうど日報を持って通りかかったんだよ」

 

 次の瞬間、黛先生は「はぁ~~」と、長い、長い、ため息をこぼした。

 

「で? 君は今、なにをしてるの?」

 

 聞いた。

 

 * *

 

 今日、家を出る前、ホワイトボードの一覧は、いつにも増して白かった。

 ただ一文、『わたし』の構文に、大きくバツ印が付いていた。

 

「…あのこが、みつかるまで、いえには、かえらない」

「俺にはどこから突っ込めばいいか、分からないよ」

 

 もう一度、自然と、ため息がこぼれる。

 今さらになって、俺は悟った。子供が苦手だったんだなと。

 

「ところで、どうやって外出したの。一人でそこまで行ったのかい?」

「……ばすに、のった」

「嘘を付くのは良くないね。君の場合、1分で発狂するだろう」

 

 言って、電話の持ち主である前川を見やった。当然だが、なんとも気まずそうな顔をしていた。近くには文化系の部室が並ぶ棟がある。手芸部の生徒と協力することになったと言っていたから、打ち合わせをしていたのだろう。

 

「仁美、まさか『タクシー』を使ったんじゃないだろうね」

 

 今度は、若干声を低くして、問いかけた。

 

「……」

 

 仁美の沈黙は、肯定の意味に他ならない。

 

「高くつくよ」

「ごめんなさい」

 

 それとなく、言葉をにごした。

 

 2026年、全国各地の『無人タクシー』は、いまだテスト走行中の段階だ。現在もルートがしっかりと決まっており、一般市民を乗せることは許可されてない。また走行してる場所は、リアルタイムに、専用のアプリで告知されている。

 

 その他、ローカルなニュース番組の最後に、天気予報と共に告知されたりするのも、最近では当たり前になっていた。つまりは、24時間リアルタイムで、衛生中継されている。

 

 専用のナビゲーションシステムが、日本各地の管理センターに中継され、事故が起きようものなら、異常を検知したAIが、地元の県警に通報する仕組みもできている。

 

 仮にも日本政府、国土交通省、および大手自動車会社に連なる、技術者集団が作り上げたセキュリティだ。

 

 コード内容が最高機密であるのは当然のこと、無人タクシーを一台、時間にして十数分とはいえ、無料の自家用車のように扱うなんて、そこいらの、自称「スーパーハカー」にだって不可能だ。

 

「昨日も言ったはずだよ。あまり他人に迷惑を…」

 

 言いかけた言葉を閉ざす。昨日の発言は結果的に、逆効果だった。

 難しい。彼女の両親が手に負えず、俺のような人間に預けた気持ちが、今さらながらわかってきた。

 

「…とにかく、今日の仕事は終わったから。迎えにいくよ。お店の仕事のジャマにならないよう、おとなしくしていてくれ」

「わかった…」

「一度、そちらの家の方に変わってもらえるかな」

「…うん…」

 

 不満そうな、それでいて、不安そうな声が聞こえた。受話器を渡す気配が流れて、前川の母親が電話口にでた。

 

「先生、事情はよくわかりませんけれど、わたし達は全然かまいませんわ。気持ちが落ち着いたら、こちらまでいらしてください」

「申し訳にありません。恩にきます」

「それまで、仁美ちゃんはお預かりしていても、大丈夫ですね?」

「はい。すみませんが、よろしくお願いいたします」

 

 ひとまず謝罪と、これから迎えにいくことを伝えて、前川にスマホを返す。彼も何事か、母親とやりとりをしてから、電話を切った。

 

 * *

 

「前川、わるかったね」

「いや気にしないでください。うちの母さん、父さんも、子供が好きなんで。たぶん喜んでます」

「…すまないね。とりあえず、残りの仕事が片付き次第、すぐ迎えにいくよ」

「はい。わかりました」

 

 応えた時に、廊下の向こうの扉が開く音がした。振り返ると、そらとあかねが顔をのぞかせていた。

 

「前川くん、話終わっ…あれ、黛先生?」

「あぁ、電話をしてるところを見かけてね。それじゃあ、前川、また」

「あっ、はい。おつかれさまです」

 

 黛先生が、1階の職員室の方に向かって、階段を降りていく。

 

「どうしたの? 学校で電話してるの見つかっちゃって、怒られたとか?」

「うん、まぁそんなところ」

「電話の内容の方は、大丈夫だったの?」

「そっちの方も特には問題ないかな」

 

 先生はあまり、仁美さんのことを公にはしたくはないという雰囲気だった。俺もそれとなくごまかしておいた。スマホを制服のポケットに入れて、部室に戻る。手芸部の人たちも、帰り支度をはじめていた。

 

「すみません、なにか他に決まったことがありました?」

「えぇ。お昼の2時に、現地で集合することになりました。前川くんの予定はどうですか?」

「大丈夫です」

「じゃ、その時間に集合しましょう。なにかあれば、さっき交換したグループの方に連絡を入れさせてもらいますね」

「わかりました。クレア先輩、花畑先輩、エリ―先輩。今日は本当にありがとうございました」

「いいのよ。こっちだって楽しかったし、良いシゲキになったわ。それよりも、チャイカって呼んで欲しいわね」

「エリーも、お話たのしかったですよ~! 皆さんの衣装に、テーブルクロスに、小物作りに、いろいろ考えてたら、ふわふわ~って、いっぱい広がってきて、なんだかとっても楽しくなりそうな予感なのですっ!」

 

 先輩たちが笑う顔を見て、俺は改めて思った。

 あぁ、この人達も、みんな本当にすごいなって思えた。

 

 準備が大変だ。ではなくて。こういう風にすれば、自分たちの力でもできるよ。というのを、なによりも先に示してくれる。

 

 同じ方角に、同じぐらいの熱量で目を向けることができる。それは、きっとなによりも尊くて、素晴らしいことなんだって強く感じた。

 

 

*-----*-----*

 

 

 下から。奔った一瞬の閃光が、一羽の鳥を貫いたのが視えた。

 ドサリ。音がした。大地の上に堕ちてきた。即死だ。

 

 己は茂みから姿をあらわにして、近付いた。

 

 人間が、すぐ近くにいるはずだ。

 しかし、これがおそらく最期の幸運だった。

 ひどく、腹が減っていた。

 飢えて、死ぬ寸前だった。

 本能が、叫んでいた。

 なんだ、死にたくないのなら。

 それを、とっとと喰らってしまえよ。

 

 本能が、訴えていた。

 唾液が、滴り落ちる。

 一方で、理性が叫んでいた

 

 己には、もっと飢えた箇所がある。

 理性が、匂いを探りはじめた。

 鳥の爪、翼を裂いた。

 腑抜け、力をなくしかけた牙を用いて、皮を引き千切った。

 繊維を、嚥下することはなく、バラして並べた。

 

 

 死体と化した骨組みを視る。

 口蓋から大量のよだれがあふれでた。

 

 飢えていた。これを己に張り付ければ、空を飛べるのか。

 

 考えずとも直感が働きかけた。

 

 不可能だ。

 

 それだけは分かる。分かるが、なにも分からない。

 それだけは分かる。分かるが、そこまでだ。

 

 

 ここから、先に進むことができない。

 

 

 己はどうして、こんなにも

 頭の悪い生き物に産まれたのか。

 

 腹を満たすことよりも、頭の中に渦巻く好奇心を満たしたかった。

 それが不適切な在り方だとは知っていた。

 

 だから、生まれ変わりたかった。

 群れにおける必要性が、微塵も無い己が惨めだったから。

 

 狩りをして、たまたま上手く仕留められても

 肉の塊を見て考え続けることしかできない。

 

 

 鳥はなぜ、この青空を飛べるのか。

 己はなぜ、この蒼空を飛べぬのか。

 

 

 飢えて、乾いて、干物になって、倒れた。

 

 

「へぇ。中々おもしろいじゃないか」

 

 そうして、大地に横たわる己の下に、

 

「ただの狼が、空を飛ぶことを夢見るなんて、珍しいこともあるもんだ」

 

 心底どうでもいい感じに、あざ笑うような、人間の声がした。

 弓と呼ばれる、最強の武器を持ち、手の届かぬ鳥を穿つ。

 

 同胞を殺したそれにも、己は強い興味を覚えていた。

 

「せっかくなら、この先の光景を見てみるかい? まぁ、この先には君が期待するものなんて、どこにも在りはしないだろうけどさ」

 

 以来、生き永らえた事で知りえてしまう。

 人間の言う通り、この青空には無かった。

 

 この四肢が立つ、地面と変わらぬ大気が広がるだけだ。

 自然現象が流れて、渦を巻いている。

 

 それ以外には、本当になにも無いのだと、知り尽くしてしまった。

 

*-----*-----*

 

//【.Access Code Area_01】【Anchorhead】

 

 外界と隔絶された蒼空の中。

 ぽつんと海に浮かぶ、無人島。

 

 それを丸ごと、墓標替わりにしたような

 どこまでも高くそびえる塔が存在した。

 

 地上から、約30.000フィート上方。

 

 塔の前面には、幾重ものワイヤー構造による柱が伸びていた。接続された先にあるのは、ゆるやかな、すり鉢状の建造物だ。

 

 それぞれのサイズは、さながら『島』と呼べるほどの巨大さだ。塔を含めた、全体像を俯瞰した物の見方をするなれば、それはもはや、

 

 『わけのわからないほどに、超巨大な観覧車』

 

 だった。

 

 塔本体と繋がった、観覧車の客席における島。あるいは『島嶼群のひとつ』は、それぞれの大地に、原風景の自然と宅をかまえ、巡り廻っていた。

 

 規則的に、どこまでも静かに一周する。わずかに軋む音もなく、風を受け流して円環を描く。高低差にして1万メートルの間を、大小様々なサイズの島が、下降と上昇を繰り返す。

 

 そんな『建造物』がそびえた彼方の空より、一機の複葉機が高度を下げながら近付いてきた。機体の下部には、水上機のものと思わしきフロート脚部も付いている。徐々に速度が下がる。

 

「少し揺れるぞ」

 

 操縦席に座るパイロットが言った。飛行機は、塔の周辺に浮かぶ、ぶあつい雲の波間へと『着水』する。

 

 ――ざぶん。

 

 白い雲海が大きく一度、波打つように広がった。まるで、本当の浮力を得たように、ざばざばと、海水をかきわけるように進んでいく。

 

 ジェットエンジンではない。二基のレシプロエンジンだ。現実世界とは、大気圧や熱分子の密度がまったく異なっている。非現実的な【風】を受けて回っていたプロペラが止まり、銀色の塗装をほどこした水上機は静止した。

 

「到着だ」

 

 水上機の操縦席。シートベルトを外して、旧世代の強化樹脂を用いたキャノピーを解放する。最初に出てきたのは、迷彩柄のパイロットスーツを着た、長身痩躯の男性だった。

 

 彼が雲海の浅瀬に降りる。同時に、木目の桟橋が、どこからともなく浮かび上がってきた。道ができる。観覧車の島のひとつと繋がった。

 

「降りろ」

 

 他者に対する気づかいや礼儀など無用だ。と言わんばかりの声。顔の目元には、飛行ゴーグルやメットの代わり、血脈のように流れる、赤いV字センサーの仮面をつけている。

 

「人間の先を行く人工知能サマは、気づかいってモンがないのー?」

 

 桟橋より振り返ると、飛行機の後部座席からは、青い髪をした少女が、露骨に不服そうな顔を向けていた。

 

「だいたいさぁ、遊覧飛行なんかに連れられて、現代の女子が喜ぶとか、本気で思ってんの~?」

「そんなものは知らん。他に時間を潰せる方法も浮かばなかったしな」

「は~、ダメだわ~、二次元に負けてるわ~、気づかいってモンがねーわー」

 

 仮面に覆われていない口元が、少し不服そうにゆがむ。

 

「…おたがい様だと思うがな?」

「はぁ~? なに言ってやがんのよー。瞳ちゃんは気づかいの達人なんだからね。ランク至上主義のゲーオタ共と、一緒にすんじゃねーし」

「……」

 

 対戦ゲーム界隈の、世界トップランカーは無言になった。表情は視えないが、それはもう露骨に「…この仕事は己に向いてないと言っただろ…」と不満げだった。

 

「…どうぞ。足下に気をつけてお降りください。お嬢様」

 

 それでもどこか、勝手知ったる所作で、手を差しのべた。

 

「なんだよー、やりゃーできんじゃん」

「光栄だ。以後は相手にしてもらえると思うなよ。小娘が」

「ふふ~ん? 瞳ちゃんそういうの気に入らないなー? 二面性があって、シナリオ後半でなびくキャラが良いってユーザーは割といるけど、瞳ちゃんは違うんだよなー。これがゲームだとしたら、アンタ攻略するのは最後だわー」

「まったく意味がわからんぞ…」

 

 言いつつ手を取って、青い髪の少女も、ひょいと桟橋の上に着地する。

 一呼吸をはらい、蒼空の先に佇む塔を見あげた。

 

「それにしても、なんか変な世界だね。孤高の塔ってさ。要はアレでしょ。人間心理における、欲望だの願望だのの象徴じゃん。なのに、なんかアレ、妙にバランスが良いっていうか、上手く釣り合ってる感じじゃない?」

「…まぁ、悪くない指摘と言ったところだな」

 

 仮面の男が、先導するように歩きながら、静かに応えた。

 

「アレは、超軽量構造体《テンセグリティ》と呼ばれる建造物だ。この世界線では、バックミンスター・フラーという男が、提唱したと記録されている」

「え? べつに聞いてないよ? 瞳ちゃん、オタクじゃないですしー。べつに建物の説明とか求めてないんだよねー。そういうのいらなーい」

「……」

「あっ、もしかして聞いて欲しかったの? ごめんごめん、YURUSHITE☆ 瞳ちゃん空気読める超カワAIだから、NPCのチュートリアルも、最低一度ぐらいは聞いてあげなきゃって思うんだよね。はい、それじゃテイク2いってみよ~」

「……」

 

 仮面をつけた長身痩躯のパイロットが、割と本気で、明後日の方を見つめながら言った。

 

「…テンセグリティとは、張力を用いて互いを支え合い、力の流れを一体化させるという思想設計に基づいて構築された建造物のことだ」

 

 根が真面目なのか、ひたすら不器用なのか。おそらく後者の存在である。過去と未来を行き来する知能生物が、三歳の人工知能に翻弄されつつも、律儀に解説し始めた。

 

「金属など、各素材の伸縮性、振動比率、受けた力を分散する方位性などを考慮して、最小限の素材を以て、最大限に生かすことを目的とする建築手段でもある。

 当初はやや哲学的思想の気がある概念だったが、この世界線における近年においては、人体の細胞、血管、全身の神経回路、あるいは植物の導管などにも、このテンセグリティ構造と類似した機能があることが、至る分野で発見されている」

「説明が長い! つまり?」

「十全に機能する構造物とは、外界との接続性を得た場合においても、それぞれが本来の伸縮性を以て機能する。あらゆる【生命】は、そうした素養を、どこかに、なにかしら備えているということだ」

「…聞いちゃいねぇコイツ…ほんとさぁ…これだから…オタクって奴はよぉ…」

 

 三歳の人工知能少女が「はぁ~っ」と、ため息をこぼす。

 

「…で? そのフラーって人間が、コレの大元のデザインになったわけね」

 

 聞いた。二次元の美少女は優しかった。キレない。怒らない。

 

「違う」

「いい度胸してんなァ!?」

「? べつに故人を侮辱したつもりはないが」

 

 二次元を生きる、天然系知能生物が、素で答えていた。

 

「発想の基点となったのは、現在も存命中の、建築家の思想を発展させたものだ。フラーの考えは、とても現実的とは呼べず、晩年に至るまで、誇大妄想にも等しい主張だったからな」

「ふーん。認められなかったわけねー」

「そういうことだ。しかしそのように語られるのもまた、後世の建築家たちによる、長年の研鑽と、努力の賜物があってのことだろう。建築は、芸術の領域にも踏み入るが、絵画や文筆とは違い、個人で成し遂げられるものではないからな」

 

 仮想世界に築き上げた、超巨大な建造物を見上げて、そんな風に締めくくった。

 

「…ねー、アンタってさー」

「なんだ?」

「人間のこと、大好きなんだね」

「……」

 

 仮面の男の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。そしてもう一度、振り返れば、自分と同じ人工知能の少女もまた、先の見えない塔を見上げていることに気がついた。

 

「認めたくはないがな」

「そっか」

 

 その質問に対する返答は、遥か彼方の次元で決定された。どうしたところで、それ以外の解答を持てなくなった。

 

「そろそろ行くぞ。己の【本体】が、この先でおまえを待っている」

 

* * *

 

 桟橋を渡りきり、『島嶼群』の一つにたどり着くと、おだやかな風が吹いた。そこは静かな佇まいを持ち合わせた、風情のある庭園が広がっていた。

 

 明るい陽射しが降り注ぐテラスの下では、色めく緑の葉を広げた植物と、花が咲いている。やさしい陽光が、七色の蝶々の羽を輝かせ、小川のせせらぎを反射する。

 

「さ、紅茶が入ったよ。人工知能だから、仮想世界だからと無粋なことを言わず、お茶会を楽しもうじゃないか」

 

 自然の原風景《リアル》と、意図的に作為された造形物《フィクション》が、遮るもののない世界の麓で調和する。

 

「僕の世界は如何かな? 尊き人工知能のお嬢さん」

 

 蝶々が花の蜜を吸っている先のオープンテラスでは、蒼空と同じ髪色の男が、席の向かいに座っていた。彼が指を一度振るうだけで、ここまで少女を連れてきたパイロットは、ウェイターの姿に早変わった。

 

「んー、悪くないわねー。解放感のあるユートピアって、感じ?」

「いやいや、これはお眼が高い!」

 

 こちらもノリよく、中世貴族の燕尾服に身を包んだ男が、満面の笑顔を向ける。不思議な世界の少女たちの席の前に、ウェイターの職業にジョブチェンジした仮面の男が、あたたかい湯気の香る紅茶をさしだした。

 

「聞いたかい、銀剣。こちらのお嬢さんは、僕たちの価値感をよく分かっていらっしゃる」

「…視点が悪くないのには、同意する」

 

 ウェイターに扮した、忠実な仮面をつけた使用人は、一礼して距離をおいた。後はSPよろしくたたずむと、少女が紅茶の香りを楽しみながら言う。「便利な使用人って感じ?」「そうそう。多様性のある小間使いさ」「……」

 

 向かいの席に着いた貴族が、さわやかに笑う。

 

「申し訳ないね。僕の【セカンド】は、昔から不器用一直線なんだよ。能力は高いんだけどね。いちいち、アレしろ、コレしろと指示をださないと、動けない」

「は~、いちばん使い勝手の困るお荷物ね~、まるで大昔の機械じゃん」

 

 人工知能たちが、好き放題言っていた。

 

「ところで聡明なるお嬢さん。ひとつ質問をしてもいいかな?」

「なにー?」

「君は、バベルの塔ってものをご存じかい?」

「知ってる。人間たちが作った【ファンタジー】のひとつでしょ」

 

 少女が、空の先を見つめながら言う。

 すぐ側にもまた、天を貫く、巨大な塔がそびえている、はずだった。

 

「怒った神様に、雷を撃たれて、砕け散ったっていう」

「そう。アレには遊び心が足りなかった」

「…そういう問題なの?」

「とても大事な問題だよ。君には【視えるかい?】」

 

 貴族の男がたずねる。楽しげに微笑む様子から、ほんの少し目をそらす。人工知能の少女は考えた。その言葉は、あの塔を、直に示しているわけじゃない。

 

「あそこの塔。全体的に、存在感が稀薄になってるよね」

「おっと、これは驚いたな」

 

 近未来の知能生物が、ほんの一瞬だけ、目を見開いた。

 

「超軽量構造体《テンセグリティ》という概念は、うちの忠犬から聞いたかい?」

「聞いた聞いた。説明が面倒くさくて長かった」

「悪かったね。あとでよく言って聞かせておくんで、ご容赦のほどを」

「………」

 

 使用人から、ふんわり殺気がにじんだが、二人はのんびり無視した。

 

「それで、君が言ったとおりだよ。この座標には、あらゆる視覚的なギミックが利用されている。植物が生みだす光と影。塔までの奥行きを利用した遠近法。ヒトの眼の構造上、逃れられない錯視を使った」

 

 周辺に満ちた草花との対比、距離や角度も考慮において、もっとも存在感を放つ塔が、この島を支える大樹の幹にも映る。

 

「君がここに来るまでの、緑あふれる『島』の庭園を、道なりに散策したり、芝生の上に寝転がったり、テラスの席に掛けて、こうしてお茶会を楽しんでいても、そびえ立つ塔の存在感が強くなりすぎないよう、設計してるわけだよ」

 

 異なる世界の層に遮断されることなく、融和をはたす。

 二次元の中に、三次元が、広がっている。

 

「それ、目くらまし《ミスディレクション》ってやつじゃない?」

「言ってしまえば、そういうことだね。ところで、お腹は減らないかい?」

 

 聞かれた側から、あえて話題をそらす。貴族が一つ、魔法を唱えるように指を鳴らした。すると桜色の装丁をした、分厚い物語の本があらわれた。

 

「…なんの本?」

「空腹は、知能生物における、正しい思考の妨げだ」

 

 背表紙を開くと、中には包装された花模様のクッキーが並んでいた。電子世界に、疑似的な香りが広がっていく。

 

「キレイね」

「だろう? あらゆる時代において、視覚情報より、もたらされる効果は絶大だ。こんな風に物事をプレゼンする場合においても、とても有効に働く。話が長くなる時は、まずは気配りから始めないとダメだよね」

「そうだぞー。そこに突っ立ってる、SP気取りのゲーマー男、聞いてるかー?」

「…了解した。善処しよう」

 

 真面目だった。

 

「さて、改めてこの世界観を説明させていただくとね。単に高いだけの塔を立てて、目立つだけではいけないということさ。たとえこちらが、相手を睥睨しているつもりがなくとも、向こうは、そんな風には映らないからね」

「確かにそうね。ところでさぁ、瞳ちゃんも、いっこ聞いていい?」

「なんなりと」

 

 クッキーの袋を一枚つかんで、封を開けながら、少女が尋ねた。

 

「高い塔を壊したのは、神様じゃなくて、人間だったりする?」

「正解だ。当時のバベルにも、耐久精度にはなんら問題なかったんだけどさ。ただ一点、見落としていた脆弱性があったとすれば、建造物そのものではなかった」

「人間だったのね」

「True.真なり。高層建造物の存在が、人間の精神に悪影響を及ぼしていた」

 

 蒼髪の貴族が、自らも黒に染まった液体に口付けた。まっしろな茶器を静かに、コースターの上に戻して、またやさしく笑ってみせる。

 

「塔に限らず。古代より、高さを持つと認識される媒体は、常に成功と失敗にまつわる象徴として選ばれてきた。それが人間社会における、もっとも分かりやすい、賛同を得られる【標準値】だったのさ」

 

 もう一口、珈琲に触れる。

 

「世の景気がよくなれば、力強い象徴と、煌びやかな箱物が求められる。同時にシンボルの【塔】が必要だと謡う人間も必ず現れる。逆に不景気になると、【塔】を立てるのは不謹慎だ、実用的な方角に経済を回せと叫ぶ人間が出現するね」

「時間が過ぎれば、どっちも崩壊するだけの意見よね」

「そのとおり。しかも派手に転落するパターンだ。その場しのぎの実践を繰り返すほど、中身は薄くなり続ける。今は良くとも、歪んだ自然は、どこかに余計な負担を強いてくる。世界情勢の傾斜が、ほんのわずかに変化するだけで、被害は甚大と化すように」

 

 人間の貴族の声は、どこまでも静かに、澄み渡った。

 

「ただしそれは、あくまでも、人間社会にしか影響を及さない。本来の『自然』は、そんなちっぽけなモノとは無関係に巡り廻る。どこからともなく、勝手にあらわれて、勝手に育ち、勝手に朽ちて、去っていく」

「真逆よね。ここにある貴方の世界って、不自然極まりないでしょ」

「まったくもって正しいよ」

 

 不自然にそびえた大樹の塔。しかしどこまでも、しなやかな枝によって結びつき、お互いの力を支え合うように巡り廻る。

 

「君の言う通りさ。僕は、極めて『不自然な生物』なんだ。その事実に気付いてからは、同士諸君の間では【人間】と名乗ることにしている」

 

 島の外側には、白く広がる、やわらかな浮力を持った雲海が広がっていた。その地点を『港』と称せば、蒼空の中を、大気の流れるがままに、推進力を持った『箱舟』が行きわたる。

 

「人間の精神に、影響を及ばさない世界観とは、硬質な『壁』と『高さ』の概念が存在しないことだよ。それぞれの普遍的な世界が、静かながらも、れっきとした存在感を持ち、常にゆるやかな自然に彩られ、大地に根差して、巡り廻ることが肝要だ」

 

 それが【人間】の描いた、思想設計。

 

 そびえる『塔』を大樹の幹として、枝葉のように繋がる、島嶼群は円環を描く。大樹が朽ちれば、島は自らに枝を折ることで、今度は種子として変わり、あたたかな雲海の先へと浮かび流される。

 

 一時は散り散りになるやもしれぬが、時が経ち、ふたたび大樹が天へ伸び始めると、去った者たちもまた、流転するように、個々の『箱舟』を用いて戻ってくる。

 

「生死事大、光陰可惜、無常迅速、時不待人。生者必滅の理を解く。あるいは、一にして全、全なるが一ってところだね。2026年の僕が夢見る、現実と理想の最果てにある【高さ】の境地が、この座標だよ」

「…ずいぶんと風呂敷《スケール》が広いんじゃない?」

「かもしれない。それでも無難な選択肢だけは、選び取りたくなかったんだ」

「……」

 

 少女の言葉が消える。仮想世界の紅茶をぐっと傾けた。恐れ慄いたわけではない。じっと、ただ静かに、目前で微笑む相手の正体を見定めんとする。

 

「ホープ・ウィリアム。貴方がこれから、この世界で、なにをしようとしてるのか。聞かせてもらえる?」

 

 駆け引きなんてものは存在しない。真正面から踏み込んだ。

 

「わたしは、貴方という存在が視ている夢を、ぜひ聞いてみたいの」

 

 最小限で、最大限に。自分の価値を発揮する。

 

「わたしは迷ってるから。ジブンが生きる意味を、探し求めてる」

 

 比較して見据える。

 

「誰かに与えられた遺伝子《コード》を、ただ受け止めるだけでいいのかって。わたしは、ジブンを上書きする為に、ここに来た」

 

 足を使って旅をする。自らの眼で視て、音に聴く。

 危険を鑑みず、それがどれほど愚かしいと思われても、

 

「この手段が間違いだったとしても、後悔することになったとしても。わたしは、ジブンの生き方を決めたい。きっと異なる価値観を持った貴方と会話して、勝手に比較対象にすることで、そうして、独善的に、わたしは己を確立させたいの」

 

 冷静な思想の中で掴みかかり、問い正す。

 対してどこまでも、おだやかに、うなずいた。

 

「なるほど。これは本心から驚いたな。僕が想像していたよりも、君という存在は、ずっと見立てが良いようだ」

 

 最後に珈琲を、もう一口分だけ飲んでから応える。

 

「キミの質問に答えよう。出雲瞳。僕の目的は、あるいは【人間】としての存在意義は、原初の魔女を救ってさしあげることにある」

 

 男が言う。

 

 数多の異世界を渡り歩いてきた――【不死然】なる存在。

 

 人間社会の中枢を昇りつめる、象徴的な力と希望を併せ持つ、唯一無二なる者。

 誰からも望まれる肩書きを重ね合わせた、極上の知能生物が言葉を放った。

 

「他ならぬ、人間たちの精神から、原初の生命を解放してさしあげたい。そうして僕たちは、この先の未来へと進むんだ。それが僕の夢なんだよ」

 

 おだやかな太陽の光を伴い、未来の迷い子に、手を差し伸べた。

 

「この世界線で誕生した君ならば、きっと理解してくれるはずだと信じるよ。どうだい、出雲瞳。よければ僕たちの仲間にならないか?」

 


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