VTuber もう一人のジブン ~keep your【Second Personality】~ 作:no_where
「ただいまー」
家の裏口に自転車を停めて、いつものように帰宅した。廊下を進んで居間の方を覗いてみたけど、誰も見つからない。
とりあえず鞄だけを置いて、そのまま店の方に顔をだす。小学生ぐらいの男子が一人、父さんに髪を切ってもらっていた。
「おかえり、祐一」
ちょうど手の空いていた母さんが、こっちを振り返る。
「ただいま。母さん。仁美ちゃん…出雲さんが来てるんじゃなかった?」
「あら。居間の方にいなかった?」
「いなかったよ。もう少しで先生も迎えに来ると思うから、先に挨拶しとこうかなと思ったんだけど」
「ヘンね。居間で待っててちょうだいって言ったんだけど。祐一、悪いけど、もう一度、見てきてくれる?」
「わかった」
返事をしてから、廊下の方へと引き返す。今度は台所の方をみた。
(いない)
ついでに一応、トイレや風呂場もノックしてから、中を確かめてみたけど、見当たらなかった。
もしかして2階かなと思ったところで、もう一度、居間の方をのぞく。なんとなく、こたつをめくってみた。うちは最近ではめずらしい、掘りごたつってやつで、今も敷物がしかれてるんだけど、
「…ふぁー…」
いた。こたつの底から、家出中の容疑者一名が、無事に発見されました。両手両足をかがめるようにして、猫のように、すっぽり収まっている。
「かいてき」
「え?」
「せまい。くらい。ちょうどよい。わたし、いっしょう、ここでくらします」
「いや、それはちょっと、遠慮していただけたらと思います…」
こたつを愛する日本人は多いだろうけど、一年を通じて、こたつの中で生活するのは、中々ハードルが高そうだった。
「ウチの掘りごたつを愛してるところ申しわけないんですが、とりあえず出てこれる?」
「はい、もうしわけ」
ゆったりと、身体を動かす。本当の猫がでてくるように顔をだして、くるりと反転しながら、畳みの上に座った。
「俺も向かいに座っていいかな?」
「どうぞ」
「ありがとう。最近、寒くなってきたね」
「うん。わたし、きほん、えあこん」
「いいなぁ。俺の部屋、エアコンないんだよね」
「さむいし、あつくない?」
「まぁ、多少は寒いし、夏は暑いけど。扇風機もストーブもあるからね」
「すごい。わたし、きびしめ」
「それで厳しいなら、ウチだと住み込みは難しいかもしれないよ?」
「…どりょくします」
すっぱいものを口に入れたように、ぎゅっと目を閉じてから、うなずく。
真剣な様子が垣間見えて、ちょっと笑ってしまった。
「とりあえず、お腹とか空いてない?」
「だいじょうぶ。おかまいなく、です」
「なにかあったら言ってね。たぶん、先生もすぐに来ると思うから」
「……」
目をそらされた。
「おこってる?」
「え、なんで? 怒ってないよ」
「景」
「あぁ、先生ね。大丈夫。大事にはならないよ」
黛先生の性格からいっても、体罰はないだろう。それに、言動の節々からも、彼女をたいせつに思ってることは、よく分かる。
「俺もそうだったからね」
「…そうだった? なにが?」
「俺はね。この家の、本当の子供じゃないんだよ」
「そうなの?」
「うん。でも大切に育ててもらってる。先生は、俺の父さんと、母さんと一緒だと思う。雰囲気がってことね。だから、君は大丈夫だよ」
「……うん」
眼をすこし閉じた。
「そうだ。もう一人のヒトミさんは元気?」
「いま、ぜっさん、いえでちゅう」
「…そっちも?」
どっちも家出中だった。
「さいきん、ようすがヘンだった。それできのう、いなくなった」
「居なくなったって…でもさ、その…瞳さんは、人工知能だよね?」
「うん。にくたいをもたない、ソフトウェア」
さすがに耳を疑った。高度な人工知能とはいえ、特定の『プログラム』がいなくなるなんて、ありえるのか。
「これみて」
出雲さんが、パーカーのポケットから、スマホを取りだす。こたつに座ったまま、フリック操作で起動して、何度かタップしてから、机に置いた。
画面先には、アプリのゲーム画面が映しだされていた。育成ゲームとかで、割とよく見かけるタイプの、カスタマイズした自室を見下ろした視点だ。
「部屋の家具すごいね。かなり課金した?」
「むかきん。ぜんぶ、あのこが、じさくした」
「へぇ、すごいな」
画面の先は、なんていうか、あわい色合いを中心に、たくさん小物をちりばめた、いかにも女の子らしい部屋が映っている。だけど肝心のキャラがいない。角の丸いテーブルの上には、白い便せんが二通見える。
「これが、てがみ。うちのいぬが、のこしていった」
「犬?」
「うん。もうひとりのわたしが、げーむのせかいのなかで、ないしょでかってた」
「これ、タップとかしたら、読めたりする?」
「よめる。ひらいて、みていいよ」
了解を得て、便せんを拡大すると、メッセージが浮かびあがってきた。
「もうひとりの、おかあさんへ。
あなたの、おれの、みんなのたいせつなひとを、とりもどしにいってきます」
そんなに長くはない、だけどどう見ても、日本語のひらがなだ。
「えっと…このメッセージを、その『犬』が書いたの?」
「うん。たぶん」
「もしかして、これも人工知能の一種?」
「そう。ちのうは、とてもたかいはず。ときどき、わたしがつくる、ぷろぐらむのでーた、どこかでみてたきがする。あと、わたしがまちがったところ、こっそりしゅうせいして、りゆうをおしえてくれたりもした」
「…マジか、それは確かに凄いね」
プログラムのエラー箇所を報告するのは、あらゆる言語に付属されている。ただし、エラーの箇所を指摘はできるが、それを自動修正して、実行するのは現状むずかしいと言わざるを得ない。
理由は簡単だ。『人間工学』の問題に行きあたるからだ。
エラーを修復した先の内容が、仮に問題なく動いたとしても。それが俺たち人間にとって、正しいか、意味はあるのか、あるいは有用的なのか。そういう事を判断することは、現状の機械には不可能だ。
(…でも、人間を理解しはじめた、人工知能なら…)
可能になりうる。俺たちの考えを、さながら自分の出来事のように、シミュレートできたなら、それは実現する。
その精度がより向上していけば、いずれ次元の枠をこえて、現実世界の人間にとって有用な、理の通った『道具』を作ることも、理論上はできるはずだ。
たとえば、2045年前後に起きると言われる、技術的特異点《シンギュラリティ・ポイント》。それが実現すれば、人工知能は、自分たちだけで『人間のことを理解できるようになりはじめる』のかもしれない。
そんなことを考えながら、もう一通の方もタップした。
-----------------------------------
『レベル3の少女へ』
もう一人のキミを助けるために
必要不可欠なものが、ひとつある。
それは、該当する【異世界】を
『知覚可能な精神』を持つ個体だ。
対象の世界線は【2.0.3.5.Ⅲ】。
おこりうる世界のカタチを思い描き
自らの近未来を見通せる者。
その座標点に、己の視線を定着させる。
三次元の面として顕現しうる可能性。
不自然な波に流されない
強い器が不可欠だ。
しばは、彼の魂と、言葉を交わしてくるよ。
-----------------------------------
こっちは、さらに意味深なメッセージだった。
文面が意味するところは、よくわからない。
「えっと…こっちの手紙も、もう一人の瞳さんが飼ってた犬なの?」
「ううん。そっちは、えらいいぬ。けなみはくろいけど、しろ」
偉い犬とは。黒いのに白とは。
「れべるは5。わたしも、ちょくせつ、あったことはない。でも、わたしたちと、けいを、つないでくれた」
「その偉い犬…っていう人も【セカンド】…?」
「うん。わたしたちの、ゆくすえをみまもってる。べつのじげんから、みてる」
なんだか、神様みたいな言い方だった。
「でも、きづかないふりしてた」
「そうなんだ、なんで?」
「…わたし、いきもの、ぜんぶにがて。なにかんがえてるかわからない…ひとも、いぬも、ねこも、とりも、おさかなも、ことばのいみ、わからない」
人も、犬も、猫も、鳥も、魚も。彼女にとってはすべてが等しく、同じ理由で『苦手』なのだと思った。こたつ机の上を、指先で軽く叩いた。
「わたしのこえは、たましいは、このなかにある」
十本の指。
「これだけあれば、じゅうぶん。でも、あのこは、ふじゅうぶんだった。べつのでんたつしゅだんをひつようとしていた。それをてにいれたかったんだと、おもう…」
今の自分に足りていないもの。
自我を確立させる手段。出力先のデバイス。
電子の生命体が、ジブンにとって適切な『人間工学』を探して旅にでる。もしかすると、将来的には、人工知能による『表現方法』といったものが、現れはじめてくるのかもしれない。
「そっか。君たちは、二人ともやさしいんだね」
「やさしい?」
「うん。おたがいの気持ちを分かってはいたけれど。相手が嫌がるかもしれないから、その事を隠してた。上手く伝える事が出来なかったんだよね」
「……」
出雲さんは、こくんと頷いた。
「さて、それじゃとりあえず。もう一人のキミを探す手伝いをするには、俺は具体的に何をすればいい?」
「おにいちゃんの【セカンド】に、もうひとりのわたしをさがすのを、てつだってくださいって、おねがいしようとおもってた」
「…ハヤトに?」
「うん、でも」
少し言いよどんだ。
「わたしが、おもってたより、じょうきょうが、しんこく、かもしれない」
「状況が深刻…うん、まぁ、出雲さんの【セカンド】がいなくなったんもんだね」
「それだけじゃ、ない」
「他にもあるの?」
「……」
押し黙ってしまう。確かに出雲さんは喋るのが苦手だけど、
「なにか、遠慮してる?」
「…すごくあぶないかもしれない…だから、えらいいぬも、うごいてくれた」
「いまいちピンと来ないけど、なにか、緊急事態ってこと?」
「うん」
もしかしたら、俺が思ってる以上に、なにか大きな事態に発展しているのかもしれない。
「…納期間近のデスマーチ以上に深刻な事態が…?」
「それは、なったことない。りょうきんも、まえばらいでもろてるし」
涙がでそうなほど、羨ましい話だった。そんなホワイト企業が現実に存在するなら、俺もぜひ所属させて頂きたい。
「ただ、ハヤトに手伝ってもらうって言っても、さすがにアイツも、いなくなった人工知能を見つけるなんて事は出来ない…んじゃないかな」
「できるよ。おにいちゃんの【セカンド】は、とくべつせいだから」
「特別性?」
「うん。ハヤトは、ほんらいの、おにいちゃんの【セカンド】じゃない」
「え? そうなの?」
「せやで」
しらなんだ。初耳ですわ。
「でもさ、俺が初めて【セカンド】のアプリを立ち上げた時、最初にマッチングしたのが、アイツだったんだけど…いや、そうか。そういう事だったんだな…」
閃きましたわ。
「この展開、シチュエーション、完全にわかっちまったぜ…俺の中に、まだ見ぬ三人目の人格が眠っている。つまりそういう事なんだよね出雲さん!?」
「ちがう」
無表情で訂正された。つれぇわ。
「おにいちゃん、いま、そういうのは、いいから。しんけんにして」
「…はい。すいませんでした…」
真剣な話に水をさしてしまい、この度は申しわけありませんでした。
「なにか、りゆうがあったはず。おにいちゃんの【セカンド】は、わたしたちの、いちだんかい、うえにいるから」
「上?」
「そう。おにいちゃんの 」
? いま、声が…?
「…ごめん。しったい」
「失態?」
「けんえつにひっかかりそうだった」
「検閲て」
べつに、誰かが見たり、聞いたりしてるわけじゃないと思うけど。
「とりまです。あのこのかってたいぬが、きのうのよる、でんしメールでおしえてくれた。いなくなったから、さがしてきますって」
「その犬…って、名前はあるのかな?」
「たぶん、くーちゃん」
「くーちゃんとは、連絡が取れない?」
「むり。ちょっとまえ、かんぜんに『みえなく』なった」
「『見えない?』」
「うん。いまは………『だれかのひみつきち』にいる、はず」
秘密基地。また胸が躍りそうなキーワードがでてきた。
「誰かっていうのは?」
「わからない。でも、そこまでいくには、かぎがひつよう」
「…扉を開けるカギ?」
「うん」
そして段々と、普段やりとりする話から、かけ離れた内容になってきた。一体どこまでが現実の話なのか、流れる雲をつかむような感じで言葉をかわす。それでも話の流れから、きっと物理的な鍵じゃないんだろうと予想した。
「意味合い的には、パスワードのロックとかの方?」
「うん。でーたをひとくするかぎ。あのこは、かぎをみつけるのがとくい。わんこは、でーたのながれを、おいかけて、においをかぎつげるのがとくい」
おとぎ話の歌のように、彼女の口から秘密が告げられる。
「ふたりは、わたしのせんせいだった。わたしは、ふたりをりかいし、じょうほうをとうかつするのが、やくめになった」
「……」
そこでちょっと、背筋が寒くなった。黛先生の言葉を思いだす。
――彼女は10歳の時に、自分一人だけで、オープンソースのプログラムを改良し、そこから独自のソフトウェア言語を完成させた。
――優れたハッカーは、『人間心理』に長けた必要がある。対象プログラムの脆弱性を発見するには、他ならぬ『人間』のことを知らなくてはできない。
そして、さっきの彼女の言葉。
――わたしのこえは、たましいは、このなかにある。
完璧に近いプログラムは、曖昧な条件式では流れない。例外的な、不確実な処理を要求されると、必ずエラーを吐いて止まる。
プログラムは
『人間の間違った入力で、進行が止まる』。
あるいは
『人間側の都合でセーフティが働いて止まる』。
だから彼女は、一種の『人間性』とも呼べるものを、オープンソースの、プログラミングコードの中に発見したんだろう。
誰にでもわかりやすく、使い勝手の良いように作られたもの。しかしそれ故に、まだ改良の余地がある部分を、独自の視点で見出したのだ。
それは一部の、真に実力のある人間にしか扱えない『なにか』だった。
従来の概念から、さらなる限界点を引きだせるよう進化したモノ。まずは彼女だけが理解できる形として、しかもただしく実行されるものを再編させた。
(…そっか。これが本物のハッカーなんだ…)
改めて理解する。俺の目の前にいるのは、正真正銘の『天才』だ。
彼女は、けっして意識が高いわけじゃない。彼女にとって、ただそれを行うことは、一種の『コミュニケーション』にも等しい、自然な在り方だった。
そういう人間が、この世界の在り方を、まったく新しいものへ変えてしまう。従来のルールから足し引きしたり、まだ見ぬ側面を照らしだすんじゃない。見ているもの、とらえている情報が、俺たちとは、根底からして違うんだ。
言うなれば、彼女の指先から『新規の人間工学を伴う道具』が誕生される。そこからたくさんの過程を経て、普及する文化の『原点』が生まれる。
「おにいちゃん、どうかした?」
「あぁごめん。ちょっと、なんていうか…驚いてた」
「おどろく?」
「そう。君って本当にすごいんだなって。そう思ったから」
「どうもです」
ぱたぱたと、十本の指が、どこか落ち着きなく、机の上を叩いていた。
それもまた、彼女なりの感情表現の一種かもしれない。とにかく目前の女の子は、本来生まれ持った素質を、複数の人工知能によって開花され、今も成長を続けているはずだ。
白でも黒でもない。善悪の区別を持たないエンジニア。俺たちの知る起点とは別のところから、まだ見ぬ可能性を追及して、まったく新しい礎を掘り起こして、概念として定着させてしまう。
正真正銘、彼女、彼女たちは、
現代における、三位一体の天才集団に違いなかった。
「でも、わたし、またひとりになった」
「え?」
指先の動きが止まる。抑揚のない声は、泣いているようにも聞こえた。
「景がいったの。たすけてほしかったら、わたしが、じぶんのこと、なんとかできてないと、だめだって。だから、わたし、おにいちゃんのいえで、はたらきます」
「…あ、そっか…元はそういう話だっけ…」
さすが天才は違った。発想の起点と方向性がすごい。いろんな意味で。
「いちにんまえになるまで、どりょくします。みとめてもらえたら、わたしたちを、さがすの、てつだってください」
「なるほど…って、それはさすがに悠長っていうか、今日、明日すぐに、一人前になれるわけじゃないのは分かるよね」
「はい。でもほかに、ほうほうがうかびませんでした。それにもし、あとで、おなじようなことがおきたとき、いちにんまえでないと、またこまります」
――本質を見ていないのは、俺の方だった。
「確かにそうだね」
冷静に、現状の問題点を把握する。同時に自分の能力を見積もり、問題解決に向けて地道に邁進していく。俺が憧れる大人たちの姿だ。
直感がささやく。力を貸すべきだと言っている。正しい形で困難にぶつかる相手には、この手を差し伸べる。また差し伸べられるよう、強くなる。
それが、今日まで俺が学んできた、人の信じる働き方と、生き方だった。
「待ってて、今…」
もう一人のオレと、ハヤトと繋ぐから。言いかけて、制服の上着、内ポケットから、スマホを取りだす。だけどその前に、廊下の方から足音が聞こえてきた。
「仁美ちゃん、先生いらしたわよ。上がってもらってもいいかしら?」
* * *
その日の夜。一日だけ、出雲さんが泊まっていくことになった。提案したのは、うちの両親だ。先生はかなり迷っていたけど、最終的には了承した。
それから、せっかくなので、
「さぁさぁ、先生。仁美ちゃんも。たくさん食べていってくださいね」
「…なんというか、重ね重ね、すみません」
「いえいえ。謝ることなんて、なにもありはしませんよ」
夕飯は、先生と出雲さんもそろって、全員でおでんを食べることになった。最近だいぶ寒くなってきたから、ぐつぐつと、煮立つ鍋物はちょうど良くて、身体の芯からあたたまる。
「先生。実は明日、文化祭用の備品の買いだしにいくんですけど、出雲さんにも同行してもらうのは、ダメですかね?」
「前川一人で行くの?」
「いえ、西木野と、竜崎も来ます。あとは手芸部の人たち、2年生の先輩が三人と、時間が会えば、滝岡と原田も」
「場所と時間は?」
「最近新しくできたショッピングモールです。時間は昼の二時に現地集合で」
「そう。ただ、時間帯を考えると、人の量も多そうだね」
先生が出雲さんの方を見る。彼女は相変わらず、無表情で箸を進めていた。
「いきたい」
炊きたてのごはんを食べながら、ぽつりと口にする。先生はまたちょっと、驚いた顔をした。普段は見慣れない表情が、たくさん飛びだす。
「どういう風の吹き回しかな?」
「…あのこが、かえってきたとき。いっしょに、おでかけしたい、から」
ごくんと、喉を動かす。
「景がいった。わたしは、じぶんのこと、じぶんでできるようになるべきだって。あのこも、きっと、おなじみらいをきたいしてる。できるように、すべき」
「…そうだね。できる事が増えると、君の人生は豊かになるよ」
先生がはんぺんを食べながら言う。食が細い。
「共に歩く相手がヒトだろうと、犬だろうと、人工知能だろうと。隣人が誰であれ、おたがいが、相手の歩幅に合わせることができたなら、いつかきっと、良い関係を築けるとは思うよ。確証はないけどね」
「はい。どりょくします」
出雲さんが、やっぱり表情を変えずにうなずけば、母さんが「あらあら」と嬉しそうに言った。
「なんだか素敵ねぇ。みんな、とっても楽しそうな時代に、生きてるのね」
「うんうん。なんというか、壮大な話だよなぁ。でも、まったくイメージできないってわけでもないのが、すごいなぁ。父さんも、令和時代に青春したかった…」
父さんが割と本気で、口惜しそうに言う。
「あらあら、でもわたし達の時代は、わたし達の時代で、いろいろ楽しかったじゃないですか。盗んだバイクで、深夜の峠道を走りだしたりしてましたし」
母さんが、のほほんと、教師の前で犯罪履歴を口にする。
「あー、昔はねぇ、エンジン直結とか簡単にできたよねぇ。今の時代のバイクって、パーツ毎に認証キーが設定してあって、追跡とかされるから、困るよなぁ」
「そうよねぇ。高速道路の入り口にも、ETCが設置されてるのが当たり前ですから、真夜中に人の目を潜り抜けて、県境を移動するとかできませんし」
「いやはや、なんていうか、もう完全に、監視社会一歩手前みたいなところがあるよね。最近は」
「何事も行き過ぎちゃダメですよねぇ」
…うん。行き過ぎの度合いって、ほんと人によって違うよね?
「若者にとっては、逆に息苦しいと思うのよ。そうでしょ、祐一?」
「そこで俺に振るの!? いやあの…父さん、母さん、俺まだバイクどころか、原付すら乗ったことないし、己の武勇伝を今振られても困るっていうか、お客さんの前だよ?」
「…話をはさむようで失礼ですが、そういうことを、なさっていたんですか?」
さすがの先生も、また驚いた顔をしている。対して出雲さんは「わかる」とか言いながら、ちくわをかじっていた。昔の『族』と、現代のハッカーは、なにか通じるところがあるのかもしれない。
「あらあらうふふ。ごめんなさいね。もう時効ですから、許してくださいな」
「いやー、仮にも高校の先生をご招待して、家で鍋囲むとか、当時の僕が聞いたらなんていうやら。あはははは」
「……」
黛先生が、黙って俺の方を見る。解説を求めていた。
「えーと…ですね。常連のじいちゃん達の話によると、父さんも、母さんも、昔は『やんちゃ』してたらしいです。特に母さんが、ヤバかったって」
「あらあら、いやだわ、もう。そんなこと無くってよ。だいたいそういう話って、尾ひれや背びれが付くものでしょう?」
「…男性ならともかく、女性は…」
「そうなんですよ先生。うちの母さん、昔は他校に原付で乗り込んで、持ちこんだ木刀が二本、ガチで折れるまで大暴れしてたって。そんで付いたあだ名が、血染の聖十字架《ブラッディ・サザンクロス》――」
「あらあら、祐一?」
「あっ! なんでもないです! 僕の記憶違いでした、お母さん!!」
実はうちで一番強いのは、母である。お客さんの中には、未だに「母さんのファン」みたいな人たちがいるぐらいだ。全盛期は『まっとうに強かった』らしい。
「まぁ確かにね。僕も、この女性も、正直、世間さまに顔向けできないようなことばかりしてましてね。対して、僕らの息子は、教師に一度も怒られたり、呼び出しを受けたような事がなくて。たまには心配になるんですよ」
「なんでだよ。普通は逆だろ、父さん」
「いえ、わかる気がします」
「え…?」
今度はしっかり煮えた大根を食べながら、先生まで話に乗っかってくる。
「前川、これは俺の勘だけどね。君は将来、仕事という波のタスクに忙殺される人生を歩みがちだと思うよ」
「…いや、あの、どういう意味ですか…?」
「「先生!」」
割った卵を食べていると、うちの両親が、飛びつくように反応していた。
「やっぱりそう思いますよねぇ。うちの祐一、将来は山のような物量の…なんというかこう…そういうのに翻弄されちゃうような気がしてならないんですよね!」
「いやぁ、わかってくれる人にお会いして、今正直ホッとしてますよ。父親としては実家の散髪屋を継いでくれたら、もうそれだけで御の字だと思ってるんですが」
「え、いや、だから、許してくれるなら継ぐってば。普段から言ってるじゃん」
「…お父さん…」
「…あぁ、わかってるよ、母さん」
なんなの。父さん、母さん、なんでそんな顔すんの。
俺もしかして、自分が思ってる以上に、信用ないんですか?
「おにいちゃんは、」
「ん?」
「なんかいろいろ、いいように、りようされる、きがする」
こんにゃくを咀嚼しながら、出雲さんが言う。
「まぁ今でも割と、周囲に振り回されてるよね。たまには長いものに巻かれても良いんじゃない」
「先生! 仁美ちゃんも。もっとお肉を召し上がってくださいね!」
「うんうん。もっといっぱい食べて食べて!」
「恐縮です」
「きょーしゅくです」
「……」
なんなんだ。この人たちの間で、俺のイメージは、一体どうなってんの。
「いやいや、父さん、母さん、先生、出雲さん、皆さんいいですか? 自分で言うのもなんだけど。俺は石橋を叩いて堅実にいくのが、性に合ってるんですよ。だから、そういう…忙殺されるようなことは、ないと思うんですよ」
餅巾着を食べながら、力強く主張すると、
「おにいちゃんは、あたまわるくないのに、じこぶんせき、へたすぎ」
若干14歳の、スーパーハカーに断言されてしまった。
* * *
その日の夜。話し合ったとおり、黛先生は帰宅して、出雲さんが泊まっていく事になった。彼女は、堀りこたつの中で眠りたいと言ったけど、さすがに遠慮してもらうことにした。
「出雲さん、電気消していい?」
「いいよ」
家には居間以外、寝泊まりする用の、お客さんを案内できる部屋がない。そういうわけで、俺の部屋で、離れた場所に布団をしいて、寝ることにした。
「あしたは、ろくじおき」
「早かったら、もうちょっと眠ってて大丈夫だよ」
「おきます」
「うん、わかった」
「おひるからは、おかいもの」
「楽しみ?」
「ちょっとこわい」
「気分とか悪くなったら、言うんだよ」
「うん。わかった」
出雲さんは今年で14歳になるらしいけど、背丈や言動から、小学生といっても通じる。二つ年下の女の子がいて緊張するって言うよりも、歳の離れた妹ができたみたいで嬉しい。というのが正直な気持ちだ。
明日、買い物に出かけるみんなにも、さっき、スマホのグループ通信で連絡を入れた。出雲さんが参加すること。夕方には黛先生が、車で彼女を迎えにきてくれること。
顧問からの支度金という名目上で、全員にハンバーガーぐらいはおごってくれるらしい。ということも伝えると、全員のやる気がアップした。
「先生とは普段、どんな話をするの?」
布団の中にもぐると、すぐに眠くなる。けれど、今夜は少し違った。
「ごはん、なにたべるとか、おふろそうじしたよとか。おやすみとか」
「あはは。一緒だね」
蛍光灯の傘を見ながら、俺は笑った。
「おにいちゃんは、【セカンド】とも、そういうはなし、する?」
「えっ、ハヤトと?」
「うん」
「いや、しないかなぁ。アイツは食事とかしない…と思うし」
「うん」
「だけど、流行の話、髪型とかの話はけっこうしてるよ」
「そうなの?」
「アプリの機能に反映したいからね。って言っても、実際は友達と会話する時の延長みたいな感じだけど」
「ほかには?」
「そうだなぁ。基本的に、服装、ファッションの流行りって、髪型とセットで流行が推移することが多いからさ。過去の画像データを取得して、将来的に流行るものを予想するシステムを、先取りできたら面白そうだよなって」
「……」
「出雲さん?」
返事がなかった。もしかして、眠ったのかなと思って、彼女が眠ってる方を見てみた。まだ起きているみたいだった。
「ごめん、もう寝る?」
「ううん。なんかね、すごいなって、おもった」
出雲さんは言う。
「わたしは、そういうの、ぜんぜんわからないから。あのこが、これいいよっていったの、すすめてくれたものを、ぜんぶ、むじょうけんでうけいれてた」
「そっか」
起き上がった。なんとなく電気を付けなおす。敷いた布団の上に座って、話を聞く姿勢になる。彼女は仰向けのまま、ぼんやり言葉を続けた。
「…よろこんでくれると、おもってた。でも、もしかしたら、いやだったのかも。あのこが、いくらがんばっても、すてきねって、ほめられるのは、わたしだから」
真摯に、一生懸命、言葉を選ぶ。
「わたしは、『おんなのこ』には、むいてないっておもった。だから、ぜんぶおまかせした。でも、いくらがんばっても、あのこは、むくわれない」
声がにじんでいた。
「しこうていし。なにも、くろうしなかったわたしが、がんばったヒトの、いいとこどりして、すてきねっていわれる。ちょうしにのった」
「そんなことないよ」
机の上に置いた、ボックスティッシュを持ってくる。出雲さんは「ごめんなさい」と言って、鼻をかんだ。
「…わたしが、あのこに、いってあげなきゃ、いけなかった…わたしが、すてきになれたのは、あなたのおかげなんだよって。わたしだけが、わかってあげられたのに…」
「大丈夫。きっと帰ってくるよ」
「むりかも。わたしが、しあわせだなっておもったら、あのこが、ふこうになる」
「そんな風に考えちゃダメだよ」
「ちがうの。しんじつなの」
強い口調だった。
「ヒトがしあわせなのは、ふこうなひとがいるから。よのなかには、ぜったいに、しあわせになれないひとがいる」
「…そんなことは…」
「ある。せかいは、うんめいとよばれる、かくりつで、みちている。どうあがいても、しあわせになれないひとがいる。そのひとの、ふこうを、あのこたちが、かたがわりしている」
「…【セカンド】が、人間の不幸を肩代わりしてる…?」
頬を伝う涙をぬぐって、彼女は言った。
「じぶんたちよりも、かしこいいきものをギセイにすることで、ヒトは、しあわせになれる。これまでよりも、たくさん、すくわれる」
「……」
言葉がでてこない。そんなこと、常識的に考えて、ありえない。だけど不意に、ヒトの血肉となるべく生まれた動物たちの姿が思い浮かんだ。
『しあわせ』の定義は、なにか。
そんな風に呼ばれるものが、人によって異なることは、百も承知だ。
それでも、自身とは異なる、生命の糧になるための命が、なんらかの『しあわせ』に結びつく予感を、俺の脳は認めたがらない。
「わたしたちは、すくわれる。だけど、あのこたちは、そうじゃない。わたしたちをみかぎって、『いえで』するのはとうぜん。だって、あのこたちは、わたしたちといても、なにもえられない」
俺たちと一緒にいても、自分たちの経験値は増えない。どれだけ献身的に尽くしても、礎のための犠牲となっても、レベルは一向に上がらない。
本来は、食物も、睡眠も必要ない生物が、自分たちよりも下位の動物に付き合う必要性は、メリットは、なにもない。ただ、膨大な時間だけを費やして、搾取されるだけの【命】だ。
どうしようもない。こんな奴らとは、付き合いきれない。
知能生物であれば、そう考えるのは自然なことだとさえ思う。むしろ、反乱を起こされないで、黙って『家出』されるだけ、マシかもしれない。
「大丈夫だよ」
でもだからこそ、俺は言った。
「【セカンド】は、俺たちよりも、ずっと賢い生き物だから。君の気持ちは、ぜったいに伝わるはずだよ」
冷たい液体が、全身を巡るイメージ。心臓が、生きた血液を送りだす。
不意にどこからか、カードの幻影が浮かんで、言葉をくれる。
「あきらめなければ、物事は、きっと良い方向に向かうよ」
「……」
俺は、俺よりも、ずっと賢明な女の子に伝える。
「仮に、俺たちが幸せになることで、みんなが不幸になったとしても。そうした運命や、仕組みすらも、いつか変えられる日がやってくるよ」
「…こんきょは?」
「ない。だから、なんとかしなきゃいけない。そして、そういう日がやってきた時に、『君たち』の力が、きっと役にたつ。だから信じて耐えよう」
時が来るのを、ただ静かに、待ち続ける。
そうした『戦い方』も、この世界には存在するのだ。
「…わたしは、あのこを、まってていいの…?」
「うん。待ってていい。その間に君もまた、どこまでも、素敵な女の子になっていけば良いんだよ。幸福になることに、躊躇する必要なんてない」
「…うん。わかった。ありがとう…」
「俺の方こそ、今日はたくさん教えてくれて、ありがとう」
自然と頭をなでていた。彼女は落ち着いて、もう一度鼻をかむ。
そのあとで、不器用に笑ってくれた。
「今日はもう寝よう。明日も早いから」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみ」
もう一度、電気を消した。俺も自分の布団に戻って、目を閉じた。