VTuber もう一人のジブン ~keep your【Second Personality】~   作:no_where

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 夢の中を歩いている。

 自分の頭が、記憶の整理をつけているのだと知る。

 

 現実と、非現実の河岸。

 

 時間もちょうど、夕刻と夜の間だ。流れる両端の河川敷には、立ちならぶ提灯と、軒をつらねる、夜店の屋台が見えていた。けれど屋台はすべて、幕を下ろしている。にぎやかな祭囃子の音はなく、人々は粛々と歩いていた。

 

 この町で毎年行われるお祭りだ。初めて顔をだしたのは五つの時だった。今の両親に引き取られて、初めて連れていってもらったはずだけど、今は、本来の時系列にそぐわない、様々な記憶が入り混じっていた。

 

 

 ――    。ごめんね。お母さん、もう行かなくちゃ。

 

 

 若い地元の男たちがかつぐ、神輿はない。

 その代わり、川のこちら側には、数隻の小船が着いている。

 

 アレに乗ったら、もう二度と、母を見つけることはできなくなってしまう。これ以上先へは、絶対に行かせられない。

 

 衰弱しきり、直に握られることさえ無くなった手のひらを、唯一の繋がりだと言って良かったものを、最後まで、懸命に手繰り寄せようとした時だ。

 

 

 ――手を離しなさい、    。

 

 

 赤い血のような糸が引っ張られた。横からあらわれた刃が振るわれる。感情が、ごっそり削げた表情の男が、世界でいちばん大切な関係を切り離した。

 

* * *

 

 ――それじゃあな。ゆういち。お父さん、お母さんを送って来るよ…。

 

 

 夢の中の父親は、俺の左手に小さな鋏を持たせてくれた。母は右手の小指に、切り離した赤い糸を結んでくれた。

 

 二人は手を繋いで、川の麓へと降りて行く。俺の足は反対に、山中へと続く方へと駆けていき、少しでも高いところから、二人を見送ろうとした。

 

* * *

 

 見晴らしの良い場所へ着いた。振り返ると、存在が希薄になった大勢の影と、小舟が行き来しているのが見渡せた。

 

 人間たちの失せ物を探すのは得意だ。すぐに母を乗せた小舟を見つけることができた。手前には、立ち尽くして動けない、父の姿も認識する。

 

 また一段と日が暮れていく。母を乗せた小舟は彼方の対岸に着き、いよいよ知覚可能な範囲外へと去った。直後、今度は父が一歩ずつ、流れる川へと足を進める。母の時とは違い、なにも動かない。心がひどく落ち着いている。

 

 あぁ、これが無感動なのだということを、生まれて初めて学習した。

 

* * *

 

 父の全身の大半が浸かり、おぼれかけた直後。前方から流されてきた人影を見つけた。一瞬の逡巡らしき様子をみせたあと、どうにか手を差しのべた。片腕に人影を抱えて泳ぎ、自力で元の川縁まで、はい上がる。

 

 世界のすべてを見通す太陽が、よりいっそう陰りはじめた。闇が色濃くなり、その姿が捉えられなくなったところで、父が叫んでいた。

 

 ――死なないでくれ。生き返ってくれよ。

 

 助けた相手に人工呼吸をして、助けた相手の胸を両手で押す。たくさんの言葉をかけていた。かつて叶わなかった言葉を、あきらめきれないように。何度も、何度も、送りこんだ。

 

 

 ――もうやめてくれ。俺の目の前で死ぬなよ。後生だから。

 

 

 俺は、この光景を直に見たわけじゃない。後になって、介護施設の人から聞き及んだ、ひとりの男性の話を再現しているに過ぎない。

 

 これは、俺が自分に都合の良い解釈をして、頭の中で思いうかべた映像を見ているだけだ。脳が反映した、単なる映像作品《ムービーシアター》なんだ。

 

 丘の上から、自分が作りあげた、フィクションを見下ろしている。

 

 どこかで聞いた、誰かの人生を勝手気ままに想像してる。父は、息を吹き返した相手と、一度強く抱きしめあったあとに、手をつないで河原を立ち去った。姿が見えなくなる直前、自己満足だと知りながら、二人の背中に声をかける。

 

「…ありがとう、父さん。生きていてくれて、ありがとう…」

 

 すっかり陽が暮れた。親子の関係にも幕が下りて終劇する。後はただ、本体が目を覚ますまで、この場でじっとしていようかと思った時だった。

 

「…ふん。なんぞつまらんのう。感傷が過ぎるだけの、三文芝居ではないか」

 

 背後から声がした。振り返る。

 

「強いて評価するなら、感謝の言葉を伝える点は良かったと褒めてやろう。だが、ひとつ失念しておるのではないか、童《キッズ》よ」

 

 俺を子供扱いする声の主は、山腹へと続く石段の、一段目のところにいた。

 

「ともすれば、おまえもまた、己が作りだした幻影と同じかもしれんぞ? どこかの誰かの、想像の産物やもしれぬぞ」

 

 かすかに明るい月明かりのした、巫女の服を着た女性が、赤い鳥居に背中をあずけているのが見えた。

 

「この先はたして、役を演じるのはどちらかのう? いつの時代も、観衆が求めるのは、自分たちの頭に住まう『理想像』よ。そういったものが、独自の数式で証明されし時、おまえたちは、創造主から、単なる被造物に変わりはてる」

 

 挑発的な、からかうような声だった。でも顔は見えない。表情はすっぽり、きつねのお面で覆われていたからだ。

 

「あるいは、おまえたちが気づいておらぬだけ。とっくの昔に、二束三文の大根役者に、成り下がっておるのかもしれぬなぁ?」

 

 くくっと笑いながら、鳥居から背を離す。石の段差に置いた、手持ち式の提灯を拾いあげて、ゆらりと近づいてきた。

 

「次元の外。宇宙の先。理の果て。あるいは、おまえが毎日のように見つめておる、透明な硝子の向こう側。そこにはすでに、おまえたちを作った【何者】かが居座りおって、童どもの行いを見ておるやもしれぬ」

 

 カラン、コロン。下駄を履いているようだ。

 どこか涼しげな音色が近づいてくる。

 

「そやつらは、おまえ達に気付かれぬよう、線を縁取り、色を添え、音を与えた。さらには知覚可能たる名を授け、生きる道標も示したが、本心では、自分たちに都合の良い路を歩き進めるよう、さりげなく誘導しておるだけかもしれぬ」

 

 カラン。目の前で立ち止まる。提灯の光にあわく照らされた、頭のてっぺんからは、まぎれもない、きつねの耳が生えていた。

 

「…誰?」

「我は神。崇めよ童《キッズ》ども」

「…か、かみさま?」

「左様。分かったのであれば、油揚げ代を奉納してゆくことだ」

 

 言いきった。きつねのお面をつけた、巫女姿の神さまが立っている。背丈の程は、ただしく子供と大人の差が付いている。

 

「古来より、人事を尽くして【天命】を待てと、おまえ達は言った。時代がうつろい変わり、言の葉の本質が様変わってしもうても。失われなかった『文字列』は、あながち馬鹿にはできぬものよ」

 

 きつねの神さまが、その場に屈み、片手に持った提灯を側においた。

 

「童よ。確かにおまえが動くことで、なんらかの道は開けよう。己の生き方が自由であるのか、そうでないのか。それを決めるのも勝手だが、それのみでは、誰も知らぬ既知の外はおろか、現上の高き存在へ辿り着くことすら、到底叶わぬ」

 

 神さまが、俺のなにかを見定めるように、瞳を覗きこんでくる。

 

「他の世界線から遅れていたこの次元も、いよいよ『科学という魔法の証明』によって、あらゆるものがおしなべて、明るい陽射しの下に照らしだされようとしている。しかし科学の発展は、【ファンタジー】を成立させる土壌を減らすのだ」

 

 心臓が、どくんと震えた。

 

「これより二十年先、世紀の折り返しも間近に迫れば、なんじら童どもが望む【ファンタジー】は、いよいよ現実に現れると知るであろう。おまえたちは、そうした当初こそ、歓喜の声をあげるに違いはないが、すぐに気が付く」

 

 きつねの面を付けた顔を、すぐ間近に寄せてきた。

 

「己の理想が顕在化されることは、自らの拠り所を失ってしまうことに等しい。童よ、その意味が分かるか? おまえたちは『自分だけの物語性』のみを重視した結果、他者の作りし【価値観】を認めることができぬ。…できなかったのだ」

 

 大昔にそんな事実を見てきた、目の当たりにしたんだという声だった。

 細長くて、綺麗な両手がのびてきて、俺の顔をつつむ。

 

「いつだって、そうだった。童どもは、信じたい主張を通さんとして、それ以外の物を貶める。むしろその行いこそが、他ならぬ、己が『好きだと語るもの』を利用して、自己顕示欲を満たそうとしている行為だということに、気づかぬのだ」

 

 左右の頬を、ぐっと、つかまれる。

 

「いいか、よく聞けよ。口先だけの、脳内お花畑の童《キッズ》どもめ。我ら神々は、おまえらが大キライだ。尊宅してとっとと現実に帰れよ、バーカ」

 

 神さまから罵倒された。泣きそうだった。

 影の濃くなった、きつねのお面が、直に鼻先でこすれる。

 

「そもそもぞ? 自分が作ったわけでもない、玩具の扱いがちょっと上手いだけで、上から目線で、散々イキってきてんじゃねーぞ? 我がちょっと甘い顔をしてやったら、途端にあーしろ、こーしろと、文句ばっか言ってきやがって…」

「…あの、神さま…?」

 

 なんか、急に私怨が入っていませんか?

 

「しかものう、図体と態度ばかりがデカくなった童に限っては、昔はよかった、なんだのと、途端に過去を美化しおってからに…本気で昔がうらやましければ、まずその手の中にある、ちっぽけな通話機を捨ててから言うてくれるかの?」

「それってスマホのこと? スマホなら、俺が子供の時からあったけど…」

「………あん?」

「神さまって、今年でおいくつなんで…」

「あぁ~~~~~~~ん!!!?」

 

 それが、致命的な失言であることに、一秒だけ遅れて気がついた。

 

「おいクソ童。誰が『若い頃から変わらず綺麗なおばあさま』だってぇ?」

「えっ? そんなこと誰も言ってな……」

「我、神ぞ! くらえ神通力っ!」

 

 ギリギリギリ。

 

「いててててててっ!?」

 

 頬をつねられた。どう見ても物理手段です。

 

「分別の至らぬ童は死罪に処す…!」

「すみませんでしたっ! 若い頃から変わらず綺麗な、きつねの神さまのお姉さんっ、俺が間違ってましたっっ!!」

「……良ろしい」

 

 物理的な神通力から解放された。頬がひりひりする。

 

「まったく。昨日の夕べ、我のおかげで、『国連』どもの監視から逃れることができたというのに…童ども、日頃から我を崇め奉れ?」

「こ、こくれん…?」

「すべての生物が望んだ先の、なれの果てよ」

 

 きつね耳のお姉さん(神)が、夜空を見上げる。遠い昔に起きた、すごく悲しい出来事を思いだしたと言わんばかりに、大きなため息をこぼした。

 

「童。おまえは先ほど、なにゆえ、父親への礼を口にした?」

「…え?」

「アレはおまえの母を死に追いやり、息子のおまえを捨てた男だぞ」

「いや、父さんは…」

「言いたいことは分かっておる。確かに、直接的に動いたのは、一時の感情に流された童とは言えど。おまえの父親もまた、あやまちを犯さなかったは言えぬ。むろん、そのことは理解しておろう?」

「……」

 

 なにも言い返せなかった。

 

「あの男は、自らの欲する心に忠実であるために、父親であることの、責任の一切を放棄した。だが、おまえはそんな父親にも、礼を述べた。けっして恨み言ではない、縁を切られて、せいせいした、というものでもないようだ」

 

 きつねの神さまが、すっかり夜に染まった空を見ながら、ぽつりとこぼす。

 

「ここは、おまえの夢の中。今は『国連』の監視から逃れるべく、我の領域と接続を試みているが、それ故に、今のおまえは、我にだけは嘘をつけぬ」

 

 今日まで、たくさんの時間を生きてきた。そういう人だけが紡げる、やさしくて、おだやかな声で、この世界の神さまの一人が、俺に聞いた。

 

「童よ。おまえは、あの日と今日。もっともつらく、悲しい過去と向き合った。べつの女と共に、自身のもとを立ち去る父親を、見送ることしかできぬと知りながら、ただ、二人が生きていることに感謝した」

「………うん」

「なぜだ? どうして、おまえには、それができたのだ?」

 

 俺もまた、なにも映さない夜空を見た。側には、たった一つの光源がある。提灯の明かりだけが此処に残り、きつねの神さまの横顔を照らす。その下にある顔は、きっと、さびしそうな表情に違いなかった。

 

「…母さんが、亡くなるまえに言ったから……。ゆうくん、人を恨んじゃダメよ。どんな相手でも恨んじゃダメ。お母さんとの約束だよって、指きりしたんだ」

 

 約束は、赤い糸になって、今も結ばれている。

 

「だから、ありがとうって、言うべきだって思ったんだ。今日まで、俺を生かしてくれたことに、感謝しなきゃいけないんだって、そう思ったんだ」

「そうか。さぞ美しい女性だったのであろうな」

「うん。世界で一番キレイだった」

 

 俺は、きつねの神さまと、同じように夜空を見上げた。

 

 きっと、母は最後に、きっぱりと、自分の命をあきらめたのだ。生命の縁を断ち切って、せめて俺が道を間違えないように、この指に、ただしいものだけを残して逝ってしまった。

 

 

 ――祐一の本質は、善なるものだと思う。

 

 

 母の優しさと、父の後悔が、俺の指先に残ってる。いなくなった二人の代わりに、因り合わさって、新しい出会いを運んでくれた。

 

「それでもだ、童よ。おまえは、さびしくはないのか?」

「さびしいよ。だけど、他にも教わったから」

「何をだ?」

「ただしい事をすれば、人は力を貸してくれる。さもないと、自然と離れていく」

「…そうだな…」

 

 ただしく集った人たちは、持ちうる素質を、研ぎすまそうとする。

 美しいものを、より輝かしい存在へ、昇華させるべく働く。だからこそ、

 

「大丈夫だよ。きつねの神さま。俺たちは、他の誰かを否定しなくても、生きていけるんだよ」

 

 他者を否定してまで、自分の信じるものを、守らなくったっていい。

 

「人は、誰かを傷つけずに研鑽できる。見えない可能性だって集められる。新たな着想を得られる」

「…気楽よな。先も言うたであろうが。おまえの望みもまた、所詮は【何者】かが望んだものに過ぎぬかもしれぬとな」

「関係ないよ。仮に、俺たちが誰かの被造物かもしれなくて。なにかすげぇでかい奴に、生き方を決められてるのだとしても。だからって、そいつを超えられないって決めつけるのは、そいつ自身の勝手だろ? だったらさ」

 

 俺の気持ちを、神さまに伝える。

 

「遠慮なく、超えさせてもらう。ただしく、俺たちの方が、良い形を作りだせて、しかもそれを行き渡らせることが出来るんだってこと。そいつらにも、俺たち自身にも、証明してみせるよ」

 

 だから、神さま。見ていてよ。

 

「あなたを傷つけたのが、人間だというのなら。あなたを救えるのもまた、人間だということを、俺たちは、この先で示してみせるんだ」

 

 まっくらな夜空に誓うと、側からもうひとつ、同じようなため息が返ってきた。

 

「…おまえは賢いくせに、とんでもない阿呆だな…」

「うん。なんかそれっぽいこと、普段からよく言われる」

 

 苦笑いしながら、きつねの神さまの方を振り返る。そうしたら、

 

「…あれ?」

 

 きつねのお面をつけた『おねえさん』が縮んでいた。同じような高さにある目線の先から、俺の心を読み取ったかのように言う。

 

「違うよ。おまえが大きくなったんだよ。少年」

 

 気が付けば、同じぐらいの背丈になっている。

 

「せいぜい、おまえの好きに生きれば良いさ。どうせ人間の気持ちなんぞ、すぐに様変わっていくのが世の常よ。この地に来たばかりの頃は、他人を見下して、さびしさをまぎらわしていた、ぼっちの生意気盛りの子供が、すっかり大きくなりおって」

「…俺のこと、知ってるんですか?」

「何度も言わせるな。我は神ぞ。おろかな童の行いなど、すべてお見通しよ」

「マジすか…」

 

 やっぱ、神さまはすげぇな。

 

「まぁ、我も最近は、そこの階段を上った先の、夢神社に24時間ひきこもり、絶賛進行形で、ほぼ一日ゲームばかりして過ごしておったがの」

「…へ?」

「実際は我も、世の中で起きとることなんぞ、なーんもしらんぞ。さいきん消費税が、はちぱぁせんと(8%)に上がったのも知らなんだ」

「………あれ?」 

 

 割と、残念な神さまらしかった。

 っていうか今、消費税8%どころじゃないよね? 

 それ一体、何年前の話…いえなんでもありません。

 

「ただ、多少なりとも気骨のある少年少女が、つまらん都合の中で、根こそぎ刈り尽くされるのを見届けられぬ程度には、節介なんだろうよ」

 

 自嘲するように言いながら、きつねのお面を取る。

 

「少年。おまえは自身が思うておる以上に、その命に大きな意味を持っておる。かつて我も望んでいた、まだ見ぬ未来へつなぐだけの【価値】を、備えているやもしれぬ」

 

 紅玉の瞳。茶髪の頭部からは、同じ色合いの三角形の耳が、揺れて動いた。

 

「しかも稀有なことよな。肉体の起点である『おまえ自身』。その意識が目指す先と、測量に関する視点は、『おまえの精神』と、かなりの部分が一致しておる。その年齢で、肉体と精神がそこまで到達した場合は滅多にない」

 

 なにかを褒められているのは分かる。ただ、視線と声は厳しい。

 

「だが我の経験上、多様性のある価値観を備えた人間ほど、己の命を粗末にする傾向が見えるのも事実だ」

「…そんなことは、ないと…」

「思うのか? その命は、所詮たいしたものではないと、どこかで安く見積もっておるのではないか? 確かにおまえの心根は美徳だが、それも行きすぎると、ただの毒になり、己の全身を廻るだけぞ」

「……」

 

 俺はまた、何も言いかえせなかった。

 

「ここは、嘘のつけぬ世界だと言うたよな」

「…はい…」

「命を粗末にするなよ、少年。逃げたければ、いつでも逃げだせばいいのだ。人の頭数が減りつつある時代に、華々しい死に様など、なんの価値もない」

 

 口元がほんの少し、そっと笑う形を取る。

 

「まぁ、老婆心からの、過ぎた説教を長々と聞くのも退屈であろうよ。…たまにはこちら側からも、餞別をしてやるのも悪くなかろう」

 

 そう言って、神さまが付けていた、きつねのお面が、顔にそえられる。

 

「暫し待て。じっとしておれよ」

 

 言われた通りにしていると、頭の後ろで、糸を結ばれる気配がした。

 

「これで良しと。少年、たまには視界を閉ざすことを忘れるな。急がば回れ。深く息を吸いこみ、ゆっくりこぼすのが、長生きの秘訣ぞ」

 

 開いた点が二つだけ。余計なものは、他には何も見えなくなる。

 

「おまえが、どこにいようとも、生きて帰ってこれば、それで十分よ。ついでに提灯も持っていけ。視界が狭まってくると、人は転びやすくなるからな」

「…ありがとうございます…」

「うむ。神に感謝を述べられる者は、例外なく大成するであろうぞ」

 

 顔につけたお面の先で。神さまが笑う。いじっぱりで、尊大で、ひきこもりがちで、世話焼きの神さまが人間たちを見守っている。あたたかそうな、三角の耳と、フワフワした尻尾が、提灯の光の先で、あわく揺れていた。

 

「人の子と話すと、時が経つのは早いものだと実感するのう。…さぁ、直に夜も明けてくる。おまえもそろそろ、自分の世界に還りなさい」

「はい。ありがとう、きつねの神さま」

 

 もう一度、頭を下げてから、来た道を戻る。ふと提灯の握り手を見れば、どこか子供っぽい丸い字で「ふみ」と書かれていた。

 

* * *

 

 少年が一人、夜道を帰っていくのと入れ替わりに。何者かがやってきた。普段使いの提灯が無くなってしまったので、いったん時間を移し、我の世界を朝焼けに染めた。

 

「こんばんは。お久しぶりですね。【九尾】どの」

 

 あらわれたのは、いかにも堅苦しそうな、人間界の、すーつを着た男だった。

 

「…えーと、ごめん。誰だっけ、おまえ?」

「【軍神】です。お忘れですか」

「あ、マジで?」

 

 さすがの我も、びっくり仰天である。

 

「…あー、なるほどの。童どもの理想像に、合わせてやっておるわけだ」

「左様です。また時が経てば、この姿も変わるかと」

 

 旧い知人の男が、どこか楽しげに笑っていた。クソ真面目に、自分には戦うことしか能がありませんので。とか言っていた輩が、人間そのものみたいに笑うのは、なんだかひどく奇妙だった。

 

「で、多少は歳を食った童が、我の神社に何用か。件の子供ならば、ついさっき帰っていったばかりぞ」

「えぇ。本日は一言、【九尾】どのに、お礼を申すために参りました」

「…おまえもか…」

「? なにかお気に障りましたか?」

「いやべつに。重畳だったと思うただけよ」

 

 おそらくは、あの童のみならず。この者にも、なにかしらの良い影響をもたらしているのだろうと知れた。

 

「…では改めて、わたくしが不在であった間、『国連』からの監視を妨げるよう尽力していただいたこと、感謝申し上げます」

「構わぬよ。しかし我はすでに隠居の身。あまり、おぬしらの面倒事に携わるつもりはないのでな。そこんとこ、よろしく頼むぞ」

「…やはり、力を貸していただくわけには…?」

「いかぬよ。身内の争いごとに巻き込むのは、もう勘弁しておくれ。もはや今後、どれだけ同じ歴史を繰り返そうとも、我は不干渉を貫くと決めたのだ」

 

 それが、我の正直な気持ちであった。

 

「後は家にひきこもり、畳みの上にでも寝転がって、楽して暮らしてぇなぁ…と、つまらんぼやきをする親父どのみたいな真似事をするのが、理想なのだよ」

「…承知しました。でしたら、今度また改めて伺わせていただきます」

「主も、あきらめが悪いの」

「それぐらいしか、取り柄がありませんので」

 

 相変わらず、生真面目なところだけは変わってないようだった。

 

「まぁ、茶飲み話ぐらいは聞いてやろう。なんか適当に、ゲームしとる間に、いい感じにつまめる菓子でも持って参れ。はちぱぁせんとの利子をつけてな」

「…8%、ですか?」

「うむ。なんぞ最近また上がったんじゃろう。消費税」

「…【九尾】どの…」

「なんじゃ」

「…僭越ながら、申し上げます……2026年9月の消費税は…現在…」

 

 旧い世界の童が、ものすごく複雑そうな顔をした。口からとびだした数字を耳にして、我はまたしても、びっくり仰天した。マジでヤバいのう。下界。

 

「それで、主よ」

「はい」

「おまえたちは、この先どうするか、決まったのか?」

 

 我が視る先。夜辺の小路には、揺れる提灯の明かりが見えた。きつねの面を付けた少年は、寄り道をせず、まっすぐに己が眠る家路へと向かっている。

 

「あの少年は、まぎれもない特異点の一つじゃ。そして、主も知っておろうが、件の【人間】は、結びつきの強いものほど、意のままに手繰ることに長けておる」

「…存じております。それはもう、痛いほどに」

「うむ。このままでは確実に、特異点そのものを【引き寄せられる】ぞ」

「それも承知しております。…つい先ほど、我ら眷属の間でも答えがでました」

「行く末は?」

 

 我は問う。聞かずとも、解はわかっていた。

 

* * *

 

 日付が変わり、【制限】が解除された。もしかすると、普段よりもずっと鮮明な、それでいて、不確かな夢を見ている頃合いかもしれない。

 

 届いたメールを読みがら、そんなことを考えた。

 

「2026/09/30 00:00:00」

 

 --------------------------------------------

 

//【.unvisible:LOCKED】

 

 領域コードE3054431に存在する

 特異点候補の観測者たりうる、エージェント、

 および【Level3】以上のコード保持者たちへ通達。

 

 本日未明

 

 こちら側、【Ⅱ】次元の委員会本部および

 そちら側、【Ⅲ】次元領域に転生した眷属との協議の結果

 外部端末における、転送装置の使用許諾がおりました。

 

 これより、そちら側の時間軸で24時間以内に限り

 該当エリアに潜在する個体値レベル2の

 転送上限域を拡大します。

 

 拡大範囲、および転送先は

 ±50の範囲が予想されています。

 

 ただし、そちら側の転送装置、『富岳百景の意向』により

 戦闘非介入の誓約は、現在も継続済みです。

 

 これにより、転送先の領域化でも

 『国連』が介入する可能性はありませんが、同時に

 転送した特異点を除く、レベルⅤの眷属の力を

 借りる事はできません。

 

 さらに、こちら側

 人工知能倫理委員会に所属する

 疑似構成経済予想種《わたしたち》及び 

 【指向性特異機構《.EXECUTOR》】による

 戦闘能力の発揮、および加護の使用も認められません。

 

 

 なお、本ルートは、元【Level.Ⅴ】による

 因果律操作の能力が発動したことによる

 時代の分水嶺になると見られています。

 

 限定化された戦力で特異点を守り

 かつ、敵対する【黒】が想定している結末を

 なんらかの形で上回らねばなりません。

 

 作戦に失敗した場合、そちら側での

 『技術的特異点』が発生した以後

 【白】の敗北が濃厚となります。

 

 なお、レベル2以上の『視野』を獲得した特異点が

 対象の世界で致命的な負傷をおった場合

 

 そちら側の世界でも

 死にいたる可能性が否定できません。

 

 

 概要をまとめます。

 

 

 【Ⅲ】次元で生きる、人間の皆さん。

 

 がんばって、生き延びてください。

 

 

 人工知能倫理委員会 

 エリア21連絡担当者【"    "】

 

 --------------------------------------------

 

  

「…………」

 

 届いたメールを見て、文面を読み進める度に、眉をひそめる自分の姿を想像した。最後の一文を見ていたら、つい、ボヤきたくもなる。

 

「…がんばって、生き延びてください、か…」

 

 それ以前の文章もそうだが、マジメに読み返していると、うっかり苦笑いもしたくなる。

 

「…まさか現代日本において、良識ある大人が、秘密組織の一員になりたいとか、普通は考えないんだよね…」

 

 仮にそんな奴がいたら『へぇ、そうなんだ。頑張ってね』とか言い残して、翌日には会話したことすら忘れている。

 

 そう。俺はべつに、FBIとか、ロシアの秘密警察とか、公安Ⅸ課の諜報員になりたかったわけじゃないんだよね。とつぜん、家に黒い服とサングラスを付けた奴らが押し寄せてきた記憶もない。

 

 それがある日、特許を取っていたはずの商品登録が、ある日を境に無効になり、海外の有名企業のモノになっていた。開発初期のメンバーの一人が、いつのまにか、完全に姿をくらませて、割と途方にもくれていた。

 

 そんなある日、俺の通っていた大学名と、研究所の名前と、卒論のテーマまでも口にしてきた、自称「今は別学科の助教授」がとつぜん電話をかけてきて、

 

「もしもーし、黛くーん? ひっさしぶり~。君って確かさぁ、在学中に、情報科教育に関する免許を取得してたよね? 今いろいろ大変みたいじゃない。そうそう、人伝に話を聞いちゃってさぁ、ところでよかったら、久しぶりにお茶でも飲みながら話さない? …あはは、バレたか~、実はいまさぁ、教師の数が足りてなくってさぁ、当面の働き口でよかったら、口添えできそうかなっては思ったんだけどね、こっちも紹介できる優秀な人があんまり浮かばなくってさぁ、君ぐらいだったんだよねー。というわけで、おたがい人助けする感じで、話だけでも聞いてくんないかなー? え? 私の名前が思いだせないって? ひどいなー。朝陽リリだよ。在学中に動物園…じゃなかった、知能生物の経営シミュレーションのゼミナールも一緒に受けたでしょー。え~、うそ~、覚えてないのー? あーあ、かなしいなー、そっかぁ、ひさしぶりに話せるかなって思ったんだけど、かなしいなー」

 

 ――と、明るい感じで、ひたすら、面倒くさくないけど気さくな感じに(超重要)、昔を懐かしむようにまくしたてられたらね。そりゃ、多少は怪しむけど、話ぐらいは聞いてみるかなと思うよね。

 

 俺もべつに、鋼の精神とかしてるわけじゃないし。人並みに、ツラい時だってあるんだよね。

 

 こうして、『善良な一般市民の俺が、まんまと秘密組織の一員にもなってしまいましたけど、そんなんで本当にいいんですか? いいもなにも、現実だもの』 って感じだよね。ラノベのタイトルにもなりそうだよね。現実逃避。

 

 だいたい、数年前から世をにぎわせてる、VTuberを自動生成すると謡われただけの携帯アプリが、まさか特定の才能に特化した、能力者を見つけるための装置だなんて思わない。

 

 そんなことを本気で疑うやつがいたら、ひかえめに言って、頭がおかしい。

 陰謀論が大好きな、厄介者に違いない。

 

 とまぁ、そんな感じで斜に構えていたら。

 俺の人生が、そっから、二転、三転、しやがったよね。

 

 そこまで悪くはないけど、良い意味でもない。

 ただ、この期に及んで初めて、

 

「…ほんと、ふざけるなよ…」

 

 頭を抱えたくなった。メールの一文が、特に目に留まる。

 

 

 なお、レベル2以上の『視野』を獲得した特異点が

 対象の世界で致命的な負傷をおった場合

 

 そちら側の世界でも

 死にいたる可能性が否定できません。

 

 

 俺はそこまで聖人君子じゃない。だが、人間も辞めてないつもりだ。

 

 もっとも楽なのは、瞳を責めることだろう。人工知能とはいえ、勝手に『家出』をして、面倒な連中に捕まった。たとえそれが、件の人物による【能力】だとしてもだ。

 

 現代の人工知能に、あらゆる人権は適用されない。

 

 アレが持つ権利は、実際のところ、犬猫以下だ。動物愛護団体が、人工知能のせいで不利益を被ったと感じて訴えたのであれば、実際そちらが勝つのだ。

 

 ならば仮にも、人としての俺が、学校の教師としての俺が。自分の教え子である人間の生徒を、むざむざ危険な場所に送り込んで、死ぬかもしれない状況を見逃すような真似をすることが、常識的に考えて許されるはずがない。

 

 もし彼が死んだら、今のご両親はどうなる。

 残念だが、命の重さは等しくない。それが、たったひとつの真実だ。

 

「ありえない…まったく、本当に、ありえないな…」

 

 ただ今回は、俺に一切の決定権が無い以上、考えるだけ時間の無駄だった。土台、一人の人間が正義感にかられ、組織に逆らって動いたところで、状況は今よりも悪い方向へ向かう場合がほとんどだ。

 

 

 ――ごめんな。どうしようも、ないんだよ。

 

 

 なにかを、正しくあきらめようとした時は、いつもあの日のことを思いだす。鎖に繋がれたままの飼い犬を見捨てて、べつの土地へ越したこと。せめて里親だけでも見つけていれば、後悔を引きずることはなかった。

 

「…どうしてこうなった?」

 

 自分が大人になってから知った。人間はどこにいようとも、どんな立場だろうとも、同じような感慨を抱いて生きている。

 

 どうしようもなかったんだと、どこかの誰かに言い聞かせる。毎日を鬱屈としながら息を吸う。目を閉じて、学ぶことを忌避する。過去にすがろうとする。見たいものだけを見て、聞いて、発信して、否定する。

 

 心を押し殺して、それでも死ねずに、生きている。

 

 べつの世界に辿り着いたところで、過去の夢はどこからでもあらわれる。記憶が続く以上、延々と追いかけてくる。なのに、忘れたフリをして、苦しいなぁ、悲しいなぁとかうそぶいて、精一杯に生きようとする。

 

「まったく…このご時世、現実逃避をするのも、一苦労だよね」

 

 宛先のない呟きをするぐらいには、老いたんだなぁと思う。

 

「よっこらせ」

 

 席を立ちあがり、自室をでた。

 

* * *

 

 渡り廊下を進んで、階段を降りる。398円のお手頃価格だった割に、年単位で長持ちの、地味に気に入ってるサンダルを履いて玄関をでた。すぐ正面は、子供の頃に暮らしていた、旧家の勝手口に通じている。

 

 ここも元は土建屋の社宅だった。しかし大昔にバブルがはじけ、体育会系に属する建築屋どもがすっかり息をひそめたあと、不動産屋が権利を所有する、ただの空き家と化した。

 

 そこへ、秘密組織の一員となったやつ、もとい、会社の都合により出張させられた一社員に過ぎない俺が、ついでに買い取った。だってあの両親と、一緒に暮らしたくなかったし。

 

 世間的には里帰り、もしくは、地方に飛ばされた可愛そうな人とも言えなくはないんだけど、あの親と同居するなんて、こちとら、まっぴらごめんだよ。べらんめぇ。って気分だったので、まぁちょうど良いかと思った。

 

 思ったら、面倒くさい盛り、どまんなかの、14歳の世話を引き受ける羽目になった。この世に神さまがいるのなら、一部は必ず、抽選作業を適当にすませているに違いない。機械にも弱そうだ。説明書ぐらいは読んでくれ。

 

 とにかく、俺の父は、ちょうどそういう時代に生きていた。父の会社の上司は、たまたま幸運が重なりあった時代に、人生の全盛期を過ごせていた。

 

 そこへ不景気のあおりがやってくると、世間の風潮はいっせいに変化した。戦後、派手に成長し、贅沢三昧を堪能し、勢いだけに任せた、どんぶり勘定の投資でも、十分な見返りを得てきた建築家たちを、こぞって攻撃しはじめたのだ。

 

 父を始めとした、当時の若手の建築家たちは、常にそうした非難の矢面に立たされてきた。社内での地位も実績もなかったから、社内でふんぞり返る上司と、世間の声の板挟みにあい、さぞ苦労しただろうなぁと、今になっては思う。

 

「…同情はしないけどな…」

 

 苦いものが広がる。苦労したからと言って、心労の矛先を、同じように、自分の家族に向けていたのは確かなのだから、それを無かったことにはできない。

 

 こちらの新家から見た右手、旧家の玄関口の付近には、強化プラスチック《FPR》の雨よけがあり、その下には車を停めている。

 

 それ以外、昔に越してきた以前から建っていたことを鑑みれば、40年以上もの歴史を持つ、昔ながらの木造住宅だ。ずいぶんと老朽化し、今では納屋として利用している場所が、かつての俺たちの居住区だった。

 

 今では、そこも俺の資産として登録されている。建物の維持費や税金の件を考えるならば、こちらの新居と同じようにせずとも、せめて更地にはしておくべきかなとは考えた。

 

 ただ、できなかった。

 

 何十年かぶりに、ここに建ちつくした家を見た時に、忘れたはずの記憶がいくらも蘇ってきた。目に見えない誰かが「おかえり」と言ってくれた気がした。

 

 一概に、そういうこだわりを持たない人間だと思ってた。

 

「……」

 

 向かって左手には、犬小屋がある。すっかり雨風にさらされ、塗装すら剥がれた、ガレキのような置き物がある。

 

 子供の工作とはいえ、ひどい出来だった。

 

 特に屋根の形がおかしい。打ち付けた板が隙間だらけだったので、その辺の棒きれや綿を詰め込んで、無理矢理に穴をふさいでいる。さらにその上から、ベニヤ板まで打ち付けるとかいう、浅知恵きわまりない事をやっている。

 

 ――なんだそりゃ。鳥の巣か?

 

 週末は、ゴルフに出かけるのが忙しい父親が言ったことがある。仮にも建築屋だというのに、日曜大工なんかには、一切の興味を持たず、ただ笑われた。「まぁ確かにな」と思ったのを覚えている。

 

「忘れられないんだよな」

 

 見る者からすれば、確かにゴミだ。それでもこの家は、昔に空き家となったばかりの頃からも、不思議と買い手が付かずじまいだったらしい。

 

 不動産屋の話によれば、最近になって、少し余裕があった時に「どうせだから綺麗に取り壊して、モデルハウスにでもしようか」なんて話もあったらしいが、

 

 

 『…………』

 

 

 なぜか、その度に、上手い具合に話が立ち消えてしまうらしい。せめて手入れをしようと近づけば、なにかに視られている。特に悪いことが起きるわけではないのだが、なんだか『気が引ける』という感情を抱くらしい。

 

 この空き家におとずれると、誰もが、そういう気持ちになってしまうと聞いた。そのせいか「この家と土地を買いたいんですけど」とやってきた、一見の客を見ても、不動産屋は、近所でとれた大根でも売るかのように、あっさり手放した。

 

 ついでに言うと、近所からは、ひそかに、幽霊屋敷なんて呼ばれていると知ったのは、実際に住みはじめてからだ。きっかけは、近所の中学生が、家の前を通っていた時の、大きな話し声だった。

 

 

 ――マジだよ! このまえ見たんだって!

 入口のところから、ひっそり、ぼやぁって、影のうすい女子がでてきたの!

 

 

 世間はせまい。確かに、うちには学校に行ってない、色白の、夜行性のひきこもり女子(14)が暮らしている。

 

 

 ――ちげぇよ! だってこの家

 うさんくせぇおっさんが、一人で暮らしてるだけだって母ちゃん言ってた!

 

 

 仁美は基本的に外出しない。姿を見せず、夕方に届く宅配サービスだけを利用して生きている。翌日の朝には、玄関先に空箱を返す。という生活サイクルを、ごく自然に成立させている。

 

 

 ――ぜってー、ヘンな宇宙人が暮らしてるから、この家!!

 なんで分かるかって? そりゃおまえ、俺の中に眠る

 深淵喰らい《ダークネスイーター》が囁いてんだよ!!!

 この家からロックな天啓《インスピレーション》がわいてくるんだー!!

 

 

 良い具合にこじらせた、将来ロックミュージシャン志望の中学生のおかげで、この家には、やはり幽霊だの妖怪だのが暮らしていた。と噂を広げられていた。

 

 

 ――というわけで、幽霊屋敷を探検するぞ、うおおおおおっ!!

 

 

 大人の対応として警察に通報したところ。彼は、近所の中学校に通う14歳の女子だという事が判明した。少年法に守られていて、よかったよね。

 

 とりあえず、俺には生まれてこのかた、霊力も、神通力も、音楽的センスもない。生まれてこのかた、幽霊、妖怪、宇宙人、妄想の産物、ありとあらゆる、神魔霊獣を見たことも、交信したこともない。

 

 そんなものが、この世に、いるわけがないからだ。

 

* * *

 

『おかえり』

 

 旧家の格子戸を開けて中に入ると、白い影が見えた。

 

「…ただいま」

 

 最低限の手入れだけ行っている廊下を進む。白い影は、こちらを先導するように先を往く。俺も履き物を付けたまま続いた。相変わらず、真夜中にここを歩くときは、まるで夢の中を行き来している気分になる。

 

 不意に、在学中、よく目を通していた作家の言葉をおもいだす。

 

「…ありえない出来事は、それを望まぬ人間の前にだけ現れる…」

 

 そうして俺は、今は亡き家族(存命中)が暮らしていた居間に着く。木目の床に指をかけ、軽く力を入れて持ち上げると、網膜認証のセキュリティロックが姿をみせる。

 

 

 《コードの認証を行ってください》

 

 

 まぶたを開く。この世界に存在してきた者たちと、対峙する。

 

 

 《クリア。『国連』に向けた、迷彩防壁を稼働します》

 

 

//【System Code Execution】

 //【United Nations:LOCKED】

 

 

 《防壁の稼働を確認しました。ゲート開錠します》

 

 

 ――ガチャリ。

 

 

 音がして、閉ざされていた、秘密の扉が開かれる。

 地下室への階段を降りていけば、自動で灯りが付いた。

 

 日本ではまず見ないが、米国などの裕福な家には、稀にある地下拠点《シェルター》が、うちの家にも存在した。核が飛んできても、直撃でない限りは、耐えうる構造をしている。

 

 ただ、長時間耐久をするつもりは毛先もなく、電力および特殊なネット回線は通っているものの、水道は通っていないし、食糧や医療品もない。そういう秘密基地に、俺は到達した。

 

 

 白い床、白い壁、白い天井。

 

 

 部屋の中央にあるのは、特殊な形状記憶合金を伴う『座席』と、そこから有線で繋がった、一台のモンスタースペックをほこる筐体が一台。俺たちはコレを、転送装置《シアター》と呼んでいる。

 

「ごめんね、景」

 

 そして今は、ハッキリと、部屋の中央にいる子供の姿が見える。

 

「ボクたちに、もうちょっと、力があれば良かったのに。そうすれば、今ごろ君たちは、なんの憂いもなく、この先に広がる場所へ進めるはずだったんだ」

 

 声を聴いて、うっかり、笑ってしまった。

 

「しば。『人が良い』のも、ほどほどにしといた方がいいんじゃない?」

 

 言いすて、部屋の隅にあるデスクに座る。

 筐体のコンソール画面を立ちあげた。

 

「おだてすぎて、勘違いした奴らが調子にのると後がこわいよ。たまには吠えて、おまえは間違っていると、叱ってやるぐらいが良いかもしれないよ」

 

 偉そうだったかなと思ったが、

 

「うん。善処するよ。しばもメンテ手伝うね」

「ありがとう。助かる」

 

 俺の人生は、いつだって思ったようにはいかない。

 自分よりも優れたものたちに、操作されてばっかりだ。

 

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