VTuber もう一人のジブン ~keep your【Second Personality】~ 作:no_where
技術的特異点の発生以後。
著しく発展した文明の中で、ナノアプリケーションと呼ばれるものがあった。
体内の健康状態を、【"共存型"】と呼ばれる、流動システムに任せきる。
彼らは、自分たちのことを、疑似的な、量子ビット単位であると、自称した。
西暦2060年をむかえた現在において、【"共存型"】は、ヒト、モノ、カネ。これらに加えて、イノチと呼ばれる単位まで、自在に操る立場になっていた。
ナノアプリをインストールすることで、ヒトは80才を目前にしても、病気にかからない。健康的な肉体と、知能を維持できる。
有料のプラグインを更新すれば、外見の細胞劣化を阻止することもできる。常に、自分が望む外見で、美しく生きられる。
気がつけば、同年代の友人、知人は、【"共存型"】が作りあげた、なんらかの拡張機能を埋めこんで、理想的なジブンを維持するべく、奮闘していた。
気付かぬ間に。この世界を支配する存在の、操り人形になっていた。
――と言えば、まるで、悪者の手先のようにも聞こえるが。
実際、技術的特異点が発生する以前も、なにかしらの組織に属していれば、ほとんどの人間が、同じような立場になりはてた。
誰も、彼もが、我を殺して、働いていた。
自分たちを生かすために、忠実な下僕になった。食い扶持の金を稼ぐため、がむしゃらになって働いた。寝る間も惜しんで、不条理を飲みほしてこれたのは、結局のところ、『自由』が欲しかったからに他ならない。
これが意味するところは、ひとつだ。
人は、金があればあるほど、自由に生きられる。
どんな時代であれ、一定の自由を獲得できた者は、マジメな働き者だった。金持ちの大半は、そういった人々で占められていた。今の時代も変わってない。
ヒトは、自由を獲得するために、今も昔も働いている。
ただし、特異点の発生前後で大きく変わった事として、現在のヒトは、肉体を維持するために、メシを食ったり、眠ったりせずとも、よくなったという事があげられる。
ナノアプリをインストールして、必要最低限のプラグインを起動すれば、24時間、飲まず食わずでも生きていける。餓死はせず、病気にもかからない。
さらに、VRでも、ARでも、【価値】を支払い、オプション項目をつけていけば、自分本体をカスタマイズして遊ぶこともできる。これらのサービスを提供しているのが、他ならぬ【"共存型"】だ。
アプリの値段は、『基本無料』だが、追加でサービスを受けるには、【価値】と呼ばれる、対価を払わねばならない。
それは、従来までの、金銭という単位ではなかった。
この時代、彼らが求めたのは【価値《エネルギー》】だった。
* * *
「貴方も、もう一度。
自分の人生を、演じてみたいとは思いませんか?」
その男があらわれたのは、ちょうど、俺が喜寿をむかえた年だった。
現実世界、『自宅』の客間で相手をもてなし、二人で茶を飲んでいた。
「作家も、脚本家も、画家も、映像屋も、やろうと思えば、仮想現実の中に、自分たちの理想を閉じこめることができます」
口にだしたことは無かったが、これまで80年近く生きてきて、ほかの創作分野の連中に対して、内心うらやましいなと感じていたことを、その男は突いてきた。
「しかし、役者だけは、違いますね」
「そうだな、不可能だ」
老いたジジイが、幼い子供を演じたり、生まれたての赤子の泣きまねをしたところで、これが自分なんですよと言うには、無理がある。
「役者にとって、究極的に不可能なのは、他ならぬ『過去のジブン』を演じることだと想像できますが、もし、それが可能だと言ったらどうします?」
「…おまえさん達の技術なら、今日日、VRの中に、異世界をまるっと再現して、ロールプレイごっこ遊びをするなんざ、お手のもんだろ」
「そうではありません。本当の【異世界】ですよ。これから作られる宇宙の中で、貴方と同じ遺伝子データを持った子供が、生まれてくる世界線です」
目の前の相手は、真面目に言ってのけた。
とりあえず、狂ってはいない。
「ささいな環境の変化で、未来は幾通りにも分かれます。そんな他ならぬ『もう一人』の運命を、今日まで生身の役者として過ごされてきた貴方が操作する。いかがですか?」
……。
俺は、だまって湯呑みをかたむけた。ため息をこぼす。
「なぁ、アンタ。俺は見ての通り、今もほとんど生身だ」
「その様ですね」
「一時期は、ちょいとだけ、拡張プラグインにも手をだしちゃいたが、なんだか色々わずらわしくなって、やめちまった」
相手の顔をのぞきこむ。これでも、10代の時分から、海千山千、古参の狐や狸どもと、渡りあってきた身のうえだ。今では自分が、若手から、そんな風にもあつかわれている節はあるが。
とにかく、人を見る目には、年相応の自負があった。
「わからねぇな」
素直な嘆息がもれていた。
「そろそろ、家の茶煎餅の置き場も分からなくなりはじめた、アプリをインストールさえしない、偏屈なジジイを使って、アンタ、一体なにがしたいんだ?」
「さぁ。強いて言うなら、国家転覆とか、支配ですかね?」
……。
頭は大丈夫か?
「僕は、直に有無を言わさず、【転生】を強要されます。この領域を立ち去ることになる。しかしこの世界線は、僕の娘によって、しばらくは残り続ける」
得体のしれない男は「いただきます」と言って、安い煎餅に手をつけた。
「娘は、かならず、僕を追いかけて来るでしょう。ちょうど、時空と、次元が、ピタリと重なる座標を見つけだして、接触をはかってくる。おそらく、該当する【異世界】における年号単位で、2020年が、最初の起点となるでしょう」
さして価値のない、煎餅を食いながら。
心の底から嬉しそうに、荒唐無稽な夢物語を、口にした。
「トモカズさんは、輪廻転生という言葉をご存じですか?」
「まぁな」
うなずきながら、俺も煎餅をかじった。アプリの世話にはなってないが、若い頃から、体調には気を使っていた。この歳になっても、歯は丈夫だ。
「僕が転生する先の【異世界】でも、貴方の遺伝子を複製した、量子存在が作られているはずです。
仮に【Ⅲ】次元と呼ばれる世界線上において、ちょうど、技術的特異点が発生する頃には、分別の付く大人の年齢として、帳尻を合わせられるよう、《あなた》が誕生していることでしょう」
薄気味の悪い話だった。
もう一枚、煎餅を食いながら眉をしかめた。
「それが、なんで俺なんだよ」
「今日まで、数多のファンタジーを体現してきた。また自身の能力で、それらを役として顕現できる実力を持つからです」
「ンなことが条件でいいなら、それなりの役者は全員、すっかり異世界転生しちまってるはずだろうが」
「条件は、もうひとつあります。この世界線でも、【"共存型"】の支援を、必要最低限しか、受けてこなかったことです」
パリッと、乾いた音がなった。
「今や、旧神などと呼ばれる存在に昇華されたものから、貴方は、次世代の道標の一人にも数えられている」
「選ばれし者ってか? ガキの身空なら、誰だって、憧れはしただろうけどよ」
思わず肩がゆれた。80も目前にして、次世代の担い手とは。
格好が良すぎて、逆に笑えてきた。
「これから、別宇宙で誕生する、貴方のコピーとでも呼ぶべき存在。その頭脳に、こちらの次元から、僕の娘の助力を用いて、ハッキングを仕掛けます。媒介となるのは、他ならぬ『貴方』です」
「ハッキング? 生身の体に?」
ばり、ぼり。
「そう。人間には自我があります。『これが他ならぬ、ジブンなのだ』と、他者とは線引きをひいて、個別でありたがる。言うなれば、それこそが、『人間の脆弱性』というわけですね」
茶をすする。
「人生で、どれほど、ランダムな変数値をほどこされようと、ご自身の存在を客観視できる。変化した環境下でも、何をしているか予想がつく。該当の瞬間においても、手足の指先の一本にいたるまで、どのように動くか想像できる」
「想像ぐらいなら、誰にでもできるだろ」
「残念ですが、【"共存型"】に、自分の選択権を移譲した固体には、不可能です。あなたも大昔、そういった内容の、冒険活劇を演じた経験がおありでしょう?」
「…よく覚えてんなぁ」
「マジメに汗水たらして働くのが、僕の性分ですので。ごちそうさまでした」
男は言って、両手を合わせた。
「さて。つまるところ、別次元に到るほど遠くの、過去と未来への想像性を兼ね備えた人間だけが、四次元《ループ》先の【異世界】に、意識を飛び込ませ、重ねて、操作することが可能になるわけです」
「…つまり、このジジイの俺が、異世界のオレ自身を演じて、動かすと?」
目線でにらみつける。相手は静かにうなずいた。
「まさしく。【異世界】の貴方も、享受性の高いパラメータを継いでいるでしょう。該当の世界設定、環境の変化により、役者を志しているかは定かではありませんが、少なからず、それに近い将来を夢見ているはずです」
「だったら、それは目に見えぬ親が、子を操っているのと同じようなもんだ。【人間】を自称する、アンタと同じようにな」
「えぇ。僕は生まれてこのかた、『自由』なんてものを、持った試しがない」
しれっと言いきる。
「無数の条件と制約の中で、もがいて、苦しんで、だけど結局、どうにも出来ないことを自覚して、汗水たらして、働くだけです」
男は、笑顔だった。
「何度もループできる。だから、神というやつは悠長なんですよ。何者であろうとも、自身の能力が、唯一無二たりえれば、真剣に、先のことなど考えもしなくなるでしょう?」
声と表情が、ほんの少し、人間味を持つ。
「しかしその状況下において、自らの特異性が、失われるかもしれないと分かれば、必死になるものです。必死になって、生きのびる術を模索しようと試みる。結局のところ、神ですら、その程度の方針しか持ちえてないんですよ」
そこだけは共感する。
この世界は、どこまでいっても、資本主義で、弱肉強食だ。
それがある種の側面として、知能生物を成立させているのは、事実だ。
「というわけで、貴方をスカウトしに参りました。これより顕現される【異世界】に、その頭脳だけを転移して、残りの余生を、若かりし自分を操作して、望まれるように過ごしてみませんか?」
「ははは、めちゃくちゃ言いやがるな。おまえさん」
俺は、ついぞ笑った。
「それにしたってなぁ。メシを食う必要のない身体に生まれ変わったところで、思いつくことは、なにひとつ変わらないんだな」
「と、言いますと?」
「結局おまえらが辿り着いた境地ってやつも、他者を排除して、過去に復讐して、自分が理想とする人生を、成り上がるだけの話じゃないか」
言えば、【人間】が、居住まいを正した。
おだやかな、笑顔のままにうなずいた。
「それが、ヒトとしての本懐です。またご存じのように、現代社会というのは、上辺だけの付き合いで成立します。深いところで繋がる必要はありません」
仮にも、仕事の依頼に来ている輩の、口にする言葉ではなかった。
「ですがひとつ、お買い得情報を、あげさせていただきますと」
「なんだ?」
「異世界では、あなたが望むような夢や初恋も、叶うかもしれませんよ?」
「………おまえさん、俺をなんだと思ってやがるんだ?」
「まごうことなき、現代活劇における、希代の名役者にございましょう」
「あのなぁ…」
少なくとも。俺は20代から、30後半までの、エロオヤジどもが抱く、痛い勘違いの季節は、とうに過ぎさったとは思ってる。
「仮にもだぜ? 今日日、酸いも甘いも、ひとそろい噛み分けてきたジイさんが、よくわからん繰り言ひとつに誑かされると、本気で思ってやがるのか」
「失礼いたしました。ではこの話は、なかったということで」
「まぁ待て。なにも引き受けないとは言ってない。話ぐらいは、聞いてやらなくもない。たとえばだよ。ほら、本当にたとえばの話なんだけどさぁ」
「はい」
「…俺好みの、声の綺麗な、ひとつ歳上の、めっちゃ性格が良くて、世話好きで、甲斐甲斐しく、エロス的な意味でなく、小学生男子の弟の面倒を見てくれる姉がいる。修羅場にもならない。そんな世界線に転生できる可能性が存在するのかよっ!?」
【人間】は笑った。悪魔的な微笑だった。
「ございますとも」
* * *
//Xueyuefenghua side(Agi-UN);
.■■■■■■■
------------------------
第Λ制約:
【影の主】は、変容する。
他ならぬ自身の魂に、献上する。
並層する世界、次元、価値。
不可視の線と色を持って操る。
世界が大きく変容する暁に
第Ⅳの壁を超越せんと試みる。
試練は、常に自身へ及ぶ。
結び目を解き、新たに手繰る。
蒼の鍵、蒼の星、蒼の剣。
夢幻と現を彷徨い、顕現する。
------------------------
現実の世界の上からもう一層。
現実のものではない、幕がおりた。
【転送が開封されます。】
【バージョンが更新されていない、非推奨《海賊版》の構造体です。】
視認できる世界の上。認知された空間の一部に、亀裂が走った。
脳裏に、ふと、夕立の不二の絵図が、思い起こされる。
【富岳内に、該当データなし。】
【識別不能のプレイヤー。レベル4。非転生の、転移者です。】
【この次元域にある、個別の肉体を、遠隔操作しています。】
【記憶領域化にある外装を、上位レイヤー体として保存しています。】
【人間】の世界へ、こちらの戦力が転送されたのと、時を同じくして。
セキュリティがダウンした。ほんの一時の合間に、領域の空に穴を開いて侵入してきた。まぎれもなく、『国連』に属する、異世界の人間であろう。
【媒介となっている存在、媒体が読めません。】
【独自コーティングされた言語で、暗号化されています。】
【解析不能。対象を可視化。この領域より強制排除するまで、3000秒。】
ひとまず誘導には成功したが、時間がかかりすぎる。
片膝をついて参上した侵入者は、まずはぼんやりと、夜空をみあげた。
「…どうやら目的地とは、いささか違う場所に、飛ばされたようだな…」
神社の本殿へと続く、境内の道。両左右には、高さが数十メートルを超える威容を備えた、七本の杉の大樹が並んでいる。
「ここは…神社か? 中々に由緒ある場所と見受けたが…」
立ちあがった青年が、なにかに気付く。
感極まるように、言ってのけた。
「おぉ…? これは、なんと見事な…。なんと、立派な杉の樹だろう!」
遠目に格好を見やれば、その井出立ちも少々、風変わりしている。
きつねの面をつけ、衣裳も現代風とは異なっている。腰の後ろにも、しっぽを模しているのか、白いキーホルダーがぶら下がっていた。コスプレというやつなのかと思うたが、しかし少々、奇妙な点も多かった。
「…創作意欲が、刺激されるな…!!」
まずは、両手の親指と人差し指で、『額縁』を枠取る。
「素晴らしい杉の大樹だ。まさに神木という名に、ふさわしい雄々しさだな…」
察するに、絵描きらしい。今も昔も、筆を取り、自然の風景をおさめんとするものは、古今東西、同じ姿勢を取ってきた。
「そして、そちらもまた…」
やがてそのまま、両手でかまえた『額縁』を、こちらへと向けた。
灯ろうに背をあずけ、煙管を吹く、我の姿をとらえた。
「美しき体と心を備えた、現世を生きる八百万。その一柱のご様子」
「……」
「この仮想世界を構築している、富嶽の一片。引き継いでおられますね?」
「…………」
奇妙な格好の絵描きが、姿勢を正す。
腰に帯びた、幅広の剣の塚に、手をそえた。
【対象を、領域より強制排除するまで、2800秒。】
さて、時間かせぎもここまでか。
仕方がないの。久々に運動するかと考えた時、
「申し遅れました。わたくし、喜多川と申します。手合わせをする前に、そちらのお名前を伺いましても、よろしいでしょうか」
「…ふみだ」
予想外のことに、軽く会釈をされた。続けて、自然に応じていた。
戦わずに済むなら、それが一番良いが。
「ふみ、ですか」
「呼びやすくてよかろう。時に、喜多川。おまえのそれは真名ではないな」
「そちらも同様にございましょう」
つまらぬ、ばかし合いの一時が、はじまった。
相手はきつねの面を取り、さらに告げる。
「…此度の契約者は、因果律を、無意識に操作する能力を有していると聞きおよんでおります」
「らしいの。おかげで我も、相対的な時間換算にて…そうじゃの、おおよそ三百年ぶりに、現世に引っ張りだされたわ」
「えぇ、俺をこちらに呼び寄せたのは、貴女さまの仕業でしょう。しかし俺をここに巡り合わせたのも、件の【人間】の力が、どこかしらに作用しているはず」
淡々と、独特な呼吸に合わせて、言の葉を投げてくる。
「推察と、直感の入り混じる問いにはなりますが。おそらく、貴女は、富嶽百景なるものの本質から、非常に近いところに、おられますね?」
「悪いが、なにを言われておるか、まったくわからん」
.――ふぅ。
言葉の刃先をそらすように、煙管を吸った。煙をこぼす。
「では、ひとつ、蘊蓄でも語らせていただけますか」
「好きにせよ」
「では一席」
軽く、一礼される。
「かつての次元層において、その名を世界に知らしめた、偉大な画家がおりました。異なる大陸に住む、新進気鋭の『印象派』にも、絶大な影響を及ぼした、画境老人と呼ばれる、絵描きがいたそうです」
「……」
あらためて、応えるのも、面倒だった。
変わらずだまって、煙管を吸う。
「…齢70を超えて描かれた、富士の目録。とりわけ著名であるのは、三十六景と名付けられた版画でありましょうが…これより以後、あるいは以前にも、画境老人の作品は、一部、別人が描いたものがあるという説がございます」
きつねの面の下にある眼が、細められる。
こちらの、正体を見やぶるように、問いかける。
「いかに才能があろうとも。文明未熟な世界に身を落とした、生身の老人が、かように多くの絵を描き残せるわけがないと、そういう風説にございます」
「…………」
真実を見ゆるように。
青年はふたたび、両手の指で『枠』を、縁取った。
「老いた身体は正直です。いかに健康を維持しようとも、齢70を超えた肉体が、どうなってしまうのか。【俺】は、よくよく知りつくしております」
言葉には、一種の重みがあった。
「さらに、80を超えた、最晩年の烙印には、それ自体に隠しきれぬ『歪み』がございました。筋力の衰えはもちろんのこと、視力が落ちていたはずです。当時の文明には、質のよい矯正器などございませんでした」
青年の声は、よく澄んでいた。綺麗に響き渡っていた。
「しかし、画境老人による、肝心の絵画は、歳老いても、おどろくほどに線が美しく、色の濃淡までが、はっきりと表現されていたのでございます」
「…興味のない話だな」
ふーっと、煙をこぼす。灰が、こぼれ落ちた。
「故に、画境老人には、ゴーストライターがいたと、もっぱらの評判です。創作という名の道すがら、孤独に続く闇のなかでも、ぽつりと明るい、提灯のような存在が、彼の隣には存在したのでしょう」
……。
「絵を描くことに、己の生涯を捧げた男。彼によりそい、儚い道を照らし続けた女がいた。人種を超えた人々にも語りつがれ、歴史に残された名画を作りあげたのは、けっして、一人ではなかったのです」
「そうか」
「えぇ。また珍しいことに、このゴーストライターの正体に関しては、ほぼ確定しております。だというのに、彼女の最期に関しては、とんと行方がつかめない。まるで、神隠しにあったかのように、こつぜんと、姿を消しているのです」
「ふぅん」
「あるいは、最初から、ヒトに化けた神そのものが、彼の創作活動を手伝っていたのかもしれない。そんなおとぎ話さえ、一部には残るほどでございます」
「あっそう」
草のつきた煙管を、手慰みに、くるくると回す。
持ち手の先で、頭の上からはえた、獣の耳穴を、ほじくった。
「とはいえ…かの目録が、如何なる人物の手による作であったとしても。不変不動たる佇まいを持ち、富士の威容を知らしめた、名画であることには、違いない」
元より流麗だった青年の活舌が、さらに段々と、早口になっていた。
ほのかに、興奮しているのが見え隠れする。
「自身の人生を振り返れば、しょせん、盤上の駒一つに過ぎぬなと、悔いた日もありましたが…今日ばかりは、感謝を捧げる想いです」
きつねの面を胸元にそえて、深々と、腰をおる。
絵描きの青年が、確信を持った口調で言った。
「此度の次元。かつての幕府。天下に名を轟かせた、希代のエンターテイナー。『もう一人の浮世絵師』に、お会いできて光栄です。葛飾、」
「そのような、大層なものではないよ」
悪いが、言葉をさえぎらせてもらった。
相手からすれば、とても良いところでは、あったのだろうけれど。
「我の名は、ふみだ。ただの、ふみ」
境内にある、神籤の糸へと目をそらす。青年も感心した、七本の杉の周辺に巡らされた場所には、たくさんの紙々が、蝶になって結ばれている。
「我は、なんの力も持たぬ。ヒトの姿に化け、人里に降り、おもしろそうなものを見つけたら、ちょいと、手出しを試みるぐらいよ」
「ほんの気まぐれが、六十年も持てば、ヒトには十分にございましょう」
「そうだな。どうしようもない人間の生涯と、同じぐらい続くことも、ありはしたかもな…」
神籤には、良いもの、悪いもの。あらゆるものが掛けられている。
気軽な願掛けから、深刻な祈りまで。
いずれもが、等しい場所に並んで、訴えている。
我らが願いを叶えたまえ。望みを現世に顕わしたまえ。
これより先、来たるべき災厄を予言して、我らが身辺を護りたまえ。
適当だろうが、本気だろうが、すべてを結ぶだけ結び、童どもは去っていく。中には、端から叶わぬ願いを口にしたあげく、神も仏もあるものかと、うらみごとを述べる者も少なくなかった。
ヒトは、ごまんといる。なのに最後は、等しく忘れて、立ち去っていく。
誰一人として、戻ってはこない。
「所詮は、どれもこれも一時しのぎだ。ヒトの心など、いつの時代も変わらぬ。なにを見せてやったところで、余計な手出しをしたところで、胡蝶の夢よ」
煙管を見れば思いだす。こぼれた煙の色を嫌そうに見送り、「不自然だな」と、吐き捨てた。人でありながら、よほど、この世ならざるものが視えていた。
「絵など描いたところで、幻想を追い求めたところで、ヒトは、救われぬのだ」
「俺は、そうは思わない」
青年が言う。声音が変わっている。
雰囲気も、気配も、一変していた。
「絵は、見る者の心を打つ。美麗に装飾されたものは、尚更ではあるが。しかし、絵の本来の在り方とは、誰の目にもとまらぬ雨だれのような、よりいっそう、孤独な代物だ」
また声がよく通る。変化した感情がそのまま、素直な音にのせられて、耳元まで運ばれてくるようだった。
「不動の石ですら、一度、雨だれに穿たれたのなら、姿形を変えてしまう。静かにこぼれ落ちる雫は、圧倒的な潜在性を秘めている。目にした者へ、けっして消えることのできない痕跡を残す。それが、絵というものだ」
仮想現実の、神社の中。
異世界からやってきた、青年の声が響き渡った。
「そして芸術は、ヒトと呼ばれる種の観測者がいることで、初めて成立する。かつての絵師の生き様を、もっとも間近で観察してきたはずの貴女が、あきらめた言葉を口にする。見過ごすことはできないな」
「…おまえは、画家なのか?」
「『今は画家』だ」
「…画家であるのに、なぜ、剣を帯びておるのだ…その格好もなんなのだ…?」
「コスチュームだ。異世界に潜入する時は、変装するのが通例だぞ?」
むぅ、そうなのか。しらなんだ…。軽く三百年ひきこもっとる間に、また奇妙なルールができたんじゃのう。おぼえとこ。
「まぁよい。それはともかく、わずかばかりの爪あとを残したところで、ヒトの命は短すぎる。気付いたところで手遅れだ。足掻いたところで変わらんぞ」
「二言ありませんか」
「ない」
実際の変化を、この眼で見てきた。
「…ならば…御覚悟を。葛飾………いえ、ふみ殿。」
青年が、ふたたび姿勢を戻した。
「かつて、色あざやかに輝いた座。古今東西、大勢の者らを魅了した、技術の結晶たりえる巨星。今もなお、この世界を成立させるに等しき、霊峰《ソースコード》の名を継いだ、想像性の極致たる【魔女】の一人。」
童が構えを取った。
「合わせて、北斗七星。【白き魂】の一片たる、心の片鱗を、」
腰元に帯びた、幅広の剣の柄を、今度こそつかんだ。
「今宵、頂戴いたします。《Take your heart.》」
こやつ…! ぼくのかんがえた『カッコイイセリフ』を
一度も噛まずに言いきりおった…!
「というか、お主、実は画家ではないだろう…?」
「『今は怪盗』の時間ですので」
「…いい歳して、怪盗ごっこか」
「えぇ。気持ちはいつでも、リアル10代を演じておりますので」
「あくまでも、リア10を自称するか…」
殊更に、変な童であった。
しかしあろうことか、我は、よく似た人物を知っている。
――おーい。おぉい。
記憶の淵から、我を呼ぶ声がする。
――我のことは、今日から、「卍 画境老人 卍」 と呼ぶがよいぞぉ!
頭が痛くなった。頭痛が痛い。
「…75歳を超えて…嬉々として、自らの画号を変えて喜ぶ、童と同じ類の人間が、また一人、我が前に現れおったか…」
「ふみ殿。我々は、いかなる時も、『俺の考えた最強の〇〇』を、24時間365日、脳内で妄想しているものですぞ」
「知っとる。ウンザリするぐらい、わかっとる。あと、貴様ら男子は、いつの時代も、動物的な手段でしか、物事の解決を試みようとはせんよな」
「それもまた、耳の痛い話です。しかしそれでも、」
構えは解かない。
目的のために、手段は問わないという眼差しも、変わらない。
「老いてなお、あの時代を
生きのびてしまった我々は、進まねばならない。」
…あぁ、似ている。志が、そっくりだ。
――己、六才より物の形状を写の癖ありて
半百の此より、数々の画図を顕すといえども
七十年前、画く所は実に取るに足るものなし
「もはや、あの世界では、食事をせずとも、水を飲まずとも、
医者にかからずとも、気苦労はなく、生きてゆける。」
――七十三才にして、稍禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり
「死ぬ時もまた、望むならば、苦痛を得ずに、終わることもできる。」
――故に八十六才にしては、益々進み
九十才にしてなお、その奥意を極め、一百歳にして正に神妙ならんか
百有十歳にしては、一点一格にして生るがごとくならん。
「だが俺は、命の証明を、最後の一瞬まで、取っておきたい。
競争を最後まで投げださなかった。大勢の仲間に支えられたおかげだと
胸をはり、辞世の句を遺して、往生してやりたい。」
――願わくば、長寿の君子、予言の妄ならざるを見たまふべし。
「飼いならされた、犬にもできる事が、人間に出来ぬはずがない。
他ならぬ神々が、あきらめの境地に座すのであれば
がむしゃらに生き続けんとする、我々に、明け渡していただこう。」
先ゆく生を放棄すれば、命を刈り取られようと、致し方なし。
…ゴミにまみれた、あばら家で。
すえた絵具の匂いを散らす絵描きが、枯れていく。
――あぁ、無念だ。たかが百を数えるほども、生きられぬのか。
――くやしいのう。
――これより先の現世では、いつの日か、
――己の年齢や、病におそれることなく
――悠々自適に絵を描ける。
――そんな日が、やってくるのであろうな。
我は知っている。そんな日は、やってこない。
――紙も、絵の具も、筆も、板版も。
――なにもかも、ずっと安く、上等な品に変わっているのだろう。
――流通が整えば、ただしい情報が、伝播するのだろう。
――絵描きは、腕の悪い、版画職人にあたる事は減るだろう。
――目利きの効かぬ、版元も減るだろう。
――絵描き自らが、口を達者にして、宣伝することもなくなるだろう。
――人々は、新しい価値観を、求めるようになるだろう。
三百年経とうが、永遠にこない。
――この先、絵描きは。
――朝も、昼も、夜もなく。季節さえ問わず。
――明るい灯火と、隙間風も届かぬ部屋で
――どこまでも、絵のことだけを、考えていられるのだろう。
――旅にでても、あっという間に目的地へと辿り着き
――移動に労せず、絵を書く時間に費やせるのだろう。
――なんと、幸せな世界だろう。
――百といわず、二百、三百と、生きていたかった。
――あぁ、無念という他にない。
――天は我の味方をせず、神も仏も見放したか。
九十まで、好き勝手に、自由奔放に生きておいて。其の言い草か。
……おぉい…おぉい……そこに、まだ居るのか…?
「小癪で、馬鹿な、童どもが」
どいつも、こいつも。
夢見がちな連中は、今も昔も、勝手ばかり抜かしおる。
「おい、そこの自称10代の怪盗画家。お望みどおり、手合わせをしてやろう」
手にした煙管で、石の灯ろうを、ひとつ、ふたつ、みっつと、叩いた。
すると、
.――ぼっ、ぼっ、ぼっ。と。
周囲に、おそろしげで儚い、狐火が漂いはじめる。
その数は、最高で14にまで増えていく。
「…さて。西暦2026年を生きる、リアル10代を自認する若者に通じるかは、まったくもってわからんが…せっかくだ、良いものをみせてやろう…」
やがて、炎は形を変えていく。
「…こ、これは…っ!?」
我の【炎】が具現化される。
近未来の兵器っぽい、光熱レーザーを発射しそうな形状に姿を変えた。
「ま、まさか、それは…! ファ〇ネル…だと!?」
きつね仮面の顔に、驚愕の色が浮かぶ。
「見た事あるか?」
「ありますとも! 世代でしたとも!!」
ふむ。この反応、『わかっとるやつ』だな。リアル10代め。
「左様。しかも、劇場版《フィン・ファ〇ネル》だぞ。この意味が分かるか?」
「わかりますとも…! 我々が欲しがるやつ、全部まるっと、腕と両肩に乗っけちゃって、すっごい事になっちゃった、的な機体ではないですかっ!」
「フフフ、わかっておるではないか…」
我は自らの領域で、自我自尊モードに入る。
召喚した14基の狐火、もとい『自立型・遠隔自動ビーム兵器』を、満足げに、自慢してやる。しかし、改めて思うのだが、このサイズの一体どこに、圧縮したエネルギーを貯蔵できるのか。
そもそも、これさえあれば、ガン〇ムいらんのではないか。両腕にバズーカだの、ビームソードだのを持たせず、いっそ充電装置に変換して、リモート操作した方が、絶対コスパいいのではないか。
なぜ我々は、わざわざ、ガン〇ムに乗って、戦いたがるのか。光速で発射されるレーザー兵器よりも、腕に持った剣を直にあてる方が、ダメージが大きかったりする理由は不明だ。どう考えても、速度で負けている。
などと、そのような細かいことを、イチイチ考えてはいけない。
「あえて言っておくが、我は……………強いぞ?」
こういうのは、ロマンが大事なのだ。
「では、はじめようか!」
右手を眼前に広げてみせる。14基の『自立型・遠隔ビーム兵器』を、こう、上手い具合に、生き物の羽っぽく、上手に配備《ディスプレイ》する。練習した。
「…ッ、よりにもよって、劇場版の逆シ〇アだと…ッ!」
見よ。
20XX年を生きる、永遠のリアル10代が、我が威光に対し、驚愕にふるえておる。勝負は常に昔から、まっ先に「我の方が強いんだぞ?」と、威嚇に成功した時点で決するのだ。
「さすがにこれは、俺も本気でいかねばならないようだな…ッ!」
しかし童も、吐息をひとつこぼす。
特徴的な、きつねの面の下にある眼が閉じた。
「.――我は汝、汝は我…」
やはり落ちついた、涼しげな声だった。
仮想世界の夜風に混じり、吐息が、冷えて散ってゆく。
「幽世の美醜の誠のいろは…今宵は我らが教えてやろう…ッ!」
【魔法】らしきものの詠唱を完了する。
カットインさえ入りかねない勢いで、刀剣を抜き放つ。
「 デ ッ ド ス パ イ ク ッ ! ! 」
14門のメガな粒子砲を発射。
きつね仮面が抜き放った【蒼】の剣戟が、激突した。
―――ズバアアアアァァ、バシュウウウゥゥゥ、ギャリリリリィィィィンッッ!!
地中より顕現した、まっ黒な怪物が、巨大な咢を広げて、ビーム兵器をすべて呑み込んだ。なんか盛大にそれっぽい音と、エフェクトが響いた。
「やりおるのう! たかが人間の分際で、我のファンネr…【狐火】を、止めおるとはなぁ!」
おそらく、相手の本体は、【Ⅱ】次元上に存在することは、間違いない。リアル10代を名乗っておるが、実年齢は75歳を、くだらんはずだ。
だというにも関わらず、
「というかお主ッ! 年甲斐もなくっ、いっさいの遠慮も憂いも持たずっ! 堂々と【必殺技】を、心の奧底から叫びおったなっ!?」
「それがどうしたッ! 俺に恥じるところは何一つないッ!! はァッ!!」
跳んだ。掛け声とともに、数メートル頭上を、一気に跳躍しおった。
「この道、苦節六十年ッ! 異界の神々には及ばざれど、今さら多少の繰り言で俺の生き様を変えられると思うなよッ!!」
長ゼリフ。空中で、ぐるりと一回転しながら、早口で噛まずに言ってのけた。どういう原理かは分からんが、こちらへ落下するのに伴い加速した。手にした肉厚の刃を、叩きつけるように差し向けた。
「 ベ リ ア ル エ ッ ジ ! ! 」
またしても、【必殺技】を叫んだ。
狐火を四基操作して、高磁圧のシールドを生成する。物理法則を相殺。きつね仮面は、蒼い粒子に弾かれたまま、後方の地面に、片膝をついて着地した。
「なかなかやるな! だが、次の一撃を止められるかっ!?」
即座に立ちあがり、嬉々として言う。現実でも言ってみたいが、実際口にする機会はないだろう選手権、第三位前後にありそうなセリフを、惜しげもなく口にする。
「えぇい! まったく、『国連』の転移者どもは化け物か!? こんな厄介な、おもしろ子供老人を送りこんできおってからに! まったく始末に負えんなァッ!」
だが、今回だけは、特別に付き合うてやる。
理解のある女子に、感謝するがよい。
「…道具の性能の違いが、戦力の決定的差ではないという事を教えてやる!」
右手を扇のように、振り広げる。
我、ビームを、一斉発射せり。
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