色々思う所があってカットすることに。
すまん、せっかく王都の近くまで来てくれたのに、
君の見せ場はまた今度ということで。
「あ…天之河よぉ……」
中野が間の抜けた声を上げ、そして口喧しく叫んでいた面々が、
縋る様に光輝の顔を眺める。
光輝がハジメを内心では嫌っているであろうことは、薄々ながらも彼らも承知している。
それだけに敵の敵は味方という論理が、自分らの筋違いの非難は窘めはしても、
きっと自分たちの肩は持ってくれるに相違ないという認識が、
そう、この期に及んでの甘えが心の何処かにあったのだ。
それがまさか勇者の手によって梯子を外される、なんてことは思いも寄らなかったらしく、
全員が例外なくどこか呆けた表情を晒している。
いや、虚を突かれたのは他の者たちも、ハジメやジータも同じだ。
てっきり、この世界の人々を弄ぶ悪しき神と戦おう!と、
気炎を上げるに違いないと予想していたし、
それに対するカウンターも用意していたのだが……。
「雫も、それから香織も二人を助けてやってくれ」
そんな人々の戸惑いを他所に、光輝は一人で話を進めていく、
やはりそういう所は、なかなか変わらないらしい。
「い…言ったじゃないか、これからどうするか皆で話し合おうって……だったら」
「それは俺抜きでやればいいだろ」
泣きつくような声を出す斎藤へと、しれっと言い返す光輝。
「ここに来て半年……もう、この世界の事は皆も十分に理解している筈、
もうそれぞれの結論は、用意出来ていて然るべきなんじゃないのか?」
光輝のもっともな指摘に頷く者、ただ俯く者、視線を泳がす者、
そんな各人各様の表情を見やりながら、光輝は静かに宣言する。
「それで俺は日本に帰る事よりも、ここで戦う事を選んだ、それだけだ」
光輝は静かに嗚咽を漏らす永山の肩に手をやる。
「永山も、もう南雲を責めないでやってくれ……誰かがやらなきゃいけなかったことなんだ」
そう、その誰かとはきっと……。
「……ブルって逃げた癖して……」
どこかからそんな声が光輝へ向けて放たれた瞬間だった。
ハジメの身体から静かな、それでいて決して逃れられぬ死の気配を纏った、
そんな威圧が放たれ、ようやく彼らは理解する、
もう南雲ハジメはあの教室での南雲ハジメでは、自分たちがどうこうしていい存在では、
もはやなくなっているのだと。
「天之河君」
そこで漸く事態を飲み込んだ愛子が動く。
「君は先程、俺自身の存念の為と言いましたよね、ではお聞きします、
そこまでしなければならない、天之河君の存念とは一体何なのでしょうか?」
自分の名を叫ぶ人々の歓喜に満ちた表情を思い浮かべながら、光輝は迷いなく答える。
「この世界の人々に希望を与えてしまった責任を取ることです」
「ですが……それは」
何も君だけが負う必要はない、そう口にしようとした愛子の声は、
光輝の叫びが重なり掻き消される。
「もう誰もこれ以上巻き込みたくないんですっ!」
巻き込む以上に知って欲しくはない、見て貰いたくはない……。
歓喜と期待の裏側に潜む、死の恐怖から逃れたい一心で自身へと縋る人々の姿、
死して尚、辱めを受ける魔人族の姿。
そんな悲しみと憎しみに塗れた戦いの痛みや苦しみなど、
知らずに済むのならば、誰も知るべきではない。
(ジャンヌさん……俺はまたあなたを裏切ってしまっているのかもしれません……
でも、俺はもう知ってしまった)
そのジャンヌの姿はここにはない、彼女はメルドの補佐として、
騎士団の再編や訓練の補助を受け持ち、多忙な日々を送っている。
「で、オマエのいう責任ってのはどこからどこまでの話なんだ?
この世界から争いを全て無くすとかそういう話か?」
どういう仕組みか、おしゃぶりを着けたままでグラスの水を飲みつつも
まずはシャレムが鋭い視線を光輝へと飛ばす。
「それは勇者の正義ではなく、神様の正義だとわたちは思うぞ」
エキゾチックという言葉が似合う美少女であるにも関わらず、
その舌っ足らずなシャレムの言葉に、やや奇妙な気分を覚えつつ光輝は答える。
「少し前までは……あなたの言う神様の正義を、理想を俺は目指してました、
いや、自分ならきっと大丈夫と思っていました」
かつての自分は、本当に神様にでもなったつもりだった。
しかしそれは、何も知らなかったからこそ、何も知ろうとしないままの物に過ぎず、
その自分の理想が、ただの夢想、幻想に過ぎないということにも気づかぬままに。
だが自分は知ってしまった……現実を、そして神様どころか、勇者である前に、
自分もまた、自分が守るべき、そして倒すべき人間の中の一人だということを。
「この世界の行く末を決めるのは、あくまでもこの世界の人間であるべきだと
今の俺は思います……」
そう、人間なのだから……その領分を越えた何かを望んでしまえば、
きっと……今度こそ取り返しのつかぬ悲劇を招いてしまう。
「でも、その人間の判断そのものを操り、捻じ曲げる存在がいるのならば、俺は……」
エヒトの名を呼び歓喜する人々、そして息絶えて行く人々の顔が浮かぶ。
「そいつを許すわけには行きません」
「かと言ってオマエに何が出来る?」
「己の為し得る全てをもって為せるものを為す、今言えるのはそれだけです」
自分一人で世界に、神に立ち向かう、その結果がどうなるのか……分からぬ筈もない、
それでも光輝はこの世界の人々の為に勇者として何かがしたかった。
それが我儘に過ぎないことも承知している、だから退学届を出した、私事に留めるために。
「つまりぃ光輝お兄ちゃんは勇者だからぁ、この世界のぉ、
贄になるのが義務とでも言いたいのかなぁ?」
今度はシャレムに代わり、カリオストロが光輝へと詰問する。
「風車に挑むバカは大怪我しないとわかりゃしねぇと思って放っておいたが……」
その言葉が終るか終わらぬかの内に、カリオストロの拳が光輝の頬へと炸裂した。
「のぼせ上がるんじゃねぇぞ!ガキが!お前の勇者の証なんぞ、
たかが板切れ一枚、剣一本だ!天職が何だ!そんなもんで自分の未来を決めつけるな!」
恐るべきことにカリオストロはその小さな身体で、仰け反る光輝を抱え上げ、
バックブリーカーに固めていく。
「そんなもん忘れて棄てちまえ、それで親父やお袋の待つ家に素直に帰るんだな
待ってる誰かがいるのなら、子供でいられる間はな!……それでも全然構わしねぇんだ」
「あなたのこと……ジャンヌさんに聞きました」
自身の背骨が軋みだす音を意識しつつ、苦しい息の中で光輝も言い返す。
「自分の身体を造り変えては乗り換えて……何千年も生きている大賢者だって……」
「いいぞ、正解だ、で?」
「なら、あなたもいわばエヒトやアルヴの側に近い存在だ……そんなあなたに、
俺たち人間の気持ちが……っ」
「ほう……」
カリオストロの目が剣呑な光を放ち出す。
「オレ様が誰かを、そして何をしてきたかを知った上で言ってるのか?
だったら、いい度胸だな……」
「あなたの言う通り、俺はステータスプレートという名の板切れ一枚と、
聖剣という名の剣一本に保証されただけの……名ばかりの勇者です、けれどっ……、
それでもっ……せめてっ!……神の気紛れに、理不尽な運命に抗う心を俺は僅かでも、
この世界に遺したいっ!次の世代のために!」
光輝の叫びに息を呑むハジメとジータ、
それこそがまさに解放者の願いそのものではなかったのかと。
そしてカリオストロの口元が僅かに綻ぶ、どの道分かっていたのだ、
光輝の目にもまた、ハジメ同様に地獄を知った者にしか放てない光が宿っている、
そんな男を易々と止めることは出来ないことを。
カリオストロは光輝に掛けた技を、不精不精な仕草で解いてやる。
「バカは死ななきゃ直らねぇと言うが、こいつは死んでも直らないバカだ!
手を汚すだけ損というもんだな……ククク」
と、呆れ口調で呟きながら、またカリオストロは着席する。
オレ様に意見した奴は誰であろうと嬲り殺しにしてやったものを……などと、
やや物騒なボヤキを小声で吐きつつ。
よろよろとまた立ち上がろうとする光輝に雫が肩を貸し、
生徒らの視線が今度は雫へと集中する。
(光輝が……本気で悩んで考えて、それで決めたことなら……私は)
香織の横顔を雫はチラと見る、やはり考えていることは同じなようだ。
(ううん、私たちは止められない)
いや、もちろん止めたいのだ、一緒に日本に帰ろうと、
その思いは雫にしろ、香織にしろ同じである、それに何より……。
あの絶望の中でのジャンヌの姿を、雫は思い出す。
光輝もきっとわかっている筈だ、ジャンヌの本当の願いを……、
勇者の栄光よりも人としての幸福を、使命を忘れ剣を棄て、
ただの平凡なありふれた男として生きて欲しい、という。
しかし……あの浮ついた半年前の姿とはまるで違う、
自分たちを巻き込むまいと、神という強大な存在を相手に一人で戦うとまで口にする、
幼馴染の姿を見て、そこまでの決意と覚悟を見せられて、止められるだけの言葉を、
二人は持ち合わせていなかった。
何より神を……エヒトを許せないという気持ちについては彼女らもまた、
光輝と同じなのだから。
そんな想いを抱えつつも雫はこの場に龍太郎がいないことを心の片隅で感謝していた。
もし彼がいれば、また光輝と共に神と戦うと宣言し、
結果、またいつかの……半年前の光景が繰り返されることとなっていたかもしれないと。
(ジータ……あとはあなたたちだけ……お願い)
半年前と真逆の構図が展開される中、光輝の訴えにジータもまた固唾を飲んでいた。
目の前にいるのが、かつての……半年前の天之河光輝であれば、
これ幸いとばかりに見捨てたかも……いやいや、見捨てはしなかっただろうが、
塩対応に徹したことは事実だろう。
だが、その胸につい先刻の、夕日の中で光輝が自分に託した言葉が甦る。
『だからそう俺が言ってたって……日本に帰ったら伝えておいてくれないか』
ああ……きっともう一人で全てを背負い戦うと決めていたのだ、あの時から、
例え相手が何であろうとも。
「天之河君は帰りたくないの?」
あえてストレートにジータは問う。
「帰りたいさ……けど……」
言葉を詰まらせ、その身を震わせる光輝の姿は、
あの半年前の虚飾に満ちていたとはいえど、堂々とした態度とは一変しており、
やはりそんな彼を目にして掛ける言葉はジータにもなかった。
(どうせ悩むなら半年前に悩んでおきなさいよ)
そう、もしも半年前に光輝が同じ姿を見せていたならば、
ジータとて協力することに、やぶさかではなかったに違いない。
皮肉にもここに来て彼がリーダーとして勇者として、
覚醒の兆を見せつつあるがゆえに、その決意をなんとか汲んでやりたい、
無策であっても無私の志で、戦いに身を投じようとしている目の前の男を、
栄光という名の炎に焼かせてはならないという気持ちが、ジータには、
いや彼女に限らず、クラスメイトたちの心の中に芽生えつつあった
しかしこれは気持ちの問題で片付けてはならないのだ。
光輝は自分一人が戦えばいいと思ってはいるが、事態はそう単純ではない。
自覚と覚悟が芽生えたことについては確かではあるが、
周りが見えていないのはやはり相変わらずだ、これについてはなかなか直らないのだろう。
逆に言えば、周りをちゃんと見てくれる誰かが傍に付いててやればいいのだが、
彼がその人物との出会いを果たすのは、もう少し先の話になる。
ともかく、そんなことを考えつつも、自分自身もまた半年前の蒼野ジータではないのだなと、
そういう思いが彼女の頭を過った。
ちなみにではあるが、誰もが意図的に恵里の話題には触れない、
ハジメも、愛子も、光輝も、最も彼女について言いたいことがあるであろう鈴ですら……。
もしも彼女の話が僅かでも上がれば、もうそこで話は決まってしまう。
あの去り際の恵里の言葉を、笑顔をジータは思い出す。
そう、皆分かっているのだ、恵里を……裏切者を放置して、
このまま帰るわけにはいかないということも、
つまり中村恵理は自分を楔とすることで、クラスメイトらを、
この異世界へと縛り付けようとしているのだ、簡単には逃がさない……
一人でも多く道連れを作ると、己を置いて帰れないと知った上で。
それでも、感情では本心では、誰もが皆日本へ、家に帰りたいのだ。
だから恵里については誰もが口を噤む、ズルイと分かっていながら。
「なぁ……天之河」
ここでようやくハジメが光輝へと静かに語り掛ける。
「全てを無かったことには出来ない、けど、それでも俺はここで与えた傷、受けた傷、
全てを受け止めて……ただの南雲ハジメとして、もう一度また生き直したいと思ってる」
それは虫のいい話なのかもしれない、
自分たちの様な存在にとって、地球の社会はきっと冷たいであろうことも承知している。
それでもハジメは、地球で、人間の社会で、窮屈な思いと共に、
また人間としてやり直したいと心から思っている。
自分に取って大切な人々と、自分を大切に想ってくれる人々と一緒に。
「生き直せると思ってる、ここにいる皆もそうだと思ってる、
だからお前にだってそれは出来る筈だ」
ハジメは光輝へと手を差し伸べ、未だ残る厄介事を全てを承知した上で、
それでもあえて呼びかける。
「だから一緒に帰ろう、俺たちの故郷へ、俺たちが俺たちらしく、
ありふれた普通を過ごせる世界へ」
だが、やはり光輝は首を横に振る、その目に涙を浮かべ……声を詰まらせながら。
「無理だ……俺は知ってしまった、与えてしまった……背負ってしまった」
人々の希望を、願いを、未来を……。
「そして多くの運命を捻じ曲げた……だからもう何も知らない前には戻れない、
戻るわけにはいかないんだ!」
その捻じ曲げた運命の中には、檜山や恵里のことも、いやもしかすると
ハジメやジータの事も含まれているのだろう。
しかし、光輝の語る"責任"は、一種の狂気を帯びているように、
それこそ神の域には達さずとも、人間の領分は越えてしまっていると、
ハジメには思えてならなかった。
その行きつく先は勇者の正義ではなく、いわば魔王の正義なのかもしれないと。
一方の光輝はハジメの周囲に控える美少女たちの姿を、
そして教室の時とは比べ物にならぬ程に変わった、いや成長したハジメの姿を見る。
「お前にはきっと……」
運という一言で片づけてはならないのだろう、それでもあえてこう思うことにした、
南雲ハジメには運があって自分にはなかった、それだけの話だと、
だから目にした物が、手にした物が違ってしまったのだと。
「そうか……」
もちろんハジメには考えがある、しかしそれをスムーズに実行に移すには、
どうしても目の前の勇者を納得させなければならない。
光輝もまた目の前の錬成師に思う所があるということは理解出来ている、
しかし勇者としてこの世界の人々に殉ずると決めた以上、
その生き方を仲間たちに示さねばならない以上、
ただの言葉や理屈では止まるわけにはいかないのだ。
だから、もうこれ以外に方法はない、ただ、己の為し得る全てをもって。
かつて地の底の闇で足掻いた者が納得を与えるために、
過酷な現実の中で足掻く者が納得を得るために。
「「だったら、俺と戦ってくれ」」
変わったのは光輝だけじゃなく、ハジメについても今回のようなセリフを
違和感なく言えるような存在へと、何とか積み重ねることが出来たかと思います。