魔王のストレートがハジメの顎を掠める、ここに受ければ意識が飛ぶと、
ハジメは魔王の拳を滑らせるように交わすと、そのまま踏み込んだ右足を軸に一回転し、
構えた裏拳、いわゆるバックハンドブローが、
カウンター気味かつ、したたかに魔王の側頭部を打つ。
「この技!坂上の……」
「次はこいつだ!」
ハジメは魔王の喉笛めがけ今度は貫手を繰り出していく、
その鋭い突きは、剣と無手の違いはあれど、天之河光輝のそれを彷彿とさせるが、
二度目はないとばかりに、魔王は僅かに身じろぐのみで貫手を回避し、
逆に予備動作を一切感じさせない、手首のスナップのみで打ったワンインチパンチが、
今度はハジメの頬を打つ。
己が独力で培った圧倒的な経験を誇る魔王と、多くの導きにより育成された探求者の、
どちらが上か……それは一概には決められない。
ただし、死線を潜り抜けた者のみが待ち得る圧倒的な矜持についてだけは、
両者の瞳にはっきりと宿っていた。
だが、どちらかといえば攻勢に出つつも有効打を与えられないハジメよりも、
押している筈の魔王の方にこそ焦れたような表情が覗くのは、気のせいではないだろう。
そんな魔王の顔を見て、ハジメは直感する、自分との決定的な差を。
ああ……きっとこいつは、未だにその心をオルクスの闇の中へと彷徨わせているのだ、
どれほどの力をその身に帯びても、未だ奪われる恐怖から逃れることが叶わないのだ。
だからこそ、ユエにあそこまで執着しているのだと。
共に奈落を案内した際の、龍太郎の言葉をハジメは思い出していた。
『光輝の……香織の、雫の顔を、言葉を思い出せたから何とか耐えられた
きっと……本当の意味で一人だったなら、俺は死ぬか、
生きることしか考えられない獣のような存在になっていただろうな』
(俺もきっと……ジータがいなければ)
自分は恵まれていたのかもしれない、例えそうせざるを得なかっただけだとしても、
恨むよりも憎むよりも守ることを選ぶことが出来たのだから……。
それでも目の前の魔王が自分より不運だったとは、決して思わない。
それはただ一人で闇を耐え抜き走り抜いた者に対してあまりにも失礼だ。
(俺は俺……こいつはこいつだ)
「だろ!」
「何の話だ!」
魔王のヤクザキックがハジメの鳩尾へとクリーンヒットし、
腹の中の空気を強制排出させられつつ、後ろへと吹き飛ぶハジメ、
その背後は壁、逃しようがないと見た魔王は、
さらに追撃の拳を浴びせかけようとハジメへと迫るが。
壁にぶち当たり跳ね返る筈のハジメの身体が、何故か壁に吸い込まれ……
僅かなタイムラグを置いてから、くるりとUターンして戻って来る。
どんでん返しとなっていた偽壁である。
「セコいぞお前!」
「そうでもしなきゃ勝てないと思ったんでな!」
言い返しつつハジメは"空力"で慣性を制御するかのように連続で浴びせ蹴りを、
魔王の身体へと叩き込んでいく。
(くっ……固てぇ、あのタイミングで"金剛"を発動できるのかよ)
それでも攻勢に回っている限りは……、と、そこで魔王の姿がブレるように
ハジメの視界から掻き消える。
「ついに抜いたな限界突破!ならっ!」
ハジメもまた自身の限界を突破する、
こうして二人の戦いは新たなステージへと入って行くのであった。
互いに限界突破という切り札を使用した、魔王南雲ハジメと錬成師南雲ハジメとの
タイマン勝負は佳境に入りつつあった。
未だ錬成師には経験し得ない、戦いの履歴に裏打ちされた、
自己流かつ野生的な挙動を見せる魔王と、
カリオストロ、シルヴァ、メドゥーサ、シャレム……魔王には無かった数々の出会いを糧とし、
より洗練された挙動でそれを迎え撃つハジメ。
「斬糸だと!」
己の服の袖口が裂けたのを見、それが何によってかを悟り、
一瞬戸惑いの表情を見せる魔王。
その反応から見て、これは相手の知らぬ技であり技術だと確信したハジメは、
魔王言うところの斬糸、すなわち機神戦で回収したワイヤーをさらに縦横に繰り出していく、
もっとも、あまりに精密な操作を必要とするため、限界突破と瞬光を同時使用せねば、
扱うことが出来ない、切り札にはなり得ぬ隠し技であったが。
「お前は知りたいとは思わないのか!お前と俺との違いを!
俺は知りたい、お前と俺の辿った軌跡の違いを」
「お前は俺であっても、敵だ!」
まるで南雲ハジメは自分だけでいいとばかりに、ハジメの呼び掛けを頑ななまでに拒絶する魔王、
相対する自分自身による予想外の攻撃手段によって、
強化繊維を編み込んだ彼のスーツが千々に破れ、掠めた皮膚から鮮血が飛び散る。
「てめぇ……ユエの服をよくも!」
(自分が傷ついたことよりも、ユエに作ってもらった服が傷つくことに怒るのか……お前は)
確かに目の前の魔王は、魔王のその者ではなく、あくまでも何らかの作用によって、
そういう側面を強調されている存在ではあるのだろう。
だが、それを差し引いても、ユエに対する拘りが余りにも強すぎるように、
ハジメには思えてならなかった。
(ユエの身に何かが起こったのか……今、いや、それほど遠くない未来に)
そしてまたこうも思う、目の前の魔王は揺れる自分とは違って、
しっかりと最愛を選び取ったのだと……その時はまだ。
と、その時であった。ついに魔王のドンナーが火を噴き、
間一髪で弾丸を避けたハジメの頬に赤い筋が走る……どうやら終幕の時が来たようである。
いつの間にか銃器が使用できるまでに薄まった可燃粒子。
あの自分の猛攻を凌ぎ、それだけではなく反撃すら行いながら、
錬成を行い粒子の除去を行っていたとは……、やはり能力そのものは互角でも、
圧倒的なまでの経験差は埋めることは出来なかったことをハジメは痛感していた。
「魔王」
そんな言葉がハジメの口を衝いて出る、畏怖と、それ以上の強さへの憧れを込めた上で。
「今のお前が何を思っていようが、何を抱えていようが」
魔王はドンナーの照準をハジメの眉間へと向ける。
「この世界がどうなろうと、俺には知ったことじゃない……死ね」
ハジメはただ、銃口を睨むことしか出来ない、自身にとっての勝利の女神が、
すぐ傍までやってきていることを知っていながら……。
(天之河じゃないが、やっぱ願わずにはいられないな……ご都合主義ってヤツをよ)
それでも、時間稼ぎの命乞いも引き伸ばしもしない、自身には逆効果だということを、
痛いほどわかっているからだ、無駄なことよりも残された時間は有益に使わねばならない
だが、それでも。
「お前の世界は敵か味方か、ただそれだけでしかないのか?
そんな単純な世界で生きているのか?生き続けることが出来ると思っているのか?」
それだけは聞いて置きたいと思った。
「お前はお前、俺は俺だ」
魔王の、冷厳なまでの回答に首を竦めるハジメ、その心の中に湧き上がるのは、
意外なことに惜しいという気持ちだった。
(凄い……俺は、いや俺たちはどこまでバケモノになって行くんだ、
見てみたい!俺たちがどこから来てどこへ行くのかを!)
絶対絶命の状況にあって、それでもなお、未知なる何かへと瞳を輝かさずにはいられぬハジメ、
だから、一方の魔王も目の前の……自分とは似ているようでいて異なる、
そんな南雲ハジメの出方を僅かではあったが、この状況で伺っていた、いや、伺ってしまった。
その瞬間、二人の間を分かつかのように巨大な雷撃が放たれる。
それは両者に取って、見慣れた魔法の光、
飛び退った二人が光が晴れた後に見た物……それは。
まるで自分たちを阻むかのように両手を広げ、一言で表すならばケンカは止めてと、
まさにそんな風に、魔王の銃口に立ち塞がるユエの姿だった。
「そこをどけッ、ユエ……例えお前でも……俺はッ!」
南雲ハジメに、魔王に半ば叛旗を翻したかのようなユエの行動に、
そのあってはならない、ある筈がない事態に、
口調こそ強いが、魔王の叫びは弱々しく聞こえて仕方が無かった。
(何を躊躇うッ……コイツは俺のユエじゃない、俺は魔王だ……撃てるッ)
だが、魔王の心の叫びとは裏腹にトリガーに掛けた指は、
まるで鉱石にでも変わってしまったかのように動こうとしない。
そして何よりこんな顔の、こんな瞳のユエを見るのは……。
(あの時、俺がヒュドラを相手にして動けなかった時の……)
だから揺らぐ、魔王の銃口が。
さらに魔王は気が付いてしまっていた、
揺らぎなき瞳は、その小さな背中の先にいる南雲ハジメのみならず、
自分自身にも向けられていることに。
一方のユエは魔王の銃口を身じろぎもせずに見据えて離さない、
対峙した自身の影の言葉を思い出しながら……。
『ハジメを自分だけの騎士に仕立て上げたかった』
『飼い慣らして自分の元から離れられないようにしたかった』
だからシアやティオ、香織の同行を許した、
男を飼い慣らすのは、いつの世でも金か女と決まっている、
そういう手管を宮廷での生活の中で、ユエは自然と身に着けている。
『でもハジメにはもう別の騎士がジータがぴったりとついていた』
『ジータが自分にも、ともするとハジメ以上に優しくしてくれることが、
貴方には嬉しかった……けれど』
それは同時に屈辱だった。
『でも、ジータと一緒にハジメの騎士になる自信もなかった』
口では守ると言って置きながら、同じ土俵で渡り合う自信がなかったから。
『だから貴方は無垢なお姫様のままでいるしかなかった、
そうすれば二人はいつまでも自分の騎士でいてくれるから、でも……』
『貴方がお姫様でいる間に、シアも香織もティオも自分なりのやり方で
ハジメとの関係を成熟させて行った』
先のハルツィナでの戦い……自分だけが何も出来なかった、何もしようとしなかった、
お姫様のままでいようとしていた、香織の激を受けるまでは。
『貴方だけがあの時と、助けて貰った時と何も変わらない、
家族と言う名の心地よさに、守られる優越感に甘えて一歩も先に進んでいない』
(私はお姫様じゃない……ハジメもジータも私の騎士なんかじゃない、
私たちは仲間だから友達だから……その証を見せてあげる……私)
ユエは自身の影に誓ったままに、魔王の銃口へとその身を晒す。
だから魔王は身じろぐ、自分相手には決して見せない、その瞳に、
自分たちを争わせまいとする、その強き意思に。
だから魔王は致命的なミスをついに犯してしまう、
自身に迫るもう一つの影への対処が遅れてしまったのだ。
だが、それでも一種の戦闘機械を思わせるかのように、
迅速かつ正確に魔王は影の方向へと視線を向ける、そこにいたのは……。
あれ?こんな奴いたか?
それでもがおーと迫る殺気に呼応するかのように、ハジメはジータへと、
獣の毛皮を頭から被った、ヒロインというより蛮族と呼ぶに相応しい異様な姿の少女へと、
シュラークのトリガーを引く。
本来ならば避ける術などない至近距離での銃撃、しかし。
南雲ハジメの、魔王の強さの根幹とも言っても過言ではない技能、"瞬光"を、
使用したジータは電磁加速された弾丸を掻い潜る。
あってはならないこと、いてはならない者の存在に、魔王の表情が驚愕に歪む、さらに。
"限界突破"を使用したジータの身体が魔王の視界から掻き消える、そして、
魔王の側頭部に跳び膝蹴りが、プロレスでいう所のシャイニングウィザードが、
クリーンヒットした、余りの鮮やかさにジータ本人が驚く程に。
「ぐっ……」
脳を揺らされたダメージも去ることながら、
自身と同等の存在がもう一人いる、しかも頭から毛皮を被った蛮族めいた見たことない女、
このあり得ない状況に混乱する魔王。
しかもその時、折り悪く限界突破がリミットオーバーとなってしまう。
「すまん……こんな形で勝ちを拾って」
実際は半ば狙っていた形である……ユエの件こそ予想外ではあったが、
それでも謝っておきたかった、立場が逆ならきっと自分も納得出来ないだろうから。
ともかく、ぐらりと頽れる魔王の胸元へとハジメは義手を構える。
ライセンで大玉を破壊して以来、これまで使用する機会もなかった、
対象に拳を接触させた瞬間、弾丸による爆発力と"豪腕"技能、
それに加えて魔力を振動させることで、義手自体を振動させ対象を破砕するアームパンチ、
名付けて振動破砕が魔王の身体を貫き、仰け反り宙にぶっ飛ぶ魔王の姿を確認しつつも、
自身もリミットオーバーによる倦怠感で、やはり地に崩れるハジメであった。
「死んじゃったの……かな?」
「いや、大丈夫だろ」
流石に一応自分自身にフルパワーの打撃を叩きこむことに、
無意識の躊躇いがあったのか、
僅かに入りが甘かったことをハジメは自覚している。
ユエが失神している魔王の眼帯を引っ張ると、そのままびよ~~んと伸ばして離す。
べちん!衝撃に僅かに身じろぐ魔王、その様がツボに入ったのか、
二度三度と眼帯をゴムパッチンの要領で伸ばしては離すユエ。
べちん、べちん、べちん、べちん、べちん……。
「いてぇだろ!この野郎ッ!」
「あ……起きた」
ハジメの左目が見開くと同時に強烈なまでの鬼気が周囲を染めて行く、
この俺にこんな舐めた真似をとばかりに、一瞬激情にその顔を染める魔王だが、
それにはまるで物怖じすることなく、自身の顔を覗き込むユエの顔が目に入ると、
途端に鬼気がみるみる萎み、気まずそうにではあったが、
その激情を何とか納めて行くような雰囲気を醸し出し始める。
確かに魔王にこんなことが出来る者は、そしてそれを許される者は、
両の手で足りるくらいの数しか存在しないであろうし、
ユエがその数少ない一人であることは容易に察しはつく、が、しかし。
(ユエちゃんに首ったけなんだ……)
そう、ユエを見つめる魔王の視線を見、確かにジータは二人の関係を感じ取っていた、
若干の敗北感こそあったが、厨二な外見に加え、魔王と呼ばれる存在であったとしても、
目の前の南雲ハジメは最も大切な誰かを選び愛せる存在なのだと、その時はまだ……。
一方のユエも、魔王と自分の関係を悟ったのだろう、僅かにジータへと勝ち誇った、
少し自慢げな顔を見せる、その時はまだ……。
そして魔王の視線は、ジータとユエの先、
まるで守られるかのように蹲るハジメへと向けられる。
「こんなんで……女に救って貰うなんてそれでも俺かよ……」
憤懣やるかたない魔王へと、ジータとユエがどんなもんだと胸を張りつつ、
悪戯っぽく笑いかける。
「私たち女だから、男と男の勝負なんて関係ないから」
「ねー」
「んっ」
顔を見合わせ笑い合うジータとユエ、そんな二人へと微笑みつつ、
ハジメは魔王へと答える。
「すまんな、この二人は、特にジータは俺にも止められないんだ」
「違うんだな……ここは、本当に俺のいた世界と、そしてお前もまた俺とは同じようで
違う道を歩んでいるんだな」
それはきっと目の前の自分、南雲ハジメだけではないのだろう。
全く同じに見えてそれでいて少し違う、ユエの姿を、表情を見て感慨深げに呟く魔王。
「なぁ……勝ったんだから二三質問してもいいか?時間のある間に」
魔王の姿は薄れて行きつつあった、もしも本当に彼がこの世界を、
トータスを攻略したというのであれば。
「どうやってエヒトに勝ったか?教えてなんかやるかよ、テメェで考えやがれ」
「だと言うと思ったよ」
機先を制され、苦笑するハジメ。
「それに俺の経験がこの世界で通じるとは限らないだろ?
模範解答に囚われていたら、応用問題が解けなくなっちまうぞ」
せめてユエのことだけでも伝えておくべきか……一瞬そんな考えが魔王の頭を過るが、
この南雲ハジメがそれを知った上で、僅かな時間で対策を立てられるのかも未知数な上に、
自分がもしも同じ世界に逆行出来たとしても、同じことが起きるとは限らない。
その思いが魔王の口を閉ざしてしまう。
何より、本当にエヒトが、いや、例えエヒトであったとしても、
自分の戦ったエヒトが待ち受けているとも限らないのだから。
「ま……それだけじゃこうして出会った意味もないわな
ここまで来たってことは、作ってるんだろ飛空艇」
ようやく身体も満足に動くようになったか、軽く伸びをしつつ、
魔王は地面になにやらレシピのような物を刻みつけて行く。
「これで飛空艇の性能は数倍に跳ね上がる」
だがハジメはそのレシピを一瞥するなり、忌々し気な表情を浮かべ、
靴の裏でレシピを掻き消していく。
「こんな古い物使えるか!酸素欠乏性かお前は!階段で転んで頭ぶつけちまえ!」
「ちっ……」
舌打ちしつつもその姿をさらに薄らげ、背景に溶け込みつつある魔王、
他に何か聞くべきことは……。
そうだ、この魔王が、身体的には自分とほぼ同一の存在であるのならば……。
ハジメは魔王へとそっと耳打ちする、あまり女性陣には聞かれたくない、
センシティブかつ、切実な質問を。
そんなハジメの言葉を耳にいれた魔王の顔が、なんだそんなことかと、
どことなく呆れたような表情へと変わっていく。
「大丈夫だ、母子ともに健康そのものだ、ユエの子も、香織の子もシアの子もティオの子も」
うんうん、ユエとちゃんと子供作れるのか、ならジータとでも大丈夫だろうし、
ティオの願いも……と、そう胸を撫でおろしたハジメだが、
続く魔王の言葉にその顔面が蒼白となっていく、おいそこから先は何だ?
香織?……シア?
「雫の子も愛子の子も……ああそれからレミアも……とにかく皆元気に育って……」
「……お前」
いや、確かにハーレムとかいいかもと思うのは少年の常だ、
自分だってゆらぎ荘を愛読している、
新妹魔王は……読んでるのバレてジータに取り上げられたけど、
でも……嘘だと言ってよ魔王様!
そんなコイツやりやがった的な驚愕の表情を浮かべるハジメとは対照的に、
何か俺おかしなこと言った?と、
何ら問題の深刻さを理解していないかのような表情を魔王は浮かべている。
「やっぱテメェは蟲だ!昆虫だ!何が魔王だ!交尾ばっかしてんじゃねぇ!」
「なんで怒るんだ!お前だって今頃はもう……」
ハジメが魔王の胸倉を掴むか掴まないかの内に、魔王の姿は一枚の銀片となって掻き消える。
それは見る者に勝ち逃げ、という言葉を連想させる程、鮮やかかつ絶妙のタイミングであった。
かくして迷路の中には、狸に化かされたかのように硬直するハジメと、
そんな彼の背中を冷ややかな表情で見つめる、ジータとユエのみが残されるのであった。
「なぁ」
「知らない!」
「俺だけど俺じゃねぇだろ!アイツは!」
一様に冷たい表情を浮かべ、スタスタと先へと進むジータとユエへと、
回り込むようにして何とか足を止めさせようと懇願するハジメなのだが、
やはりというか何というか二人の反応は冷ややかそのものである。
「俺が嘘を言ってないことくらいわかるだろ!ジータ!」
「……ハジメの繁殖魔王、種馬」
げしげしとユエがハジメの向う脛にトーキックを入れる。
南雲ハジメが自分のみに仕える忠実な騎士であったのならば、
きっと自分は、むしろ進んで受け入れていた……。
忠誠に対しての褒美のような感覚で女たちを与えていたのかもしれないと思いつつも。
「ダメだよユエちゃん、直接触ったりしたら妊娠しちゃうよ」
憤りのままに冷たい言葉を放つジータ。
確かにハジメを人の輪で包み、孤独な魔王の運命から救い出そうとしたのは事実だ、
今だってそれは続いている、これからだってそうだ、決して見捨てはしないと断言できる。
だが、それとこれとは明らかに別である、幾ら何でも調子に乗り過ぎだ。
それに自分の存在が仲間たちに遠慮をさせてしまっているという思いすら、
抱えていたにも関わらず……当の本人ときたら……。
もちろん別の世界、別の運命を辿った南雲ハジメであることは分かってはいるのだ。
しかしそれでも南雲ハジメであることには変わりはない。
「香織ちゃんたちに飽き足らず、雫ちゃんや愛ちゃんにレミアさんにまで手を出すなんて、
魔王は魔王でもあっちの方だったんだね!心配して損しちゃった!」
「俺だって悩んで損したって思って……あ」
本気で怒っているのは分かっているが、それでも弁明しないことには始まらない。
こっちだって本気で反省……いやいやそもそも俺だけど俺じゃない奴のやらかしに、
どうして何もやってない俺が反省しないといけない?
などと、ぐるぐると余計なことが頭を巡ってしまっているせいで、
自分が言ってはならないことを言ってしまったことには、まるで気が付いていない。
「悩んで?損した?……ふ~~ん」
「あ……いや、それは……違」
ジータがハジメの感情を察知できるのと同様に、ハジメもまたジータの感情を察知できる、
ゆえにジータの怒りに火を注いでしまったことに気が付き、
ますますその身体を硬直させるハジメ、それとは対照的に、まるで怒ってないよぉ~と、
立ち尽くすハジメを押しのけつつ、心とは裏腹の満面の笑みを見せるジータ。
「じゃあね、色欲魔王南雲さん」
「話聞いてくれよぉ~~~」
自業自得と呼ぶにはあまりにも理不尽にして惨い、
そんな悲し気なハジメの叫びが、氷の迷宮に木霊し、
もうそろそろ許してあげようかと、微笑みつつも顔を見合わせるジータとユエだったが。
『これからを考えるともう少し粘った方がいいわね、油断しちゃだめよ』
「「だよね」」
と、ガブリエルの助言に従い、あと暫くは塩対応を続けようと二人は頷きあい。
かくしてこの世界における南雲ハジメのハーレムは、
始まる前から哀れにも霧散し、魔王の被害者が世界にまた一人増えたのであった。
(畜生ッ!絶対仕返ししてやるぞ!俺じゃない俺ッ!)
一連の展開ですが、少しおこがましいなと思いつつも、
自分がここまで書いてきた南雲ハジメと、原作の南雲ハジメを遭遇させてみたいという
興味が、ムクムクと込み上げてきたわけなんですね。
(先に書いた通り、優劣や善悪や正邪を決めるためではありません)
ともかく決着です。
深刻な、殺伐とした展開にする予定はないとは先に伝えた通りですが、
ちょっとコミカルに寄せ過ぎてしまった気もしないでもないです。
魔王はユエを、例え自分の世界の存在ではなくとも撃てないであろうということと、
エヒト勢を除いて自身と同等の存在と遭遇したことがないという二つの弱点?を、
あえて突かせて頂きました。
で、ハジメって微妙にディスりにくいキャラなんですよね、
言いたいことや、ダメなところが多々あるにも関わらず。
忌避はすれど否定しきれない、そういう微妙なポジに収まってしまってるといいますか……。
(但し悪目立ちはしてしまってますね、例えば石川賢先生の世界とかなら
あれでも全然いいと思いますが)
いずれにせよ、魔王様や勇者に対してお前はこうだからああだとか、
だからお前はアホなのだとか、主人公たちにそういう大上段から意見したりさせるのは、
最初から避けようとは考えていました。
そういうことを口にしていいだけの何かを、ハジメにせよジータにせよ、
まだ持ち合わせてはいないでしょうから。
それにキャラクターの目と、作者・読者の目は違って然りでもあると思うので。