朝から思わぬラッキースケベで気力充実!と行くほど人間の肉体は簡単ではない。
ハジメは徹夜でふらつく体でなんとか踏ん張り教室の扉を開けるのだが、
その瞬間、冷ややかな視線を教室の男子生徒の大半から浴びせかけられる。
「よぉキモオタ! また徹夜でゲームか? どうせエロゲでもしてたんだろ?」
「うわっ、キモ~。エロゲで徹夜とかマジキモイじゃん~」
そんな微妙な空気の中で口火を切るかのようにハジメを嘲笑したのは檜山大介といい、
毎日飽きもせず日課のようにハジメに絡む生徒の筆頭だ。
近くでバカ笑いをしているのは斎藤良樹、近藤礼一、中野信治の三人で、
大体この四人が頻繁にハジメに絡む。
で、次はジータがハジメに続いて教室の扉を開ける。
その瞬間、今度は女子生徒の幾人かから舌打ちやら睨みやらを頂戴する。
「おはよう!檜山くん、斎藤くん、中野くん、近藤くん」
不快な嘲笑を掻き消すかのようにジータは大声で、
四人に挨拶をかけると後を追うように自分の席へと向かう。
「ああ…お、おはよう蒼野」
檜山と斉藤と中野は慌てて視線を逸らすが、近藤だけは、
ジロリとジータの顔を一瞥してから目を逸らす。
俺の顔見てたとか、バカかお前とかそういうヒソヒソ話が僅かに耳に入る。
「で、ホントに徹夜でゲーム?」
「まぁね」
「夜更かしはよくないよ、身長伸びなくなるよ、人生最後の成長期なのに……
で、宿題はちゃんとやってからだよね」
小声で隣の席のハジメに話しかけるジータ。
(檜山くんの言う通り、ハジメちゃんはオタクだよ…でも)
いわゆるキモオタとは違い、コミュニケーションもちゃんと取れるし、
身なりも清潔にしており、アニメとかゲームが好きなだけの大人しい少年だ。
確かに世間一般ではオタクに対する風当たりは強いといえば強いのだが、
かといって、ここまで敵愾心めいた隔意を持たれることはない。
では、何故そうなったのか?
理由はいくつかあるのだが、まずその一つはかつてのハジメ本人にある。
かつての彼は居眠りの常習犯であり、かつ実家が太いこともあって、
その態度と境遇に苛立ちと羨望を一手に集めていたというのがある。
もっとも、授業態度に関しては進級して同じクラスになったジータの忠告、
(一部暴力を伴った)もあって、かなり改善しており、
授業中の居眠りもジータがハジメの両親に、
仕事の手伝いを遅くまでさせないで欲しいと頼んだため、ほぼ無くなってはいる。
しかしゲームに関しては、やめられないらしく
時折こうしてフラフラと身体を引き摺るように登校してくるというわけだ。
むしろ休まないだけ立派というべきか、もちろん、予習復習も提出物も全て終えてからなので、
文句を言える立場でもないし、ましてやここは香〇県じゃないので如何せん止められない。
そして最大の理由が彼女である。
「南雲くんおはよう! 今日もギリギリだね、もっと早く来ようよ」
このクラス、いや学校でもハジメにフレンドリーに接してくれる数少ない例外であり、
この事態の原因でもある一人の女子生徒が、
弾けんばかりの笑顔でもってハジメのもとに歩み寄る。
その名は白崎香織、三大女神の筆頭にして男女問わず絶大な人気を誇る途轍もない美少女だ。
腰まで届く長く艶やかな黒髪、少し垂れ気味の大きな瞳はひどく優しげだ。
スッと通った鼻梁に小ぶりの鼻、そして薄い桜色の唇。
ジータが妖精なら香織は姫君という表現が相応しいだろう。
「ああ…おはよう、白崎さん」
ハジメは鋭さを増す殺気に冷や汗を流しつつも挨拶を返す。
で、そんな、南雲ハジメ君のような生徒とは、普通に考えるとほぼ無縁の存在であるべき筈の、
白崎香織さんは、なぜかよく彼を構う、
生来の面倒見の良さ、という言葉では片づけることが出来ぬ程に。
前述の通り、授業態度こそ改善されてはいたが、
未だハジメを不真面目な生徒と思う者は、いや思いたい者はまだまだ多く、
つまりはそんなヤツがどうしてという侮りめいた嫉妬に満ちた空気が、
教室に蔓延しているというワケである。
これでハジメがスポーツ万能、ないしは成績優秀、あるいはイケメンなら、
話は別なのかもしれないが……。
(少しは押さえてって言ったんだけど…仕方ないか、恋は盲目って言うしね)
そんな二人の会話を微笑みながら見守るジータ、ちなみに彼女の存在もまた、
ハジメへの敵意の原因の一つであることは言うまでもない。
そんな中でジータもまた、自身のうなじのあたりに絡みつくような視線を感じていた。
例の四人の中の誰かだろう、まぁこういうのには慣れている。いや、慣れてしまった…。
美少女の宿命というやつだ。
と、時間を確認しようと時計に目をやろうとした時、三人の男女がハジメに近寄っていく。
「南雲くん、おはよう毎日大変ね、それからジータもおはよう」
「香織、また彼の世話を焼いているのか? 全く、本当に香織は優しいな」
「全くだぜ、進級して結構マシになったとはいえよ」
おはようと挨拶してくれた声の主にはジータは笑顔で応じたのだが、
もう二人の顔を見てジータはうんざりとした表情になる。
まずは先ほど二人に挨拶をした少女の名は、八重樫雫という。
百七十二センチメートルという女子にしては高い身長と引き締まった身体。
トレードマークである、ポニーテールにした黒い長髪は、
まさにクールビューティーにして、サムライガールといった印象である。
実際に彼女の実家は八重樫流という剣術道場を営んでおり
雫自身、小学生の頃から剣道の大会で負けなしという猛者である。
ちなみに、男子以上に女子に人気があるらしく、
後輩の女子生徒たちに"お姉さまと"慕われ囲まれ、困惑している光景はよく目撃されている。
彼女とジータ、そして香織を合わせた三人が学園の三大女神と呼ばれる女子生徒である。
(姫に妖精、女剣士と揃い踏みだぜ…俺このクラスに入れて良かった)
(あれ?遠藤くん今日休みだった気が…)
不意に聞こえた声に首をかしげるジータ。
お次は些か臭いセリフで香織に声を掛けた少年、その名は天之河光輝と言う。
そんないかにもなキラキラネームの彼は、その名に相応しいだけの、
容姿、成績、スポーツ、あらゆる分野で万能の、まさに完璧超人である。
そんな奴ならば、きっと嫌な奴に違いないと誰も思うかもしれないが、
おあいにく様、性格もまた誰にでも優しく、正義感も強いのである。
香織、雫の二人とは幼馴染であり、彼もまた小学生の頃から八重樫道場に通い、
剣の腕を磨いており、その剣腕は彼女と同じく全国クラスの猛者であり、
また当然のごとく女子にもモテモテであったりもする。
と、非の打ち所なき男ではあるのだが、しかしどこか演技じみた、造り物じみた何かを、
彼の内面から僅かながらも感じてしまうのは、穿ち過ぎなのであろうか?
最後にやや投げやりと言った風の挨拶を発したのは大男は坂上龍太郎といい、光輝の親友だ。
百九十センチオーバーの巨体に加え、鷹揚さを感じさせる瞳の持ち主であり、
その印象に反さず、細かいことは気にしない脳筋タイプである。
そういう男は得てして努力とか熱血とか根性とかを分かりやすい物を好むものであり、
従ってハジメのように目に見えてやる気を出さない人間は嫌いなタイプらしい……。
いや、もしかするとそれとは違う理由もあるのかもしれない。
「おはよう八重樫さん、天之河君、坂上君、はは、まぁ、自業自得とも言えるから仕方ないよ」
「それが分かっているなら直すべきじゃないか? いつまでも香織の優しさに
甘えるのはどうかと思うよ、香織だって君に構ってばかりはいられないんだから」
ハジメ自身もジータの忠告を聞き入れて以来、かなり態度を改善させている意識はある。
とはいえ、天之河光輝にとってはまだまだ不足らしい。
あるいは……態度が改善しているからこそ、なのかもしれないが。
(単に優しいってだけで香織ちゃんはハジメちゃんに構ってるわけじゃないよ…、
香織ちゃんはね)
そう声を大にして口を挟みたくなったジータだが、なんとか自重する。
ちなみにジータも兄の付き合いで中学卒業まで八重樫道場に出入りしており、
彼らとは深い親交がある、いやあったと言うべきか。
雫と香織に関しては現在でも良好な友人関係を維持しているが、
今やジータにとって天之河光輝は顔を見るのも嫌な男だったし、
天之河光輝にとってもジータの双子の兄、蒼野グランに係る確執があった。
「いや~あはは……」
ハジメは笑ってやり過ごそうとするのだが、だがそこに香織は核爆弾級の爆弾を無自覚に落とす。
「光輝くん何言ってるの? 私は南雲君と話したいから話してるだけだよ?」
「プッ!」
思わず吹き出すジータ、しかし笑ってばかりもいられない。
男子生徒達はギリッと歯を鳴らし呪い殺さんばかりにハジメを睨みつけ
檜山達四人組に至っては昼休みにハジメを連行する場所の検討を始めている。
(だから押さえてっていつも言ってるでしょ!香織ちゃん!)
香織から好きな男の子がいると相談を持ち掛けられた時には驚いたものだが、
相手を知って二度ビックリし、好きになった理由を聞いて大いに納得した。
可愛い可愛い弟分の良さを本質を、しっかり理解してくれている女の子がいたのだ、
それもこんなに近くに、これは香織の親友として、そしてハジメの姉貴分として、
恋の成就を願わずにはいられない。
以来、ジータは雫と共に香織に恋のアドバイスをしたり、
それとなくハジメに香織についてのアレコレを教えたりしているのだが、
もっとも生徒が悪いのか講師が悪いのか今のところ効果はサッパリだった。
「え? ……ああ、ホント、香織は優しいよな」
どうやら光輝の中で香織の発言はハジメに気を遣ったと解釈されたようだ。
彼は確かに完璧超人なのだが、そのせいか少々自分の正しさを疑わなさ過ぎるという欠点があり、
(そこが厄介なんだよなぁ~)
(厄介なのよね~)
と、ハジメとジータは現実逃避気味に教室の窓から青空を眺め、
それからしばらくする間もなく、始業のチャイムと共に教師が教室に入って来るのであった。
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ハジメの授業態度に関する箇所を修正。