やはり名も無き者の声。
サムライガールと刀神の話は次回に。
宿場町ホルアド。
束の間の自由時間、光輝はジャンヌを誘い、薄暮の街を案内していた。
本当は雫や龍太郎も誘いたかったのだが、雫は夕食を済ませるや早々に床に就き、
龍太郎は、あんなことがあったにも関わらず、いやあんなことがあったからこそだろうか?
相も変わらず自主トレを続けていた。
水路に架けられた小さなアーチを描く橋の上で、夕闇に薄く染まる水面と、
そして隣で物珍しそうに異世界の街並みを眺める少女の美しい横顔を、
交互に見つめながら、光輝はポツリポツリとジャンヌへと語っていく。
「君はそっくりなんだ……」
もちろん遙か昔の人物、会ったことなどある筈もない、
しかし目の前の少女は、まさしく光輝の思い描くジャンヌ・ダルク、
救国の勇者、伝説の聖女そのものの姿だと確信を持っていた。
「俺たちの世界にもジャンヌ・ダルクって女の子がいてさ」
光輝は幼き日の記憶を手繰り、ジャンヌ・ダルクの半生を、悲劇の聖女の物語を、
ジャンヌへと語って聞かせる。
平凡な村娘が、祖国を人々を救えと啓示を受け、神聖な戦いへと身を投じる。
語りながらその姿は何となく今の自分にも似ていると光輝は思った。
そして少女は見事に人々と共に戦いに勝利し祖国に平和をもたらしたのだが、
しかしその平和は仮初のもの、だが、戦いに倦み疲れた人々は、
真の平和の為に尚も戦わんとするジャンヌの存在を今度は忌み嫌うようになっていく、
そして……。
「……一晩中、眠れなかったさ、悔しくって」
裏切者の、魔女の烙印を押された少女は愛し守ろうとした民衆たちの手により、
火刑台へと送られる、国のため、人々のため戦い続けた少女が、
何も報われることなく、言われなき罪を着せられ処刑される、
こんなことが許されていい筈がない。
「だから俺は……正しい者がちゃんと報われる、そんな世界を……」
声を詰まらせる光輝の頬へと、ジャンヌはそっと手をやる。
いつもの光輝ならば、こんな時、笑顔と共に、ありがとうの一言を添えるのだが。
何故かジャンヌの顔が目に入ると、髪の香りが鼻腔を擽ると、
それだけで頬が熱くなり、そこで何も言えなくなってしまう。
「きっとその彼女は……私と同じ名を持つ彼女は……」
静かに、しかし口元に柔らかな微笑を湛えながら、ジャンヌは続ける。
光輝にとってあまりに予想外な言葉を。
「満足していたのでしょう」
「どうしてですかっ!」
流石に声を荒げる光輝へとジャンヌは諭すようにまた微笑む、
その微笑みがあまりに眩しく思え、また光輝は眼を逸らしてしまう。
「世界によって選ばれた者は世界によって棄てられる、当たり前のことです、そして」
ジャンヌは光輝が腰に差した聖剣へと視線を移す。
「私も、君も……選ばれてしまった」
「だからこそっ!」
義務を果たした者には、それに相応しい感謝と栄光があって当然、
そんな思いを隠さない光輝へと、ジャンヌは静かに首を横に振る。
「……選ばれし者の責務とは……名も知らぬ者の大切を守るために、
名も知らぬ者の大切を奪い、奪われた者の怨念を背中に背負い、
いつか訪れるであろう終焉を待ち望む存在」
ただ静かに、淡々と光輝の思い描く勇者道とはあまりにも乖離した、
残酷な事実を、自らが思い描いた勇者そのものの姿で告げていくジャンヌ。
「他ならぬ愛した国から民から必要なき者と見做されることで、
ようやく彼女の魂は救われ、自由を得たのです」
「嘘だ……そんな……嘘だっ!」
喘ぐように視線を宙に泳がせる光輝。
それは……人の歩んでいい生ではない、それはただの都合のいい使い捨ての道具だ。
「俺も、それに君だって道具なんかじゃない!そんな悲しい生き方があっていい筈がない!」
ジャンヌの肩を抱き寄せる光輝、その勢いのままに言葉を紡ぐ。
「君だってそうじゃないか!俺は……君がさっきバターたっぷりの甘いクッキーを
美味しそうに食べているのを見た、あれがきっと君の本当の姿だ……だからっ」
「ありがとう光輝……君は優しい人だ」
肩に乗せられた光輝の掌にジャンヌは自らの掌を重ねる。
「ですが、この身体はもはや血と怨嗟に染まり切っている……」
穢れとは一切無縁に思える純白のドレスを翻すジャンヌ。
しかしその瞳はいずれ自分もと問うているように、光輝には思えてならなかった。
「それでも……あらゆる世界に生きる人間は皆等しく幸せになれる権利がっ……ある筈なんだ!」
だからきっと……それでもジャンヌは悲し気に頭を振る。
「そう、だがその範疇に私たちは決して含まれない、含まれてはならないのです
大切を守るために大切を奪わねばならぬ、私たちは決して」
「ジャンヌさんは……それでいいんですかっ!そんな悲しい最期を迎えることになったとしても」
「私が逃げても……誰かが代わりをやらされるだけです」
いや、違う……渡したくはないのだ、その果てにどれほど残酷な最期が待っていたとしても、
自分もまた大いなる神に啓示を受けたことに、"選ばれた"ということに、限りなき使命感と、
そして棄てられぬ誇りを抱いているのだから。
"選ばれる"という、決して手放せぬ無意味な誇りに躍らされる、そういう意味でも、
自分とこの目の前の少年は似ているとジャンヌは思っていた、そしてその一方で、
こうも思っていた、まだ間に合うと。
「君には……私のようにはなって欲しくはない、地を這い、泥を啜り、
希望という名の決して届かぬ一縷の光に手を伸ばしつづけるような生き方は
して欲しくない」
何も言い返せない光輝。
いつもの彼ならば、俺が何とかしてやる、俺が守ってやる、だのと
威勢のいい言葉を飛ばすのだが、まるで喉から言葉が出ない。
ただ圧倒されているのだ、自分と殆ど年齢も変わらないであろうこの少女の
抱える苦しみ、そしてその苦しみすらも背負う覚悟、そして苦しみを一身に背負って尚、
眩いばかりに輝くその姿、その精神を目の当たりにして。
それは只の大人に過ぎないメルド・ロギンスや、同級生であり友人に過ぎない
南雲ハジメや蒼野ジータには決して感じることがなかったものである。
(俺には何も出来ないのか?俺に出来ることは本当にないのか)
必死で頭を、いや心を巡らせる光輝。
それはいつもの単なる義務感や道徳感から来るものでは、決してなかった。
ここで街中に鐘が鳴り響く、どうやら時間のようだ、
王宮や神山への出禁に加え、今後は全ての行動に制限と監視を付けると言い渡されている。
ましてああいう事をやらかしておいて門限破りなど、言語道断だ。
「帰りましょう、ジャンヌさん」
それも仕方ないことだ、自分はそれだけのことをしてしまったのだからと、
光輝は思いつつ、少し助かったと大きく息を吐く。
「ありがとう、だが私はもう少しこの世界の空気を味わっておきたい」
「……しかし」
「大丈夫、あの大きな建物でしょう?道くらいはわかります」
刻々と深くなる宵闇に促されるように、橋を降りる光輝、最後にもう一度ジャンヌへと
声を掛ける。
「俺は……君、いやあなたに何が出来るかは今は思いつきません……それでも」
今の自分にはあまりにおこがましい事かもしれない、それでも。
言わずには、願わずにはいられなかった。
「あなたの……なんでもいい、何かをいつか俺に守らせて欲しい」
そのために何をどうすればいいのかは、分からないし、言葉も続かない、
それでもいつかジャンヌが戦いの責務から解放され、
口一杯にクッキーを頬張る姿を見たいと、光輝は思った。
ジャンヌと別れ、急激に暗さを増す街の中を足早に宿舎へと向かう光輝。
その足に何かがぶつかる。
「イテっ」
見ると、まだ幼い少年が膝を摩りながら、涙目になっている。
「ごめんね、大丈夫かい」
光輝が少年を優しく助け起こすと、少年も強がるような目で彼を見つめ返す。
何となく幼き頃の自分を思い出し、少しこそばゆい気分を覚えたところで、
光輝を見つめる少年の瞳が熱を帯びていく。
「ねぇねぇ!お兄ちゃんゆーしゃ様でしょ!司祭様とお話してるのオイラ見たんだ!」
確かに何度かホルアドの聖堂に足を運んだことはあったが、こんな子供はいただろうか?
「ああ、そうだよ」
ともあれ別に隠すような事でもない、道場の子供たちに接するように、
微笑みを浮かべながら、ポンポンと少年の背中を軽く叩いてやる。
「でも、子供はもう遅いから早くパパやママの所に帰るんだよ」
「パパもママもいないんだ」
「お仕事かい?こんな遅くまで偉いね」
「……ううん」
寂しげに少年は頭を振る。
「殺されちゃったんだ、魔人族に」
「!!」
まるで予想外の、いや戦乱の世界ならば予想出来て然るべきな言葉に絶句する光輝、
さらに少年は屈託のない、まさしく憧れのヒーローを見る瞳で、
戦慄すべき無邪気な願いを口にする。
「だから早く魔人族ブッ殺してよ!ゆーしゃ様!父ちゃんと母ちゃんのカタキを取ってよ!」
足がふらつくのを感じる、立っていられない。
「ねーオイラと約束してよ!ゆーしゃ様!指切りしようよ!」
歯の根が震えて止まらない。
何も言葉が出て来ない、何も話せない理由は、自分でも分かっている。
この少年は、天之河光輝の言葉など求めてはいなかった、自分の代わりに、
復讐を果たしてくれる勇者という記号の存在に、約束を求めているのだから。
それが道具の生でなくて何だというのだ。
膝を衝いてしまった光輝の顔をきょとんと覗き込む少年。
「ねーおなかいたいのー?あ、おねーちゃんーゆーしゃさまがねー」
新たな人物の気配に視線を上げると、修道服を身に纏った少女が、
少年に手招きされて、此方へと足早に向かってくるのが見えた。
聞けば町外れにある孤児院の子供たちなのだという。
「ごめんなさい、聖堂には私たちは立ち入ってはならない決まりなんです、なのに
あの子ったら」
「いえ、いいんですよ」
少し妹に、美月に似ているなと、シスターの姿を見て思いながら、
ようやく落ち着きを取り戻す光輝。
「どうか、この件はご内密に、私たちのみならず勇者様もお叱りを受けてしまうことに
なっては申し訳が立ちません」
常に三十分前行動を心がけている光輝である、まだ時間に余裕はあるのだが、
それでもお叱りという言葉に、少し門限が頭にチラ付き出す。
そんな彼の心中を知るや知らざるか、シスターは少年を背中にしがみ付かせたままで話を続ける。
「この子は……いいえ、この子だけじゃなく皆、魔人族に家族を殺されているんです」
その"皆"には自分も含まれているのだろう。
「ですから早く、あんな可哀想な子供たちがいなくなるように」
美月と、自分の妹とそう変わらぬ年頃であろうシスターは跪き、光輝へと祈りを捧げる。
「偉大なるエヒト様の加護の下に、どうか憎っくき魔人族を一人残らず
皆殺しにして下さいね、勇者様」
「!!」
「約束だよっ!」
「これっ!勇者様に失礼でしょ!帰るわよっ!」
へたり込む光輝、町外れへと去り行く彼らの背中を直視することは、
さしもの彼にも出来なかった。
そして喉の奥から、生臭くそして酸っぱい何かが込み上げてくる。
「俺は……俺たちは……道具じゃ……記号なんかじゃ……ない」
腰に下げた聖剣がカランと石畳の上に転がる。
自身の誇りと、そして正しさに拠って選ばれた証だったその剣が、
今や自分に取っては酷く禍々しい呪いの象徴に思えてならなかった。
「何が……平和だ……何がっ!勇者だっ!……うぷっ」
失った者の剥き出しの憎しみをマトモにぶつけられ、自分の甘さをまたも思い知らされ。
つい先頃食べたばかりの夕食の中身を全てぶちまけてしまう光輝。
(ジャンヌさんは……こんな地獄とそして悲しみの中で……そんな俺は)
彼女に何を言った!決して救われないと知って尚、未来へと進む誇り高き少女へと
守らせて欲しいだと!何たる思い上がりだ!恥知らずにも程がある!そして何より……。
(俺はいつまでこのままでいるんだ!)
このトータスに来て、誰もが嫌が応にも変わっていった、変わらざるを得なかった。
その間、自分は一体何をしていた?
そのそも救おうとしているこの世界の、そしてそこに住まう人々の、
何を自分は知っているのか?理解しているのか?
己こそが善であり正義であるという考えを、彼が抱き続けていたままならば、
ここまで辿り着くことは出来なかっただろう、しかし、
己の権限、そしてこの世界のルールに従いあの魔人族の女を斬ったメルドは悪か?否である。
クラスメイト達が一刻も早く日本へ、家族の元に帰れる方法を求めているハジメやジータは悪か?それも、もちろん否である。
彼らの正しさに打ちのめされ、さらに自分が思い抱いた真なる正しさの象徴たる、
ジャンヌとの出会いによって、根本的には変わってないにせよ、僅かながらではあったが、
自身に疑いを抱くことが、今の光輝には可能となっていた。
水のせせらぎが耳に届く、光輝は反射的に聖剣を川へと投げ込もうとするのだが。
(出来ない……ッ)
ここでこの剣を棄ててしまえば、もう自分は二度と立ちあがる資格を……
脳裏に過る男たちの隣に、何よりジャンヌの隣に立つ資格を、失ってしまう。
「なら俺の……為すべきことは、立ち向かうべきは」
心は未だ柵に縛られ、身体は吐瀉物に塗れていても、
その目は輝きを失ってはいなかった。
そして橋の上には一人佇むジャンヌ。
「ありがとう……光輝、だが君はまだ知らない、正義の、そして選ばれることの残酷さを」
月光に照らされたジャンヌの身体が少しずつ変化していく。
豪奢な金髪は煤けた白髪に、純白のドレスは煽情的なキャミソールへ、
手にした剣は血のような赤に染まり、そしてその背中には魔を思わせる翼が生えていた。
「私のこの姿を……光を求めた果ての姿を君が知れば、
きっと君が守りたいと言ってくれた、ジャンヌダルクは死ぬのだろう……しかし」
星空を見つめながら、まだ光輝の温もりが残る掌を、悲し気にジャンヌは撫でる。
「それでもきっと君は歩み続けることを止められない……恐らくは」
後半のパートは少しあざとかったかもしれません。
プロットでは実際に孤児院に皆で訪ねていく予定だったのですが、
あまりのグロ展開に、考えてるだけで吐き気を催してしまったのでナシに。
ともかく勇者からは逃げられない、という話。
今回の話はどちらかというと型月の世界の勇者・英雄観に近いかもしれません。