この世にあるまじき美貌が大妖怪八雲紫と面会している。
これだけで、その式の背筋に震えが走った。
紫がスペルカードの説明をしている現在、神社の周囲に広がる森の中に彼女達は潜んでいた。
「いいか、絶対に目を開けるな。開けても直視するな。一年は彼の姿が脳裏から消えなくなるし、まともな思考もできなくなるから。視るのなら私か紫様の視界を使うか、視界をボヤけさせるフィルターを使いなさい。どちらも式の打ち方はわかるね?」
「は、はい。――そんなに危ない人なのかな」
式の傍に控えている式の式が、まぶたを閉じたまま、純粋そうな事を言った。
「敵対さえしなければ危なくは無さそうだが、ヤバい事は間違いない。まともな人間が彼を見たら、その綺麗さに耐えられずに発狂するか、あるいは一生彼の事を考えて過ごす事になるか。何にせよロクな事にはならない」
「藍さま――藍さまは大丈夫なんですか」
「どうだろう。私がまともに見える?」
橙は仰天し、閉じていた瞳を開いて己の主に向けた。
受け答えこそ正常だが、眼が潤んでいるようにも見える。
「とんでもなく美しい何かが結界を通り抜けた事は分かっていたんだ。確認して脳ミソが溶けるかと思ったよ。今だって、紫様が私に打った式のデバッグをしていなければ、正気かどうかも怪しいものだ。慌てている紫様が見れたから、それでチャラにしてやるがね」
大妖怪八雲紫の式を、当人で無いとは言え傾国と謳われた九尾を、その美貌だけで籠絡しかけるとは。
「それも二人だ。本物の白より白く美しい何かが結界に穴を開け、星空の向こう側を切り取ったような黒く美しい青年が穴を通り抜けた。どちらかだけなら私単独でも耐えられたかもしれないが、両方は無理だ」
「白い何か?」
橙の疑問に、藍は改めて結界に穴を開けた何者かを想起しようとしたが、途端に畏怖の表情を見せてから頭を振って思考を切り替えた。
「思い出そうとすると今でも震えが来る。本当にきれいな物を見た時、私達にできる事は何も無いのだ。そこに美しくある事は当然のことだし、それを形容する言葉も無い」
式の式は、「美しい」「綺麗」と形容していたじゃないかと疑問符を浮かべたようだったが、それも藍が懇切丁寧に説明をする。
「私、いや、私や紫様がそう言っているのはな、それ以上の言葉を知らないからなんだよ。『美しい』以上の美しさを表現する言葉が無いからそう言ってるだけで、実際にあれらを正しく形容することなど不可能だ」
男をたらし込む事にかけては右に出る者がいないであろう、九尾の同族がこんな評価をしているあの人間は、もはや人間では無いのでは、と実感し、式の式は沈黙するしか無かった。
一方、言われ放題の当人はスペルカードの説明を聞き終えていた。
基本は1対1。
自己のアイデンティティを表現し、アピールするための技が要る。
それを適当なカードに描き、使う際には宣言する。
その技には逃げ道が無くてはならない。
ダメージで動けなくなるか、相手の技に感銘を受け敗北を認めるか、全ての技を攻略されたら負け。
敗者は勝者の言うことを聞く。
要点だけを説明するとこのような感じだ。
弾幕を使う物が一番の流行りで、優雅さ美しさを競うこの決闘は、特に女怪に人気があるらしい。
それを快く思わない者は『弾幕ごっこ』等と揶揄したりもするようだが、流行りにノッている者達は、美しさを競う『遊戯』なのだから、ごっこと言うのは適切だ、と積極的にそのスラングを広める始末であった。
せつらはそこまで聞いて、特殊な事情のある地域には、特殊なローカルルールができあがるのだなと感心しているようだった。
魔界都市にだってローカルなルールはいくつもある。
例え人外でも区に申請すれば市民権や公共サービスを受けられるし、護身の為に一般人の武装が許可されている。
個人でミサイルや戦車を所持している者までいるのだから世も末だ。
「大体分かりました」
「左様ですか。私の説明に不備はありませんでしたか?」
「特には」
「それは良かった――そして、私が何故あなたに――いずれ出て行く者にわざわざ説明をしたのかはお分かりでしょうか」
「いえ」
「穏便に動いて欲しいから、ですわ。あなたの来た道にはさぞ多くの生と死が横たわっている事でしょう。しかし、郷に入っては郷に従えと言います。魔界都市に魔界都市のやり方があるように、幻想郷には幻想郷のやり方があると知って欲しかったのです」
いかにも胡散臭い女性だが、その言葉からは、この地を害されたくないと言う本気が感じ取れた。
この若者としても、「ここは魔界都市です」と言う免罪符を使えない為、穏やかに仕事が終わるならそれに越したことは無い。
静かに頷いた若者を見て、紫は破顔し、普段の妖しさなど感じられない少女のような笑みを浮かべ、スキマへと身を投じつつ語りかける。
「そしてあなたが幻想郷を去るとき、少しでも楽しかったと感じて貰えたなら、それはとても幸せな事なのでしょう。それではご機嫌よう」
そう言い残して、紫は若者の前から姿を消した――と見せかけ、己の式と合流を果たした。
我慢していた呼吸を再開するような勢いだった。
「っぷはぁ!」
そうしてようやく一息ついて、式の式を抱えて撫で繰り回す。
「あぁ~落ち着くわぁ」
どうやら精神の安定を図っているらしい。
橙が迷惑そうな顔をしているのを見かねた藍がそれをねぎらってやる。
「お疲れ様です」
「ホントお疲れよ。なんであんなのがここにいるの」
「彼は
「それは承知してるわよ。問題はどういう依頼を受けて来たか、でしょ」
「聞いて来なかったんで?」
「余計な事を聞いて彼がヘソを曲げたら
「探す対象は無事に済まなさそうなメンバーですが――手伝ってあげればよろしかったのでは」
「それじゃあ、まるでさっさと出て行って欲しいみたいじゃない。幻想郷は全てを受け入れるの!」
大妖怪は駄々っ子みたいな事を言った。
とうとうボケ始めてしまったか、等と失礼な事を言う者がいないのが救いであった。
「それに霊夢はあのままで良かったんですかね」
「あっ!」
失神した霊夢は放置されたままで、紫もそれに対してなんらアクションを起こしていない。
せめてスペルカードの説明の時に叩き起こして、その場に立ち合わせるべきだったか、と紫は冷や汗を流した。
「――ま、まあ大丈夫でしょ、多分」
「手落ちが多くないですか?」
「ならあなたがやってみなさいよ。ハンパな覚悟と集中力で彼の前に立ったら一発でフヌケになっちゃうわ。他のことに気を取られてる余裕なんて無いんだから」
「左様で」
むしろあの美貌を前にして、気合でどうにかなる主人の方が凄いなと藍は思い直した。
「あの美しさが幻想郷に何をもたらすか――答えは神のみぞ知る、ね」
問題はその神すらも魅了しかねない事だが、持って生まれた物をどうこうするなど若者にはできないし、またする気も無いため、彼の行動は完全に未知数だ。
せめて彼の行く道が死と破壊でないことを願うしかあるまい。
そんなことを考えつつ紫はスキマを開き、式達と一緒に姿を消した。
◆
霊夢が目を覚ましたとき、そこは神社の境内では無く、母屋の自室だった。
傍らには狛犬の妖怪が厳かに鎮座している。
その狛犬――高麗野あうんは、霊夢が気がついたのを見て嬉しそうに声をかけた。
「あっ、霊夢さん、起きたんですか」
「ねえ、あの男の人は?」
「そこにいますよ」
「あ?」
隣の部屋を見ると、せつらはちゃぶ台のせんべいを頬張っている所だった。
お茶が用意されているところを見るに、あうんがもてなしていたのだろうか。
霊夢はせつらの対面に移動し、腰を落ち着ける。
「秋さん、だっけ」
「そうです」
せんべいをつまむ繊手すらも美しい青年は、端的に答えた。
「八雲紫さんにお会いしました」
「あいつが出て来たの? 何しに来たのかしら」
「スペルカードの説明を」
「そんな事のために? 何を考えてるのか分かんない奴ね。あいつの事は信用しちゃダメ」
「はぁ」
せつらが聞きたいのはそんな事では無い。
若者は改めて霊夢に質問をした。
「写真の話ですが」
「んー、別に話しても良いけど、目的を教えてもらえる?」
「僕の仕事は探し出すまで。そこから先は関知するところではありません」
「じゃあ、探してる人の目的が悪事だったらどうすんの」
「さて」
「とぼけないでよ。人間同士の話なら私が知ったこっちゃないけど、探してるのは妖怪でしょ。私は人間を妖怪から守る義務があるの」
おや、とせつらは目を丸くした。
まだ少女にも関わらず、得体の知れない使命感を抱えて生きている。
アルバイトの主婦、OL、ヤクザのボス、殺し屋、ダンサー、歌手、風俗嬢など、〈新宿〉にもキャリアウーマンと呼べる女性はいるし、仕事に誇りを持っている女性も沢山見てきたが、それを義務とまで言い切る女性はいなかった。
加えて、若者にとって年端もいかない少女と言うのは、どちらかというと庇護対象だった。
せつらに魅了されたわけでも無いのに、彼を「守る義務がある」等と考えているのは相当珍しい。
若者は、依頼者から情報の開示を許可されていたので、特に気にする事も無く話す事にした。
この地の管理人に親切にしておけば仕事がやりやすくなるかもしれない、と言う打算もあるのがこの青年らしいところだ。
ちゃぶ台に写真を起きながら説明してやる。
「まず、こちらのスカーレット氏を探しているのは、同じ吸血鬼
「吸血鬼ってそんなに沢山いるの? 退治されたりは?」
「それでも〈区民〉ですから。人権はあります」
「魔界って凄いところね」
「この八意氏を探しているのは医者です。メフィスト病院の院長。こちらもまあ、悪い人間では――いや、人間かどうかは怪しいですが」
「ふーん、お医者様ねえ」
あの薬師の能力から考えれば、医者から声がかかるのも当然だろう、と霊夢は納得した。
メフィスト病院の院長も普通の医者ではないが、そこまで説明するつもりは無い。
「マーガトロイド氏と聖氏については、同一の依頼者ですね。女性でした。名前は分かりません。連絡先は、心の中で呼べば通じると」
「無茶苦茶すぎない?」
「記憶喪失者や幽霊、死人、全裸でやってきた依頼人もいます。自分の背後にいる、どこかの家族を探してくれと言うのも」
「私なら問答無用で帰って貰うけどね。よくわからないけど、わかったわ。秋さんの目から見てその人達はどう?」
「どうとは?」
「何か危ないことを企んでそうに見えた?」
「いえ」
せつらは即答したが、三番目の依頼者については分からない。
ただ、悪意があろうがなかろうが、頼まれた人物を探すだけだ。
もし、せつら当人に悪意が向くようなら、それは苛烈な痛苦を伴った形で報復を受ける事になるだろう。
つまるところ、どうでも良かったので適当な返事をしたらしい。
霊夢も、その適当さを鋭い勘で以てして感得したのか、疑いの目を向ける。彼女の横に鎮座したあうんも、巫女に倣って疑いの目を向けた。
普段のせつらなら面倒になって別の情報をあたる所だが、それは地理も法も職種も知り尽くした〈新宿〉だからできるのであって、幻想郷ではそうはいかない。
「うーむ」
せつらは顎に手をやって考え込んだ。
――どうもこの少女は勝手が違う。
いつもなら彼の美しさに放心した相手がペラペラ話をしてくれるのだが、この巫女はせつらの美しさを認めてはいるものの、心の底までは魅了されていないようであった。
「いくらで話をしてくれます?」
「お金の問題じゃ無いわ」
仕事のスタンスまで似ている。
せつらもただ金の為に仕事をするのであれば、
いきなり捜査が難航したか、と考えたところへ、バカみたいにでかい声が響き渡る。
「そんなもん、決闘で決めりゃあ良いじゃん!」
霊夢は物凄く迷惑そうな表情を浮かべた。
こいつら全然作者の思い通りに動かねえな(無能)