4話:霧氷の路
花を
春風 江上の
覺えず 君が家に到る
湖は奇妙なまでの静けさに包まれていた。
スターサファイアも人魚が棲んでいると言っていた以上、少なくとも何もいないと言う事は無いはずだ。
だと言うのに、水音一つしないし、湖面には波紋すら立たない。
――まともな湖では無い。
それはそうだ。大体、年中霧がかかっている地域など、幻想郷では他に存在しないのだから、ここがまともである訳が無い。
湖のほとりには紅い館があるはずだが、あまりの濃霧に館どころか目前すら判然としない。
全てが白い世界。
その中で、黒衣の美しき魔人が歩みを進める。
不思議な事に、彼の姿だけは霧の中でも周囲からくっきりと映った。
まるで、彼の肌に触れるのは大それた事だと、霧が恥じらって避けているかのようだった。
ふとせつらは、歩き続けてどれだけ経ったかな、と思い携帯で時間を確認してみる。
時刻は既に15時を回っていた。
探し人の住居は神社から目に見える範囲にあったと言うのに、未だ接触どころか辿り着くことすらできていない。
そしてこの霧だ。先程の妖精達の例を考え、幻覚を破るため妖糸で自身に痛みを与えてみたが、白い世界はそのまま変化しなかった。
つまり、これは幻覚では無い。
天然、全方位対応型の迷路だった。
「今日は迷子の日か」
さすがのせつらも愚痴が出た。
そもそも何時間も歩かされて、それなりに疲弊しているのだ。タクシーが呼べる都会は便利だなと思いながら少しの間立ち止まり、肩を軽く揉んでから再び若者は歩き出した。
いくら何も見えないと言っても、湖沿いに歩き続ければいずれ目的地にも着くだろう、と言う訳だ。
しかし実際歩いてみると、先程の三妖精の時と似たような感覚がある。ゆけどもゆけども終わりのない道を歩かされているようだ。
――迷っている。もっと抜本的な対策が必要だと感じられた。
そもそもこの霧は何故発生しているのだ?
スターサファイア達に力を貸して貰えば良かったか、と若者は勝手な感想を抱いた。
そこで彼女達の言葉に思い至る。
確か三妖精は
その知り合いとやらがこの近辺にいるのなら、話を聞いてくれるかも知れないし、或いは霧の抜け方や対策を知っているかもしれなかった。
だがそれも見つかるかどうか。
ただ選択肢が『紅魔館を発見する』の一択から、『三妖精の知り合いを発見する』と言う二択になっただけであった。
結局、若者は歩き続ける事を選んだ。
「さむ」
こころなしか、気温まで下がってきている。
彼のコートは耐熱・耐寒・耐電・耐衝撃などが施された特別製だが、それでも体の芯まで凍えるような寒さ、否、冷たさが徐々に辺りを支配していく。
異変に気付いた。
先程までは穏やかだった湖面が凍り付いている。
しかし環境に変化があると言う事は、何かがいるか、何かがあるか、どちらかは分からないが状況が動くと言う事だ。
元々せつらは必要とあらば、〈新宿〉の
なればこそ、彼がこの程度で足を止める訳も無かった。
気温は既に氷点下にまで達しているのでは無いか、とせつらが想像し始めた時、眼前にポンと
季節はまだ暑くも寒くも無い時期だったはずだし、かまくらなど普通に放置していれば溶けて無くなってしまうだろう。
それがこうして維持されていて、唐突に低くなった気温と合わせて考えると、何者かの手が入っているに違いない。
誰かいるかな、と言う期待と共に中を覗いて見ると、青い髪、青いリボン、青いワンピース、青尽くしの少女が足を伸ばしてくつろいでいた。
「失礼します」
「うわっ」
せつらは迷い無く接触を図った。
青い少女は心底ビックリした様子で突然現れた若者を詰問した。
「ななな、何だオマエ」
「実は道に迷いまして」
「はぁ? バカなの? どうやったらこんな所で道に迷うってのさ」
「ごもっとも」
そう、普通ならこんな所で迷子になる事など、やはりありえないらしい。
青い少女の言葉からそれは読み取れた。
「ですが、今この辺りは明らかに変です。濃霧が湖を覆い、一部だけ気温が低すぎる」
「この辺が寒いのはあたいのパワーだよ」
「は?」
「暑いのは嫌だし、
「お名前を伺っても?」
「チルノだよ。みんなは最強の氷精チルノって呼ぶね」
呼ばない。
確かに妖精の中においては最強かも知れないが、それ以外では『単純馬鹿の氷精』で名が通っている物の、せつらがそれを類推できる要素は何も無かった。
何だか分からないが凄い自信だ、くらいの事しか理解できない。
「て言うかあんたこそ誰なの」
「失礼しました。僕は秋と言います」
「秋? 冬の前の?」
「まあ、そうです」
「ならあたいの子分も同然ってわけだ。まあ、ゆっくりしていきなよ」
チルノはおかしな事を言った。
妖精の思考回路が単純なのはよくある話だが、チルノくらいになると単純すぎて複雑化するのかも知れない。
これにはさすがのせつらも眉を寄せて考え込んだ。
悩める美青年としか見えないが、考えているのはチルノの謎の論理についてであった。
「かき氷食べる?」
微妙に優しいのがまた複雑だ。
この寒い中でかき氷は嫌がらせとしか思えないが、しかし嫌がらせをするほど頭が回るとも思えない。
彼女なりの親切であった。
結果的に嫌がらせなのだ。
「僕が子分と言うのは」
「だって強い順だと冬、秋、夏、春の順番だよ」
「春に恨みでも?」
「せっかく気温を下げてる雪女が春眠しちゃうからね。暑くなるのは嫌なの」
チルノは、私怨で季節の強さという訳の分からない物の序列を決めていた。そして序列が下の者は自分より格下で、加えて寒くなり始める季節の秋は子分らしい。
実に良く分からない。が、主張は分かった。
せつらは過去、春を迎えるために、冬を探し出して実家に返す依頼を受けたことがあるが、今回のケースはどうすれば良いのか。
美しき魔人のとった手法は事大主義だった。
「親分さん、この辺りに紅魔館と言う建物があると聞きましたが」
「あるような無いような」
自宅の近所に対してこんな曖昧な認識ができる物なのかと、さすがのせつらも驚かざるを得ない。
表情には出ていないが、普段なら皮肉の一つも口にしていただろう。
「あー、でも美鈴の住んでるところって紅魔館じゃなかったっけ」
「めーりん」
「門番だよ。紅魔館の」
何故門番の事を覚えているのに建物の所在が曖昧だったのかは疑問が残る。
「『めーりん』さんに面会できます?」
「大胆だなあ。いいよ、すぐ近くだし」
やっぱり知ってるじゃないか、と若者はさらに困惑した。相手がせつらでなければ何を言われてもおかしくない話だった。
会話が成立しないようで成立しているところも恐ろしい。
もし
ともあれ、くつろいでいたチルノは立ち上がって、さっさと来いとでもいう風にアゴをしゃくった。
「ちゃんとあたいについて来なよ」
「ひとつ、よろしく」
そうして二人で外に出てみると、即座にチルノが絶叫をあげた。
「なんだこりゃあ!」
「どうしました」
「何も見えないじゃん!」
せつらはナチュラルに沈黙し、言葉も無いとはこの事を言うのだなと吞気な感想を抱いた。
「ねえラッキー」
「秋です。なんでしょう」
「何で霧が濃くなってるの?」
それはこちらが聞きたい事だった。
やはり、この霧の濃さは普通では無いらしい。
「大ちゃん達が何かやってるのかな」
氷精のフリーダムさに辟易していたせつらも、さすがにその一言は聞き逃さなかった。
「あの、『だいちゃん』とは?」
「大妖精の大ちゃん。あたいの友達だよ。まあ、向こうがやたらと世話を焼いてくれるんだけどね」
「へぇ、この濃霧もその大ちゃんが?」
「そりゃそうだ、だって『霧の湖の大妖精』なんだから。ここら一帯の自然現象は、ほとんど全部大ちゃんに依存してるんじゃないかな」
「それはそれは」
妙に遠回りしたようだが、何とか突破口が見えてきた。
このまま紅魔館が見つかればこんな事象は放置しても良いのだが、どちらにしろこの霧では、周辺の者も困っているのではなかろうかと考え、せつらはこちらを先に解決する事にした。
別に正義感などでは無い。単純に恩を売るためであった。
この青年は単なる春うららの若者では無いのだ。
「この濃霧を何とかできますか?」
「大ちゃんに聞いてみれば良いんじゃないかな。行ってみる?」
「ええ」
チルノは頷いて、ふわりと宙に身を躍らせた。
そしてどこへ行くのかと思えば、湖の中央へと進路を向けたではないか。
「それで『霧の湖の大妖精』か」
つまり大ちゃんとやらの活動場所は湖上の中央部と言う事なのだろう。
しかし、せつらには空を飛ぶ手段が無い。
背の高い建物でもあれば、そこに糸を巻き付けて振り子のように移動する事はできるが、場所が水上ではどうしようも無い。
どうした物かと考えていると、チルノが何やら『力』を解放しようとしている。
かまくら、気温低下、氷精。まさかと思い、せつらがチルノ宅の影に身を隠すと同時に、色とりどりの弾丸が広範囲にわたって全方位に撒き散らされた。
それらは着弾地点を問答無用で凍り付かせている。
恐ろしい技だ。伊達に最強を名乗っているわけでは無いらしい。大地も草木も湖もまとめて凍結していた。
「やるなあ」
ぬーぼーと感心するせつらに、チルノが手招きをしている。
確かに中々の手際、段取りであった。
意思の疎通も、ズレてはいるがちゃんと理解できているし、若者が飛べない人間である事を考慮して何も言わずとも足場を作ってくれる。
加えて気温を変化させる規模の凍気、一瞬で湖の一部を凍結させる技。
敵対したら侮れない相手になるだろうと思いつつ、美しき魔人は凍結した湖上へ足を踏み出した。
かなり深いところまで凍っているらしく、割れたりすることも無いし、充分に足場として機能している。
「よし行くぞ、ザキ」
チルノが即死魔法を唱える。
「秋です、親分さん」
せつらは普通の対応をした。
冬の前の秋、と自身が言っていたはずなのに名前を覚えていないのはどういう事かと首をひねりはしたが。
◆
氷精が凍らせた足場を頼りに霧の中央を目指すと、丁度氷が途切れた辺りで、小さな島が出現した。
島の中央には年季の入った大きな木が一本だけそびえている。
氷精は遠慮無く近付き、突然その木にケリをくれた。
「弾幕の時間だコラァ!」
チルノは何故か喧嘩腰だった。せつらは少し離れた場所でそれを観察している。
木からは「ヒッ」と声が聞こえたような気がした。
チルノが続けて蹴りつけようとすると、木の表面にドアが現れ、そこを開けておずおずとチルノと同じくらいのサイズの少女が姿を現した。
「な、何か用でも――」
「この霧! どーなってんのさ」
「ええと、これは紅魔館の人に頼まれて」
「また異変でも起こそうってえの?」
「違くて、これは湖周辺を守る為だって、レミリアさんが」
とうとう探し人の名前が出て来た。
若者は、凄い勢いで大妖精を問い詰める氷精を止める事にする。
「親分さん」
「どーしたの」
「僕が話しても?」
「いいだろう」
チルノは何故かクソ偉そうに了承した。
人間を連れてくるなど、相変わらず変な妖精だなと大妖精は思ったが、その人間を見てなんとなく納得した。
この若者の美しさは、とても普通の人間が持つ物では無いと感じたからだ。
彼女が今まで見た綺麗な物を全て集めても、彼一人の前では色褪せたガラクタとしか映らないに違いなかった。
「あ、あ」
大妖精は言葉すら出なかった。
ただ嗚咽とも感嘆ともつかぬ声をあげるだけだ。
「この霧を出してるのは君?」
「はいぃっ!」
「止めてもらう事は?」
「それは――む、無理です」
「何故」
「外から、吸血鬼を狙う退治屋が来てて危ないからって」
どうやら自分以外にも結界を超えてくる物はいるらしい、とせつらは納得した。
八雲紫に放り出されないのかなとも思ったが、彼女は全てを受け入れると言っていたので、その言葉に偽りは無かったと言うことだろうか?
氷精がさらに言い募る。
「赤い霧を出せば最強なのに、なにやってんだ」
「人里に迷惑がかかっちゃうからって」
三妖精から聞いた話と実情は大分違う。
どうやらここの吸血鬼も、戸山住宅の住人と同じく、地元住民とそれなりに上手くやっているらしい。
ご近所トラブルはもってのほかと言う訳だ。
さりとて、外界のヴァンパイアハンターとやらが諦めるのを待つわけにもいかない。せつらだって仕事で来ているのだ。
「霧に迷わない方法はある?」
「そこそこ強力なフィールドを展開してしまったので――」
せつらは腕を組んで思案する様子を見せる。
「どうも、うまくないな」
こう言う事象への対策はチェコNo.2の魔女の力が要るかもしれない。また、ドクター・メフィストなら思いもよらない方法で霧を抜けるかもしれない。
然るに、せつらはと言えば無策であった。
彼の本領は法、知名度、友人、地形、歴史、ローカル知識など〈新宿〉の環境があってこそだ。
〈新宿〉の外では十全に力を発揮できるとは言い難い。
先にこちらへ来たのは失敗だったか、と思い始めた矢先、大妖精が何かを思い付いたらしく、自宅に引っ込む。
それから再び現れた彼女の手には、棒状の物が握られていた。
せつらが首をかしげていると、大妖精は真っ赤な顔でそれを手渡してくる。
「これは?」
「ローワン――ナナカマドの杖です。これがあると、旅人はあらゆる物に迷わなくなるって」
「へぇ」
「あの、それ、お貸しします」
「良いの?」
「でも、ちゃんと返しに来てください。私、待ってます。それと、これも」
大妖精は、せつらのコートのポケットに、赤い花を飾った。小学生が絵に描いたような、シンプルな意匠の花。
スカーレットピンパーネル、和名ではアカバナルリハコベと言う奴だった。
「赤いルリハコベは、身に着けていると、旅の間はお守りになります」
そう言ってせつらから離れると、その姿を見つめて、
「やっぱり。凄くお似合いです」
と、妖精らしく純粋に笑い、喜んだ。
チルノがそれを見てヒュウと口笛を鳴らす。茶化したつもりか。
せつらはそれを黙殺し、背をかがめて大妖精と視線を合わせ、微笑した。
「ありがとう」
もはや大妖精は天にも昇る気持ちだった。
ここで自分の存在が無くなってしまっても良いくらい 、幸福の絶頂にあった。
恍惚とした表情のまま動かなくなってしまった大妖精を尻目に、チルノが若者をからかった。
「セキニンとりなさいよね」
「ちゃんと返します」
「そう言う事じゃ無いんだけど――まあいっか」
むしろ、この氷精はせつらの美貌を何とも思っていないのだろうか?
今の所、幻想郷に来てから素で若者とコミュニケーションをとれているのはチルノだけだ。それが一番の謎である。
「今度こそ『めーりん』さんに面会したいのですが、行けますかね」
「ニャンワンの杖もあるし、大ちゃんのお守りもある。これでダメならあんたは雑魚ね」
「はは」
氷精は猫だか犬だか分からない動物の名を呼び、せつらは面白くも無さそうに笑った。
とりあえず、他に手も無いのだから行ってみるしかあるまい。
二人で小島を辞去し、湖を渡って再び紅魔館を捜索する。
すると今回は、どういう訳かあっさりとそれらしき影が霧の中に映った。
白い世界に紅が克明に浮かび上がっている。
何故こんな目立つ建物を見つけられなかったのかが不思議ほどであった。屋根や外壁は勿論、館を囲む壁や門まで紅い。
「人まで紅か」
門前の女性は、鳳仙花のように美しく艶やかな紅い髪を垂らし、門柱にもたれかかって腕を組み、茫洋とした表情でこちらを見つめていた。
チルノが手を振ったが、その眠そうな雰囲気はいっかな変化しない。
その足下には、いくつか人間の
せつらが歩く以外何もしてなくてビックリ(演者との打ち合わせ不足)
タイトルが路だからタイトルどおりと言えばそうなんだろうけど何もしないってのも変だなとは思う
チルノはノーコメント