最初に黒ずくめの青年が目に入った時、上白沢慧音がまず感じたのは、目がくらむほどの美に対する憧憬――或いは放心だったかもしれないが、妖怪としての本能が待ったをかけた。
この若者は普通では無い。
その美しさもそうだが、警告を発する本能に従って彼の歴史を探ろうとすると、なにかおかしい。
――彼の他に彼がいる。
それも二人だ。彼は確かに一人しかいないのに。
一瞬これは何だと困惑し、さらに奥深くまで探ろうとすると、恐ろしい鬼気が吹き付けた。
死神でもここまで死と言う物を感じさせる事はあるまい、という位に濃厚な気配だった。
恐怖でバッグを取り落とした慧音に、
「私を測るか?」
その一言で空気が、否、世界全てが凝結したような寒気を慧音は感じた。
チルノですらも困惑した表情で先程までせつらだった、別のせつらを見つめている。
「誰だオマエ」
目の前にいるのは秋せつらだ。しかし今までのせつらではない。
別の秋せつらに対して、氷精は月へ乗り込んだ霧雨魔理沙のような口調で尋ねた。
「どう見える――私が?」
「アキだけどアキとは違うアキだね。まあ同じだけど」
真理であった。突如別人に変貌しても、せつらはせつらだろうと言う事だ。
それを聞くと、『僕』ではなく『私』と名乗るせつらは僅かに頷いて、チルノから慧音の方へ向き直った。
「あなたはどうする」
「どう、とは」
慧音の声はかすれていた。
「世の中には知らない方が良い事もある」
「しかしあなた達のうち、さらにもう一人は――」
そこまで口にした時、慧音は死を意識した。
彼の言うとおりだ。ヤブをつついて蛇どころでは無い。
『私』は普段の『僕』よりも苛烈な人間であり、さらに『三番目』のせつらは魔界都市も滅ぼしかねない、あのドクター・メフィストですら手出しができないような恐ろしい存在であった。
そんなのに言及しようとしていたのだ、慧音は。
「い――いや、すまなかった。こんな綺麗な人間は見た事がなかったから。悪戯に他人のプライバシーを探るつもりは無いんだ。ただ、確認せずにはおれなかった、それだけの話で。君が嫌だというなら、もう二度としない」
幻想郷で何年生きたかも分からないが、慧音は生まれて初めて命乞いのような事を口にした。
彼の返事はと言うと――
「そうですか」
「――!?」
終息は唐突に訪れた。
先程の恐ろしい気配はいつの間にか消え失せ、目の前の魔人は、春眠から目覚めたばかりのような、美しくのんびりとした雰囲気に戻っていた。
死神は去ったのだ。
緊張で硬直していた老紳士が言葉をかける。
「上白沢先生、あんたのお客さんだよ」
慧音は自身が助かったと言う事を自覚すると、大きく息を吐いてから用件を問いただした。
先程の恐怖が尾を引いているのか、言葉はやや怪しかったが。
「あ、挨拶が遅れて失礼しました。私はこの寺子屋で教師を勤めている上白沢慧音です。御用はなんでしょう」
「僕は秋と言います。人を探しているのですが、最近里におかしな集団が現れませんでしたか」
「おかしな集団?」
オウム返しに慧音が問うと、吸血鬼を狙うハンターが、大人数で外界からやって来ていると説明をされる。
「もしくは、最近やってきた外来人と言う条件で該当する人はいないか、それが知りたいのです」
「と言われてもですね――そも、この人里には正体不明の人間や妖怪がいつの間にか住み着いていたと言うのは珍しくないのですよ」
「戸籍とかそう言うのは」
「あるにはありますが、アテにはなりません」
何故、とせつらが問いかける前に、慧音は答えを予測していたかの如く、淀みの無い回答を行う。
「里には妖怪が人間の振りをして住んでいる事もありますし、そのものズバリ妖怪も潜んでいます。彼らは自身の露出や正体を探られることを嫌がりますから、里の人間でも把握していない何者かと言うのは、殊の外多い」
「ヒトの出入りはいちいち記録していないし、気にも留めていない、それが住人の感覚だ、と?」
「そういう事になります」
「でもけーねなら、そう言うのも調べられるんじゃないのー?」
横から口を出してきた氷精に、慧音は眉をしかめ、静かにしていなさいと親のような事を言った。
せつらがその言葉を看過するはずが無い。
「よろしければ、調べていただけますか」
遠慮も何も無いお願いだった。
「調べて何をしようと? それこそプライバシーがどうのと言う話になります」
「仕事です」
端的だが説明不足も甚だしい言葉に、慧音は問いを重ねた。
「――仕事。失礼ですが、ご職業は」
「せんべい屋の経営ですが」
「せんべい屋が、何故そんな事を」
当然の疑問に、せつらは揉み手をしながら、
「副業で」
と弁解した。
先程恐ろしい鬼気を発していたとは思えない、良家の若旦那みたいな態度に慧音は困惑しながらも、せつらへ探るような質問をぶつけた。
「その――おかしな連中がいたとして、どうするおつもりで?」
「依頼主に伝えます」
それだけ言ってせつらは言葉を打ち切った。
驚いたのは慧音だ。
てっきり八つ裂きにするとか皆殺しにするとか、血生臭い話かと構えていたのだ。
「なんと言うか――変わった仕事ですね」
「はぁ」
「チルノ、そのハンターと言うのはどういう連中だ?」
「わかんないけど、レミリアが迷惑してるってんならあたいが退治してやろうと思って」
慧音は氷精の反応を見て、協力を決めた。
基本正義漢なのだ、慧音は。チルノが悪戯好きであっても、熱い心を持った妖精でもある、その点を彼女は信用していた。
そして現在は比較的穏当に暮らしているレミリアが『迷惑』と判断した連中となると、普通に暮らす人々にとっては有害ですらある、と判じたらしい。
「――わかりました、と言いたい所ですが、私はこれから授業があります。幸い今日は半ドンですので、午後にまた来て頂けますか。なんと言うか、その――あなたがいると、とても授業になりそうもありません」
「わかりました」
若者は大した逡巡も無く返答し、氷精を伴って、来た道を戻り始めた。
余りにもあっさりとした彼の行動に、慧音は自分が夢でも見ていたのでは無いかと頬をつねってみたが、そこに残ったのは赤い痕と痛みだけであった。
◆
せつらは、チルノを伴って昼食をとる事にした。
テレビゲームなどの酒場で情報を集めるのは定番だが、食事処や盛り場で人の噂が広く集まるというのは現実でも同じだから、と言うことらしい。
「食べたい物はありますか?」
若者がなにげなく氷精に問うと、はたして、
「熱くて冷たいモノ」
と言う返答があった。
コイツは何を言っているんだ、と言う感情があったかどうかは分からないが、せつらは真剣に悩む。
なぞなぞみたいな要望なら、こちらもそれっぽい答えで良いだろうと、麺をゆでるときは熱いが料理は冷たい、と言うことで、季節問わず冷やし中華を出している店を選んだ。
「いらっしゃ――」
お団子ヘアにチャイナドレス、いかにも本物の中華を提供していますみたいな店主が、せつらを見て押し黙った。
それでも美しき来客に見惚れそうになったか、厨房を出て後ろ向きに近付いてくる。
店主はせつらの前に来て――背中を向けたままだが――ひとこと、出て行け、と告げた。
「一見お断り?」
「違うね」
店主の声には拒否感がにじみ出ている。
「数日前にも綺麗な客が来たね」
「へぇ」
「おかげで今ウチは人手不足。ウェイトレスは皆ボーッとして使い物にならない。ウェイターは注文を間違えるし、コックは砂糖と塩の区別もつかなくなった。私の旦那も一日中虚空を見つめて過ごしてる」
せつらは無言でチルノと視線を交わした。
「被害にあってない従業員までそうなったらたまらない。出てけ、第2の疫病神」
そう言えば〈新宿〉でも似たようなことがあったなと思いつつ、若者は氷精と共にその中華料理店を辞した。
しかし、ここ幻想郷には、せつらに匹敵する美貌を持つ白い医師は来ていない。
――いるのだ。幻想郷にも、〈新宿〉の魔人に劣らぬ美しさを持つ者が。
ただ、現在のせつらの仕事とは関係が無いため、その事は心に留めつつ、他の店を探した。
結局二人が選んだのは何の変哲も無いそば屋で、赤い髪の給仕がせつらを見て腰を抜かしたりという一幕はあったが他に問題は無く、日替わり定食をたいらげた後、再び慧音の寺子屋を訪れた。
子供達がきゃあきゃあと元気よく帰宅の途を辿っている。
見送りに出ていた慧音は、せつらとチルノを中へと案内しながら言った。
「秋さん、準備はできてます。さっそく始めますか?」
「始める?」
「その、私はワーハクタクでして、その能力で不審なモノを探してみようかと」
「はぁ」
職員用の部屋に通されたせつらが問うと、慧音はその疑問符にきちんと解説を入れた。
あまり公言する事でも無いが、いかにも実直な彼女らしくもある。
若者は奇妙な種族の半人半妖と聞いても、いつも通りだ。
慧音はその辺が気になったらしい。
「あまり驚かれないようで」
「知り合いに、人からパンサーに変身できる
「パンサーがバンサーですか」
「ええ」
人が獣に変身する程度の事、〈新宿〉ではありふれた光景だと、黒衣の魔人は言外にそう語っている。
それを聞いて白沢の半人は諦念したたる微笑をこぼした。
「私は半分妖怪である事に少し負い目を持っていましたが、〈新宿〉とやらであれば、何も気にせず暮らせそうですね」
自嘲気味のそんなセリフに、せつらが何でもない事のように言葉をつけ加える。
「〈新宿〉のゲートはいつでも誰にでも開いていますが、おやめになった方が良い」
「ほう、何故です?」
「ここに通う子供達は、皆笑っていました。あなたには向いていない」
慧音は、それが自分を元気づける言葉だと気付き、今度は女性らしい本心からの笑顔を見せた。
だが、せつらはその感慨をぶち壊すように続きを促す。
「で、どうやって?」
これが普通の男性なら女性に対する気遣いが足りないと総ツッコミを受けるところだが、慧音を慰めたかったのか、気まぐれにフォローをしたのか、それすらも曖昧。
これこそが、秋せつらが秋せつらたる所以であった。
慧音は続きを促され、頬を桜色に染めつつ説明を再開した。
「私は不完全とは言え、白沢の知を活用できます」
「時の皇帝に知を授けた力の一端、と言うことですか?」
「仰るとおりです。知や歴史を能力として引き出し、活用することができる。例えば――」
言葉を切ると、慧音の手の中に古風な
「これは三種の神器のひとつです」
「ヤマタノオロチから出た?」
「ええ、もちろん実物ではありませんが、歴史から引き出した、まがい物の本物、と言うことになります」
「まがい物の本物」
「今ここで作り出したまがい物ではありますが、これは真実歴史の中に存在した本物であるのです」
「それと住人の把握をする事に、なにか関係が?」
「失礼、私の話は長くて分かりにくいとよく言われるのですが――つまり、この人里の歴史も、同じように知として引き出すことが可能になります」
「へぇ」
普通ならこれが人間に可能な事かと、彼女に畏怖を覚えても仕方ないだろうが、せつらの反応はあくまで淡白であった。否、淡白どころか無関心とすら言える。
しかし慧音はその薄いリアクションを見て、この若者は本当に半人だとか半妖だとかを気にしていないのだなと、逆に感心したようだった。
ともあれ、せつらは普段通りに情報料を提示した。
慌てたのは慧音だ。
「い、いやいや! お金など結構です」
元々が善意で協力を引き受けたのだ。
どこまでもこの教師は生真面目であった。
「見つかるとも限らないわけですから。里にそのハンターとやらがいなければ、秋さんが損ではないですか」
「経費で落ちますので。スカーレット氏も承認済みです」
「しかし」
「ではこうしましょう。上白沢さんの協力をスカーレット氏に伝えておきますので、彼女がそれを価値のある事だったと判断した時は紅魔館から情報料を届けさせます。重ねて言いますが、経費なので僕に損失はありません」
自分は払わないのだから後は知ったこっちゃねーと言う態度であった。
この美しい若者が支払いにこだわるのは、幻想郷における情報の希少さを痛感したからと言うのと、貸し借りを作りたくない為であった。
借りになれば今後似たような事を頼みづらいし、貸しになれば相手は萎縮して能力を十全に発揮できなくなるかもしれない、と言う懸念からだ。
知り合いも情報屋もいない幻想郷でそれを得る手段は死活問題なのである。
せつらが引き下がる様子を見せなかったので、慧音は仕方なくそこを落としどころとした。
「――わかりました。紅魔館から何か支払われた場合、それは受け取る事にします」
「はい。ひとつ、よろしく」
若者はぺこりと頭をさげると、そのまま慧音の行動を黙って見つめた。
彼女は小さく畳まれた紙を床の上に広げている。
――地図だ。
人里の地図を広げ、その前に座した慧音は目を閉じて何やら集中していた。
その口から呪――否、詩歌のように言葉が紡がれる。
「西暦2xxx年度幻想郷にて、人の住むところxxx期――『しろがねに』『紅き華咲く廃園を』『けふも群れに生者死者あり』」
すると地図上に毛筆で書きなぐったようなバツが一瞬だけ出現し、再び妖気のチリとなって霧散した。
慧音は閉じていた目を開いてその箇所に目印をつけ、驚愕の表情を見せた。
「どんなもんです?」
若者が適当すぎる質問をなげかけると、半妖の教師は難問を目の当たりにした学者のような声で返答する。
「いるはずの者がいない」
「それは人里の住人と考えてよろしい?」
「あ、ああ――そして――」
「その逆も当然あったと」
慧音は頷いた。その顔は疲労の色が濃い。
「――正直に言うと、里の中で神隠しと言うのは無い事もない。しかし、ひい、ふう、みい――多くの棟にわたって住人がまるごと消え、そこにまた別の住人がいる」
「それはどこでしょう」
「貧民向けの長屋が集まっているところです」
「貧民街――スラムのような所ですか」
定番と言えば定番だったなと考え、せつらは嘆息した。
シンプルな話で助かったとも。
「忌憚の無い言い方をすればそうですね。そう言った場所には訳ありの人間や、場合によっては妖怪が住んでいたりするので、近所の付き合いは薄いでしょう」
「多くの人間が一斉に入れ替わって気付かないのも幻想郷流だと?」
「いくら付き合いが薄いと言っても、住人もそこまでマヌケでは無い。なにかがあった」
「その
「そこまではさすがに私でも難しい。満月ならともかく――とりあえず自警団や寄り合いにこの話を持っていって調査しなければ」
勢い込んで立ちあがろうとする慧音を、てのひらをかざしたせつらが止めた。
「僕の調査が終わるまで保留にしてもらえますか」
「な、なにか問題でも」
「邪魔になるから、ですね」
せつらは身も蓋もない事を告げ、慧音は絶句した。
「保留と言っても一日だけで構いません。後はお好きなように」
「そう言われても」
半妖の教師の逡巡を無視するように立ち上がったせつらは、隣で眠りこけていた氷精を起こして、寺子屋を去って行った。
呆然とした慧音のみがその空間に残されたが、彼女は頬を叩いて喝を入れると、これも寺子屋を飛び出して里の外へと駆け出した。
『私』は良く分からないところに沸点があるのでこれで良いのかよくわかりません(適当